Archive for category 戻っていく感覚

Date: 8月 6th, 2022
Cate: 戻っていく感覚

ラックス MQ60がやって来る(その7)

ラックスのSQ38は、なぜ38(サンパチ)なのか。
昭和38年(1963年)に登場しているから、という話を以前聞いたことがある。

ステレオサウンドの「世界のオーディオ」のラックス号巻末の社史年表をみると、
確かに昭和38年12月に登場していることになっている。

SQ37でもSQ39でもない。
SQ38である。
私は昭和38年生れだから、この38(サンパチ)という数字に、
愛着のようなものを感じる。

ということは来年(2023年)は、SQ38誕生60年にあたる。
SQ38誕生60周年記念モデルが登場するのだろうか。

もし登場するとして、真空管は何を使うのだろうか。
現行機種のLX380は、出力管に6L6GCを使っている。

6L6GCは三極管ではなくビーム管である。
SQ38の、当時の謳い文句は三極管採用ということだった。
50CA10は四極管なのだが、真空管内部で三極管接続しているため、
ラックスは三極管扱いにしているし、
パワーアンプ部初段の6267/EF86に関しても、五極管を三極管接続することで、
全段三極管というふうに紹介されていた。

LX380は6L6GCを三極管接続にしているわけでない。
全段三極管ということにはこだわっていない。

それでいいと思っている。
けれど、SQ38誕生60周年記念モデルということを歌うのであれば、
やはりここは三極管構成ということにこだわってほしい。

Date: 8月 4th, 2022
Cate: 戻っていく感覚

ラックス MQ60がやって来る(その6)

(その5)に、facebookでコメントがあった。
真空管とコンデンサーが近い配置をみると、疑問を感じる──と。

このことも触れようと思っていた。
コンデンサーが熱に弱い、ということを知らないのか。
そう問いたくなるような部品配置をしているアンプは、意外にもけっこうある。

コンデンサーに限らず、熱の影響をまったく受けない部品はないのだから、
高熱を発する部品をどう配置するのかは、製品の安定度、寿命の点でも絶対に無視できない。

にも関わらず1980年代のアメリカの新興アンプメーカーのなかには、
安全性ということをまったく無視した配置のアンプがいくつかあった。

パワーアンプだけではない。
コントロールアンプでも、真空管を使いながらも全面プリント基板を用いるため、
同じ平面上に真空管、抵抗、コンデンサー類が並ぶことになる。

電圧増幅管は出力管ほど発熱量は多くないけれど、
トランジスターよりもずっと多く発熱しているわけで、
信号経路上、その位置にコンデンサーがくるのは理解できるけど、
なぜそんなにも接近させるのか、しかも熱を遮断する工夫をしないのか。

アンプに使われる部品はすべて消耗品とでも考えているのか。
とにかく熱に対しての配慮がほとんど感じられない製品は、
残念なことにいまもある。

話が飛躍する、と思われるかもしれないが、
こういうところが、別項「時代の軽量化(その18)」へと私のなかではつながっている。

Date: 8月 4th, 2022
Cate: 戻っていく感覚

ラックス MQ60がやって来る(その5)

左右対称で重量バランスも配慮されているから、
MQ60のレイアウトは、ステレオ真空管パワーアンプとして理想かといえば、
そうとはいえないところが難しいところだし、オーディオの面白さでもある。

MQ60では出力管は出力トランスの前にある。
電圧増幅管は出力トランスと電源トランスに挿まれるように配置されている。

この点が気になる。
ならば出力管と電圧増幅管の位置を変更したら──。

トランスからの干渉を抑えるという点ではいいけれど、
見た目の印象はずいぶんと変化してしまう。

出力管四本がシャーシー前面にあるのと、
トランスに挿まれてしまうのとでは、
多くのオーディオマニアはどちらを選ぶだろうか。

それに出力管をトランスで挿む配置にすると、
出力トランスと電源トランスの距離を、かなり広げることになる。

電圧増幅管と出力管とでは大きさが違うし、発熱量も違う。
そうなるとシャーシーが全体に横に長すぎるプロポーションになるし、
うまく処理しないと間が抜けた印象にもなりがちだ。

