Archive for category ショウ雑感

Date: 2月 12th, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その6)

今年のインターナショナルオーディオショウに、
ハーマンインターナショナルが戻ってくる。

ハーマンインターナショナルが復活する、というニュースはすでに知っていた。
やっと正式に発表になった。

インターナショナルオーディオショウで入場者登録のアンケート用紙に、
出展してほしいブランドはどこか、という項目がある。

ここ数年、ずっとJBLと書いてきていた。
私と同じ人はけっこういたのではないだろうか。

それだけでなく、以前書いているように、
今年はJBLのモニタースピーカー50周年記念モデルが出る、といわれている。
来年はJBL創立75周年でもある。
このへんが理由としては、いちばん大きいのだろう。

いまJBLのスピーカーをバカにする人は増えてきているようだ。
ブルーバッフルで木製のエンクロージュアゆえに、
青ダンスと揶揄する人もいる。
ホーン型ユニットを、古いと一刀両断する人もいる。

JBLなんて、戻ってこなくていい、と思う人も増えてきているのか。
でも、それ以上にJBLに戻ってきてほしい、と思っていた人が多かったのではないのか。

私は勝手にそう思っている。

こんなことを書いていると、それだけで古くさいヤツだ、と思う人もいる。
ほんとうにそうだろうか。

ほんとうに大事なことは古くも新しくもならない。

Date: 2月 7th, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その5)

その熊本のオーディオ店では、別の機会に瀬川先生による「THE DIALOGUE」も聴いている。
その時の音も一つの基準となっている。

その基準よりも、私がaudio wednesdayで鳴らす「THE DIALOGUE」は、少しばかり大きい。
大きい、といっても、記憶のうえでの、感覚的な比較でしかない。
厳密に、どのくらい大きいとはいえない。

では、なぜ少しばかり大きいのか、といえば、
それは同じ音量による再生をめざしているのではなく、
あの時4350Aから鳴ってきたバスドラムの、衝撃的といえるエネルギーを求めているからだ。

4350Aは15インチのダブルウーファー、
喫茶茶会記のスピーカーは、アルテックの416-8Cで、シングル。
バイアンプ駆動とシングルアンプ駆動という違いもある。

それらの違いを承知のうえで、
あの時の4350Aと同じエネルギーを再現したい。

あの時の音量ではなく、エネルギーを、という私の耳には、
オーディオショウでの「THE DIALOGUE」の音量ではなくエネルギーは、そうとうに低く感じてしまう。

Date: 2月 7th, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その4)

「THE DIALOGUE」は、どのくらいの音量で鳴らすのか。

ここ数ヵ月は、audio wednesdayで「THE DIALOGUE」をかけなくなった。
理由は、メリディアンの218を使うようになったことが関係している。

私が持っている「THE DIALOGUE」は、CD層とSACD層のハイブリッド盤である。
喫茶茶会記のMCD350で聴くと、これはSACD層のほうがいい。
最低域が、SACDでは1オクターヴといってしまうと、やや誇張気味になるが、
半オクターヴくらい、さらに下にのびているような感じを受ける。

audio wednesdayでは、
マッキントッシュのアンプ、MA7900のパワーアンプ部のみを使い、
218で音量設定をしていることもあって、SACDを鳴らさなくなったが、
鳴らしているときは、けっこうな音量だった。

大きすぎる、と感じる人もいる。
それでも、録音・再生の約束事から逸脱した音量とは思っていない。

菅野先生は、どのくらいの音量で鳴らされていたのか。
私がステレオサウンドで働いていたころは、
「THE DIALOGUE」は試聴ディスクから外れていた。

菅野先生のリスニングルームでも「THE DIALOGUE」は聴いたことがない。

それでも熊本のオーディオ店に菅野先生が来られたことがあった。
JBLの4350Aが設置してあるブースで菅野先生、
その隣のブースで瀬川先生が音を鳴らされる、という催しものだった。

この時、4350Aで「THE DIALOGUE」が鳴った。
この時の4350Aを含むシステムはオーディオ店による調整だったので、
菅野先生の音といえないにしても、
「THE DIALOGUE」の音量において、私にとって一つの基準となっている。

