Archive for category テーマ

Date: 3月 27th, 2015
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(音の純度とピュアリストアプローチ・その6)

グラフィックイコライザーは、その評価がほかのオーディオ機器よりもはるかに難しいところをもつ。

グラフィックイコライザーの使用を強く薦める人がいる。
その人が書く文章を読んで、グラフィックイコライザーに興味をもつ人がいる。
数人だが、グラフィックイコライザーの使用を強く薦める人のところに連れていったことがある。

みんな期待していた。
使いこなしは難しいかもしれないが、
きちんと使いこなすことで、どれだけのものが得られるのか。
それを知りたがっていたし、自分の耳で確認したかったのだと思う。

グラフィックイコライザーにはON/OFF機能があるから、
簡単にグラフィックイコライザーを調整した音とそうでない音を切り替えられる。
当然のことだが、グラフィックイコライザーの使用を強く薦める人は、
自信をもって切り替え操作を行ってくれる。

帰途、彼らは「グラフィックイコライザーの使いこなしって、ほんとうに難しいんですね……」といった。
あれだけ積極的にグラフィックイコライザーを使ってきた人でも、あのレベルなのか、という落胆からであった。

私が連れていった数人は、彼のところではグラフィックイコライザーなしの方がいい音だと感じていた。

このことはグラフィックイコライザーの調整が難しいということとともに、
グラフィックイコライザーの使い方に関する問題も含んでいる。

私はグラフィックイコライザーにこれから取り組もうという人には、
楽器の音色の違いがより自然に再現されることを目指して調整したほうがいい、という。

私がこれがグラフィックイコライザーの使い方だと考えているからだ。
だがグラフィックイコライザーの使用を強く薦める人は、そうではなかった。
彼好みの音にするための道具としてのグラフィックイコライザーの使い方だった。

そんなふうに使うのはまったく認めないわけではないが、
誰かにグラフィックイコライザーの使用を薦めるのであれば、そうではないだろう、とひとこといいたくなる。

Date: 3月 27th, 2015
Cate: 「オーディオ」考

豊かになっているのか(あるツイートを知って)

奈良県奈良市にジャンゴレコードがあるのを知った。
このレコード店が三月いっぱいで、新譜CDの店頭陳列販売を終了することも知った。

正直、ここまで厳しくなっているのかと驚いてしまった。
詳しくはリンク先を読んでほしい。

日本は世界でいちばんCDが売れている国だといわれている。
それは誇っていいことなのか、とも、ジャンゴレコードの今回の件は考えさせられる。

豊かになっているのだろうか。

Date: 3月 26th, 2015
Cate: 原論

オーディオ原論(その1)

原論とは、その分野で最も根本的な理論。また,それを論じた著作、と辞書に書いてある。

オーディオで最も根本的な理論、またはそれを論じた著作とはなんだろうか。
オルソン博士の音響工学がそれにあたるのか。
他にあるのか、それともまだないのだろうか……。

こう考えていくと、オーディオの何を知っているのだろうか(わかっているのだろうか)、
そして、原音。

いわゆる原音ではなく、最も根本的な音という意味での原音。
そういう音とは、いったいどういうものなのか。

最も根本的な音、
それは正弦波なのか、パルス波なのか。
そういったこととも違う根本的な音とは。

その最も根本的な音を鳴らすスピーカーはあるのか、
あるとしたらどういうスピーカーなのか。

いつか、「あっ」とわかる日が来るのだろうか。

Date: 3月 26th, 2015
Cate: audio wednesday

第51回audio sharing例会のお知らせ(五味康祐氏のこと、五味オーディオ教室のこと)

4月のaudio sharing例会は、1日(水曜日)です。

すでに書いているように、今回のテーマは五味先生、そして五味オーディオ教室のこと、である。
話すこと、話したいことはいくつもある。
五味オーディオ教室だけに絞ってもかなりあるし、
瀬川先生のこと、300B(カンノアンプをお使いだった、マークレビンソンのJC2との組合せだった)のこと、
その他にもあれこれ思いつく。

どれかに絞って話すかもしれないし、
思いつくままに話していくことになるかもしれない。

とにかく五味先生について話すだけである。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 3月 25th, 2015
Cate: 程々の音

程々の音(その27)

ガイ・R・ファウンテン氏にとってのオートグラフとイートン。
その関係性について考えていると、まったく同一視はできないことはわかっていても、
ネルソン・パスのことも思い浮べてしまう。

スレッショルド、パス・ラボラトリーズでの大がかりなパワーアンプを生み出す一方で、
いわば実験的な要素の強いパワーアンプを別ブランド、First Wattから出し、世に問うている(ともいえる)。

