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Date: 6月 16th, 2009
Cate: KEF, LS5/1A, 瀬川冬樹
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LS5/1Aにつながれていたのは(補足)

誰からか聞いたのか、それともなにかで読んだのかもさだかではないが、
瀬川先生はKEFのLS5/1Aを2組(つまり4台)所有されていたことを、ずいぶん前に知っていた。

ただ、瀬川先生が亡くなられたあと、ステレオサウンドで一時的に保管されていたLS5/1Aは1組だった。
そのとき、「あれっ?」と思っていたが、もう1組のことを誰かにきくこともしなかった。

このLS5/1Aがその後、どうなったのかはわかっている。
もう1組はどうなっているのか、そもそもほんとうに2組所有されていたのかも、
はっきりと確認しようもないと思っていた。

ステレオサウンド 38号の、瀬川先生のリスニングルームの写真にも、
写っているのはJBLの4341とLS5/1Aが、1組ずつだ。

けれども世田谷・砧に建てられたリスニングルームの写真を見ると、やはりLS5/1Aは2組写っている。
同じカットでないだけにすこしわかりにくいが、傅さんが1979年にFM fanの企画で、
瀬川先生のリスニングルームを訪ねられたときの記事に、リスニングルームのイラストが載っている。
これと、1979年秋にステレオサウンドから出た「続コンポーネントステレオのすすめ」に掲載されている
瀬川先生のリスニングルームの写真を照らし合わせると、たしかにあることがわかる。

部屋の長辺側に、4343WXが置かれ、その内側にセレッションのDitton66がある。
リスニングポイントの左側の壁に、外側からLS5/1A、もう一台LS5/1A、内側にスペンドールのBCII、
そのうえにLS3/5Aが置かれていてる。
外側のLS5/1Aの上には、パイオニアのリボントゥイーター、PT-R7がある。

この写真だけだと1組のLS5/1Aをまとめて置かれているようにとれるが、
別カットの写真、4343の対面、つまりリスニングポイントの後ろ側の壁の写真、ここにもLS5/1Aが2台あり、
そのすぐそばにマークレビンソンのML2L、その前にSAEのMark 2500、
ML2Lの隣に、アキュフェーズC240、その上にLNP2L、
その横にアキュフェーズのFMチューナーやヤマハのカセットデッキがあり、
EMTの927Dstが、ほぼリスニングポイントの後ろに存在感たっぷりにいる。

スチューダーのA68、EMTの930stは、BCIIの間に置いてある。

ちなみに930stの専用インシュレーター930-900の上にガラス板を2枚置いたものが、
部屋の中央に、テーブルとして使われている。
見ようによっては、なかなかモダーンなテーブルである。

LS5/1Aが2組あったことは、やはり事実だった。
となると、もう1組は、目黒のマンションへの引越し時に、どなたかに譲られたのか、手放されたのか。

Date: 6月 13th, 2009
Cate: Wilhelm Backhaus, 五味康祐

ケンプだったのかバックハウスだったのか(補足・6)

余計なお世話だと言われようが、
五味先生が、作品111を「初めてこころで聴いて以来」と書かれていることを、
くれぐれも読み落とさないでほしい。

Date: 6月 13th, 2009
Cate: Wilhelm Backhaus, 五味康祐

ケンプだったのかバックハウスだったのか(補足・5)

「日本のベートーヴェン」に、ナットの弾く作品111のことが書いてある。
     *
私はある事情で妻と別れようと悩んだことがある。繰り返し繰り返し、心に沁みるおもいで作品一一一の第二楽章を聴いた。どうしてか分らない。或る時とつぜんピアノの向うに谷崎潤一郎と佐藤春夫氏の顔があらわれ、谷崎さんは「別れろ」と言う、佐藤先生は「別れるな」と言う。ベートーヴェンは両氏にかかわりなく弾きつづける。結局、私は弱い人間だから到底離別はできないだろうという予感の《自分の》声が、しらべを貫いてきこえてきた。私にはしょせんいい小説は書けまい、とその時ハッキリおもった。イーヴ・ナットの弾く一一一だった。このソナタを初めてこころで聴いて以来、モノーラルのバックハウス、日比谷公会堂のバックハウス、カーネギー・リサイタルのバックハウス、ステレオのバックハウス、四トラ・テープのバックハウス、それにE・フィッシャー、ラタイナー、ミケランジェリ、バーレンボイム、ハイデシェック、ケンプ……入手できる限りのレコードは求めて聴いた。その時どきで妻への懐いは変り、ひとりの女性の面影は次第に去っていったが、ベートーヴェンだけはいつも私のそばにいてくれたとおもう。私的感懐にすぎないのは分りきっているが、どうせ各自手前勝手にしか音楽は鑑賞はすまい。
     *
そう思われたのは、1956年のことだ。五味先生、35歳。
この年の2月から週刊新潮に連載された「柳生武芸帳」が、柴田錬三郎の「眠狂四郎」ともに、
剣豪ブームとなったときのことだ。

