Archive for category テーマ

Date: 10月 6th, 2020
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(post-truth・その8)

そういえば、と思い出したことがひとつある。
インターネットを始めて二年くらいの時だったか、
まだaudio sharingをつくる前のことだったから、1998年か99年のころだったはずだ。

それまで少なかったオーディオの個人サイトも増え始めてきた。
そのころは、そういった個人サイトを見てまわるのが楽しみだった。

facebookもtwitter、ブログもまだだったころの話だ。
そのころの個人サイトの多くには掲示板が設けられていることも、また多かった。

ある個人サイトを見つけた。
マスコミ関係の人が公開していたサイト(いまはなくなっている)で、
個人サイトにしては、きちんとつくられた感じがしていた。

ここにも掲示板はあった。
そこでスチューダーのA80のことが話題になっていた。

その個人サイトの主宰者は、A80のエレクトロニクス関係は、
マーク・レヴィンソンによる設計だ、と書いていた。

スチューダーのA80と、
A80のトランスポートを利用して、エレクトロニクスをつくりかえたマークレビンソンのML5とが、
完全にごっちゃになっての記述だった。

気になったので、ML5のことを説明しておいた。
すると、そんなことはない、あなたが間違っている、という返事が、主宰者からあった。
なんでも、その人がもっとも信用しているオーディオに詳しい人が教えてくれたから、
というのが、その人の主張だった。

別の方が、主宰者がいっているのはML5のことですよ、と書き込まれた。
それでも主宰者は、A80のエレクトロニクスはマーク・レヴィンソンの設計だ、と譲らない。

しかもマーク・レヴィンソンはエンジニアではない、と説明してもだ。
これ以上書いても時間のムダ、と判断して、書き込むことはやめた。
一週間ほどして、どうなったのかなぁ、その人が信用している人に確認したのかも、
と思ってのぞいてみたら、
私と、ML5ですよ、いっていた人の書き込みが削除されていた。

Date: 10月 6th, 2020
Cate: audio wednesday

第116回audio wednesdayのお知らせ(music wednesday)

明日(10月7日)のaudio wednesdayは、
野上眞宏さんと赤塚りえ子さん、二人のDJによるmusic wednesdayである。

2019年12月のaudio wednesdayは、野上さんにDJをやってもらった。
野上さんも、聴いていた人たちも私も、みな楽しんでいた。
その時に、またやりましょう、ということになった。
今回は、そこに赤塚さんにもDJをお願いした。

野上さんと赤塚さんの音楽の接し方は、私とはずいぶん違う。
違うからこそ、お願いしたわけだし、個人的にも楽しみなわけだ。

野上さん、赤塚さん、それぞれノート型パソコンを持ってこられる。
D/Aコンバーターは、いうまでもなくメリディアンの218。
アンプはマッキントッシュ。
スピーカーは、まだどちらにするか決めていない。

当日、喫茶茶会記に着いて決めようと思っている。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

19時開始です。

Date: 10月 5th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その9)

七年前に「石岡瑛子氏の言葉」を書いている。
スイングジャーナル 1979年1月号に新春特別座談会として、
「ジャズを撮る」というタイトルで、石岡瑛子氏、操上和美氏、内藤忠行氏、武市好古氏らが、
映像の世界から見た、ジャズという素材について語っている中から、
石岡瑛子氏の発言を引用している。
     *
スイングジャーナルは自身で発想の転換を時代の波の中でやっていかなければならない。ゴリゴリのジャズ・ファン以外にもアピールする魅力を持たなければ表現がいつか時代から離れていってしまうでしょう。ジャズというフィールドを10年も20年も前のジャズの概念できめつけているのね。今の若い人たちの間で、ビジュアルなものに対する嗅覚、視覚といったものがすごい勢いで発達している今日、そういう人にとって、今のジャズ雑誌はそれ程ラディカルなものではありません。スイングジャーナルという雑誌の中で映像表現者が果せる力って大きいと想うし、時代から言って必要なパワーなのですね。時代の波の中で、読者に先端的なものを示し、常に問題提起を続ける。それを読者が敏感に感じとってキャッチ・ボールを続けるうちに、誌面はもっとビビッドなものになり得るんじゃないですか。
     *
スイングジャーナルの編集部は、石岡瑛子氏の言葉に耳を傾けなかったのか、
それとも理解していなかったのか。

