Archive for category 境界線

Date: 4月 22nd, 2012
Cate: 境界線

境界線(余談・続々続シュアーV15 TypeIIIのこと)

瀬川先生がなぜV15 TypeIIIに対して、誌面では沈黙されていたのか。
それはステレオサウンド 50号掲載の創刊50号記念の座談会を読めば、理由らしき発言があるのに気づく。
     *
菅野 そのころ、こんなことがあったのを思い出したのですが、シュアーのV15のタイプIIが出はじめたころで、たまたまぼくは少し前に、渡米した父親に買ってきてもらって、すでに使っていたのです。そして、たしかオルトフォンのS15MTと比較して、V15/IIのほうが断然優れていると書いたりしていた。そのV15/IIを、瀬川さんが手に入れた日に、たまたまぼくは瀬川さんの家に行ったんですよ。それで、ふたりして、もうMCカートリッジはいらないんじゃあないか、と話したことを覚えている(笑い)。
瀬川 そんなことがありましたか(笑い)。
菅野 あったんですよ。つまりね、ぼくたちはそのとき、カートリッジはこれで到達すべきところまできた、ひとつの完成をみたのであって、もうこれ以上はどうなるものでもないのではないか、ということを話しこんだわけです。たしかにそのときは、そういう実感があったんですね。
     *
V15 TypeIIIのひとつ前のTypeIIは、実は聴いたことはない。
だから、あくまでも上で引用したこと、それに過去の記事を読んでいえることは、
V15はTypeIIとTypeIIIでは目指す方向に違いがある、ということだ。

そのことは、「商品」としての完成度はV15 TypeIIIはTypeIIよりも上だといえるし、
だからベストセラー・カートリッジなのである。

この「商品」性の高さが、冒頭にも書いたようにV15 TypeIIIが音を判断する際の目安となり、
オーディオにおけるいくつかの境界線を浮び上らせてくれるところもある。

Date: 4月 22nd, 2012
Cate: 境界線

境界線(余談・続々シュアーV15 TypeIIIのこと)

瀬川先生はいわれた。
つまり、シュアーのV15 TypeIIIはひとつの目安となるカートリッジである、と。

V15 TypeIIIと同クラスのカートリッジを比較して、V15 TypeIIIのほうがうまく鳴ったとしたら、
その装置はまだ調整が足りない、不備があるか、装置自体のグレードアップの必要性がある、と考えていい、
V15 TypeIIIよりも同クラスの他のカートリッジがうまく鳴るのであれば、まずまずうまく鳴っている、
──そういう判断に使えるカートリッジがV15 TypeIIIなんだ、と。

これはあくまでも瀬川先生が好んで聴かれる音楽に対して、ということも忘れてはならないし、
瀬川先生が音に求められているものがどういう性質のものであるのかも理解していなければ、
V15 TypeIIIは、音の良くないカートリッジだと誤解されることにもなろう。

このときのシステムは、スピーカーシステムはJBLの4341、
アンプは少し記憶が曖昧なのだが、マークレビンソンのLNP2とSAEのMark2600だった。
プレーヤーはラックスのPD121にオーディオクラフトのAC300C。

たしかに、このとき聴いたV15 TypeIIIの音は、そういう感じの音だった。
V15 TypeIIIでならではの音は確固としてあるものの、
それが必ずしも、このときのシステムの向っている方向と同じところを向いているとは言い難い、
かといって反対方向を向いているわけではないのだが、どこかしら違うところに向っているという感じがあり、
他のカートリッジの個性が魅力として聴こえるのには反対に、
V15 TypeIIIの音の個性はアクの強さとして感じられたのが、いまも記憶に残っている。

ただし、もう一度ことわっておくが、
これは瀬川先生好みのシステムで、しかも瀬川先生が持参されたレコードを聴いての印象であり、
システムとレコードが大きく傾向が異ってくれば、違う印象になる可能性はある。

だからダメなカートリッジというわけではなくて、
あくまでもV15 TypeIIIは、
瀬川先生がいわれるようにターゲットをうまく絞って音づくりしたがゆえに大成功したカートリッジであるし、
それは、うまいつくりのカートリッジということでもある。

Date: 4月 21st, 2012
Cate: 境界線

境界線(余談・続シュアーV15 TypeIIIのこと)

これらのカートリッジを交換し調整されながら、それぞれのカートリッジについて説明されていた。
このとき、V15 TypeIIIを評価されていないのか、についても話された。

