Archive for category 瀬川冬樹

Date: 5月 31st, 2020
Cate: 瀬川冬樹

たおやか(あらためてそうおもう・その2)

「たおやか」なだけではない。
そこに狂気が潜んでいなければならない。

だからといって、狂気が剥き出しになっていてもだめである。

私がイメージする瀬川先生の音を、いまもそうである。

Date: 5月 2nd, 2020
Cate: 瀬川冬樹

虚構を継ぐ者(その2)

赤井商事が輸入していたころのインフィニティの広告に、
 アーノルド・ヌーデルは語る
 「生の音楽に到底かなわないのは
 分っている。
 要は、科学でどれだけ接近できるかだ。
 だから、無限=インフィニティ。」
とあった。

おそらくだが、ヌーデルには、
瀬川先生のような「ナマ以上にさえ妖しく美しい音」という捉え方はなかったはずだ。

アーノルド・ヌーデルは物理学者である。
メーカーの人間であり、オーディオ機器を開発する側にいるわけだから、
これでいいわけだ。

われわれはオーディオマニアである。
どちら側にいるのか。

Date: 4月 28th, 2020
Cate: 瀬川冬樹

虚構を継ぐ者(その1)

別項で後継者について書いていて、
ふと思いついたのが「虚構を継ぐ者」だ。

思いついただけであるのだが、
虚構を継ぐ者→「虚構」を継ぐ者、とも考えた。

さらに者は、ものであるから、もの、モノ、物、というふうにもなるから、
虚構を継ぐ「もの」か。

継ぐもそうだ。
つぐは、嗣ぐもあるし、接ぐ、注ぐ、告ぐ、などがある。

そんなことをぼんやり考えながらの「虚構を継ぐ者」を考えていると、
瀬川先生がいわれていた、「ナマ以上にさえ妖しく美しい音」というふうに虚構を捉えれば、
瀬川先生も「後継者」であるのか──。

Date: 4月 20th, 2020
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代(その4)

岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代に、終りはやってこない。
これから先、どれだけ趣味としてのオーディオが、
それからオーディオ評論というものが続いていくのかはわからないが、
その最後まで、岩崎千明と瀬川冬樹のいない時代は続くわけだ。

長島先生が、サプリームNo.144(瀬川先生の追悼号)に書かれたこと。
     *
オーディオ評論という仕事は、彼が始めたといっても過言ではない。彼は、それまでおこなわれていた単なる装置の解説や単なる印象記から離れ、オーディオを、「音楽」を再生する手段として捉え、文化として捉えることによってオーディオ評論を成立させていったのである。
     *
私もそう思っている。
そうだとすれば、オーディオ評論はステレオサウンドの創刊とともに始まった、ともいえる。
それ以前からあった、といえば確かにあった。
けれど、長島先生がいわれるところの「オーディオ評論」は、
その場が生じてはじめて可能になるわけで、そういう意味でも、
私は1966年、ステレオサウンドの創刊からと捉えている。

1966年から2020年。
もう五十年以上が経っている。

岩崎先生は1977年、
瀬川先生は1981年だから、
岩崎千明と瀬川冬樹がいた時代よりも、
岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代のほうが、はるかにながい。

この「ながい」は、
いまオーディオ評論家としてなにかを書いている人たちもキャリアもいえることだ。

それだけでなく、オーディオを趣味としてきている人たちも、
オーディオのキャリアは、岩崎先生、瀬川先生よりもながい人が少なくない。

岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代に、われわれはオーディオをやっている。
そのことを意識しなければならない──、
そういいたいわけではない。

意識していなくて当然であろうし、それが多数であろうし、
意識していない人に意識しよう、という気もない。

けれど私は、どうしても「岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代」ということを、
強く意識してしまうときがある。

Date: 3月 19th, 2020
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

カラヤンと4343と日本人(その7)

私と同世代、近い世代のオーディオマニアで、
若いころJBLに憧れていた──、そしてJBLのスピーカーを鳴らしている。

けれど、アルテックのスピーカーを、四十代、五十代になって聴いて、
JBLに憧れてはいたけれど、自分が求めていた音は、
JBLよりもアルテックだったのではないか──、
そういう人を、いまのところ三人知っている。

