Archive for category テーマ

Date: 4月 25th, 2016
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるスピーカーの評価をめぐって・その8)

オンキョーはGS1を鳴らすためのパワーアンプとして、GrandIntegra M510を開発した、といっていい。
ただGrandIntegra M510とペアとなるコントロールアンプは出なかった。

オンキョーの型番のつけ方からすると、GrandIntegra P310がそうなる。
GrandIntegra P310を出さなかったからといって、
オンキョーという会社がGS1というスピーカーの扱いを冷遇していたとはいえない。

広告に関しても、あれだけの予算を割いている。
開発費に関してもそうだといえる。

ステレオサウンド創刊20周年別冊「魅力のオーディオブランド101」で、
オンキョーの取締役社長である五代武氏が語られている。
     *
柳沢 GS1をつくられましたけど、あれはオンキョーが燃えたのか、五代さんが燃えたのか。
五代 あれは、私が、断固継続させたのです。GS1研究には経費がかかりましたし、社内ではいろいろ言っていたようです。私は断固、GS1の研究開発予算は削るな、ということを言いました。私はGS1で、全体のレベルをもう一段あげようと考えていたんです。あれは、私のわがまま。創業者だからできたんでしょう。
     *
「魅力のオーディオブランド101」では、菅野先生と柳沢氏がオンキョーの試聴室に出向かれている。
オンキョーの試聴室は二つ。

ひとつはGS1のための部屋であり、つまりは由井啓之氏の研究室である。
もうひとつはオンキョーの商品開発部の試聴室で、
こちらでは開発中のプロトタイプのScepter 5001を聴かれている。

このふたつの試聴機器のリストも載っていて、興味深い。
GS1の方は、アナログプレーヤーがマイクロのSZ1TVS+SZ1M、トーンアームが SMEの3012R Pro、
カートリッジはIkeda 9、コントロールアンプはアキュフェーズのC280、
パワーアンプはGrandIntegra M510、CDプレーヤーもオンキョーのIntegra C700。

Scepter 5001の方はすべてオンキョーの製品で揃えられている。
Integra C700、Integra P308、integra M508である。

試聴ディスクはGS1の方は試聴機器からもわかるようにアナログディスク中心であり、
Septer 5001はCDのみである。

同じ会社内のことであっても、ずいぶんと違う。
そういう違いを、当時のオンキョーは、許していたということになる。
《社内ではいろいろ言っていたようです》も、なんとなく伝わってくる。

オンキョーは、少なくとも外からみるかぎり、GS1の開発に力を抜くことなくやっていた、と感じた。
ステレオサウンドでの評価も高かったし、
ステレオサウンドの扱いも多かった。それは他のメーカーが羨ましく思うほど誌面に登場していた。

けれどGS1は、さほど売れなかった。
売れなかった理由は、日本での評価が低かったわけでもないし、
オンキョーのサポートが積極的でなかったわけでもない。

結局のところ、売れなかった理由はGS1そのものにあったし、
その聴かせ方にもあった、といえる。

だから、この項を書いているのだ。

Date: 4月 24th, 2016
Cate: オーディオマニア

どちらなのか(その2)

オーディオという趣味は、音楽に導かれている、といえる。
音楽の後につづいての行為と考えれば、
その行為が、極道なのか修道なのかが見えてくるのではないだろうか。

Date: 4月 23rd, 2016
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(性能の重複だったのか)

1980年代の中頃からの、598と呼ばれる国産スピーカーシステムは、
性能の重複化であったように捉えることができる。

Date: 4月 23rd, 2016
Cate: ヘッドフォン

優れたコントロールアンプは優れたヘッドフォンアンプなのか(その4)

