AXIOM 80について書いておきたい(その7)
いまの時代、裡にある毒と共鳴する毒をもつスピーカーを求める人はどのくらいいるのか。
昔もそう多くはなかったのかもしれないが、
いまはもっともっと少ないような気がしないでもない。
それに毒をもつスピーカーが、現行製品の中にはたしてある、といえるのだろうか。
例えばローサーのユニットを復刻したといえるヴォクサティヴにしても、
いいスピーカーとは思いながらも、毒をもつ、とは感じていない。
ヴォクサティヴでもそうである。
それ以外のスピーカーとなると、毒とは無縁のところにある、と思う。
それが技術の進歩といえばたしかにそうであるわけだが、
それだけで美しい音を鳴らすことができるのだろうか、という疑問が残る。
新しいスピーカー、高価なスピーカーの中には、首を傾げたくなる音のモノがある。
そういうスピーカーは毒をもっているのかというと、
どうも私の耳には、そうは聴こえない。
それらのスピーカーが持っているのは毒ではなく、澱のような気がする。
最新のスピーカーであっても、澱がどこかに感じられてしまう。