Archive for category オーディオ評論

Date: 10月 19th, 2022
Cate: オーディオ評論

評論家は何も生み出さないのか(その9)

2010年1月1日に、「オーディオにおけるジャーナリズム(特別編)」を公開している。
ここで公開しているのは、
瀬川先生が(おそらく)1977年に書かれたメモである。

このメモは、新しいオーディオ雑誌の創刊のためのメモと読める。
いわば企画書である。

このころ、なぜ瀬川先生は、こういうものを書かれたのだろうか。
そのことを考えてみてほしい。

そこから、また引用しておきたい。
     *
◎昨今のオーディオライターが、多忙にかまけて、本当の使命である「書く」ことの重要性を忘れかけている。談話筆記、討論、座談会は、その必然性のある最小限の範囲にとどめること。原則として、「書く」ことを重視する。「読ませ」そして「考えさせる」本にする。ただし、それが四角四面の、固くるしい、もってまわった難解さ、であってはならず、常に簡潔であること。ひとつの主張、姿勢を簡潔に読者に伝え、説得する真のオピニオンリーダーであること。

◎しかしライターもまた、読者、ユーザーと共に喜び、悩み、考えるナマ身の人間であること。小利巧な傍観者に堕落しないこと。冷悧かつ熱烈なアジティターであること。
     *
《小利巧な傍観者に堕落しないこと》とある。
小利巧な傍観者に堕落してしまっては、何も生み出せないはずだ。

Date: 10月 16th, 2022
Cate: オーディオ評論

評論家は何も生み出さないのか(その8)

ここでのテーマである、
「評論家は何も生み出せないのか」について考える際に、
「評論家はどうしても何も生み出せないのか」もあわせて考えると、
小林秀雄の批評についての文章を思い出す。
     *
人々は批評という言葉をきくと、すぐ判断とか理性とか冷眼とかいうことを考えるが、これと同時に、愛情だとか感動だとかいうものを、批評から大へん遠い処にあるものの様に考える、そういう風に考える人々は、批評というものに就いて何一つ知らない人々である。
(「批評に就いて」より)
     *
オーディオ評論家と、いま呼ばれている人たちも(書き手側)、
オーディオ評論家と、いま呼んでいる人たちも(読み手側)、
小林秀雄が指摘しているように、根本のところで《そういう風に考える人々》なのではないのか。

結局、愛のないところには、何も生れない、
このことにつきる。

Date: 10月 2nd, 2022
Cate: German Physiks, オーディオ評論, 新製品

ジャーマン・フィジックス HRS130(とオーディオ雑誌・その3)

facebookでGerman Physiks(ジャーマン・フィジックス)をフォローしている。
9月17日のGerman Physiksの投稿は、
オーディオアクセサリー 186号で取り上げられたことについて、であった。

そこに石原俊氏の文章が、英訳されて一部引用されていた。
そして、最後にはこうある。

Our thanks to Mr. Ishihara and the Audio Accessory editorial staff and Mr. Iori of Taktstock, our Japanese distributor, for arranging the review.

これを読んでいたから、オーディオアクセサリーのHRS130の記事が楽しみだった。
オーディオアクセサリー 186号が発売になって、
一ヵ月足らずでのGerman Physiksの、この投稿である。

ステレオサウンド 224号が発売になって、一ヵ月。
そろそろGerman Physiksの投稿で、
ステレオサウンドのこと、山之内正氏のことが取り上げられるのか。

Our thanks to Mr. Yamanouchi and the Stereo Sound editorial staff and Mr. Iori of Taktstock, our Japanese distributor, for arranging the review.
という投稿がなされるのだろうか。

Date: 10月 1st, 2022
Cate: German Physiks, オーディオ評論, 新製品

ジャーマン・フィジックス HRS130(とオーディオ雑誌・その2)

オーディオアクセサリーの石原俊氏の文章、
ステレオサウンドの山之内正氏の文章、
この二つのHRS130についての文章を読んだ後に、
ステレオサウンド編集長の染谷一氏の編集後記を読むと、あれこれ妄想してしまう。