《ジャズというフィールドを10年も20年も前のジャズの概念できめつけている》とある。
1978年11月ごろに座談会は行われているはずだ。
つまり、その後も、10年も20年も変らずだった。

《古いミュージシャンは、変ることなく、安全でわかりやすい、もうくたびれきったことを何度も何度も繰り返して、博物館のガラスの中の陳列物みたいになっている。》
マイルス・デイヴィスが、自叙伝で語っていることだ。

スイングジャーナルは、何度も何度もマイルス・デイヴィスを取り上げていた。
マイルスの、このことばのままの雑誌になっていった。

Date: 10月 5th, 2020
Cate: 映画

TENET

今日は、映画「テネット(TENET)」を観てきた。
ストーリーについては、話題になっているし、
あれこれ語りたがる人はいるだろうが、
ここで書きたいのはストーリーとか映画の出来、感想ではなく、音である。

冒頭のキエフのオペラ劇場のシーンからそうなのだが、
いつもと音がずいぶん違うことに、すぐに気づく。

私はIMAXで観た。
東京ミッドタウン日比谷にあるTOHOシネマズで観た。

IMAXで観る時は、大半がここである。
だから、どんな音なのかはわかっているはずなのに、
「テネット」は最初の音が鳴ってきてすぐに、
スピーカーが変ったのだろうか、と思いたくなるほど、
いつもの音とはそうとうに違っていた。

とにかく、全体に硬質な音である。
ゴツゴツしている感触がある、といってもいいくらいである。
しかも音量も、他の映画の同じようなシーンよりも大きめのようにも感じた。

背景音、効果音、音楽、すべて硬質な感じが一貫している。
それに背景音も、かなり大きく、字幕があるからいいけれど、
日本語の字幕が読めない外国の人だと、
セリフの聴き取りもけっこう大変な感じもしたシーンもあった。

どうも、あえて、そんな音づくりをしているようである。
日比谷のTOHOシネマズのスピーカーが変っていないことは、
映画本編が始まる前の告知や予告編での音でわかる。

「テネット」の音は、オーディオマニアの私にとっては、
興味深くもあり、オーディオ的快感も感じたりするのだが、不快に感じる人もいよう。

ホームシアターを趣味としている人ならば、
ソフト化が待ち遠しいのではないだろうか。

私はテレビも持っていないので、
サウンドトラックが、どんな仕上がりなのかに興味がある。
11月に発売になる。

Date: 10月 5th, 2020
Cate: 正しいもの

正しい音と正しい聴き方(番外)

今日昼ごろ、神田のパン屋に行った。
古くて小さなパン屋で、昭和からあるパン屋といった風情である。

初めて入るパン屋である。
ここ数年の、私のちょっとした楽しみは、
こういう昭和のパン屋といいたくなる店で、いわゆる調理パンを買うことである。

カタカナで、しかも一度見ただけでは暗記できないような店名のパン屋、
きれいで広くて、パンの値段もやや高めというところも好きなのだが、
ますます数が減ってきている昭和のパン屋は、
あと十年もしたら、ほとんど見かけなくなるのではないだろうか。

いまはスマートフォンがあり、Google Mapを入れていれば、
パン屋と入力すれば、付近の店を表示してくれる。
いろんなところに行っては、こうやって探している。

今日のパン屋に入ったら、モーツァルトのピアノ・ソナタが鳴っていた。
BGMとしては大きめの音量だった。
店主が好きで聴いているような感じを受けた。

店内のテーブルに置かれたラジカセから鳴っていた。
特に高級なラジカセではないけれど、
店に入った瞬間に、グールドのモーツァルトだ、とわかった。

店主に確認したわけではないが、グールドのモーツァルトである。

鳴っていたのは特別な音ではない。
いわゆるラジカセの音でしかない。
それでもグールドのモーツァルトだ、とわかるほどに、
グールドのモーツァルトで聴ける清新さは、きちんと伝わってくる。

