Archive for category テーマ

Date: 3月 31st, 2016
Cate: 素材

羽二重(HUBTAE)とオーディオ(その13)

人間には視覚と触覚の二感しかない──、
このことを念頭において、
ステレオサウンドに以前掲載されていた菅野沖彦・保柳健、二氏の対談を読み返すと、
ここにも出て来ていたのか、といまごろ気づくことがある。

47号(つまり連載一回目)に、それは出てくる。
マイクロフォンの話題が出た後で、菅野先生が述べられている。
     *
菅野 マイクロフォンというのは、ある程度のものであれば、あとは使い方で変化させられます。これは自分の触覚器官の代行ですからね。
     *
マイクロフォンに耳にたとえられるし、耳の延長ともいわれることが多い。
ならば聴覚器官の代行となるのに、菅野先生は「触覚器官」といわれている。

これが、のちの音触につながっていくのだろう。

モノづくりとオーディオのプロフェッショナル(ステレオサウンド 47号より)

ステレオサウンド 47号の特集の巻頭は、瀬川先生が書かれている。
「オーディオ・コンポーネントにおけるベストバイの意味あいをさぐる」というタイトルがついている。

そこで、こんなことを書かれている。
     *
 だが、何もここで文章論を展開しようというのではないから話を本すじに戻すが、今しがたも書いたように、言葉の不用意な扱いは、単に表現上の問題にとどまらない。それがひいては物を作る態度にも、いつのまにか反映している。
     *
47号は1978年夏号だから、こんなにも以前に、これを書かれていたのか、と改めておもっている。
「物を作る態度」、
オーディオ機器だけに話はとどまらない。

物の中には、いろいろ含まれている。
オーディオ雑誌もそのひとつのはずだ。

Date: 3月 31st, 2016
Cate: audio wednesday, マッスルオーディオ

第63回audio sharing例会のお知らせ(muscle audio Boot Camp)

4月のaudio sharing例会は、6日(水曜日)です。

このaudio sharing例会をはじめたときから、音を実際に出して、ということをやりたいと考えていた。
けれど、実際には使用するオーディオ機器の調達をどうするのか、
そんなことを考えていると考えるだけに留まってしまい、腰があがることはなかった。

きっかけは会場となっている喫茶茶会記のスピーカーシステムが変ったということが大きい。
常連のKさんがアンプを貸し出してくれる、ということで、
とにかく初となる音出しを、今年一月にやった。

そして二回目を三月にやった。このときは常連のAさんが持ち込んでくれた。

案ずるより産むが易し、ということだろうか。
とにかくはじめてみれば、なんとかなる。

ステレオサウンドの試聴室のように恵まれた環境にあるわけではない。
それでもあれこれやって音を出していく作業は楽しい。

ひとりで自分の部屋で、自分のシステムを調整していくのとは、少し違う楽しさがある。
今年は、だからできるかぎり音出しをやっていこう、と思う。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 3月 31st, 2016
Cate: 録音

録音は未来/recoding = studio product(DAM45)

数日前に書いたDAM45
このレコードの録音は、どちらなのだろうか。

レコードに惚れこんでいるところからスタートして行われた録音なのか、
音源に惚れこむところからスタートしての録音なのか。

私には前者のように感じられる。

Date: 3月 30th, 2016
Cate: 録音

録音は未来/recoding = studio product(菅野沖彦・保柳健 対談より・その1)

ステレオサウンド 47号から始まった「体験的に話そう──録音の再生のあいだ」。
菅野先生と保柳健氏による対談がある。

最初読んだ時は、面白いんだけどよくわからない、という面も多々あった。
当時高校一年で、オーディオの経験も浅いし、録音というものもよくわかっていなかったのだから、
あたりまえといえばそうなのだが、
それでもこの対談はじっくり読むべきものだということはわかっていた。

48号で保柳健氏が、こう語られている。
     *
保柳 ははあ、ここで、あなたと私の根本的な違いがわかってきました。菅野さんは、レコードに惚れこんでいるところからスタートしているんです。私は音源に惚れこむところからスタートしています。それをどう再生するかというところで再生にきた。
菅野 私のは、フィードバックなんです。
     *
録音を仕事としている人は大勢いる。
著名な人も少なくない。
彼らのなかで、菅野先生と同じでレコードに惚れこんでいるところからスタートした人の割合は、
どのくらいなのだろうか。
録音を仕事としている人の多くは、保柳健氏と同じで、
音源に惚れこむところからスタートした人が、多そうな気がする。

