2017年をふりかえって(その7)
一年ほど前に「タンノイがふさわしい年齢」というタイトルで書いている。
今年は「ヴァイタヴォックスがふさわしい年齢」というタイトルで、
一本書こうかな、と思うほどに、
ヴァイタヴォックスのことを考えることが、日常的といえるほどに増えてきた。
一年ほど前に「タンノイがふさわしい年齢」というタイトルで書いている。
今年は「ヴァイタヴォックスがふさわしい年齢」というタイトルで、
一本書こうかな、と思うほどに、
ヴァイタヴォックスのことを考えることが、日常的といえるほどに増えてきた。
そんなふうにおもう私でも、今日は楽しかった。
つきあいのながい人たちと観に行ったわけではない。
一人は11月に知りあったばかり。
でも、そんなことはどうでもいいほどに、映画の後の雑談が楽しい。
映画の後に、何を話そうか……、などと考えながら映画を観てもつまらない。
そんな観方はしない。
オーディオで、誰かのところに行って音を聴くということを、
私の方から積極的にしないのは、同じ理由からである。
初対面の人のところに行って、音を聴く。
聴き終れば、当然感想を聞かれる。
これが苦痛になることがある。
なんといおうかと考えながら聴いていては、
中途半端に聴き方になってしまうし、聴かせてくれた人に対して失礼でもある。
それでも、なんといおうかと、言葉につまることも、実際にある。
当り障りのないことでごまかすのも失礼だし、
かといって正直に話すのも……、と憚られることも少なくない。
確認したわけではないが、いっしょに行った二人も、
そんな映画の観方はしていないはず。
そういう三人でも、というか、そういう三人だから、というべきか、
話は盛り上る。
10数年、誰かと映画を観ることはしてなかった。
映画だけでなく、コンサートもオーディオに関係することも、
ひとりでやることが圧倒的に多い。
これからもそうであろう。
それでも、これからは、ひとりで、ということに頑なにならずに、
これからは機会があれば、積極的に誰かと映画を観ることにしよう。
映画館で映画を観るようになったのは、小学校の低学年からか。
その時代、東映まんがまつりが、春休み、夏休み、冬休みに上映されていた。
そのあたりから映画館で観るようになって、今日までに何本の映画を観てきたのか、
けっこうな本数を観ている。
子供のころは、親と一緒だった。
けれど中学生ともなると、一人で行く。
一人で観るようになってから、誰かと一緒に観た映画はわずかだ。
思い出すかぎりで、十本に満たない。
映画は一人で行って観るものだ、とおもうようになったのは、
観たいと思った時に、観たい映画を観たいから、である。
そんな私も、今日は三人で観てきた。
先週の水曜日に、観に行こう、ということになった。
こんなことは初めて、である。
いままで誰かと観に行った映画は、当日、「じゃ観に行こうか」という感じだった。
前もって約束して、集合時間と場所を決めて観る。
そんなの当り前だろ、といわれそうだが、
こと映画に関しては、初めてだった。
観終って映画館を出たら、そこで別れるわけではなく、
三人で軽く食べながら飲みながら、映画の話となる。
実をいうと、20代、30代のころは、これが苦手だった。
観終ったばかりの映画について語る──、
なぜ、観終ったばかりの映画について、こんなに語れるのか、
一緒に行った人が語るのを聞いていて、不思議に思うこともあった。
20代終りごろ、ある試写会に行った。
ちょっと変った試写会で、観終った後に、
アンケート用紙に記入させられた。
まわりの人をみると、かなりのいきおいでびっしりと書いている人ばかりだった。
この人たちは、映画評論家を目指しているのか、と思うほどに書いていた。
その姿を見ていて、
この人たちは映画を観ながら、何を書くかを考えていたんじゃないのか──、
そんなことを勝手に思っていた。
もうそうだとしたら、なんとつまらない映画の観方なのだろう、ともおもっていた。
(その7)に書いている広告代理店とメーカーの、かなりずうずうしいといえる依頼。
こんなことを平気でいってくる広告代理店は、
つまり、それが当り前のように通るものだ、と思っているからだろう。
もちつもたれつなのはわかっている。
完成品でなくとも、プリプロダクツ(量産直前の生産モデル)ならば、まだわかる。
