Archive for category テーマ

Date: 5月 26th, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その22)

4月、5月は書店にほとんど行かなかった。
近所の書店は早仕舞していたし、
ほとんど出掛けずに過ごしていたこともあって、
4月、5月発行のオーディオ雑誌は見ていない。

ステレオ 6月号の特集「巣ごもりオーディオ」も、
オーディオアクセサリー 177号の特集「こんな時は、自宅でオーディオ三昧」、
どちらも見ていない。

どんな内容になっているのか、ちょっとは興味があるけれど、
なんとなく書店から足が遠のいてしまっている。

ステレオ、オーディオアクセサリー以外の雑誌も見ていない。
オーディオ関係の雑誌から、これほど遠ざかったのは初めて、といえる。

離れてみて、オーディオ雑誌がなくても、オーディオは楽しい、という、
至極当り前のことを実感している。

おもしろいオーディオ雑誌を読みたい、という気持は依然としてあるけれど、
オーディオ雑誌から離れても、何が変ったのだろうか、という気持が強くなってもいる。

ほかの人はどうなんだろうか。
定期購読している人は、発売時期には自宅に送られてくるから、読んでいる、という人、
書店が買うという人のなかには、私と同じように序店から足が遠のいてしまった人もいることだろう。

こう状況下だからこそ、オーディオ雑誌があってよかった、という人、
オーディオ雑誌がなくても、何も変らなかった、と感じている人、
いろんな人がいるはずだ。

今年はオーディオショウのほとんどが中止になっている。
オーディオショウから離れた一年といえる。

これでインターナショナルオーディオショウが中止になれば、
ほぼオーディオショウは開催されなかった、ということになる。

オーディオショウから離れた一年は、
私にとってのオーディオ雑誌と同じように、特になくてもいいや、
なくてもオーディオは楽しい、と思う人が出てくることだろう。

そんなふうに感じてている人は、
誰のためのオーディオショウなのか、と考えるかもしれない。

Date: 5月 25th, 2020
Cate: アナログディスク再生

歴史はくり返す(?)

ステレオサウンド 58号掲載の、
行方洋一氏の「東芝EMIのアドレス・レコードを聴く」から、少し引用したい。
     *
 さてレコード制作上で、重要な音質上のファクターとなるカッティング・マシーンに目を向けてみよう。現在の新らしいタイプのカッティング・マシーンは、メカをコントロールするコンピューター内蔵なのである。ミゾぎれやキッティング(ミゾとミゾがクロスしてしまうこと)が、このコンピューターによってサーボされるのである。むかしはカッティング・マンの職人的な感覚によって作られていたレコードのカッティングも、だいぶ変化してきているわけだ。カッティング・ヘッドをドライブするドライブアンプも、ハイパワーになり、カッター自体もハイパワー入力に充分たえられるようになったため、かつてのレコードにくらべて、カッティング・レベルも5dBや8dBは軽くレベル・アップされているのである。
 レベルの話で想い出すのだが、私は弘田三枝子の「ビー・マイ・ベイビー」というシングル盤で、大チョンボをやったことがある。この曲のイントロで、バス・ドラムがリズムをきざんでいたのであるが、その時代の再生機器は、さっきもいったようにたいへんクォリティが低かった。にもかかわらず、レベルをその時代ノーマル・レベルより、2dBほど上げてカッティングを行なって、このシングル盤を発売してしまったのである。発売して1週間ほどのあいだに、会社にはクレームの電話や返品が山ほど入ってしまった。というのは、イントロのバス・ドラムのアタックで、針がとんでしまうのである。2小節あるリズムパターンの、頭の小節の1拍目で、針が6小節ほど先にとんでしまうのである。
 レコードというのは、いつの時代でもユーザーの再生装置の水準をよく考えて、制作しなければならないのだという教訓を、実感させられたエピソードであった。このシングル盤は、最近の再生システムではビクともしないのだから、くやしい話だ。
     *
58号は1981年春号である。
約40年前のことを思い出したのは、facebookでの投稿を読んだからだ。

