Archive for category テーマ

Date: 4月 13th, 2020
Cate: 「本」

オーディオの「本」(読まれるからこそ「本」・その5)

紙の本から電子書籍へ、ということは、
触感の変化でもある。

アナログからデジタルへの変化ともいえる。

いまや紙の本であっても、制作過程はデジタルといっていい。
筆者も手書きの人は少なくなっていることだろう。

原稿もデジタルで、編集作業もデジタルで。
そうやってつくられても、読み手が手にするの紙の本の触感は、
そんなことは関係しない。

それはオーディオでも同じところがあって、
LPのマスターがデジタル録音だろうと、アナログ録音だろうと、
LPをさわったときの感じはかわらない。

CDも同じだ。
元がアナログ録音だろうとデジタル録音だろうと、
触って、そのことがわかるわけではない。

紙の本と電子書籍とでは、さまざまな違いがある。
そのなかで、大きく違うのは、触感(感触)の違いだ、と思う。

だからこそ、感染症の蔓延が、そこをのりこえるきっかけになるのではないだろうか。

Date: 4月 13th, 2020
Cate: 「本」

オーディオの「本」(読まれるからこそ「本」・その4)

新型コロナのニュースが途切れない。
出版関係の会社も、影響が大きい、というニュースをみかけた。

なんでも売行きの五割を占める大手書店の半分が、いま休業している、とのこと。
たしかにそういう大手の書店は、
駅ビルとか、大きなビルのテナントとして入っているのをよく見かける。

そういうビルそのものが営業を休止しているのだから、テナントである書店も閉店している。
個人経営の書店のほうが、営業時間を短縮しながらでもやっている。

とにかく書店の何割かが臨時休業している。
出版不況と、ここのところいわれ続けてきている。
書店の数は減ってきているところに、コロナ禍が追い討ちをかけているかっこうか。

そういう状況では、本が売れない、よりも先に、本を手にとってもらえなくなる。
それに思うのだが、新型コロナのせいで、
誰かが触れたものには触りたくないという人が増えてきているのではないだろうか。

いままでも、そういう人はいたけれど、いままでそんなこと気にしなかった人たちでも、
感染経路を考えると、触りたくない、という人が増えてくるだろうし、
そうなると書店が営業していたとしても、
並んでいる本を手にとってもらえなくなることだって考えられる。

考えすぎかもしれないとは思うが、そうだろうか、とも一方でおもう。
そうなってきたとしたら、電子書籍なのだろうか。

これまで、何回も電子書籍元年みたいなことがいわれてきた。
増えてはきているのだろうが、実感はない。

私の周りの本好きの人たちは、書店で本を買っている。
電子書籍の話をすることはほとんどない。

けれど、今年はそうなるのかもしれない。
何年後にふり返ったときに、2020年こそが電子書籍元年だった、ということになるかもしれない。

Date: 4月 13th, 2020
Cate: ディスク/ブック

スメタナ 交響詩「わが祖国」(その2)

めったに聴かないのだが、
十年に一度くらい無性に聴きたくなることがある。

そういうときは、クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団による、
1984年のライヴ録音のオルフェオ盤をひっぱり出して聴く。

クーベリックは、バイエルン放送交響楽団の前に、
ボストン交響楽団と1971年に録音したものが、よく知られている。
いまも名盤として、SACDにもなっている。

私がクーベリックの「わが祖国」を聴いたのは、
バイエルン放送交響楽団のものが最初だった。

それからしばらくしてボストン交響楽団との録音も聴いた。
どちらがいいとか悪いとか、そういうことではなく、
私にはバイエルン放送交響楽団との演奏(録音)が、印象深い。

その後、チェコフィルハーモニーとの録音も出ている。
世評は、ひじょうに高いけれど、私は聴いていない。

私にとって「わが祖国」は、バイエルン放送交響楽団のがいい。
このバイエルン放送交響楽団との「わが祖国」は、
ステレオサウンドの試聴室で、であった。

山中先生が試聴ディスクとして持参されたのを聴いたのが、最初である。
「モルダウ」をかけられた。

試聴ということを忘れそうになるくらいに、熱いものを感じた。
クーベリック晩年のチェコフィルハーモニーとの「わが祖国」は、
聴けばきっと素晴らしい、と思うであろう。