けれど、その時のCDプレーヤーはプリプロダクツともいえない段階だった。
そういうモノを試聴用として持って来ていて、
文句をいれてくる。
オーディオ評論家(商売屋)とオーディオ評論家(職能家)がいる。
オーディオ雑誌の編集者も同じだ。
編集者(商売屋)と編集者(職能家)がいる。
その時の私が、編集者(職能家)だった、とはいわない。
だが編集者(商売屋)ではなかった、とはっきりと言い切れる。
広告代理店の人も同じだ。
商売屋と職能家がいよう。
試作品のCDプレーヤーが、どういう段階のモノなのか、
それすらも理解せずに、ごり押しすれば……、と考えていたのだろうか。
はっきりと商売屋でしかない。
編集者、広告代理店の他にも、いえる。
出版社の営業部の人たちだ。
「やはり将棋そのものを本質的にどこまで分かっているかといわれれば、分かっていないのが実情」
産経ニュースのサイト、今日公開されたページに、そうあった。
永世七冠を手にした羽生善治棋聖のことばである。
なんというタイミングなんだろう、とおもった。
ここ(その6)で書こうとしていたことはあったけれど、
まず羽生善治棋聖のことばを書いておきたかった。
「やはり将棋そのものを本質的にどこまで分かっているかといわれれば、分かっていないのが実情」、
このことばを、
「菅野沖彦の音を超えた」
「瀬川先生の音を彷彿させる音が出せた」
「頂点まで最短距離で登っていった」
これらの言葉を吐いてきた人たちは、どう受け取るのだろうか。
中島平太郎氏が亡くなられていたことは、
友人から知らされた。
ちょうど長電話していたときだった。
友人が驚いた様子で、「中島平太郎さんが亡くなった……」といった。
9日に亡くなっていた、と友人は続けた。
ニュースでは、CDの父とあった。
SNSに中島平太郎氏の死について投稿していた人たちも、
「CDの父」としていた。
確かにそうである。
でも私にとって中島平太郎氏は、SS-G7の人である。
1976年に登場したスピーカーシステムSS-G7は、ソニーとしては異色の存在だったように思う。
SS-Gを傑作とか名器とは思っていない。
でも力作である。
美しいデザインとは思っていない。
けれど堂々としていて、印象に残る。
広告も印象に残っている。
中島平太郎氏が、SS-G7の広告には必ずスピーカーの横に座っての写真だった。
広告の文章も中島平太郎氏によるものだった。
SS-G7は中島平太郎氏の自信作だった、はずだ。
むき出しの才能、
むき出しの情熱、
むき出しの感情、
これらをひとつにしたむき出しの勢いを、
audio wednesdayでの音で出しているのだろうか。
出せているのだろうか、それとも出せなくなったのか。
火曜日は、別項「実感した電源事情」で書いているように、
渋谷のギャラリー・ルデコに行っていた。
4Fで24日まで開催されているSUBTERRANEAN HOMESICKは、
金村修、小松浩子、マイク野上、三人の写真家による展示である。
SUBTERRANEAN HOMESICKで音楽を鳴らしているシステムは、野上さんのモノである。
12日の夜は、野上さんと渋谷で飲んでいた。
ライカの話が出た。
ライカの話をされるときの野上さんの手つきは、
そこにライカのカメラがあるかのような手つきである。
ライカのカメラが、そこにスポッとおさまっているかのようである。
野上さんのライカの話を聞いていて、
瀬川先生の文章を思い出してもいた。
*
カメラについて、私の知るかぎり最もその扱いの見事な人は、故人となった木村伊兵衛先生だった。写真に凝ったあげく「ライカ倶楽部」の会員の端くれに入れて頂いた私にとって、木村先生は雲の上のような存在だったが、その木村先生のカメラさばきの見事さについては、いくつもの〝伝説〟が残っている。だが、それを最もうまく言いあてているのは、「まるで呼吸すると同じように」カメラを扱った、という大倉瞬二氏の表現だろう。木村伊兵衛氏が写真を「撮っている」ところを、しかと見た人は少ない。つまり、カメラを「構えた」という感じを周囲の人にまったく気づかせない。首からぶら下げたライカが、時折、顔のところまでスっと引き上げられ、スっと元のところにおさまる。居合抜きもかくやという雰囲気で、確かにそれはもう、呼吸すると同じくらい、身体の一部になってしまっていた。