アナログディスク全盛時代、カートリッジを複数個もつ人は特に珍しいことではなく、
オーディオマニアであればそれが当然のことでもあった。

私がオーディオにこれほどのめり込むきっかけとなった「五味オーディオ教室」には、こう書いてあった。
     *
 ある程度のメーカー品であれば、カートリッジひとつ替えてみたところでレコード鑑賞にさほど違いがあるわけはない、とウソぶく者が時おりいる。
 レコード音楽を鑑賞するのは本当はナマやさしいことではないので、名曲を自宅でたっぷり鑑賞しようとなんらかの再生装置を家庭に持ち込んだが最後、ハイ・フィデリティなる名のドロ沼に嵌まり込むのを一応、覚悟せねばならぬ。
 一朝一夕にこのドロ沼から這い出せるものでないし、ドロ沼に沈むのもまた奇妙に快感が伴うのだからまさに地獄だ。スピーカーを替えアンプを替え、しかも一度よいものと替えた限り、旧来のは無用の長物と化し、他人に遣るか物置にでもぶち込むより能がない。
 ある楽器の一つの音階がよりよくきこえるというだけで、吾人は狂喜し、満悦し、有頂天となってきた。そういう体験を経ずにレコードを語れる者は幸いなるかなだ。
 そもそも女房がおれば外に女を囲う必要はない、そういう不経済は性に合わぬと申せるご仁なら知らず、女房の有無にかかわりなく美女を見初めれば食指の動くのが男心である。十ヘルツから三万ヘルツまでゆがみなく鳴るカートリッジが発売されたと聞けば、少々、無理をしてでも、やっぱり一度は使ってみたい。オーディオの専門書でみると、ピアノのもっとも高い音で四千ヘルツ、これに倍音が伴うが、それでも一万五千ヘルツぐらいまでだろう。楽器でもっとも高音を出すのはピッコロやヴァイオリンではなく、じつはこのピアノなので、ピッコロやオーボエ、ヴァイオリンの場合はただ倍音が二万四千ヘルツくらいまでのびる。
 一番高い鍵を敲かねばならぬピアノ曲が果たして幾つあるだろう。そこばかり敲いている曲でも一万五千ヘルツのレンジがあれば鑑賞するには十分なわけで、かつ、人間の耳というのがせいぜい一万四、五千ヘルツ程度の音しか聴きとれないとなれば、三万ヘルツまでフラットに鳴る部分品がどうして必要か——と、したり顔に反駁した男がいたが、なにごとも理論的に割切れると思い込む一人である。
 世の中には男と女しかいない、その男と女が寝室でやることはしょせんきまっているのだから、汝は相手が女でさえあれば誰でもよいのか? そう私は言ってやった。女も畢竟楽器の一つという譬え通り、扱い方によってさまざまなネ色を出す。その微妙なネ色の違いを引き出したくてつぎつぎと別な女性を男は求める。同じことだ。たしかに四千ヘルツのピアノの音がAのカートリッジとBのとでは違うのだから、どうしようもない。
     *
この文章についていた見出しは「よい部品を求めるのは、女体遍歴に通ず」だった。
「なにごとも理論的に割切れると思い込む」人は、
カートリッジを複数個もつことは、無駄なことでしかなかったはず。
いまならカートリッジはヘッドフォン、イヤフォンに置き換えることができる。

カートリッジにしても、ヘッドフォン、イヤフォンも場所はそれほどとらない。
これがアンプ、さらにはスピーカーシステムとなると、場所もとる。
それでもアンプもスピーカーも複数所有している人はいるし、
所有したいと思っている人はもっと多いだろう。

オーディオに関心のない人からすれば、いいモノをひとつ選んで他は処分すればいいのに……、となる。
確かにアンプにしてもスピーカーにしても複数所有することは機能の重複である。
そんなことはオーディオマニアはわかっている。

それでも複数所有するのは、性能の重複ではないからだ。
重複するのは何なのか。
ここのところを、はっきりと家族に理解してもらうのは大事なことだ。

Date: 4月 22nd, 2016
Cate: マッスルオーディオ

muscle audio Boot Camp(その7)

バイワイヤリング対応のスピーカーシステムを一組のスピーカーケーブルで鳴らす場合、
どう結線するか。

下側のスピーカー端子(ウーファー用)にケーブルを接ぎ、
上の帯域の端子へはジャンパー線を介すか、
スピーカーケーブルの末端を通常よりも長く剥き、
ジャンパー線の代りも果すようにすることもできる。

これとは反対にスピーカーケーブルを上の帯域側の端子に接ぎ、
ウーファーへはジャンパーという方法がある。

おおまかにはこのふたつだが、
変則的なやり方として、
スピーカーケーブルのプラス側を上の帯域に、
マイナス側をウーファー側に(もしくはその反対)という接続もある。