ナットが、作品111を録音したのは1954年。
日本で発売になったのがいつなのか正確にはわからないが、
いまとちがい、録音されてすぐに発売されていたわけではない。
五味先生がナットの作品111を聴かれたときは、発売されて、そう経っていなかったのではないかと思う。

シャルランの手によるナットのベートーヴェンの作品111が、このとき登場したのは、
単なる偶然なんだろう。
それでもこの偶然によって、離別はなくなっている。

朝日新聞社から出た「世界のステレオ No.3」に、
「どうせ各自手前勝手にしか音楽は鑑賞はすまい。」のつづきといえることを書かれている。
     *
所詮、音楽は手前勝手に聴くものだろう。銘々が、各自の家庭の事情の中で、聴き惚れ、痛哭し、時に自省し、明日への励みにするものだろう。レコードだからそれは可能なんだろう。
     *
レコードだから、別離はなかったのだろう、きっと。

Date: 6月 11th, 2009
Cate: Wilhelm Backhaus, 五味康祐

ケンプだったのかバックハウスだったのか(補足・4)

ベートーヴェンのピアノソナタ第32番・作品111は、
ベートーヴェンの、孤独との決着をつけた曲なのではなかろうか。

孤独は誰にしもある。
孤独と向き合い、見据え、受け入れてこそ、決着がつけられる。
目を背けたり、拒否してしまえば、それで終わりだ。

もっともらしいことは書いたり奏でたり、つくったりはできるだろうが、
決着をつけなかった者は、しょせん、もっとも「らしい」で終ってしまうような気がする。

もっともなことを書いたり奏でたり、作ったりするには、決着をつけなければ、
とうていたどりつけない極致のことなのかもしれない。

なぜ五味先生が、ポリーニのベートーヴェンを聴かれ、あれほど怒りをあらわにされた文章を書かれたのか、
いま思うのは、こういうことではなかったのか、ということだ。

Date: 6月 10th, 2009
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(その17)

とはいうものの、少なくともステレオサウンドの39号でのカートリッジの試聴テストでは、
ハーツフィールドもステレオで鳴らされている。

ステレオの初期録音盤を、ハーツフィールドの、セカンドシステムでも聴かれているわけだから。
となると、あくまでも私の推測でしかないが、片方のハーツフィールドにはマッキントッシュのMC30を、
もう一方のハーツフィールドにはマランツの#2という、
不規則な鳴らし方を試されていた可能性があっても不思議ではないような気もする。

他の人ではあり得ないことも、岩崎先生なら、「実は……」という感じでやられていたのでは、と思えてくる。

Date: 6月 10th, 2009
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(その16)

レコパルの記事には、エレクトロボイスのパトリシアンIVとJBLのハーツフィールドのところに、
「モノラル仕様」と書いてある。
マランツの#2のところにも、そう書いてある。
念のため書いておくが、岩崎先生は、#2は2台所有されていた。

