Archive for category テーマ

Date: 7月 6th, 2021
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(取り残されてきているのか・その4)

1月に発表され販売されていたHiByのFC3が、
半年経って、ようやく日本の輸入元、飯田ピアノが扱う、と発表になった。

特殊な製品で製品サポートに難しい面があるというのであれば、
体制が整うまで取り扱いを先延ばしにするというのならばわかるが、
FC3はそういう類の製品ではない。

なのに、どうして半年も、取り扱いを始めるのにかかったのだろうか。
私を含めて、欲しいと思った人は、すでに海外のストアから購入している、と思う。

それに今回の発表をみると、
付属するケーブルはUSB-C to USB-CとUSB-A to USB-Cである。

私が購入したサイトでは、オプションで、Lightning to USB-Cケーブルを選べた。
iPhoneユーザーにとっては、Lightning to USB-Cケーブルは便利である。

日本はきめ細かなサービスを得意とする、といわれたのは、ずいぶん昔のこと。
いまのところ、飯田ピアノのサイトをみるかぎり、
Lightning to USB-Cケーブルは用意されていないようである。

中国のストアでは、発売開始から用意されていたものが、
日本の輸入元ではない。

輸入元のサポートを必要としない製品ならば、どちらから買うのか。

Date: 7月 6th, 2021
Cate: VUメーター

VUメーターのこと(その24)

マランツのModel 510Mは、ここ十年、オーディオ店で中古を見かけることはなくなった。
たまたま私が出会っていないだけで中古として流通しているのかもしれないが、
1990年代には、オーディオ店で中古を見かけることが何度かあった。

ステレオサウンドでリファレンスとして使われていたし、
510Mが現役だったころのステレオサウンドが行っていた読者の選ぶベストバイでも、
510Mは上位にランクされていた。

人気があったモデルだから、中古が出てくるわけでもある。

それでも私がみかけた510は、510MかP510Mのどちらかだった。
メーター無しの510は一度も見かけたことがない。

510と510Mの価格差は五万円。
この時代、メーターの有無による音の違いがあるとは、
少なくともオーディオ雑誌で見かけたことはない。

となると、このクラスのモデルを購入する人にとって、
510Mという選択だったのだろうか。

510にはメーターがないので、メーターの感度切り替えのツマミがない。
510Mには、フロントパネル下側に四つのツマミがあるが、
510は二つだけである。

これ以外にも細かな違いがいくつあって、
写真で見較べると、510Mのほうに魅力を感じる。

メーター無しの510は、あまり売れなかったのか。

おそらくだが、510と510Mを比較試聴すれば、510のほうが音はいいであろう。
それでも510と510Mを直接比較すれば、そうであっても、
510Mを選択した人は、他社製とのアンプの比較はやったであろうが、
510との比較試聴は、ほとんどの人がやっていないはずだ。

SAEのMark 2500もメーターがないほうが音はいいに決っている。
それでもメーター無しのMark 2500を想像すると、
この精悍なパネルフェイスは得られない、と思う。

Date: 7月 5th, 2021
Cate: VUメーター

VUメーターのこと(その23)

SAEのMark 2500と同時期のパワーアンプに、
マランツのModel 510Mがあった。

1970年代後半のステレオサウンドのリファレンス・パワーアンプでもあった。

ステレオサウンド 43号の特集ベストバイで、
井上先生は《標準アンプ的に使えるマランツの伝統をもつ音は信頼度が高い》、
瀬川先生は《いわゆる音のクセというほどの色づけは感じられず、音質評価の基準として使うことができる》、
と評価されている。

510M(525,000円)には、メーターがついていた。
その510Mには、メーターを省いたModel 510(475,000円)があり、
完成後の測定で、特に優れた個体をピックアップして、
8mm厚の19インチ・ラックマウントのパネル仕様のModel P510M(565,000円)もあった。

この三つの仕様の510の音は、それぞれどう違っていたのだろうか。

510MとP510Mの違いについては、
1978年発行の「世界のコントロールアンプとパワーアンプ」のなかで、
井上先生は《リファレンス用の♯510Mよりも余裕のあるスケール感タップリの音であり、ソリッドさ、タイトさの面では不足気味かもしれない》、
瀬川先生は《そのほんのわずかな違いを拡大していえば、510Mにくらべてこちらの方がいくつか反応がおっとりしている》、
こんなふうに表現されている。