音を聴いた上で、どの方法がいいのかは判断するわけだが、
その音を出すにはまず接続しなければならない。

上の四つのどれかの方法でスピーカーケーブルを接がないことには、
肝心の音がスピーカーから鳴ってこないのだから。

ここでどれで接ぐのか。
すこし大げさにいえば、その人の音の聴き方の一面がうかがえる。
トゥイーター側(上の帯域側)に接ぐ人もいれば、
片方をトゥイーター、もう片方をウーファーという、
私にいわせればどっちつかずのやり方の人もいるし、
ためらうことなくウーファー側に接ぐ人もいる。

何を優先しての結線なのか。
同じことは、実は直列型のネットワークでも問われる。

Date: 4月 21st, 2016
Cate: バッハ, マタイ受難曲

リヒターのマタイ受難曲(その1)

カール・リヒターのマタイ受難曲は、日本では古くから評価が高い。
特に旧盤(1958年)の評価は群を抜いていたといえる時期もある。

この旧盤のドラマティックともいいたくなる表現の緊迫感からすると、
新盤(1979年)のマタイ受難曲は、どこかなまぬるく感じもした。

だから20代はリヒターのマタイ受難曲は旧盤だけがあれば、それでいい、
新盤は必要なのだろうか……、とさえ思っていた。

それがいつのころからか新盤のほうに手が伸びるようになってきた。
旧盤の演奏をやりすぎ、といわないけれど、そんな印象につながるようなものを感じていた。

なぜそう感じるように変ってきたのか。
その理由というか、きっかけがよく思い出せずにいる。
きっかけらしいきっかけはなかったのか。
何かあったけど、忘れてしまったのか。

ひさしくどちらも聴いていない。

Date: 4月 21st, 2016
Cate: pure audio

ピュアオーディオという表現(その4)

ポータブルCDプレーヤーを持っていたこともある。
最初のポータブル機(ソニーのD50)ではなく、
各社からいくつも登場して、電車の中でもよくみかけるようになったころに購入した。

ポータブルCDプレーヤーであれば、
ウォークマンとは違い、CDを買ってくれば(持っていれば)すぐに聴ける。
録音済みテープを自分で制作する手間はいらない。

でも持ち歩くことはほとんどしなかった。
そうなると自然に使う頻度も極端に減ってくる。

2002年にiPodを買った。
カセットテープに録音するよりは簡単に曲をiPodに収録できる。
CDをMacでリッピングしておけば、カセットテープの収録時間を気にすることなく、
どんどん増やしていける。

iPodはポータブルCDプレーヤーよりも小さい。
ポータブルCDプレーヤーはジーンズのポケットには入らないが、iPodはすんなり入る。

ウォークマン、ポータブルCDプレーヤー、iPod。
これらの中ではiPodが持ち歩いた時間が長い。

iPodを手に入れたときは、ウォークマンを譲ってもらったときと同じようによく使っていた。
けれど、自然と使わなくなっていった。

それでも割と持ち歩いていたのは、友人に聴かせたいCDがあるからだった。
そのころアルゼンチンのハーモニカ奏者ウーゴ・ディアスのCDがビクターから発売になった。

ウーゴ・ディアスを知る人は、私のまわりにはほとんどいなかった。
その人たちにiPodでウーゴ・ディアスを、なかば強引に聴かせていった。
聴けば、ほぼみんな驚いていた。

外出先や移動中に自分で聴くためというよりも、
こうやってその時々で、自分でいいと思ったCDを入れていて、友人・知人に聴かせていた。

言葉でウーゴ・ディアスについて語るのも楽しいことだが、
その場で聴いてもらうことには及ばない。

特にハーモニカという楽器に対するイメージは、
日本の場合は小学校の音楽の授業によって形成されているところがある。
それをウーゴ・ディアスの「音」は、いとも簡単に破壊してくれる。

だからみな「すごい!」と驚く。

Date: 4月 21st, 2016
Cate: audio wednesday

第64回audio sharing例会のお知らせ(muscle audio Boot Camp vol.2)

5月のaudio sharing例会は、4日(水曜日)です。

自分のシステムをチューニングするとき、ほとんどの場合、かけるディスクは一枚である。
CDであってもアナログディスクであっても、かけかえることはほとんどしない。

CDの場合であれば、何かを変更するときはストップボタンは押さずにポーズボタンを押す。
つまりCDはCDプレーヤーの中で回転し続けているわけだ。
アンプのボリュウムも最初に設定したところから動かさない。

