カラヤンと4343と日本人(その6)
私と同世代のオーディオマニアにとって、
JBLというスピーカーは、輝いて見えていた。
もちろんアンチJBLの人が少なからずいるのは、
アンチ・カラヤンの人が少なからずいるのと同じかもしれない。
1970年代後半、中学生、高校生だった私の目には、
JBLのスタジオモニターだけでなく、
パラゴンも、過去のモデルとはなっていたがハーツフィールドも、
なにか特別な存在のように映っていた。
JBLのライバル的スピーカーメーカーといえるのが、
アルテックとタンノイだった。
同じアメリカのスピーカーメーカー、それも西海岸のメーカーであり、
その成り立ちをたどっていくと、どちらも同じウェスターン・エレクトリックにたどりつく。
JBLとアルテックは、確かに、あの当時ライバル同士だった。
JBLが4343、4350などのスタジオモニターを出していたころ、
アルテックはどうだったかというと、プロ用としてはA5、A7が現役モデルであったし、
604-8Gを搭載した620、612などだった。
輝いて見える、という点では、
JBLがアルテックよりもはるかに上だった。
私と同じようにそう見ていた人は少なくない、はずだ。
アルテックは、4343の成功に刺激されてだろう、
604-8Hを中心とした4ウェイのスタジオモニター6041を出してきた。
アルテックらしい、といえるし、おもしろい製品ではあったが、
4343ほどの完成度というか、洗練されていたスピーカーではなかった。
4343には4341というモデルがその前にあったし、
上級機として4350があったのだから、6041とはベースが違う。
6041はII型になったが、
4341が4343になったような変更ではなかった。