Archive for category テーマ

Date: 4月 13th, 2021
Cate: 訃報

金井 稔氏のこと

いま書店に、ラジオ技術の5月号が並んでいる。
書店といっても、ほとんどの書店では取り扱われてはいない。
ほんとうに限られた書店にしか並んでいない。

けれど、意外な書店に置いてある。
東京駅周辺だと八重洲ブックセンターにある。

いま歯の治療で、八重洲にある八重洲南口歯科に毎週通っている。
なので八重洲ブックセンター、丸善に週一回寄っている。

今日も行っていた。
ちょうど5月号が発売になったばかりである。
内容は、ラジオ技術のツイートを見て知っていた。
毎月発売日の一週間ほど前になると、目次を公開している。

5月号は、こういう内容なのか、面白い記事があったら買おうかな、と思って手に取った。
パラパラとページをめくっていくと、目次にはない記事が目に飛び込んできた。

金井 稔氏の訃報だった。
金井氏のことは、何度か書いてきている。
五十嵐一郎は、金井氏のペンネームであり、
さらに青山六郎のペンネームで、アンプの自作記事も発表されていた。

二ヵ月前の3月号に、五十嵐一郎氏の「オーディオから得たこと、伝えたいこと」が載っていた。
このことは別項で書いている。

読んで、年に一回でいいから、また誌面に登場してくれないものか、とおもっていた。

Date: 4月 12th, 2021
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(韓国、中国は……・その11)

AliExpressでうかがえる中国のオーディオは雑多であるし、
もっといえば猥雑でもある。

その猥雑さに、懐しさだけでなく、活力のようなものを感じている。
のようなものではなくて、活力といっていいかもしれない。

この猥雑という活力が、日本のオーディオ界にもあった。
そして洗練され、日本のオーディオはピークを迎えた、といってもいいはずだ。

けれど洗練された、ということは淘汰された、ということでもある。
雑多(猥雑)なものが淘汰され、確かに洗練されていっだだろうが、
同時に活力も失われつつあったようにも、いまは感じている。

私が懐しさを感じるのは、私の中学時代を思い出して、ということもあるが、
あのころあった、そしていまのAliExpreddにみられる活力(活気)に対してなのだろう。

AliExpressにあるオーディオを、猥雑のひとことで拒否してしまうのは、
その雑多(猥雑)な世界を泳ぎきる活力がなくなっていることを認めたくないからではないのか。

Date: 4月 12th, 2021
Cate: High Resolution

MQAのこと、TIDALのこと(その11)

TIDALで音楽を聴くようになって、約五ヵ月。
ここにきて少し変ってきたのは、聴き較べをわりとやるようになってきたことだ。

クラシックを聴くということは、
同じ曲を、多くの演奏家で聴くということでもある。

世の中には、というか、日本にはグレン・グールドのピアノしか聴かない、という人がいる。
そんなスノッブな人は別として、クラシックを聴き続けてきている人は、
たとえばベートーヴェンのハ短調交響曲にかぎっても、
少ない人でも数枚は、多い人だと百枚を超えて所有し、聴いていることだろう。

フルトヴェングラー指揮のハ短調交響曲にかぎっても、
どの演奏(録音)がいいか、は昔からいわれつづけている。

クラシックを聴き始めたころは、
とにかく聴きたい曲、聴きたい演奏を充実させることが優先である。

偏った聴き方をする聴き手であっても、
ハ短調交響曲ばかり百枚ほどもっていて、
ほかの曲はまったく所有していない、という人は、いないと思う。

ふり返ってみると、私はあまり聴き較べをしてこなかった。
コレクションはそこそこあった。
聴き較べをしようと思えば、ある程度は可能だった。

それでもベートーヴェンのハ短調交響曲を聴きたい、と思ったら、
誰の演奏(録音)でなのかを決めてから、聴き始める。

聴き終って、別の誰かの演奏で、もう一度ハ短調交響曲ということは、
ほとんどしなかった。

ハ短調交響曲の新譜が出る。買ってくる。
初めて聴く演奏のあとに、
これまで聴いてきた別の誰かのハ短調交響曲を聴く、ということもほとんどしてこなかった。

私にとって、演奏の比較は、聴いた記憶のなかだけということが多い。
コレクションがアナログディスクから、CDがメインになってからでも、
そのことに変りはなかった。

ようするに、今日はハ短調交響曲を聴き較べるぞ、ということはなかった。
そんな私が、TIDALでは、よくやるようになった。

Date: 4月 11th, 2021
Cate: ディスク/ブック

クルレンツィスのベートーヴェン(その2)