他のスピーカー(パラゴンやESL、ハークネス、エアリーズなど)のところには、そんなことは書いてない。

いまとなっては確認しようがないけれど、パトリシアンIVは、一本だけ入手されたのだろうか。
ハーツフィールドは2本、手に入れられているが、
残念なことは、同程度のコンディションのものではなかったようだ。
     ※
一対になっていても、ステレオ以前の製品らしく左右の仕上げ外観はむろんのこと、なんと内部構造の一部さえ違うものだった。一方はあとから心ない者の手によって原型とはほど遠い塗装を加えられてしまっていたのが残念であるが、少なくとも同じ五〇年代でも四ないし五年ほど後から作られたとみられる。一方はまったくオリジナルのままの外観であった。正面右下端の小さな金属プレートの文字、JBL-Signature のくすみかたにも、いかにも年代の経過を感じさせた。同じJBLの数年前のクラシック調の「ヴェロナ」にもこうしたブロンズ調のマークがついていたが、ハーツフィールドの方はいかにも本物であった。
 おそらく五六年か五七年製、つまり二〇年前の製品だろうし、もう一方はひどい仕上げで塗り直してあるがもっと古い型であるのは、内部ユニットやタイプで打った銘板ならぬ紙をはったネットワークでそれが判断されたし、組立て用のいくつもあけ直してずれたネジ穴が物語る。
     ※
ハーツフィールドは、そういう状況だっただけに、最終的には、モノーラルで、
程度のよい片方だけを鳴らされていたのかもしれない。

Date: 6月 10th, 2009
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(その15)

これら5枚のレコードのなかで、SPのリカット盤やステレオ初期の録音盤などは、
アルテック620Aのシステムでは、好ましい結果が得られなくても、
セカンドシステムでは、逆転し、「好ましい結果が得ることが常であった」らしい。

このセカンドシステムは、スピーカーはJBLのハーツフィールド、アンプはプリアンプはマランツの#7、
パワーアンプは、マランツの#2とマッキントッシュのMC30だ。

パワーアンプが2機種ある。当初、パワーアンプは交互につなぎかえて鳴らされたのだろうか、と思っていたが、
そうなると計4つのシステムで、123機種のカートリッジの試聴をやられたことになる。
それともハーツフィールドを、バイアンプで鳴られされたのだろうか、とも考えた。
けれど、マッキントッシュとマランツの管球式パワーアンプで、
どちらを低域に、高域に使うにしても、考えにくい使い方でしかない。

レコパルの、沼田さんの記事を読んでいて、もしかして、と、気がついたことがある。

Date: 6月 10th, 2009
Cate: 黒田恭一

バーンスタインのベートーヴェン全集(その4)

ひとつ訂正しておく。
音楽通信の奥付には、1984年1月20日発行とある。つまり創刊号の発売は、1983年12月のことだ。

黒田先生は1938年1月1日生まれだから、このとき、ぎりぎり45歳。私はというと、ぎりぎり20(ハタチ)だった。

表紙には「主題 三十五歳も音楽をきいている」とある。
黒田先生は10年前にそこを通りすぎておられ、私にはまだ15年先のことだった。

26年経ち、音楽通信を創刊された頃の黒田先生と、ほぼ同じ歳になったいま、
創刊号を読むと、黒田先生が創刊号に込められたものが、
26年前よりもはっきりと感じとれるようになっている(そうでなくは困るのだが)。

そして、なぜベートーヴェン全集は、カラヤンではなくバーンスタインだったのかも、
はっきりと言葉にすることはまだできないけれど、そういうことだったのかな、とぼんやりと感じてはいる。

Date: 6月 9th, 2009
Cate: 黒田恭一

バーンスタインのベートーヴェン全集(その3)

一度だけ、音楽通信編集部に、そのとき、サウンドボーイの編集者だったNさんにつれられて、
夜うかがったことがある。
もう寒くなりはじめた季節だったように思う。

黒田先生をはじめ、編集部のスタッフの方々は、大きなテーブルを囲み、アルコールを飲みながら、
熱っぽく語られていた。音楽を、本のあり方を、真摯に語られていた。

わかるところもあれば、まだすんなりとは、私の未熟さゆえに、のみ込めないこともあった。
それでも、新しい雑誌を創刊することの熱さは、きちんと感じとってきた。
大変なことだろうけど、羨ましくもあった、その熱さであった。

