Archive for category 人

Date: 11月 21st, 2016
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏からの宿題

私にとってのステレオサウンドは、というと、
まず41号から61号まで21冊とその間に出た別冊が、まずある。

リアルタイムで読んできた、純粋に読み手として読んできたステレオサウンドだけに、
私にとってのステレオサウンドとは、ここである。

その次に創刊号から40号までと、別冊である。
それから62号から89号。これは編集者として携わってきたステレオサウンドだ。

90号からのステレオサウンドもわけようと思えばいくつかにわけられるけれど、
ひとつにしておく。

私にとって中核といえる41号から61号のステレオサウンドについて、
「ステレオサウンドについて」で触れてきた。
この項を書くために、手元にバックナンバーをおいてページをめくってきた。
当時のことを思い出していた。

思い出しながら書いていた。
その過程で、瀬川先生からの宿題がいくつもあることを感じていた。

人によっては「ステレオサウンドについて」はつまらなかったかもしれない。
また古いことばかり書いている、と思った人も少なからずいたはずだ。

読み手のことを考えずに書いていたわけではないが、
「ステレオサウンドについて」は私にとって、
瀬川先生からの宿題をはっきりと認識するための作業であった。

Date: 11月 17th, 2016
Cate: 川崎和男

KK適塾(コンシリエンスデザイン)

2015年度のKK塾、
今年度のKK適塾。
コンシリエンスデザイン(Consilience Design)について、語られる。

その時にディスプレイに表示される図。
二本の垂直の矢印。
中間に円。

川崎先生のブログで「コンシリエンスデザイン」で検索すれば、
この図はすぐに見つかる。

この図を見て、川崎先生の話をきく。
KK塾でも毎回、そして今日のKK適塾でも、
この図は、オーディオを表している、と思う。

Date: 11月 17th, 2016
Cate: 川崎和男

KK適塾(一回目)

KK適塾に行ってきた。
今日から3月まで毎月一回、KK適塾が開かれる。

一回目の講師は、坂井直樹氏。
KK適塾の最後、坂井直樹氏と川崎先生の対談に「幸福」ということばがでてきた。

数日前から書き始めた「必要とされる音」は、この幸福について書くつもりでいる。
だから、今日きいたどんなことばよりも、この「幸福」が強い印象をもっている。

二日前にamazonがPrime Nowのサービスエリアを東京23区に拡大するニュースがあった。
Prime Now対象の商品であれば、専用アプリからの注文から一時間後配達する、というサービス。
これまではかなり限定された地区のみだったのが、23区に拡がっている。

おそろしく便利なサービスである。
従来では考えられなかったスピードで、配達される。
便利である。

便利であるけれど、それは幸福とはまったく別のところのものでしかない。

ずっと以前、ヤマト運輸の宅急便のアルバイトをやったことがある。
お歳暮の忙しい時期だけの短期間だった。
当時はインターネットで買物をする人はだれもいなかった。
amazonもなかったころの話だ。

助手とはいえ、宅急便のアルバイトはしんどいものだった。
そのころとは物量がまるで違うのが、現在の状況である。

誰もが手軽にインターネットで買物をする。
それだけ配達をする人の負担は増している。
疲弊していくだけではないか。

それでも誰かが幸福になっているのであれば……、
配達される人もまだ張り合いはあるのかもしれない。

でもamazonのPrime Nowは、ただただ便利なだけである。
誰も幸福にはならない。

Prime Nowで一時間以内に商品が届いたとして、
ほんとに届いた、おっ、すごい、とは思うだろう。
でも、それは幸福とは関係のないことだ。

せいぜいが快感につながるくらいである。
そこに何があるのだろうか、と誰もが思うようになるべきではないだろうか。

Date: 11月 9th, 2016
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その6)

AXIOM 80は毒を持っているスピーカーだ、と書いた。
その毒を、音の美に転換したのが、何度も引用しているが、
《AXIOM80の本ものの音──あくまでもふっくらと繊細で、エレガントで、透明で、やさしく、そしてえもいわれぬ色香の匂う艶やかな魅力──》
であると解釈している。

