Archive for category テーマ

Date: 1月 15th, 2016
Cate: バスレフ(bass reflex)

バスレフ考(その6)

スピーカーシステムのエンクロージュアは、一種の箱である。
以前は四角い箱が大半をしめていたが、
最近では四角い箱の方が少なくなってきたように感じるほど、
さまざまな形状のエンクロージュアが登場してきている。

エンクロージュア内部では定在波が発生する。
四角い箱であれば、平行する面が三つあるわけだから、定在波が発生しやすい。

エンクロージュアを構成する六面をすべて正方形にすれば、
定在波の発生はもっとも顕著になるといえる。

エンクロージュアの寸法比を黄金比にしたほうがいいといわれているのは、そのためである。
四角い箱でなくともそれなりに定在波は発生する。

発生を完全に抑えることができなければ、
発生する定在波を分散させたほうが好ましい結果が得られる。
それには、四角い箱であるならば、
その3)で書いているように、寸法比に充分な配慮を必要となる。

定在波はユニットの取りつけ位置によっても変化する。
それからバスレフ型であれば、バスレフポートの位置によっても、
定在波の影響の出方が変化してくる。

定在波をエンクロージュア内部で完全に処理できればいいのだが、それはいまのところできない。
この定在波はいろんな影響を与える。
そのひとつに、バスレフポートが定在波の放出口になることがある。

Date: 1月 14th, 2016
Cate: 「オーディオ」考

「音は人なり」を、いまいちど考える(その8)

出てくる音と出せる音との違い、と前回の最後に書いた。
同時に、出したい音と出したくない音もある。

出したい音は、自己肯定の音、
出したくない音は、自己否定の音、
そういう言い換えもできると思う。

出したい音(自己肯定の音)、出したくない音(自己否定の音)は、
聴く音楽(かける音楽)とも深い関係をもっている。

出したくない音(自己否定の音)を聴きたくなければ、
そうすることもできなくはない。

そういう人を知らないわけではない。
本人は無意識にそうしているのかもしれないから、何もいわない。

けれど、私は聴かなければならない音がある、と信じている。
聴かなければならない音を聴くために聴く音楽(かける音楽)がある、ともいえる。

オーディオは趣味なのに……、そんなことしなくてもいいじゃないか。
そういわれれば、そのとおりだと答えるけれど、
それだけではないと、口には出さないけれど思っている。

どちらの姿勢でオーディオに臨むのか、をふくめての、「音は人なり」のはずだからだ。

Date: 1月 14th, 2016
Cate: きく

音を聴くということ(ギーゼキングの言葉)

ワルター・ギーゼキングが「ピアノとともに」(白水社刊・杉浦博訳)で語っている。
     *
なんらかのとくべつな指や手の運び方に、美しい音が出る原因をさがそうとするのはむだなことだと思うのである。わたしの確信によれば、響きの美しい演奏法習得の唯一の道は、聴覚の体系的な訓練である。
     *
聴覚の訓練、それも体系的な訓練。
オーディオにおいても、まったく同じだといえる。

Date: 1月 14th, 2016
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(続・レコードと音楽とオーディオと)

岡先生は、「レコードと音楽とオーディオと」のあとがきに、こうも書かれている。
     *
 ぼくの根本的なテーマは、まえにもいったように、レコードの音楽の正体というものがどういうところにあるか、それがオーディオ機器をとおして再生されたときにどんな風になるのかということである。しかし、音というものを言葉で表現するくらいむずかしいことはない。しかし、できるだけ具体化したいというところに、誰もやらなかったこと、という意図とむすびつく。
     *
「レコードと音楽とオーディオと」には、
岡先生の、そういう根本的なテーマがきちんとある。