パス・ラボラトリーズのパワーアンプに使われるトランジスターの数と、
First Wattの、中でもSIT1に使われているトランジスター(正確にはFET)の数を比較しても、
このふたつのブランドのパワーアンプの性格は、それこそオートグラフとイートンほど、
もしくはそれ以上の差がある。

それでもどちらもネルソン・パスの生み出したパワーアンプであることに違いはない。

いわば、これは二重螺旋なのかもしれない。

Date: 3月 25th, 2015
Cate: TANNOY, 型番

タンノイの型番(その1)

別項「程々の音」でふれたタンノイのイートン。
この時代のタンノイはハーマンインターナショナルの傘下にあったころで、
オートグラフ、GRFは輸入元ティアックによる国産エンクロージュアという形で残っていたものの、
主力製品は、いわゆるABCシリーズと呼ばれる、
Arden(アーデン)、Berkley(バークレー)、Cheviot(チェビオット)、
Devon(デボン)、Eaton(イートン)で、
アーデンとバークレーが38cm口径のHPD385A、チェビオットとデボンが30cm口径のHPD315A、
イートンが25cm口径のHPD295Aを搭載していて、デボンとイートンがブックシェルフ型だった。

ちなみにこれらはすべてイギリスの地名である。

これらのタンノイの型番について瀬川先生がおもしろい話をされたことがあった。
五機種の中で、型番(名称)がいちばん落ち着いた感じがするのはアーデンであり、
アーデンの音も、アーデンという型番がイメージするような音で、
バークレーはアーデンよりもちょっと辛口のところがあり、
デボンは、そんな感じの低音がするし、イートンはかわいらしい印象があって、
型番と音の印象が割とよく合っている、ということだった(チェビオットに関しては、はっきりと憶えていない)。

なるほどなぁ、と感心しながら聞いていたことを思い出した。

バークレーの音は聴いたことはないが、
アーデンと同じユニットであってもエンクロージュアのサイズがひとまわり小さくなっている。
ということは同じ板厚であれば、エンクロージュアの剛性は高くなっている。
ともすればふくらみすぎといわれるアーデンの低音に対して、
バークレーの低音はそういうことはあまりなかったのではないか、と推測できる。

少し締った低音という意味での、アーデンよりも辛口の音ということなのかもしれない。

Date: 3月 25th, 2015
Cate: 程々の音

程々の音(その26)

リビングストンのインタヴューは続く。
     *
これ(オートグラフではなくイートン)はファウンテン氏の人柄を示すよい例だと思うのですが、彼はステータスシンボル的なものはけっして愛さなかったんですね。そのかわり、自分が好きだと思ったものはとことん愛したわけで、そのためにある時には非常に豪華なヨットを手に入れたり、またある時はタンノイの最小のスピーカーをつかったりしました。つまり、気に入ったかどうかが問題なのであって、けっして高価なもの、上等そうにみえるものということは問題にしなかったようです。
 もう一つ、これは率直そのものの人でした。10年前、小型の通信設備をある会社のスペアパーツの貯蔵所に入れる仕事をした後、毎月200ポンドの請求書をずっと送り続けてきました。ある会社とは英国フォードのことで、フォードにとってみれば200ポンドの金額など、それこそ微々たるものだったでしょう。ところが1年経ったのちに、ファウンテン氏は毎日毎日売上げの数字を見ている人ですから、フォード社は200ポンドの代金を1年間未払いの状態になっていることがわかりました。そこで彼は英国フォード社の社長がサー・パトリック・ヘネシーという人だとわかると、このヘネシー卿を個人名で、200ポンドの滞納をしたといって訴えたわけです。ヘネシー卿からはもちろんファウンテン氏にすぐ電話がかかってきました。「あなたは私が英国フォード社の社長だと知って200ポンドの訴えを起こすわけですね」とヘネシー卿がいうと、ファウンテン氏は「滞納すればイエス・キリストだって訴えますよ」といって、さっさと電話を切ったんです。
 実はそのあとで非常におもしろいことが起こったのです。もちろん200ポンドはすぐフォード社から払われましたし、それどころか、フォードが英国に三つの工場を建設した時には、その中の通信設備はことごとくタンノイ社に発注され、額からいうと数十万ポンドの大きな仕事になったわけです。
 このことでもわかるように、ファウンテン氏というのは妥協をすることを好みませんでした。そして、よりよいものに挑戦することを忘れなかったのです。スピーカーについても耐入力100Wができたら今度は150Wができないものかと、常に可能性を追求してやみませんでした。この気質は彼が70歳になっても、74歳になっても衰えず、英国人特有の「ネバー・ギブ・アップ」、常に前進あるのみ、という性格を持ちつづけたのだと思います。
     *
ステータスシンボル的なものをけっして愛さなかったファウンテン氏が、
タンノイにとってのステータスシンボル的なモノ、つまりオートグラフを生み出している。

