Archive for category テーマ

Date: 4月 21st, 2020
Cate: よもやま

スマートフォンのアプリ

スマートフォンで写真を撮って、
スマートフォンで画像処理してインターネットに公開。

スマートフォンだけで、すべで終ってしまう。
スマートフォン用のアプリは、ほんとうにいろいろあって、
しかも数が多いから、友人・知人のiPhoneに、
初めてみるアイコンのアプリがインストールされていることもめずらしくない。

とにかく画像処理、画像の理解の進歩の速さは、驚くとともに、
期待したいことが一つある。

トランジスターや、コンデンサー、抵抗などが実装されたプリント基板を、
裏表撮影することで,回路図を書き起こしてくれるアプリの登場である。

いまでは多層基板が当り前になってきているので、そこまでは無理としても、
片面基板、両面基板ならば、対応できるのではないだろうか。

何も完全な回路図でなくてもいい。
七割から九割程度の精度でもいいから、プリント基板を撮影することで、
自動的に回路図に変換される。

その回路図を回路シミュレーターに読み込ませることができたら、
不完全なところを手直しして、ということができれば十分である。

需要はある、と思う。
どこか(誰か)開発してくれないだろうか。

Date: 4月 21st, 2020
Cate: 新製品

新製品(発明を聴く・その1)

新製品を聴く、ということは、ときとして発明を聴くことである。
もちろんすべての新製品に、このことがあてはまるわけではないが、
例をあげれば、CDの登場である。

1982年10月にCD(CDプレーヤー)の音を聴いた。
そのことをふり返ってみて気づくのは、発明を聴いた、ということである。

オーディオの歴史を、エジソンの蝋管まで遡ってみよう。
当時の人たちは、エジソンが歌った「メリーさんの羊」を聴いた、というよりも、
おそらく、エジソンの発明を聴いた、という印象の方が圧倒的に強かったのではないだろうか。

蝋管が円盤になり、SPがLPになる。
これも発明を聴いた、といえる。

そしてモノーラルがステレオになる。
これもそうだ。

こまかな発明は他にもある。
そうやって、いくつかの発明を聴いてきている。

とはいっても私が体験できた発明、
それも大きな発明といえばCDである。

SPからLPへ、モノーラルからステレオへ、といった発明は、
生れていなかったので体験できていない。

ラジオからラジカセ(ここまではモノーラル)、
それからオーディオ(ステレオ)と来ているから、
ここのところは体験しているとはいえるが、
発明の時期に体験しているわけではない。

Date: 4月 20th, 2020
Cate: Jazz Spirit

「これからのジャズ喫茶を考えるシンポジウム」(四年後)

四年前の7月30日に四谷のいーぐるで、
「これからのジャズ喫茶を考えるシンポジウム」が行われた。
老舗のジャズ喫茶で、若い世代のジャズ喫茶の店主が集まって、
「これからのジャズ喫茶」について語る、というイベントてあった。

それから四年後のいま、である。

いーぐるが、存続支援キャンペーンをやっている。

いーぐるのウェブサイトのトップページには、こうある。
     *
コロナウイルスによる外出自粛要請がされるなか、
当店の存続も厳しくなってまいりました
52年続くいーぐるを守るべく、支援グッズの通販を開始いたします
皆様のご注文を心よりお待ちしております

いーぐる従業員一同
     *
いーぐるは、グッズ販売サイトを開いている。
いーぐるだけでは、ないはずだ。

ジャズ喫茶はどこもたいへん厳しい状況のはずだ。

いーぐるはビルの地下にある。
窓はない。

四谷三丁目の喫茶茶会記にしても、開放的な空間とはいえない。
ジャズ喫茶の多くは、音を出すのだから、そういう傾向にあるだろう。

「これからのジャズ喫茶を考えるシンポジウム」では、
誰もこの状況を予想できなかったはずだ。

いーぐるは、グッズとしてTシャツ、キャップなどのほかに、プリペイドカードもある。
プリペイドカードならば、他のジャズ喫茶でもすぐにやれるはずだ。

それだけでどうにかやっていけるかどうかは、なんともいえないが、
四年前以上に「これからのジャズ喫茶を考える」ことが目の前に押しつけられている。

Date: 4月 20th, 2020
Cate: Pablo Casals, ディスク/ブック

カザルスのモーツァルト(その1)