グールドのゴールドベルグ変奏曲が、
とても変な音で鳴っているのを聴いたことがある、と以前書いている。

一つは個人宅で、もう一つはある輸入元の試聴会だった。
そんな音で、グールドのモーツァルトが鳴っていたら、
誰の演奏かはわからなかったはずだ。

Date: 10月 5th, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その30)

(その28)で、東京での開催にこだわることも考えた方がいいのかもしれないが、
国際フォーラムのような建物が、東京以外にあるのだろうか、と書いた。

(その28)は、7月に書いている。
私が知らなかっただけなのだが、今年4月に奈良県コンベンションセンターがオープンしている。

今日知ったばかりで、実際に行っているわけではないが、
奈良県コンベンションセンターはオーディオショウとして使えるのではないだろうか。

いま大阪のオーディオショウはホテルでの開催である。
以前書いているように、大阪のオーディオショウは、
ずっと以前の輸入オーディオショウのままといっていい。

近畿地方のオーディオショウは、奈良県コンベンションセンターでの開催。
うまくいけそうな感じがするのだが、どうだろうか。

Date: 10月 4th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その8)

ステレオサウンドの雑誌にビートサウンドがある。
あった、とすべきかな、と思い、ちょっと検索してみると、
休刊にはなっていないようだし、不定期刊行物扱いのようである。

ビートサウンドの創刊号が出たのは、二十年近く前のことのはずだ。
朝沼予史宏氏が編集長と創刊されたと記憶しているから、そのころのはずだ。

朝沼予史宏氏は2002年12月に亡くなられているから、
ビートサウンドの創刊号だけ携われていたはずた。

そのころまのステレオサウンドでは、クラシックとジャズが、
試聴レコードのメインであった。

ビートサウンドは、そこを突破したいという朝沼予史宏氏のおもいがあったのだろう。
ビートサウンドの創刊号を私は買わなかったけれど、
周りの人たちの評判はかなり良かった。

だから、その人たちは期待もした。
けれど、朝沼予史宏氏不在のビートサウンドは変っていった。
それはしかたないことだったのかもしれないが、
それとともに、ビートサウンドのことが、周りの人たちの話題にのぼることが減ってきた。

創刊号も買わなかったぐらいだから、それ以降の号も一冊も買っていない。
書店で手にとってパラッと眺めるだけか、
オーディオ好きの友人宅に行った時に、そこにあれば少しじっくり読むことはあった。

その程度の読み方(とはいえないけれど)しかしていないのだが、
スイングジャーナル化してきたな、と感じていた。

ここでのスイングジャーナルとは、
売れていたころの、勢いがあったころのスイングジャーナルではなく、
しぼんでいくだけのスイングジャーナルのことである。

Date: 10月 3rd, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その29)

インターナショナルオーディオショウの中止の発表後にも、
いくつかのオーディオショウの中止が発表になっている。
そこには来年のショウも含まれている。

来年も、どうなるのかはわからない。
東京オリンピックは開催されるような感じだが、
コロナ禍が終息せずに開催されたとしたら、
秋以降の感染は拡大していくのかもしれない。

