Archive for category ショウ雑感

Date: 10月 16th, 2015
Cate: ショウ雑感

2015年ショウ雑感(その2)

今日から開催のオーディオ・ホームシアター展(音展)に行ってきた。

先月聴いたヤマハのNS5000がまた聴けるということで行ってきた。
だが残念ながらNS5000はなかった。

出かける前にヤマハのウェブサイトにあるNS5000のイベント情報で確認していた。
そこにはオーディオ・ホームシアター展(音展)の日程が書いてある。
誰だって、こう書いてあればオーディオ・ホームシアター展(音展)でNS5000が聴けると思ってしまう。
さきほどまた確認したが、やはりオーディオ・ホームシアター展(音展)のことがイベント情報で表示されている。

ヤマハのブースに入ろうとしたら、ヤマハの人に「NS5000は聴けないんですか」と訊ねている人がいた。
NS5000の音が聴けるのを楽しみにされていたのだろう。

そのやりとりを横で聴いていた私は、ヤマハのブースには入らなかった。
NS5000をオーディオ・ホームシアター展(音展)に持ってこないのは事情、理由があってのことだとしても、
それならばNS5000のイベント情報を更新しておくべきだ。

ヤマハの人に「NS5000は聴けないんですか」と訊ねていた人、私以外にもNS5000を目的で、
オーディオ・ホームシアター展(音展)に行かれる人がいると思う。
だからもう一度書いておく。

今回のオーディオ・ホームシアター展(音展)では、NS5000は聴けないし見ることもできない。

Date: 10月 7th, 2015
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・余談として)

私がオーディオに興味を持った1970年代後半、
ヤマハのスピーカーユニットはトゥイーターのJA0506とウーファーのJA5004ぐらいしかなかった。

そのヤマハが1979年にスピーカーユニットのラインナップを一挙に充実させた。
20cm口径のフルレンジユニットJA2071とJA2070、
トゥイーターはJA0506の改良型のJA0506IIの他に、
同じホーン型としてJA4281、JA4272、またドーム型のJA0570、JA0571、JA0572。
スコーカーはホーン型のJA4280、ドーム型のJA0770、JA0870。

コンプレッションドライバーはJA4271、JA6681、JZ4270、JA6670があり、
組み合わせるホーンはストレートホーンのJA2330、JA2331、JA2230、
セクトラルホーンのJA1400、JA1230が用意されていた。

ウーファーは30cm口径のJA3070、
38cm口径のJA3881、JA3882、JA3871、JA3870と揃っていたし、
これらの他にも音響レンズのHL1、スロートアダプター、ネットワークもあった。

このラインナップに匹敵するモノを、いまのヤマハに出してほしいとは思っていない。
ただひとつだけNS5000と同じ振動板の、20cm口径のフルレンジユニットを出してほしいと思っている。

JA2071とJA2070のコーン紙は白だった。
NS5000の振動板も白(微妙な違いはあるけども)である。
素性のとてもいいフルレンジユニットとなりそうな気がする。

それはこれからにとって必要なモノだと考えるし、
出来次第では重要なモノ、さらには肝要なモノへとなっていくことを夢想している。

Date: 10月 5th, 2015
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・その6)

感じただけで、実際にAPM8の音を聴くことはできなかった。
それもあってだろう、いつしか忘れてしまっていた。
思い出したのはダイヤトーンのDS10000を聴いたときだった。
五年が経っていた。

ダイヤトーンのDS10000はDS1000をベースにしていることはすでに書いた通りだ。
DS1000の音は、私にとっては井上先生がステレオサウンドの試聴室で鳴らす音とイコールである。

何度かのその音を聴いている。
DS1000の良さは、だから知っている。
ちまたでいわれているような音とは違うところで鳴る音の良さがある。

当時DS1000の評価は、すべての人が高く評価していたわけではなかった。
うまく鳴っていないケースも多かったというよりも、
うまく鳴っていないケースのほうが多かったらしいから、それも当然である。

それでも高く評価する人たちはいた。
誰とは書かない。
この人たちは、どれだけうまくDS1000を鳴らしたのだろうか、と疑問に思ってもいた。
それこそ聴かずに(少なくとも満足に聴かずに)、試聴記を書いているではなかったのか。

