江川三郎氏のこと(その5)
岩崎先生が鳴らされるパラゴンの音は、聴きたかった。
いまでも聴きたい、とさえ思っている。
江川三郎氏のパラゴンの音は、私にとってどうか。
聴いてみたい、といえば好奇心から、そうだ、となる。
でも岩崎先生のパラゴンを聴きたかった、とは違う意味での聴いてみたいである。
それでも聴いてみたいと思っているのは、
江川三郎氏とパラゴンとの関係について考える上で、がその理由である。
おそらく二月発売のオーディオアクセサリーにはなんらかの記事が載るであろうし、
インターネットでも、いろんな人が江川三郎氏について書いていくであろう。
私は先に書いているように、1990年代以降はあまり読まなくなっていた。
そういう者に書けることは、それほど多くはない。
もっと多くのことを書ける人が大勢いることだと思う。
その人たちに私が期待しているのは、
江川三郎氏とパラゴンとの関係についてである。
江川三郎氏のパラゴンの音を聴いている人も、その中にはいるはず。
私がなんとなく感じているのは、江川三郎氏はオーディオ評論家だったのか、である。
オーディオ評論家だった時期はたしかにある。
けれど、それはパラゴンを手放された以降、徐々に変っていったようにも思う。
といっても江川三郎氏の熱心な読み手ではなかった私は、
このへんの事実関係をしっかり調べているわけではない。なんとなくの記憶から書いているにすぎない。
オーディオ機器の紹介記事を書いたり、
試聴をしたりするのがオーディオ評論家ではないことはないことはことわったうえで、
江川三郎氏はオーディオ評論家でありつづけたのか。
あといくつか江川三郎氏について書けることはあるけれど、
このへんにしておこう、と思っている。