Archive for category テーマ

Date: 12月 29th, 2017
Cate: 1年の終りに……, High Resolution

2017年をふりかえって(その10)

今年の1月に「オーディオがオーディオでなくなるとき(その5)」の中で、
ハイレゾ(High Resolution)は、
ハイアーレゾ(Higher Resolution)、さらにはハイエストレゾ(Highest Resolution)、
ハイレゾに留まらないのかもしれない、と書いた。

昨年よりも今年はHigher Resolutionといえなくもない。
今年のインターナショナルオーディオショウでも、
Higher Resolutionといえる録音ソースが鳴らされてもいた。

Higher Resolutionといえるソースを、じっくり聴いているわけではないが、
なんとなく、そこに感じるのはドキュメンタリー的な色をつよく受けてしまう。

録音はスタジオプロダクト(studio product)だ、と私は考えている。
Higher Resolutionといえるソースで、
スペックをつよくうち出しているもののなかには、
スタジオプロダクトなのか、と思いたくなる感じのものがあった。

Date: 12月 29th, 2017
Cate: ディスク/ブック

ニュー・アトランティス(その2)

『「もの」に反映するジョンブル精神』の文章は、
私の記憶違いでなければ、Kさんである。

私よりかなり年上のKさんは、知識欲旺盛な人である。
こういうひとが、あの大学に行くのだな、と納得させられるほど、
あらゆる勉強を楽しまれている感じを、いつも受けていた。

しかもマンガもしっかり読まれている、というのが、私には嬉しかった。

「ニュー・アトランティス」について書かれた次のページには、こうある。
     *
シェークスピアの同時代人であるベーコンが音響工学に興味を持った理由を想像してみる。そこで、思いつくのは、この時代のロンドンのひとたちの演劇についての異常なまでの熱狂ぶりである。木造で、数千人を収容できる公衆劇場が、1600年当時、すくなくとも5つか6つ存在した、と推定されている。この店ではヨーロッパの他の都市にはくらべるものがなく、ロンドンをおとずれた外国人をおどろかせたという。この話を紹介しているフランセス・イエイツ(『世界劇場』藤田実訳・晶文社)は、これらの劇場が、いずれも〝古代ローマ人の方式にならった木造の〟劇場であったと述べている。〝これらの建物には屋根がなく、座席が階段状についた桟敷(ギャラリー)が、劇場のまんなかの上に開いた空間「中庭(ヤード)」を取り囲み、この中庭に開け放しの舞台(オープン・ステージ)がつき出ている。〟イギリスのルネッサンスは、劇場と演劇というかたちで、その独自の発現を見せたようである。その頂点に、私達は、あのウィリアム・シェークスピアの名を見ることができる、そう言ってよいだろう。数千人を収容できる公衆劇場が、PA装置もなく用いられるとしたら、これはどうしても音響工学と直面しなければならなくなってしまう。これらの劇場の下敷となったと思われる、古代ローマの建築家、ヴィトルヴィウスの著述のことをも、イエイツは指摘している。このヴィトルヴィウスは劇場の音響効果にも、すでに大きな関心をはらっていた。ヴィトルヴィウスの建築書を、歴史のなかから、ルネッサンスのヨーロッパに持ちこんだのはイタリア人だったが、それを、故大劇場の復活というかたちで、もっともよく生かしたのはイギリス人だった。それは、同時に、音響工学のルネッサンスでせあった。イギリス人は、その歴史を受け継いでいるのである。
     *
こうやって書き写していても、Kさんでなければ書けない文章だ、と思っていた。

同時に、農業革命は農場から、工業革命は工場から、
情報革命は劇場から、という川崎先生のことばも思い出していた。

Date: 12月 29th, 2017
Cate: ディスク/ブック

ニュー・アトランティス(その1)