矛盾しているようであるけれども、リビングストンが語っているように、
妥協を好まず、よりよいものに挑戦することを忘れなかったファウンテン氏だからこその「オートグラフ」、
つまりautograph(自署)であり、
家庭で音楽を楽しむスピーカーシステムとしてのイートンという選択だったように思える。

Date: 3月 24th, 2015
Cate: 程々の音

程々の音(その25)

タンノイ・コーネッタは、どんな音を響かせていたのか。
五味先生が「ピアニスト」の中で書かれている。
     *
待て待てと、IIILZのエンクロージュアで念のため『パルジファル』を聴き直してみた。前奏曲が鳴り出した途端、恍惚とも称すべき精神状態に私はいたことを告白する。何といういい音であろうか。これこそウィーン・フィルの演奏が、しかも静謐感をともなった。何という音場の拡がり……念のために、第三幕後半、聖杯守護の騎士と衛士と少年たちが神を賛美する感謝の合唱を聴くにいたって、このエンクロージュアを褒めた自分が正しかったのを切実に知った。これがクラシック音楽の聴き方である。
     *
こういうのを読むと、ますますコーネッタが欲しくなる。
これまでに何度もコーネッタでいいではないか、
これ以上何を求めるのか。

コーネッタよりも上の世界があるのはわかっているし知っている。
ふところが許す限り、どこまでも上の世界を追い求めたくなるのはマニアの心根からくるものであろうが、
そうでない心根からくるものがコーネッタを欲しがっている。

タンノイの同軸型ユニット、それも25cm口径。
大きくも小さくもないサイズのユニットは、時として中途半端に見えてしまうけれど、
家庭用のスピーカーのサイズとしてはちょうどいいような気もしてくる。

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のタンノイ号で、
瀬川先生がタンノイのリビングストンにインタヴューされている。
リビングストンが、ガイ・R・ファウンテン氏のことを語っている。
     *
彼は家ではほんとうに音楽を愛した人で、クラシック、ライトミュージック、ライトオペラが好きだったようです。ロックにはあまり興味がなかったように思います。システムユニットとしてはイートンが二つ、ニッコーのレシーバー、それにティアックのカセットです。
     *
誰もが(瀬川先生も含めて)、ファウンテン氏はオートグラフを使われていたと思っていたはず。
私もそう思っていた。けれど違っていた。
イートンだった、25cm口径の同軸型ユニットをおさめたブックシェルフだったのだ。

Date: 3月 22nd, 2015
Cate: オーディオの「美」

人工知能が聴く音とは……(その1)

自動運転の車が現実のモノとなるのは、漠然とずっと遠い未来のことだと思ってきた。
自動運転の車は、映画、マンガ、小説などの世界にはずっと以前から登場していた。
いつかは登場してくるであろうけれど、ずっとずっと遠い未来のことであり、
生きているうちには登場しっこない、と思い込んでいた。

現実は、ある時点から加速していく。
自動運転の車は、すぐそこの未来のモノになっている。

自動運転を可能とするのは人工知能の進化である。
どこまで進化するのはわからないけれど、
自動運転ができるのであれば、人工知能が音を聴いて判断して調整することも、
そろそろ登場してもよさそうに思えてくる。

すでに、その兆しを感じさせるモノはいくつか登場してきている。
ここ数年で加速していくような予感すらある。

人工知能が近い将来そうなっとして、
私が期待したいのは人間とまったく同じ音の聴き方ではなく、
人工知能ゆえの音の聴き方である。

人間と違う聴き方を人工知能ができるようになれば、
それを人間である聴き手に提示してくれることも可能になる。

人工知能が、いままで気づかなかった音の聴き方を示唆してくれる可能性が考えられる。
私は人間とまったく同じ聴き方をする人工知能よりも、
違う聴き方をする人工知能に期待している。

Date: 3月 20th, 2015
Cate: イコライザー

私的イコライザー考(音の純度とピュアリストアプローチ・その5)

音の透明度を高めていくことが、再現する楽器の音色の正確さを高めていく。
そう思い込んでいる人にとっては、
グラフィックイコライザーを挿入することによる音の純度の低下が(それがわずかであっても)、
楽器の音色の再現性を低下させる、ということになっているようだ。