P510MのPはprofessionalの頭文字である。
だから19インチ・ラックマウントパネル仕様なのだ。

セレクト品だからの音の違いもあるだろうが、
8mm厚のフロントパネルの違いも、違いの要因として無視できないはずだ。

510Mのフロントパネルの厚みがどれだけなのかは、はっきりとしないが、
P510Mが、わざわざ8mm厚と謳っていることからも、8mmよりも薄いはずだ。

しかもフロントパネルの横幅が違う。
510Mの横幅は39.0cm、P510Mは48.3cm。
厚みも違うのだから、重量も違うわけだ。
それにラックハンドルもついているから筐体の違いは無視できない。

私が510MとP510M以上に、その音の違いがどれだけなのか知りたいのは、
510Mと510(メーターの有無)の違いである。

Date: 7月 4th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(2500とA68のこと)

SAEのMark 2500と同時期に、
瀬川先生が愛用されていたパワーアンプに、スチューダーのA68がある。

A68はプロ用のパワーアンプのため、
コンシューマー用とは、かなり違う構成となっている。

ブロックダイアグラムをみると、
まずAFフィルター(コイルとコンデンサーで構成)がある。
そのあとに、1:1のトランス、レベルコントロール、
それからゲイン14dBのプリアンプ部、カットオフ周波数50kHzのローパスフィルター、
これらの回路が、いわゆる通常のパワーアンプ部の前段にある。

パワーアンプ部の電圧増幅部のゲインは21dB、
出力段はトランジスターの3パラレル・プッシュプルとなっている。

A68もまた、FETを使っていない。
プリアンプ部もパワーアンプ部も能動素子はトランジスターのみで、
定電圧電源も、その点は同じである。

EMTのプレーヤー搭載のイコライザーアンプの155stも、
すでに書いているように、FETは使っていない。
Mark 2500もそうであり、A68もである。

FETを使っていないアンプを愛用されていたことは、単なる偶然であろう。
FETを使っていないアンプを探しての選択ではないことはわかっている。

それでも、このことは素通りできない事実であるように感じている。

Date: 7月 3rd, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(2500とAMPZiLLAシリーズのこと)

SAEのmark 2500とMark 2600の回路図を比較すると、
抵抗やコンデンサー、電圧などの値が回路図に入ってなければ、
まったく同じである。

これまで書いてきたように、2500と2600の基本回路の設計は、
ジェームズ・ボンジョルノであり、
Mark 2500と同時期に、GASを設立し、AMPZiLLAを出している。

AMPZiLLAは、いうまでもなくボンジョルノの設計である。
基本設計とことわることなく、彼のアンプである。

兄弟といっていいほど、Mark 2500とAMPZiLLAシリーズは似ているし、
違うところもいくつかある。

入力コンデンサーに関してもそうである。
どちらのアンプも、入力には電解コンデンサーが入っている。

Mark 2500では100μFの電解コンデンサーが使われている。
電圧増幅回路は、いわゆる上下対称回路と呼ばれているもので、
入力信号は、プラス側のトランジスターとマイナス側のトランジスターの入力へと、
分岐している。

それぞれの入力に電解コンデンサーが入るわけだが、
電解コンデンサーの向きが、プラス側とマイナス側とでは違う。

プラス側のコンデンサーは+端子が入力側で、
マイナス側のコンデンサーの+端子はトランジスター側となっている。

AMPZiLLAでは、ここに関しては同じなのだが、
AMPZiLLA IIからは変ってきている。

220μFの電解コンデンサーを二つ直列接続している。
そしてこのコンデンサーの出力から分岐して、
プラス側とマイナス側のトランジスターへと接続されている。

SUMOのThe Power、The Goldでも電解コンデンサーがあって、
AMPZiLLA IIと同じ使い方がされている。

ちなみにSAEのXシリーズでも、この電解コンデンサーはある。
使い方はMark 2500、AMPZiLLAと同じなのだが、容量が47μFと約半分になっている。

Date: 7月 2nd, 2021
Cate: 再生音

ゴジラとオーディオ(その8)

