Archive for category 真空管アンプ

Date: 5月 29th, 2018
Cate: 真空管アンプ

真空管バッファーという附録(その2)

D38uは、audio wednesdayを行っている喫茶茶会記で使っているCDプレーヤーでもある。
真空管バッファー経由の音も何度も聴いている。
けれどaudio wednesdayでは、鳴らす音量との関係もあって、
パスした状態(solid stateポジション)で鳴らすことが多かった。

時々思い出したようにvacuum tubeポジションにすることもあったし、
搭載されている真空管を、店主の福地さんが別途購入した真空管に交換したこともある。

solid stateポジションとvacuum tubeポジション、
どちらの音がいいのかを判断するよりも、一種のトーンコントロールとして楽しんだ方がいい。

vacuum tubeポジションにすれば、ECC82のカソードフォロワーを一段よけいに、
信号が経由することになる。

余分なものは極力排除すべし、という考えの人からすれば、
そんなよけいなものを挿入するなんて……、ということになろうが、
目くじらをたてることだろうか、と思う。

使う人がいいと感じる方を選べばいいし、
かける曲、かける音量によっては、同じ人でも判断が逆になることだって往々にしてある。
レバースイッチひとつで簡単に切り替えられるものは、楽しんだ方がいい。

ECC82は双三極管だから、一本の真空管に二つのユニットが入っている。
カソードフォロワーのみという回路だから、
D38uではそれぞれのユニットを左右チャンネルに振り分けている。

ということは、セパレーション特性は若干劣化しているはずだ。
かといってECC82を二本使い、左右チャンネルで独立させれば、
ユニットひとつ分遊ばせることになる。

並列接続にするという方法もあるし、
一段増幅のカソードフォロワー出力という構成にする方法もある。
ただし後者では位相は反転することになる。

真空管がもう一本増えればコストはアップする。
どちらを選択するのか。
コストの制約のある実際の製品では、私も一本使用を選択するだろう。

ただ私は真空管のカソードフォロワーは好きではない。
やはりプレート側から出力をとりたい。
となると一段増幅では位相が反転する。
ならばvacuum tubeポジションにする際に、
デジタル信号処理で反転させておけば、トータルでは正相になる。

Date: 5月 29th, 2018
Cate: 真空管アンプ

真空管バッファーという附録(その1)

CDプレーヤーが登場してしばらくしたころ、
CDプレーヤーのアナログ出力段は貧弱なものだから、
一般的なライン入力よりも高インピーダンスで受けた方が、好結果が得られる──、
そんなことが一部でいわれるようになり、
実際の製品でもCD入力にバッファーを設け入力インピーダンスを高くしたモノもあった。

さらには高域の周波数特性を1dBか2dBほど下げているアンプも出てきたし、
アマチュアのあいだで流行り出し、メーカーも製品化したモノでは、ライントランスがある。

それらが落ち着いて数年後、ラジオ技術に新忠篤氏が、
おもしろい真空管アンプを発表された。
ウェスターン・エレクトリックの直熱三極管101シリーズを使った単段アンプである。
出力にはトランスがあり、101シリーズの増幅率からすると、
アンプ全体のゲインはあまりない。いわば真空管バッファー的なアンプである。

それ以前にも真空管の音で、CDの音を聴きやすくしようという試みはあった。
けれど新忠篤氏の、この単段アンプはより積極的に真空管、
それもウェスターン・エレクトリックの直熱三極管の持ち味を利用しているところが、
個人的にひじょうにおもしろい、と感じた。

フィラメントの点火方法などいくつか疑問に感じるところはあっても、
全体の構成として、小出力管といえる101シリーズをもってきた点は、
当時の私には思いつかなかったことである。

この新忠篤氏発表の単段アンプのころが、これら手法のひとつのピークだったように、
個人的には感じている。
もっとも個人的関心が強く影響しての、ひとつの感じ方にすぎないのはわかっている。

そんなふうに感じていたから、ラックスからD38uが登場したときは、
まだ続いていたんだ、と驚きと呆れが半分綯交ぜでもあった。

D38uのフロントパネルにはレバースイッチがあり、
これでvacuum tubeとsolid stateが切り替えられる。

vacuum tubeを選択すると、
通常のアナログ出力段のあとに真空管(ECC82)のバッファーが挿入された音を聴くことになる。

Date: 9月 2nd, 2017
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(その20)