あくまでも気がする、という感じだ。
調べたわけではないし、そういうことに触れた記事を読んだこともない。

とはいえ、この違いは録音を考えていくうえで、ひじょうに興味深いことではないだろうか。

Date: 3月 30th, 2016
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるキャンペーンを知って・その6)

秋葉原に行ってきた。
4月6日のaudio sharing例会”muscle audio Boot Camp”で使用するネットワークの部品購入のためだ。

海神無線に行ってきた。
目的の部品を探していて、ふと目に入ってきた文字があった。
「学割始めました」だった。

学生証を提示すれば、特価品を除いて5%から10%の値引きを行ってくれるそうだ。

海神無線は、私にとって秋葉原でいちばん利用している店である。
オーディオマニアで自作をしている人ならば、海神無線の名前は知っている人が多いだろうし、
利用したことのある人はけっこういるように思う。

その海神無線が学割を始めてくれた。
いいことだと素直に思う。

海神無線に来ている客で、学生らしき人を見かけたことはない。
学生のオーディオマニアでも、自作をやっている人はいるのだから、
海神無線で見かけてもおかしくはないのに、これまで一度もない。

たまたま私が行くときに居合せないだけかもしれないが、
例えば他の部品を扱っている店、秋月電子にいけば、
学生服姿の人が、部品表を見ながら部品をひとつひとつ集めているところに出会すことがけっこうある。

海神無線の学割は地味な話題だろうが、多くの人に知ってもらいたいことである。

Date: 3月 29th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その36)

ステレオサウンド 47号の「続・五味オーディオ巡礼」の扉の写真は、
五味先生の後にタンノイのオートグラフがある。
ということは、この部屋の持主のメインスピーカーは、別にあるということを、
扉の写真は暗に語っているし、五味先生はそのスピーカーに対峙しての表情だともいえる。

そのスピーカーが何であるのかは本文を読んでいけばわかる。
JBLの4350Aである。
4ウェイ5スピーカーのバイアンプ駆動のスピーカーシステムである。

「続・五味オーディオ巡礼」の冒頭に、
4ウェイ・スピーカーシステム、マルチアンプシステムを頑なに却ける理由が述べられている。
にも関わらず、4350Aの部屋に訪問されている。

五味先生のJBL嫌いは「五味オーディオ教室」を読んで知っていた。
つまり4350Aをよくいわれるはずがない、わけだ。

訪問先の南口重治氏のリスニングルームは、
当時、田舎の高校生には想像がつかないものだった。
写真の説明には「奈良東大寺の庭に隣接する南口邸の裏庭に建てられたリスニングルーム全景」とある。
奈良東大寺の庭に隣接する……、いったいどういうところなのだろうか、
想像しても想像できなかったのを憶えている。

オートグラフと4350Aがおさまっている部屋は約24畳とある。
天井も高そうである。
床もコンクリートはで固められ、と書いてある。
そうとうにしっかりとした造りの部屋であることはわかる。

アンプはマークレビンソンのLNP2に、
低域にスレッショルドの800A、中高域にSAEのMark 2600。

そういう南口氏の4350Aの音を、こう書かれている。
     *
「ひどすぎますね」私は南口さんに言った。4350は芸術を鑑賞するスピーカーとは思えない。何という、それに無機的な音だろう、と。「こんなものは叩き返しておしまいなさい」
 南口さんは失笑して、
「たしかにこれでいいとは私も思いませんが、まだ良くなる余地はあるように思います」
     *
ここまで読んで、やっぱりそうなのか……、と思ってしまった。
けれど「続・五味オーディオ巡礼」は、ここで終っているわけではない。

Date: 3月 27th, 2016
Cate: 名器

ヴィンテージとなっていくモノ(老化と劣化)

初期のマークレビンソンのコントロールアンプ(LNP2やJC2)の中古相場が高騰している──、
そんなことを耳にする。

中古相場は変動がある。
高くなるときもあれば反対にそうでなくなるときもある。

マークレビンソンにしても約40年が経っている。
完動品とすくなくともいえる個体の数は減っていっている。
マークレビンソンのアンプに限らない。
マランツ、マッキントッシュの真空管アンプなどもそうだ。