1622年から24年にかけてフランシス・ベーコンが「ニュー・アトランティス」を書いている。
17世紀、いまから400年ほど前に、フランシス・ベーコンは音響研究所について書いている。
     *
 また音響研究所ではあらゆる音を実際に発生させ実験している。われわれにはあなた方にはない和音、四分の一音やそれ以下の微妙な違いの音によるハーモニーがある。同じくあなた方の知らぬさまざまな楽器があり、あるものはあなた方のどの楽器も及ばぬ甘美な音色を出す。典雅な音を奏でる鐘、鈴の類もある。小さな音を大きく、深く響かせ、大きな音を弱め、鋭くすることも、本来は渾然一体てある音を震わせ、揺るがせることも、あらゆる明瞭な音声と文字、獣の咆哮、鳥の歌声を模倣し、表現することもできる。耳に装着して聴覚を大いに助ける器具もあれば、音声を鞠でも投げ返すように、何度も反響させて、種々の奇妙な人工木霊を作り、来た音声を前より大きくして返したり、高くも低くもする装置もある。あるものは、もとの綴りとも発音とも明らかに違う音声に変えてしまう。筒や管を用い、奇妙な経路を経て遠くに音声を運ぶ手段もある。
(「ニュー・アトランティス」 川西進訳・岩波文庫より)
     *
初めて読まれる方もいるはずだ。
どう思われただろうか。
驚かれた、はずだ。

「ニュー・アトランティス」に音響研究所についての記述があるのは、1983年に知った。
ステレオサウンド別冊THE BRITISH SOUNDのカラー口絵。
『「もの」に反映するジョンブル精神』とつけられた10ページの記事。

この記事で、音響研究所の箇所を読んだ。
驚いた。

THE BRITISH SOUNDでの引用は、中橋一夫訳・日本評論社から、である。
当時、「ニュー・アトランティス」を読もうと思ったのに、
なぜかいまごろ読んでいるのは、手に入らなかったから忘れてしまったのか……。
もうはっきりとは憶えていない。

それから今日までTHE BRITISH SOUNDは何度も開いている。
その度に、「ニュー・アトランティス」のところを読んでいたわけではないが、
何度かは読み返している。

それでも、いまになって、あらためて、すごい予見だ、と思っている。

Date: 12月 28th, 2017
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その20)

Record’s Bible(1977年度版)で、
ケーブルにおける電流密度について考える上で興味深いことを井上先生が書かれている。
     *
 スピーカーコードで音質が変化する好例としては、米ARのAR3−aシステムがある。このタイプは、出力音圧レベルが低く、アンプのパワーを要求する。まして、インピーダンスが約4Ωと低いため、普通の電源コードなどで結んで使うと、いわゆるモワッとしてスッキリしない音になりやすい。ところが、極めて太いコードを使い最短距離で結ぶと、見違えるほどクリアーになり広い部屋でパワーを入れて使うと、驚くほどクリアーで抜けがよく、スケールの大きな音を得ることができる。細いコードでは、せっかくのアンプのパワーがコードに食われてしまい、スピーカーに送り込まれず、スピーカーはDFの悪いアンプでドライブされていることになる。
 スピーカーコードの問題は、損失とDFだけの問題ではなく、多くの要素が含まれいてるが、各メーカーからの専用コードを使用してみると、確かに音質の改善に効果があるのは事実である。
     *
DFとは、いうまでもなくダンピングファクターのことだ。
別項「muscle audio Boot Camp(その13)」でも書いているように実効ダンピングファクターで捉えると、
スピーカーケーブルの太さの違いによる直流抵抗値の違いは、
スピーカーユニットからすれば、それほどの差となってあらわれるわけではない。

もちろんスピーカーシステムからすれば、
スピーカーケーブルを含めたダンピングファクターは数値的には大きな違いとなるが、
私は実効ダンピングファクターで捉えるべきだ、と考える。

私はARのスピーカーを鳴らした経験がない。
ARのスピーカーシステムの音も、ほんのちょっと聴いたことがあるだけで、
井上先生が書かれているような音の変化を体験しているわけではない。

井上先生が書かれている《極めて太いコード》とは、どのくらいの太さなのだろうか。
1977年当時の一般的なケーブルよりも、かなり太いという意味であろう。

AR3aを細いケーブルと太いケーブルで鳴らす。
太いケーブルは最短距離で接続しているわけだから、短い。
細いケーブルは、一般的な長さ、というところか。

具体的な長さについては書かれていないが、
太いケーブルの長さは長くても1m程度だろう。
細いケーブルは3m以上、5m程度だろうか。

太いケーブルと細いケーブルでのAR3aの音の違いは、音量は同じに設定してのことのはず。
そう仮定して、井上先生の文章を電流密度という観点から読めば、
細いケーブルの場合は電流密度は高く、
太いケーブルの場合は電流密度は低い、ということになる。

Date: 12月 27th, 2017
Cate: audio wednesday

30年ぶりの「THE DIALOGUE」(その13)