DS10000が出た。
価格はDS1000の三倍ほどになっていたし、
エンクロージュアの仕上げも黒のピアノフィニッシュになっていた。
専用スタンドも用意されていた。

音質的に配慮されたスタンドだということはわかっていても、
このスタンドに載せたDS10000の姿は、あまりいい印象ではなかった。
なんといわれていたのかはいまでも憶えているが、
いまもこのスピーカーシステムを愛用している人はきっといるはずだから、そんなことは書かない。

でも、DS10000から鳴ってきた音を聴いて驚いた。
DS1000の音はしっかりと把握していたからこそ、
そこでの「どこにも無理がかかっていない」と思わせる鳴り方に驚いた。
そして黒田先生のAPM8の試聴記を思い出してもいた。

Date: 9月 30th, 2015
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・その5)

瀬川先生がステレオサウンド 52号「最新セパレートアンプの魅力をたずねて」で書かれている。
     *
 新型のプリアンプML6Lは、ことしの3月、レビンソンが発表のため来日した際、わたくしの家に持ってきて三日ほど借りて聴くことができたが、LNP2Lの最新型と比較してもなお、歴然と差の聴きとれるいっそう透明な音質に魅了された。ついさっき、LNP(初期の製品)を聴いてはじめてJBLの音が曇っていると感じたことを書いたが、このあいだまで比較の対象のなかったLNPの音の透明感さえ、ML6のあとで聴くと曇って聴こえるのだから、アンプの音というものはおそろしい。もうこれ以上透明な音などありえないのではないかと思っているのに、それ以上の音を聴いてみると、いままで信じていた音にまだ上のあることがわかる。それ以上の音を聴いてみてはじめて、いままで聴いていた音の性格がもうひとつよく理解できた気持になる。これがアンプの音のおもしろいところだと思う。
     *
52号は1979年に出ている。
私はまだ16だった。
オーディオをどれだけ聴いていたか──、わずかなものだった。

アンプとはそういうものなのか、アンプの音とはそういうものなのか、と思い読んでいた。
そして考えた。これがスピーカーだったら、アンプの音の透明度に相当するもの、
つまり「それ以上の音を聴いてみてはじめて、いままで聴いていた音の性格がもうひとつよく理解できた気持になる」音とは、
何なのかを考えていた。すぐには思いつかなかった。

そんなことを考えて半年、ステレオサウンド 54号が出た。
スピーカーシステムの特集だった。

黒田先生、菅野先生、瀬川先生が国内外の45機種のスピーカーシステムを聴かれている。
その中に黒田先生のエスプリ(ソニー)のAPM8の試聴記がある。
これを読み、これかもしれないと思った。
     *
化粧しない、素顔の美しさとでもいうべきか。どこにも無理がかかっていない。それに、このスピーカーの静けさは、いったいいかなる理由によるのか。純白のキャンバスに、必要充分な色がおかれていくといった感じで、音がきこえてくる。
     *
とはいえ、この時はいわば直感でそう感じただけだった。

Date: 9月 27th, 2015
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・その4)

ダイヤトーンが40周年記念モデルとして、1985年にDS10000を出してきた。
このころのダイヤトーンはDS5000、DS1000、DS2000といったスピーカーが主力であり、
これらをきちんとセッティングして鳴らした音は、オーディオマニアとして惹かれるところがあった。

とはいっても自分のモノとして買うかとなると、それはなかった。
それでもきちんとした状態で鳴るこれらのスピーカーの音には、
オーディオマニアとして挑発されるところがあった。

DS10000は型番からわかるようにDS1000をベースにした限定モデルである。
ウーファーは27cm口径、スコーカー、トゥイーターはハードドーム型。
エンクロージュアはピアノフィニッシュのブックシェルフ型だった。

こう書いていくと、今回のヤマハのNS5000も同じといえる構成である。
構成、外観が共通するところがあるにとどまらない。

昨日、NS5000の音を聴きながら、DS10000の音を初めて聴いた時のことを思い出していた。
DS10000を聴いた時の驚きを思い出していた。

NS5000にも、そういった驚きがあった。
同じといえる驚きの部分もあったし、そうでない驚きもあった。

Date: 9月 27th, 2015
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・その3)