サニーデイ・サービスというバンドが、「いいね!」というアルバムをLPでも出した。
アナログディスク用のマスタリング、カッティングを何度か行い、
納得のいく仕上がりになった、とのこと。

けれど、そのアナログディスクを購入した人から、特定の箇所で針飛びするという指摘が、
何件かあったとのこと。

「いいね!」のアナログディスクのプレス工場で、
一般的なアナログプレーヤーと安価なプレーヤーとで検品して出荷したにもかかわらず、
ということでもある。

詳しいことはサニーデイ・サービスの曽我部恵一氏のtwitterで読める。

行方洋一氏の大チョンボとなった弘田三枝子の「ビー・マイ・ベイビー」は、
1960年代前半のころの話である。もう60年近い昔の話である。

にもかかわらず、同じことを2020年のいま起きている。

針飛びがするというプレーヤーでも、チェックしたところ、
問題なくトレースした、とのこと。

そのプレーヤーがどの程度のモノなのかは、はっきりとしないが、
再現してのチェックで、気温はチェック項目にあったのだろうか、とも思う。

アナログディスクは、行方洋一氏が書かれているように、
いつの時代でもユーザーの再生装置の水準をよく考えて、制作しなければならないだけでなく、
ユーザーの水準をよく考えて、制作しなければならないわけでもある。

Date: 5月 24th, 2020
Cate: 「オーディオ」考

「オーディオの対岸にあるもの」について(その3)

毒にも薬にもならない──、という表現がある。
毒にも薬にもならない音、というのがある。

毒にならない音だから、一定水準以上の音であるともいえる。
少なくとも、けっして悪い音ではない。

毒にも薬にもならない──、
そういう録音について、以前、菅野先生と話したことがある。

誰の録音なのかは書かない。
けれど、その人の録音は、優秀録音として高く評価されている。

私はそれほど多くの、その人の録音を聴いているわけではないが、
確かに優秀な録音であるのは確かだ。

それでも、菅野先生が、毒にも薬にもならない、といわれたのはとてもよくわかる。

その人の録音だけでなく、毒にも薬にもならない音は、
再生音にも増えてきている、と感じている。

そして、そういう音が高く評価されているようにも感じている。
優秀な録音であったり、精度の高い再生音であったりする。

ケチをつけるというのを、あら探しを無理矢理するようなことなのかもしれない。
けれど「毒にも薬にもならない」のである。

そう感じる人がどのくらいいるのかというと、
いまでは少数のようにも感じている。

なぜ「毒にも薬にもならない」音が増えてきているのか。
誤解されたくない、という気持が根底にあるからではないだろうか。

Date: 5月 23rd, 2020
Cate: ロングラン(ロングライフ)

定番(その7)

定番といえるモデルをもつメーカーとそうでないメーカーがある。
型番だけが定番を受け継いでいるから、といって、
そのモデルが必ずしも、誰もがみてもはっきりと定番といえるわけでないことは、
日本のメーカーの製品には、少なくない。

型番は違ってきているけれど、定番といえるそうモデルはある。
QUADのコンデンサー型スピーカーシステムである。

現在のQUADコンデンサー型は、ESL2812、ESL2912となっているが、
1981年に登場したESL63と基本的に同じままである。

ESL2912はパネルが六枚になっていて大型化されたモデルだから、
ESL63のそのままとはいえないが、基本的に大きく違っているわけではない。

ESL2812はパネル数もESL63と同じである。
外観は多少は変更されている。

けれどサンスイのプリメインアンプの607、707、907シリーズが、
新モデルが出るたびに、別のアンプに変っていったこととは対照的である。

日本ではQUADのESL2812の存在はないに等しいのかもしれない。

さっきQUADの輸入元のロッキーインターナショナルのサイトをみたら、
スピーカーのところに表示されるのは、小型ブックシェルフ型のみで、
ESLは、そこにはない。

QUAD本家のサイトをみれば、そこには2812、2912ともにきちんとある。
製造中止になったわけではなく、ロッキーインターナショナルが取り扱いをやめたのだろう。