20代の瀬川先生が転換した音である。

心に近い音。
今年になって何度か書いている。
心に近い音とは、毒の部分を転換した音の美のように思っている。

聖人君子は、私の周りにはいない。
私自身が聖人君子からほど遠いところにいるからともいえようが、
愚かさ、醜さ……、そういった毒を裡に持たない人がいるとは思えない。

私の裡にはあるし、友人のなかにもあるだろう。
瀬川先生の裡にもあったはずだ。

裡にある毒と共鳴する毒をもつスピーカーが、
どこかにあるはずだ。
互いの毒が共鳴するからこそ、音の美に転換できるのではないだろうか。

その音こそが、心に近い音のはずだ。

Date: 11月 9th, 2016
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その5)

瀬川先生は1955年ごろに、最初のAXIOM 80を手に入れられている。
1955年といえば瀬川先生はハタチだ。
まだモノーラル時代だから、一本のみである。

ステレオサウンド創刊号には、こう書かれている。
     *
 そして現在、わたしのAXIOM80はもとの段ボール箱にしまい込まれ、しばらく陽の目をみていない。けれどこのスピーカーこそわたしが最も惚れた、いや、いまでも惚れ続けたスピーカーのひとつである。いま身辺に余裕ができたら、もう一度、エンクロージュアとアンプにモノーラル時代の体験を生かして、再びあの頃の音を再現したいと考えてもいる。
     *
1966年時点で、すでにAXIOM 80は鳴らされていない。
ステレオサウンド 62号「音を描く詩人の死 故・瀬川冬樹氏を偲ぶ」には、
20年のあいだ鳴らされなかった、とある。

つまり瀬川先生にとってAXIOM 80は、20代前半のころのスピーカーである。
《AXIOM80の本ものの音──あくまでもふっくらと繊細で、エレガントで、透明で、やさしく、そしてえもいわれぬ色香の匂う艶やかな魅力──》、
この音を鳴らされていたのは、20代の瀬川冬樹である。

Date: 11月 9th, 2016
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その4)

AXIOM 80の周波数特性グラフが、
ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 4に載っている。

低域は200Hz以下はダラ下り、
高域は水平30度の特性をできるだけフラットにするという、
往時のフルレンジスピーカーの例にもれず、AXIOM 80もそうであるため、
正面(0度)の音圧は1.5kHzくらいから上では上昇特性となっている。

10kHzの音圧は、1kHzあたりの音圧に比べ10dBほど高い。
だからといって30度の特性がフラットになっているかといえば、
ディップの目立つ特性である。

このへんはローサーのPM6の特性と似ている。
フィリップスのEL7024/01も同じ傾向があり、
いずれのユニットのダブルコーン仕様である。

AXIOM 80のスタイルを偏屈ととらえるか、
機能に徹したととらえる。
見方によって違ってこよう。

特性にしてもそのスタイルにしても、
新しいスピーカーしか見たこと(聴いたこと)がない世代にとっては、
いい意味ではなく、むしろ反対の意味で信じられないような存在に映るかもしれない。

AXIOM 80は毒をもつ、といっていいだろう。

その毒は、新しいスピーカーの音しか聴いたことのない耳には、
癖、それもひどいクセのある音にしかきこえないであろう。

それにいい音で鳴っているAXIOM 80が極端に少ないのだから。
それも仕方ない。
私だって、AXIOM 80がよく鳴っているのを聴いたことはない。

それに神経質なところをもつユニットでもある。
面倒なユニットといえる。

にも関わらず、AXIOM 80への憧憬は変らない。
《AXIOM80の本ものの音──あくまでもふっくらと繊細で、エレガントで、透明で、やさしく、そしてえもいわれぬ色香の匂う艶やかな魅力──》
瀬川先生が書かれたAXIOM 80の音、
これをずっと信じてきているからだ。

AXIOM 80の毒を消し去ってしまっては、
おそらく、「AXIOM 80の本ものの音」は鳴ってこないであろう。

Date: 11月 9th, 2016
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その3)

AXIOM 80への思い入れ、それをまったく排除してひとつのユニットとして眺めてみれば、
エッジレスを実現するために、フレームがいわば同軸といえるかっこうになっている。