半年以上公開が遅れた「ゴジラvsコング」が、
やっと今日(7月2日)公開を迎えた。

さっそく観てきた。

2005年に公開されたピーター・ジャクソン監督の「キング・コング」を観た時に、
CGでつくれない映像はなくなった、と感じていた。

どんな映像でもつくれるようになったから、どんな映像をつくりだしたいのかが、
これまで以上に重要になってくる、とも感じていた。

「ゴジラvsコング」を観ていても、同じことを考えていた。
2005年から十年以上が経っているから、技術はさらに進んでいる。

もうCGの技術に驚くことはなくなりつつある。

日本の「ゴジラ」は着ぐるみゴジラであり、
アメリカの「ゴジラ」はCGIゴジラである。

着ぐるみゴジラをミニチュアの街を壊していく。
着ぐるみゴジラと着ぐるみ怪獣とが戦う。
それが日本の「ゴジラ」映画であり、私が子供のころに観た「ゴジラ」シリーズだ。

本編が始まる前に、アメリカから始まった特撮の技術、
それに刺戟された日本の映画人たちが独自の特撮を生み出して、
「ゴジラ」を撮影した、という短い映像が流れた。

この短篇(サントリーの缶コーヒー、BOSSのコマーシャル)があったから、
よけいにあれこれ思ってしまったし、
ここでもSAEのMark 2500に関することを思っていた。

Mark 2500は1975年に登場したアンプで、
筐体は、曲げ加工を施したアルミニウムで構成されている。

Mark 2500と同時代のパワーアンプで、1976年時点で、
価格的に同じか超えていたアンプとなると、
アルテックの9440A(691,000円)、オーディオ・リサーチのD150(1,280,000円)、
マッキントッシュのMC2300(858,000円)くらいしかなかった。

いまでは650,000円のパワーアンプは最高級機とは呼べなくなっているが、
四十年以上前は、そうではなかった。

当時の最高級機といえたMark 2500と、
現在の最高級機といえるパワーアンプの筐体のつくりを、
「ゴジラvsコング」を観ながら比較していた。

Date: 7月 2nd, 2021
Cate: 世代

世代とオーディオ(ある記事を読んで)

ソーシャルメディアを眺めていたら、
facebookでもtwitterでも、フォローしている人数人が、
ある記事をシェアして、感想を述べていたのが目に入ってきた。

記事のタイトルは、
「オンキヨーの衰退、“経営陣だけ”を責められないワケ 特異すぎる日本のオーディオ市場」
本田雅一氏が書かれている。

良記事だ、という人もいたし、そうでもないという人もいた。
私の感想は控えておくが、一箇所だけひっかかった。

記事には、こうある。
《従って、多くの人の心に残っているオンキヨーは大朏家が経営していた頃と重なっている。》

記事にもあるが、大朏直人氏が1993年に、個人でオンキヨーを買収している。
つまり本田雅一氏にとって、
そして本田雅一氏がいうところの「多くの人」の心に残っているオンキヨーは、
1993年以降のオンキヨーということになる。

このところを読んで、本田雅一氏は、私よりも一回り以上若い方なんだ、と思ってしまった。
本田雅一氏の名前は何度か目にしたことはあるが、
書かれたものを読んだことはなかったし、どういう経歴の人なのかもまったく知らなかった。

なので、
《従って、多くの人の心に残っているオンキヨーは大朏家が経営していた頃と重なっている》
のところだけで、私よりも若いと勝手に思ってしまった。

けれど検索してみると、1967年生れとあった。
私より四つ若い人。まあ、同世代と呼んでもかまわないだろう。

だからこそ、よけいに、
《従って、多くの人の心に残っているオンキヨーは大朏家が経営していた頃と重なっている》
のところがひっかかった。

私にとってのオンキヨーというオーディオメーカーは、
1980年代まで、といっていい。
それ以降の製品も知っているし、いくつか聴いてはいるけれど、
心に残るではなく、記憶に残っている製品ということでは、
1980年代までのオンキヨーである。