三人が多いのか少ないのかは、なんともいえないが、
この三人のオーディオマニアの気持はわかる、というか、
わかるところがある。

JBLがほんとうに輝いていた時代がある。
その時代を十代のころ、もしくはハタチ前後のころに体験していた人にとって、
アルテックはライバルなのはわかっていても、
輝きは乏しかっただけでなく、輝きを失い始めているような感じさえしていた。

だからこそ、いつかはJBL、と思っていたはずだ。
私もそうだった。

それに、そのころ、少なくとも私が住んでいた熊本では、
JBLを聴く機会は当り前のようにあったけれど、
アルテックのスピーカーとなると、熊本で聴いたことは一度だけだった。

三人のうちの一人は、私よりも少し上だが、
若いころアルテックを聴く機会はなかった、といっていた。
そして、JBLを鳴らしている。

JBLの輝きが強すぎた時代には、
アルテックはくすんでしまったように見えてしまっていた。

聴く機会がなかった、少なかった、ということは、
オーディオ業界全体も、そんなふうに見ていたのかもしれない。

けれど四十代、五十代になって、何かの機会でアルテックの音を聴く。
そこで、もしかすると……、と思ってしまった人を、三人知っているわけだ。

Date: 3月 19th, 2020
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

カラヤンと4343と日本人(その6)

私と同世代のオーディオマニアにとって、
JBLというスピーカーは、輝いて見えていた。

もちろんアンチJBLの人が少なからずいるのは、
アンチ・カラヤンの人が少なからずいるのと同じかもしれない。

1970年代後半、中学生、高校生だった私の目には、
JBLのスタジオモニターだけでなく、
パラゴンも、過去のモデルとはなっていたがハーツフィールドも、
なにか特別な存在のように映っていた。

JBLのライバル的スピーカーメーカーといえるのが、
アルテックとタンノイだった。

同じアメリカのスピーカーメーカー、それも西海岸のメーカーであり、
その成り立ちをたどっていくと、どちらも同じウェスターン・エレクトリックにたどりつく。

JBLとアルテックは、確かに、あの当時ライバル同士だった。
JBLが4343、4350などのスタジオモニターを出していたころ、
アルテックはどうだったかというと、プロ用としてはA5、A7が現役モデルであったし、
604-8Gを搭載した620、612などだった。

輝いて見える、という点では、
JBLがアルテックよりもはるかに上だった。

私と同じようにそう見ていた人は少なくない、はずだ。

アルテックは、4343の成功に刺激されてだろう、
604-8Hを中心とした4ウェイのスタジオモニター6041を出してきた。

アルテックらしい、といえるし、おもしろい製品ではあったが、
4343ほどの完成度というか、洗練されていたスピーカーではなかった。

4343には4341というモデルがその前にあったし、
上級機として4350があったのだから、6041とはベースが違う。

6041はII型になったが、
4341が4343になったような変更ではなかった。

Date: 2月 8th, 2020
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

カラヤンと4343と日本人(その5)

五味先生、瀬川先生、
ふたりとも結局同じことをいわれている。

五味先生はHBLの4343とタンノイのコーネッタ、
瀬川先生は4343とロジャースのLS3/5Aにおいて、である。

五味先生はJBLに《糞くらえ》と、
瀬川先生は《蹴飛ばしたくなるほどの気持》と。

あのころのJBLのスタジオモニターの最新モデルの4343の実力を認めながらも、
クラシックにおける響きの美しさが、鳴ってこないことを嘆かれている。

コーネッタにしてもLS3/5Aにしても、
4343からすれば、価格的にかなり安価なスピーカーだし、大きさも小さい。

4343を本格的なスピーカーシステムとして捉えれば、
コーネッタもLS3/5Aも、そこには及ばない。
だからこそ、《あの力に満ちた音が鳴らせないのか》と、瀬川先生は書かれているわけだ。

《クラシック音楽の聴き方》は、五味先生、瀬川先生はもう同じといっていいはずだ。
けれど、そこから先が違っている、というのだろうか。

正直、こうやって書いていても、よくわからないところもある。
五味先生と瀬川先生が、
「カラヤンと4343と日本人」というテーマで対談をしてくれていたら──、
そうおもうこともある。