廃刊どころか出版社そのものもなくなってしまったスイングジャーナルは、
毎年、最優秀録音盤を選んでいた。

国内録音と海外録音とに分けての、優秀録音盤の選定であった。
「THE DIALOGUE」が候補になっていたころのスイングジャーナルを、読んでいない。

「THE DIALOGUE」と同じ年に発売された国内録音のLPが、
他にどんなのがあったのかも知らない私だが、
少なくとも、その年の国内録音の最優秀録音盤は「THE DIALOGUE」のはずだ。

先日、きいた話では「THE DIALOGUE」ではなかった、とのこと。
意外に思った。
教えてくれた人は、その経緯も話してくれた。

スイングジャーナルの選考方法は、候補となったディスクすべてを、
選定者が集まって、いっしょに聴いて、というものである。

その場でも「THE DIALOGUE」の音は、圧倒的だった、そうだ。
そうだろう、と思う。

「THE DIALOGUE」が国内録音の最優秀録音盤に決りかけたときに、
ある人が言ったそうだ。
「確かに音はいいんてすけど、これってジャズですか」と。

こんなことをいった人が誰なのかまで聞いている。
私に、「音はいいけど、音楽的(ジャズ的)にはつまらない……」といった人とは別の人だ。

こんなことをいう人が他にもいるのか、と驚く、というより呆れる。
それにしても、なぜ、そんなふうに「THE DIALOGUE」を聴くのだろうか。

Date: 12月 27th, 2017
Cate: audio wednesday

第84回audio wednesdayのお知らせ(調整の感覚量)

2011年2月から始めた、この会も1月で七年である。

常連の人たちだけのaudio wednesdayといえば、たしかにそうだが、
今年初めて来られた方もいた。
そのうちの一人は、仕事の都合で無理な時以外は顔を出される。

数年前もそうだった。
ふらーっと現れた人が、いまも来てくれている。

水曜日に決めたのは、ノー残業デイは、たいてい水曜日であるからだ。
第一水曜日にやる、と決めた時点で、1月は正月休みのときのことがあるのはわかっていた。
1月1日にやったこともある。

2018年1月のaudio wednesdayは、3日である。
来られる方は、おそらく一人か二人だろう。

だからといって手抜きの音は出したくない。
新年最初のaudio wednesdayだから、いつもより細かな調整をしようか、と思っている。

いままでの音出しでの調整は、
私の感覚量でいえば5cm単位の調整である。

細かなことをやっている、と思われているかもしれないが、
まだまだ細かなことをやっている意識はない。

そろそろ感覚量としての3cm単位、1cm単位の調整へと移っていこうかな、
と考えているところであり、
mm単位の調整、さらにはもっと細かな調整をaudio wednesdayで行うのは、一年後くらいか。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

正月休みなので、いつもは19時開始ですが、18時くらいからやる予定です。

Date: 12月 27th, 2017
Cate: ロングラン(ロングライフ)

どこに修理を依頼したらいいのか(ボイスコイルの断線・その2)

ボイスコイルは、円筒状のボビンに金属線が巻かれているモノだ。
単純な構造といえばそういえるが、そう簡単なモノではない。

コイルの断面は、丸と四角がある。
四角のものはエッジワイズと呼ばれていて、
JBLの主だったユニットはエッジワイズ巻きである。

いまはどうなのか知らないが、JBLのコイルの巻き方はきれいだった。
エッジワイズ巻きは断面が丸の普通の金属線よりも巻きのが難しい、と聞いている。

なのにJBLのエッジワイズは見事だった。
ボイスコイルにはアンプからの信号が通り、
スピーカーの振動系で最初に動き出すのは、ここである。
ここの動きから、すべてが始まるわけで、
ボイスコイルがいいかげんな造りであれば、
他がどんなに立派に見える造りであっても、スピーカーとしての性能は見かけほどではない。

しかもボイスコイルは外側からは一切見えない。
その見えない部分だからこそ、手を抜くこともできる。
けれどわかっているメーカーは、そんなことは絶対にしない。

ボイスコイルの線材は、銅もあればアルミもある。
JBLはフルレンジユニットには軽いアルミを、ウーファーには銅を使う。
たとえばD130はアルミ、D130のウーファー版の130Aは銅である。