そうなってしまったら、東京オリンピック後の東京でのオーディオショウは、
すべて中止になってもおかしくない。

劇的な変化があって、すんなり開催されることだってないわけではない。

とにかく今年は2月に開催されたTOKYO AUDIO BASE 2020に行っただけである。
でも、特にさびしいという気持はない。

田舎で生活よりも東京でのほうがすっかり長くなってしまっているけれど、
田舎にいたころは、オーディオショウは縁遠いものだった。

東京に行ってみたいと思っても、
中学、高校生の小遣いでどうにかなるものではない。

いまでこそ地方でのオーディオショウも活発になってきているが、
当時はそんなこともなかった。

ないのが、だから当り前だった。
それに戻っただけ、という感覚で受け止めているからなのだろう、
さびしい、という感じがしないのだ。

でも、あのころオーディオフェアに行きたい、と思いつつも、
無理してでも、とは思っていなかった。

東京に住んでいる人を羨ましく思っていたけれど、
東京に住みたい、とまでは思っていなかった。

そう思えたのは、オーディオ雑誌があったからだし、
オーディオ雑誌がおもしろかったからだ。

Date: 10月 3rd, 2020
Cate: ディスク/ブック

クラウス・テンシュテットのマーラー

別項「タンノイはいぶし銀か」で、
東欧のオーケストラの音についてのコメントがあり、
そのことで思い出したことを少しばかり書いた。

書いてしばらくして、そういえばと、
テンシュテットも東ドイツ出身の指揮者だったことを思い出す。

黒田先生だったと記憶しているが、
テンシュテットの録音がEMIが出始めたころに、
テンシュテットを大きな氷山に喩えられていた。

氷山の一角といわれるように海面にあらわれているのは、ほんの一部で、
海中にはその何倍もの大きさが隠れている。

テンシュテットが、そのころ見せ始めたのは、まさしく氷山の一角で、
これからその全貌を、われわれにみせて(聴かせて)くれるであろう、と。
そんなことを読んだ記憶がある。

なるほどなぁ、と思いながら読んでいた。
私が買った(聴いた)テンシュテットの最初のレコードは、マーラーだった。
六番が最初だった。

そのころステレオサウンドの試聴室で何度となく聴いていたレーグナーのマーラーの六番。
テンシュテットの場合は、亡命して西欧のオーケストラを振ってもので、
そのころは、そのへんのことをあれこれ考えながら(比較しながら)、
聴くことはしていなかったし、考えてもいなかった。

テンシュテットのマーラーは、その後もいくつか聴いている。
けれどマーラーばかり、テンシュテットばかり聴いているわけでもないから、
テンシュテットのマーラーをすべて聴くことはなかった。

テンシュテットの名声は、私がそうやって聴いていたころも、
あとになって非常に高くなっていた。
でも、そのころはテンシュテットから遠ざかっていた。

二年ほど前だったか、タワーレコードに、
テンシュテットのマーラー全集のCDボックスが、三千円を切る価格で売っていた。
ひさしぶりにテンシュテットのマーラーを聴こうかな、と思いつつ、
手にとっては見たものの、他に優先したいディスクがけっこうあり、
わずか三千円ほどであっても、レジまで持っていくことはなかった。

そのあとも、何度か店頭でみかけている。
いつこのあいだもみかけた。
それでも他のディスクを優先してしまった。

先日、タワーレコードのサイトを眺めていたら、
テンシュテットのマーラーの一番、五番、九番、十番(一楽章)、
テンシュテットのマーラーでアナログ録音だったものが、
SACDになっているのを知った。

何年か前に出ていたのに気づいていなかった。
今回は違う。ひさしふりにテンシュテットのマーラーである。

Date: 10月 2nd, 2020
Cate: ディスク/ブック

Bach: 6 Sonaten und Partiten für Violine solo(その5)

これも、レコード(録音物)の落穂拾いか、と自覚しつつも、
ハイフェッツのバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを買った。

LPで昔聴いていた。
それでもあまり印象に残っていない。

私にとってハイフェッツといえば、
ブルッフのヴァイオリン協奏曲がまっさきに思い浮ぶヴァイオリニストである。

五味先生もハイフェッツのブルッフは聴かれていた、ときいている。
ブルッフの印象は思い出すことはあったが、
バッハに関しては、ほとんど残っていない。

ただシゲティ、シェリングとは違う演奏であることぐらいは憶えている。
エネスコ、シゲティ、シェリング。
これだけあれば、私は満たされている。

これだけしか持っていないわけではない。
他にも持っている(聴いている)。
最近の録音でも、いくつか聴きたいのはある。

なのに、それらの録音ではなく、
いまさら、またハイフェッツのバッハが気になってきたし、
ハイフェッツを優先してしまっている。

Date: 10月 2nd, 2020
Cate: ディスク/ブック

Hotel California(その7)

オーディオマニアは、AとBとに分けられる。
こんなことをたまにみかける。

オーディオマニアに限らず使われているのだから、
またか、と思う。
そう思うくらいなので、個人的にはあまり使いたくないのだが、
身体が憶えている音に関しては、これを使いたい。

身体が憶えている音を持っているオーディオマニアと、
持っていないオーディオマニアがいる──、とに分けられるとはいえそうに感じている。

以前はそんなこと感じなかったし、考えてもいなかった。
けれど、二年前のOTOTENのハーマンインターナショナルのブースで、
“Hotel California”が、当時発売されたアナログディスクで鳴らされた。

