羽二重(HUBTAE)とオーディオ(その2)
ステレオサウンドで働くようになって、色見本というものを知った。
音にも、音色という言葉があるように、色はある。
けれど、音の色見本というのは存在していない。
音の色見本がない状態で、われわれは音を言葉で表現しようとしている。
だから書き手と読み手とのあいだには、誤解も生じることになる。
先日もインターナショナルオーディオショウに行って、その感を強くした。
あるブースで、あるオーディオ評論家が音を鳴らしていた。
いい音ではなかった。そのことが問題ではなく、
音を鳴らし終った後に「素晴らしく滑らかな音でしたね」と、オーディオ評論家がいう。
椅子に腰かけて聴いている人の中には、頷いている人がいた。
ということは、この音が滑らかな音ということになっているのか、とびっくりするよりも呆れた。
どこをどう聴いても、いいように受けとめようとつとめても、
いましがた鳴っていた音は、決して滑らかな音ではなかった。
聴いていた人の中には、私と同じように感じていた人もいたであろう。
でも、この場に、オーディオに関心をもち始めたばかりの若い人がいたら、どうなるだろうか。
オーディオ雑誌に登場しているオーディオ評論家が
「素晴らしく滑らかな音ですね」と絶賛しているのを耳にしてしまったら、
やはり、その場で鳴っていた音が、滑らかな音ということになってしまうことだって考えられる。
これは憂慮すべきことである。
だが、このオーディオ評論家ばかりを責めたいわけではない。
このオーディオ評論家も、どこかでそういう体験をしてきたから、こうなってしまった──、
そう考えられるからである。