スピーカーユニットをバラせば、ボイスコイルを見ることはできるが、
それでも見えないところもある。
熱処理をしているかしていないか、である。
JBLは行っていた(現在はどうなのか知らない)。

他にもボビンの素材、接着剤などが、ボイスコイルには関係してくる。

ボイスコイルを巻き直す、ということは、
修理対象となっているスピーカーユニットの、これらのことをすべて把握したうえで、
まったく同じに仕上げ直すことである。

そんなことが可能だろうか、とずっと思ってきた。
まず無理である。
それとも私の知らない、何か特別な修理方法で断線を直せるのか。

そんなものはないことが、今回の件ではっきりした。
ボイスコイルの断線を修理する、と謳っているところがどんなことをやっているのか。
同等品のボイスコイル(ボビンを含めて)に付け替えている。

すべての修理業者がそんな修理の仕方をしているわけではないだろう。
中にはきちんと巻き直している業者もいるはずだ。

だがコイルをオリジナルとまったく同じに巻き直すことは、まず無理であるし、
手先が器用だから、といって簡単にできることでもない。

Date: 12月 26th, 2017
Cate: ロングラン(ロングライフ)

どこに修理を依頼したらいいのか(ボイスコイルの断線・その1)

いまでは、「スピーカー 修理」と検索キーワードを入力すれば、
いくつもの結果が表示される。

これらの修理業者の腕前がどの程度なのかは、
なかなか掴みにくいし、比較もしにくい。
結局、口コミということになってこよう。

ある人のスピーカーのウーファーのボイスコイルが断線してしまった。
ボイスコイルの修理もやってくれるところは、ある。

けれどボイスコイルの修理を、具体的にどうやるのか、
自分の頭で考えてみると、ほんとうに可能なのだろうか、
どれだけきちんとやれるのか、という疑問が、ずっと以前からあった。

製造中止になり、コーンアッセンブリーが入手できなくなったユニットのボイスコイルの断線、
コイルの巻き直し──、ただ巻いて動作する(音が出るようになる)レベルであれば、
手先の器用な人であれば、できるであろう。

けれど、そのユニットの本来の性能をできるかぎり維持するとなると、
そうとうに困難であることは、容易に想像がつく。
ただ巻けばいいわけではない。

だから、ずっと疑問だったのだ。
その難しさのいくつかを挙げていくだけでも、
具体的な修理方法は……、と考えてしまう。

インターネットだけに頼っていても埒はあかない。
その辺のことを知っている、というか、
業界の人を知っている人に、だから訊ねてみた。

彼の返答は、「やっぱり、そうなのか……」と思わせる内容だった。

Date: 12月 25th, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(その18)

《エア・チェックのスゴサ》を感じながらも、
音では、(その15)で書いたようなことが、現実に行っていた。

当時はCDはまだ登場していなくて、LPだった。
FM放送で、持っているLPがかかることはわりとあったことだ。

同じLPを再生しているのに、
アナログプレーヤーで聴くよりもFMの方が音がいい。
理屈としてはありえないことであるが、そんな質問が、FM誌やオーディオ雑誌に載っていた。

長島先生はFM放送(受信)の仕組みを、リプロダクションシステムと考えることができる、と書かれている。

同じLPなのにFMの方がよく聴こえるのであれば、
アナログプレーヤーのクォリティの問題か、設置・調整の不備である。

では、クォリティに問題がなく、設置・調整にも問題がなければ、
FMの方がよく聴こえる、ということは、起り得ないのか。

どんなチューナーを使い、アンテナはどうなのか、
電波状況は……、そういった要素が絡んでのことなので、一概にいえないが、
可能性として、部分的によく聴こえる、ということはあるのかもしれない。

そういう体験はしていないが、だからといって、可能性を完全否定はできない。
だからこそ、《放送局が送り出している元の音より美しいと話題になったこと》があったのだろう。

ではテレビの場合はどうなのか。
放送されている番組を見ていて、
放送局が送り出している元の映像より美しい、と感じたことはない。
元の映像を見たわけではないけれど。

Date: 12月 25th, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(その17)