「レコードと音楽とオーディオと」の実際の編集作業がどのように行われたのかはわからない。
けれど、岡先生が本全体の構成を考えられての一冊だと思って間違いないはず。

編集部主導の入門書がすべてダメだとはいわないけれど、
そういいたくなるオーディオ入門書が少なくないと感じるのも、偽らざる気持である。

良質のオーディオ入門書は、いつの時代でも必要である。

Date: 1月 13th, 2016
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(レコードと音楽とオーディオと)

1974年冬にステレオサウンドから、「レコードと音楽とオーディオと」というムックが出た。
岡先生の書き下ろしによる本である。

この本のあとがきに、こう書いてある。
     *
《ステレオサウンド》とは創刊号からの長いおつきあいである。そのステレオサウンドの原田勲さんから、以前から、レコード愛好家のためのオーディオ入門みたいなものを一冊書け、といわれていた。《ステレオサウンド》のおかげで、ぼくはずいぶんオーディオの勉強をさせてもらったし、多分この雑誌のための仕事がなかったらそんな機会はなかったと思われるほど、たくさんのよいオーディオ機器をきく機会があったので、ぼくの体験はひじょうに広まったことも事実である。しかし、ぼくは依然としてオーディオの素人である。素人がもっともらしくオーディオ入門めいたことを書いたってろくなものができるわけはない。そんな考えで原田さんの注文にまるで自信がなかった。しかし、原田さんは一向にあきらめる気配がなく、時々そんなことをいう。そういうことが度重なると、なんだか自分にもそんな本ができそうな気がしてきて、ふとレコードとオーディオをむすびつけたテーマでならなにかやれそうに思ったのである。
     *
「レコードと音楽とオーディオと」は序章と十章からなる。
 序章:二枚のボレロ カラヤンとオーマンディ
 第一章:ハイ・ファイからオーディオへ
     レコードと音楽のかかわりあい
 第二章:エディスンから電気録音へ
     レコードその技術の歴史
 第三章:電気録音以後──ステレオまで
     レコードとその技術の歴史
 第四章:レコード再生のためのテクニック1
     プレイヤー・システム
 第五章:レコード再生のためのテクニック2
     アンプリファイヤー
 第六章:レコード再生のためのテクニック3
     スピーカー・システム
 間章:デシベル(dB)についての知識
 第七章:レコード再生のためのテクニック4
     音響再生の環境とリスニング・ルーム
 第八章:現代のレコード録音
 第九章:カッティング──プレス
     レコードができるまで
 第十章:再びレコードと音楽とオーディオと

「レコードと音楽とオーディオと」は岡先生でなければ書けない一冊である。
誰が書いたのかわからないような、
つまり誰が書いても同じような内容になってしまっているオーディオ入門書ではない。

Date: 1月 13th, 2016
Cate: オーディオのプロフェッショナル

モノづくりとオーディオのプロフェッショナル(その6)

オーディオ機器に使われるすべての部品を内製することができるメーカーは限られる。
日本の家電メーカーとオランダのフィリップスなど、そう多くはない。

内製できるからといって、すべての部品を自社もしくは関連企業で製造しているとは限らない。
ある部品は、より優れたモノを作っている会社から購入して採用することも、ごくあたりまえにある。

アンプ一台をとってみても、
半導体から抵抗、コンデンサーだけでなく、電源トランスまで自社生産するとなると、
かなり大変なことである。

それにすべての部品を内製できるメーカーが、
優れたアンプ、優れたスピーカーシステムを開発できるとも限らない。

そんなふうに考えていけば、
アンプメーカーが、コンデンサー、抵抗、半導体などの部品を購入してアンプを組み立てるように、
スピーカーにおいても、スピーカーユニットを自社開発・製造せずに、
他社製のスピーカーユニットを購入してきて、
アッセンブルして自社製品として発売することも同じ、といえる。

それでも1970年代までくらいは、
スピーカーメーカーはスピーカーユニットまで内製するメーカーと多くの人が思っていた。
私もそう思っていたし、
ステレオサウンド 46号の新製品紹介のページでの井上先生と山中先生のやりとりも、
まさにそうである。