カザルス/マールボロ音楽祭管弦楽団のベートーヴェンでは、
四楽章の途中で、指揮棒が譜面台に当る音がする。

クルレンツィスのベートーヴェンがそこのところにきたとき、
その音がしない、とおもってしまった。

するはずがないのに、そうおもってしまった。
これまでかなりの数のベートーヴェンの七番を聴いてきている。

一度も、そんなことをおもったことはなかった。
思うはずがないのに、今回はそうおもっていた。

カザルスとクルレンツィスは、ずいぶん対照的でもある。
まず年齢が大きく違うし、二人の体形もずいぶん違う。
オーケストラの成り立ちも違う。

カザルスのベートーヴェンとクルレンツィスのベートーヴェンは、
二人の体形の違いのようなところがある。

にもかかわらず、四楽章の途中でそんなことを感じていた。
なぜ、そんなふうに感じたのかはいまのところなんともいえないのだが、
ひとついえそうなことは、二人のベートーヴェンは自由である。

ここでの自由は、好き勝手やっているという意味では当然ない。
自分自身にとても率直である、という意味での自由である。

Date: 4月 10th, 2021
Cate: ディスク/ブック

クルレンツィスのベートーヴェン(その1)

数年前、あるところでクルレンツィス指揮のチャイコフスキーを聴いた。
チャイコフスキーはあまり聴かない。

クルレンツィスのチャイコフスキーが話題になっていたことは知っていたけれど、
積極的に聴こうとはしていなかった。
そこに聴く機会がおとずれた。

おもわずCDを買って帰ろうか、とした。
けれどハイレゾリューションで録音されているわけだから、
CDではなく、もっと優れた媒体で聴きたい、とおもったことがひとつと、
やっぱりチャイコフスキーだったこともある。

それでもクルレンツィスのチャイコフスキーは気になっていた。
とはいえ、このころはまだメリディアンの218は導入していなかったし、
SACDプレーヤーも持っていなかった。

そのクルレンツィスが、ベートーヴェンを録音しはじめた。
ベートーヴェン生誕250年の昨年、交響曲第五番が出た。
七番も秋に発売予定だったのが、コロナ禍の影響で発売延期。

つい先日、発売になった。
五番ももちろん聴いている。
正直なところ、五番にはちょっとがっかりしていた。

高く評価されていることは知っているが、
チャイコフスキーを聴いて、こちらが勝手に期待していたのと違っていただけのことであって、
悪い演奏というわけではない。

昨晩、ブログを書き終ってからクルレンツィスの七番を聴いた。
五番のときと違い、こちらの勝手な期待はもうなかった。

それがよかったのかどうかはなんともいえないが、
出だしから、ぐいっとクルレンツィスのベートーヴェンの世界に引き込まれてしまった。
この衝撃は、クルレンツィスのチャイコフスキー以上だった。

と同時に、なにか近いというふうにも感じ始めていた。
四楽章を聴いていて、カザルスに近い、と気づいた。

Date: 4月 9th, 2021
Cate: 真空管アンプ

現代真空管アンプ考(その31)

QUAD IIと同時代の真空管アンプ、
たとえばマランツのModel 5と比較してみたい。

比較といっても、その音を聴いてどちらかが優れているとか、
こんな音の特徴もっているとかいないとか、そんなことではなく、
現代真空管アンプ、それもオーディオマニアが自作できる範囲でのあり方を、
二つのアンプを比較して考えていきたい、というものである。

マランツの管球式パワーアンプは、
Model 2、Model 5、model 8(B)、Model 9がある。
Model 8(B)だけがステレオ仕様で、あとはモノーラル仕様である。

QUAD IIもモノーラルである。
QUAD IIの発表は1953年。
Model 2は1956年、Model 5は1958年である。

QUAD IIの出力管はKT66で、マランツはEL34である。
出力はQUAD IIが15W、Model 2が40W(UL接続)、Model 5が30W。

外形寸法は、QUAD IIがW32.1×H16.2×D11.9cm、
Model 2はW38.1×H16.5×D24.1cm、Model 5はW15.2×H18.7×D38.7cmで、
QUAD IIと比較するならばMODEL 5である。

マランツのModel 2、Model 5は、シャーシー構造がいわゆる片持ちといえる。
底板にゴム脚が四つあるが、これらはトランスの重量を支えるためといえる場所にある。

