オーディオは男の趣味であるからこそ(その8)
五味先生の「私の好きな演奏家たち」に、こうある。
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近頃私は、自分の死期を想うことが多いためか、長生きする才能というものは断乎としてあると考えるようになった。早世はごく稀な天才を除いて、たったそれだけの才能だ。勿論いたずらに馬齢のみ重ね、才能の涸渇しているのもわきまえず勿体ぶる連中はどこの社会にもいるだろう。ほっとけばいい。長生きしなければ成し遂げられぬ仕事が此の世にはあることを、この歳になって私は覚っている。それは又、愚者の多すぎる世間へのもっとも痛快な勝利でありアイロニーでもあることを。生きねばならない。私のように才能乏しいものは猶更、生きのびねばならない。そう思う。
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《いたずらに馬齢のみ重ね、才能の涸渇しているのもわきまえず勿体ぶる連中はどこの社会にもいるだろう。ほっとけばいい》
そのとおりなのだろう、とおもう。
ほっとけ、ほっとけ、と思う。
でも、それでいいのか、と一方でおもう。
《才能の涸渇しているのもわきまえず勿体ぶる連中》をほっといていいのか、と自問する。
まだ《自分の死期を想うこと》がない私は、
ほっとけばいい、とすっぱりとおもうことはできずにいる。