24日のNS5000の発表された内容を読んでいて、
インターナショナルオーディオショウに行って音を聴きたい、と思うようになったのは、
まず型番がそうだった。

現在のヤマハのプリメインアンプとCDプレーヤーは、1000番、2000番、3000番の型番がつけられている。
NS5000はNS1000でも、NS2000でもNS3000でもなく、NS5000である。
NS1000とNS2000は既に使われている型番だとしても、なぜNS3000でないのか。

もしかするとNS3000という型番で開発は始まったのかもしれない。
それがなんらかの理由で、NS5000になったとしたら……、そんなことを考えていた。

そして価格をみると一本75万円(予価)とある。ペアで150万円。
ヤマハのCD-S3000、A-S3000の価格からしても高い価格設定である。
ということは、CD-S5000、A-S5000が今後登場してくるのかもしれない。
それだけではない、いまはプリメインアンプだけだが、セパレートアンプの復活もあるのではないか。

そんな勝手な期待をしていた。
これがインターナショナルオーディオショウに行こうと思った理由のひとつ。

もうひとつはNS5000の外観にある。
30Cm口径ウーファーに、ドーム型のスコーカーとトゥイーター、
エンクロージュアのサイズはいわゆる日本的なブックシェルフ。

エンクロージュアも写真を見る限りはラウンドバッフルではない。
ただの四角い箱に見える。
いくら仕上げがピアノフィニッシュであっても、
598のスピーカーと一見似たような内容で、十倍以上の価格をつけて出してくる。

あえて、このスタイルでヤマハは出してくるのか──、
これがふたつめの理由である。

もうひとつは昨年のショウ雑感にも書いているように、
ヤマハのプレゼンテーションは、なかなかよかった。
今年もいいプレゼンテーションであるだろうし、
昨年と同じということもないであろう。そういう期待も理由のひとつであった。

Date: 9月 27th, 2015
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・その2)

ヤマハのスピーカーシステムの型番には基本的にはNSとついている。
NSとはナチュラルサウンド(Natural Sound)の略である。

NS1000M、NS690、NS10M、NS500、NS8902などの製品があった。
これら以外にも数多くのヤマハのNSナンバーのスピーカーシステムは登場してきた。

1980年代に登場したヤマハのスピーカーの大半は、
ステレオサウンドで聴いている。
そうやって聴いてきて、
ヤマハが目指している・考えているナチュラルサウンドがどういう音なのか、
それがわかった・つかめたかというと、そんなことはなかった。

こちらの聴き方が悪いのかもしれない。
でも、それだけではなかったはずだ。

たとえばNS690IIとNS1000Mは、どちらも30cm口径のウーファーの3ウェイ、
スコーカーとトゥイーターはどちらもドーム型だが、NS690IIはソフトドームでNS1000Mはハードドーム型。
エンクロージュアの仕上げ、色もまったく違う。

それぞれのスピーカーから鳴ってくる音は、
他社製スピーカーとの比較においてはどちらもヤマハのスピーカーであることははっきりしているのだが、
NS690IIとNS1000Mとでは性格が同じスピーカーとはいえないところもあった。

ヤマハはどちらの音をナチュラルサウンドと呼ぶのか。
私にとって、このことはながいこと疑問だった。

今回NS5000を聴いて、
やっとヤマハの「ナチュラルサウンド」をはっきりと耳で聴きとれた、と実感できた。

Date: 9月 26th, 2015
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・その1)

25日からインターナショナルオーディオショウが始まった。
今回は仕事の関係で行けない(行かない)かもと思っていた。

けれど24日にヤマハからNS5000のリリースが発表になった。
これだけは聴いておきたいと思い、なんとか時間のやりくりで、26日の夕方の、二時間半ほど会場を廻っていた。

目的のヤマハのブースでは私が到着する少し前に試聴が始まっていた。
これまでならばそれでもブースに入れたものだけど、今回は無理だった。
となると本日の最後のデモ(18時から)を聴くしかない。
そのためにはヤマハのブースに最低でも15分前には入っておきたい。