MQ60は1972年に、無帰還設計のMQ60Cが出ている。
レイアウトはMQ60そのままである。

さらに1978年に、MQ68Cが登場した。
MQ60とMQ60Cを一つにまとめたといえるアンプで、
NFB量を0dBと16dBにきりかえることができる。

MQ60のレイアウトを継承したアンプは、ここで一旦途切れるが、
1980年代にはMQ88でふたたび採用され、現行機種のMQ88uCもそうである。

そういえば、いま書店に並んでいる管球王国 105号でMQ88uCが取り上げられている、とのこと。
その記事で写真の説明文に、
MQ88uCのデザインは、1969年発売のMQ66のデザインを継承している──、
そんなことが書かれている、と友人から連絡があった。

友人は、「MQ66なんて、ラックスの製品にはないよね」という確認も含めてだった。
私は管球王国 105号をまだ見てないけれど、
ほんとうに説明文にMQ66とあるのだとしたら、MQ60の間違いである。

Date: 8月 3rd, 2022
Cate: 戻っていく感覚

ラックス MQ60がやって来る(その4)

MQ60は、1969年に登場している。
当時、MQ60のラックス製品中の位置づけはどうだったのかは知らない。

私がオーディオに興味を持ち始めたのは1976年秋からで、
そのころのラックスの真空管パワーアンプのラインナップを眺めると、
MQ60は中級クラスの製品であった。

完成品のラックスだけでなく、ラックスキットにおいても中級品といえる。
A2500がKMQ60よりも安価だったが、それ以外の製品はすべてKMQ60よりも高価だった。

そんななかにあって、MQ60(KMQ60)の真空管、トランス類のレイアウトは違っていた。

6RA8プッシュプルのA2500、EL34プッシュプルのA3500、8045GプッシュプルのA3600、
6336AプッシュプルのKMQ80、いずれとも違うレイアウトの採用である。

A2500、A3500、A3600、これら三機種のレイアウトは共通している。
トランスという重量物を、シャーシー両端に配している。

シャーシーの片側に出力トランス、
その反対側に電源トランスとチョークコイルと、
中央の真空管群をはさむようなレイアウトである。

マイケルソン&オースチンのTVA1も基本的に、同じレイアウトである。

KMQ80はトランス類をシャーシー後方に横一列に配している。

つまりラックス(キット)を含めて、ステレオ仕様の真空管パワーアンプのなかで、
MQ60のレイアウトはこれだけが左右対称となっている。

シャーシー左右両端に、出力トランス、
シャーシー中央に電源トランスなのだが、
出力トランスはシャーシー後方寄りに、
電源トランスはシャーシー前方寄りになっているため、
三つのトランスが横一列に並んでいるわけではない。

トランスという重量物が複数シャーシー上に並ぶ真空管アンプでは、
これまで別項で指摘してきているように、重量バランスヘの配慮が重要となる。

MQ60は、左右対称とともに重量バランスもとっている。
A2500、A3500、A3600も重量バランスはとれているけれど、
左右対称とはいえない。

Date: 8月 1st, 2022
Cate: 戻っていく感覚

ラックス MQ60がやって来る(その3)

ラックスは、なぜLX38としたのだろうか。
SQ38FD/IIIとしなかった理由は、ウッドケースをやめたからではなく、
内部を比較してみるとはっきりすることなのだが、
LX38はプリント基板を要所要所で使い、製造コストを抑えていることがわかる。

SQ38シリーズだったころとはワイヤリングがずいぶん違うし、
製造にかかる時間も手間もずっと合理化されたはずである。

なのでLX38とSQ38FD/II。
どちらも程度のよい中古があったとしたら、どちらがいいかと訊かれたら、
SQ38FD/IIと答える。
内部を見たくなる人ならば、よけいにそうだ。