メインフレームから三本のアームが伸び、サブフレームを支えている。
このサブフレームからはベークライトのカンチレバーが外周を向って伸び、
メインコーンの外周三点を支持している。
ダンパーもカンチレバー方式である。

これら独自の構造により、軽量コーンでありながらf0は20Hzと低い。
この構造がAXIOM 80の特徴づけているわけだが、
聴感上のS/N比的にみれば、サブフレームに関してはなんからの対策をとりたくなる。

もっとも通常のコーン紙外周のエッジは、面積的には無視できないもので、
振動板とは別の音を発しているわけで、
エッジレス構造は、この部分の不要輻射による聴感上のS/N比の低下を抑えている。

けれどサブレームとそれをささえるアーム、そしてカンチレバー。
面積的にはけっこうある──。
エッジとはまた別の聴感上のS/N比の低下がある。

AXIOM 80に思い入れがいっさいなければ、この部分の影響に目が行くだろう。
けれど、いまどきAXIOM 80について書いている者にとっては、
そんなことはどうでもいい、となる。

聴感上のS/N比の重要性について言ったり書いているしていることと矛盾している、
そう思われてもかまわない。

Date: 11月 7th, 2016
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その2)

50号の次にAXIOM 80がステレオサウンドに登場したのは、
1981年夏の別冊「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」だった。

セパレートアンプの別冊に、スピーカーユニットのAXIOM 80が、
それも大きな扱いの写真が載っている。

巻頭の瀬川先生の「いま、いい音のアンプがほしい」の中に、
AXIOM 80がある。

その理由はステレオサウンド 62号に載っている。
「音を描く詩人の死 故・瀬川冬樹氏を偲ぶ」に載っている。
     *
 この前のカラー見開きページに瀬川先生の1972(昭和47)年ごろのリスニングルームの写真がのっている。それを注意ぶかく見られた読者は、JBLのウーファーをおさめた2つのエンクロージュアのあいだに積んである段ボール箱が、アキシオム80のものであることに気づかれただろう。『ステレオサウンド』の創刊号で瀬川先生はこう書かれている。
〝そして現在、わたしのAXIOM80はもとの段ボール箱にしまい込まれ、しばらく陽の目をみていない。けれどこのスピーカーこそわたしが最も惚れた、いや、いまでも惚れ続けたスピーカーのひとつである。いま身辺に余裕ができたら、もう一度、エンクロージュアとアンプにモノーラル時代の体験を生かして、再びあの頃の音を再現したいと考えてもいる。〟
 そして昨年の春に書かれた、あの先生のエッセイでも、こう書かれているのだ。〝ディテールのどこまでも明晰に聴こえることの快さを教えてくれたアンプがJBLであれば、スピーカーは私にとってイギリス・グッドマンのアキシオム80だったかもしれない。
 そして、これは非常に大切なことだがその両者とも、ディテールをここまで繊細に再現しておきながら、全体の構築が確かであった。それだからこそ、細かな音のどこまでも鮮明に聴こえることが快かったのだと思う。細かな音を鳴らす、というだけのことであれば、これら以外にも、そしてこれら以前にも、さまざまなオーディオ機器はあった。けれど、全景を確かに形造っておいた上で、その中にどこまでも細やかさを追及してゆく、という鳴らし方をするオーディオパーツは、決して多くはない。そして、そういう形でディテールの再現される快さを一旦体験してしまうと、もう後に戻る気持にはなれないものである。〟
 現実のアキシオム80の音を先生は約20年間、聴いておられなかったはずである。すくなくとも、ご自分のアキシオム80については……。
 それでも、その原稿をいただいた時点で先生は8個のアキシオム80を大切に持っておられた。
 これは、アンブの特集だった。先生も、すくなくとも文章のうえでは、JBLのアンプのことを述べられるにあたって引きあいにだされるだけ、というかたちで、アキシオム80に触れられただけだった。
 でも……いまでも説明できないような気持につきうごかされて、編集担当者のMは、そのアキシオム80の写真を撮って大きくのせたい、と思った。
 カメラの前にセットされたアキシオム80は、この20年間鳴らされたことのないスピーカーだった。
〈先生は、どんなにか、これを鳴らしてみたいのだろうな〉と思いながら見たせいか、アキシオム80も〈鳴らしてください、ふたたびあのときのように……〉と、瀬川先生に呼びかけているように見えた。
     *
62号にもAXIOM 80の同じ写真が載っている。
62号を読んで、あのAXIOM 80が瀬川先生のモノだったことを知る。