Model 2はシャーシー上後方にトランス(重量物)をまとめている。
手前に真空管が立っているわけだが、
この部分はトランスを支えるシャーシーにネジで固定されたサブシャーシーとなっている。

そして、このサブシャーシーの下部にゴム脚はない。

Model 5はサブシャーシーという構造はとっていないが、
真空管が立っている箇所の下部にゴム脚はない。

Model 8(B)、Model 9はオーソドックスな位置にゴム脚がついている。

Date: 4月 9th, 2021
Cate: ディスク/ブック
1 msg

アレクシス・ワイセンベルク(その2)

今回初めて知ったといえば、
ワイセンベルクと黒柳徹子の関係である。

まったく知らなかった。
(その1)へのコメントがfacebookにあり、
そんなことがあった? とGoogleで検索。

けっこうな数が表示されたということは、割と知られたことだったのか、とまた驚き。

ワイセンベルクと黒柳徹子の関係について書いている人のなかには、
クラシックにそう詳しくない人もいるように感じた。
そういう人でも知っていたことを、私はまったく知らなかった。

つまり、そのくらいワイセンベルクに、ついこのあいだまでほとんど関心をもっていなかった。

ワイセンベルクの録音で、まず浮ぶのはカラヤンとの協演、
それからアンネ=ゾフィー・ムターとの協演である。

ワイセンベルクのソロの録音が浮ぶことは、つい先日までなかった。
それがいまやTIDALで、おもにワイセンベルクのソロの録音を集中的に聴いている。

私のなかにあるワイセンベルクのイメージは、
カラヤンとの協演によってつくられている、といっていい。

だから、よけいにソロを聴いて驚いている。
ハイドン、バッハを、今回初めて聴いて驚いている。

こんなストイックな表現をする人だったのか、と驚いている。

Date: 4月 8th, 2021
Cate: ディスク/ブック

アレクシス・ワイセンベルク(その1)

ここ数日、TIDALで集中的に聴いているのが、アレクシス・ワイセンベルクである。
これまでワイセンベルクの録音は、ほとんど聴いてこなかった、といっていい。

もちろんゼロではない。
それでも好きな演奏家の録音を聴いてきた回数からすれば、ゼロに近いといっていい。
なぜ聴かなかったかというと、カラヤンと協演しているピアニスト、
その印象が強かったからだ。

「五味オーディオ教室」の影響が大きすぎる私にとって、
カラヤンの評価も、五味先生の影響が大きい。

アンチ・カラヤンというわけではないが、
カラヤンの録音で積極的に聴いているのは、
五味先生も絶賛されていた初期のころと、
それから五味先生が聴かれていない最晩年のころの演奏(録音)である。

ワイセンベルクは、私があまり聴いてこなかった時代のカラヤンとの協演が多い。
それに、なんとなくだが、正確に演奏する人というイメージが、
決していい方向ではなく、どちらかといえばネガティヴなほうに働いてもいた。

嫌いでもない(それほど聴いていないのだから)。
好きでもない。

なのに、ここ数日は聴いている。
TIDALがあるから、聴いている。

聴くきっかけは、グレン・グールドの言葉をふと思い出したからだった。
グールドは、ワイセンベルクは、どんな曲でも聴く気にさせる、
そんなことをいっていたからだ。

それもずいぶん前に読んでいた。
そのときに、ちょっとだけワイセンベルクを聴いてみようかな、と思いもした。
けれど、他に聴きたいディスクを優先しすぎて、
誰かとの協演して録音で聴くぐらいだった。

いまは違う。
TIDALで、かなりの録音を聴ける。
ワイセンベルクのソロも聴ける。

聴いて、グールドのいっているとおりだ、と思っていた。

今回はじめて知ったのだが、
ワイセンベルクはパーキンソン病を患っていた。

Date: 4月 8th, 2021
Cate: 「ルードウィヒ・B」

「ルードウィヒ・B」(ジャズ喫茶の描写・その3)

「美味しんぼ」というマンガがあった。

マンガにあまり関心のない人でも、かなりヒットしたマンガだけに、
どこかで目にしてたり、読んだことはなくても、
「美味しんぼ」というマンガがあったということは知っていよう。

