Archive for category テーマ

Date: 2月 25th, 2018
Cate: audio wednesday

30年ぶりの「THE DIALOGUE」(あとすこし余談)

ステレオサウンド 46号の特集で、菅野先生がもっとも高く評価されていたのは、
UREIのModel 813である。
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 ところで、今回の試聴で一番印象に残ったスピーカーは、ユナイテッド・レコーディング・エレクトロニクス・インダストリーズ=UREIの813というスピーカーである。このスピーカーは、いわゆるアメリカらしいスピーカーともいえる製品で、モニターとしての能力もさることながら、鑑賞用としての素晴らしさも十分に併せもっている製品であった。
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46号で、Model 813は初めて登場している。
特集だけでなく、新製品紹介のページでも、46号での登場である。

アルテックの604-8Gを使いながらも、
アルテックのスピーカーがそれまでのアメリカのスタジオモニターの流れを代表していたのに対し、
Model 813は新しい動きを提示した、ともいえよう。

Model 813の試聴記では、こう書かれている。
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モデル813と呼ばれるこのユニークなシステムは、正直なところ完全に私を魅了してしまった。その高域は、604-8Gとは似ても似つかぬ繊細かつ、明確、なめらかなハイエンドと化し、しなやかな弦の響きを再現するし、パルシヴな高域のハーモニックスも優美な音を響かせる。加えて、適度にダンピングをコントロールした低域の豊かさは素晴らしく、フェイズ感はナチュラルで、近来稀に聴く優れたスピーカーだった。
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《パルシヴな高域のハーモニックス》、
これは「THE DIALOGUE」の再生においてのことではないだろうか。

そう思っていま読み返すと、
「THE DIALOGUE」がそうとうにうまく鳴ったようにおもえてくる。

Date: 2月 25th, 2018
Cate: audio wednesday

30年ぶりの「THE DIALOGUE」(余談)

「THE DIALOGUE」のLPがオーディオ・ラボから発売になったのは、
1978年2月25日である。

ステレオサウンドの試聴で「THE DIALOGUE」が最初に使われたのは、
46号の特集「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質」においてである。

菅野先生が使われている。
ただしLPではなくテープである。
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 それから、モニタースピーカーのテストということなので、試聴には2トラック38cm/secのテープがもつエネルギーが、ディスクのもつエネルギーとは相当違い、単純にダイナミックレンジという表現では言いあらわしきれないような差があるためである。ディスクのように、ある程度ダイナミックレンジがコントロールされたものでだけ試聴したのでは、モニタースピーカーのもてる力のすべてを知るには不十分であると考えたからでもある。テープは、やはり私がdbxエンコードして録音したもので、八城一夫と川上修のデュエットと猪俣猛のドラムスを中心としたパーカッションを収録しており、まだ未発売のテープをデコーデッド再生したわけである。そのテープにより、スピーカーの許容入力やタフネスという、あくまで純然たるモニタースピーカーとしてのチェックを行っている。
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猪俣猛のドラムスを中心としたパーカッション、
「THE DIALOGUE」のことで間違いない。

この時、ステレオサウンドはの試聴室では、どんな音が鳴り響いたのだろうか。

Date: 2月 25th, 2018
Cate: ジャーナリズム, 組合せ

組合せという試聴(その10)

オーディオの面白さは、組合せにある。
システム全体という組合せ、
スピーカーシステムという組合せもある。

そう捉えているから「スピーカーシステムという組合せ」も同時に書いている。
別項「オーディオの楽しみ方(つくる)」での自作スピーカーもまた組合せ、
それゆえに音をつめて作業に求められるのは、
この項で何度が書いているように、受動的聴き方ではなく、能動的聴き方である。

受動的聴き方が求められていないわけではないが、
受動的聴き方だけでは無難なスピーカーシステムにしか仕上がらないのではないか。

能動的聴き方をして、「いいスピーカー」へと近づいていくのではないだろうか。

組合せ(component)は、いわば組織である。
スピーカーシステムという組織、システム全体という組織にしても、
受動的聴き方によってまとめられた組織というものは、どこかが弱いとでもいおうか、
構造的強さをもっていない、とでもいおうか、そんな印象がある。

組織という意味では編集部もそうだ。
組織は入社試験、面接によって人を選ぶ。
その選び方が受動的なのか能動的なのか。

受動的な視点で集められた組織というものの弱さを感じる。

Date: 2月 24th, 2018
Cate: オーディオ入門, ディスク/ブック

オーディオ入門・考(マンガ版 オーディオ電気数学・その1)

