評論家は何も生み出さないのか(その8)
ここでのテーマである、
「評論家は何も生み出せないのか」について考える際に、
「評論家はどうしても何も生み出せないのか」もあわせて考えると、
小林秀雄の批評についての文章を思い出す。
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人々は批評という言葉をきくと、すぐ判断とか理性とか冷眼とかいうことを考えるが、これと同時に、愛情だとか感動だとかいうものを、批評から大へん遠い処にあるものの様に考える、そういう風に考える人々は、批評というものに就いて何一つ知らない人々である。
(「批評に就いて」より)
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オーディオ評論家と、いま呼ばれている人たちも(書き手側)、
オーディオ評論家と、いま呼んでいる人たちも(読み手側)、
小林秀雄が指摘しているように、根本のところで《そういう風に考える人々》なのではないのか。
結局、愛のないところには、何も生れない、
このことにつきる。