でも私は、それでもLX38をとる。
五味先生が書かれたことを思い出す。
     *
最近、復刻盤でティボーとコルトーによる同じフランクのソナタを聴き直した。LPの、フランチェスカッティとカサドジュは名演奏だと思っていたが、ティボーを聴くと、まるで格調の高さが違う。流麗さが違う。フランチェスカッティはティボーに師事したことがあり、高度の技巧と、洗練された抒情性で高く評価されてきたヴァイオリニストだが、芸格に於て、はるかにまだティボーに及ばない、カサドジュも同様だった。他人にだからどの盤を選びますかと問われれば、「そりゃティボーさ」と他所ゆきの顔で答えるだろう。しかし私自身が、二枚のどちらを本当に残すかと訊かれたら、文句なくフランチェスカッティ盤を取る。それがレコードの愛し方というものだろうと思う。
(「フランク《ヴァイオリン・ソナタ》」より)
     *
レコードとアンプとでは話はまったく同じなわけではないのはわかっていても、
それがいいから必ずしも選ぶとはかぎらない。

ステレオサウンドの「世界のオーディオ」のラックス号の171ページに、
製品の型番のアルファベットについて書かれている。
それによると、
プリメインアンプはSQとL、
コントロールアンプはCLとC(旧製品はPZとPL)、
パワーアンプはMBとMQとM(旧製品はMVとMRとMA)、
チューナーはT(旧製品はWZとWLとVL)、
スピーカーはLX(旧製品は〜Hと〜CとS)、
プレーヤーはPD(旧製品はP)、
キットはKとA、
となっている。

1975年時点で、LXはスピーカーにつけられる型番だった。
それがプリメインアンプに移っている。

LX38は1978年に登場している。
それ以降、ラックスからスピーカーが登場していないのかというと、そうではない。
MSから始まる型番の製品がいくつか出ていた。

Date: 8月 1st, 2022
Cate: 戻っていく感覚

ラックス MQ60がやって来る(その2)

真空管の音は、それ以前もラジオやテレビで聴いていたけれど、
オーディオアンプとしての真空管の音は、私にとって、その最初はラックスのLX38だった。

これまでのオーディオ歴で、真空管アンプは四台使ってきた。
チューナーは一台である。
ただ、どの機種にしても長期間愛用してきたとはいえない。

そんな私のところに、ラックスのMQ60がくる。
SQ38FDとLX38のパワーアンプの回路がどの程度違っているのは、調べていない。
二機種の回路図を比較すれば、多少の違いはあるだろうけれど、
基本的には同じ回路だと思われる。

ということはLX38のパワーアンプ部とMQ60は回路的には同じだろう。
そのMQ60が、LX38を聴いた日から四十年以上経って、私のところにやって来る。

不思議な感覚だからこそ、この項のテーマは真空管アンプではなく「戻っていく感覚」である。

Date: 7月 31st, 2022
Cate: 戻っていく感覚

ラックス MQ60がやって来る(その1)

今回はヤフオク!ではない。
あるところからラックスのMQ60がやって来る予定である。

MQ60と書いてしまったが、正確にはKMQ60。
MQ60のラックスキット版である。

MQ60は50CA10のプッシュプルアンプである。
SQ38FDのパワーアンプ部を独立させた製品といえる。

50CA10は、ヒーター電圧が50Vという規格の出力管で、
50CA10を二本直列接続すれば、AC100Vからヒーター電圧をとれる。
つまり電源トランスから50CA10用のヒーター巻線を省くことができる。

真空管アンプの電源トランスには、
高電圧・低電流の巻線と定電圧・高電流の巻線とがある。

出力管のヒーター用巻線を省ければ、それだけ電源トランスの製造は楽になるし、
その分コストも下がるし、発熱も少なくなる。
メリットは、確かにある。

だからラックスが管球式プリメインアンプに50CA10を採用した理由も理解できる。
けれど、当時のように50CA10が製造されていて入手が容易ならばそれでいいけれど、
50CA10は、このヒーターのせいで代替管がない。