(「音の味覚学(ガストロノミー)」より)
*
ライカこそ、そういうカメラなんだ、と野上さんの話を聞きながら思っていた。
楽しい三時間は、あっという間だった。
帰宅して布団の中に入って、ふと気になったことがあった。
iPhoneで「木村伊兵衛」で検索してみた。
木村伊兵衛氏は、1901年12月12日の生れだった。
その場に居合わせなかった人にとって、どうでもいいことなのだろうとわかっていても、
12月12日に、ライカについての野上さんの話を聞けたことは、
私にとっては単なる偶然ではない意味をもつ。
「今年をふりかえって」的なことを書き始めたのは、2015年12月からである。
そのころは、一年のうちに登場したオーディオ機器で、気になるモノについて書いていた。
買える買えない、好き嫌い、そんなことを抜きにして気になる製品というのは、
いつの時代にもある。
今年もなかったわけではないが、
目の前に今年のステレオサウンドを一冊も置かず、パッと浮んでくるモノがない。
今年出た四冊のステレオサウンドをパラパラとめくっていけば、
そういえば、この製品もあったなぁ、とか、気になる製品はいくつも出てこよう。
ないと、なかなか思い浮ばない、ということは、
私の記憶力が衰えてきたのか、それほど強烈な印象のオーディオ機器と出合えなかったからか。
それでも最初に浮んできたのは、マンガーのスピーカーシステムである。
アブサートロンが輸入元になっている。
今年のインターナショナルオーディオショウは、アブサートロンのブースには行かなかった。
時間の余裕がなかったこともあるが、マンガーのことを知っていれば、真っ先に行ったのに……。
来年のインターナショナルオーディオショウでの楽しみにとっておける。
マンガー以外では、CHORDのBlu MkIIとPSオーディオのDirectStream Momory Player。
どちらもCDトランスポートだ。
つきあいの長い音は、身近にいるようでいて、遠くにあるのだろうか。
ステレオサウンドの定番企画でベストバイは、
35号、43号、47号の三回は価格帯を設けずの選定だった。
51号から価格帯を分けての選択となっていった。
価格帯の分け方は難しい。
たとえば10万円未満と10万円以上のところで線引きしたとする。
99,800円のモノは下の価格帯に、
10万円を1,000円でも超えていれば上の価格帯に、と分けられる。
この二機種の価格差はどれだけあるのか、
そのことによって内容の差がどれだけ生じるのか。
そういう難しさが価格帯の設定にあることは、昔から編集部もわかっていたことだ。
いま書店に並んでいるステレオサウンドをパラパラと見てきた。
タンノイのLegacyシリーズが気になったからだ。
ベストバイにもLegacyシリーズは登場している、
つまりベストバイ・コンポーネントとして選ばれている。
けれどArden、Cheviot、Eatonが、同じ価格帯にいる。
タンノイのLegacyシリーズのために価格帯の線引きを考え直せ、なんてことはいわない。
けれど、この時代、価格帯を分けることの無理な面が露呈してきつつあるのではないか。
タンノイのArden、Cheviot、Eatonは、43号からベストバイに登場している。
もちろん今回のArden、Cheviot、Eatonは復刻版なのはわかっていても、
同じ型番、ほぼ同じ外観のArden、Cheviot、Eatonが、
同じ価格帯のベストバイ・コンポーネントであることには、どうしても違和感をおぼえる。
つきあいの長い音に映るのは、ひとりで音楽を聴く行為ゆえの何かなのだろうか。
「菅野沖彦の音を超えた」──、
そういった人もいる、と聞いている。
これを言ったのが誰なのかも聞いている。
会ったことはないけれど、インターネットではけっこう名の知られている人だ。
あくまでも又聞きだから、その人がなぜそんなことを言ったのか、
推測で書くしかないけれど、そうとうな自信をもってのひと言だった、らしい。
その人が使っている装置の総額は、
菅野先生のシステムの総額をはるかに超える。
いわゆるハイエンドオーディオと呼ばれているモノばかりで、
ケーブルもそうとうに高価なモノである。
その人がいったのは、システムの総額のことではない。