染谷編集長は、試聴記について書かれている。
そこには、
《自分の好みをただ押し付けただけの感想の羅列を試聴記として読まされると、いったい何の目的を持って誰のために書かれた文章なのかと理解に苦しむ》
とある。

そして最後には、
《プロ意識が欠けたまま書かれた試聴記には何の価値もないと思う。自戒の念を強く込めて。》
と結ばれている。

最初、読んだ時、どういう心境の変化なのだろう──、と思った。
それにしても、ただ試聴記とあるだけで、
この試聴記が、どの試聴記を指しているのかは、ひどく曖昧というか、
どうとでも読めるような書き方だ。

インターネットにあふれている個人の試聴記なのか、
それともステレオサウンド以外のオーディオ雑誌の試聴記なのか、
《自戒の念を強く込めて》とあるのだから、
ステレオサウンドの試聴記も含めてのことなのか。

オーディオアクセサリー 186号の発売日と、
この編集後記が書かれたであろう時期とを考えると、
オーディオアクセサリーを読んでの編集後記ではない、と思われる。

にしても、HRS130についての石原俊氏の文章と山之内正氏の文章を読むと、
こういうことを書きたくなるのかもしれない──、というのは私の妄想でしかない。

Date: 10月 1st, 2022
Cate: German Physiks, オーディオ評論, 新製品

ジャーマン・フィジックス HRS130(とオーディオ雑誌・その1)

おそらく今日からなのだろうが、
ステレオサウンド 224号がKindle Unlimitedで読めるようになった。

224号は、少し楽しみにしていた記事がある。
おそらく224号で取り上げられているであろう、
ジャーマン・フィジックスのHRS130の新製品紹介の記事である。

8月発売のオーディオアクセサリー 186号でもHRS130は取り上げられている。
9月発売のステレオサウンド 224号でも取り上げられていて、
オーディオアクセサリーでは石原俊氏、ステレオサウンドでは山之内正氏、
オーディオアクセサリーはカラーで6ページ、ステレオサウンドはモノクロ2ページである。

カラーであるとかモノクロであるとか、
6ページなのか2ページなのかよりも、そこに書かれている内容である。
内容が薄ければカラー6ページであっても、モノクロ2ページの記事に劣ることだってある。

けれど、HRS130に関しては、オーディオアクセサリーの4ページである。
ステレオサウンドの山之内正氏の文章よりも、
書き手(石原俊氏)の熱っぽさが伝わってくるからだ。

石原俊氏は以前はステレオサウンドに書かれていた。
いつのころからか、さっぱり書かれなくなっていた。
そしていつのまにかオーディオアクセサリーに登場されるようになった。

山之内正氏はオーディオアクセサリーに書かれていた、いまも書かれている。
二年ほど前からステレオサウンドに登場されるようになった。
いまではメイン執筆者の一人である。

その二人がHRS130の記事を書いている。
私は、石原俊氏の文章(オーディオアクセサリーの記事)を読んでほしい、と思っている。

Date: 7月 24th, 2022
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の才能と資質(コメントを読んで)

その7)へのコメントが、facebookであった。
オーディオ評論家がメインでデモをやるオーディオにイベントによく行くけれど、
この人は本当にやる気を出しての選曲なのか、と思うことがある、とあった。

続けて、そのオーディオ評論家による音量設定も、
《やる気のなさそうな音量》とも書いてあった。

《やる気のなさそうな音量》。
まさにそんな感じの音量設定は、オーディオショウでもけっこう多い。
なぜ、こんな低い音量設定なの? と感じることが多いだけでなく、
増えてきているようにも感じている。

音量設定は難しい。
それに加えてオーディオショウの空間の広さ、
入場者の数、最前列と最後列との距離など、難しさがあるのはわかる。

それでも大きな音量だとバカにされるとでも思っているのだろうか。
控えめな音量だと、音楽を理解していると思われるとでも思っているのか。

音楽によって音量を変えることもあまりしないところ(人)がけっこういる。
そういうブースの音は、まさに《やる気のなさそうな音量》がぴったりくる。

Date: 7月 23rd, 2022
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の才能と資質(その7)