確かにそれまでなかったグラフィックイコライザーを挿入すれば、
音の純度は低下するのは事実である。
だがそれはあくまでも、グラフィックイコライザーを挿入しただけで、
挿入していない音と単純に比較した場合のことでしかない。

グラフィックイコライザーは使いこなしてこそ判断すべきモノであることが、
ここでは忘れられて、音の純度の低下が論じられる。

ただやみくもにグラフィックイコライザーをいじっても、音は良くならない。
それでもやってみなければ何も始まらない。
根気のいる作業ではある。

それでもこつこつと調整をしていけば、音は整っていく。
そうして初めてグラフィックイコライザーを挿入した音、挿入しなかった音を比較すべきなのだ。

適切にグラフィックイコライザーによる調整がなされていたら、
楽器の音色の再現性はどちらが上になるのか。

100%と断言したいところだが、
理想的なリスニングルーム、理想的なオーディオシステム、そして理想的なプログラムソース、
そういった環境下では逆転する可能性もあるので、
ほとんどということにしておくが、
グラフィックイコライザーを適切に調整したほうが楽器の音色の再現性は高い。

もっといえば、個々の楽器の音色の違いが、より自然にはっきりと出てくるようになるし、
そこまで調整してこそグラフィックイコライザーを使いこなしている、ということになる。

つまりグラフィックイコライザーを挿入したときの音が、
挿入していない音よりも楽器の音色の再現性が劣っていれば、
まだまだ調整が適切になされていない、となる。

だからグラフィックイコライザーの調整に必要なのは、絶対音色感ということになる。

Date: 3月 19th, 2015
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(続・音の尺度)

人は経験をつむ。
オーディオだけにかぎらず、さまざまなことで経験をつんでいく。
そうすることで、音を聴くときの尺度も自在になっていく。

自在になっていくことで、ふたつの尺度を、さらにはもっと多くの尺度をほぼ同時に扱えるようになる。
実際のところは瞬時に尺度を切り替えているのかもしれないのだが、
スピーカーの比較試聴のときのように一目盛り10cmの尺度と、
細かな調整のときの1mmの尺度と、たぶん脳内で合算しているような聴き方が身についてくる。

これが、構えずに聴くことなのかもしれない。

Date: 3月 18th, 2015
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(音の尺度)

使いこなしの過程では、こんなことでこんなにも音が変化するのか、と驚くことが意外に多い。
そんなとき、驚くほど音が変った、とつい言いたくなるし、言ってしまうこともある。

そうすると、こんなことを言う人がいる。
「音は変るけれど、スピーカーを交換したほど音が変化するわけじゃない。
それだけのことで驚くほど音が変った、という人は、スピーカーが変ったら腰を抜かすんじゃないのか」
皮肉たっぷりにそういう人がいる。

この発言が、オーディオに関心のない人のものだったら、受け流せばいい。
けれど、キャリアが長くて、使いこなしもやっているという人がこういうことを言っているのを聞くと、
この人の音の聴く時の尺度は常に一定なのか、といいたくなってしまう。

オーディオマニアで、ある程度オーディオに熱心に取り組んできた人ならば、
試聴の際、音を聴く尺度は意識するしないに関わらず変化していることを感じている。

スピーカーを比較試聴する時の尺度が、一目盛り10cmだとすると、
アンプを比較試聴の時には一目盛り1cmぐらいになるものだし、
細かな調整のときにはもっと小さくなり、一目盛り1mmくらいになるものだ。

スピーカーの比較試聴もアンプの比較試聴も、
細かな調整の時も、常に同じ尺度で聴いていると言い張る人の「耳」を私は信用しない。
尺度は状況に応じて変っている。
それが人間の感覚というものだ。

だからこそ、驚くほど音が変った、と口走りたくなる体験をするわけだ。

またこういう体験をすることで、感覚の尺度を状況にあわせて変化させていけるようになる。

Date: 3月 17th, 2015
Cate: 価値・付加価値

オーディオ機器の付加価値(ステレオサウンド 38号・その1)

別項で、二冊のステレオサウンド 38号のことを書いた。
一冊は割とキレイな38号で、もう一冊はボロボロになった38号。

この二冊を古書店にもっていったら、キレイな38号は高く買い取ってくれるだろうし、
ボロボロになった38号の買取り価格はかなり安くなるであろう。

ではキレイな38号の方が価値が高いのか、ということになる。
買い取った本を売る商売であれば、キレイな38号の方が価値がある、ということになる。
高い値段で売れるから、高く買い取る。
古書店にとっては、商品価値はキレイな38号の方が高い。