カラヤンの来日公演は、二回聴いている。
1981年と1988年。
どちらもベルリンフィルハーモニーで、東京文化会館だった。

1981年は、アンネ=ゾフィ・ムターも一緒だった。
ベートーヴェンの交響曲第五番とヴァイオリン協奏曲だった(と記憶している)。

1988年は最後の来日となった。
ベートーヴェンの交響曲第四番とムソルグスキーの「展覧会の絵」だった。

1981年の公演は、TBSがテレビ放映していた。
1988年の公演は、CDになって出ている。

記録として残されている。
1981年の公演を録画した人は、けっこういる、と思う。
いまも残している人も少なくないのではないか。

カラヤンは1989年2月に、ウィーンフィルハーモニーとニューヨーク公演を行っている。
東京はベルリンフィルハーモニーで、ニューヨークはウィーンフィルハーモニーか、
と、このニュースを知った時に思わないわけではなかった。

カラヤンとウィーンフィルハーモニーとの公演は、いまになって聴きたかった、と思う。
でも、いつの間にか、すっかり忘れてしまっていた。

昨晩、マイク野上さんのお宅に行っていた。
額縁に収められて飾られていた二枚の写真と一枚のチケット。
見て、びっくりした。

カーネギーホールでのカラヤン/ウィーンフィルハーモニーのブルックナーを聴いていた人が、
身近にいた、ということにびっくりした。

検索してみると、マイナーレーベルからCDが出ていることもわかった。
ただし、いまのところ入手困難のようだ。

動画を検索してみると、四分ほどのニュースを録画したものが、
YouTubeで、やはり公開されていた。
《エア・チェックのスゴサ》を実感している。

Date: 12月 23rd, 2017
Cate: 戻っていく感覚

二度目の「20年」(オーディオ少年よ、圧倒的であれ)

オーディオ少年だからこそ、生意気な目つきを忘れないようにしたい。
だからこそ、圧倒的であれ、とおもう。

約二年前に、
《オーディオマニアを自認するのであれば、圧倒的であれ、とおもう。》と書いた。

2017年も残り少なくなって、いままで以上に強く思っている。
圧倒的であれ、と思っている。

オーディオ少年こそ、圧倒的であれ、とおもう。

Date: 12月 22nd, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(JBL 4301・その21)

JBLのControl 1を、BOSEの101の後追いしての製品、という書き方をしたが、
二番煎じ、とは書かなかった。

1978年ごろ、オーラトーンから5Cというキューブ型の小型スピーカーが登場した。
12.5cm口径のフルレンジユニットを、
外形寸法W16.5×H16.5×D14.6cmのエンクロージュアにおさめたもので、
価格は二本一組で33,000円だった。

けっこう売れていた。
類似製品も登場した。二番煎じといえる製品である。
けれど、5Cよりも売れていた、とは思えない。

成功したのは5Cのみで、二番煎じで成功といえたモノはなかった、と記憶している。

BOSEの101は101は11.5cm口径のフルレンジ。
エンクロージュアは、木製ではなく樹脂製で、
サイズも形も5Cとは違う。

後追いといえば後追いといえる101だが、5Cの二番煎じとはいえない。
そう思っていた人は少ない、と思う。

101を5Cの二番煎じだとすれば、Control 1は5Cの三番煎じということになるのか。
誰もそんなバカなことはいわないだろう。

5Cと101は、はっきりと違う。
101とControl 1も、はっきりと違う。

4301には、登場時、高校生だった私は思い入れがある。
101には思い入れはない、Control 1も同じだ。

Control 1が登場したとき、私もがっかりした。
JBLも、この手の製品を出すようになったのか、と思った。

けれど時が経ち、4301への思い入れを切り離して見ることができるようになって、
Control 1をふり返ってみれば、そうとうに考えられたスピーカーかもしれない、と思える。
安易な二番煎じとは映らない。

Date: 12月 21st, 2017
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その14)

オーディオ店に行って、そこで鳴っていた音を聴いた、とする。
試聴ディスクを持っていき、店員にかけあって音を聴かせてもらう、とかではなく、
ただふらっと店に入って、そこで鳴っていた音を聴いただけである。

それでも、オーディオマニアの中には、音を聴いた、ということにしてしまう人がいる。
そこで、その人は、どうカウントするかというと、
スピーカーで一機種、当然、アンプとプレーヤーが必要になるから、
アンプで一機種、プレーヤーで一機種、
カートリッジは付属していないプレーヤーだったりすると、
そこに取り付けてあるカートリッジで一機種、
計四機種のオーディオ機器を聴いた、と数える。