Date: 11月 3rd, 2016
Cate: 五味康祐

ラフマニノフの〝声〟VocaliseとグラドのSignature II

グラドのカートリッジに、かつてSignature Iがあった。
ステレオサウンド 41号の特集で菅野先生が紹介されている。

その後、Signature IはIBになり、Signature IIも登場した。
Signature IBが1979年当時で110,000円、Signature IIが199,000円していた。

いまでももっと高価なカートリッジがいくつもあるから、
そういう感覚では、Signature IIもそれほどでもない、と思うかもしれないが、
当時はおそろしく高価に感じた。

EMTのTSD15が65,000円、オルトフォンのSPU-G/Eが34,000円の時代で、
オルトフォンのMC30の99,000円でも、相当に高価だと感じていたところに、
その二倍もするカートリッジが登場した。

しかもTSD15も、SPUもMC30もMC型なのに、
Signature IIはMI型である。

発電方式だけで価格が決るわけではないというものの、
総じて手づくりの要素の強いMC型はMM型、MI型よりも高価につく。
そういう時代だったところに、20万円近いMI型カートリッジの登場は、
それだけでも目を引く存在といえた。

一度だけSignature IIを聴いている。
Signature IBは聴いていない。
瀬川先生が聴かせてくれた。

瀬川先生によれば、Signature IIの方がいい、ということだった。
だと思う。
瀬川先生はSignature IIを購われていた。

高いけれど、聴いてしまう……、
そんなことを話されていた。

ステレオサウンド 47号で、
《高価だが素晴らしく滑らかで品位の高い艶のある音が聴き手を捉える。》
と書かれている。

確かにそういう音だ。
けれど、グラドはそれでもアメリカのカートリッジであり、
品位の高い艶のある音には違いないが、
ヨーロッパのカートリッジの「品位の高い艶のある音」とは違う。
どこか甘美なのだ。

もう少し行き過ぎると、白痴美になってしまうのでは……、
そういう甘美さである。

ラフマニノフの「声」を、このグラドのSignature IIで聴いてみたい、
とも聴きながら思っていた。

Signature IIはもう40年近く前のカートリッジだ。
おまけに高価でもあった。
日本にコンディションのいいSignature IIがあるのかどうかもあやしい。

Signature IIを聴く機会はおそらくない。
でももしかしたら……、と思う。
その時は「声」のLPを探してきて、聴いてみたい。

私にとってグラドのSignature IIというカートリッジは、
ラフマニノフの「声」のために存在している。

Date: 11月 3rd, 2016
Cate: 五味康祐

ラフマニノフの〝声〟Vocalise

ラフマニノフの「声」を知ったのも、五味先生の書かれたものによる。
読んでいるうちに聴きたくなった。
けれどすぐにはLPがみつからなかった。
私もラフマニノフは、好まない。
いまもラフマニノフの曲はあまり持っていない。

