Date: 7月 16th, 2013
Cate: 言葉
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〝言葉〟としてのオーディオ(その1)

ひとつ確かめたいことがあって、ステレオサウンド 56号を手にとった。
確認はすぐにできた。やっぱりそうだった、という感じだった。

せっかく手にとった、ひさしぶりの56号だから、
パラパラと頁をめくっていた。
56号は、かなり熱心に読んだ号である。
瀬川先生によるJBL・パラゴンの記事、
「いま私がいちばん妥当と思うコンポーネント組合せ法 あるいはグレードアップ法」というタイトルの記事、
トーレンス・リファレンスの記事、ロジャース・PM510の記事の他にも、
黒田先生の「異相の木」が載っているし、
この他にも……、ひとつひとつあげていったらかなりの数になってしまうので、
この辺にしておくが、とにかく1980年に出た4冊のステレオサウンドで、
もっともくり返し読んだのは、56号であることは間違いない。

だから、この記事も読んでいた。
確かに読んでいた。
それでも、なぜか、この記事の大見出しは記憶から消えてしまっていた。

426ページに載っている。
安岡章太郎氏による「オーディオ巡礼」の書評である。

ここには大見出しとして、こうある。

〝言葉〟としてのオーディオ

この短い見出しに気づき、
いいようのない感覚におそわれた。
そして、なぜ、この、〝言葉〟としてのオーディオ、をいままで見落していたのか。
自分のうかつさを反省していた。

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