スタッフの個人所有のディスクだった。
その人は、ずっと、そのディスクで“Hotel California”を聴いていたはずだ。
もちろんアナログディスクだけではなく、CDでも聴いていたであろう。

でも“Hotel California”が発売されたころからのアナログディスクである。
それを最新のシステムで再生して、その人は満足していた様子だった。

それはそれでいい。
ケチをつけることではないのだが、
このスタッフの人は、当時どんな音で“Hotel California”を聴いていたのだろうか、
と考えてしまった。

私は“Hotel California”のディスクを買うことはなかったけれど、
JBLの4343で聴いた音が、いまも残っている。
身体が憶えている音として、残っている。

だからこそ二年前のOTOTENでの“Hotel California”の音には、
こんな音……、と思うところがあったし、
そのころ聴く機会が続いたいくつかのリマスター盤での“Hotel California”にも、
こんな音……と思っていた。

そんなことがあったから、
身体が憶えている音を持っているオーディオマニアと、
持っていないオーディオマニアとがいるように、ここにきて考えるようになった。

身体が憶えている音を持つ持たないについて、
項を改めて書きたい。

Date: 10月 1st, 2020
Cate: ケーブル

結線というテーマ(その12)

アースは重要だ、という人はけっこういる。
そんな人のなかには、今回私が書いていることに否定的な人もいるかもしれない。

けれど一言でアースといっても、
リターンのためのアースとグラウンドとしてのアースはわけて考える必要があり、
すでに別項「サイズ考」で書いているので詳細は省略するが、
徹底して分離しなければならないアースと、
分離してはいけないアースとがある、ということだ。

知人宅の音は、驚くほど変った──、
とやった本人がいったところで、自画自賛としか受けとらない人がいるのはわかっている。

知人宅には数日後、オーディオ店の人が来ている。
その日もたまたま私もいた。

その人は、知人宅の音を知っている。
同じシステムの以前の音を聴いているわけで、
その日の音は、ケーブルのところ以外、何ひとつ変っていないにもかかわらず、
音の変化が大きかったから、「何をやったんですか」と知人に訊いていた。

そのくらいに、分離してはいけないアースを一本化することの音の変化は大きい。
audio wednesdayでも、一年以上、
メリディアンの218とマッキントッシュのMA7900との接続、
それ以前はMCD350とMA7900の接続は、
ここに書いている方法でやっている。

以前、audio wednesdayで鳴らしている音を宮﨑さんの音と思っている、
といわれたことがあり、即座に否定したことがある。

なぜかといえば、愛情をこめて鳴らしているわけではないからだ。
それでも一つだけ、私の音といえるところがあるとすれば、
それはセンター定位のリアリティである。

それはしっかりと音にあらわれているわけで、
常連のかた数人から、そのことについて訊かれたこともある。

Date: 10月 1st, 2020
Cate: ディスク/ブック

Hotel California(その6)

昨晩、友人のAさんとひさしぶり飲んでいた。
割と頻繁に会うのだけれど、今年はコロナ禍のせいで、八ヵ月ほど会うことはなかった。

二人とも1963年生れである。
音楽とオーディオが好き。
聴いてきた音楽は、けっこうな違いがあるけれど、
共通する音楽もあって、昨晩は“Hotel California”のことについて話していた。

発売当時、アナログディスクで聴いた音の印象と、
いま入手できるリマスター盤(CD、アナログディスクなど)の音の印象が違う──、
とAさんも私も感じている。

Aさんも私も“Hotel California”は、JBLの4343て聴いた音こそが、
このディスクのいわばリファレンス(基準)の音となっている。

“Hotel California”をカリフォルニア生れのスピーカーで聴く、
つまりカリフォルニアの空を思わせるような音で聴く、
これこそが“Hotel California”のほんとうの音だ、というのは、
いわばこじつけであって、もちろんJBL以外のスピーカーで聴いたっていい。

そうはいいながらも、Aさんも私も、“Hotel California”のあのころの音は、
もっと乾いていた、という記憶がある。

“Hotel California”と4343の組合せ。
その音がいまも記憶に残っている。
その音を基準にして、リマスター盤の音について語っている。

若い人たちからすれば、おじさん二人のノスタルジーな会話なのかもしれないが、
それでも二人で確認していたのは、
“Hotel California”と4343の組合せの音は、身体(からだ)が憶えている音なのだ。