そうであっても、うまく説明できないのだが、
私にとって「わが祖国」はクーベリック/バイエルン放送交響楽団がいい。

Date: 4月 13th, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その10)

6月のOTOTENの中止が発表になった。
中止になる可能性は高くなりつつあると思っていたから、特に驚きはない。

それでも先は見通せない状況だから、
11月のインターナショナルオーディオショウは大丈夫、と安心はできない。

OTOTENの前身であるオーディオフェアは、一度だけ公開中止になったことがある。
1979年10月19日、この日東京に台風20号が来襲。
14時に公開中止が決定になった、そうだ。

当時は晴海の見本市会場だったが、
窓ガラスが割れ、電燈が落ちる事故が続発し、主催者側に二人のけが人が出ている。

来場者の避難も大変だったそうだ。
いまのOTOTENとは違い、当時のオーディオフェアには多くの人が訪れていた。
1979年は、10月17日から24日までの開催(一般公開は19日から)。

オーディオ協会発表によれば、
17日:10,900人
18日:11,200人
19日:9,200人
20日:49,300人
21日:71,400人
22日:31,900人
23日:34,800人
24日:32,400人

一週間の期間中で251,100人である。
台風の日の19日でも一万人ちかい。

当時の規模の大きさがわかる。

オーディオは、いわゆる生活必需品ではない。
だからブームが去れば……、という見方もできなくはないが、
こういう状況下において、オーディオは好適な趣味でもある。

けれど、オーディオ業界は苦しい、ともきいている。
ウワサなのだが、オーディオ販売店がかなり厳しい、らしい。

Date: 4月 12th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・番外)

二十年前のいまごろも、いまと同じだった。
部屋にひきこもっていた。

誰とも会わない日が続いていたし、
誰とも話さない日も続いていた。

なにをやっていたかというと、1999年末に仕事をやめて、
それからずっとaudio sharingにとりかかっていた。

はじめてつくるウェブサイト。
そのためにはじめて使うアプリケーション。

最初はアドビのGoLiveを使っていた。
けれど、こんなふうにしたい、と思うことが、どうやってもできなかった。
ヴァージョンアップされた。期待した。
けれど、やはりダメだった。

どうやったら、できるのか。
いろんな本を買っては読んでいたけれど、どうも無理なようだ。

ちょうど3月ごろ、マクロメディアのDreamweaverとFireworksが、
バンドル版として、かなり安価で発売になった。

なれないウェブサイトづくり。
ここで、またアプリケーションを変えて、どうにかなるのか。
よけいに大変になるんじゃないか、と思いつつも、試しに、と買ってみた。

そんなことをやっていた時期だから、こもりっきりだった。
今年の8月で、audio sharingを公開して二十年になる。

audio sharingもハタチか、ということは、
それだけ私も同じだけ歳をとっている。

Date: 4月 12th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その15)

惚れた、でも、惚れ込んだ、でもない。
惚れ抜くことができた──。

自信をもって、そんなふうにいえるだろうか……、
と最近考える。

Date: 4月 12th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、否定する人のこと(その2)

MQAには、いくつかの特長がある。
その一つが、ファイルサイズが小さい、ということである。

MQAを否定する人のなかには、ファイルサイズが小さいことは、
メリットでもなんでもない、と主張する人がいる。

インターネットは高速化されていくし、5Gも始まっている。
そういう時代にあって、ファイルサイズの小ささは……、ということである。

こんなことをいっていた人は、いまどう思っているのだろうか。
いま明らかにインターネットの速度は遅くなっている。

私のところでも、先月までといまとでは十分の一から二十分の一ぐらいにまで速度が低下している。
新型コロナのせいで、多くの人が自宅にいてインターネットに接続しているからであろう。

国によっては、YouTubeやNetflixの画質を、意図的に落している、というニュースもあったぐらいだ。
インターネットのインフラは整備されているし、
高速化されているとしても、すべての人が制限なしに使ったら、速度の低下を招くことになる。