オーディオメーカーに以前在籍されていた人からきいた話がある。
その人によると、ステレオサウンドが創刊されて十年目のことだった(そうだ)。

五味先生の「オーディオ巡礼」のメーカー篇、番外編というべき企画があった、とのこと。
五味先生がオーディオメーカーの試聴室を訪問する、というものだ。

私に話をしてくれた人によると、一刀両断だったそうだ。
ばっさりと切られた、と。

その人の話によると、
そのメーカーだけではなく、他のメーカーも同様だったらしい。
つまり、どこもひどい音──。
結局、創刊十周年企画は流れてしまった……。

ステレオサウンド創刊十年だから、1976年ごろの話である。

そのころの、そのメーカーの製品の音は聴いている。
良かった製品も少なくなかったし、
オーディオ雑誌での評価は高いものだった。

矛盾しているのではないか、と思う人がいるかもしれないが、
試聴室でいい音を出すことと、細かな音の違いを聴き分けることは、
必ずしも同じではない、ということだ。

このことを一緒くたにして捉えてしまう人が少なくないことを、
ソーシャルメディアを眺めていて実感したばかりである。

その6)で書いたことをここでくり返しはしないが、
メーカーの技術者が、たとえばスピーカーの開発者が、
その人が開発したスピーカーをもっともうまく鳴らせる人ではない、ということ。

(その6)でカメラ、車の例を出した。
なぜ、オーディオだけごっちゃにして捉えてしまう人が少なくないのだろうか。

Date: 7月 11th, 2022
Cate: オーディオ評論

B&W 800シリーズとオーディオ評論家(その17)

いまごろステレオサウンド 222号の特集、
「現代最先端スピーカー B&W 801D4大研究」をKindle Unlimitedで読んだ。

小野寺弘滋、櫻井 卓、三浦孝仁、和田博巳の四氏による座談会を読んで、
というよりもまず眺めて思ったのは、なぜ、ここに傅 信幸氏がいないのか、である。

傅 信幸氏は、この座談会だけでなく、特集にはまったく参加されていない。
私だけでなく、多くの人がなぜ? と感じたことだろう。

ほんとうになぜ? である。
傅 信幸氏はB&WのNautilusを愛用されている。
だからこそ、傅 信幸氏に801D4をどう評価するのか、
もっといえば、Nautilusと801D4と比較して、本心はどう思っているのか。
多くの読者は、そこが知りたいのではないのか。

Nautilusは4ウェイのマルチアンプ駆動で、
801D4は内蔵ネットワークのおかげでマルチアンプにしなくてもよい。

この二つのスピーカーシステムを鳴らすシステムの規模は、
だから大きく違ってくるわけで、
どちらがどれだけいいとかそうでないのとか、
そういう直接比較をするものではない──、そういう意見は納得できる。

けれど、ステレオサウンドの読者の本音は、そこがいちばん知りたいところに近いのではないのか。
傅 信幸氏は、801D4を聴いて、心が揺らぐことはなかったのか。

そういったことを含めた傅 信幸氏の本音を、
座談会で語ってほしかった、とおもうわけだが、
ステレオサウンド編集部は、なぜ傅 信幸氏を特集から外したのだろうか。

Date: 6月 16th, 2022
Cate: オーディオ評論

評論と評価/「表」論と「表」価(その2)

ステレオサウンドの「オーディオの殿堂」。
この企画は、オーディオ評論と評価によるものなのか、
オーディオ「表」論と「表」価にるものなのか。

Date: 3月 14th, 2022
Cate: オーディオ評論

オーディオ雑誌考(その10)

別項で紹介している「リバーエンド・カフェ」を読んで思ったことは、
オーディオ雑誌は、川のような存在だということ。

川の終りは海への入口である──、
そんなセリフが「リバーエンド・カフェ」の中に出てくる。

海に出て行くため、
つまりオーディオという海へ導くため、
そして海を冒険していくのに必要なことを伝えるため、
オーディオ雑誌に限らず、趣味の雑誌というものはそういうものだと思った。