Date: 9月 30th, 2020
Cate: ケーブル

結線というテーマ(その11)

バランス伝送の場合も同じである。
XLRプラグを開け、1番ピンの接続を片側だけ外す。
そしてアース線を用意して接続する。

一度知人宅で試したことがある。
知人宅のリスニングルームは広かった。

コントロールアンプをリスニングポイントの目の前に、
パワーアンプはスピーカーの中央に、という置き方だった。

コントロールアンプとパワーアンプ間はバランスケーブルで、
7mは優にこえていた、と記憶している。
上記のような最短距離での配線でも、これだけの長さが要るほどの広い空間だった。

ラインケーブルにおける左右チャンネルのアースの共通化(一本化)は、
ケーブルが長くなればなるほど効果的であることは理屈からいってもそうである。

それでも私が自分のシステムでやっていたときは部屋が狭いこともあって、
ケーブルが目につかないように部屋の端っこをはわせても、
せいぜいが3m程度であった。それでもはっきりと効果は聴きとれる。

それが倍以上の長さになると、どの程度の変化量となるのか。
その時知人が使っていたアンプはクレルだった。
おもしろいことにパワーアンプにもアース端子が備わっていた。

なので実験は、より簡単に行える。
知人にケーブルに手を加えることの了解を得て、
アース線には、一般的なスピーカーケーブル(太くない)を引き裂いて使った。

10分もかからずにできる。
そんな作業にも関らず、出てきた音の変化の大きさには、二人とも驚いた。
ケーブルの長さに比例して、というよりも、
二乗とまではいいすぎだろうが、それに近いのでは、と思うくらいの変化量だった。

1990年ごろの話で、いまほど高価すぎるケーブルはほとんどなかった時代だが、
知人が使っていたのは、当時としては高価な部類のケーブルであった。

つまり、どんなに高価なケーブルであっても、ここでやっていることは、
アースの明確化であって、それにはこういう方法をとる以外にない。

Date: 9月 29th, 2020
Cate: ケーブル

結線というテーマ(その10)

私がいたころのステレオサウンドの試聴室で使っていたラインケーブルは、
ほとんどが1.5mか2m程度の長さだった。

それ以上の長さのケーブルももちろんあったけれど、
実際に使う長さのケーブルといえば、上記の長さのものだった。

この程度の長さのラインケーブルでも、(その9)で書いていることが発生する。
ラインケーブルのシールドで、
コントロールアンプとパワーアンプのアースは接続されている。

どんな導体にも直流抵抗はあるわけで、
たとえ1.5m程度のケーブルであっても、わずかとはいえ直流抵抗は存在する。
それからインダクタンスもある。

とはいえ、コントロールアンプ側のアースとパワーアンプ側のアースとに、
どれだけの電位差が生じるというのだろうか。

それから左右のケーブル間には浮遊容量が存在する。
1.5mもしくは2mのケーブルの引き回しかたによっては、
二本のケーブルの距離が広いところと狭いところができる。

それによって浮遊容量は変化する。
それでも左右チャンネルのシールドの電位は同じ、といってよい。
同電位間では浮遊容量の影響はほぼない。

こんなふうに考えていっても、理屈に合わないほどの音の変化が確かにある。
ならば試してみるしかないわけで、
ラインケーブルのシールドを、片側だけ外す。

コントロールアンプ側を外すのか、
パワーアンプ側を外すのか。

それは別項「境界線」で書いているように、
それぞれのアンプの領域をどこまでと考えるかによって違ってくる。

私はコントロールアンプの領域は、出力に接がれるラインケーブルまで、
つまりパワーアンプの入力端子まで、と考えるので、
ここではパワーアンプ側のシールドを外すことになる。

RCAプラグを開けて、シールド側にハンダづけされているのを外すだけである。
もちろん、こうしてしまうと音は基本的には出ない。
ただし機器間の浮遊容量があるため、実際には音が鳴ることがある。

そしてラインケーブルの他にアース線を用意して、
コントロールアンプとパワーアンプを接ぐ。