でも、この「声」だけは聴きたい、と思い続けていた。
CDになったのは、あまり早くはなかった。
廉価盤の二枚組におさめられて、やっとCDになった。

ラフマニノフもあまり聴かないけれど、
オーマンディもあまり聴かない。
だから「声」のためだけに、二枚組のCDを買ったようなものだ。
     *
 ラフマニノフのこの曲は、オーマンディのフィラデルフィアを振った交響曲第三番のB面に、アンコールのように付いている。ごく短い曲である。しらべてみたら管弦楽曲ではなくて、文字通り歌曲らしい。多分オーマンディが管弦楽用にアレンジしたものだろうと思う。だから米コロンビア盤(ML四九六一)でしか聴けないのだが、凡そ甘美という点で、これほど甘美な旋律を他に私は知らない。オーケストラが、こんなに甘ったるく、適度に感傷的で美しいメロディを、よくもぬけぬけと歌いあげられるものだと、初めて聴いたとき私は呆れ、陶然とした。ラフマニノフの交響曲は、第二番を私は好む。第三番はまことに退屈で、つまらぬ曲だ。
 ラフマニノフ家は由緒あるロシアの貴族で、農奴解放運動で、しだいに父親は領地を失ったというが、そうした社会的変革はラフマニノフの音楽——その感性にさして影響は及ぼさなかった。しかしロシア革命は、彼の貴族生活を根底からくつがえし、ソヴィエト政権を嫌った彼は他の多くの白系貴族同様、一九一七年にパリに亡命し、翌年からはアメリカに住んでいる。
 おもしろいのは、彼のいい作品は——第二交響曲、有名な十三の前奏曲、第二ピアノ協奏曲、それにこの〝声〟など、すべてアメリカ永住以前に作られていることで、アメリカに住んでからは第三交響曲に代表されるように、まったく退屈な駄作しか作れなくなったことだ。この辺にセルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフの音楽の限界——その長所も欠点もが、あるのだろう。それはともかく〝声〟の甘美さは空前絶後といえるもので、一度でもこの旋律を耳にした人は、忘れないだろうと思う。どうしてこんな甘美な調べが、一般には知られていないのか、不思議である。もしかすればオーマンディの編曲が巧みだったからかも知れないが(原曲の歌を私は聴いたことがない)私の知る限り、〝声〟の甘さに匹敵するのはブラームスのワルツくらいだ。
     *
ほんとうにオーケストラが、
《こんなに甘ったるく、適度に感傷的で美しいメロディを、よくもぬけぬけと歌い》あげる。

今日(正確にはもう昨夜)、
audio sharing例会で、この「声」をかけた。
オーケストラがアメリカ、それもシカゴではなくフィラデルフィアということもあってだろう、
アルテックで鳴らすと朗々と鳴ってくれる。

JBLでは、こんなふうには鳴ってくれない、と思ってしまうほど、
アルテックの昔のスピーカーは、歌ってくれる。

Date: 11月 2nd, 2016
Cate: 五味康祐

五味康祐氏とワグナー(名盤・その3)

 いずれにせよ、こうして弦楽四重奏曲から私は一人称のすぐれた文学作品を読んで来た。耳で読んだ。馬の尻っぽが弦をこする重奏がひびき出すと、私は今でも緊張する。オペラや歌曲は、どうかすれば一杯機嫌で聴くこともあるが弦楽曲はそうは参らない。その代りつまらぬクヮルテットは、聴くに耐えぬが、ちか頃はいい作品を聴くと死を考えてしまう。死ぬことを。私ももう五十を過ぎた、いつポックリ逝くかも知れない。そう想えば居ても立ってもいられぬ気持になり、結局、酔生夢死というのは、こんな私のような居ても立ってもいられぬ男を慰めるため、造られた言葉ではなかったか、そんな風にも懐うこともある。人間は何をして何を遺せるのか? 漠然とそんなことを考えているうちに、音楽家は作品で遺書を書いた場合があるのか? ふとそう思うようになった。
 すぐ想い浮んだのはモーツァルトの『レクイエム』である。でもモーツァルトでは桁が違いすぎ、手に負えない。もう少しぼくらの手近かでと見渡したら直ぐ一人見つかった。ブラームスだった。私はヴィトーとエドゥイン・フィッシャーのヴァイオリン・ソナタ第一番(作品七八)を鳴らしてみた。ブラームスの誠実さはこの曲で充分である。ヴィトーはよく弾いている。だがこれは周知の通り、明るい夏の雨の気分を偲ばせるもので、プライベートなその初演にブラームスがピアノを受持ち、ヨアヒムがヴァイオリンを弾いてクララ・シューマン達に聴かせたといわれるように、幸せな頃であろう。遺書をつづる切なさを期待するのは、いかにそれがブラームスでも無理である。といって、最晩年の作がかならずしも遺書を兼ねているとは限らない。死をおもうのは年齢に関わるまい。
 ブッシュ弦楽四重奏団で——私の記憶では——クラリネット五重奏曲(作品一一五)をいれたレコードがある。このロ短調の五重奏曲は、あらためて私が言うまでもなくクラリネット室内楽曲の傑作であるが、実を言うと昭和二十七年にS氏邸で聴かせてもらうまで、ブラームスにこの名品のあるのを私は知らなかった。どうしてか知らないが、聴いている裡に胸が痛くなりボロボロ涙がこぼれた。恐らく当時の貧乏暮しや、将来の見通しの暗さ、他にもかなしいこともあったからだろう。
 ——以来この曲を、なるべく聴かないようにして来たし、レコードも所持しない。したがってブラームスの遺言を聴き出そうにも、記憶の中で耳を傾ける以外にないが、二十年前泣いて聴いた曲からそんなものがきこえてくる道理がない。
(「音楽に在る死」より)
     *
ブラームスのクラリネット五重奏曲(作品一一五)のレコードを買うことは、
五味先生にとって造作もないこと。
なのに、あえて所持されなかった。
聴かないようにしてこられた。