私のところにやって来るMQ60に挿っている50CA10の状態がどうなのか、
いまのところわかっていない。

50CA10がダメになっていたら、ヤフオク!で探すことになるだろう。
それにメインテナンスも必要だし、きちんと音を出せるようになるまでは少し時間がかかる。

それでいい、と思っている。
ぽつぽつやっていけば、涼しい季節になっているはずだからだ。

Date: 5月 12th, 2022
Cate: 戻っていく感覚

SAE Mark 2500がやって来る(コントロールアンプのこと・その23)

この項を書き始めたときは、
まさかGASのTHAEDRAがやって来るとは、まったく思いもしていなかった。

SAEのMark 2500と組み合わせるコントロールアンプをどうするか。
すでに書いているようにまっさきに候補にあがったのは、
マークレビンソンのLNP2である。

そして次に、一度試してみたいと思っていたのが、
CelloのAudio Suiteである。

Audio SuiteとMark 2500とでは価格的にもアンバランスだし、
大きさもコントロールアンプのAudio Suiteのほうが大きい。

それにAudio Suiteは、いったいどれだけ売れたのだろうか。
Audio Suiteの中古相場はどのくらいなのか、まったく知らない。

今回THAEDRAを三万円ほどで手に入れることができたけれど、
同じようなことがAudio Suiteで起ることはまずない。

それでもコーネッタを鳴らすアンプとして、
Audio Suiteをシステムに組み込んだら──、
そんなことを妄想していたけれど、
さすがに現実味がまったくないから、あえて書かなかった。

なのに、Audio Suiteを貸しましょうか、といってくださる人が現れた。
二つ返事で、ぜひ! と答えたいところだが、迷っている。

聴かないから妄想で、妄想を逞しくすることで愉しめる。
ところが一度聴いてしまったら、
その妄想は幻想でしかなかった──、という心配をしているわけではなく、
その反対で、Audio Suiteの音に魅惑されてしまうであろうから、
そうなったら返したくなってしまうからだ。

そう思いながらも、Audio Suiteの音を聴いて、
THAEDRAのブラッシュアップの方向性を定めることもできるはず──、
そんなことを自分に言い聞かせてもいる。

こういう悩ましい時間も、実は楽しかったりする。

Date: 4月 10th, 2022
Cate: 戻っていく感覚

GAS THAEDRAがやって来る(その11)

「世界のコントロールアンプとパワーアンプ」の’76年版、
「私の推奨するセパレートアンプ」のところで、瀬川先生がこんなことを書かれている。
推薦機種としてのGASのTHAEDRAとAMPZiLLAのところである。
     *
 耳当りはあくまでもソフトでありながら恐ろしいほどの底力を感じさせ、どっしりと腰の坐った音質が、聴くものをすっかり安心感にひたしてしまう。ただ、試聴記の方にくわしく載るように、私にはこの音が男性的な力強さに思われて、個人的にはLNP2とSAE♯2500の女性的な柔らかな色っぽい音質をとるが、そういう私にも立派な音だとわからせるほどの説得力を持っている。テァドラ/アンプジラをとるか、LNP2/2500をとるかに、その人のオーディオ観、音楽観のようなものが読みとれそうだ。もしもこれを現代のソリッドステートアンプの二つの極とすれば、その中間に置かれるのはLNP2+マランツの510Mあたりになるか……。
     *
瀬川先生のこの文章を、いま読んで思い出すことがある人もいれば、そうでない人もいる。
何かを思い出す人でも、何を思い出すのかは人によって違うだろうが、
記憶のよい方ならば、「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」の巻頭、
瀬川先生の「いま、いい音のアンプがほしい」であろう。

ステレオサウンド 62号、63号には、「音を描く詩人の死」が載っている。
瀬川先生に関する記事である。

この記事を執筆されたのは、編集顧問のYさん(Kさんでもある)だった。
そこに、こうある。
     *
 昨年の春、こういう書きだしではじまる先生のお原稿をいただいてきた。これはその6月に発刊された特別増刊号の巻頭にお願いしたものであった。実は、正直のところ、私たちは当惑した。編集部の意図は、最新の世界のセパレートアンプについての展望を書いていただこうというものであった。このことをよくご承知の先生が、あえて、ちがうトーンで、ご自身のオーディオ遍歴と、そのおりふしに出会われた感動について描かれたのだった。
     *
最新の世界のセパレートアンプについての展望というテーマということであれば、
編集部は「コンポーネントステレオの世界」の’79年版の巻頭、
「’78コンポーネント界の動向をふりかえって」、
’80年版の巻頭「80年代のスピーカー界展望」、どちらも瀬川先生が書かれているが、
こういう内容の原稿を期待しての、
最新の世界のセパレートアンプについての展望という依頼だったのだろう。