音のことである。
その人は、菅野先生の音を聴いている。
そのうえでの「菅野沖彦の音を超えた」──、
菅野先生の音を、ひじょうに断片的な聴き方をしての、この発言なのか。
私が菅野先生の音を聴いたのは、もう十年ほど前のことだ。
その一、二年あとに、これを聞いている。
私は、その時の菅野先生の音を聴いて、
「オーディオはここまでの再生が、やはり可能なんだ」と勇気づけられた。
オーディオの限界をどう感じるかは、人によってすいぶん違うようだ。
私は、ずっと、そうとうに高いところに限界はある、というか、
ほとんど限界はないのかもしれない、
つまりそうとうな可能性をもっている──、そんな直感が、
「五味オーディオ教室」を読んだ時から持っていた。
それでも現実の音は、必ずしもそうではない。
けれど、菅野先生の音を聴いて、直感は間違ってなかった、と感じた。
その菅野先生の音を超える音を出した、という人がいる。
世の中には上には上がいる、ということはわかっている。
けれど「菅野沖彦の音を超えた」と自慢げに誰かに言っている人の音が、
菅野先生の音を超えている、とは私には思えない。
実は今日の昼も行ってきた。
片チャンネルから出ていたノイズを抑えるためであり、
この点に関しては、あのへんに原因があると思えたし、
事実そのとおりで、うまくいった。
昨晩やらなかったのは、ML7Aの天板を開けることができなかった(工具がなかった)から。
ただ、今度はノイズフィルターを通していても、両チャンネルからノイズが出る。
壁のコンセント直よりは、ノイズの質はまだいいし、量も少ないが、はっきりと出る。
電源のノイズが昨晩とはまた違っているためであろう。
山手線内の繁華街、
こういう場所の電源の汚れ(ひどさ)は、私の想像を超えている。
ノイズ対策は、音との兼合いがある。
ただただノイズをなくしていく手法だけでうまくいくとはいえない面がある。
とはいえ、今回のような状況では、
そうとうに積極的に電源からのノイズを抑えていく必要がある。
今度はコモンモードノイズ対策をした電源ケーブルを、近日中に持っていく。
どの程度の効果があるのか、
それに持っていった日の電源からのノイズは、また変化している可能性もある。
つまりノイズが出なくなっていることもあれば、
同じかもしくはひどくなっていることだって考えられる。
とにかく試してみるしかない。
どの程度ノイズを抑えられるのか、
うまく抑えられたとして、音への影響はどう出てくるのか。
こういう環境だからこそ確かめられる。
私が勤めていたころのステレオサウンドは、
窓から顔を出せば東京タワーがはっきりと見える場所にあった。
井上先生が、そのころよくいわれていたのは、ノイズ環境のひどさだった。
スイングジャーナルは東京タワーの、ほぼ真下といえるところにあったから、
ステレオサウンドの試聴室の方が条件としては悪い(ひどい)、といわれていた。
いまから約30年前の話だ。
いまやノイズ環境はひどくなるばかりといっていい。
デジタル機器が氾濫しているし、電源の状態も悪くなることはあっても、
もうよくなることはないであろう。
昨日、渋谷の明治通り沿いにあるギャラリー・ルデコでの写真展(4F)に行っていた。
マークレビンソンのML7A、No.27、スピーカーはアンサンブルのReferenceという組合せで、
音楽が流されている空間だった。
片チャンネルからバズのようなノイズが出ていた。
ノイズがどう変化するのかいくつか試したなかで、
ML7Aの電源コードを、壁のコンセントから直に取るようにしたところ、
両チャンネルから、ノイズが出るようになった。
いままでのノイズにプラスして、である。
ML7AはADCOM製のノイズフィルター内蔵のACタップから取られていた。
元に戻すと、片チャンネルだけのノイズになる。
つまり電源からのノイズが、音として聞こえてきたわけである。
ステレオサウンドの1981年の別冊「’81世界のセパレートアンプ総テスト」では、
コントロールアンプの測定で、パルス性のノイズを電源に加えた場合に、
出力に表れるかどうかということをやっている。
パルス性ノイズがそのまま出てくるアンプもあった。
ML7は優秀で、まったく出てこなかった。
それだけ現在の電源ノイズは、ある意味、すごい(ひどい)といえる。