一度絞って、元の位置に戻せば同じことじゃないか、
CDにしても何枚かのディスクをかけかえることに不都合はないじゃないか、
そう考える人もいるだろうが、
細かなチューニングになればなるほど、変動要素はできるかぎり減らしたいし、コントロールしたい。

1980年代のステレオサウンドを読み返してもらえれば、なぜそうするのかは載っている。
CDであればストップボタンを押してしまうと、ディスクの回転は止る。
プレイボタンを押しても、すぐにサーボ回路が安定するとは限らない。

それに一度ディスクを取り出してしまうと、
前とまったく同じ状態でディスクがホールドされるとは限らない。

アンプのボリュウムも絞ってしまうと、完全に同じ位置に設定できるとは思わない方がいい。
だいたい同じ位置にはできても、わずかにズレてしまう。
聴感上の音量の変化は判断材料として重要である。
その差はわずかであることが多いからこそ、ボリュウムもそのままにしておく。

他にも注意する点はいくつかある。
そういう注意を払いながら、音を聴いていく。

これを次回のmuscle audio Boot Campで再現しようとは考えていない。
同じディスクの同じところを、しつこく聴くわけだからだ。
やっている本人は楽しくても、隣で聴いている人には苦痛になるだろうし、
しんどいことだと思う。

なのでチューニングをやりながらの音出しであっても、数枚のディスクをかけていくだろうし、
音量に関してもまったくいじらない、ということはやらない予定でいる。
ただし要望があれば、変更の可能性もある。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 4月 20th, 2016
Cate: マッスルオーディオ

muscle audio Boot Camp(その6)

ステレオサウンド47号「続・五味オーディオ巡礼」を何度も読み返していた高校一年だった私は、
スピーカー内蔵ネットワーク方式で、マルチアンプのよさを出すには……、
反対にマルチアンプ・システムでネットワーク方式のよさも出すには……、
そういうことを考えていた。

多くの人が考えるように、
トゥイーター用のローカットフィルターとウーファー用のハイカットフィルターの干渉を、
どれだけ抑えられるか、について考えていた。

1980年ごろになると国産スピーカーの中に、
ネットワークをエンクロージュア内で分離させているモノが登場してきた。

エンクロージュアの裏側にある入力端子、
この端子の裏側で2ウェイならば二組、3ウェイならば三組のケーブルが、
それぞれのユニットのネットワーク(フィルター)までのびている、というようにだ。

国産のスピーカーシステムで、バイワイヤリングを最初に採用したモデルはどれなのだろうか。
私が見て聴いた範囲では、
ダイヤトーンのフロアー型システムDS5000(JBL・4343と同じ寸法の4ウェイ・システム)だった。

そのころはまだバイワイヤリングという言葉はなかった。
バイワイヤリング方式そのものは、東芝が実用新案をとっていたと、ずいぶんあとになって知った。

エンクロージュア内部でネットワークをそれぞれの帯域ごとに分離させているのであれば、
それをエンクロージュアの外側までのばしていったのが、いわゆるバイワイヤリングの考えである。

バイワイヤリング対応のスピーカーを、
シングルワイヤリングからバイワイヤリングにすれば、ほとんどの場合、音の分離は向上する。
バイワイヤリングでこれだけの効果が得られるのならば、
3ウェイではバイ(二組)ではなく三組に、4ウェイでは四組のスピーカーケーブルで、
アンプと接続できるようにすれば、バイワイヤリングよりもさらに音の分離はよくなる……、
誰もがそう考えるであろう。

私もそう考えた。
JBLの4343のネットワークを回路定数はそのままで、
各帯域ごとに(つまり四つに)分離して、スピーカーケーブルも四組使う、
そんな接続で鳴らしたら……、
4ウェイのマルチアンプ(四組のパワーアンプ使用)とまではいかなくとも、
バイアンプ(二組のパワーアンプ使用)と同等か、
うまくすればもっといい音が得られるのではないか。

そんな都合のいいことを想像していた時期がある。

けれどステレオサウンドの試聴室で、さまざまなバイワイヤリング対応のスピーカーを、
シングルワイヤリングとバイワイヤリングでの音の違いを体験していくうちに、
バイワイヤリングが、シングルワイヤリングよりもすべての面で優れているわけでないことにも気づく。