けれど、そういう対談は、どこにもない。
ない以上、考えていくしかない。

カラヤンと4343。
指揮者とスピーカーシステム。
けれど、どちらもスターであったことは否定しようがない。

アンチ・カラヤンであっても、
アンチJBLであっても、
カラヤンはクラシック界のスターであったし、
4343も、少なくとも日本においてはスター的存在であった。

Date: 1月 6th, 2020
Cate: 瀬川冬樹

ステレオサウンドについて(続々・瀬川冬樹氏の原稿のこと)

三年ほど前の「ステレオサウンドについて(続・瀬川冬樹氏の原稿のこと)」で、
瀬川先生の未発表原稿の公開は、10,000本目で行う、と書いている。

忘れているわけではない。
1月10日、瀬川先生の誕生日に公開する予定でいる。
ただし、このブログではなく、facebookグループのaudio sharingでの限定公開とする。
10日だけの公開で、削除する。

Date: 9月 3rd, 2019
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹というリアル(その2)

五ヵ月前に思いついただけのタイトルである。
いまだに何をテーマとするかは決っていない。

それで思っているだけのことはいくつかある。
そのひとつが、瀬川先生の著作集のタイトルにもなっている
「良い音とは 良いスピーカーとは?」についてである。

これはステレオサウンドに連載されていた記事のタイトルである。
そのころは「良い音とは 良いスピーカーとは?」でよかった、と思う。

でも、その後、瀬川先生が書かれたもの、
そして辻説法をやりたい、といわれていたことをあわせて考えれば、
「良い音とは 良いスピーカーとは?」には続きがあったのかもしれない。
そんなふうにおもえてくる。

「良い音とは 良いスピーカーとは 良い聴き手とは?」
聴き手は鳴らし手でもある。

こういうタイトル、これに近いタイトルで書かれたかもしれない──、
そう勝手におもっている。

Date: 7月 11th, 2019
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(UREI Model 813・その10)

1979年秋のステレオサウンド別冊、
「SOUND SPACE 音のある住空間をめぐる52の提案」のひとつ、
瀬川先生による「空間拡大のアイデア〝マッシュルーム・サウンド〟」は、
面白い提案だと高校生だった私は、まずそう思ったけれど、
現実には、この提案を実現するには、四畳半とはいえ、
家を建てることが前提のものであるだけに、
どちらかといえば、興味をおぼえたのは、
狭い空間に平面バッフルを収める方法についてだった。

賃貸住宅に住んでいるかぎりは、マッシュルーム・サウンドは無理、と思っていた。
でも、その考えが変ったのは十年ほど経ってからだった。

そのころからだったと思うが、ロフトと呼ばれるアパートが出てきはじめた。
屋根裏を居住空間としたもので、一時期流行っていた。

とはいえ、ロフト部分は屋根裏にあたるだけに冬は暖かいが、夏は暑い。
それにメインの居住空間は、暖かい空気がロフト部分に逃げるため、冬は寒い、ともいわれている。

結局、ロフト部分はふだん使わないものの物置き的使い方になってしまう、ともいわれていた。

けれど、このロフト形式のアパートこそ、瀬川先生のマッシュルーム・サウンドに近い。
ロフト分だけ空間拡大されているし、
それになんといっても天井高が意外にも確保できる。

建物にもよるが、一番高いところでは4mほどにもなる。
それに天井が傾斜しているわけだから、
床と天井という大きな平行面が一つなくなる、という利点もある。

もっともロフト部分へは梯子での昇り降りであり、
たいていのロフト付きのアパートでは、梯子の位置が、
スピーカーの配置の邪魔になる場合も少なくない。

それでもロフト部分は、空間拡大のためだけと割り切ってしまえば、
梯子を外してしまうことだって可能だ。

Date: 4月 6th, 2019
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹というリアル(その1)

駅からの帰り道、
「瀬川冬樹というリアル」、
こんなことを思いついた。

なんのきっかけもなしに頭に浮んできた思いつきである。
思いつきではあるものの、たしかにそうだな、と思いつつ歩いていた。

「瀬川冬樹というリアル」。
「虚構世界の狩人」でもあっただけに、
このことばに、ある種の手応えのようなものを感じてもいた。

同時に、「菅野沖彦というリアル」、
「岩崎千明というリアル」……、などについても考えてみた。

思いつくオーディオ評論家の名前のあとに「というリアル」をつけてみる。
しっくり来る人、来ない人がいる。

少なくとも、現在オーディオ評論家を名乗っている人の名前のあとに「というリアル」をつけても、
なんともピンとこない。

ピンとこない理由を考えてみたわけではない。
私にとってピンとくる人こそがオーディオ評論家(職能家)であり、
ピンとこない人はみなオーディオ評論家(商売屋)ということ、
そのことに気づきながら、
最初におもいついた「瀬川冬樹というリアル」というタイトルで、
なにか書けそうな予感だけはある。

Date: 3月 29th, 2019
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

カラヤンと4343と日本人(その4)

(その3)で引用した五味先生の文章には続きがある。
     *
でも、待て待てと、IIILZのエンクロージァで念のため『パルジファル』を聴き直してみた。前奏曲が鳴り出した途端、恍惚とも称すべき精神状態に私はいたことを告白する。何といういい音であろうか。これこそウィーン・フィルの演奏だ、しかも静謐感をともなった何という音場の拡がり……念のために、第三幕後半、聖杯守護の騎士と衛士と少年たちが神を賛美する感謝の合唱を聴くにいたって、このエンクロージァを褒めた自分が正しかったのを切実に知った。これがクラシック音楽の聴き方である。JBL〝4343〟は二基で百五十万円近くするそうだが、糞くらえ。
     *
五味先生の文章で、ここで終る。
五味先生が褒められているIIILZのエンクロージュアとは、
ステレオサウンドの企画で、井上先生が設計にあたられたコーネッタのことである。

《JBL〝4343〟は二基で百五十万円近くするそうだが、糞くらえ》、
ここだけに注目すれば、結局五味先生はアンチJBLのままか、と早合点しそうになるが、
ほんとうにそうだろうか。

それにやっぱり五味先生と瀬川先生は、JBLを最終的に認めるかそうでないのか、
そこで決定的に違う──、そんなふうに思い込むこともできないわけではない。

けれどほんとうにそうだろうか。
ここで、思い出してほしい瀬川先生の文章は、
ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’80」の巻頭、
「80年代のスピーカー界展望」である。
     *
 現にわたくしも、JBLの♯4343の物凄い能力におどろきながら、しかし、たとえばロジャースのLS3/5Aという、6万円そこそこのコンパクトスピーカーを鳴らしたときの、たとえばヨーロッパのオーケストラの響きの美しさは、JBLなど足もとにも及ばないと思う。JBLにはその能力はない。コンサートホールで体験するあのオーケストラの響きの溶けあい、空間にひろがって消えてゆくまでの余韻のこまやかな美しさ。JBLがそれをならせないわけではないが、しかし、ロジャースをなにげなく鳴らしたときのあの響きの美しさは、JBLを蹴飛ばしたくなるほどの気持を、仮にそれが一瞬とはいえ味わわせることがある。なぜ、あの響きの美しさがJBLには、いや、アメリカの大半のスピーカーから鳴ってこないのか。しかしまた、なぜ、イギリスのスピーカーでは、たとえ最高クラスの製品といえどもJBL♯4343のあの力に満ちた音が鳴らせないのか──。
 その理由は、まだわたくしにはよくわからないが、もうずっと昔からそうだったし、おそらくこれから先もまだ、この事情が変ることはないだろう。それだからこそ、自分自身がどういう音を求め、どういう音を鳴らしたいのか、という方向を見きわめる努力を続ける中で、そのときそのときの要求に見合ったスピーカーを探し求めることが、どうやら永遠の鍵なのではないだろうか。
     *
瀬川先生ですら
《ロジャースをなにげなく鳴らしたときのあの響きの美しさは、JBLを蹴飛ばしたくなるほどの気持》
とまで表現されている。

Date: 3月 28th, 2019
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

カラヤンと4343と日本人(その3)