なのに「いま、いい音のアンプがほしい」の文章の中ほどまでは、
マッキントッシュのC22、MC275、マランツのModel 7、そしてJBLのSA600、SG520、SE400、
これらの、1981年の時点でもすでに製造中止になっていたアンプのことが占めている。
     *
 JBLと全く対極のような鳴り方をするのが、マッキントッシュだ。ひと言でいえば豊潤。なにしろ音がたっぷりしている。JBLのような〝一見……〟ではなく、遠目にもまた実際にも、豊かに豊かに肉のついたリッチマンの印象だ。音の豊かさと、中身がたっぷり詰まった感じの密度の高い充実感。そこから生まれる深みと迫力。そうした音の印象がそのまま形をとったかのようなデザイン……。
 この磨き上げた漆黒のガラスパネルにスイッチが入ると、文字は美しい明るいグリーンに、そしてツマミの周囲の一部に紅色の点(ドット)の指示がまるで夢のように美しく浮び上る。このマッキントッシュ独特のパネルデザインは、同社の現社長ゴードン・ガウが、仕事の帰りに夜行便の飛行機に乗ったとき、窓の下に大都会の夜景の、まっ暗な中に無数の灯の点在し煌めくあの神秘的ともいえる美しい光景からヒントを得た、と後に語っている。
 だが、直接にはデザインのヒントとして役立った大都会の夜景のイメージは、考えてみると、マッキントッシュのアンプの音の世界とも一脈通じると言えはしないだろうか。
 つい先ほども、JBLのアンプの音の説明に、高い所から眺望した風景を例として上げた。JBLのアンプの音を風景にたとえれば、前述のようにそれは、よく晴れ渡り澄み切った秋の空。そしてむろん、ディテールを最もよく見せる光線状態の昼間の風景であろう。
 その意味でマッキントッシュの風景は夜景だと思う。だがこの夜景はすばらしく豊かで、大都会の空からみた光の渦、光の乱舞、光の氾濫……。贅沢な光の量。ディテールがよくみえるかのような感じは実は錯覚で、あくまでもそれは遠景としてみた光の点在の美しさ。言いかえればディテールと共にこまかなアラも夜の闇に塗りつぶされているが故の美しさ。それが管球アンプの名作と謳われたMC275やC22の音だと言ったら、マッキントッシュの愛好家ないしは理解者たちから、お前にはマッキントッシュの音がわかっていないと総攻撃を受けるかもしれない。だが現実には私にはマッキントッシュの音がそう聴こえるので、もっと陰の部分にも光をあてたい、という欲求が私の中に強く湧き起こる。もしも光線を正面からベタにあてたら、明るいだけのアラだらけの、全くままらない映像しか得られないが、光の角度を微妙に選んだとき、ものはそのディテールをいっそう立体的にきわ立たせる。対象が最も美しく立体的な奥行きをともなってしかもディテールまで浮び上ったときが、私に最上の満足を与える。その意味で私にはマッキントッシュの音がなじめないのかもしれないし、逆にみれば、マッキントッシュの音に共感をおぼえる人にとっては、それがJBLのように細かく聴こえないところが、好感をもって受け入れられるのだろうと思う。さきにもふれた愛好家ひとりひとりの、理想とする音の世界観の相違がそうした部分にそれぞれあらわれる。
 JBLとマッキントッシュを、互いに対立する両方の極とすれば、その中間に位置するのがマランツだ。マランツの作るアンプは、常に、どちらに片寄ることなく、いわば〝黄金の中庸精神〟で一貫していた。
     *
私は、ここのところと
「世界のコントロールアンプとパワーアンプ」の’76年版でのGASについての文章とがリンクしてしまう。