ステレオサウンド 43号の「真贋物語」、
「(三)貪欲」と見出しがついたところを引用したい。
     *
 これも料理店の主の話であるが、一流の店に奉公して四十歳で独立し、花柳界の中で仕出し専門の店を開業した。永年叩き上げた板前だから、この人の作るものは優れている。私はよくその人に誘われて旅に出たし、料亭を廻って食べ歩かされた。腹が減ると、どんな店へでも入って、この人の口にはとても合うまいと思うものでも全部残らず食べる。
 まずいものでもみんな食ってみないとわからないし、作った人に無礼である、といって、暫くして「まずかった」と笑ってみせる。納得して口に出す。最高の味作りのできる人がこれである。
 だし巻きと伽羅蕗だけの弁当を旅に出た車中で相伴に預ったが何とも美味であったのが忘れられない。前夜親方が店をしめてから独りで作ってくれた逸品である。
 この人も徹底的に吝(けち)であったから、その技まで弟子にも倅にも残さず死んでいってしまった。あれほどの名人であったのに私を連れて食い漁ったのは屹度自分の作ったものより旨いものがあったら、という恐怖と興味が錯綜していたのだろう。
 永年修業して確固として自分の味を既に持っているのだから、おいそれと変えられる筈もないし、またそうあっては困るのだが、若しやという不安にかられる処に私は惹かされる。自信と不安、名人になるほどそれは苛まれる。
 自惚の強いということは他人を蔑むことでは決してない。もっと自惚れたいから他人の仕事を見たいのである。欠点を指摘したいのではなく優れた点を採り入れたい一心である。しかし実行するには相当の努力を必要とする、というのは真似が赦されない立場にあるのが名人であり、自分で自分をその座につかせてしまっているからである。
 個性を喪失させたくないのと、自分の鼻についた個性への嫌悪との葛藤に苦しむことは、この道に限らず名人の業である。
     *
最初に読んだ時はわからなかったが、
ある程度経ってから読みなおしてみると、
伊藤先生自身のことだと気づく。

いまこうやって書き写していても、そう感じる。
だから、この人の作るアンプと同じモノを作れるようになりたいと思ったのだった。

Date: 8月 29th, 2017
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(その19)

《他人(ヒト)とは違うのボク。》

岩崎先生が、ステレオサウンド 31号から始まったAUDIO MY HANDICRAFT、
「CWホーン・スピーカーをつくる」の中で二回くり返されているのが、
《他人とは違うのボク。》である。
     *
 オーディオに限ったことではないが、どんな趣味においても、自分の手で創るということでの喜びは大きい。しかし、もっと重要で意義あるのは、その喜びだけでなく、趣味そのものに対しての理解が深まり、非常に広く、深く、熱いものになる。それは物をみる眼、考えるところが深く、徹するところから出てくるものだ。創ろうとするところには、通り一辺の知識ですまなくなり、すみずみまで眼を光らせ、僅かも聴き逃さしと耳をそば立てる。つまり物に接するのに緊張度がまるで違う。
「オリジナルまたは原形」のすべてを知り尽しておこう、という意識が強く働くからだ。
 自作する側の内側には、少なからぬ経済的な理由が内在するのは常だ。良いものは高価だし、そんなに高くては買えない。しかし人並みに、あるいは人以上に良いものが欲しい。それが自作をうながす大きな力となる。
 だがもうひとつの理由、それこそ自作派の大義名分だ。
 他人(ヒト)とは違うのボク。
 これである。みんなと同じものを持つのは味気ない、というところからスタートする。実際にはどうかというと、昨日まで皆と同じものでないと気になって仕方なかったのに。いわく、全段直結OCLからはじまって、DD(ダイレクト・ドライブ)プレーヤー、ソフト・ドーム……。ひと通り判ったが、そのつもりになったときにある限界を感ずる。そしてそこに到達する。
 他人とは違うのボク。
 それからアンプは真空管になり、古典的なアンティック真空管を追いまわし、時代がかった古き良き時代の、といってもステレオ初期ぐらいの高級パーツ、超大型システムを目標と選ぶ。理由は他人の持っていない稀少価値。
 ここらあたりが、自作派と懐古趣味的収集派との分岐点になる。積極的で技術に強い、あるいは強くなりたいと願い、技術志向が強く、労をいとわず少々の冒険も辞さない。それが自作派だ。
     *
他人とは違うのボク。
確かにオーディオの自作の理由、大義名分はこれである。