つまらぬ曲だから、では、もちろんない。

このことはとても大事なことだ。

Date: 10月 30th, 2016
Cate: 五味康祐

avant-garde(その1)

 どちらかといえばオルガン曲のレコードを私はあまり好まない。レシ鍵盤の音はうまく鳴ってくれるが、グラントルグ鍵盤のあの低域の音量を再生するには、それこそコンクリート・ホーンを俟たねばならずコンクリート・ホーンに今や私は憤りをおぼえる人間だからである。自分でコンクリート・ホーンを造った上で怒るのである。オルガンは、ついにコンクリート・ホーンのよさにかなわない、というそのことに。
 とはいえ、これは事実なので、コンクリート・ホーンから響いてくるオルガンのたっぷりした、風の吹きぬけるような抵抗感や共振のまったくない、澄みとおった音色は、こたえられんものである。私の聴いていたのは無論モノーラル時代だが、ヘンデルのオルガン協奏曲全集をくり返し聴き、伸びやかなその低音にうっとりする快感は格別なものだった。だが、ぼくらの聴くレコードはオルガン曲ばかりではないんである。ひとたび弦楽四重奏曲を掛けると、ヴァイオリン独奏曲を鳴らすと、音そのものはいいにせよ、まるで音像に定位のない、どうかするとヴィオラがセロにきこえるような独活の大木的鳴り方は我慢ならなかった。ついに腹が立ってハンマーで我が家のコンクリート・ホーンを敲き毀した。
 以来、どうにもオルガン曲は聴く気になれない。以前にも言ったことだが、ぼくらは、自家の再生装置でうまく鳴るレコードを好んで聴くようになるものである。聴きたい楽器の音をうまく響かせてくれるオーディオをはじめは望み、そのような意図でアンプやスピーカー・エンクロージァを吟味して再生装置を購入しているはずなのだが、そのうち、いちばんうまく鳴る種類のレコードをつとめて買い揃え聴くようになってゆくものだ。コレクションのイニシァティヴは当然、聴く本人の趣味性にあるべきはずが、いつの間にやら機械にふり回されている。再生装置がイニシァティヴを取ってしまう。ここらがオーディオ愛好家の泣き所だろうか。
 そんな傾向に我ながら腹を立ててハンマーを揮ったのだが、痛かった。手のしびれる痛さのほかに心に痛みがはしったものだ。(「フランク《オルガン六曲集》」より)
     *
五味先生の、この文章を「オーディオ巡礼」で読んでから、もう35年以上が経つ。
こんなことができるだろうか……、とまず思ったことを憶えている。
コンクリートホーンを造ることは家ごとのこととなる。
大変な作業である。