Date: 2月 2nd, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その3)

TOKYO AUDIO BASE 2020の会場に着いて、
最初に入ったブースはほぼ満席だった。
座れるところは空いてなかったので、後方で立って聴いていた。

座っている人のなかに、気になる人がいた。
音が鳴っているときに、両手を耳に後にあてている。

手の大きさの分だけ外耳が大きくなるのと同じだから、
聴こえもよくなるわけだが、この人は自宅でもそうやって聴いているのか。
だとしたら、腕が疲れないのだろうか。

そんなよけいな心配をしていたのだが、よく見ると、
どうも手で耳をなかば塞いでいるようなのだ。

そのブースでの音量は、こういうオーディオショウでは大きくも小さくもない、と感じるくらいだった。
私は後方にいたし、その人は前列のほうだった。

多少離れていたとはいえ、その位置でも大きな音量とはいえない。
ただ、これはあくまでも私の感じ方であって、
耳を塞ぎ気味で聴いていた(と思われる)人にとっては、それでも大きすぎたのかもしれない。

すべての人にちょうどいい音量の設定は、まず無理である。
人には、それぞれ許容範囲がある。
その範囲内におさまっていれば、不満はほとんど出ないであろう。

それでも許容範囲が広い人もいれば狭い人もいるはずだ。
聴いている人に配慮した音量設定はできない、と考えるものだ。

結局、鳴らす音楽に配慮した音量設定をするしかない。
そうなると、あのブースでの小さすぎる音量での「THE DIALOGUE」は、
誰に対して、何に対しての配慮のもとでの音量設定だったのか。

Date: 2月 2nd, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その2)

TOKYO AUDIO BASE 2020でのこと。

来場者の一人が、菅野先生録音の「THE DIALOGUE」を持参して、
各ブースでかけて聴かれていたようだった。

ネットワークジャパンのブースを出る時に、
「このディスク、かけてもらっていいですか」とスタッフに訊ねていた。

私は次のブースに行きたかったので、
そこでの「THE DIALOGUE」がどんなふうに鳴ったのかは聴いていない。

次に入ったブースで二曲ほど聴いたところで、
「THE DIALOGUE」が鳴りはじめた。

さきほどの人が、ここでもリクエストしての「THE DIALOGUE」だった。

それにしても、音量が小さすぎる。
「THE DIALOGUE」を、こんな音量で聴いても……、と心の中でつぶやいていた。

そのブースのスタッフが、「音量は、このくらいでいいですか」と持ってきた人にきいていた。
「もう少しあげてください」との返事。

もう少しだけ、音量はあがったけれど、
それでも私としてはあまりにも「THE DIALOGUE」には小さすぎると感じる。

あまり大音量だと、ほかの来場者の迷惑になるかも、という心配(配慮)もあってかもしれない。
それでも、こういうオーディオショウなのだから、
ふだん自宅では鳴らせないような音量での再現を、
「THE DIALOGUE」を持参された人は望んでいたのかもしれない。

そのへんのことを訊ねたわけではない。
その人は、私が不満に感じた音量に満足されていたかもしれない。

オーディオショウでは不特定多数の人が集まる。
そこでの音量設定は難しいといえばそういえる。

けれど……、とも思う。

Date: 2月 1st, 2020
Cate: ショウ雑感

2020年ショウ雑感(その1)

TOKYO AUDIO BASE 2020に行ってきた。

ネットワークジャパンのブースで、
ギターのライヴ演奏とMQA-CDを鳴らすという企画に興味があったためだ。

ネットワークジャパンのブースでは、
スピーカーシステムはクアドラルのAURUM TITAN 9、
CDプレーヤー、アンプはラックスで、
MQA-CDの再生のためにメリディアンのULTRA DACが加わる、というラインナップ。

ギターの演奏は、井上仁一郎氏。
T-TOCから出ている「GuitArr」のなかから、一曲目と七曲目が、
井上氏による演奏、CDによる再生、MQA-CDによる再生だった。

短い時間とはいえ、
それにシステムのセッティングが十全とはいえないにもかかわらず、興味深かった。

井上氏は、今回はじめてMQA-CDを聴かれた、とのことだった。
その感想も、演奏する側にとっては、そういうことになるのか、と思った。

厳密な意味での比較ではない。
CDとMQA-CDの音に関しても、そういえるところがあった。
やりようによっては、もっと興味深い内容になるのに、と思うところもあった。