オーディオ関連書籍のコーナーには、数ヵ月に一回くらいの割合で行く。
いくつかの書店の、そのコーナーをざっと見て、面白そうな本が出ていたら手にとる。

今日行った書店には、「マンガ版 オーディオ電気数学」があった。

奥付には、2013年8月20日発行とある。
四年半以上前に出ていた本に、今日初めて気づいた。
あまり期待していなかったが、「オーディオ電気数学」が示すように、
虚数の説明から始まる。

ここ数年、オーディオ入門書として発売されている本からすれば、
マンガ版とはいえ、数式はけっこう出てくるし、回路図ももちろん出てくる。

マンガ版と謳っているが、マンガとしての出来はそれほど高いとはいえないし、
そのせいで、本としての出来を少しスポイルしているかな、と感じなくもないが、
それでも、ここで紹介したいと思うだけの内容はもっている。

すべての説明がわかりやすい、とはいわないが、
この本を読んで、「あれって、そうだったのか」と気づく人はいるはずだ。

私も、この本に書かれていることをすべてを知っていたわけではないし、
知っていることでも、こういう説明の仕方もあるのか、と感心するところもある。

マンガ版だからといって偏見をもたずに、一度手にとって見てほしい、と思う。

Date: 2月 23rd, 2018
Cate: 書く

毎日書くということ(答えではなく……・その2)

六年前に「毎日書くということ(答えではなく……)」を書いた。

究極の問い、最終的な問いを求めて、こうやって毎日書いているのかもしれない、ということを書いた。

この問いこそが、表現の源なのだろう。

Date: 2月 23rd, 2018
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(その16)

シーメンスのEurodynが、38cm口径ウーファーを22cm口径三発に変更したときは、
シーメンスも堕落したものだと思った。

その後に登場したスタジオモニター(八木音響の広告に載っている)は、
アルテックのユニットを使ったシステムだっただけに、
そのイメージが重なり、シーメンスともあろうものが……、
そんなふうに思っていた時期があった。

思い入れが強いだけにそう思ってしまったのだが、
少し冷静になって考え直してみると、
1970年代後半にEurodynのウーファーの変更は、
それなりの意図があってのことだ、とも思えてくる。

いまから40年ほど前とはいえ、すでにEurodynは古典的スピーカー、
もっといえば古物的スピーカーともいえた。
Eurodynを新規に購入する劇場はどのくらいあっただろうか。

38cm口径時代のEurodynには音響レンズはついてこなかった。
22cn三発になってからは標準装備されている。
このことは、指向特性の改善を図ってのこと。

ということはユニット三発配置は、この点に置いてはっきりとしたメリットがあるのだろう。
しかもEurodynは、ウーファーとホーンを固定しているフレームも変更している。
旧型のフレームそのままでは、22cm三発の配置はサイズ的に無理があるから、
旧型の49cmの横幅は、61.8cmへとなっている。

ただユニットの造りそのものを比較すると、
やっぱり堕落したな……、と思ってしまうけれど、それでも三発配置について、
真剣に考え直してみる必要と価値はあるはずだ。

Date: 2月 22nd, 2018
Cate: audio wednesday

第86回audio wednesdayのお知らせ(チューニングの方向性)

別項「喫茶茶会記のスピーカーのこと(その9)」で書いたように、
今年はトゥイーターを交換してみたい、と考えているし、
それにともない、スピーカーの鳴らし方の方向性を少し(時には大きく)変えようとも考えている。

月一回とはいえ、2016年(九回)、2017年(十一回)鳴らしてきて、
スピーカーケーブルやネットワークなどは、
少し手は加えているけれども、喫茶茶会記で常時鳴らしているモノを使ってきた。

今年は、このあたりも変えていこう、と考えている。
これまでは私自身の音の好みはあえて無視してきた。

目の前にあるスピーカーを鳴らし切ろう、という方向で行ってきた。
もちろん鳴らし切った、とはいえないが、そろそろ方向性を変えて、
私自身の音の好みを反映させていこうか、
別に私の好みでなくとも、常連の誰かの好みでもかまわない。

少なくとも半年くらいは、そういう感じで鳴らしていこうと思う。

3月のaudio wednesdayは、7日。
場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時開始です。

Date: 2月 22nd, 2018
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(その15)

ウーファーは10cm口径を三発、
トゥイーターはLS5/1のように二本使いながらも、
上側のトゥイーターに関しては、途中からロールオフさせていく──、
こんなことを考えていること自体、
ここでのテーマから外れてしまっているのは、自分でもわかっている。

わかっていても、
SICAのフルレンジとAUDAXのトゥイーターによる2ウェイの自作スピーカーの音を聴くと、
オーディオマニアの性として、こんなことを考えてしまうのだ。

トゥイーターは何にしようか、と、そんなことまで考えている。
AUDAXでいいじゃないか、といわれそうだが、
LS5/1的トゥイーターの使い方で重要となるのは、
二本のトゥイーターのダイアフラムをどこまで近接できるか、がある。