造るのも大変なら、鳴らし込みもたいへんである。
こんなこともやられている。
     *
しかし、わが家で現実に鳴っているワーフデールのトゥイーターが、タンノイの高音よりいい音のようにはどうしても私には思えない。なんとか、今のままで、よくなる方法はないものかと泣きつかんばかりに訴えた。それなら、コンクリートホーンの裏側に本を積んで、空間を埋めてごらんになったらどうかと高城氏は言われた。五畳分の部屋一杯に本を積む、そうすれば低音がしまって、今より良くなるだろうとおっしゃるのである。いいとなればやらざるを得ない。新潮社に頼んで月おくれの『小説新潮』をトラック一台分わけてもらい、仰せの通りこいつをホーンのうしろ側に積み重ねた。古雑誌というのは荒縄で二十冊ぐらいずつくくりつけてある。それを抱え、一家総出で、トラックから、玄関をすぎ二十畳のリスニングルームを横切って奥のコンクリートホーン室の裏口へ運び、順次、内へ積み上げてゆくのである。実にしんどい労働である(たまたまこの時来あわせていて、この古雑誌運びを手伝わされたのが、山口瞳ちゃんだった)。さてこうしてホーンの裏側いっぱいに、ぎっしり『小説新潮』を積み、空間を埋めた。なるほど低音が幾分締まって、聴きよいように思えた。マニアというものは、藁をも掴むおもいで、こういう場合、音のよくなるのを願う。われわれはほんのちょっとでも音質が変われば、すなわち良くなったと信じるのである。(「わがタンノイ・オートグラフ」より)
     *
それでもハンマーで敲き毀されたのだ。

Date: 10月 28th, 2016
Cate: 五味康祐

五味康祐氏とワグナー(その5・追補)

facebookにいただいたコメントで、正確な書名がわかった。
「ワグナーは負けだ」ではなく「野村光一音楽随想:ワーグナーは敗けだ」である。
音楽之友社から1985年に出ている。

買ってもう一度読んでみて、この項を書いていこうか、とちょっとだけ考えたが、
読まずに書いていくつもりだ。

Date: 10月 27th, 2016
Cate: 五味康祐

五味康祐氏とワグナー(その5)

けっこう記憶は確かな方だと思っているが、
どうしても正確に思い出せないこともある。

20代前半のころだったと思う。
そのころ、ヴェルディとワグナー比較論のような内容の本が出ていた。
書名は「ワーグナーの負けだ」、ワグナー好きには挑発的なものだった。
ただし書名も正確ではない。そんな感じだった、というだけだ。

書名だけではない、誰が書いたのかも、もう憶えていない。
内容もほとんど憶いだせずにいる。

ひとつはっきりしているのは、途中で読むのをやめてしまったことだけである。
いま読んでみたら印象は変ってくるかもしれない。
手元にその本はもうないし、
インターネットであれこれ検索してみても該当する本がみつからない。