私がステレオサウンドを買いはじめて、3冊目にあたるのが43号。
ベストバイが特集だった(このころは夏の号がベストバイだった)。

43号でV15 TypeIIIをベストバイ・カートリッジとして選ばれていたのは、
井上卓也、上杉佳郎、山中敬三の三氏。
43号で、瀬川先生はほかのシュアーのカートリッジ、M75G TypeII、M44G、SC35C、M24Hは選ばれているのに、
シュアーを代表するV15 TypeIIIは選ばれていない。
43号でシュアーのカートリッジを最も多く選ばれているのは瀬川先生である。

次の年のベストバイの特集号の47号でも、V15 TypeIIIにもTypeiVにも票は入れられていない。
決してシュアーが嫌い、といった理由でないことは、43号を見ればわかる。
なのに、なぜ……と思っていたとき(47号とほぼ同じ時期の開催だった)だけに、
V15 TypeIIIの音と、瀬川先生がなんと言われるかは、楽しみだった。

V15 TypeIIIはベストセラー・カートリッジである。
それは日本国内だけでなく、アメリカでも高い評価を得ていた、はずのカートリッジに対して、
瀬川先生はあえて沈黙されていたようにも思えていた。

その理由は、シュアーのカートリッジづくりのうまさにある、ということだった。
シュアーは自社のカートリッジのトラッキング能力の高さをアピールするために、
トラッカビリティという造語を広めることに成功していた。

そのトラッカビリティという言葉のうまさだけでなく、
シュアーは市場を調査した上で製品を作っている、とも話された。
そういうシュアーらしさがもっともうまく成功したのがV15 TypeIIIということだった。

つまりシュアーは世の中のオーディオの水準を調査し把握した上で、
その平均的な音、装置においてうまく鳴るようにV15 TypeIIIを仕上げている、
だからシュアーがV15 TypeIIIのターゲットしている層では、V15 TypeIIIよりも優れたカートリッジよりも、
V15 TypeIIIのほうがうまく鳴ってくれて、V15 TypeIIIの方がいい、ということになる。

けれど、その水準をこえた音、装置では、むしろV15 TypeIIIの音の個性が、癖として気になってきて、
今度はカートリッジの評価が逆転してしまう、ということだった。

Date: 4月 21st, 2012
Cate: 境界線

境界線(余談・シュアーV15 TypeIIIのこと)

今日Twitterを見ていたら、カートリッジのことが話題になっていて、
シュアーのV15のことも話題になっていた。

私がオーディオに関心をもったのは1976年だから、V15はすでにTypeIIIになっていた。
当時の価格は34500円。
このころはエンパイアの4000D/III(58000円)、テクニクスの100C(60000円)、
ピカリングのXUV/4500Q(53000円)、AKGのP8ES(42000円)などがあって、
V15 TypeIIIは価格的には高級カートリッジというよりも、中級クラスのカートリッジという感じを受けていた。

V15の最初のモデルは1964年、TypeIIは1967年、TypeIIIが1973年、TypeIVが1978年、TypeVが1982年で、
1983年にTypeVは針先の形状変更でTypeV MRとなっているし、
1996年にTypeV MRは、V15 TypeV xMRと改称され復活している。息の長いシリーズであるが、
この中で、やはりもっとも知られているのはTypeIIIではなかろうか。

実際にどれだけ売れたのか、その数を知っているわけではないけれど、
V15の中で数が出ているのもTypeIIIがいちばん多いと思う。
1970年代に熱心にオーディオに取り組まれている人なら、
シュアーのV15 TypeIIIは常用カートリッジにされていたかは別として、
カートリッジ・コレクションに加えられていた方は多いはず。

そんなV15 TypeIIIなのに、私は欲しいと思ったことは一度もなく、
結局シュアーのカートリッジを自分で使ったことも一度もない。

V15 TypeIIIを聴いたのは、
瀬川先生が熊本のオーディオ販売店で定期的に行われていたオーディオ・ティーチインで、であった。
その時はカートリッジがテーマであり、V15 TypeIIIの他に、エンパイアの4000D/III、
ピカリングのXUV/4500Q、EMTのXSD15、オルトフォンMC20MKII、テクニクス100C、グラドのシグネチャーII、
エラックSTS455E、デンオンDL103とDL103Dなどを持ってこられていた。

Date: 4月 19th, 2012
Cate: 境界線

境界線(その10)