こういう状況下で、どういう音楽を聴くのか。

グレン・グールドはコンサート・ドロップアウトした。
グレン・グールドは演奏家として、コンサート・ドロップアウトをした。

こういう状況下は、聴き手がコンサート・ドロップアウトしている、ともいえる。
もちろんコンサートが中止、もしくは延期になっている。

主体的なコンサート・ドロップアウトとはいえないかもしれないが、
こういう状況下が続く、もしくはくり返すことになれば、
聴き手の、主体的なコンサート・ドロップアウトもあたりまえのことになっていくのか。

こういう状況下で、どういう音楽を聴くのか──、
ひとによって違っていることだろう。

耳あたりの良い音楽を、こういう状況下だから聴く機会が増えた、という人もいるだろう。
不安を癒してほしい、そういう音楽を選ぶ人もいるだろう。
それまでとかわりなく──、という人もいよう。

カザルスのモーツァルトを聴いた。
指揮者カザルスのモーツァルトを聴いた。

ぐいぐいと押しだしてくるカザルスによるモーツァルトの音楽を聴いていると、
こういう状況下だからこそ、カザルスによる音楽を聴きたい、という、
裡なる声に気づく。

優美な音楽、優美な表現、優美な音、
優美さこそ──、という音楽の聴き手には、
カザルスによる音楽は、野暮に聴こえてくることだろう。

いまどきのオーディオは、カザルスの剛毅な音楽を鳴らせなくなりつつあるのかもしれない。

優美な音楽、優美な表現、優美な音は、
ほんのいっとき、聴き手をなぐさめてはくれよう。
けれど、そこに祈りはない。

Date: 4月 19th, 2020
Cate:

オーディオと青の関係(その22)

その21)で、イギリスのスピーカーユニットは赤に塗装したモノがあったことを書いた。
といっても、これらのスピーカーユニットは古いモノばかりである。

それでもイギリスのオーディオ機器は赤が好きなのか──、
とやはり思わせてくれたのが、フォーカスライトのREDシリーズだった。

REDシリーズを知ったのは、プロサウンドの広告だった。
表紙をめくって次のページがそうだった、と記憶している。
RED 2とRED 3だった、と思う。

単にフロントパネルが赤だけでなく、
フラットなパネル(金属板)ではなく、肉感的なカーヴをしていた。

RED 2はパラメトリックイコライザー。
私にはおいそれとは買えない価格だったけれど、
知人だったら、即買いそう、と思った。

話をして写真を見せたところ、一発で購入を決めていた。
しばらくして知人のリスニングルームにRED 2がおさめられた。

実物のRED 2は、やはりよかった。
しばらくしてRED 5が登場した。
パワーアンプである。

もちろんフロントパネルは赤である。
でも、全体の造りをみれば、それがCHORDのパワーアンプであることはすぐにわかる。

RED 5はフロントパネルだけでなく、
リアパネル側のヒートシンクも赤にしていた。

これだけなのに、ベースとなっているCHORDのパワーアンプとは、印象がずいぶん違う。
フォーカスライトのREDシリーズはプロフェッショナル用だから、
スタジオでラックに収められて使われるのが前提のはずだ。

にもかかわらずフロントパネルだけでなく、
ラックにマウントされればみえなくなるヒートシンクも赤にしている。

こういうところが、
スピーカーユニットの磁気回路を赤に塗装するところと共通している。

Date: 4月 19th, 2020
Cate: ステレオサウンド

月刊ステレオサウンドという妄想(というか提案・その8)

(その7)に、facebookでコメントがあった。
「ぼくのオーディオ回想」がつまらないのは、脚色がされていないからではないか、
とあった。

私は逆で、予定調和という脚色があるからこそ、つまらないのではないか、
そんなふうに捉えている。

小野寺弘滋氏のように、毎号の連載を楽しみに読んでいた人は、
まったく別の捉え方をしているのだろう。

楽しんでいる人たちも、みなが同じように感じていたわけではないはずだ。
脚色がないから楽しい、という人もいたかもしれないし、
脚色があるからこそ、という人もいるであろう。