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオブランド172」でソニーについて、
井上先生が書かれたことを引用しておく。
     *
 とかく趣味の世界には、実際に使ったことがなくても、本やカタログなどを詳細に調べ、同好の士と夜を徹して語り明かし、ユーザー以上に製品のことを熟知しているという趣味人も多い。それはそれでよいのだろうが、オーディオ、カメラ、時計など、物を通じて楽しむ趣味の場合には、対象となる製品は基本的に人間が人間のために作った優れた工業製品であるべきだと考えるため、最初に巡り合った製品が、そのメーカーやブランドの価値を決定することになるようだ。
     *
井上先生の、この文章を思い出していた。

《最初に巡り合った製品が、そのメーカーやブランドの価値を決定》するところは、
オーディオには、はっきりとある。

本田雅一氏が、最初に巡り合ったオンキヨーの製品は、
私が最初に巡り合ったオンキヨーの製品とは、違うことだろう。
製品が違うだけでなく、時代も違うのだろう。

Date: 7月 2nd, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(2500と2600の関係・その3)

Mark 2500の出力段にかかる電圧は95V、
Mark 2600は105Vである。

パワートランジスターとヒートシンクは、振動源と音叉の関係に近い。
トランジスターを流れる電流で振動を発生する。
この振動がヒートシンクのフィンに伝わっていく。

だからパワーアンプ(ヒートシンクのつくり、取り付け方)によっては、
パワーアンプの出力に抵抗負荷を接ぐ、入力信号をいれ、ヒートシンクに耳を近づければ、
音楽が、かなり盛大に聞こえてくることもある。

その聞こえ方も、アンプの構造によって違ってくる。
それゆえにヒートシンクの扱いは、パワーアンプの音質を大きく左右するともいえる。

このことを、高校生の私は知らなかった。
このことを知ったうえで、2500と2600を比較すると、
トランジスターにかかる電圧が若干高くなったことでトランジスターの振動は、
多少ではあるだろうが、2500の95Vのときよりも増えているはずだ。

振動源であるパワートランジスター。
その振動が変化するということは、ヒートシンク(音叉)との関係にも変化がある。

2500と2600の筐体構造は共通である。
ヒートシンクも写真でみるかぎりは共通している。

パワートランジスターとヒートシンクの振動源と音叉の関係を理解したうえで、
2500と2600の音の違いを考えれば、このへんが影響してのことのはず、といえる。

Date: 7月 2nd, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(2500と2600の関係・その2)

SAEのMark 2500とMark 2600の違いは、
回路図で比較する限りでは、電源電圧の違いと、
それと関係して電解コンデンサーの耐圧が増え、容量が少し減ったことぐらいである。

インターケットで検索して見ることができる写真を比較しても、
少なくともRFエンタープライゼス輸入の2500と2600に関しては、
これといった違いが見つけられない。

もっとも実物を手に入れてじっくりと比較すれば、いくつか違いはあるのだろうが、
ほとんどないに等しい、といってもいい。

この時代の海外製のオーディオ機器は、
ロットによって使用されている部品に違いがあることは、
けっこうざらにあって、ある特定のロットで比較して違いがあったからといっても、
違うロットではどうなっているのかは、なんともいえない。

三洋電機貿易になってからのMark 2600は電源トランスがトロイダル型になっているし、
使用トランジスターにも、はっきりとした違いがある。

(その4)で、Mark 2600は、日本に製造を委託した、というコメントがあった。
RFエンタープライゼスは、SAEが拡張路線をとることに反対し、取り扱いをやめている。

なので日本で製造ということもあったのかもしれない。
それでもRFエンタープライゼス扱いのMark 2600はアメリカ製造だと私は思っている。

なので、ここでの2500と2600の違いに関して、
あくまでもRFエンタープライゼス取り扱いのモノについて、である。

瀬川先生は、「世界のコントロールアンプとパワーアンプ」での試聴記で、
《♯2500にくらべると、低域がややひきしまり、中〜高域の音色がわずかに冷たく硬質な肌ざわりになったところが、多少の相違点といえる》
と書かれている。