私はコントロールアンプを、オーディオの系の中点として考えているわけだが、
CDプレーヤーが登場し、そのライン出力がチューナーやカセットデッキよりも高かったため、
コントロールアンプを省いて、フェーダーに置き換えることが流行とまではいかなかったものの、注目された。

ゼネラル通商が当時輸入していたP&Gのフェーダーを使った製品が、その走りで、
つづいてカウンターポイントからも(こちらはロータリー型アッテネーターを使用)出た。
現在もいくつかの製品が出ている。

増幅度を持たないフェーダー、
つまり電源を必要としない受動素子(ボリュウム)のみで構成されている、このフェーダーは、
コントロールアンプの位置にくるものであるが、
だからそのままコントロールアンプと同じようにオーディオの系の中点としてみることができるのだろうか。

フェーダーを使った場合、
CDプレーヤー、フェーダー、パワーアンプ、スピーカーシステムとなるわけだが、
受動素子のフェーダーは、オーディオの系全体を眺めたとき、アンプの類ではないし、CDプレーヤーの類でもない。
こういう区分けをすれば、フェーダーはケーブルと同じ類といえる。

となるとCDプレーヤーとパワーアンプのあいだには、ケーブル、フェーダー、ケーブルが存在するわけだが、
このケーブル+フェーダー+ケーブルは、
実のところ減衰量をもつ(自由に可変できる)ケーブルとして考えられるし、
そうなるとコントロールアンプとフェーダーは、オーディオの系において同じ位置において使われるものの、
存在自体の役割は異り、当然コントロールアンプの領域とフェーダーの領域は同じではなくなる。
そうなるとフェーダーは、オーディオの系の中点とは呼べない、と私は考えている。

Date: 2月 18th, 2011
Cate: 境界線

境界線(その9)

境界線がどこにあるのか、いいかえれば、それぞれのオーディオ機器の領域はどこまでなのかについて論じるときに、
音の入口側(始点)から考えていくべきなのか、それとも出口(終点)側から、なのか。

そのどちらからでもなく、あえてオーディオ系の中点から考えてみる手がある。
オーディオの系における中点は、やはりコントロールアンプである。

そのコントロールアンプ(中点)の領域はどこまでなのか、
コントロールアンプに接続される他のオーディオ機器との境界線をどうとらえるか。

結論を先に書いてしまえば、
コントロールアンプに接がるケーブルはすべて、コントロールアンプの領域に含まれる、と私は考える。

CDプレーヤー、コントロールアンプ、パワーアンプ、スピーカーシステム、という構成ならば、
CDプレーヤーの出力端子から、パワーアンプの入力端子まで、となる。
CDプレーヤーとコントロールアンプを結ぶケーブル、
コントロールアンプとパワーアンプを結ぶケーブルもコントロールアンプの領域とする。

これだけは、つよく言っておく。
コントロールアンプの領域をはっきりさせずに、コントロールアンプ像について語ることはできないはず。

Date: 2月 15th, 2011
Cate: 境界線

境界線(その8)

つまりスピーカーシステムの入力端子まではパワーアンプの領域となり、
パワーアンプとスピーカーシステムの境界線は、ここにあるといえるわけだ。

コントロールアンプに関しても同じで、パワーアンプの入力端子まで、
つまりコントロールアンプ・パワーアンプ間の接続ケーブルを含めてコントロールアンプの領域であり、
コントロールアンプとパワーアンプの境界線についても同じだ。

CDプレーヤーに関しても、アナログプレーヤーに関しても同じだ。

今度はスピーカーとは反対側、つまり音の入口側から見た場合は、
そこに接がるものが負荷となるわけだから、
例えばカートリッジに関しては、その出力端子に接続されているものすべて負荷となる。
つまりシェルリード線、トーンアームのパイプ内の配線、トーンアームの出力ケーブル、
そしてMC型カートリッジならばヘッドアンプか昇圧トランスとなる。

ケーブルも負荷となるからこそ、MC型カートリッジには低抵抗のケーブル、
MM型カートリッジには低容量ケーブルが用意されてきたわけだ。

スピーカー側から見た場合とは反対に、ケーブルは、次に接がる機器(負荷)側の領域となる。
CDプレーヤーにとっての負荷は、コントロールアンプへの接続ケーブルを含めて、ということ。
コントロールアンプにとっては、ケーブルを含めてパワーアンプが負荷となり、
パワーアンプにとっては、スピーカーケーブルを含めてスピーカーシステムが負荷となる。