それでも、行って聴いてきたことで得られるものはある。

Date: 12月 8th, 2019
Cate: ショウ雑感

理科サークルフェスタ2019(その5)

今回の試聴会には、立命館大学も参加している。
立命館大学は京都にある。

立命館大学の学生が最初に話したのは、
関西の大学でオーディオサークルがあるのはウチだけです、だった。

関西にいくつの大学があるのかは知らないが、それにしても、である。
立命館大学だけなのか……。

オーディオブームだったころは、そうではなかったはず。
かなりの大学にオーディオサークルはあったであろう。
なのに、いまでは関西では立命館大学だけ、というのは、
いったいどれだけ減っていったのか。

中央大学以外にも、部員がどれだけいるのか話した大学はある。
そこも、やはり少ない部員数である。

オーディオサークルの数も減り、部員も減っていっている。
くわえてオーディオはお金がかかる。

それでも、こうやってオーディオをやっている人たちがいて、
音楽之友社のステレオでは、スピーカー甲子園という企画をやっている。
それからオヤイデ電気も、大学のオーディオサークルにパーツを提供している。

今年は七つの大学だった。
来年はどうなるのか。
減っているのか、同じなのか、それとも増えているのか。

増えていってほしい、と思うし、
くり返しになるが、もう少しの厳しさをもって取り組んでほしい。

Date: 12月 8th, 2019
Cate: ショウ雑感

理科サークルフェスタ2019(その4)

同好会の域を出ていない──、
理科サークルフェスタでのオーディオサークルの試聴会は、そうだった。

部外者が聴きに来ないのであったとしても、
厳しさが、少しは必要と感じないのだろうか。

スピーカーを自作するのは楽しい。
しかも予算の制約を受けながらの自作だけに、
楽しいだけではなく、苦労もあるのはわかる。

でも、そうやって自作したスピーカーを、
どうしてこんな鳴らし方をするのだろうか、と思ってしまう。

CDプレーヤー、アンプにも贅沢はできないのはしかたない。
そういうことを求めているわけではない。

スピーカーにしても、アンプ、CDプレーヤーのセッティングが、
残念ながら、お粗末すぎる。

教室での音出しだから、ここでも制約がいくつもあるのはわかる。
そんななかでも、工夫はいくつもできるものだ。

予算が足りなければ、体を動かそうよ、といいたくなる。
みんなで知恵を出し合おう、ともいいたくなる。

音出しで、ちょっとしたトラブルがあると、協力しあっていたのだから、
音出し以前の段階で、もっともっと協力しあえばいいことなのに……、と思う。

それぞれの大学のオーディオサークルがこうして集まって試聴会をやるのは、
とてもいいことである。
ずっと続けてほしいことである。

でも、それだけでは……、と部外者で世代も大きく違う私は思ってしまう。

Date: 12月 8th, 2019
Cate: ショウ雑感

理科サークルフェスタ2019(その3)

課題曲のうち私が聴いたことがあるのは、
マイケル・ジャクソンの“Say Say Say”だけ。
あとの二曲は、初めて聴く。

課題曲を鳴らしたあとに自由曲を鳴らす。
自由曲を先に鳴らした大学もあったけれど、あとはすべて課題曲からだった。

この順番はどちらでもいいが、課題曲を鳴らすにあたっては、
もう少し音量を揃えてくれた方がいい、と感じた。

音量も含めてのプレゼンテーションと受け止めれば、
音量設定も各大学によって違っても受け入れるしかないのだが、
ここに関しては、配慮があってもいいのではなかろうか。