このわずかな違いは、なぜなのか。
当時は、その理由がはっきりとはわからなかった。

Date: 6月 30th, 2021
Cate: 数字

300(その12)

いまではD級アンプの進歩が著しいこともあって、
300Wという出力も、小型で軽量でも得られるようになってきたし、
そういうD級アンプと接してきている人にとっては、
300Wという数字は、大出力という感覚もなく受けとっているのだろうか。

私は、SAEのMark 2500の実物をみたときに、
300Wという大出力を、安定に実現するには、これだけの規模が必要なのか──、
そんなふうに思いながら眺めていたものだった。

同じく300W出力のマッキントッシュのMC2300も規模としてはMark 2500より上だったが、
実物と接したのは、私の場合はMark 2500が先だった。

300Wという出力が家庭で音楽を聴く上で必要なのか、という議論は、当時からあった。
それに対する答としていわれていたのが、
300Wという出力を安定に実現するために、そのアンプに投入された物量と技術、
それが音質に寄与している、というのがあった。

コンストラクションにおいてもそうである。
大容量の電源トランスはずっしりと重たい。
出力の大きさに見合ったヒートシンクも必要となる。

つまり重量級アンプとなるわけで、
そういうアンプを開発するということは、
輸送時のことも配慮しての設計・製造ということにもなってくる。

ようするに、しっかりとした構造のアンプとして仕上がることが、
まじめにつくられた大出力アンプに共通していえることだった。

そのことは当時からオーディオ雑誌に載っていることだった。
そのことに対して、こんなことをいう人もいた。

使っているスピーカーの耐入力が小さいから、
そしてスピーカーを壊したくないから、耐入力以上の出力のアンプは要らない、
というか、使いたくない、と。

スピーカーを大事にしたい気持はわかるが、
耐入力未満の出力のアンプを使えば安心と考えるのは、間違っている。

そのことも私がオーディオに関心をもち始めたころ、
すでに指摘されていたにもかかわらず、ソーシャルメディアを眺めていると、
いまでもそう考えている人がいる。

Date: 6月 29th, 2021
Cate: 数字

300(その11)

ステレオサウンドで働いていたときは、もっと大出力のアンプを聴く機会は、
何度となくあった。
500W、600Wが、特に際立った出力の大きさとは感じなくなっていた。

私がいたころは1kWを超えるアンプはなかった。
そのころ聴いていれば、これが1kWのアンプか、と思ったりしただろうが。

1980年代は300Wの出力は、もちろん大出力ではあったけれど、
特別な数字ではなくなりつつあった時代だ。

ふりかえってみると、私が自分で鳴らしてきたアンプで、
もっとも出力が大きかったのは、SUMOのThe Goldの125W+125Wだった。

The GoldはA級動作ゆえの125Wであって、
同規模でAB級動作のThe Powerは、400W+400Wだった。

規模的・物量的には300W超えといえる内容のアンプであったといえても、
実際の出力は125W+125Wである。

今回、私のところにやって来たSAEのMark 2500の300W+300Wが、
最高出力のアンプとなる。

300Wという出力の本領発揮といえるほどの出力を出せる環境なのかといえば、
決してそうではない。

以前から、アンプの出力はどれほど必要なのか、という論争がある。
100Wですら大きすぎる。10Wの程度の良質な出力のアンプがあればいい、という意見もあれば、
質が低下しなければパワーは大きいほどいい、という意見もある。

オーディオ・コンポーネントにおけるパワーアンプは、心臓といえる。
心臓から繰り出されるのは、いわばパルスである。
パワーアンプにおける(出力というより)パワーの違いは、
この心臓の力強さの違いともいえる。

10W程度の出力でことたりる、という人のなかには、
100dB/W/m以上の高効率のスピーカーを鳴らされている人もいるわけで、
確かにそういう人にとって、数百Wの出力は無用の長物だろうが、
そうでないスピーカーを鳴らしていて、そんな出力は……、といっている人のどれだけが、
ほんとうの意味でのハイパワーアンプが鳴らす音とエネルギーを体験しているのだろうか。