イタリア・オペラといっても、
プッチーニとワグナーを比較しているわけではなく、ヴェルディである。

ヴェルディとワグナーは1813年に生れている。
偶然にすぎないのだろうが、偶然とは思えない。

ヴェルディのことについて、五味先生が書かれているのは「音楽に在る死」においてである。
それは、こんな書き出しで始まる。
     *
 私小説のどうにもいい気で、我慢のならぬ点は、作者(作中の主人公)は絶対、死ぬことがない所にある。如何に生き難さを綴ろうと、悲惨な身辺を愬えようと「私」は間違っても死ぬ気遣いはない。生きている、だから「書く」という操作を為せる。通常の物語では、主人公は実人生に於けると同様、いつ、何ものか——運命ともいうべきもの——の手で死なされるか知れない。生死は測り難い。まあいかなる危機に置かれても死ぬ気づかいのないのは007とチャンバラ小説のヒーローと、「私」くらいなものである。その辺がいい気すぎ、阿房らしくて私小説など読む気になれぬ時期が私にはあった。
 非常の事態に遭遇すれば、人は言葉を失う。どんな天性の作家も言葉が見当らなくて物の書ける道理はない。書くのは、非常事態の衝撃から醒めて後、衝撃を跡づける解説か自己弁明のたぐいである。我が国ではどういうものか、大方の私小説を純文学と称する。借金をどうしたの、飲み屋の女とどうだった、女房子供がこう言った等と臆面もなく書き綴っても、それは作者の実人生だから、つまり絵空事の作り話ではないから何か尊ぶべきものという暗黙の了解が、事前に、読み手と作者の間にあるらしい。ばからしいリアリズムだ。勿論、スパイ小説にあっても主人公はいかなるピンチからも脱出するに相違ない。ヒーローが敵国の諜報団にあっ気なく殺されるのではストーリーは成立しない。この、必ず生きぬけるという前提が、読者を安心させているなら、救われているのはヒーローではなくて作者である。救われたそんな作者の筆になるものだから、読む方も安心していられる。つまり死ぬ気遣いのないのが実は救いになっていて、似た救いは私小説にもあるわけだろう。どれほど「私」が生きるため悪戦苦闘しようと、とにかく彼はくたばることがないのだから。
 でも、実人生では時にわれわれはくたばってしまうのである。意図半ばで。これは悲惨だ。小説は勿論、非常の事態に遭遇した人間の悲惨さを描かねばならぬわけではない。しかし兎も角、私小説で「私」がぬけぬけ救われているというこの前提が、いい気すぎて、私小説を書く作者の厚かましさに我慢のなりかねた時が、私にはあった。太宰治は、徹頭徹尾、私事を書いた作家だと私は見ている。太宰は私小説の「私」は金輪際くたばらぬという暗黙の了解に、我から我慢なりかねて自殺したと。ざまあみろ、太宰は自分自身にそう言って死んだのだと。
 これは無論、私だけの勝手な太宰治観である。私小説のすべてが「私」をぬけぬけ生きのびさせているわけではない。『マルテ・ラウリッズ・ブリッゲの手記』はどんな死を描いた文章より私には怖ろしい。リルケが私小説作家でないのは分っているが、古いことばながら、作家精神といったものを考えた時、凡百の私小説作家の純文学など阿房らしくて読めなかった。そういう時期に、音楽を私は聴き耽った。
     *
そしてブラームスについて書かれている。
門馬直美氏の文章を書き写しながら、綴られている。

長めの引用である。
引用の最後には、こう書かれている。
《ブラームスのことならまだ幾らだって私は引用したい。門馬氏の好い文章を写したい──》と。

Date: 10月 27th, 2016
Cate: 五味康祐

五味康祐氏とワグナー(その4)

フルトヴェングラーは、
ドイツのクラシック音楽こそが音楽だ、といったことを言っている。
ドイツ音楽以外で認めていたのはショパンだけだ、とも言っている。
そうとうに極端なことであり、
フルトヴェングラー以外の人がこんなことをいったら、
「何をバカなことを!」と思われてしまう。

フルトヴェングラーのベートーヴェン、ブラームス、ワグナーなどを聴いていない人は、
フルトヴェングラーの言葉として知って聞いても「何をバカなことを!」と思うかもしれないが、
フルトヴェングラーの演奏に打ちのめされた経験のある聴き手ならば、
フルトヴェングラーの言葉としてなら、どこか納得してしまうところがある。

フルトヴェングラーの熱心な聴き手にも、そういうところがあるような気もする。
もしかすると逆なのかもしれない。
フルトヴェングラーの言葉を俟たずとも、
ドイツ音楽以外は認めない聴き手もいよう。

特に日本の聴き手にはいよう、
若い世代ではなく、戦争の前から音楽を聴いてきた聴き手にはいよう。

五味先生にも、そういう面(それに近いといえる面)があったように感じることが、
五味先生の書かれたものを読んでいるとある。

ショパンについても書かれいてるし、フランス音楽についても書かれている。
アメリカの現代音楽も一時期集中して聴かれている。
ドイツ以外の作曲家についてももちろん書かれている。

それでも、そんなことを感じてしまうのは、
おもにオペラについて書かれたものを読んでいる時である。
正確にいえば、読み終えてからである。

ワグナーについてはあれだけ書かれている。
けれどイタリア・オペラとなると、何か書かれているだろうか、と記憶を辿ることになる。

モーツァルトのオペラについては書かれているが、
そのほとんどはカラヤンの初期の演奏の素晴らしさを語る際に登場するのであり、
ワグナーのことを語り尽くそうとされている感じを、そこには求められない。