ここでの脚色は、オーディオの色づけの問題と似ていて、
オーディオを介することで、独自の色づけがなされるだけでなく、
本来あった音色が損われるという色づけもある。

色づけは、色をつけることだから、色ぬきというべきだろうが、
そんな色づけは、音楽を素っ気ない表情にしてしまいがちだ。

脚色も、そうかもしれない。
一人の人生、オーディオについてだけであっても、それが何十年にわたっていれば、
たとえすべてをことこまかに記憶していたとしても、すべてを文字にできるわけではない。

書くことがあれば、書かないこともあって、当然書かないことの方が多い。
何を書いて、何を書かないかに、その人の何かが浮び上ってくる。

その浮び上ってきたものを、私はつまらない、と感じた。

Date: 4月 18th, 2020
Cate: ステレオサウンド

月刊ステレオサウンドという妄想(というか提案・その7)

ステレオサウンド 214号には、
小野寺弘滋氏による柳沢功力氏の「再生悦楽」の書評が載っている。
といっても、読んでいない。

どんなことが書かれているのはよくは知らないが、
前回の(その6)のあとに、
「小野寺氏は柳沢氏の連載を楽しみに読んでいた、そうだよ」という連絡が友人からあった。

書評にそう書いてある、とのこと。
私のように、「ぼくのオーディオ回想」はつまらないと思う者もいれば、
小野寺弘滋氏のように、連載を毎号楽しみに待って読んでいた人もいるわけだ。

類は友を呼ぶ、という。
ほんとうにそうなんだ、と最近思うことが多い。

前々回の(その5)で、
私は、「ぼくのオーディオ回想」はつまらない、と感じていた。
私だけではなく、周りの友人、オーディオ仲間で、
誰一人として「ぼくのオーディオ回想」をおもしろい、といっていた者はいない──、
そんなことを書いたが、
これは私がそうだから、私の周りの人も「類は友を呼ぶ」でそうなのだろうか。

おそらく小野寺弘滋氏の周りの人たちは、
小野寺氏と同じように「ぼくのオーディオ回想」を毎号楽しみにしていたのだろうし、
「再生悦楽」も買って読むんだろう。

そのことを否定する気はないけれど、
でもいまのステレオサウンドも「類は友を呼ぶ」的に偏りすぎているのか……、
そんな見方もできなくはない。

八年ほど前に別項で、
「同じ部屋の空気を吸うのもイヤ!! そういう相手と一緒につくっていかないと面白い本はつくれない」
気の合う者同士で本をつくっていても、それでは絶対におもしろいものはつくれっこない、
ということを、当時の編集顧問のKさんにいわれたことを書いている。

そういうことだな、と思っている。

Date: 4月 18th, 2020
Cate: ディスク/ブック

Solo

菅野先生の録音によるセシル・テイラーの「Solo」。
amazonでは中古盤が、そこそこの値段で出品されている。

5月20日に、リマスター盤が出る。
amazonの中古盤の約半分の値段である。

「Solo」に関しては、菅野先生からおもしろいエピソードをきいている。
いつか書こうと思っている。

Date: 4月 18th, 2020
Cate: High Resolution,

MQAで聴けるバルバラ(その6)

ステレオサウンドから出ている「ボビノ座のバルバラ」で、
九曲目の「孤独のスケッチ」を、SACDで聴く。
それからCDで聴く。

そしてユニバーサルミュージックから出ている「バルバラ〜ベスト・セレクション」
その十三曲目の「孤独のスケッチ」を聴く。

SACD、CD、MQA-CDと聴く。
いうまでもなく MQA-CDの「孤独のスケッチ」はスタジオ録音で、
「ボビノ座のバルバラ」におさめられているそれはライヴ録音である。

MQA-CDの「孤独のスケッチ」を聴いていて、歌詞のことが頭に浮んだ。
「孤独のスケッチ」はフランス語で歌われている。
なので、そのまま聴いているだけではまったく意味は解さない。

「孤独のスケッチ」の対訳を読みながら聴いていたのは、
ずっとずっと遠い昔のことである。
どんな歌詞だったのか、もう朧げでしかなかった。

それでもMQA-CDで「孤独のスケッチ」を聴いていたら、
その朧げでしかないけれど、もう断片でしかないけれど、思い出した。

歌詞カードを取り出した。
ああ、こういう歌詞だった、と三十数年ぶりに、胸にくるものがあった。

歳をとったから、というよりも、「孤独のスケッチ」の歌詞を知っている人ならば、
この状況下に聴くことで、感じるところがきっとあるはず。

心に近い音で鳴る、とは、こういうことでもある。

Date: 4月 17th, 2020
Cate: High Resolution,

MQAで聴けるバルバラ(その5)