Date: 4月 7th, 2022
Cate: 戻っていく感覚
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GAS THAEDRAがやって来る(その10)

SAEのMark 2500の音について、瀬川先生はこう語られている。
     *
 聴いた順でいえば、ダイナコ、ハーマンカードン、それからマッキントッシュの系列の腰の太い音というのが個人的には嫌いで、もっと細身の音が好きなんです。SAEの音はその意味ではまず細い。低域の方でちょっとふくらむぶんには、むしろぼくは歓迎する。つまり、プロポーションとしては、非常にぼく好みの音がしたわけです。
     *
瀬川先生が細身の音を好まれていたのは確かにそうであるのだが、
だからといって、下半身から肉づきをすべて削ぎ落とした音を、
瀬川先生が好まれた音と勘違いしている人がいるのを知っている。

以前、別項で書いているから詳しいことはくり返さないが、
中低域から下の帯域の量感を根こそぎ削ってしまった音を、いい音だ、
それだけでなく、瀬川先生の音を彷彿とさせる音、とまで言った男がいる。

彼は、瀬川先生の文章のどこを読んでいたのだろうか。

女性のプロポーションでいえば、ウェストに肉がついているかのような音は、
瀬川先生が嫌われていたことは、試聴記を読んでいくだけですぐにわかることだ。

けれどその下、つまりお尻まわりの肉づきは、
SAEのMark 2500の音を高く評価されていたことからも、
瀬川先生自身語られていることからも、好まれていたこともすぐにわかる。

自分にとって都合のいいところだけ読んで、
そうでないところはまるでなかったかのように無視して、
あげくの果てに、瀬川先生の音を彷彿とさせる音と、
似ても似つかない自身の音を、そう表現する。

それで誰かに迷惑をかけるわけでもないし、
その男の音を聴いている人はそう多くないから、
まして瀬川先生の音を聴いている人はもっと少ないのだから、
実害はあまりない、といえばそうである。

それでもいいたいのは、もっときちんと読もう、ということだ。

Date: 4月 7th, 2022
Cate: 戻っていく感覚

GAS THAEDRAがやって来る(その9)

「世界のコントロールアンプとパワーアンプ」の’76年版には、
SAEのMark 2500も登場している。

この「世界のコントロールアンプとパワーアンプ」の’76年版での試聴がきっかけとなって、
瀬川先生はMark 2500を買いこまれてしまった。
そのことは、テスト後記にも書かれている。

で、ここでまたテーマから逸れてしまうのだが、
瀬川先生のテスト後記には、ジュリアン・ハーシュのことが出てくる。

ジュリアン・ハーシュといって、いまはどのくらい通じるのだろうか。
ジュリアン・ハーシュの名前は知らなくても、
アンプの理想像の代名詞的に使われる“straight wire with gain”。

この表現を使ったのが、ジュリアン・ハーシュで、
彼はアメリカのオーディオ誌“Stereo Review”の書き手の一人である。

瀬川先生は、ジュリアン・ハーシュについてこう書かれている。
     *
 もっとも、アメリカのオーディオ界では(いまや日本でも輸出に重点を置いているメーカにとっては)有名なこの男のラボ(自宅の地下室)に招かれて話をした折、こんな男の耳など全くアテにならないという印象を持ったほどだから、ハーシュの(測定や分析能力は別として)音質評価を私は一切信用していないのだが、右の例を別にしても、国産のアンプが海外ではそれなりに高い評価を受ける例が少しずつ増えていることは事実なのだ。
     *
これを読んでどうおもうかは、その人の勝手(自由)である。

話を元にもどそう。

Date: 4月 6th, 2022
Cate: 戻っていく感覚

GAS THAEDRAがやって来る(その8)