これは私の裡にもある。
にも関わらず、伊藤アンプを前にすると、
それが写真であっても、そっくり同じもの、同じ佇まいのアンプを作りたい、と思う。

他人とは違うのボクではないわけだ。
伊藤先生のアンプと同じアンプを作れるようになりたい気持が、
そこをうわまわる。

Date: 8月 29th, 2017
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(その18)

伊藤先生は、なにか特別な、アクロバティックな配線を駆使してアンプを作られているわけではない。
オーソドックスなやり方をひとつひとつ丁寧にこなされてのアンプ作りのように感じている。

ならば、サウンドボーイに載っている工程をひとつひとつ丁寧にじっくりとやっていけば、
同じアンプが作れるはずではないか、
そう思われる人は、伊藤アンプのどこを見ているのか、と問いただしたくなる。

同じようなアンプ、似たようなアンプは作れるだろう。
きちんと動作もするアンプは作れる。

けれど、あの佇まいは出せない、とおもう。

サウンドボーイの記事を作った担当者のOさんは、
伊藤先生の300Bシングルアンプを、デッドコピーした人である。
そっくり作るだけの腕を持っていたし、
岡先生のマランツのModel 1を見事にメンテナンスした人でもある。

そのOさんでも、伊藤先生のコントロールアンプは作れない、と悟り、
伊藤先生にお願いして作ってもらった、という話を本人からきいている。

そうだろうな、と思う。

伊藤先生のコントロールアンプも、特別なことは何もされていない。
空中配線などという、特殊なことは何ひとつない。

ひとつひとつの作業をきちんとこなしていけば、これも完成するはずである。
でも、それは理屈にしかすぎない。
理屈だけでは、伊藤先生のアンプはマネできない。

Date: 8月 29th, 2017
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(その17)

上杉先生のKT88プッシュプルアンプはモノーラル仕様、
伊藤先生のEL34プッシュプルアンプはステレオ仕様。

まずこの違いがある。
この違いは、製作難度の違いに直結している。

けれど上杉先生のアンプと伊藤先生のアンプの内部をみたときに感じたことの違いは、
そういうことに関係しての違いではなかった。

伊藤先生の真空管アンプは、1977年ごろ、
無線と実験に発表されているEdプッシュプルアンプ(固定バイアスのほう)を見ている。
このアンプに、一目惚れした。

このEdのアンプはモノーラル仕様だった。
佇まいに、それまで見てきた自作の真空管アンプとは別モノなのを、中学生の私でも感じた。
その後に、さらに多くの真空管アンプを見てきたが、いまもこのおもいはかわらないどころか、
より強くなっていくばかりだ。

それでもEdのアンプは、もしかすると十年後、二十年後には、
同じモノが作れるのではないか、そうおもわせてくれるところもあった。

EL34のアンプは、まったくそういうところがなかった。
記事そのものの情報量は、圧倒的にサウンドボーイ掲載のEL34のアンプの方が多い。
無線と実験掲載のEdのアンプのほうは、モノクロの、細部のはっきりしない写真だった。

EL34のアンプは、丹念に読み、写真を見ていけば、学ぶことは実に多い。
気づくこともけっこうある。

記事では、伊藤先生は息をするようにワイアリングしてハンダ付けされているように見える。
日々の営みとして、あのアンプが完成されていく。
その境地に達することができないことを、そのときすでになんとなくわかっていたのかもしれない。

Date: 8月 28th, 2017
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(その16)

以前のステレオサウンドには自作記事もときおり載っていた。
私が最初に買った41号には、上杉先生のKT88のプッシュプルアンプの製作記事、
45号には、このKT88のパワーアンプとペアとなるコントロールアンプの記事があった。

43号では、神戸明氏のスピーカーエンクロージュア(エレクトロボイスのBaronet)の製作記事、
その他にもいくつもの自作記事が載っていた。

41号のKT88のパワーアンプの記事は、
「リアルサウンド・パワーアンプをつくる」と題されていた。
43号のコントロールアンプの記事は、
「最新のテクノロジーによる真空管式ディスク中心型プリアンプをつくる」だった。

どちらも実体配線図がついていた。
シャーシー加工は初めての人、道具が揃っていない人にとっては、
けっこうハードルが高いだろうが、シャーシーはステレオサウンドが限定で販売していた。

なので、あとはハンダ付けを丁寧にやっていくのであれば、
ほぼ同じアンプが出来上る、ともいえる。
決して難しい、とは思わせない製作記事だった。

1980年代、ステレオサウンドにはサウンドボーイという弟分の月刊誌があった。
1981年8月号のサウンドボーイに伊藤先生のEL34プッシュプルアンプの記事が載った。