「美味しんぼ」にも、ジャズ喫茶が登場する回がある。
「SALT PEANUTS」という回がそうだ。

地下にあるジャズ喫茶で、スピーカーはJBLの4350。
Aではなく、ウーファーのコーン紙が白い4350である。

注目したいのは、ジャズ喫茶の描写ではなく、
セリフに「レコード演奏」が出てくることだ。

「美味しんぼ」は1983年から連載がスタート。
「SALT PEANUTS」の回は1986年ぐらいだ。

菅野先生が「レコード演奏家論」をステレオサウンドに発表されるよりも、
かなり前である。

レコード演奏という表現は、「美味しんぼ」が最初ではない。
菅野先生も瀬川先生も、レコード演奏、レコードを演奏する、という表現を、
1970年代から使われていた。

とはいえ、オーディオ雑誌ではないところで、「レコード演奏」が登場したのは、
おそらく「美味しんぼ」が最初ではないだろうか。

Date: 4月 7th, 2021
Cate: Noise Control/Noise Design

CR方法(その19)

私が使っているヘッドフォンは、在庫処分だったのか、
定価の半額に近い値段で、一時期売られていた。
いまはその値段は買えなくなっている。

この値段ならば、と思い、密閉型にもかかわらず買った。
密閉型のヘッドフォンは、あまり好まない。

でも、この値段ならば、一度くらいは密閉型もいいかな、と思っての購入だった。
それに聴いてみたいブランドでもあった。

今回CR方法をヘッドフォンでもやってみて、やっぱり開放型だな、と思っている。

開放型ヘッドフォンは、いま持っていないので試していないのだが、
密閉型よりは、ハウジング内部に部品をおさめることのデメリットは軽減されるはずだ。
開放型ヘッドフォンのほうが、CR方法による音の変化は、よりはっきりと良さが出ると思う。

とはいえCR方法をやってよかった、と思っている。
別項で書いているように、ヘッドフォンで聴くのは iPhone 12 ProとFC3の組合せで、
TIDALで夜遅く場合である。

ヘッドフォンをもっといいのにすれば、もう少しいい音で聴けるようになるだろうが、
そうするとFC3ではもの足りなくなるだろう。
そこで、FC3を別のD/Aコンバーターに買い替えると、次はまたヘッドフォン……、
ということになりかねない、というか、ほぼそうなる。

ほどほどにバランスがいまのところとれているから、
この状態のまま音を良くしていくのもCR方法はぴったりである。

ヘッドフォンでCR方法をやるのであれば、
ケーブルが両出しのモデルがいいはずだ。
ハウジング内部に部品をおさめずに、ケーブルのヘッドフォン側、ぎりぎりのところにつける。

けれど、これだとCR方法をやっていることが視覚的にもバレる。
誰かに見せるわけではない。
それでも、というよりも、むしろそれだからこそ、CR方法をやっていることを、
わからないようにしたい。

このへんは人の考えはそれぞれだろうから、音を最優先しての取り付けもいいが、
私は今回のことがあっても、次回もハウジング内部におさめる。

Date: 4月 7th, 2021
Cate: Noise Control/Noise Design

CR方法(その18)

抵抗、コンデンサーをハウジング内部に収めるには、
イヤーパッドを取り外さなければならない。

どうやるのかはヘッドフォンによって違う。
取り外し方に迷った。
迷ったときは、Googleで検索。
ヘッドフォンのブランド名、型番につづけて“replacement ear pads”と入力すれば、
すぐにやり方はわかる。

すべてのヘッドフォンのやり方がわかるかどうかまでは調べていないが、
試しにいくつかやってみたら、すべてヒットした。

動画をみてやってみると、簡単に外せた。
内部をみると、メーカーがどこにお金をかけているかがよくわかる。

私が使っているのは三万数千円ほどの普及クラスのヘッドフォンだが、
外からみえるところは、うまく作られていると感じていたが、
ハウジング内部のつくりは、イヤーパッドを外さないとみえないわけだから、
この程度なのか、という印象である。

ハウジング内部に、なんとかDALEの無誘導巻線抵抗とディップマイカコンデンサーはおさまる。
作業はすんなり終了。
イヤーパッドを取り付けて元に戻す。

どれだけ音に変化があるのか。
これまでスピーカーでは何度も試しているから、
この程度の音は変化はあるだろうと、予想はしていた。

その一方で、密閉された狭い空間に部品をおさめているだけに、
アルテックのドライバーでのことがすでにあったから、
そのことがどれだけ影響するのかは、わからないところもあった。

結果は、やっぱり効果はあった。
けれど内部にいれたことによってだろう、
音の変化が予想していたよりも小さくも感じていた。

Date: 4月 6th, 2021
Cate: 新製品

JBL SA750(その4)