海に出るために、どの川を通ってくるのか。
それは人によって違う。

海に出ることができたら、冒険していけばいい。
冒険することで、オーディオという趣味の広さ、深さを知ることができる。

なのに、いまのステレオサウンドは川の終り(海への入口)に港をつくっている。
ステレオサウンド港といいたくなる。

そこに川を下ってきた人を留めておくためにだ。

Date: 3月 4th, 2022
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(300Bのこと・その9)

(その4)で書いたことを、もう一度、書いておこう。

300Bは、いうまでもなくウェスターン・エレクトリックの球である。
つまり300Bはトーキー用のアンプに使われる出力管である。
このことを思い出してほしいし、絶対に忘れないでいただきたい。

しかもアメリカの映画館で使われていたアンプの出力管である。

サウンドボーイの編集長だったOさんから聞いたことがある。
「300Bシングルは、いわゆる日本的なシングルアンプの音ではない」と。
Oさんは「トーキー用アンプの球なんだから」とも続けた。

Oさんは自他共に認める伊藤先生の一番弟子。
300Bのシングルアンプで、シーメンスのオイロダインを鳴らされていた。

1982年のステレオサウンド別冊 Sound Connoisseur(サウンドコニサー)に、
伊藤先生の300Bについての記事が載っている。
この記事(というよりサウンドコニサーそのもの)の担当も、もちろんOさんだった。

この記事のタイトルは、「真空管物語」。
さらにこうつけ加えられている。
「ウェスターン・エレクトリックの至宝 極附音玻璃球」である。

極附音玻璃球は、きわめつきおとのはりだま、と呼ぶ。
300Bのシングルアンプ、それも伊藤先生のアンプを聴いたことのある者には、
この「極附音玻璃球」こそ300Bのことだと、頷ける。

300Bとは、そういう音の球である。
それなのに、いまだに300Bシングルの音を、
他の直熱三極管の、出来の良くないアンプの音のイメージといっしょくたにしている。

しかも、それをくり返している。
ステレオサウンドの編集者は、誰もそのことに気づいていないのか。

Date: 3月 3rd, 2022
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(300Bのこと・その8)

八年前の(その7)で書いたことを、またくり返すのか。
ステレオサウンド 221号を読んでいて、そう思っていた。

221号の219ページ。
特集ベストバイのパワーアンプのページである。
ウエスギのU·BROS300AHPSが載っている。
傅 信幸氏の文章が、そこにはある。

《300Bは高域の響きの魅力だけでないことを教えてくれた》
とある。

不勉強なだけではない。
時が止っている。

Date: 3月 3rd, 2022
Cate: オーディオ評論

B&W 800シリーズとオーディオ評論家(その16)

今日発売のステレオサウンド 222号の特集は、
「現代最先端スピーカー B&W 801D4大研究」である。

三部構成で、小野寺弘滋、櫻井 卓、三浦孝仁、和田博巳の四氏による座談会、
櫻井 卓氏をのぞく三氏による鳴らしこみテスト、
開発担当者へのインタヴューとなっている。

Kindle Unlimitedで読めるようになったら読むつもりなので、
また読んでいない。

座談会の内容がどんなのだかは、全く知らない。
それでも絶賛の嵐なのだろう、という予想はつく。

優秀なスピーカーシステムなのだろうから、
絶賛されるのはわからないわけではない。それはそれでいい。

私が知りたいのは、この座談会で、誰かが購入すると発言したのだろうか、である。
どうなのだろうか。

誰も購入しないままなのか。
そうだとしたら、座談会の司会は、その理由を訊いたのか。

Date: 1月 5th, 2022
Cate: オーディオ評論

B&W 800シリーズとオーディオ評論家(その15)

パソコンが欲しい、といいながらも、
「来年になるともっと性能のいいのが出てくるんでしょ。それまで待とうかしら」といい、
結局買わない人がいることを、(その14)で書いている。

