オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(300Bのこと・その7)
300Bシングルアンプの音が、楚々として細めという発言があって、
少なくともステレオサウンド 189号の座談会のまとめを読むかぎりでは、
賞の選考委員の全員が、300Bシングルアンプの音が、楚々として細めと受けとっているようだ。
ウエスギの300Bシングルアンプの音は、そんな300Bシングルアンプの音のイメージとは違う──、
そういうまとめかたになっていた。
(友人宅でちょっと読んだだけなので、正確な引用ではない)
これを読んでいて、ステレオサウンドグランプリの選考委員の誰ひとりとして、
伊藤先生の300Bシングルアンプの音を聴いたことがないんだろう、と思った次第だ。
何も選考委員全員が伊藤アンプの音を聴いていなければならない、なんてことは、
いわないし、求めたりもしない。
ただ誰も、ひとりもいないのか、と思っただけである。
これではなんのために選考委員が一人ではなく、何人もいる意味がどこにあるのだろうか。
オーディオ雑誌に、何人ものオーディオ評論家が書いている意味は、どういうことなのだろうか。
ひとりひとりには、オーディオ評論家としての役割があるから、だと私は考えている。
今回の件にしても、ひとりだけでいいから、伊藤先生の300Bシングルアンプの音を聴いた人がいるだけで、
座談会の内容は深みを増したであろうに……、と残念におもう。