昨年12月にステレオサウンドから「ボビノ座のバルバラ」のSACDが出た。

シングルレイヤーのSACDで、通常のCDとの二枚組である。
SACDとCDとの音は、けっこう違う。

けっこう違う理由の一つが、私のシステムの場合、
SACDは対応のCDプレーヤーのアナログ出力をアンプに接続している。
CD、それからMQA-CDを聴くときは、同じCDプレーヤーのデジタル出力を、
メリディアンの218に接続して、というわけで、
条件が同じとはいえないゆえの音の違いも加わっている。

SACDのほうが、誰の耳にも明らかなくらい情報量は多い。
ライヴ録音ゆえの会場の雑音は、SACDならでは、といいたくなるところもある。

でも肝心のバルバラの声となると、
SACDが圧倒的にいいとはいえなかったりする。

ここで書いてきているように、
私にとってバルバラの声(歌)は、
瀬川先生が熊本のオーディオ店に来られていたときの音によってつくられている。

その後、フランス盤(LP)で、何枚か聴いているのがベースになっている。

そういう耳には、MQA-CDでのバルバラが、もっともしんみりと聴ける。
SACDの「ボビノ座のバルバラ」は、耳に近く、心に遠いと感じなくもない。

218を通したバルバラのほうが、心には近くなる。
そんな心情的なところをのぞいてしまえれば、
SACDだよ、と言い切れる。
でも、私は、そういうバルバラの聴き手ではない。

もっと心に近くなるバルバラを聴きたい。
MQA-CDでのバルバラは、もっと心に近くなる。

「ボビノ座のバルバラ」がMQAで出てくるのかどうかはわからない。
出てきてほしい、と思う。

Date: 4月 17th, 2020
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(その20)

今年1月に、メールをもらっていた。
グッドマンのAXIOM 22 mkIIを、
平面バッフルに取り付けて鳴らされているKさんという方からだった。

メールのタイトルには、
「疑似平面バッフル+後面開放箱」仕様のAXIOM22について、とあった。

AXIOM22を最初はバスレフ型エンクロージュアに入れて鳴らされていた。
その後の試行錯誤の末、
エンクロージュアは後面開放型になり、
さらにエンクロージュアのフロントバッフルを延長するかたちで、
サーロジックの音響パネル(高さ180cm)を左右にとりつけられている。

エンクロージュアの上部には平面のバッフルが設けられていて、
そこにトゥイーターが取り付けられている。

QRDの拡散型音響パネルを、裏表反対に平面バッフルに使ってみたい──、
そんなことをQRDが登場したころから考えていた。

考えていただけで、九年前にもそのことを書いていながらも、
実行には移していない。

でも同じようなことを考える人は世の中に何人かいるわけで、
Kさんはサーロジックの音響パネルという違いはあるし、
裏表の使い方も反対なのだが、考え方としては同じといえる。

マンガーのユニットを平面バッフルに取り付けて、三段スタック。
ここでの平面バッフルは、QRDの拡散型パネルと同様の音響パネル、
どちらを表にするのかは、実際に試してみないことにはなんともいえないが、
おもしろいモノになりそうな感じがしてきている。

Date: 4月 17th, 2020
Cate: 「本」

オーディオの「本」(読まれるからこそ「本」・その6)

いましがた近所のコンビニエンスストアから帰ってきたところ。
このコンビニエンスストアに行くのは二週間ぶりぐらい。

なにが大きく変っていたかというと、雑誌コーナーに、
「新型コロナ感染防止のため立ち読みしないでください」と、
大きく、何枚も注意書きが貼られていたことだ。

その4)で書いたことを、神経質すぎると思った人もいるかもしれないが、
現実は、そうである、としかいえない。

外出は極力控えているから、書店にも行っていない。
もしかすると近所の書店にも、同じような貼り紙があるのかもしれない。

もっと大きくの人が集まる店舗だと、そうかもしれない。

Date: 4月 17th, 2020
Cate: 楽しみ方

STUDER A101 + Pass DIY BA-3(その5)

