必要とされる音(その12)
Vitavoxがvitae vox(生命の音)から来ているのであれば、
Vitavoxで、カザルスを聴きたい、無性に聴きたい。
チェリスト・カザルス、
それ以上に指揮者カザルスの演奏を、Vitavoxで聴きたい、と思うのは、
聴くということは、生きているからできることなのだ、という、
当り前すぎることを、実感させてくれる。
演奏も、生きているから(生きていたから)こそ、
その演奏が録音として残されたわけだ。
故人の演奏であっても、録音の時は生きていた。
生きていたから、演奏がなされたし、残っている。
これも当り前すぎることだ。
でも当り前すぎることゆえに、実感しにくいのではないか。