つまり他のブースを廻る時間は一時間ちょっとになってしまう。
NS5000以外にも聴いておきたいモノはあった。
でも今回はNS5000を最優先とすることにした。

おかげでNS5000を約50分間聴けた。
予想をこえていた音が鳴っていた。
詳細は明日以降書いていくが、明日(27日)に行かれる方は、とにかくNS5000の音を聴いてほしいと思う。

NS5000からは「日本のオーディオ、これから」を聴き取ることができたからだ。

Date: 9月 4th, 2015
Cate: ショウ雑感

2015年ショウ雑感(その1)

三週間後の25日(金曜日)から、インターナショナルオーディオショウが開催される。
9月25日といえば、グレン・グールドの誕生日でもある。

グレン・グールドにさほどの関心もない人にとっては、こんなことはどうでもいいことにすぎないが、
私にとっては、今年はちょっと違うな、と、それだけで思わせてくれる。

三週間後に実際に行けば、例年と同じように開催されていたとしても、
受け手の心情が、わずかとはいえ例年とは違っているのだから、
私としてはそれで充分である。

9月25、26、27日がインターナショナルオーディオショウ、
10月16、17、18日がオーディオ・ホームシアター展(音展)、
10月17、18日は、これまでのハイエンドショウトウキョウは開催中止となったが、
TOKYO AUDIO BASEが開会される。

私が楽しみにしているのは、オーディオ・ホームシアター展のNHKのブースである。
今年もきっと8Kのデモをやってくれると期待している。

Date: 11月 15th, 2014
Cate: ショウ雑感, ジャーナリズム

2014年ショウ雑感(オーディオ・ジャーナリズム・その4)

別項でふれているMAC POWERというMac関係の月刊誌。
MAC POWERはあるときから編集者が誌面に積極的に登場するようになっていった。
ステレオサウンドの、編集者は黒子であれ、とはまさに正反対の編集方針であり、
そのこともMAC POWERを面白く感じる理由になっていたように思う。

MAC POWERでは筆者の記事よりも、編集者の記事の方が興味深いことも少なくなかった。
そのことは編集部も感じていたのかもしれない。
おそらく筆者も感じていたことだろう。
そうやって本が面白くなっていく。
けっこうなことだと思うし、そういう編集方針をオーディオ雑誌に取り入れたら、とも想像していた。

MAC POWERと似たようなことはステレオが以前からやってはいた。
編集部による実験的な試聴記事が毎号数ページ掲載されていた。

だが、それはどうしても内輪ネタといった印象から抜け出ることはなかった。
少なくとも私はそんなふうに感じていた。
MAC POWERにはそういうところが皆無だったとはいわないけれど、内輪ネタには留まっていなかった。
だから面白く読めた。

ステレオサウンドでMAC POWERのように編集者が積極的に誌面に登場するようにはできないか、
それになぜ編集者は黒子でなければならないのか、について考えてもいた。

ある時、ある人から聞いた。
ステレオサウンドがオーディオ評論家を前面に推し出し、編集者を黒子とするのか、
その理由についてである。

ある人は、原田勲氏から直接聞いたこととして、私に話してくれた。
「そういう理由もあったのか……」と思った。

いまここで、その理由については書かない。
いつか書くことになるかもしれないが、いまは書かない。

ある人から聞いたことだけが黒子の理由の全てではないにしても、
こういう考えがあるのなら、編集者にオーディオ・ジャーナリズムは芽生えない、とだけはいっておく。

Date: 11月 15th, 2014
Cate: ショウ雑感, ジャーナリズム

2014年ショウ雑感(オーディオ・ジャーナリズム・その3)

私が在籍していたころのステレオサウンドの編集長は原田勲氏だった。
いまオーディオ評論家になられている黛さんが編集次長だった。
とはいえ、実質的に黛さんが編集長であった。

この時代、原田編集長からいわれていたことは「編集者は黒子だ」ということだった。
これはステレオサウンドという専門雑誌を創刊して20年近く、
つねにオーディオ雑誌としてトップにいつづけてきたことから得たことなのだろう。