いい状態のモノが減っていっているのだから、
価格は高くなるのも不思議ではない、といえるのだが、
それでも……、という想いはある。

たとえばマークレビンソンのLNP2やJC2はモジュールが密閉されているため、
通常のアンプよりも修理が困難である。

いい状態のLNP2を見つけ出してきて、高額な代金を払って自分のモノとする。
出て来た音は、期待したとおりの、予想した以上の音だったとしても、
それがいつまで聴けるのか、その保証はまったくない、といえる。

今日は素晴らしい音を聴かせてくれた。
けれど翌日には故障してしまい……、ということだってありえる。
そういうリスクがあることは承知のうえで購入すべきものであり、
どんなオーディオ機器であっても、どんなに丁寧に使ってきても、
もしくはずっと箱に入ったまま未使用で保管されていようと、
すべてのオーディオ機器は劣化する。

ここまでは改めて書くまでのことではない。
オーディオ機器に劣化は不可避である。
けれどオーディオ機器の老化という現象はあるのだろうか。

オーディオ機器の老化はあるのか、あるとしたらどういうことなのか。

Date: 3月 27th, 2016
Cate: 「スピーカー」論

トーキー用スピーカーとは(その16)

その15)で、「フロリダ」というダンスホールのことを書いた。
時代が違うとはいえ、すごいことだと思いながらも、
これはウェスターン・エレクトリックだからできたことなのか、とも考える。

トーキー用システムとしてアメリカにウェスターン・エレクトリックがあり、
ドイツにはシーメンス(クラングフィルム)があった時代だ。

「フロリダ」の経営者は、なぜウェスターン・エレクトリックの装置を選んだのだろうか。
前回引用した会話からわかるように、ウェスターン・エレクトリックのレンタル代金は高価だ。

昭和四年ごろでは、ウェスターン・エレクトリックしか選択肢がなかったのか。
シーメンスのトーキーはどうだったのだろうか。

仮にシーメンスのトーキーが日本にあったとして、
「フロリダ」の経営者はどちらを選んだのだろうか。

どちらのトーキーがいい音なのか、優れたシステムなのかではなく、
シーメンスのトーキーだったら、ダンスホールに大勢の人を呼べただろうか。

15銭の入場料で、毎月3000円のレンタル料をウェスターン・エレクトリックに払う。
それだけの人が「フロリダ」に集まって来ていたわけだ。
あくまでも想像でしかないのだが、シーメンスのトーキーだったら、
そこまでの人は集まらなかったようにも思う。

どちらも同じ目的で開発されたスピーカーであり、システムである。
スピーカーの構成も大きくは違わない。
けれど、出てくる音は、はっきりと違い、
その違いはトーキーとして映画館で鳴らされるよりも、
それ以外の場所、ダンスホールで鳴らされる時に、よりはっきりと出てくるのではないのか。

Date: 3月 26th, 2016
Cate: アナログディスク再生

DAM45

DAM45の文字を見て、なんのことかすぐに思い出せる人は、私と同世代か上の世代の方たち。
DAMとは、第一家庭電器オーディオメンバーズクラブの頭文字であり、
DAM45とは、DAM頒布会用LPのことであり、45という数字があらわしているように45回転のLPである。

第一家庭電器はおもにFM誌に積極的に広告を出していた。
ステレオサウンドでは見なかったはずだ。
1970年代後半はFM誌全盛の時代だった。

週刊FM、FMfan、FMレコパルが出ていた。
私は主にFMfanを買っていた。
そこにも第一家庭電器の広告は、ほぼ毎号載っていた(と記憶している)。
そのくらいよく見ていた。

広告には必ず「マニアを追い越せ!大作戦」のキャッチフレーズがあった。
広告に掲載されていたのは、カートリッジ、トーンアーム、アクセサリーなど、
アナログプレーヤーに関係するモノがメインだった。

カートリッジに関していえば、ディスカウント店の先駆けのような感じだった。
カートリッジをひとつ買ってもそうだが、二個三個とまとめ買いをすればさらに安くなる。
だからといって単なるディスカウント店ではなかった。
だからこそのDAM45の制作がある。