そんなのは一時的なことであって、コロナ禍がおさまれば元に戻る、
結局、MQAのファイルサイズの小さいことによるメリットは、その程度である──、
MQAを否定する人はそういいそうだが、ほんとうにそうだろうか。

Date: 4月 11th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、MQA-CDのこと(その9)

ジョニ・ミッチェルの「BLUE」のような例は他にもある。
クイーンがそうだ。

クイーンの「Greatest Hits」
私がもっているクイーンはこれだけである。

e-onkyoからダウンロードした。
96kHz、24ビットのMQAである。

MQA-CDも出ている。
こちらは持っていないが、確か88.2kHzのはずだ。

MQA-CDは、CDのサンプリング周波数の44.1kHzの整数倍になっている。
容量の関係で、192kHzを176.4kHzにコンバートしているわけではない。

ユニバーサルミュージックから出ているMQA-CDは、
多くが352.8kHzであることからもわかる。

e-onkyoから購入できるクイーンのアルバムは、96kHzであり、
アナログマスターからのリマスタリングも96kHzで行われている。

となると、クイーンに関しても、
ジョニ・ミッチェルの「BLUE」のように、
同条件で比較試聴すれば、96kHzのほうがいいということになろう。

こんなことを書いていると、MQA-CDの存在意義は? と疑問に思われる人もいよう。
ここがややこしいというか、ごちゃまぜというか、
必ずしもMQA-CDのほうがサンプリング周波数が低いわけではない。

フルトヴェングラーのバイロイトの「第九」。
e-onkyoでダウンロードできるのは、96kHz、24ビットである。
MQA-CDは、176.4kHzである。

ジャクリーヌ・デュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲だともっと顕著で、
e-onkyoでは、44.1kHzである。

Date: 4月 11th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、MQA-CDのこと(その8)

ジョニ・ミッチェルの「BLUE」
MQA-CDで出ている。

176.4kHzの24ビットである。
この「BLUE」は、マスターテープ(アナログ)を192kHz、24ビットに変換したものを、
さらに176.4kHzにコンバートしている。

e-onkyoにも、ジョニ・ミッチェルの「BLUE」はある。
こちらは192kHzである。

ということは、176.4kHzのMQA-CDの「BLUE」をリッピングして、
同条件で比較試聴すれば、おそらくe-onkyoの192kHzの方が音がいいはずだ。

「BLUE」は買っている。
e-onkyoのは、まだ買っていない。

買うことになりそうだ。

Date: 4月 11th, 2020
Cate: ディスク/ブック

THE DREAMING(青春の一枚・その2)

人と会って話すのも好きだけれど、
人と会わずに独りきりでいるのも、また好きであるから、
誰とも会わず誰とも話さずに一日を過ごしていても、まったく苦にならない。

時間だけはあるから、ケイト・ブッシュを、ずっと聴いていた。
MQAで聴いていた。

すべてiPhoneに入れてある。
メリディアンの218に接いで、
一枚目の“THE KICK INSIDE”から順に聴いていた。

高校生のころ、FMから流れてきたケイト・ブッシュの“THE KICK INSIDE”に、
背筋に、文字通り電気が走ったような衝撃は、もうない。
もう四十年経っているのだから。

二枚目、三枚目と続けて聴いていく。
四枚目の“THE DREAMING”を聴く。

やっぱり、“THE DREAMING”は私にとって青春の一枚だ、と実感する。

“THE DREAMING”を、最初に聴いた時は、困惑した。
どう受け止めていいのか、わからなかった。
それでも何度も聴いた。

とまどいは減っていく。
少しずつ見えてきた(聴こえてきた)ように感じ始めた。

そういう“THE DREAMING”だから、“THE KICK INSIDE”とは第一印象からして違う。
違うからこそ、いま「青春の一枚」と感じているのかもしれない。

Date: 4月 11th, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その9)