課題曲もそうだったが、自由曲も初めて聴く曲ばかりだった。
同時に、課題曲も自由曲も、大きな違いはなかった。

課題曲も、彼らが好んで聴く曲を中心に選んでいるような印象を受けた。
自由曲の時間があるのだから、
課題曲は、クラシック、ジャズが含まれていてもいいように思う。

こんなことを書くと、お前が歳をとり過ぎている、といわれるのはわかっていても、
どの曲も似たり寄ったりなのだ。

どの大学の人たちもハタチ前後であろう。
そのころ、どんな音楽を聴いていたか、を思い出してもいた。

好きな音楽をもちろん聴いていたけれど、
それだけでなく、背伸びして聴いていた音楽もあったし、
その時間も長かった。

今回の試聴会には、そういう空気がなかったように感じた。
好きな音楽を聴きたい──、
それだけしかなかったようにも感じていた。

Date: 12月 8th, 2019
Cate: ショウ雑感

理科サークルフェスタ2019(その2)

法政大学小金井キャンパスで開催された理科サークルフェスタ2019に行ってきた。
オーディオサークルのある大学として、
芝浦工業大学、中央大学、明治大学、神奈川工科大学、
立命館大学、東京電機大学、東京都市大学の参加だった。

東館二階の二教室を使っての合同の試聴会である。
午前中がE201、午後からは向いのE202教室という二部構成で、
上記の最初の三大学が午前中、四大学が午後からだった。

11時過ぎに到着したため、芝浦工業大学のスピーカーだけは聴けなかった。
各大学のスピーカーの説明の冊子も用意されていた。

会場となる教室に、
人がけっこう入っていたのは、少し意外だった。
女性も数人いた。

でも、各大学のオーディオサークルの部員の人たちばかりのようでもあった。
関係ない人で来ていたのは、あまりいなかったのではないだろうか。
なので、みな若い。
年齢的には、私は完全に浮いた存在だった。

私が教室にはいったとき、中央大学の時間が始まったばかりだった。
中央大学は二つのスピーカーを出していた。
フォステクスのユニットを使ったスパイラルホーン型(長岡鉄男氏設計がベース)、
それから小型2ウェイのシステムだった。
2ウェイのモデルは、女性による自作だった。

合同の試聴会だから、試聴器材も、
スピーカー以外は同じか、と思っていたら、
大学ごとにシステムすべてが違う。

比較試聴会というよりも、
各大学のオーディオサークルのプレゼンテーションと捉えれば、これもありだ。

課題曲として、
ハシタイロ/rionos
Laplace’s Demon/カルメラ
Say Say Say/マイケル・ジャクソン、
これら三曲が決っていた。

Date: 12月 7th, 2019
Cate: ショウ雑感

理科サークルフェスタ2019(その1)

理科サークルフェスタ2019が、
12月8日、法政大学小金井キャンパスで開催される。

明治大学、中央大学、法政大学 の理工学部主催で、
10大学以上のサークルが参加する、とのこと。

オーディオサークルのある大学はいくつかある。
それぞれの大学の学園祭で、自作スピーカーの発表などをしているのは知っていたけれど、
一つ一つの学園祭の日時をチェックしたり、行くのも億劫で、まだ行っていない。

でも、今回の理科フェスタには、いくつかの大学のオーディオサークルが参加している。
一度に、いくつかのオーディオサークルの発表を聴ける。

なので、今回は行くつもり。

Date: 12月 7th, 2019
Cate: ショウ雑感

2019年ショウ雑感(その27)

オーディオショウの各ブースでは、それぞれの出展社による、
音によるプレゼンテーションが行われている、といっていい。

プレゼンテーションをするのは、ブースのスタッフだったり、
メーカーの人だったり、オーディオ評論家だったりする。

製品の説明がある。
そこで技術の説明もあることが多い。

加えて、この製品の音は──、と続くこともけっこうある。
以前も書いているが、その時の言葉による音の表現と、
実際にそこで鳴っている音を私が聴いての印象とは、
同じことはあまりない、といっていいし、
ひどいときに、この音を、そんなふうに表現するの? とスタッフに問い質したくなることも少なくない。

そういう場合、この人は、いったいどういう音の聴き方をしてきたのか、
といつも思う。
どういう音楽を、どういう音で聴いてきた人なのだろうか。
そして、音の表現をするにあったて、
この人は、どんな共通認識をもっているのだろうか──、
その他にもあるが、そんなことを考えてしまう。