Date: 6月 28th, 2021
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その26)

使いこなしとは、
目の前にオーディオ・コンポーネントから、
少なくとも、その時は最上の音だ、と思えるくらいの音を抽き出すことであって、
ここで書いているようなことを考える必要はない──、
それでもいいと思いながらも、
私自身は、これまで書いてきているように、
オーディオには三つのingがあり、
セッティング(setting)、チューニング(tuning)、エージング(aging)であり、
この三つのingをごっちゃにすることなく、
常にその境界を意識していくことが、いつかは訪れる。

そう考えている。

さらにこの三つのing、
統合点(combining)と分岐点(dividing)、それに濾過(filtering)、
もうひとつの三つのingが、通奏低音のように、そこに加わる。

Date: 6月 28th, 2021
Cate: 欲する

偶然は続く(その4)

SAEのMark 2500は、何度かヤフオク!に出ているのは見てきている。
頻繁に出品されるわけではないし、こまめにチェックしているわけでもないが、
一年に一回程度は出品されているようだ。

これまでの何度かは入札することなく終っていた。
今年は、違った。

2021年だから、というのも理由の一つだ。
1981年から四十年だからだ。

Date: 6月 27th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(その12)

そんな妄想の源は、そうやって手を加えたMark 2500を、
瀬川先生に聴いてもらいたい、という気持である。

程度のいいMark 2500を手に入れて、
やれるかぎりの手を、そこに加えていく。

そうやってML2を超える透明感をもつMark 2500に仕上がったとして、
瀬川先生に聴いてもらうことはかなわない。

自己満足でしかない。
それでも、今回、実現しようとおもった。

Date: 6月 27th, 2021
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(その11)

「世界のコントロールアンプとパワーアンプ」(ステレオサウンド1978年春別冊)、
SAEのMark 2600の瀬川先生の試聴記が載っている。
     *
 音の透明感と表現力のずば抜けて優れたアンプだと思う。透明感という点でこれに勝るのは、マーク・レビンソンのML2Lぐらいのものだから、SAE♯2600はその点でわずかに負けても、どこか凄みのある底力を感じさせるダイナミックなスケール感と音の肉づきのよさで勝る。旧モデルの♯2500も含めて、低音の量感がこれほどよく出るパワーアンプは少ないし、ハイパワーでいながら高域のキメの細かいこと、ことに音量をどこまで絞っても音像がボケず、濁りもないこと、まさに現代の最上級のパワーアンプだろう。♯2500にくらべると、低域がややひきしまり、中〜高域の音色がわずかに冷たく硬質な肌ざわりになったところが、多少の相違点といえる。
     *
この時点で、Mark 2600は、マークレビンソンのML2の半額よりも少し安かった。
ML2も、このころの私にとっては憧れのパワーアンプの一つだったが、
いかんせん高すぎた。

Mark 2500(2600)も手が届かない存在だったのだが、
ML2はさらにその上にいた存在だった。

それでも音は、その実力は、価格ほどの違いはないんだな、と、
瀬川先生の試聴記を何度も読み返して、納得しようとしていた。

Mark 2500(2600)には、ML2よりも優る点があるということ。
これは当時の私にとっても、とても大事なことだった。

ならば、Mark 2500を手に入れたとしよう。
それに手を加えたら、ML2の透明感にそうとう近づけるのではないのか。

そのためにはどうやったらいいのかは、当時の私にわかっていたわけではないが、
それでも、なんとなく手を加えれば、それも適切にやれば、ML2よりもよくなる──、
そんなふうに思い込もうともしていた。

それが、いまもどこかでくすぶっていたように感じている。
十年くらい前から、Mark 2500に手を加えたら、その実力をどこまで発揮できるようになるのか。

インターネットでMark 2500の内部写真が、
かなりのところまで見ることができるようになってから、
よけいにそんなことを妄想するようになっていた。
二年くらい前には、具体的にどこをどうするのか、ほぼ決っていた。

ここのところをこんなふうにしたら、こういう変化が得られるはず──、
そんな妄想を、入浴中、ぼんやりしているときに何度もしていた。