つまりスピーカーメーカーにとっても、抵抗やコンデンサーは、
スピーカーユニットの振動板やマグネットに相当していた、といえよう。

つまりスピーカーユニットを開発できないメーカーは、
スピーカーユニットを開発しているメーカーよりも、下に見られていた。

とはいえ、BBCモニター系列のスピーカーシステムを製造していたメーカーでは、
ウーファーは自社製でも、トゥイーターは他社製という組合せが一般的であった。

それがいつのころからか、スピーカーユニットはすべて他社から購入して、
ネットワークの部品も当然他社製。
エンクロージュアを作るだけのメーカーが現れてきはじめ、
その数が増えていった。

活字にはなることはあまりなかったが、それらのメーカーをアッセンブルメーカーと呼ぶこともあった。

Date: 1月 12th, 2016
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアの覚悟(その2)

その1)を書いて約14ヵ月。

覚悟なきオーディオマニアは、どこまでいっても素人のままである。
つくづくそう感じている。

2016年は、オーディオマニアの覚悟について考えていきたいし、
毎月第一水曜日に行っているaudio sharing例会で、オーディオマニアの覚悟を音で示せれば、と思っている。

Date: 1月 11th, 2016
Cate:

オーディオと青の関係(その4)

1998年に、ロスト・イン・スペースが公開された。
1960年代のアメリカのテレビドラマ、宇宙家族ロビンソンの映画版である。

映画館で観た。
この映画のスポンサーで、もっとも多くの資金を提供したのは、
シリコングラフィックス社だと思う。

映画本編にシリコングラフィックスのロゴが大きく登場するし、
ロスト・イン・スペースの時代(2058年)では、
シリコン・グラフィックスは世界でも有数の大企業という描かれ方だった。

シリコン・グラフィックスは、このころ勢いがあった。
Appleはジョブスが復帰して、iMacをその年の夏発売したとはいえ、
勢いにおいてはシリコン・グラフィックスに負けていた。

シリコン・グラフィックスのワークステーションは、本当に高嶺の花だった。
個人で購入するモノとは思えなかった。

シリコン・グラフィックスのワークステーションも、ブルーだった。
モデルによって色は違っていても、基本的には青をベースにしていた。

オーディオとは直接関係ないけれど、
青ということで、シリコン・グラフィックスを思い出してしまう。
それだけ、印象が強かった。

そういえばiMacも最初に登場したモデルは、ボンダイブルーだった。

Date: 1月 11th, 2016
Cate:

オーディオと青の関係(その3)

エラックのスピーカーシステム、CL310JETが登場したのは1998年だった。

トゥイーターにハイルドライバーの一種AMTを搭載する小型スピーカーシステムは、
数度の改良を経て、いまも現役のモデルである。

どの310がいいのかは私にとっては重要なことではなくて、
1999年に登場したCL310JET Audio Editionが、やはり青である。

CL310JET Audio Editionは日本では50セットの限定モデルだった。
アルミ製のエンクロージュアは、
オリジナルのCL310JETはシルバーとブラックが用意されていたが、
CL310JET Audio Editionでは、シルバーとブルーの二色だった。

エラックはブルーを選んだんだ、とCL310JET Audio Editionの写真を見て思った。
やっぱりブルーなんだ、とも思っていた。

なぜエラックがブラックではなく、ブルーにしたのか。
その理由は知らない。

CL310JET Audio Edition(シルバー仕上げ)を、知人のリスニングルームで聴いた時は驚いた。
小型スピーカーは、それまでいくつも注目製品を聴いてきていた。
セレッションのSL600は買って鳴らしていた。

CL310JET Audio Editionは、また小型スピーカーが新しい時代を迎えたようにも感じていた。
そういうCL310JET Audio Editionだから、ブルーのアルミ製エンクロージュアこそが、
このスピーカーにふさわしい色だと私は思っている。

Date: 1月 11th, 2016
Cate: オーディオの科学

オーディオにとって真の科学とは(ニューフロンティア)