五味先生の4343評。
それが読めたのは、「人間の死にざま」を古書店で見つけたであった。
     *
 JBLのうしろに、タンノイのIIILZをステレオ・サウンド社特製のエンクロージァがあった。設計の行き届いたこのエンクロージァは、IIILZのオリジナルより遙かに音域のゆたかな美音を聴かせることを、以前、拙宅に持ち込まれたのを聴いて私は知っていた。(このことは昨年述べた。)JBLが総じて打楽器──ピアノも一種の打楽器であるせんせんの 再生に卓抜な性能を発揮するのは以前からわかっていることで、但し〝パラゴン〟にせよ〝オリンパス〟にせよ、弦音となると、馬の尻尾ではなく鋼線で弦をこするような、冷たくて即物的な音しか出さない。高域が鳴っているというだけで、松やにの粉が飛ぶあの擦音──何提ものヴァイオリン、ヴィオラが一斉に弓を動かせて響かすあのユニゾンの得も言えぬ多様で微妙な統一美──ハーモニイは、まるで鳴って来ないのである。人声も同様だ、咽チンコに鋼鉄の振動板でも付いているようなソプラノで、寒い時、吐く息が白くなるあの肉声ではない。その点、拙宅の〝オートグラフ〟をはじめてタンノイのスピーカーから出る人声はあたたかく、ユニゾンは何提もの弦楽器の奏でる美しさを聴かせてくれる(チェロがどうかするとコントラバスの胴みたいに響くきらいはあるが)。〝4343〟は、同じJBLでも最近評判のいい製品で、ピアノを聴いた感じも従来の〝パラゴン〟あたりより数等、倍音が抜けきり──妙な言い方だが──いい余韻を響かせていた。それで、一丁、オペラを聴いてやろうか、という気になった。試聴室のレコード棚に倖い『パルジファル』(ショルティ盤)があったので、掛けてもらったわけである。
 大変これがよかったのである。ソプラノも、合唱も咽チンコにハガネの振動板のない、つまり人工的でない自然な声にきこえる。オーケストラも弦音の即物的な冷たさは矢っ張りあるが、高域が歪なく抜けきっているから耳には快い。ナマのウィーン・フィルは、もっと艶っぽいユニゾンを聴かせるゾ、といった拘泥さえしなければ、拙宅で聴くクナッパーツブッシュの『パルジファル』(バイロイト盤)より左右のチャンネル・セパレーションも良く、はるかにいい音である。私は感心した。トランジスター・アンプだから、音が飽和するとき空間に無数の鉄片(微粒子のような)が充満し、楽器の余韻は、空気中を楽器から伝わってきこえるのではなくて、それら微粒子が鋭敏に楽器に感応して音を出す、といったトランジスター特有の欠点──真に静謐な空間を有たぬ不自然さ──を別にすれば、思い切って私もこの装置にかえようかとさか思った程である。
     *
意外だった。
4343のことはそこそこ高く評価されるであろう、とは予想していたが、
ここまで高く評価されていたのか、と驚いた。

この時の組合せは、コントロールアンプがGASのThaedra、パワーアンプがマランツのModel 510M、
カートリッジはエンパイアの4000(おそらく4000D/III)だろう)。
ステレオサウンドの試聴室で聴かれている。

アンプが、瀬川先生の好きな組合せだったら……、
カートリッジがエンパイアではなく、ヨーロッパのモノだったら……、
さらに高い評価だったのでは……、とは思うし、
できれば瀬川先生による調整がほどこされた音を聴かれていたら……、
とさらにそう思ってしまうが、
少なくとも4343をJBL嫌いの五味先生は、いいスピーカーだと認められている。

Date: 3月 28th, 2019
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

カラヤンと4343と日本人(その2)