瀬川先生は、GASのアンプの音について、
《もっと下の肉がたっぷりついてくるという感じ》と語られているが、
このことについては補足が必要だろう。

「世界のコントロールアンプとパワーアンプ」の’76年版で、こう語られている。
     *
 音は、ぼくの聴き方ではやや太っているんだけれど、それはたとえば太ったいやらしさじゃなくて、いかにもあるべきところにきちんと肉がついていて、安定感がよくどっしりと地面に立っているという安心感を感じる。だから、どのレコードを聴いても、もうこのアンプで聴いていれば本当に安心できるという気がするわけです。
 しかし、このアンプを自分で買うだろうかと考えると、必ずしもそうはいえないわけです(笑)。なぜかということを考えていたんですけれども、一つのたとえでいえば、このアンプは男性的な音だと思うんです。立派な、見事な男と会っている、あるいは眺めているような感じの音で、ぼくは自分が男だから゛やはりもう少し女っぽくないとやりきれないところがあるんです。同じ言葉をしゃべっても、男がしゃべるのと女がしゃべるのとの違いみたいなもので、ぼくはやはり女がしゃべってくれた方が魅力を感じるわけですね。その意味でテァドラ+アンプジラはとても男性的だし、LNP−2と510Mは比較の上で女性的です。
     *
「世界のコントロールアンプとパワーアンプ」の’76年版でも、
井上先生、黒田先生は試聴メンバーである。岡先生も入っている。

「HIGH-TECHNIC SERIES 3」の巻頭座談会とあわせて読むことで、
瀬川先生がどういう音を求められていたのかが、よりはっきりと浮び上ってくる。

少しテーマから逸れてしまうが、
ステレオサウンドの瀬川冬樹著作集「良い音は 良いスピーカーとは?」、
このムックに不満があるのと、こういう点である。

合わせて読むことで、瀬川先生がどういう音を求められていたのか、
それを知る手がかりになる記事の掲載という視点が欠けている。

そういう視点を持った編集者が、ステレオサウンドという会社にはもういないのだろう。

Date: 4月 5th, 2022
Cate: 戻っていく感覚

GAS THAEDRAがやって来る(その7)

GASのアンプの音のことで思い出すのは、
ステレオサウンド別冊「HIGH-TECHNIC SERIES 3」である。

アンプの別冊ではなく、トゥイーターの別冊である。
なのにGASのアンプの音に関連して思い出すのは、巻頭座談会があるからだ。

JBLの4343のトゥイーターを、他社製のトゥイーター五機種につけかえての試聴。
井上先生、黒田先生、瀬川先生による試聴と座談会である。

ピラミッドのリボン型トゥイーターのT1のところ、
瀬川先生が、こんなことを語られている。
     *
瀬川 この「ピラミッド」の音を「2405」との比較でいうと、たとえば、アンプの聴き比べをしている時の、「ガス」対「マークレビンソン」の音のように思えてならないのです。「2405」の場合にはいまも三人三様の言い方をしたけれども、かなりくまどりのはっきりした、いわば言葉に出していえる差みたいなものが表に押し出されて、そこがたいへん快くもある。あるいはそれが少し硬めの艶を乗せて快く聴かせる。と同時に、玄の音などで、やや金っ気を混ぜて聴かせるという、いやみな点もある。これは「マークレビンソン」のアンプにもあるのですけれど、あのいかにも線の細い、高域を少し強調するところですね。それが「マークレビンソン」をきらう人にとっては相当気になる部分だとぼくは解釈している。
 ただ、ぼく個人の言い方をすれば、それは大変好きな部分なんです。それが「ガス」系のアンプにすると、もっと下の肉がたっぷりついてくるという感じで、そして、高域のキラキラ光ったところが抑えられてくる。つまり、トータルで言えばより自然になったという言い方が成り立つと思うのです。「ピラミッド」をスーパートゥイーターにつけた「4343」は、あらゆる楽器に対してここにいるぞ、ここにいるぞみたいなことを言ってこないで、ごく自然に目の前に展開したという印象が強いんです。
     *
「HIGH-TECHNIC SERIES 3」を読んだ時、
マークレビンソンのアンプは数回聴いていた。
でもGASのアンプは聴く機会がなかった。

それもあって、2405とピラミッドの音についての座談会を、
私はマークレビンソンとGASの音の違いについてのことでもある──、
そう受けとりながらくり返し読んでは、その音を想像していた。