第一家庭電器の広告を見るたびに、東京および周辺に住んでいる方をうらやましくも思った。
しかも年二回のキャンペーン期間中にカートリッジを購入すれば、非売品のDAM45がもらえる。

そのDAM45の中に、グラシェラ・スサーナのLPもあったのを憶えている。
ほんとうにうらやましかった。

グラシェラ・スサーナだけでなく、カラヤンのDAM45もあった。
そのことからわかるのは東芝EMIがDAM45の制作に協力していることだ。

いま第一家庭電器も東芝EMIもない。
私のところには グラシェラ・スサーナのDAM45があるだけだ。

私と同世代、上の世代のオーディオマニアのレコード棚にはDAM45が何枚かあるのではないだろうか。
DAM45を手にして何をおもわれるだろうか。

懐しいなぁ……、最初に来るであろう。
それから、どちらの会社ともなくなったぁ……、がくるだろう。

これまではそこまでだった人が多かったように思う。
でも、いまはインターネットで、DAM45の制作に携われてきた人たちが、
公式といえるウェブサイトを公開されている。
当時の広告も公開されている。

もちろんそれぞれのレコードについての詳細なデータもある。
当時よりも、いまのほうがDAM45について詳しく知ることができるようになった。

Super Analogue DAM45

Date: 3月 24th, 2016
Cate: 老い

老いとオーディオ(老化と劣化)

今秋、「五味オーディオ教室」とであって40年になる。
そんなに経ったのか、と正直おもっている。
それは、「五味オーディオ教室」とであったときのことをいまでもはっきりと思い出せるからでもある。

とはいえ、40年も経つと齢をとる。
まわりの人も同じだけ齢をとっていく。

まわりをふとみる。
この人は、どうしたんだろう……、とおもうことがある。

そして、老化と劣化は同じではないことを感じている。
才能の老化と才能の劣化の違いを。

Date: 3月 23rd, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その35)

ステレオサウンド 47号の特集、ベストバイ・コンポーネントの構成には疑問を感じながらも、
すべてが43号と比較して不満というわけではない。

43号では選考者がひとりだけの機種に関しては、
「その他、1票を得たベストバイ・コンポーネント」として表になっているだけで、
なんのコメントもなかった。

でもその1票しか得られなかったコンポーネントの中に、
もっと票を得ているコンポーネントよりも、興味をもっていたモノがいくつかあったし、
この人が、どう評価しているのかを読みたかった。

47号では43号よりもコメントの文字数が減っている。
ほぼ一行といえる文量しかない。
けれどそのおかげとでもいおうか、1票だけのコンポーネントでもコメントがついている。

とはいえ、やはり読み応えということでは47号はもの足りなかった。
けれど、その47号でさえ一年後の51号でのベストバイ・コンポーネントよりは、ずっとましだったのだ。
この点に関しては、51号、55号についてふれるときに書くことにする。

そんな47号ではあったのだが、
私にとって47号は、嬉しい一冊だった。
それは巻頭に、「続・五味オーディオ巡礼」のタイトルとともに、
ソファにあぐらをかいて坐っている五味先生の写真があったからだ。

五味先生が以前ステレオサウンドに書かれていたことは、
「五味オーディオ教室」を読んで知っていた。
だが41号から買いはじめた私にとって、
五味先生不在のステレオサウンドが続いていた。

もうステレオサウンドには書かれないのか……、と少しずつ思いはじめていたころに、
「続・五味オーディオ巡礼」が始まった。
この嬉しさが、いかほどであったかは想像していただくしかない。

47号当時のステレオサウンドは1600円だった。
「続・五味オーディオ巡礼」だけで、あとはつまらない記事ばかりだとしても、
私はためらうことなくステレオサウンド 47号を購入したであろう。

何度も何度も、文字通り買って暫くは毎日読み返していた。
読み返すことで、そこでの「音」を想像していた。

Date: 3月 22nd, 2016
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(編集について・その18)

別項で、ステレオサウンドの幕の内弁当化は47号からはじまった、と書いた。
このことについては追々書いていくが、
雑誌は弁当に喩えられるのだろうか、このことを考えてみる必要はある。