AUDAXのトゥイーターに限らないのだが、
ドーム型トゥイーターはフランジ部分が大きすぎる。

AUDAXのトゥイーターを二本縦に並べた場合、
ふたつのダイアフラムのあいだはけっこう開いてしまう。

フランジを最小限の大きさにカットするとしても、
マグネットの直径が70mmある。
AUDAX以外のトゥイーターでも、ドーム型では、このへんの寸法に大きな違いはない。

この視点からドーム型トゥイーター探しをしていくと、非常に限られてしまう。
ならばATM型にしようか、とも考える。

Date: 2月 22nd, 2018
Cate: 再生音

続・再生音とは……(続その12に対して……)

一年と少し前に書いている。

Gaiaの真ん中にはaiがいる。AIだ。
artificial intelligence(人工知能)のAIが、Gaiaの真ん中なのだ。

いわばこじつけなのだが、そう思っている。
でも最近では、AIとは、artificial intelligenceだけではなく、
auto intelligenceなのかもしれない、と思うようにもなってきた。

Date: 2月 21st, 2018
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その28)

うまいなぁー、と感嘆する歌い方は、私の場合、たいてい溜めの巧い歌い方である。
こんなふうに歌えたらなぁー、と思いながら聴いていて、
ちょっとマネしてみても、とうてい及ばないことを思い知らされる。

けれど、溜めの巧い歌い方であっても、
スピーカーによって、そのへんはずいぶんと違って聴こえてくるものだ。

この人、こんな歌い方だっけ……、と思うような鳴り方をするスピーカーがある。
このスピーカーもうまいなぁー、と思ってしまうほど、きちんと溜めを表現するスピーカーもある。

どちらのスピーカーに魅力を感じるかといえば、後者であり、
音楽の表情を豊かに鳴らしてくれるのも、後者である。

溜めのない(乏しい)音は、平板になる。
すました顔が、どんなに整っていてきれいであっても、
すました顔ばかりを眺めているわけではない。

音楽を聴くということは、そういうことではない。
表情があってこそ、その表情が豊かであり、
時には一変するほどの変りようを見せてくれる(聴かせてくれる)からこそ、
飽きることなく、同じレコード(録音)を何度もくり返し聴く。

その溜めが、出てくるようになったのは、やはり嬉しいし、
やっていて楽しいと思える瞬間である。

昨晩、電話をかけてきたKさんは、「楽しそうですね」といってくれた。
何人かの方は気づかれているが、自作スピーカーの持主は写真家の野上眞宏さんである。

野上さんも「オーディオって、楽しいね」といってくれた。
ほんとうに楽しいのだ。

Date: 2月 21st, 2018
Cate: 戻っていく感覚

好きな音、好きだった音(その5)

エミール・ギレリスの名を私が知ったころはまだ、
鋼鉄のタッチと呼ばれていた時だった。

ギレリスの演奏を聴くまえに、鋼鉄のタッチというバイアスがすでに、
聴き手であるこちら側には、いわば植え付けられていた。

ギレリスの演奏(録音)を聴いたのは、ベートーヴェンだった、と記憶している。
何番だったかは、なぜか思い出せない。
それきりギレリスの演奏を積極的に聴くことはなかった。

そんな私でも、
ギレリスがドイツグラモフォンでベートーヴェンのピアノソナタ全集に取りかかったことは知っていた。
後期のピアノソナタの録音が出た。
ジャケット写真を見て、もう一度聴いてみよう、と思った。

何番だったのか思い出せない記憶との比較なんて当てにならないのだが、
なんとギレリスはこれほど変ったのか、と驚いた。
この時も鋼鉄のタッチというバイアスは充分残っていたにも関らず、だ。

そのみずみずしい演奏に驚いた。
ギレリス晩年の演奏なわけだが、枯れた演奏とか表現とは思えない。
ほんとうにみずみずしい。

昨晩書いたクラウディオ・アラウも、そうだ。
晩年のフィリップス録音での演奏の、なんとみずみずしいこと。

このふたりの境地になって、ほんとうにみずみずしいといえる表現が可能になるのか。
若々しいとみずみずしいは違うことを、あらためて思う。

みずみずしいは、水々しいとは書かない、瑞々しい、である。
ギレリスの演奏もアラウの演奏も、瑞々しい。

Date: 2月 20th, 2018
Cate: ディスク/ブック

Claudio Arrau (Complete Philips Recordings)

岡先生がクラシック・ベスト・レコードで、
アシュケナージに次いでよく取り上げられていたのが、クラウディオ・アラウという印象がある。

実際に数えたわけではないが、
あまりにも頻繁に、つまりアラウの新譜が出るたびに、高い評価をされていたから、
このころからアラウのレコードを集中的に聴くようになっていった。