あの時代は黒子でよかった、というよりも、黒子であったから、ステレオサウンドはうまくいった。
けれど編集者が黒子でいては、編集者にジャーナリズムは芽生えるのだろうか、といまは思う。

別項「オーディオにおけるジャーナリズム」でも引用している瀬川先生の、ステレオサウンド 50号での発言。
     *
新製品をはじめとするオーディオの最新情報が、創刊号当時にくらべて、一般のオーディオファンのごく身近に氾濫していて、だれもがかんたんに入手できる時代になったということも、これからのオーディオ・ジャーナリズムのありかたを考えるうえで、忘れてはならないと思うんです。つまり初期の時代、あるいは、少し前までは、海外の新製品、そして国産の高級機の新製品などは、東京とか大阪のごく一部の場所でしか一般のユーザーは手にふれることができなかったわけで、したがって「ステレオサウンド」のテストリポートは、現実の新製品知識を仕入れるニュースソースでもありえたわけです。
 ところが現在では、そういった新製品を置いている販売店が、各地に急激にふえたので、ほとんどだれもが、かんたんに目にしたり、手にふれてみたりすることができます。「ステレオサウンド」に紹介されるよりも前に、ユーザーが実際の音を耳にしているということは、けっして珍しくはないわけですね。
 そういう状況になっているから、もちろんこれは「ステレオサウンド」だけの問題ではなくて、オーディオ・ジャーナリズム全体の問題ですけれども、これからの試聴テスト、それから新製品紹介といったものは、より詳細な、より深い内容のものにしないと、読者つまりユーザーから、ソッポを向かれることになりかねないと思うんですよ。
     *
ここでのオーディオ・ジャーナリズムにはオーディオ評論家、オーディオ雑誌の編集者も含まれて、のはずである。
だが実際にはどうだったのか。

試聴という取材の場に立ち会ってはいても取材をしているとはいえない編集者。
黒子でいいのであれば、これでもいい。
むしろ、好都合といえるのか。

だがオーディオ・ジャーナリズムを芽生えさせ育てていくうえで、黒子のままでよかったとはいえない。

Date: 11月 9th, 2014
Cate: ショウ雑感, ジャーナリズム

2014年ショウ雑感(オーディオ・ジャーナリズム・その2)

試聴は、試聴と呼ばれる取材である。
つまり試聴室は、取材の現場といえる。

そこにいるのは試聴者と試聴のための準備をする者である。
一般的に、試聴者はオーディオ評論家と呼ばれている人たちである。
まれに読者参加ということで、オーディオ評論家以外の人が加わることもあるが、
この人たちはあくまでもアマチュア代表ということだから、
ここでのオーディオ・ジャーナリズムからは除外しておく。

オーディオ評論家は、試聴室で鳴っている音を聴き、メモを取る。
辞書には、記事・制作などの材料となることを,人の話や物事の中から集めること、とあるから、
試聴はまさに取材でもある。

このとき編集者は何をしているのか。
まず試聴のための準備をする。
必要となる器材を集め、アンプやCDプレーヤーといった電子機器であれば、
あらかじめ電源をいれておきウォームアップをさせておく。

試聴が始まれば、試聴対象となるオーディオ機器を試聴室にいれて設置・接続。
それまで聴いていたオーディオ機器を試聴室の外に運び出す。
これを何度もくり返し行う。

場合によっては試聴ディスクのかけかえ、レベルコントロール操作といったオペレーションを行う。
試聴という取材が滞りなく運ぶためである。

ここでの編集者の働きは、どうみても取材とはいえない。
試聴室という現場に編集者もいるわけだが、取材をしているとはいい難い。

Date: 11月 8th, 2014
Cate: ショウ雑感, ジャーナリズム

2014年ショウ雑感(オーディオ・ジャーナリズム・その1)

オーディオにおけるジャーナリズム」という項を立てて、書いてきている。
書きながら、オーディオ雑誌の編集者に対して、ジャーナリズムを求めるのはおかしいのかもしれない。
そうも思うようになっている。