「伊藤流アンプ指南」とついていた。
副題には、
「誰でも作れそうなアンプの、やさしくない作り方」とつけられていた。
そして「心得篇」となっていた。

全ページカラーで、写真の点数も多い。
三号にわたって掲載されていた。
製作中の写真も多かった。これは有難かった。

いままでにない製作記事のつくり方でもあった。
でも、これは副題には「誰でも作れそうな」とあるが、
どうみても、そうではないことは、すぐにわかる。

Date: 8月 12th, 2017
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(その15)

ここで書きたいのは、
先日別項『オーディオと「ネットワーク」(post-truth・その2)』で書いたこととかぶってくる。

何を求めて、真空管アンプを自作するのか。
結果という、いわば答だけを求めての自作をやる人が増えているのか。
少なくとも、そういう人は、伊藤先生がいわれたように最初から300Bで、ということになる。

最良の結果(答)のみが欲しいのであれば、
ラジオ球などのプッシュプルアンプを最初に、
それからステップアップしていく過程など、時間と手間と、費用の無駄ということになるだろう。

その過程をいやというほと経験しているからこそ、
300Bの優秀さ、それだけでなく有難味が心底わかるというものである。

昔はお金を出せば300Bが手に入るというわけではなかった。
ウェスターン・エレクトリックの製品、部品を手に入れたくとも、
入手困難というか無理という時代があった。

お金さえ出せば……、というふうになってきたのは、ここ二十年くらいではなかろうか。

なぜ自作をするのか。
その問いが理由といえよう。

問いを求めての行為だと、私はおもう。
もちろんそこには音という結果(答)もついてくる。

ついてくるからこそ、見極めてほしい。

Date: 8月 12th, 2017
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(その14)

私がオーディオに興味を持ち始めた1976年よりも、
おもしろいことに、いまの方が真空管アンプを作っているメーカーの数は圧倒的に多い。
当然、真空管アンプ自体の数も増えている。

価格もそうとうに安いモノから、そうとうに高価なモノまではと、
以前よりもその差はそうとうに大きくなっている。

つまりいまの真空管アンプは、それだけ玉石混淆といえるわけで、
安いモノの中には、どうしたらこの値段で売れるのか、と考えてしまうほど安価なモノがある。

自作のメリットのひとつに、よく安く手に入れられる、ということが挙げられる。
これなど本当に疑問で、よくよく考えてみれば、安く手に入れられるわけでもない。

中国製の真空管アンプの安さは、自作の経験のある人からみれば驚きでもある。
秋葉原で売っている部品を、安価な部品だけで揃えたとしても、
あそこまで安く仕上げられるわけではない。

もっとも中国製真空管アンプの中に、真空管は飾り(ヒーターだけ点火している)で、
実際の増幅はOPアンプ、パワーICというモノもある、ときいている。

そんな見せかけだけの真空管アンプは別として、
ただ真空管アンプを安く手に入れたいのであれば、
自作するよりも中国製を買った方がいい、ともいえる。

ここは昔とは違ってきている。
そういう状況の中で、初心者が真空管アンプを自作することの意味を、
6L6を使った五極管シングルアンプ製作は初心者向き、とすすめる人は、
どう考えているのか、それともまったく考えていないのか。

自作するのは、自分だけのモノが手に入る、という人がいる。
確かに設計から製作まで行えば、その人だけのモノといえるが、
ここでテーマにしているのは初心者が初めて製作する真空管アンプである。

Date: 8月 12th, 2017
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(その13)

ここまで書いてきても、私は五極管シングルアンプの製作が、
初心者向きとは思えない。
しかも6L6系の五極管を使ってのシングルアンプを、
初心者向きです、とすすめている発言を見ると、
この人は、ほんとうに自分でアンプを作ったことがあるのか、と疑いたくなる。

まさか作った経験もなしで、初心者向きと、初心者に対してすすめているのか。
作ったことがあるとしても、キットを一台程度だとしたら、同じようなものだ。

誰にも最初はある。
真空管アンプを自作しようとする場合も、必ず最初がある。
その最初のアンプに、どういうアンプを選択するのか。

伊藤喜多男先生が、以前いわれていた。
「最近では、いきなり300Bでアンプを作る人がいる」と。
でも300Bという真空管のよさを知るには、それ以外の真空管でのアンプ作りが求められる。
経験とはそういうものだ。