輸入元が取り扱いブランドの全製品を輸入しないのは、昔からよくあることだ。
日本市場では売れそうにないと判断されたモノは取り扱わないようだ。

たとえばハーベスのトップモデル、Monitor 40.2は、
まだMonitor 40だったころから気になっているモデルなのだが、
Mプラス コンセプトのサイトには、ずっと以前からいまも、Model 40のページはない。

Date: 5月 23rd, 2020
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(おさなオーディオ・その5)

オーディオ・マニアというのは実に自己との闘い──疑心や不安を克服すべく己れとの闘いを体験している人、
そこからはるか遠いところにいる人たちが、自身のことをオーディオマニアという。

このことは、ある世代に共通していえることなのか、
それともすべての世代に、こういう人がいるのか。

どうもすべての世代に、少しずついるように感じている。
その人たちの割合が多いのか少ないのかまではわからないが、
そういう人たちが老いていくほどに、ますます遠いところへ向っていく。

若いころは、己れとの闘いの体験も少なかったりするから、
未熟であってもいい──というか、未熟でないほうが逆におかしい。

最初から老成ぶっている若いオーディオマニアがいる。
いつの時代にもいる。

老成ぶることをかっこいい、と思っているのだろうか。
この種の人たちも、己れとの闘いの体験も少なかったりするような気がする──よりも、
もうそこから逃げてしまっている、目を逸らしているのかもしれない。

この種の人たちは、一生、老成ぶったオーディオマニアでいるつもりなのだろうか。
若いころから老成ぶっていた人は、老成することはないだろう。

この人たちも、また「おさなオーディオ」である。

Date: 5月 22nd, 2020
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

窓のない試聴室と窓のある試聴室(その2)

別項のショウ雑感を書いていて、
インターナショナルオーディオショウ、OTOTENの会場となる国際フォーラムも、
窓がないことに気づく。

会議室としての空間だから、窓がないほうがいいのだろうし、
窓がないからこそ遮音性が高いのはわかっている。

インターナショナルオーディオショウの前身、
輸入オーディオショウは最初のころは九段のホテルグランドパレスが会場だった。
窓があった。

窓のあるところでやれ、といいたいわけではないが、
ヘッドフォン祭は窓があるな、と気づく。

Date: 5月 22nd, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その21)

新型コロナの感染者数は落ち着きを、いまのところは見せ始めている。
夏ごろには一時的な収束となっても、終息とはならないはずである。

来年の第二波に備えておく必要はある。
となると11月下旬開催予定のインターナショナルオーディオショウはどうなるのか。
開催できる可能性はある、と思う。

開催できた、としても、例年のような運営のままでは、
無防備となるはずだ。

今年はほぼすべてのオーディオショウが中止になっているだけに、
インターナショナルオーディオショウが開催されれば、多くの人が訪れるのではないだろうか。

いままで以上かもしれないし、
用心して今年は行かない、という人もいるだろうが、それでもかなり混むことは予想できる。

しかもブースによっては、これまでも隙間なく人がいる、というのは珍しくなかった。
人が多すぎて、ブースに入るのを諦めたことは、
行ったことのある人ならば何度か体験しているはず。
今年は、というか、これから先は、このままでは、あまりにも無防備すぎる、としかいえない。

ソーシャルディスタンスの確保は、インターナショナルオーディオショウでも必要とすべきだ。
2mとまではいかないまでも、1mぐらいの距離を保って、ということになると、
ブースに入れる人の数は限られてしまう。

かなりスカスカのなかでのプレゼンテーションということが求められるのではないだろうか。
その場合、どうやって入場制限をするのか。

ブースに入る人だけを制限したところで、あふれた人たちは廊下にたむろすることになる。
それでは意味がなくなる。

会場全体の入場制限ということになるのだろうか。
では、どうするのか。
事前に予約しての来場ということになるのか。
それも午前と午後で、来場者の総入れ替えを行うようになるのかもしれない。