そのころになって、ようやく直列型ネットワークのことを思い出すにいたる。

Date: 4月 18th, 2016
Cate: オーディオマニア

どちらなのか(その1)

極道という言葉がある。
辞書には、いい意味のことは書いてない。
日常的に、この言葉が使われるのも、いい意味ではない。

極道(ごくどう)とは、悪事や酒色・ばくちにふけること。品行・素行のおさまらないさま。
人をののしっていう語、とある。

極には、きわめる、きわまる、このうえない、という意味をもつ。
だから極意、極地という言葉がある。

その意味でいえば、道を極めるのが極道ということになり、
この極道を否定的な意味ではなく肯定的な意味としてとらえる人もいる。

オーディオだけに限らずマニアと呼ばれる人は、
そういう意味での極道者と自認している人も少ないはずだ。

何かを極めよう、ということは、そういうことであろう、と思ってきたけれど、
このごろになって極めようとしてきたのだろうか、とも思うようになってきた。

修道という言葉がある。
道を修める、と書く。

極めると修める。
オーディオでやってきたことはどちらなのか、
いまやっていることは、これからやろうとしていることはどちらなのか。

Date: 4月 17th, 2016
Cate: ヘッドフォン

優れたコントロールアンプは優れたヘッドフォンアンプなのか(QUADの場合)

パワーアンプにはヘッドフォン端子がついている機種の方が少ない。
プリメインアンプとなると、国産機種に関しては、以前は大半の機種についていた。
コントロールアンプは、となると、ついているモノもあればついていないモノもある、といった感じだった。

国産のコントロールアンプはついている機種が多かった。
海外製も意外と多かった。

それが音質向上を謳い、トーンコントロールやフィルターといった機能を省く機種が増えるに従い、
ヘッドフォン端子も装備しない機種が増えていった。

たとえばマークレビンソンのLNP2やJC2にヘッドフォン端子がないのは、
特に疑問に感じたりはしない。
マークレビンソンの成功に刺戟されてか、1970年代後半に多くの小規模のアンプメーカーが誕生した。
AGI、DBシステムズ……、これらのコントロールアンプにもヘッドフォン端子はついてなかった。
それも当り前のように受けとめていた。

不思議に思うのは、QUADの場合である。
管球式の22、トランジスターになってからの33、44、
いずれにもヘッドフォン端子はついていない。
パワーアンプにも、当然ながらついていない。

これが他のメーカーであれば、その理由を考えたりはしないのだが、
QUADとなると、考えてみたくなる。

QUADのことだから、設計者のピーター・ウォーカーのポリシーゆえなのだろうが、
ついていても不思議でないQUADのコントロールアンプにつけない、その理由となっているのは、
どういうことなのだろうか。

正直、はっきりとした答は見えてこない。
それでもQUADの場合について、考えるのは無意味ではないはずだ。

Date: 4月 16th, 2016
Cate: ヘッドフォン

優れたコントロールアンプは優れたヘッドフォンアンプなのか(その3)

GASからは最初にパワーアンプAmpzillaが登場した。
しばらくしてペアとなるコントロールアンプThaedraが出た。

Thaedraにはヘッドフォン端子が最初のモデルからついていた。
II型になってAmpzillaにもヘッドフォン端子がついたということは、
コントロールアンプとパワーアンプの両方にあることになる。

メーカー側がペアで使ってほしいと思っていても、
セパレートアンプであれば必ずしもペアで使われるとは限らない。

ゆえにコントロールアンプとパワーアンプの両方につけるのだろうか。

GASだけではない。
マッキントッシュのセパレートアンプもそうだった。
C26、C28といったコントロールアンプにヘッドフォン端子はついている。
MC2300にはなかったが、MC2105、MC2205などにはヘッドフォン端子がある。

機能が重複しているわけだ。
もっともマッキントッシュのコントロールアンプを他社のパワーアンプと(もしくはその逆)、
GASのThaedraと他社のパワーアンプ(もしくはその逆)の組合せも考えられるわけだし、
実際にそういう組合せで鳴らしている人もいるのだから、
その場合、機能は重複しないとはいえ、ペアで使う人が多いのもマッキントッシュのアンプの特徴でもあるし、
GASに関しても、ユニークなパネルフェイスはペアで使いたくなるところだし、
実際にボンジョルノ設計のアンプはメーカーがGASとSUMOであっても、驚く音を聴かせてくれる。