考えたところで答がはっきりするわけではないのはわかっている。
スタッフの耳か、私の耳か、どちらかがひどい、ということなのか。

それとも、他に理由があるのか。
その理由について最近考えているのは、
音に対するイメージの相違、
それも静的イメージと動的イメージの違いがあるのではないか、
そう考えている。

Date: 12月 6th, 2019
Cate: ショウ雑感

2019年ショウ雑感(その26)

全国各地では、オーディオ店主催のオーディオショウが、
12月いっぱいまでいくつか開催されているようであるが、
東京にいると、インターナショナルオーディオショウの終りとともに、
今年のオーディオショウも終り、という印象を個人的には受ける。

ショウが終り、各オーディオ雑誌がそれぞれの賞を発表する。
ステレオサウンドのステレオサウンドグランプリが発表、
つまり冬号が発売になれば、こちらも一段落。

ショウと賞が、今年も変らずに行われ、変らずに終っていく。
来年もきっと変らずに行われ、終っていく。

どのブースも、毎年のことだから、手馴れている印象が毎年強くなってくる。
こちらも変らずに行われ、終っていく。

それがいい──、
それでいい──、
そういうことなのか、と思ったりもする。

それを長いつきあい、というのであれば、
求めるのは深いつきあいだ,ということに気づく。

Date: 11月 30th, 2019
Cate: ショウ雑感

2019年ショウ雑感(その25)

アナログディスクをかけるブースは、数年前から増えてきている。
いいことだと思いながらも、
増えることによって、アナログディスク再生の難しさも露呈してきているように感じてもいる。

アナログディスクをかけたから、どなんかけかたでもいい音が出るというわけではない。
むしろCDよりもずっと使い手(鳴らし手)の技倆が、はっきりと音に出てくる。

もちろん使用機材の良し悪しも関係してくるわけだが、それでも使いこなしも重要であり、
それ以上に、と考えるのは、
鳴らし手が、これまでどういう音でアナログディスクを再生してきたか、である。

ようするに、ここでも「音は人なり」ということをいいたい。

どこのブースなのかは書かない。
あまりにもひどかったからだ。

アナログディスクの音は、鳴らし手によっては、
硬く冷たい表情であることが多々ある。

CDよりも、ひどく鳴った場合の音は、ほんとうにひどい。

そのブースで鳴っていた音は、骨格だけの音のようにも感じた。
ゴリゴリした感触しかない音で、
しかもその骨格の均整が崩れてしまっている、としかいいようのない音だった。

なのにそのブースの人は、アナログディスクの魅力を十全に鳴らしきった──、
そんな感じの話をしていた。

その時の音の表現は、アナログディスクの魅力を語る際によく使われる類だった。
なのに、出てきた音は、そんな表現とは正反対にしか私の耳にはきこえなかった。

私には、鳴らしている人の表情は満足げにみえた。
だから、鳴っていた音は、その人が鳴らしたかった音であるのは間違いない。

こういう音と、その表情は何を語っているのか、と考えると、
結局は「音は人なり」は、常に真理であることに行き着いてしまう。

Date: 11月 28th, 2019
Cate: ショウ雑感

2019年ショウ雑感(その24)

1974年に、日本で「エクソシスト」が公開になった。
当時,とても話題になっていた。

まだ小学生だったこと、
「エクソシスト」を上映している映画館は、バスで一時間ほどのところにあるため、
母と弟と一緒に観た。

怖かったし、気持悪かった。
観終っても、一ヵ月ほどは、その怖さが抜けきらなかったほどだった。

でも、ホラー映画を含めて、怖いおもいができる映画が好きである。
この手の映画が苦手な人は、
なぜお金を払ってまで怖いおもいをしに行くのか、という。

いわれてみると、そうだな、と思いつつも、
ここ十年ほどは、心底怖かった、とおもえる映画にであえていない。

「エクソシスト」はグロテスクでもあった。
そのグロテスクさと、幻想交響曲のグロテスクさを一緒くたにするつもりはないが、
いまの時代は、グロテスクさやグロテスク的なものを排除か、
そこまでいかなくともかなり薄めてしまっている面も感じるといえば、そうだ。

不特定多数の人が来場するオーディオショウのブースで、
はっきりとグロテスクさが感じられる演奏、音を鳴らすのは時代にそぐわないのか。