とはいえ会場となる東京フォーラムの構造上、
そこまでの入場制限を実施するのは、かなり大変なことになるとは思う。

無理なことはやらない。
入場制限はしない、ということになるのだろうか。

話し合いはなされているはずだ。
どういう決断を下すのだろうか。

Date: 5月 22nd, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴けるバックハウスのベートーヴェン(その1)

バックハウスのベートーヴェンは、SACD(ステレオ録音のほう)で出ている。
e-onkyoでもDSF(2.8MHz)で配信されている。

これで充分じゃないか、と思いつつも、
ケンプがMQAで出ている。
ケンプはDSF(2.8MHz)もある。

ならばバックハウスも、DSFだけでなく、MQAも出てくるのかもしれない、とひそかに期待していた。
今年になって、バックハウスのハイドン、モーツァルト、シューマン、バッハなどが出ている。
MQAとflacなのだが、44.1kHz、24ビットである。

44.1kHzであっても、MQAであることのメリットは充分あるとはいうものの、
ベートーヴェンがMQAで出たとしても44.1kHz、24ビットの可能性が高いかも……、
そんなふうに思っていた。

そんなだったら、DSFで買おうかな、と思っていたところ、
バックハウスのベートーヴェンのMQAが始まった。

いまのところ一番、二番、三番、四番のみであるが、
MQA(96kHz、24ビット)である。

ベートーヴェン生誕250年だからなのか。
とにかく嬉しい。
これから続けてリリースされる、と期待しているところ。

Date: 5月 22nd, 2020
Cate: audio wednesday

第112回audio wednesdayのお知らせ(untitled)

6月3日のaudio wednesdayのテーマは、前回書いているようにuntitled。
これといったテーマは決めずに行うけれど、持っていくディスクは書いておこう。

一昨日、タワーレコードからのメールに、チェックしたCDが発売になりました、とあった。
なんだっけ? と思ってURLをクリック。
セシル・テイラーの「Solo」だった。

5月20日発売だということをころっと忘れていた。
また買い逃すところだったかもしれないだけに、
ややおせっかいと思えなくもない内容のメールだけど、ありがたいとも思う。

「Solo」を持っていく。
菅野先生からきいているおもしろいエピソードについても、話す予定でいる。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

19時開始です。

Date: 5月 21st, 2020
Cate: ジャーナリズム, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(コロナ禍ではっきりすること・その2)

新型コロナの影響で、自動車の売行きが悪い、ときいている。

友人から教えてもらったのだが、日本自動車販売協会連合会のサイトで、
ブランド別新車販売台数確報が公開されているのを知った。

2020年4月の販売台数をみていくと、確かに前年比はよくない。
乗用車だけをみても、ホンダが60.1%、三菱が35.2%、日産が42.9%、トヨタが66.8%で、
海外ブランドをみても、売行きはよくないことがわかる。

それでもフェラーリは126.8%、ランボルギーニは133.8%、ポルシェは164.1%と、
コロナ禍の影響はみられないといえる売行きである。

海外ブランドだからなのか、と思うと、メルセデス・ベンツは62.8%、
マクラーレンは37.5%、マセラッティは43.1%、ジャガーは37.8%、アストン・マーチンは56.0%だ。

自動車の専門家ではないから、これらの数字について専門的なことは何もいえないが、
フェラーリ、ランボルギーニ、ポルシェの売行きの伸びはすごいと思うし、
このことをどう捉えたらいいのだろうか。

高級外車は景気に左右されないわけではないだろう。
売行きが鈍っている海外ブランドもあるのだから。

ハイエンドオーディオと呼ばれるモノのなかには、
フェラーリやランボルギーニ、ポルシェ並の価格が珍しくなかったりする。

それらのオーディオ機器の売行きも、これらのクルマ同様に売行きは前年比で伸びているのか。
自動車業界と違い、オーディオ業界では、
ブランド別販売台数が、こんなふうに発表されているわけではない。