マッキントッシュもGASも、ペアでの使用を前提としたうえで、
ヘッドフォン端子をコントロールアンプとパワーアンプに設けることは、
機能の重複ではあっても、性能の重複ではない、と考えているからではないだろうか。

Date: 4月 15th, 2016
Cate: ヘッドフォン

優れたコントロールアンプは優れたヘッドフォンアンプなのか(その2)

1985年12月にSUMOのThe Goldを買った。
すでに製造中止になっていたから、中古である。
アンプ本体のみだった。

当時はステレオサウンドにいたから、輸入元であったエレクトリのKさんに、
回路図と取り扱い説明書をお願いした。

英文と邦訳、両方の取り扱い説明書と回路図、それからカタログもいただいた。

取り扱い説明書を読むと、ヘッドフォンの接続に関して書かれているところがある。
いまでこそ接続端子を交換して左右チャンネルのアースを分離できるようになったが、
ヘッドフォンはヘッドフォン端子を使うかぎりは、左右チャンネルのアースは共通になっている。

SUMOのパワーアンプはブリッジ出力(バランス出力)なので、
左右の出力端子の黒側(マイナス側)はアースではないので、
一般的なパワーアンプと同じやり方ではヘッドフォンは接続できない。
アンプの故障の原因となるからだ。

ていねいにも取り扱い説明書には、ヘッドフォンのアースは、
アンプ本体のシャーシーに接続しろ、と書いてある。

The GoldやThe PowerなどのSUMOのパワーアンプにヘッドフォンを接続するには、
そういうやり方しかないのだが、それにしても……、と感じた。

こういうことを取り扱い説明書に書いてあるということは、
少なくともアメリカでは、これらのパワーアンプの出力端子にヘッドフォンを接続する人たちが、
少なからずいる、ということだろう。

取り扱い説明書はThe GoldとThe Power、共通だった。
The Goldは125W、The Powerは400Wの出力をもつ。
そういうパワーアンプでヘッドフォンを鳴らす。

どういう音がするのだろうか、と思うとともに、
そういえばThe Gold、The Powerのジェームズ・ボンジョルノは、
GAS時代にも、やはりAmpzillaにヘッドフォン端子をつけていたことを思い出した。

初代のAmpzillaにはなかったヘッドフォン端子が、
Ampzilla IIではDYNAMICとELECTROSTATICの二組の端子が、フロントパネルに設けられている。
Ampzillaの出力は200W。

Ampzillaはヘッドフォンを接続しようと思えば、簡単にできる。
だかThe Power、The Goldとなると、リアパネル側にまわらなければできない。

私の感覚ではそうまでしてヘッドフォンをThe Goldで鳴らそうとは考えないけれど、
そこまでやる人がいる、ということでもある。

あきらかにAmpzilla、The Power、The Goldの出力は、数時だけで判断するとヘッドフォンには過剰である。
けれど、それはあくまでも数字の上だけの過剰さなのか、とも思う。

当時でもヘッドフォン端子を切り取って、ヘッドフォンのケーブルの末端をばらしてしまえば、
つまりスピーカーケーブルと同じにしてしまえば、そのままSUMOのアンプに接続できる。
そうすればバランス駆動で鳴らせる。

どんな音がしたのだろうか。

Date: 4月 14th, 2016
Cate: ヘッドフォン

優れたコントロールアンプは優れたヘッドフォンアンプなのか(その1)