自作とは、本来そういうもののはずだ。

私は初めて作る真空管アンプならば、
その1)で書いているように、
いわゆるラジオ球を使ったプッシュプルアンプをすすめる。
回路はアルテック回路、ダイナコ回路と呼ばれるものがいい。

電圧増幅管には五極管と三極管をひとつにした複合管が、アルテック回路では使われるが、
いまでは複合管の品質のいいものを探すのはたいへんだから、双三極管でいい。

初段で増幅して、P-K分割の位相反転回路、そして出力段。
使用する真空管は、片チャンネルあたり三本。
プッシュプルだからチョークコイルを省略してもいい。

月並ではあって、このアンプが初めて作る真空管アンプとしては向いている。
この選択を、6L6のシングルアンプをすすめるような人は、古い、というかもしれないが、
初心者向きに、古いとか新しいとかは重要なことだろうか。

Date: 7月 30th, 2017
Cate: 真空管アンプ

真空管の美(その7)

現代の真空管アンプというイメージは、
懐古趣味ではない真空管アンプということなのだろうか。

いまアナログディスクブームと、一般でもいわれている。
そしてアナログディスクの音は、あたたくてやわらかい、
デジタルのように無機的でつめたくはない、
そんなこともいっしょにいわれることがある。

同じように、真空管アンプの音は、あたたかくてやわらかい、といわれることがある。
真空管のヒーターのともりぐあいが……、ということもいっしょに語られることがある。

井上先生が1980年代にいわれていたことは、
日本での、あたたかくてやわらかい、という真空管アンプの音のイメージは、
ラックスのSQ38FD/II(過去のシリーズ作も含めて)によって生れてきたものだ、だった。

他のメーカーが真空管アンプの開発・製造をやめていくなかにあって、
ラックスは真空管アンプを作り続けてきた。
SQ38シリーズだけでなく、コントロールアンプもパワーアンプも、
さらにキット製品でも真空管アンプを提供しつづけてきていた。

なにもSQ38FD/IIが当時のラックスの唯一の真空管アンプではなかったけれど、
真空管アンプといえばラックス、ラックスの真空管アンプといえばSQ38FD/II、
そのくらいSQ38FD/IIの存在は、大きいというより独自の感じがあった。

それだけに真空管アンプの音として、
SQ38FD/IIの音が浮んでしまうのは仕方ないことだったのかもしれない。

SQ38FD/IIがつくってきたあたたかくてやわらかい、
そういう音から離れた音の真空管アンプを、現代の真空管アンプというのなら、
おかしな話である。

Date: 7月 29th, 2017
Cate: 真空管アンプ

真空管の美(その6)

私がオーディオに興味を持ち始めた1976年よりも、
真空管アンプを作っているメーカーの数は増えている。

真空管アンプの新製品も、だからよく登場している。
安価なアンプではなく、本格的な真空管アンプの新製品が、である。

そういう真空管アンプの新製品が登場するたびに、
インターネットでもオーディオ雑誌でも、
現代の真空管アンプ、そういったことを書いて紹介する人が多い。

そんなありきたりな記事を目にするたびに、
何をもってして、現代の真空管アンプというのか、と、
そんな記事を書いた人に問いたくなる。

Date: 11月 14th, 2016
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(その12)

真空管アンプは、いま世に溢れている、といっていい。
そうとうに高額で大掛かりな真空管アンプもあれば、
よくこの値段でできるな、
感心するというかあきれるほどの低価格のアンプ(おもに中国製)もある。

自作アンプもある。
技術系雑誌に掲載されているアンプもあれば、
インターネットで検索してヒットするアンプもある。

それこそアンプの数だけのレベルの違いが、見てとれる、ともいえる。

真空管アンプは、半導体アンプよりもトランス類の数が多くなる。
電源トランスはどちらにも共通しているが、
真空管アンプでは出力トランスが、ここでテーマにしている五極管シングルアンプでは不可欠である。

チョークコイルも不可欠とまではいえないものの、あったほうがいい。
それにしてもオーディオ雑誌は、なぜチョークトランスと表記するのだろうか。

少なくともこれだけのトランス類は必要で、
例えば単段アンプならば入力トランスも必要となる。

入力トランスを使わなくとも、
ステレオアンプならば、出力トランスが二つ、電源トランスが一つ、チョークコイルが一つとなる。
鉄芯のコアをもつものが、シャーシー上に四つ乗っている。