アンプがプリメインアンプではなくセパレートアンプだとしたら、二機種に増え、
トータルで五機種聴いたことに、その人の中では、なってしまう。

さらにアナログプレーヤーも、ターンテーブル単体とトーンアーム単体を組み合わせたモノだと、
カートリッジ、トーンアーム、ターンテーブルで三機種となり、
計六機種のオーディオ機器を聴いたことに、その人のなかでは、なってしまう。

そうやって聴いた総数を数えて、
千機種以上のオーディオ機器の音を聴いた、とか、
もっと多くのオーディオ機器の音を聴いた、と自慢している人が、
昔いたのを知っている。

聴いた、といえば、聴いている、ということになるのか。
そんなのは聴いたうちに入らない、と考える人もいる。
どんな条件であろうと、聴いたのだから、聴いた数にかぞえる、とする人もいる。

そうなると、どれだけのオーディオ機器を聴いていたのか、
一部のラーメン・ブロガーの水増しと変らない、というよりも、
もっとひどい、といえる。

オーディオ機器は、それ単品では音を聴けない。
スピーカーがあって、アンプ、プレーヤーがあって、はじめて音が鳴ってくる。

一口でも食べたラーメンを一杯とカウントするのと、
システムを構成するオーディオ機器をひとつひとつ数えて、
三機種なり四機種……、もっと多くカウントしてするのと、
どちらが水増し感がひどいかというと、後者である。

Date: 12月 21st, 2017
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その13)

東京にいると、ラーメン店はほんとうに多いな、と感じる。
ラーメン好きの人が多いのだろう。
私もラーメン好きである。

ラーメン好きの人の中には、ラーメンのブログを書いている人もいる。
ラーメン・ブロガーと呼ばれている人たちである。

ラーメンのことを毎日書いている人もいる。
毎日ラーメンを食べているのか、と感心する。
ラーメン・ブロガーの中には、一年で365杯は当然で、
500杯とか、それ以上食べている人もいる、という。

ラーメン・ブロガー同士でラーメン店に行くこともある、ときいている。
そのラーメン店で、それぞれが別々のラーメンを注文する。
四人で行って、そこに四種類のラーメンがあったとしたら、
みな別々のラーメンを注文する。

テーブルに置かれた四種類のラーメンを、
すこしずつもらって食べることもあるそうだ。

ラーメン・ブロガーのなかには、そうして食べたラーメンを、
四杯食べたとカウントする人がいる、らしい。

ほとんどの人は、自分が注文したラーメンのみ、
つまり一杯のラーメンを食べたと数えることだろう。
残り三種類のラーメンは、一口、二口もらっただけなのだから。

そんな数え方をすれば、年間500杯とか、それ以上のラーメンを食べた、
と書ける、といえば書けよう。

でも、どこか水増ししている感は残る。
昔、オーディオマニアにも、同じといえる人たちがいた。

Date: 12月 20th, 2017
Cate: オーディオ評論

B&W 800シリーズとオーディオ評論家(その7)

今年の春、新宿の東宝シネマズで「GHOST IN THE SHELL」を、IMAXで観た。
IMAXのスクリーンのある空間に入った。

まだ観客はそう多くはなかった。
ぽつんぽつんと坐っているくらいだった時に入った。
BGMも鳴っていなかった。

席について、3D上映用のメガネを取り出そうとした。
ビニール袋を破ろうとして気づいたのは、S/N比の高さだった。
とにかく静かである。
ビニール袋を破ろうとする音が、こんなにも大きく耳障りなのかと感じるほどに、
静かな空間だった。

ここまで遮音性が高く、しかもデッドな空間は、そうそうないだろう。
なにか物音をたててはいけない気持になるほどの静かさだった。

でも、それは心地よい静かさとは違う。
物理的にS/N比の高い空間であることは確かだが、
とにかく自分が立てる物音が気になるのだから、心地よい静かさなわけがない。

人が大勢入ってくれば、暗騒音のレベルが上ってくるから、
そんなことも薄らいでくるが、観客が少ないときの静かさは、
オーディオマニアならば一度は体験してみてほしい。

IMAXで3Dで、マルチチャンネル再生。
そのために必要な条件としての静かさなのだろう。

B&Wの800シリーズは、S/N比のよいスピーカーといわれている。
現在測定できる物理特性としてのS/N比は優秀であろう。

だからといって、そこに静寂さの深さがあるのかというと、
それは別問題であり、
IMAXスクリーンの空間にも、それはいえることである。