ようするに境界線はそれぞれのオーディオ機器の出力端子のところにある、ということになる。

音の出口となるスピーカー側から見た考えかたと、音の入口から見た考えかたでは、境界線の位置が変ってくる。
では、どちらが正しいのか、実は私のなかではまだ結論は出ていない。
ただ言えるのは、音の入口から見た場合には、ケーブルはその負荷となる機器の領域に属することになり、
音の出口から見た場合には、信号源となるオーディオ機器の領域に属する、ということである。

つまりケーブルの両端に、境界線が存在するわけではない。

そして、この境界線は、コントロールアンプを考えていくうえで、さらに重要になってくる。

Date: 2月 14th, 2011
Cate: 境界線

境界線(その7)

まずスピーカーから考えてみる。

スピーカーにとっての駆動源(信号源)はパワーアンプであり、
パワーアンプとスピーカーシステムのあいだにはスピーカーケーブルがある。
この場合、スピーカーケーブルは、パワーアンプ(信号源)に属するのか、
それともスピーカー側に属するもの、どちらなのだろうか。

ケーブルをアクセサリーとはみなさずに、アンプやスピーカーと同等のコンポーネントとみなしている人にとっては、
スピーカーケーブルは、どちら側に属するというものではなく、
パワーアンプとスピーカーシステムのあいだに存在するコンポーネント、ということになろう。

だがスピーカーシステムを細かくみていこう。

スピーカーシステムを構成する部品の中で、最終的に電気信号を音に変換するのはスピーカーユニットである。
このスピーカーユニットと信号源(パワーアンプ)との間には、
スピーカーケーブル、スピーカーシステム内のケーブル、ネットワーク、
そしてネットワークからユニットまでのケーブルが存在する。

スピーカーユニットからみれば、信号源はパワーアンプだけでなく、ネットワークも含まれることになる。
つまりパワーアンプ、スピーカーケーブル、スピーカーシステム内のケーブル、ネットワークまで含めてのものが、
スピーカーユニットからみた信号・駆動源である。

この考えかたに立てば、スピーカーシステムにとっての信号・駆動源は、
スピーカーケーブルを含めてのパワーアンプとなる。

Date: 11月 21st, 2010
Cate: 境界線

境界線(その6)

目の前に、いまCDプレーヤー、コントロールアンプ、パワーアンプ、
スピーカーシステムというシステムがあるとする。

それぞれの機器の受持範囲はどこまでなのだろうか。
いいかえれば、どこにそれぞれの機器と機器との境界線があるのか。

ほとんどの方が、CDプレーヤーならば、CDプレーヤーの出力端子までがその受持範囲である、と捉えられるだろう。
コントロールアンプならば、入力端子から出慮端子まで、パワーアンプにしても同じ、
スピーカーシステムもスピーカー端子から先がスピーカーシステム、ということになる、と。

ならば、CDプレーヤーとコントロールアンプを接ぐケーブル、コントロールアンプとパワーアンプを接ぐケーブル、
パワーアンプとスピーカーシステムを接ぐケーブルは、それぞれどこに属するのか。

境界線をどこに引くのか。
それぞれの入力端子、出力端子すべてに境界線を引くならば、ケーブルは独立したコンポーネントとなる。
けれど、CDプレーヤーの役割、コントロールアンプの役割、パワーアンプの役割を考え直してみると、
いくつかの境界線は消えていくはずだ。

Date: 10月 6th, 2010
Cate: 境界線

境界線(その5)

音に、低音・中音・高音(もっとこまかく区分けしてもいいけれど)、その境界線は存在しない。
存在しないからこそ、スピーカーシステムにスーパートゥイーターを加えれば、
高域の再生音域が広がり、高域の印象だけが変化するわけでなく、低音の印象まで変ってしまうのは、
ずっと以前から指摘されていることだ。
なにもスーパートゥイーターに限らない、ウーファーを変えれば高音にも影響するし、もちろん中音にも影響する。
中音のスピーカーユニットを変えれば、低音、高音も変っていく。

どこかに境界線があれば、その境界線より下の帯域のスピーカーユニットを他のユニットに交換しても、
それより上の帯域にはいっさい影響をあたえず、その境界線から下の帯域のみが変化しなくてはならないはずだが、
そんな例について、いままで聞いたことも何かで読んだことも、私自身の体験でも、まったくない。

音の変化は、どこか部分的・局所的であるはずがない。
かならず、どんな場合にも、全体が変化している。
ただ変化の目立つところと、そこに隠れて、そうでない変化があるだけだ。