ウワサをきくことはあるけれど、実態はわからない。
かなり高額のオーディオ機器が、オーディオマニアのリスニングルームにある。
Aさんのところにあり、Bさんのところにもある……。

こんなにも高価なオーディオ機器が、けっこう売れているのか。
そう思いがちになるのだが、
意外にもAさんが使っていて手放したモノがBさんのところに行き、
Bさんもしばらく使って、次はCさんのところに……、という例があるともきいている。

Aさんのところにあった、Bさんのところにもあった、Cさんのところにもあった、
と書くのがより正しいわけで、実際に売れたのはごくわずかな台数であっても、
一年二年というスパンでみると、いろんな人のリスニングルームにあるというふうになる。

Date: 5月 21st, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その20)

1984年にでたカルロス・クライバーの、
バイエルン国立管弦楽団とによるベートーヴェンの交響曲第四番は、
ライヴ録音ということもあって、最後に聴衆のブラボーもそのままおさめられている。

演奏が終って、すぐに発せられるブラボーではなく、
少し間があってのブラボーだった。

おそらく若い男性なのだろう、感極まってのブラボーであり、
だからということもあって叫び声でも掛け声という感じでもなかった。

好ましい印象のブラボーだった。

こういうブラボーは、実際の演奏会ではまずない。
いつのころからか、クラシックのコンサートでは、
誰よりも早くブラボーと叫びたい人が、必ずといっていいほどいる。

100m走のスタートダッシュを極めるかのような感じでのブラボーがある。
よくいわれているように、
最後の音の余韻が残っているのに、ひときわデカイ声でのブラボーには、
閉口している人は多かったから、何度となく、いろんなところで、
ブラボーについての否定的な意見が出てきていた。

すみだトリフォニーホールが、
7月開催予定の公演についてのお知らせを公開している。

新型コロナ感染予防として、いくつかのことが挙げられている。
そのうちの一つに、こうある。
     *
「ブラボー」等の掛け声は禁止とさせていただきます。
     *
英断だ。
私だけでなく、ブラボーにうんざりしていた人は、みなそう思うはずだ。

いまのところ7月の演奏会だけのようだが、
ぜひとも8月も9月も、ずっとずっとブラボー等の掛け声は、禁止のままであってほしい。
そしてすみだトリフォニーホールだけでなく、
ほかのホールにも波及してほしい。

Date: 5月 19th, 2020
Cate: audio wednesday

第112回audio wednesdayのお知らせ(untitled)

次回のaudio wednesdayは、6月3日。
4月は中止で、3月は常連の人が一人。
5月は誰も来なかった、というわけで、
ほとんどの方が最低でも四ヵ月ぶりとなるaudio wednesday。

今月末には緊急事態もとかれるかもしれない。
それでも常連の人たちがみなこられるとは思っていない。

6月のaudio wednesdayも、ごくわずかの参加だろう。
ひさしぶりに何人かが集まる。
それだけで充分楽しい、といえばそうである。

だから、テーマは決めないことにした。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

19時開始です。

Date: 5月 19th, 2020
Cate: オーディオのプロフェッショナル

オーディオのプロフェッショナルの条件(その5)

読評のはしりといえる人は誰なのか。
実名を出そうかどうか、ちょっと迷っている。

オーディオベージックはすでにないから、いまさらその人の名前を出しても……、
というところはあるし、いまではオーディオ評論家めいたことをやっているのだろうか。

オーディオ雑誌を丹念に見ることがなくなったこともあって、その人の名前を目にすることがない。
いまもオーディオ評論家めいたこと(つまり読評)をやっているのであれば、
名前を出すところだが、そうではないようなので控えておこう。

それにオーディオベージックを読んでいた人ならば、誰のことかすぐにわかる。

その人は、おいしいとこ取りをしようとしていた人だった。
少なくとも私の目にはそう映ったし、
そのころあるオーディオ業界の人と、オーディオベーシックの話になったとき、
同じ印象をもっている人がいることがわかった。