音楽通信・創刊号の目次には、こんなことがさりげなく書かれている。

私たちは
音楽を芸術だ芸術だとはいわない。
音楽を「わからないと言う人をばかにしない
(「わかる」人がエライと思わない)。
結局悪口を言わなければならない人や
物は取り上げない。
ただし敬愛もできず応援もしたくない人や
物の提灯持ちはしない。
公平、正義、不偏不党をうたわない、
着実な私見だけのべる。
音楽のたのしみを、
自分たちの生活と人生から考える。

きっと、音楽通信・編集部の人たちは、このことにもとづくことを話し合われていたのだろう。

Date: 6月 8th, 2009
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のスピーカーについて(その6)

この比較試聴のとき、私が坐っていたところは、かなり後ろのほうで、しかも左寄りの席。
スピーカーの姿は、前にいる人たちの頭にかくれて、ほとんど見えない。
そういう状況においても、どちらがどの振動板かはふせたまま音出しがはじまったとたんに、
「あっ、聴きなれたアルミニウムの音だ、こっちがダイアモンド振動板のトゥイーターだ」
そう、あっけなくわかるほどの、このふたつ振動板の差の大きさだった。

ピストニックモーションということに関しては、アルミニウム振動板よりも、
ダイヤモンド振動板の方がはるかに理想に近い、そんな感じさえ受けるほどだ。

XRT20が登場した1981年に、ダイアモンド振動板のトゥイーターは存在してなかったが、
もしすでに存在していたら、XRT20を、20年かけて開発したマッキントッシュ社長のゴードン・ガウは、
はたして採用していたかというと、それでもソフトドーム型を選んだはずだ。

いまでもダイアモンド振動板のトゥイーターは、かなり高価なものだから、
片チャンネル当り24個もユニットを使うXRT20では、コスト的に採用は無理だろう、という人もいるだろう。

20年もかけてスピーカーを開発しつづけた男が、コストの問題から、
理想に近いユニットを使わないなんてことはあり得ない。
ゴードン・ガウにとって、XRT20にとって理想のトゥイーターは、ソフトドーム型だったはずであろう。

というよりも、XRT20という理想のスピーカーを実現するには、
ソフトドーム型でなければ適わなかったと、言いかえたほうが、より正しいように思う。

Date: 6月 8th, 2009
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のスピーカーについて(その5)

トゥイーターにかぎらず、ウーファーにしてもスコーカーにしても、
同一帯域を受け持つユニットを複数使用したスピーカーに対して、
「ぴったり特性が揃っていて、ぴったり同じ動きをしているわけないでしょう。
ウーファーを低いところまでの使用だったら、ダブルにするメリットが大きいけれど、
周波数が高くなるにつれて、複数使用のメリットよりもデメリットの方が大きくなる」
といった意見が、いまでもついてまわる。

スピーカーの絶対解がピストニックモーションの追求、完全なる実現だけだとしたら、
たしかにそうなのかもしれない。

この考えでいけば、XRT20のトゥイーターコラムに使用するユニットは、
ソフトドーム型よりハードドーム型のほうが向いていることになる。
さらにハードドーム型のなかでも、アルミニウムの振動板よりもより内部音速が速く、
高域の共振周波数が可聴帯域外にあるダイヤモンド振動板のドーム型トゥイーターが、
現時点では最良の選択となるだろう。

一昨年のインターナショナルオーディオショウのマランツのブースで、
B&Wの小型2ウェイ・スピーカーの805のトゥイーターを、
ダイヤモンド振動板のものに交換した特別仕様とアルミニウム振動板の通常仕様との比較が行われていた。

Date: 6月 8th, 2009
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のスピーカーについて(その4)

複数のユニットを使う場合、できるだけ同条件で等しくすべてのユニットを動かそうとしたら、
すべてのユニットの並列接続ということになる。
しかも細かいことを言えば、ネットワークからトゥイーターにいくケーブルの長さも、
すべて同じになるようにすると考えがちなのが、マニアの性(さが)だろう。

24個のトゥイーターを並列にして8Ωにするには、ひとつのユニットのインピーダンスを、
8×24で、192Ωにすればいいわけだ。
真空管式のOTLアンプがさかんに実験されていたときには、
数100Ωのインピーダンスのスピーカーユニットがあったそうだが、
200Ω近いインピーダンスのユニットは現実的ではない。