念のため書いておくと、
ここでの「マークレビンソン」のアンプとは、
LNP2であったりML1(JC2)であったりするわけで、ML7以降の音のことではない。

Date: 3月 31st, 2022
Cate: 戻っていく感覚
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GAS THAEDRAがやって来る(その6)

1970年代に登場したトランジスターアンプをすべて聴いているわけではない。
なのにおもうのは、意外にもGASのTHAEDRAとSAEのMark 2500の組合せこそ、
マッキントッシュのC22とMC275のトランジスターアンプ版といえるのではないか、と。

C22とMC275の組合せ、C28とMC2105の組合せは聴いたことがある、
といっても、比較試聴しているわけではない。
それぞれ別の場所で、まったく違うスピーカーで聴いたことがある、というだけでしかない。

どちらのアンプの組合せも、新品同様の性能(音)を維持していたのかは、はっきりしない。
そういう状態での、いわば記憶のなかでの比較でしかないのだが、
C28+MC2105は、C22+MC275とはずいぶん違った方向の音のように感じてしまった。

もちろんC28+MC2105に、C22+MC275そっくりの音を求めていたわけではない。
私が感じている音の良さを引き継いでいてほしかった、というだけのことで、
私がそう感じないからといって、他の人もそうだ、とは思っていない。

また、その音を聴いてもいないのに、
THAEDRAを落札した時から、Mark 2500との組合せは、
私にとってのC22+MC275のトランジスターアンプ版といえる存在になってくれるのかも──、
そんな予感が生れてきた。

マークレビンソンのLNP2とスチューダーのA68の組合せも、
また充分魅力的なのだが、この組合せはC22+MC275のトランジスター版ではない。

LNP2とMark 2500の組合せも、ちょっと違う。
あくまでも感覚的なことでしかないし、
こんな感覚的なことは、誰かに理解してもらう、なんてこととは無縁のこと。

つまりは、書いても無駄なことなのかもしれないが、
それでも私にとって大事なのは、そう感じてしまった、ということである。

Date: 3月 30th, 2022
Cate: 戻っていく感覚

GAS THAEDRAがやって来た

三十分ほど前に、ヤフオク!で落札したGASのTHAEDRAが届いた。
SAEのMark 2500の上に置いて、眺めているところ。

ヤフオク!の写真のとおり、かなり程度はいい。
THAEDRAのリアパネルは酸化していたり、錆びついてたりしていることが、割と多い。

THAEDRAはヤフオク!に、よく出品されている。
このブログを読んで、THAEDRAを買ってみようかな、と思う人がいるのかどうかはわからない。
もしかすると一人くらいはいるのかもしれない。

そういう人に一つだけいえるのは、
リアパネルの写真がないTHAEDRAの出品は用心した方がいい、ぐらいである。
リアパネルの写真がなかったら、出品者に質問して写真を追加してもらった方がいい。

THAEDRAの音は──、というと、まだ音を出していない。
音が出ない、とあったわけだから、来週あたり、少し時間がとれるようになったら、
内部をチェック、分解掃除して、それからになる。

20代のころ、SUMOのThe Gold(中古)を買った時も、そうした。
丸一日かけてすみずみまで分解掃除して、それから電源投入。
それから一週間は、なにかあっても大丈夫なように、10cmのフルレンジを鳴らしていた。

安心して使えるという確信が得られてから、
当時鳴らしていたセレッションのSL600に接続したものだ。

今回のTHAEDRAも、同じようにする。

別項「サイズ考(SAE Mark 2500を眺めていると)」でも書いているように、
THAEDRAも、いま見ると、意外にコンパクトなコントロールアンプとして映る。

それからMark 2500もAGIの511もそうなのだが、
このころのアメリカのアンプの板金加工は、いい感じだな、と思ってしまう。

天板といっても平らな金属板ではなく、側版もかねているからコの字型である。
曲げ加工が施されているわけだが、そのカーヴが、アメリカのアンプだな、と感じさせる。

金属から削り出された筐体も魅力的ではあるが、
この時代の筐体も、私にはとても魅力的である。