そして買う方にとっても、ボロボロの38号よりも、キレイな38号の方が、
多少高くともこちらを手に取って買っていくであろう。

古書は誰が読んだ本なのかは、ほとんどの場合わからない。
だからこそボロボロの38号よりもキレイな38号の方がいい。

けれど、私がどちらか一冊を手離すとしたら、ためらうことなくキレイな38号のほうだ。
ボロボロの38号はずっと手元に置いておく。

それは私にとってキレイな38号よりも、ボロボロの38号の方が大事だからである。
大事ということは、私にとって価値が高いということになる。

すでに書いているように、ボロボロの38号は、
岩崎先生によってくり返し読まれることによってボロボロになった38号である。

だが古書店に、ボロボロの38号をもってきて、
これは岩崎千明が読んでボロボロになった38号だ、と説明しても、
買い取る側の古書店にとっては、それがどんな意味をもってくるのかといえば、
ほとんど無意味ということになるだろう。

まずどうやって岩崎先生が読んだ38号と証明するのかがある。
証明できなければ、古書店にとっては、単なるボロボロの38号でしかない。
そんな38号を、キレイな38号よりも高く買い取ることは絶対にない。

Date: 3月 16th, 2015
Cate: ヘッドフォン

ヘッドフォン考(終のリスニングルームなのだろうか・その1)

喘息持ちなこともあって、小学生のころは学校をよく休んでいた、早退も多かった。
健康な人よりも、だからこのころはベッドの上で過ごすことが多かった。

こんなことを思い出すのは、
ベッドの上が、終のリスニングルームとなるのか、と考えるようになったからかもしれない。

ステレオサウンド 55号の原田勲氏の編集後記を思い出す。
五味先生のことが書いてあった。
     *
 五味先生が四月一日午後六時四分、肺ガンのため帰らぬ人となられた。
 オーディオの〝美〟について多くの愛好家に示唆を与えつづけられた先生が、最後にお聴きになったレコードは、ケンプの弾くベートーヴェンの一一一番だった。その何日かまえに、病室でレコードを聴きたいのだが、なにか小型の装置がないだろうか? という先生のご注文で、テクニクスのSL10とSA−C02(レシーバー)をお届けした。
 先生は、AKGのヘッドフォンで聴かれ、〝ほう、テクニクスもこんなものを作れるようになったんかいな〟とほほ笑まれた。
     *
五味先生にとって、AKGのヘッドフォンが終の「スピーカー」ということに、
そして病室のベッドが終の「リスニングルーム」ということになったのか……、と考える。

どこでどんなふうに死ぬのかなんてわからない。
ベッドの上で死ねるかもしれないし、そうでないかもしれない。
それでも、ベッドの上で最期の時を過ごすようになるのは十分考えられることだ。

そこでどうやって音楽を聴くのだろうか。
ヘッドフォンなのだろうか。
ヘッドフォンという局部音場が、ベッドの上を終の「リスニングルーム」としてくれるのだろうか。

まだわからない。

Date: 3月 15th, 2015
Cate: サイズ

サイズ考(トールボーイ型スピーカー・その1)

セレッションのSL6、続いて登場したSL600、
以降、小型スピーカー、それもサブスピーカー的な小型スピーカーではなく、
メインスピーカーとしての小型スピーカーが数多く登場するようになった。

それ以前の小型スピーカーとの違いはいくつかあって、
そのひとつとして挙げられるのは専用スタンドが用意されることが増えてきたことでもある。

サブスピーカーとして小型スピーカーであれば、
本棚におさめたり、テーブルの上に置いたり、と、
メインスピーカーとしての設置とは違っているのが普通であった。

けれどメインスピーカーとしての小型スピーカーの設置となれば、
専用スタンドに乗せ、できるだけ左右に拡げ、左右の壁、後の壁からもできるだけ距離を確保する。
そういう設置が一般的になってきた。

つまり小型スピーカーとはいえ占有する空間は大型スピーカーの設置とあまり変らなくなる。
スペースファクターはサイズの割には良くない。

ならば多くの人がエンクロージュアを縦に長くしたらどうか、と考える。
いわゆるトールボーイのスタイルである。

専用スタンドとの組合せが前提なら、
スタンドの分もエンクロージュアにしてしまえば、占有床面積はほぼ同じままで、
内容積は二倍、三倍、もしくはそれ以上に増やせる。

ウーファーの数もダブルにしようと思えば可能である。
そうすれば低域再生に、小型エンクロージュアのままよりも余裕が生れる。

トールボーイは、小型スピーカーの行き着く形態のように思えた。
きっと誰もがそう思ったのかもしれない。
トールボーイのスピーカーシステムがいくつも出て来た時期があった。

だが小型スピーカーに傑作は少なくないが、
トールボーイ型となるとそうではなくなる。