それにオーディオベーシックに一時期執筆していた人から、
編集部の様子をきいたときも、やっぱりそうなのか、と思ったことがある。

読評のはしりといえるその人は、
オーディオ評論家のおいしいところ、
編集部のおいしいところ、
読者のおいしいところだけを取ろうとしていた(といまでも思う)。

おいしいとこ取りが悪いわけではないが、
おいしいとこではないこと、つまりまずいことは拒否していたようにみえる。

立場を曖昧にしたままで、それぞれの立場のおいしいとこ取りをしていく。
本人はそんなつもりはまったくなかった、というだろう。

その人と親しい人も、そういってかばうかもしれない。
そんなつもりはなかったのかもしれないが、
読み手であるこちらには、そうみえた。

意識して、おいしいとこ取りしていたほうが、まだましだ。
無意識にそうやっていたとしたら……。

別に、その人のせいで、オーディオベーシックにダメになったかというと、
間接的にそういえても、直接的には、その人をずっと、
それも積極的に関ってきた編集長のせいだ、といいたい。

Date: 5月 19th, 2020
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

窓のない試聴室と窓のある試聴室(その1)

1976年12月にでたステレオサウンドが、私にとって最初のステレオサウンドで、
具体的には41号と別冊「コンポーネントステレオの世界 ’77」である。

「コンポーネントステレオの世界 ’77」では、
組合せの試聴中の写真が何枚も掲載されている。
それらをみて、ステレオサウンドの試聴室の雰囲気を知った。

1982年1月に、初めてステレオサウンドの試聴室に入ることができた。
「コンポーネントステレオの世界 ’77」で見て知っていた試聴室と、
少しの違いはあったけれど、ほぼ同じだった。

それからステレオサウンド編集部で働くようになって、バックナンバーをみていくと、
29号で、新試聴室完成という記事がある。
そこでの写真をみると、窓がないのに気づく。

ずいぶん雰囲気の試聴室が違う。
このとき、窓のある試聴室でよかった、と思ったことをおぼえている。

私が辞めたあと、ステレオサウンドは二回引っ越ししている。
試聴室が二回かわっているわけだ。

その後の試聴室の写真をじっくりみているわけではないが、窓はないようだ。
ステレオサウンド以外のオーディオ雑誌の試聴室も、窓のないところが多いようである。

メーカーの試聴室も、すべてを知っているわけではないが、
窓はないところのほうが多いはずだ。

窓は音響的には、あまりよくない。
なので試聴室という、生活とは区切られている環境では、窓はない方がいい──、
のは間違っていない理屈である。

正しい、ともいえるのかもしれない──、と思いつつも、
個人的には窓のある試聴室がいい。

Date: 5月 18th, 2020
Cate: オーディオのプロフェッショナル

オーディオのプロフェッショナルの条件(その4)

読モという略称がある。
読者モデルのことである。

ここ数年思っているのは、読評である。
読者評論家を略したものだ。

読モもひどい略称だと感じるが、読評は、もっとひどいな、と思う。

読モはインターネットの普及以前から登場していたとのことだが、
これほどの脚光を浴びるようになったのはインターネットの普及も関係している、とのこと。

読評が現れるようになったのは、はっきりとインターネットの普及、
さらにはSNSの普及のおかげある。

Wikipediaによれば、
読モの魅力は、
読者からみてお手本にできる親しみやすさ、
スターというより友達感覚といった親近感に集約される、とある。

オーディオにおける読評もそういえる気がするだけでなく、
ここ十年ほどは個人サイトをほとんど見なくなったためはっきりとはいえないが、
それ以前は、積極的に個人サイト、ブログをやっている人のなかには、
オーディオ評論家をめざしているんじゃないのか──、
そんなふうに感じさせる人が何人もいた。

すでに休刊(廃刊)になってしまったオーディオベーシックという季刊誌があった。
共同通信社が出していた。別冊FMfanの成れの果てだ、と私は思っている。

ひどいことをいうヤツだ、と思われようが、そうとしか思えないし、
別冊FMfanが、こんなふうになってしまったのは、
読評のはしりといえる人を積極的に活用したからだ、とも思っている。