くりかえす、音に境界線はないからだ。
だが、オーディオの再生系に関しては、どうだろうか。
その境界線を、あえてあいまいにしてきてないだろうか。

Date: 10月 6th, 2010
Cate: 境界線

境界線(その4)

音楽における低音・中音・高音と、
オーディオにおける低音・中音・高音の定義はまったく同じではなくて、違いがある。

オーディオにおける定義についても、どこからどこまで(何Hzから何Hzまで)が低音で、
高音は何Hz以上からとはっきた決っているわけでもない。
低音・中音・高音の境界線は存在するようでいて、はっきりとしているわけではない。
それに聴いた感じの低音・中音・高音もあれば(しかもこれは個人によって、その区分け方は異ってくるから)、
スピーカーシステムでは、システム構成によって、その区分け方に微妙な違いが生じてくる。

どんなオーディオの本を読んでも、おおまかな目安についてはかかれていても、
はっきりとした数値で表したものはない。
あったら教えていただきたい。

瀬川先生も「オーディオABC」の中で書かれているように、
低音と中音の分かれ目で、音がガラリと変ることはない。

「オーディオABC」の中にある「オーディオ周波数と再生音の効果」の図をみても、
それぞれの音域は、となりあった音域とすこしずつ重なりあっている。
その重なりあっている音域あたりから、なんとなく音の効果が変っていくわけで、
その重なっているところ、つまりクロスオーバー周波数がかりに4000Hzだったとして、
あたりまえすぎることだが、4000Hzと4001Hzの正弦波を聴いたとして、
そのふたつの音の印象・効果の違いなんてわからない。3900Hzと4100Hzでもおなじだ。

4000Hzの1オクターヴ上(8000Hz)、1オクターヴ下(2000Hz)の違いとなると、
これは誰の耳にでもはっきりとわかる。

こんどは2000Hzから8000Hzまでスイープさせながら音を聴いていく。
周波数が高くなっていくのがわかるとともに、音の印象・効果も変化していくのはわかっても、
その変化ははっきりと色分けできるものではなく、グラデーションであり、いつのまにか印象が変っている。
変っていくのはわかっても、はっきりとここで変るといえる性質のものではない。

長々書いているが、結局のところ、音に境界線はない、といえる。
すべてが連続しつながっている。

Date: 10月 13th, 2009
Cate: 境界線, 瀬川冬樹

境界線(その3)

「オーディオABC」に載っているオーディオ周波数の図は、
各音域の呼び方以外に、音の感じ方とその効果について、もふれられている。

重低音域は「鈍い 身体ぜんたいに圧迫感」、
重低音域と低音域の重なるところ、おおよそ40、50Hzのところはは「音というより風圧または振動に近い」、
低音域は「ブンブン、ウンウン唸る音、重い感じ」、
中低音域と重なるところ(160Hz前後)は「ボンボン、ドンドン腹にこたえるいわゆる低音」、
その上の音域、中低音域と中音域のところには「楽器や人の声の最も重要な基本音を含む」と
「カンカン、コンコン頭をたたかれる感じ」、
中音域と中高音域の重なるところ(2.5kHz近辺)は「キンキンと耳を刺す 最も耳につきやすい」、
高音域は「シンシン、シャンシャン浮き上るような軽い感じ」、
10数kHz以上の超高音域は「楽器のデリケートな性格を浮き彫りにする 音の感じにならない」とされている。

そして30Hz以下の音については「市販のオーディオ機器やふつうの放送、レコードでは再生されない」、
30Hzから160Hzぐらいは「ふくらみ、ゆたかさなどに影響」、
100Hzあたりから2.5kHzのわりとひろい帯域を「再生音全体の感じを支配する再生音の土台」とされ、
さらにこの音域の下の帯域は「力強さ、量感、暖かさなどに影響」、
上の方の帯域は「音が張り出す、またはひっこむなどの効果に影響」、
2.5kHzから10数kHzあたりの音域の、下の方の帯域は「はなやか、きらびやか、鋭い音」、
上の方の帯域は「繊細感、冷たさ」、
10数kHz以上の超高音域は「音がふわりとただようような雰囲気感」とされていて、
本文のなかで、各音域の呼び方よりも、各音域の音の効果のほうを重視してほしい、と書かれている。

Date: 8月 31st, 2009
Cate: 境界線, 瀬川冬樹

境界線(その2)