その8)は、3月23日に書いている。
状況は悪くなっている。
もっと悪くなりそうな気さえする。

そうなると、6月のOTOTENの開催が心配になってくる。
今年は中止という可能性は強まってきている、といえる。

そうなると秋のインターナショナルオーディオショウも、どうなるのかわからなくなる。
新型コロナが、あと一ヵ月程度で収束に向っていったとしても、
その余波はしばらく残っていくだろうし、来年のいまごろは、
ふたたびコロナ禍にみまわれているかもしれない。

インフルエンザのように、
今年のウイルスは○○A型とか、○○B型とかいってそうな気もしなくはない。

とにかくオーディオ業界に与える影響は、小さくないとは誰もが思っていることだろう。
影響とは悪いことだけをいいたいのではない。

いい影響も悪い影響も、どちらもあることだろう。
私がいい影響として、一つ期待しているのは、
非常に高額なオーディオ機器が減ってくれる(無くなってくれる)ことである。

のど元過ぎれば熱さ忘れるではないが、収束してしまったとたんに、
ころっとすべて忘れてしまう人もいるけれど、そうでない人もまたいる。

オーディオに対する考え、取り組みも、
がらっと変るのではなく、静かに変っていくのではないのか。

Date: 4月 10th, 2020
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(購入後という視点・その14)

「てばなす」ということ──、
瀬川先生の場合はどうだったのか、とどうしても考えてしまう。

瀬川先生もいくつかのオーディオ機器をてばなされている。
EMTの927Dst、930st、
マランツのModel 7、JBLのSG520などである。

そのへんの事情もきいて知っている。
手放されたのか、手離されたのか。

でも、ここで考えたいのは、それらのオーディオ機器のことではない。
グッドマンのAXIOM 80のことである。

AXIOM 80を、瀬川先生は手放されていない。
きくところによると八本、ずっと所有されていた。
しかもそのうちの四本(と記憶している)は、初期の木箱入りのAXIOM 80である。

瀬川先生は、AXIOM 80をいつの日か鳴らしたい、と思われていたのか。
ステレオサウンド 創刊号に、
《そして現在、わたしのAXIOM80はもとの段ボール箱にしまい込まれ、しばらく陽の目をみていない。けれどこのスピーカーこそわたしが最も惚れた、いや、いまでも惚れ続けたスピーカーのひとつである。いま身辺に余裕ができたら、もう一度、エンクロージュアとアンプにモノーラル時代の体験を生かして、再びあの頃の音を再現したいと考えてもいる》
と書かれていた。

おそらく、それはずっと変らぬままだったはずだ。

だから、考える。
瀬川先生にとって、AXIOM 80は物理的に手放されていたわけではない。
けれど、その音は手離されてきたのか……、と。

Date: 4月 10th, 2020
Cate: ディスク/ブック

Walls

バーブラ・ストライサンドの「Walls」。
2018年12月に出ている。

発売から数ヵ月してから買った。
この一年、何度か聴いてきている。
audio wednesdayでもかけている。

今日、ひさしぶりに聴いた。
初めて聴いた時よりも、
audio wednesdayでかけた時よりも、
ずっとずっと美しくきこえてきた。

他に表現の語意を持たないのかといわれようと、
美しいものは、美しいとしかいいようがない。

タイトル曲の「Walls」は、四曲目である。
三曲目は「Imagine / What a Wonderful World」である。

続けて聴くからこそ、さらに美しく感じる。

Date: 4月 10th, 2020
Cate: 「オーディオ」考

「音は人なり」を、いまいちど考える(その19)

「音は人なり」の容赦なさに耐えられなければならない──、
私はそう思っている。

容赦なさに耐える、ということは、じっとがまんすることではない。
しっかりと自己分析する、ということである。

Date: 4月 10th, 2020
Cate: ディスク/ブック

CALLAS IN CONCERT THE HOLOGRAM TOUR(その4)

5月16日、17日に行われる予定だった“CALLAS IN CONCERT THE HOLOGRAM TOUR”。
中止もしくは延期になりそうだなと危惧していたら、中止が正式に発表になった。

延期ではなく中止である。
マリア・カラスのホログラムが歌うところをみたかったが、
おそらく日本では行われないのだろう。

コンサートは死んでいくのか。