雑誌を弁当に喩えたのは私ではなく、ステレオサウンドの原田勲氏である。
いまから30年ほど前に聞いている。

30年という時間が経っているから、
いまも原田勲氏が自社の雑誌を弁当として考えられているのかはなんともいえない。
いまもそうかもしれないし、まったく別の捉え方をされているかもしれない。

けれど現在のステレオサウンドを見ると、確実に幕の内弁当であることは事実である。

今週の金曜日(25日)は、KK塾の七回目である。
講師は松岡正剛氏。
編集工学研究所所長である。

編集工学という表現。
このことばを目にすると、オーディオにおける編輯について考える。
実際の本の編集だけではなく、オーディオそのものにも編集工学といえる面があるようも感じる。

録音側で行われている編集とは違う意味合いでの「編集」が、
再生側のオーディオにもある。

編集はもともと編輯と書いていた、と辞書にはある。

Date: 3月 21st, 2016
Cate:

オーディオと青の関係(その9)

オルトフォンのMC20と同時代に、青のモノが登場している。
ヴェリオン(のちのコッター)の昇圧トランスMark Iがそうだ。

一次インピーダンスが2.5ΩのType P、25ΩのType PP、40ΩのType S、
注文に応じて一次インピーダンスを設定してくれるType Xが用意されていた。

ヴェリオンのトランスは高価だった。
輸入品ということもあっただが、一台15万円していた。
同時期マークレビンソンのヘッドアンプJC1ACが13万5千円だった。

ヴェリオンのトランスはステレオサウンド 46号の新製品紹介のページに出ている。
ここではモノクロだからボディの色はわからないが、
このトランスは第二特集の「最新MC型カートリッジ 昇圧トランス/ヘッドアンプ総テスト」にも登場している。

この記事もモノクロだが、記事の頭に三つ折りのカラーがついている。
テスト機種のカートリッジ、昇圧トランス、ヘッドアンプの集合写真がある。

ヴェリオンのトランスは、濃い鮮かな青で、集合写真の中でも目立っている。
ヴェリオンのトランス(三つ並んでいる)の後方には、ジュエルトーンのヘッドアンプRA1がいる。

RA1が赤ということもあって、この一角がより目立つ。
ヴェリオンのトランスの四つ右隣にはグレースの昇圧トランスGS10がある。

このGS10もフロントパネルが青であるけれど、印象としてはどうしても薄くなってしまっている。
記憶の中でも薄れがちになってしまっている。

Date: 3月 21st, 2016
Cate:

オーディオと青の関係(その8)

ソニーの初代ウォークマンよりも、もっと小さな青のモノといえば、カートリッジがある。
オルトフォンのMC20がそうである。

オルトフォンを代表するカートリッジといえば、いまもつくられ続けているSPUがある。
このSPUの改良モデルとしてS15が出た。その後SL15なり、SL20も登場した。

けれどSPUの後に登場したこれらのモデルは、成功した、とは思えない。
オルトフォンがやっとSPUと並ぶモデルを開発できたのはMC20といってもいい。

MC20の成功がMC30を生み、MC30の成果がMC20にフィードバックされMC20MKIIになり、
この後もMCシリーズは展開し続けていく。

MC20のボディはSL15、SL20と同じであるが、色が違う。
MC20のボディは青だった。

MC30は上級機ということ、そして当時としては10万円ちかい、
かなり高価なカートリッジということもあってだろう、ボディの色は金だった。

MC20MKIIはMC20の改良モデルでもありながら、
MC30の普及クラスモデルとして位置づけだからだろう、
ボディの色はMC30系統であることを思わせる銀だった。

当時MC30は高すぎて手が届かなかった。
それ以外にも出力電圧が低すぎた。
まだ高校生だった私は、仮にMC30を手に入れたとしても使いこなせる自信も、
そのための環境を用意することもできないとわかっていたことも理由としてあった。

MC20MKIIは、私にとってはじめてのMC型カートリッジである。
音も気に入っていた。
MC20よりも、音の魅力もあった。
どことなく素っ気なく聴こえがちのMC20よりも、音楽をずっと魅力的に響かせてくれた、と感じていた。

あの時点で選ぶとしたらMC20よりもMC20MKIIではあったが、
いまとなると青ということでMC20を選ぶかもしれない。

MC20は青がふさわしいカートリッジなのかもしれない。