メリディアンの218にバッファーをつけたいだけならば、
BA3だけでいいし、
スチューダーのA101を手に入れたのであれば、
スチューダーのA80のラインアンプの回路をコピーするのもおもしろい、とも思う。

A101とBA3を組み合わせて、一つのアンプにすることは、
私の個人的な興味からでしかない。

それに今回考えているアンプは、
218用のバッファーとしてだけでなく、
ヘッドフォンアンプとしての実験機でもある。

その場合、ボリュウムをどこに設ける。
一般的には入力の位置になる。

ボリュウムがあってラインアンプという構成である。
けれどA101とBA3のあいだにボリュウムをもってきたい。
なのでNFBはA101+BA3といったオーバーオールではかけないことになる。

どこにボリュウムをもってくるかは、
ボリュウムからの信号のリターンの引き回しに多く関係してくる。

富田嘉和氏が、
オーディオクラフトのラインアンプPL1000でやられていることを見習いたい。

Date: 4月 17th, 2020
Cate: 楽しみ方

STUDER A101 + Pass DIY BA-3(その4)

GASのThaedraは、アイドリング電流をたっぷりと流している。
それだけでなく、ラインアンプの出力はトランジスターのエミッターからではなく、
コレクターから取り出している。

エミッターから取り出す方が一般的だし、
出力インピーダンスも、コレクターからよりも低くなる。
それでもボンジョルノはコレクターからの出力を選んでいる。

FETならばソースからではなく、ドレインからの出力ということになる。

たっぷりのアイドリング電流と、
コレクター(またはドレイン)からの出力の取り出し。

この二つの条件にぴったりなのが、BA3(Burning Amp Number Three)である。
出力のFETには45mA流している。
抵抗の値を変えれば、もっと増やすこともできる。

トランジスター、FETにしても電流を大きく流すことはノイズ的には不利になる。
ジョン・カールが設計したディネッセンのJC80は、
ラインアンプの残留ノイズが多かった。

音楽を鳴り始めると気にならなくなるというものの、
ラインアンプの出力段から発生しているノイズなだけにボリュウムを絞った状態でも出る。

出力段に使っているFETとアイドリング電流の多さが原因とのことで、
アイドリング電流を減らした改良モデルも出た。

確かにノイズは減っている。天板の熱さも減っている。
けれど、あれほど魅力に感じたJC80の音は、稀薄になっていた。

BA3も、その点でノイズ的にはやや不利となるだろう。
それでもBA3のアイドリング電流を減らすようなことは、おそらくしない。

Date: 4月 16th, 2020
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(その19)

フルレンジユニットを三本といえば、
シーメンスのWide Angleもそうである。

縦一列にコアキシャルユニットを三本、と一見するとそうなのだが、
それぞれにわずかに角度をつけてとりつけてある。

そして、もうひとつフルレンジユニット三本という発想の元になっているのは、
私の場合、長島先生がスイングジャーナル別冊「モダン・ジャズ読本 ’77」での組合せ、
QUADのESLの三段スタックも、確実にそうである。

この音は、いまでも聴いてみたい、と思う。
長島先生に直接訊いたこともある。
「あれはすごかった」と、数年経ってからでも、やや興奮気味に語られていたくらいだ。

ESlを縦にまっすぐに三段スタックしているのではなく、
上下のESLが「く」の字になるようにスタックされている。

三枚のESLの中心が、聴き手の耳に等距離になるように角度をつけてのスタックである。
詳しいことは「モダン・ジャズ読本 ’77」を参照してほしい。
図面も掲載されている。

ESLの三段スタック。
これを思い出していると、フルレンジ三本に関しても、別の配置を考えつく。
ESLの三段スタックと同じ配置である。

しかも、この三段スタックは、小口径のフルレンジユニットではなく、
中口径のフルレンジユニット、もっと具体的にいえばマンガーのユニットを使ってみたい。

ベンディングウェーヴのマンガーのユニットを、
それぞれ中程度の大きさの平面バッフルに取り付けて、
それをESLの三段スタックのように角度をつけて重ねていく。

マンガーのユニットは、構造上背圧をかけて鳴らすユニットではない。
最初マンガーのユニットの存在を知った時は、Wide Angle的な構想を考えていた。

それもいいと思うが、ESLの三段スタック的構想がおもしろく感じている。