オーディオマニアとしての私の核は五味先生の文章によって、
そして骨格は瀬川先生の文章によってつくられた、としみじみおもう。

そんな私にとって、ここでのタイトル「カラヤンと4343と日本人」は最も書きたいことであり、
なかなか書きづらいテーマでもある。

熱心にステレオサウンドを読んでいたころ、
五味先生は4343をどう聴かれるのか、そのことが非常に知りたかった。

ステレオサウンド 47号から始まった「続・五味オーディオ巡礼」では、
南口重治氏の4350Aの音を、最終的に認められている。
     *
 プリはテクニクスA2、パワーアンプの高域はSAEからテクニクスA1にかえられていたが、それだけでこうも音は変わるのか? 信じ難い程のそれはスケールの大きな、しかもディテールでどんな弱音ももやつかせぬ、澄みとおって音色に重厚さのある凄い迫力のソノリティに一変していた。私は感嘆し降参した。
 ずいぶんこれまで、いろいろオーディオ愛好家の音を聴いてきたが、心底、参ったと思ったことはない。どこのオートグラフも拙宅のように鳴ったためしはない。併しテクニクスA1とスレッショールド800で鳴らされたJBL4350のフルメンバーのオケの迫力、気味わるい程な大音量を秘めたピアニシモはついに我が家で聞くことのかなわぬスリリングな迫真力を有っていた。ショルティ盤でマーラーの〝復活〟、アンセルメがスイスロマンドを振ったサンサーンスの第三番をつづけて聴いたが、とりわけ後者の、低音をブーストせず朗々とひびくオルガンペダルの重低音には、もう脱帽するほかはなかった。こんなオルガンはコンクリート・ホーンの高城重躬邸でも耳にしたことがない。
 小編成のチャンバー・オーケストラなら、あらためて聴きなおしたゴールド・タンノイのオートグラフでも遜色ないホール感とアンサンブルの美はきかせてくれる。だが大編成のそれもフォルテッシモでは、オートグラフの音など混変調をもったオモチャの合奏である。それほど、迫力がちがう。
     *
47号の「続・五味オーディオ巡礼」には、4343のことも少しばかり触れられている。
     *
 JBLでこれまで、私が感心して聴いたのは唯一度ロスアンジェルスの米人宅で、4343をマークレビンソンLNPと、SAEで駆動させたものだった。でもロスと日本では空気の湿度がちがう。西洋館と瓦葺きでは壁面の硬度がちがう。天井の高さが違う。4343より、4350は一ランク上のエンクロージァなのはわかっているが、さきの南口邸で「唾棄すべき」音と聴いた時もマークレビンソンで、低域はスレッショールド、高域はSAEを使用されていた。それが良くなったと言われるのである。南口さんの聴覚は信頼に値するが、正直、半信半疑で私は南口邸を訪ねた。そうして瞠目した。
     *
ここでの組合せのこまかなことはないが、
SAEのパワーアンプは、おそらくMark 2500なのだろう。
だとすれば、ここでの組合せは瀬川先生の組合せそのものといっていい。

組合せだけで音が決まるわけでないことはいうまでもない。
それでも、当時のマッキントッシュのアンプで駆動させた音と、
LNP2とMark 2500での音とは、大きく違う。
方向性が違う。

その方向性が、瀬川先生と同じであるところの組合せを、
五味先生は《感心して聴いた》とされている。

47号を何度も何度読み返した。
読み返すほど、五味先生が4343をどう評価されていたのかを知りたくなった。

Date: 3月 21st, 2019
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その17)

AXIOM 80には毒がある、と(その16)でも書いているし、
他でも何度か書いている。

別項「ちいさな結論(「音は人なり」とは)」では、毒をもって毒を制すことについて書いた。

オーディオ機器ひとつひとつに、それぞれの毒がある。
聴き手にも、その人なり毒がある。

それ以外の毒もある。
いくつもの毒がある。

それらから目を背けるのもいい。
けれど、毒をもって毒を制す、
そうやって得られる美こそが、音は人なり、である──、
そう書いている。

毒から目を背けるオーディオマニアが、いまは大半なのでは……、とそう感じることが増えつつある。
だからこそ、毒を持たない(きわめて少ないと感じられる)スピーカーが、高評価を得る。

長島先生がジェンセンのG610Bからの最初の音を「怪鳥の叫び」と表現されたが、
もう、この「怪鳥の叫び」が本当に意味するところを理解できるオーディオマニアは少数かもしれない。

それが技術の進歩がもたらす時代の変化(音の変化)というぐらいのことは理解できないわけではない。

けれど、そういったスピーカーで、(その15)で書いた「我にかえる」ことにつながっていくだろうか、という疑問が私のなかにはある。
しかもそれが強くなってきている。