本来、科学とは、人間の視野を拡張してくれるものである。

正月にスタートレックの映画を続けて観ていて、そう思った。
スタートレックでは、フロンティアという言葉が出てくる。

エンタープライズのクルーは、ニューフロンティアをめざす。
ニューワールドではなく、ニューフロンティアを。

Date: 1月 10th, 2016
Cate: 正しいもの

「正しい音とはなにか?」(デザインのこと・その2)

中原中也の「音楽と世態」に、こんなことが書かれている。
《それあまあ、昔だつて一般世人は美術家より装飾美術家の方をリアリスティクだと思つてゐたものであるらしい。》

1930年に書かれている。
1930年より昔とは、いつのころなのか。

まだ続くのか……。

Date: 1月 10th, 2016
Cate: audio wednesday

第60回audio sharing例会(アンプを愉しむ、の様子)

1月6日のaudio sharing例会の様子を、
喫茶茶会記の店主、福地さんが感じたことを書いてくださった。

準備をしている私が写っている写真の公開されている。

Date: 1月 9th, 2016
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その9)

数年前、「井上さんの使いこなしはたいしたことない」とか、
「オーディオの理屈をわからずにやっている」とか、そういうことを私に向って言った人がいた。

しかも、その人は井上先生と一度も会ったことのない人だった。
失礼な人だな、と思ったし、他にもあれこれ思った。

その人とは疎遠になった。
で、ふと思い直したことがある。

確かにその人は井上先生を誤解している。
だが、なぜ誤解したのか。

井上先生を、オーディオの使いこなしの名人と呼ぶ人は多い。
その人たちの中には、井上さんと呼ぶ人もいれば、井上先生と呼ぶ人もいる。

井上先生と呼ぶ人の中で、直接井上先生から使いこなしを教えてもらったという人(Bさん)もいる。
この人の使いこなしの程度を、井上先生を誤解している人(Aさん)は写真で知っている。

Aさんは、Bさんの使いこなしを見て、これが井上卓也の使いこなしなのか、と思ったのではないのか。
こんなレベルの使いこなしだったのか、とAさんが思ってもしかたない。
そんなBさんのリスニングルームの写真であるのだから。

尊敬している人を、先生と呼ぶ。
でも、そう呼ぶことで、そう呼ばない人を誤解させることにつながる危険がある。

Bさんが井上先生とは呼ばずに、井上先生から使いこなしを教えてもらった、と公言しなければ、
Aさんは、井上先生を誤解することはなかったかもしれない。

Bさんは、悪意をもって井上先生と呼んでいるわけではない。
そのことは承知している。

けれど、Bさんの使いこなしの未熟さが、
Aさんに井上先生を誤解させるきっかけとなっているとしたら……。

そう考えると、先生と呼ぶことで責任が生じる。
そのことに無自覚な人が、先生と呼ぶのをみていると、
どうしても黙っていられない。

Date: 1月 9th, 2016
Cate: audio wednesday

第60回audio sharing例会(アンプを愉しむ・その4)

1月のテーマは、アンプの愉しむであり、アンプを選ぶではなかった。
とはいっても、今回のaudio sharing例会に参加された方がたは、
それぞれに気に入った音のアンプがあったと思う。

私は、というと、是枝重治氏のパワーアンプ三機種の中で、
7695シングルアンプが印象に残っている。

真空管の、それもシングルアンプというと、
私の中では、はっきりとしたイメージがある。
7695シングルは、まさにそういう音がしてくれた。

私がもっているシングルアンプの音のイメージが、
多くの人がもつイメージとどれだけ重なっているかはわからない。
だから、私が7695シングルをシングルアンプらしい音の良さを聴かせてくれた、といっても、
別の人が聴けば、シングルアンプらしさを感じない、ということになるかもしれない。