ベートーヴェンの後期のソナタ、バッハ、モーツァルト、シューベルト、
どれも素晴らしかった。

けれどそれらのディスクは、以前書いているように、
切羽詰った時に、オーディオ機器をまず手離し、そしてディスクの大半も……、というときに、
私は手離した。

そのときは、これだけの名演なのだから、
しばらくして余裕ができたら買いなおそうと思っていた。

ところがいざ買いなおそうとしたときに、
アラウのCDは古い録音がいくつか出ているぐらいになっていた。

私がもっとも聴きたい、1980年代に入ってからの録音のほとんどが廃盤になっていた。
いつ再発売してくれるのか、と思い続けてきた。
もう諦めかけていて、中古CDを探そうか、と思ってもいた。

先週の金曜日(2月16日)、帰りの電車でfacebookを見ていたら、
クラウディオ・アラウ全集発売の投稿があった。

いまはもうフィリップス・レーベルはないから、デッカから80枚ボックスで出る。
やっと登場した。
ベートーヴェンも、モーツァルトもバッハもシューベルトもある。

Date: 2月 19th, 2018
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その27)

今日も自作スピーカーの日だった。
ユニットは加えていない。2ウェイのままである。

次のステップとして何をやったかというと、デッドマスの装着である。
1980年代のラジオ技術を読んできた人ならば、すぐにわかるだろうし、
他のオーディオ雑誌でもデッドマスについての記事は載っていた、と記憶している。

今回は入手が簡単ということもあって、
70mm径と60mm径の真鍮の円盤を、東急ハンズで購入して、
エポキシ系接着剤で、ユニットの後に接着している。

今日、接着したわけではない。
エポキシ系接着剤は、室温20度で24時間後に強度が最高になるため、
接着してすぐに聴ける状態になるものでなはい。

真鍮の円盤の購入は先週火曜日で、すでに接着は終っている。
この状態から、もう一度セッティングを詰めていったのが、今日やったことである。

70mmの真鍮の円盤はトゥイーターである。
厚みは20mm。
極端に重いわけではないが、トゥイーターのユニットとしての重心は後に下がる。
トータルの重量もかなり増す。

デッドマスなしの状態では、それまでの取付台座でも特に不満は感じなかったが、
今回からはおそらく不満が出てくるであろうと予想し、前日にいくつかのモノを用意していた。

トゥイーターの設置の仕方を変えた。
それからこまかなことをいくつかやって、
最終的に前回の音よりも明らかに手応えのある感じとなった。

デッドマスの効果が、トゥイーターの設置の仕方を変えたことも相俟って、
よく出ていたのではないだろうか。

今回の変化はいくつもあるなかで、
私がいちばん印象的だったのは、溜めの表現がきちんと出てくるようになったことだ。

Date: 2月 18th, 2018
Cate: 快感か幸福か

快感か幸福か(秋葉原で感じたこと・その6)

私は、音も音楽も所有できない、と何度も書いてきている。
一方で、音も音楽も所有できる、と思っている人たちがいる。

私はどこまでもいっても所有できないと考える人間だから、
秋葉原にある、とあるオーディオ店をトロフィー屋としてしか認識できない。

けれど音も音楽も所有できる、と思っている人にとっては、
あそこもオーディオ店であり、中には自分にふさわしいオーディオ店と思う人もいよう。

音も音楽も所有できる、と思っている人たちに、
どれだけ言葉をつくしたところで、
あそこがトロフィー屋だとは納得させることはできない。

Date: 2月 18th, 2018
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その40・追補)

その40)で書いていること、
いわば耳の錯覚といえる現象(音韻修復という)は、1950年に報告されている。

ジョージ・アーミテージ・ミラー(George Armitage Miller)と
ジョゼフ・カール・ロブネット・リックライダー(Joseph Carl Robnett Licklider)による報告が、
もっとも初期のものということだ。

その後さまざまな変形実験へと発展していて、
言語音声から短い時間分だけの情報をごっそり除去して空白をつくる。
それをいくつもつくっていくと、何を言っているのは、まったく理解できない。

なのに空白部分に、元の言語音声とはまったく関連性のないノイズを加えるだけで聴きとれる。
空白によって途切れた情報が補完されたようにつながってきこえてきて、
喋っている内容がわかるようになる。

これは音楽信号に認められていて、
ある音符のひとつを取り除いて、やはり雑音に置換しても、
どの音符が取り除かれたのかわからなくなる、という。
この音楽に関する現象は、佐々木隆之氏が発見されている。

実際は、何らかの情報が欠落していて、そこにあるのはノイズだけだとしても、
前後の音(情報)との関係で、本来であったであろう音が導かれるようにきこえることを、
聴覚誘導と総称されている。

いわば知覚の仕組みである。