パソコンが欲しい、とはいっていたけれど、
買ってみようかしら、ぐらいの欲しいであって、
おそらく「パソコンが必要!」とまではいっていなかったのだろう。

そんなふうに思っていると、
ステレオサウンドに書いているオーディオ評論家の人たちが、
誰一人としてB&Wの800シリーズを購入しないのは、
必要! と感じていないからなのかもしれない。

家庭で音楽を聴いていく人生において、必要と感じていなければ、
いくら優秀なスピーカーと認めても、決して安価なモノではないだけに、
購入しようとまでは思わなくても不思議ではない。

ここでの必要と感じていないは、ここ数ヵ月、
私がくり返し述べている「心に近い」ということに深く関係しているのかもしれない。

ステレオサウンドに書いているオーディオ評論家で、
「心に近い」ことについて書いている人は誰もいないけれど、
心のどこかで、心に近い(遠い)を感じとっていることだって考えられる。

ほぼ無意識に、B&Wの800シリーズは、心に近くない(遠い)と感じている──、
そんなふうに考えられるのだが、
ほんとうのところは私にはわからない。

いっそのことステレオサウンドの春号(222号)の特集は、
「私はなぜB&W 800シリーズを買わないのか」というテーマでやってほしい。

221号のベストバイで星三つを入れている人たちに、
その理由をきっちりと書いてもらう。

できれば、その原稿を読んだ上で、編集長が個別にインタヴューしていく。
つまりツッコミをいれながら問うていく。

絶対にやらない企画だろうが、なぜ誰も買わないのか、という読者の疑問に、
そろそろきちんと答えてもいい時なのではないだろうか。

それとも誰か購入を決心しているのだろうか。

Date: 1月 4th, 2022
Cate: オーディオ評論

B&W 800シリーズとオーディオ評論家(その14)

二十年ほど前のことになるだろうか。
インターネットが普及してきて、それまでパソコンを使ってこなかった人が興味を持つようになった。

私の周りというか、友人の知人・友人でそういう人が何人かいた。
何を買ったらいいのか、という相談もあった。

この人たちの口から共通して聞けたのは、
「来年になるともっと性能のいいのが出てくるんでしょ。それまで待とうかしら」だった。

確かに来年の新製品は性能が向上している。
価格が同じであってもだ。

でも再来年の新製品は、もっと性能が向上して登場してくる。
三年後になると、五年後になると……。

毎年、パソコンの新製品は性能が向上していくのだから、
そんなことを言ってたら、買い時なんてずっとないことになる。

でも、そんなふうには考えないみたいである。
その人たちが、その後どうしたのかまでは知らない。
スマートフォンに関しても、まったく同じことを言っていてもおかしくない。

こんなことを、ふと思い出した。
ステレオサウンドで、B&Wの800シリーズの新製品が出るたびに、
ほぼオーディオ評論家全員が絶賛する。
なのに誰一人として購入することはない。

このことはもう十年ほど前から指摘されていることである。
なぜ、ステレオサウンドのオーディオ評論家はB&Wの800シリーズを買わないのか、
私にそうきいてきた人も何人かいる。

私に訊くよりも、オーディオ評論家本人に、
インターナショナルオーディオショウとかで訊ねればいいだろうし、
ステレオサウンド編集部に電話して訊ねたほうがいい。

でも、ふと上記のパソコンのことを思い出した。
B&Wの800シリーズは、毎年新シリーズが登場するわけではないが、
確実に以前のシリーズよりも新シリーズは、より優秀なスピーカーシステムに仕上がっている。

つまりD3シリーズよりも今回のD4シリーズである。
D3シリーズを絶賛した人のなかには、もしかすると購入を考えた人もいたかもしれない。

「でもD4が出たら、もっと良くなっているはず」
そう考えて購入にいたらなかった可能性もある。
実際、D4シリーズはD3シリーズよりも良くなっている、という評価だ。

では誰かD4シリーズを購入するかといえば、
今回も同じことを考えるのかもしれない。
「でもD5が出たら、もっと良くなっているはず」と。