Xというオーディオの本質(その3)
タイトルに「本質」を使っているからといって、
本質を捉えている、とまではいわない。
本質について書いている、とはいえても、
オーディオの本質とは、と問われて、スパッと答えられるわけではない。
巷には、若いのに、本質を忘れないようにしている、
そういったことを恥ずかしげもなく書いたり話したりする人が、意外にいる。
オーディオに限っても、(私の感覚では)けっこういるな、と感じている。
おそらく、その人たちは、私の何倍、いや何十倍ものオーディオの才能の持主なのか、
それともオーディオの才能から見放された人のどちらかだろう。
才能があるのは、決してしあわせなことではない。
むしろ、才能がないことのほうが、ずっとしあわせだったりする。
そのことに気づかずにオーディオをやっていける人は、しあわせだ。