1978年にステレオサウンド別冊として出た「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」。
ここでの試聴方法を、瀬川先生が書かれている。
     *
 ヘッドフォンのテストというのは初体験であるだけに、テストの方法や使用機材をどうするか、最初のうちはかなり迷って、時間をかけてあれこれ試してみた。アンプその他の性能の限界でヘッドフォンそのものの能力を制限してはいけないと考えて、はじめはプリアンプにマーク・レヴィンソンのLNP2Lを、そしてパワーアンプには国産の100Wクラスでパネル面にヘッドフォン端子のついたのを用意してみたが、このパワーアンプのヘッドフォン端子というのがレヴェルを落しすぎで、もう少し音量を上げたいと思っても音がつぶれてしまう。そんなことから、改めて、ヘッドフォンの鳴らす音というもの、あるいはそのあり方について、メーカー側も相当に不勉強であることを思った。
 結局のところ、なまじの〝高級〟アンプを使うよりも、ごく標準的なプリメインアンプがよさそうだということになり、数機種を比較試聴してみたところ、トリオのKA7300Dのヘッドフォン端子が、最も出力がとり出せて音質も良いことがわかった。ヘッドフォン端子での出力と音質というは、どうやらいま盲点といえそうだ。改めてそうした観点からアンプテストをしてみたいくらいの心境だ。
 また、念のためスピーカー端子に直接フォーンジャックを接続して、ヘッドフォン端子からとスピーカー端子から直接との聴き比べもしてみた。ヘッドフォンによってかなり音質の差の出るものがあった。そのことは試聴記の中にふれてある。
     *
トリオのKA7300Dは78,000円のプリメインアンプ。
約40年前のこととはいえ、KA7300Dは高級機ではなく中級機にあたる。

フロントパネルにヘッドフォン端子がついていて、出力100Wクラスの国産パワーアンプとなると、
あれか、とすぐに特定の機種が浮ぶ。
このころのオーディオに関心のあった人ならば、すぐにどれなのかわかるはず。
コントロールアンプのLNP2(当時118万円)と比較すれば、安価なパワーアンプともいえるが、
KA7300Dよりは高価なモノだ。

そのパワーアンプの、スピーカーを鳴らしての評価は高いほうだった。
スピーカーを鳴らした音は聴いたことがある。けれどヘッドフォンを鳴らした音は聴いたことがない。
だから瀬川先生の文章を読んで、そうなのか……、と思った。

このメーカーはヘッドフォン端子をつけるにあたって、きちんと音を聴いていたのだろうか。
とりあえずつけておけばいいだろう、という安易な考えがあったのか、
それともこのメーカーが試聴用として使用したヘッドフォンならば、十分な音量を得られたのだろうか。

そうだとしても、特定のヘッドフォンにのみ、ということでは汎用アンプとしては、
むしろつけない選択もあったはずだ。

このパワーアンプでも、スピーカー端子にヘッドフォンを接げばいい音がした可能性は高い。
ヘッドフォンを鳴らすのにパワーはそれほど必要としない。
ごくわずかな出力ですむ。

ということは出力段がAB級動作であっても、
ヘッドフォンを鳴らす出力においては、ほぼすべてのアンプがA級動作をしているといってもいい。
それにアンプにとっての負荷としてみても、
ヘッドフォンとしては低い部類のインピーダンスであっても、
スピーカーとくらべれば高い値である。

つまりアンプにとってヘッドフォンを鳴らすのは、
スピーカーを鳴らすよりもずっと簡単なことだ、と思えなくもない。
でも実際のところはそうではない。

Date: 4月 13th, 2016
Cate: ショウ雑感

2016年ショウ雑感(その1)

2016年のインターナショナルオーディオショウの概要が先日発表になった。

9月30日、10月1日、2日に開催される。
そして今年はテクニクスが出展する。

一昨年、昨年とオーディオ・ホームシアター展(音展)に、
テクニクスは出展していた。

一昨年はテクニクス復活のニュース直後ということもあって、
そこでの音出しに不満を感じたけれど、あれこれ言おうとは思わなかった。

でも昨年に関しては違う。
テクニクス復活から一年。
なのにオーディオ・ホームシアター展(音展)での音出しは、一昨年と同様だった。

お茶を濁す、とでもいおうか、逃げ腰の音出しであり、
とりあえず来場者に対して音を聴かせれば、いいわけが立つ──、
そんな印象しか残らないものだった。

会場となった場では満足な音出しはできない、ともいいたいのだろうか。
それとも他に理由があったのか。
ほんとうのところはわからない。

けれど、今年はインターナショナルオーディオショウに移ってくる。
一昨年、昨年のような音出しは、インターナショナルオーディオショウでは、相手にされない。

テクニクスはそのことがわかっていてインターナショナルオーディオショウに来るのか、
それともオーディオ・ホームシアター展(音展)と同じような音出しに終始するのか。

テクニクスの本気度が、ようやくはっきりするのであろう。