それでも、7695シングルはシングルアンプの良さがあった、と感じている。
スピーカーが能率が高いということもあって、その良さが活きていた。

是枝氏のコントロールアンプとの組合せでも良かったけれど、
ゴールドムンドのMIMESIS7との組合せにも惹かれるものがあった。

では、今回聴いたアンプの音で、この組合せを選ぶのかときかれれば、
選択の条件次第ということになる。

アンプを何ひとつ所有していなくて、
今回聴いたアンプから一機種(ペア)だけを選ぶということになると、
ゴールドムンドのペアということになる。

けれど、すでにアンプを所有していて、それも気に入っているアンプということで、
もうひとつアンプを、ということであれば、ゴールドムンドのMIMESIS7と7695シングルをとる。

是枝氏の7695シングルの音を聴いていると、
これこそが五極管シングルアンプの音だ、といいたくなる。

こんないい方がどんなに乱暴な表現なのかはわかっている。
それでも、そういいたくなる良さを感じ、
7695という真空管(今回初めて聴いた)への関心ももつことができた。

私だったら、こう作るかも、ということを想像する愉しみもあった。

Date: 1月 8th, 2016
Cate: audio wednesday

第61回audio sharing例会のお知らせ(聴感上のS/N比)

2月のaudio sharing例会は、3日(水曜日)です。

今週水曜日のaudio sharing例会の終りのほうで、あることをスピーカーの施した。
やったことに対して音の変化の大きさに、驚きがあった、と私は感じていた。

ちょうどその時かけていたCDはアナログ録音で、テープヒスも聴こえてくるものだった。
そのテープヒスが、ノイズリダクションでもかけたように、耳につかなくなったので、
ある人は、グッドマンのトゥイーターDLM2を何かで覆ったのでは? と思ってしまったそうだ。

昔ヤマハのNS10Mのトゥイーターのティッシュペーパーで覆うというのが流行ったことがある。
だから、そう思われたのかもしれない。

けれど、それをやってしまうと、高域のレスポンスが減衰する。
それでいい結果が得られれば、いいということになるが、
それでも、その手法は一時しのぎ、またはごまかしともいえる。

今回私がやったのは、そういうことではない。

今回の例会では、こんなこともあった。
クイーンのCDをかけたら、フレディ・マーキュリーの声が若すぎる、という声があった。

これはネットワークに問題がある、という指摘があった。
喫茶茶会記のスピーカーのネットワークはアルテック純正ではない。
店主の福地さんが選んだモノが接続されている。

このネットワークの出来が満点とは、私だって思っていない。けれど大きな問題を抱えている、とも思っていない。

私は、フレディ・マーキュリーの声が若すぎるのはネットワークのせいではない、といったけれど、
それでもネットワークに問題がある、と言われる。

ネットワークに問題がなかったことは、私が施したことによる音の変化で確認できた。

聴感上のS/N比をよくするために、それまでさまざまなことを試してきて、実際に成果を出してきて、
聴感上のS/N比とはどういうことなのかを理解している人ならば、
ネットワークに起因することでないのは判断できることなのに……、とどうしても思ってしまう。

聴感上のS/N比は、いまでは特別な言葉ではなくなっている。
そのこと自体はけっこうなことだが、聴感上のS/N比が正しく理解されているのかは、私は疑問を持っている。

残念なことに、フレディ・マーキュリーの声が若すぎるのはネットワークのせいだ、と主張された人は、
途中で帰られたため、私がスピーカーに施したことによる音の変化を聴かれていない。
それでも聴いた人もおられる。

ここでの音の変化を聴いた人たちには、今回のこと、音の変化は共通体験として残っている。
だから、今回のテーマは聴感上のS/N比にする。

これまで聴感上のS/N比について話しても、ある種のもどかしさを感じていたが、
今月の例会をやったことで、そういうもどかしさはなくなったのではないだろうか。
だから話せることがある、話せるレベルのことがある。

そういうわけで、今月の例会での音の変化を聴いていない人には、あまり実感のわかない内容になるはずだ。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。