ジャーナリズム(journalism)は
新聞・雑誌・テレビ・ラジオなど時事的な問題の報道・解説を行う組織や人の総体。
また,それを通じて行われる活動。
と辞書には書いてある。

ジャーナリスト(journalist)は、記者のことである。
編集者はeditorだ。

記者は自ら現場に赴き取材をし言語化する。
例えばオーディオショウに取材に行き、編集部が原稿を書き記事とすれば、
この場合の編集者は記者でもあったことになる。

だがオーディオショウに行ったけれど、写真を撮ってきただけ。
もしくは専属のカメラマンに写真撮影の指示をしてきただけ。
記事を書くのはオーディオ評論家であれば、この時の編集者は記者といえるのだろうか。

写真に関してはそうとはいえるし、
記事では写真のネームは編集者が書くであろうから、記者ではない、とは言い切れないが、
それでも記者とはとても呼べない。

ではオーディオ雑誌のメインといえる試聴ではどうか。

Date: 10月 30th, 2014
Cate: ショウ雑感

2014年ショウ雑感(ヘッドフォン祭・補足)

一昨日と今日、仕事であった人に
「中野サンプラザでヘッドフォンのイベント、やってたんですよね、おもしいろんですか」といわれた。

ふたりともオーディオには関心のない人。
ヘッドフォン祭がどういう催しなのかも知らないけれど、
開催日時もはっきりと知らなくとも、場所とヘッドフォン関係のイベントということだけは知っていた。

ふたりともインターナショナルオーディオショウ、オーディオ・ホームシアター展、
ハイエンドオーディオショウについては、何も知らなかった。

しかも、このうちのひとりはインターナショナルオーディオショウの初日、
インターFMでピーター・バラカンの番組を聞いている。
私は聞いていなかったのだが、番組内でインターナショナルオーディオショウの開催を告知していた、とのこと。

オーディオが関心外なのか、耳に入ってきていたはずなのに、
インターナショナルオーディオショウのことは記憶に残っていない。
そういう人が、ヘッドフォン祭のことを断片的とは知っている、ということは、考えさせられる。

サンプル数はふたりなのだから、たまたまだろう、ということで片付けられることでもある。
でも、私のまわりにふたりいたということは、もっといると思って間違いない。

ヘッドフォン祭が始ったのはいつからなのかは知らないが、
インターナショナルオーディオショウ、オーディオ・ホームシアター展よりも、最近のことである。

もしヘッドフォン祭が、ヘッドオーディオ祭だったら、どうだったのかとも思っている。

Date: 10月 25th, 2014
Cate: ショウ雑感

2014年ショウ雑感(ヘッドフォン祭)

ヘッドフォン祭に行ってきた。
ヘッドフォン祭に行くのは、今回が初めてである。

大盛況である、とか、若い人が多い、とか、そんなことは耳に入っていた。
実際に会場である中野サンプラザに行くと、若い人が多い。
ものすごく人が多いのかと思っていたら、大混雑というほどではなく、
活気もあって、いい具合の人の入り方だったように感じた。

先月開催されたインターナショナルオーディオショウとは、こんなに雰囲気が違うのか、と、
誰もが思うに違いない。
こんなことを書くと、ヘッドフォンで聴くのは、オーディオではない、という人がいる。

私はそうは思わないけれど、帰途の電車の中で気づいた。
ヘッドフォン祭は、ヘッドフォン祭という名称であって、ヘッドフォンオーディオ祭ではなかったことに。

ヘッドフォン祭の主催は、フジヤエービックという販売店である。
ヘッドフォン祭をヘッドフォンオーディオ祭としなかったのは、意図的なのかたまたまなのか。
あえてオーディオを外しているとしたら、客商売をしている人ならではの感覚によるものなのか。
そんなことを思っていた。

オーディオの催し物は、インターナショナルオーディオショウ、ハイエンドオーディオショウ、
オーディオ・ホームシアター展と、必ずどこかにオーディオという単語が入る。
それを当り前にこれまで受けとめてきた。

けれど、オーディオに強い関心はないけれど、
家庭で音楽を楽しみたい、という人たちにとって、オーディオとつかないほうがいいのかもしれない。