これらのトランス類は干渉し合う。
漏れ磁束がある、それに振動も発している。
重量もある。

トランスの影響はトランスだけが受けているわけではなく、
他のパーツも受けている。

メーカー製のアンプでも、雑誌に載っているアンプの中にも、
これらトランス類の配置に無頓着としか思えないモノがある。

トランス自体がシールドされていると、すぐにはコアの向きはわからないが、
シールドなしのトランスであれば、どの向きに配置しているのか、すぐにわかる。

なぜ、こんな配置に? というモノが少なくない。
なにも真空管アンプだけの話ではない。
スピーカーのネットワークのコイルの配置にも同じことがいえる。

高音質パーツを使いました、と謳っていながらも、その配置には無頓着。
そういうモノが少なからずある。

Date: 12月 1st, 2015
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(その11)

五極管のシングルアンプも、凝った回路でなければ、
つまりアンプの教科書に載っている基本的な回路で製作すれば、
テスターがあれば調整はできる。

自分でシャーシー加工して作るのか、
それとも部品すべて揃っているキットを購入して作るのか、
どちらでもいい、とにかく丁寧にハンダ付けして配線に間違いがなければ、
アースもしっかりととっていれば、ほぼ間違いなく音は出る。

自分で作った真空管アンプから音が出る。
初めての製作であれば、これだけでも嬉しい。
私が中学一年のころ、初めて製作した電子工作は、
初歩のラジオに載っていた、暗くなるとLEDが点灯するというものだった。

部品点数は少なかった。
自分で部品を買いに行く。
いまのようにインターネットで簡単に注文できる時代ではなかった。

ハンダ付けができれば、すぐに完成するものだったけれど、
それでもハンダ付けが終り、配線の間違いがないことを確認して、
電池を入れて、どきどきしながら暗いところに持っていく。
実際にLEDが光ったのを見て、嬉しくなった。

そのころはどういう動作でそうなるのかはよく理解していなかった。
なんとなくの理解でしかなかったけれど、それでも自分で作ったものがきちんと動作するのを見るのは、
やはり喜びがある。

初めて作る真空管アンプが、さほど凝ったモノでなくとも、
そのアンプがきちんと動作してスピーカーを鳴らしてくれれば、作った人にしかわからない喜びはある。
初心者だからこそ味わえる喜びといえよう。

その喜びの次のステップをどうするのか。

Date: 11月 26th, 2015
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(その10)

ここまで書いてきたことをまとめておくと、
五極管シングルアンプ製作を初心者向きとするならば、
ステレオよりもモノーラルで作ることを、まずすすめる。

出力管は、誰もが知っているポピュラーな球であれば、どれを選んでもいいと思っている。
出力管は三極管接続では私は使わない。
五極管接続かUL接続のどちらかで使う。

EL34だったらUL接続にするし、6F6や6V6などは五極管接続で使う。
五極管接続かUL接続かは、選んだ真空管によって違ってくる。

電源は、私は整流管を使う。
それから五極管シングルアンプではチョークコイルも必要と考える。

チョークコイルなしで平滑コンデンサーの容量を相当に増やすことを考える人もいるだろうが、
私はチョークコイルを使った方が、すっきりとまとまると考える。

電圧増幅段はどうするか。
五極管だから増幅段は一段あれば十分なゲインが確保できる。
双三極管を使えば、それぞれのユニットを左右チャンネルに振り分けることで、
電圧増幅段に使う真空管は左右チャンネル合せて一本にできる。

ただしそうするにはステレオ仕様で作るしかない。
モノーラルで作るのであれば、片側のユニットをあまらせるか、
並列接続にするか、SRPPにするか、もしくは二段目をカソードフォロワーにするか、などがある。

EF86などの五極管を電圧増幅段に使う手もある。
だが、いま簡単に入手できる電圧増幅用の五極管のクォリティが、どうにも信用できない。

ではどうするのか。
入力にトランスをもってきて電圧増幅段を省略してしまうという、
いわゆる単段アンプ(出力段のみのアンプ)も考えられる。
これが回路構成としてもっとも簡単なのだが、
入力トランスにいいかげんなモノをもってきたら、台無しになる。
いいトランスは、決して安くない。

こんなふうに考えてきて、ここでの初心者は、
いったいどういう初心者なのだろうか、と考えてしまう。

オーディオの初心者で真空管アンプを作るのも初めて、という初心者なのか、
それともオーディオ歴は長いけれど、これまでアンプを自作したことはない、という初心者なのか。

どちらの初心者なのかということもそうだが、
この初心者が、真空管アンプを作ったあとにどうしたいのか、も無視できないことである。