XRT20の24個のトゥイーターは、直列・並列接続の組合せに、抵抗が加えられている

こう書くと、ケーブルの長さまで等しくしないと、
それぞれのユニットの動きにズレが生じてしまうと捉える人にとって、
XRT20のトゥイーターコラムは、とんでもないシロモノになってしまうだろう。

ピストニックモーションだけにとらわれて、スピーカーを見れば、短絡的にそう思うだろう。

Date: 6月 8th, 2009
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のスピーカーについて(その3)

その1とその2で、菅野先生がお使いの3組のスピーカーに共通するのは、
中高域の拡散と低域の電子的なコントロールにあると書いた。

いまでもそう考えているが、マッキントッシュのXRT20とジャーマンフィジックスのDDDユニットには、
もうひとつ共通するところがあるように、最近思えてきた。

XRT20のトゥイーターコラムは、24個の、2.5cm口径のソフトドーム型トゥイーターから構成されている。
この24個が、どう接続されているのか、XRT20が登場したとき、疑問だった。

たとえば16個、25個だったら、まだわかる。
16個だとしたら、4つずつを直列に接続することで、8Ωのユニットだと32Ωになり、
さらに4つを直列にしたものが4つできるわけで、その4つを並列に接続すれば、8Ωになる。
25個の場合も同じで、5つずつ直列に接ぎ、やはり5つの直列ユニットができ、これを並列にすれば8Ωになる。

24個だと直列・並列接続をどう組み合わせても、うまくいかない。インピーダンス補正用の抵抗が必要となる。
24個も25個も、コスト的にはそう変らないだろうから、なぜ25個という合理的な数にしなかったのか、
納得のいく答えがわからなかった。

Date: 6月 5th, 2009
Cate: 黒田恭一

バーンスタインのベートーヴェン全集(その2)

音楽通信の創刊号は、記憶違いでなければ、1984年1月だったはず。

編集部は、ステレオサウンドがはいっていたビルではなく、外苑東通りを東京タワー方面に歩いて10分ほどのところ、
ソ連大使館(当時)近くのマンションにあった。
かなり広いワンルームマンションに、これまた大きなテーブルが置いてあり、
そこに編集長の黒田恭一先生をはじめ、音楽通信・編集部の人たちが集まり、
創刊号の準備を、とても地道な作業のくり返しを、それはたいへんなことだけど、
なにか独得の活気に満ちていた空気のなかでやられていた。

いまならMacの画面上で、使用するフォントの属性、行間の設定をあれこれ変えて、
その結果を印刷して見比べるという、それほどたいへんでもない作業を、
当時、MacでDTPなんて、まだ影も形も存在していない時代
──マッキントッシュの128Kが登場したのが1984年、その前年の話だ──、
音楽通信の編集部の人たちは、本文の書体、サイズ、行間、一行あたりの文字数を決定する作業を、
実際に、いろいろな本のページをコピーしては、それらを切り貼りして見本を作っては、
検討、手直しをしたり、という根気が求められる作業を、決しておろそかにすることなくこなされていた。

Date: 6月 4th, 2009
Cate: 黒田恭一

バーンスタインのベートーヴェン全集(その1)

マーラーの交響曲全集を、第一番から第九番まで、最初から一日のうちに聴き終えるというのは、
いちどやってみたいと思っていても、時間がなかなか許してくれない。

ベートーヴェンとなると、6時間ていどの時間がとれれば、
ひとりの指揮者による演奏で、一気に聴きとおせる。

バーンスタインが、1980年に出した、ウィーンフィルとのベートーヴェンの交響曲全集。
CDだと5枚に収まっている。
1枚目に第一番と三番、2枚目に第二と第四、あとは順番どおりに収められているので、
1枚目と2枚目は交互にかけかえることになるけれど、アナログディスク時代にくらべると、
その手間もあってないようなものに感じる程度。

たまたま今日は休みだったこともあり、やってみた。
なぜ、こんなことをやったかというと、ふと「音楽通信」という音楽誌のことを思い出したためだ。

音楽通信・創刊号の記事の中に、バーンスタインのベートーヴェンを第一番から第九番まで、
一気に聴きとおすというものがあった。