昨晩は男五人の飲み会だった。
どこかの飲食店でではなく、とある事務所でだった。

大きなテーブルに酒とツマミ。
男五人が、いつのまにか二人と三人にわかれて、
二人のほうは金融関係のまじめな話を、
三人(私はこちら)のほうは、あれこれいろんなことに話題が飛ぶ内容だった。

この事務所には、オーディオのシステムがある。
特に凝ったシステムではないが、あると、やはりいいものだ。
アンプを買い替えたい、ということだった。

それからネットワークオーディオもやってみたいということだった。
でもオーディオにはまったく詳しくない、という。

アンプの置き場所は、A級アンプや真空管アンプなど、
発熱の多いモノは向かない。

そうやっていくつかの条件を満たすモノはなにかと考えていたら、
JBLのSA750が好適なアンプにおもえてきた。

G級動作で、おそらく出力の割に発熱は少ないはずだ。
それにMQA対応のD/Aコンバーターも搭載している。

価格も3,000ドルらしいから、
なんらかのD/Aコンバーターとプリメインアンプを買うよりも予算は抑えられる。

問題は、SA750のデザインを気に入ってもらえるかだ。
意外にも、というよりも、当然なのかもしれない、と今回考えを改め直した。
SA750に対して、かなり好印象のようだった。

その人はSA600のことはまったく知らない。
SA750だけを見ての印象である。

SA750のデザインについて、あれこれいっている人は、
私を含めて、SA600に思い入れがあるからだ。
それゆえに、ついSA600とSA750を比較する。

Date: 4月 6th, 2021
Cate: 映画

シン・エヴァンゲリオン劇場版:||(その1)

今年最初の映画館での映画は「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」だった。
平日の昼間、さほど混んでいなかった。

映画の出来、内容については人それぞれで賛否あったり、好き嫌いもあるようだ。
でも観ていると、これだけ時間をふくめて心血注いでつくられた作品は、
そう多くないと思っていた。

これだけだったら、ここでは書かないのだが、
「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」も、「願い」だった。

昨年12月にみた「ワンダーウーマン1984」もそうだった。
願いの成就には、高い代償をともなう。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」では、「願いと報い」だった。

昨年最後に観た映画と今年最初に観た映画で、
「願いと報い」である。

Date: 4月 5th, 2021
Cate: Noise Control/Noise Design

CR方法(その17)

手持ちのヘッドフォンに試そう、とは前から考えていた。
すでにボイスコイルの直流抵抗は測定し、
必要な抵抗とコンデンサーは購入していた。

なのに迷っていたのは、どこにこれらの部品をとりつけるかである。

私が使っているヘッドフォンは左チャンネルからの片出しである。
左チャンネルに関しては、ケーブルの根元に取り付ければいいが、
右チャンネルとなるとヘッドバンドを経由する分だけ、
ボイスコイルとコンデンサーと抵抗の距離が増えることになる。

CR方法を実行することによる音の変化のほうが大きいであろうから、
それは些細な差なのかもしれない──と自分に言い聞かせても、
やっぱり精神衛生上しっくりこない。

それにどうしても部品の大きさの分だけ、ケーブルがふくれてしまう。
いかにもCR方法をやっています、とアピールする外観になってしまうのもイヤだった。

となるとイヤーパッドを取り外して、ハウジング内部におさめるしかない。
とはいえ、喫茶茶会記のアルテックのドライバーで同じことをすでにやっている。

それまでドライバーの端子に取り付けていた部品を、
バックカバーを外して内部に収めた。

内部にしてしまうことによるデメリットも小さくないとやる前から思っていたけれど、
以前書いているように、喫茶茶会記で演劇をやる人たちのスピーカーの扱いがひどい。
なので、通常はCR方法は外した状態で、audio wednesdayの時だけ取り付けていた。

そのままでもよかったのだが、通常の状態でもCR方法の音で聴いてもらいたいわけで、
そのためにもドライバー内部に収めたわけだ。

それまで使っていた部品をそのまま内部に収めた。
音は予想通り、芳しくない面も出てくる。
それでもないのに比べれば、ずっといい。

このことがあったからヘッドフォンのハウジング内部に部品を収めるのは、
二の足を踏んでいた。

Date: 4月 4th, 2021
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その66)

オーディオの想像力の欠如のままでは、
High Fidelity ReproductionとHigh Fidelity Play backとを、
一緒くたに考えてしまうのかもしれない。