ラフマニノフの〝声〟Vocalise
ラフマニノフの「声」を知ったのも、五味先生の書かれたものによる。
読んでいるうちに聴きたくなった。
けれどすぐにはLPがみつからなかった。
私もラフマニノフは、好まない。
いまもラフマニノフの曲はあまり持っていない。
でも、この「声」だけは聴きたい、と思い続けていた。
CDになったのは、あまり早くはなかった。
廉価盤の二枚組におさめられて、やっとCDになった。
ラフマニノフもあまり聴かないけれど、
オーマンディもあまり聴かない。
だから「声」のためだけに、二枚組のCDを買ったようなものだ。
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ラフマニノフのこの曲は、オーマンディのフィラデルフィアを振った交響曲第三番のB面に、アンコールのように付いている。ごく短い曲である。しらべてみたら管弦楽曲ではなくて、文字通り歌曲らしい。多分オーマンディが管弦楽用にアレンジしたものだろうと思う。だから米コロンビア盤(ML四九六一)でしか聴けないのだが、凡そ甘美という点で、これほど甘美な旋律を他に私は知らない。オーケストラが、こんなに甘ったるく、適度に感傷的で美しいメロディを、よくもぬけぬけと歌いあげられるものだと、初めて聴いたとき私は呆れ、陶然とした。ラフマニノフの交響曲は、第二番を私は好む。第三番はまことに退屈で、つまらぬ曲だ。
ラフマニノフ家は由緒あるロシアの貴族で、農奴解放運動で、しだいに父親は領地を失ったというが、そうした社会的変革はラフマニノフの音楽——その感性にさして影響は及ぼさなかった。しかしロシア革命は、彼の貴族生活を根底からくつがえし、ソヴィエト政権を嫌った彼は他の多くの白系貴族同様、一九一七年にパリに亡命し、翌年からはアメリカに住んでいる。
おもしろいのは、彼のいい作品は——第二交響曲、有名な十三の前奏曲、第二ピアノ協奏曲、それにこの〝声〟など、すべてアメリカ永住以前に作られていることで、アメリカに住んでからは第三交響曲に代表されるように、まったく退屈な駄作しか作れなくなったことだ。この辺にセルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフの音楽の限界——その長所も欠点もが、あるのだろう。それはともかく〝声〟の甘美さは空前絶後といえるもので、一度でもこの旋律を耳にした人は、忘れないだろうと思う。どうしてこんな甘美な調べが、一般には知られていないのか、不思議である。もしかすればオーマンディの編曲が巧みだったからかも知れないが(原曲の歌を私は聴いたことがない)私の知る限り、〝声〟の甘さに匹敵するのはブラームスのワルツくらいだ。
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ほんとうにオーケストラが、
《こんなに甘ったるく、適度に感傷的で美しいメロディを、よくもぬけぬけと歌い》あげる。
今日(正確にはもう昨夜)、
audio sharing例会で、この「声」をかけた。
オーケストラがアメリカ、それもシカゴではなくフィラデルフィアということもあってだろう、
アルテックで鳴らすと朗々と鳴ってくれる。
JBLでは、こんなふうには鳴ってくれない、と思ってしまうほど、
アルテックの昔のスピーカーは、歌ってくれる。