Date: 11月 29th, 2017
Cate: 再生音, 快感か幸福か
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必要とされる音(その12)

Vitavoxがvitae vox(生命の音)から来ているのであれば、
Vitavoxで、カザルスを聴きたい、無性に聴きたい。

チェリスト・カザルス、
それ以上に指揮者カザルスの演奏を、Vitavoxで聴きたい、と思うのは、
聴くということは、生きているからできることなのだ、という、
当り前すぎることを、実感させてくれる。

演奏も、生きているから(生きていたから)こそ、
その演奏が録音として残されたわけだ。

故人の演奏であっても、録音の時は生きていた。
生きていたから、演奏がなされたし、残っている。

これも当り前すぎることだ。

でも当り前すぎることゆえに、実感しにくいのではないか。

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