人の声が中音域だとすれば、その上限は意外と低い値となる。

声楽の音域(基音=ファンダメンタル)は、バスがE〜c1(82.4〜261.6Hz)、
バリトンがG〜f1(97.9〜349.2Hz)、テノールはc〜g1(130.8〜391.9Hz)、
アルトはg〜d2(196.0〜587.3Hz)、メゾ・ソプラノはc’〜g2(261.6〜783.9Hz)、
ソプラノはg’〜c2(329.6〜1046.5Hz)と、約80Hzから1kHzちょっとまでの、ほぼ4オクターブ弱の範囲であり、
2ウェイ構成のスピーカーであれば、ウーファーの領域の音ということになる。

タンノイ、アルテックの同軸型ユニットのクロスオーバー周波数は、1kHzよりすこし上だから、
トゥイーター(ホーン型ユニット)が受け持つのは、人の声に関しては倍音(ハーモニクス)ということになり、
オーディオにおける高音域は、倍音領域ともいえるわけだ。

瀬川先生の区分けだと、人の声は、中低音域と中音域ということになり、
中高音域、高音域、超高音域と、「高」音域は、ほぼ倍音領域である。

瀬川先生の区分けは、音の感じ方を重視して、のものでもある。

Date: 8月 26th, 2009
Cate: ショウ雑感, 境界線, 川崎和男

2008年ショウ雑感(というより境界線について)

アンプの重量バランスの違いによって生じる音の差だけを、純粋に抽出して聴くことはできない。

アンプの音は、いうまでもなく重量バランスだけによって決定されるものではなく、
回路構成、パーツの選択と配置、筐体の構造と強度、熱の問題など、
さまざまな要素が関係しているのは、
福岡伸一氏のことばを借りれば、動的平衡によって、音は成り立つからだろう。

福岡氏は、週刊文春(7月23日号)で、
「心臓は全身をめぐる血管網、神経回路、結合組織などと連携し、連続した機能として存在している」
と書かれている。

これを読み、じつは「境界線」というテーマで書くことにしたわけだ(続きはまだ書いていないけれど)。

動的平衡と境界線について考えていくと、意外に面白そうなことが書けそうな気もしてくる。

オーディオにおける境界線は、はっきりとあるように思えるものが、曖昧だったりするからだ。

そして境界線といえば、川崎先生の人工心臓は、この問題をどう解決されるのか──。

クライン・ボトルから生まれた川崎先生の人工心臓は、どういう手法なのかは全く想像できないけれど、
トポロジー幾何学で、境界線の問題を解決されるはず、と直感している。

そこからオーディオが学べるところは、限りなく大きいとも直感している。

Date: 8月 4th, 2009
Cate: 境界線

境界線(その1)

瀬川先生は、「オーディオABC」のなかで、可聴帯域の20Hzから20kHzまで、こまかくわけて図に示されている。
重低音域(20〜50Hz)、低音域(50〜150Hz)、中低音域(150〜450Hz)、中音域(450Hz〜2kHz)、
中高音域(2k〜4kHz)、高音域(4k〜12kHz)、超高音域(12k〜20kHz)といった感じにわけられている。
括弧内の数字は、私が図から読みとった数値なので、
だいたいこのくらいまで、という程度として受けとっていただきたい。

いま目の前に3ウェイのスピーカーシステムがあったとしよう。
そのスピーカーのウーファーが受持つ帯域が低音で、スコーカーの帯域が中音、トゥイーターの帯域が高音、
そういうふうにもわけることができる。
たとえばヤマハのNS1000Mのクロスオーバー周波数は、500Hzと6kHzだから、
500Hzまでが低音域で、500から6kHzまでが中音域、6kHz以上が高音域ということか。

他のスピーカー、たとえば4ウェイのJBLの4343は、
低音(Low)、中低音(Mid-Bass)、中高音(Mid-High)、高音(High)となり、
それぞれのクロスオーバー周波数は300、1.25k、9.5kHzとなっている。

4343では、300Hzまでが低音域で、300から1.25kHzが中低音域、1.25kから9.5kHzまでが中高音域、
9.5KHz以上が高音域ということになるのだろうか。
そして、ミッドバスとミッドハイのふたつのユニットが受け持つ帯域(300〜9.5kHz)が、
いわゆる中音域ということか。
NS1000Mの中音域と4343の中音域は、4343のほうがいくぶん広いが、ほぼ重なり合っている。

このへんの帯域は、上に書いた瀬川先生の分類では、
中音域と中高音域と足したもの(450〜4.5KHz)に、相当するといえよう。