Archive for category 瀬川冬樹

Date: 3月 10th, 2014
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹という変奏曲(その1)

1981年夏にでたステレオサウンド別冊「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」は、
瀬川先生の「いま、いい音のアンプがほしい」ではじまる。

「いま、いい音のアンプがほしい」の最後は、こう結ばれている。
《レヴィンソンのいまの音を、もう少し色っぽく艶っぽく、そしてほんのわずか豊かにしたような、そんな音のアンプを、果して今後いつになったら聴くことができるのだろうか。》

この文章を読んだ時は、ステレオサウンドの古いバックナンバーを読んだことはなかった。
41号から買いはじめた私にとって、創刊号から10号あたりまでのバックナンバーは、
いつの日か読む機会が訪れるかもしれないけれど、いったいそれはいつになるのだろうか、と思っていた。

その機会は、1982年1月からステレオサウンドで働くようになったので、拍子抜けするほどあっさりと訪れた。

ステレオサウンドが3号において、国内外のアンプをそろえ、いわゆる総テストを行っていたことは、
ステレオサウンド 50号その他の号を読んで知っていた。
ここでの総テストが、その後のステレオサウンドの特集におけるスタンスの基になっていったことも知っていた。
それだけでなく、このアンプテストは瀬川先生の自宅で行われて、
そこでマッキントッシュのC22とMC275と出逢われている。

エリカ・ケートのモーツァルトの歌曲のために、このアンプを欲しい、とさえ思ったものだ、と、
「いま、いい音のアンプのほしい」の中で書かれている。

そういう3号だから、バックナンバーの中でもっとも読みたい一冊であった。

Date: 1月 8th, 2014
Cate: オーディオ評論, 瀬川冬樹

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(300Bのこと・補足)

ステレオサウンド 8号に掲載されている瀬川先生のステレオギャラリーQの300B/Iの記事、
読みたいという希望をありましたので、the Review (in the past)で公開しました。

ステレオサウンド 8号には、池田圭氏による「300A物語」も掲載されている。

Date: 12月 31st, 2013
Cate: 1年の終りに……, 岩崎千明, 瀬川冬樹

2013年の最後に

今年は12月31日のブログに、
個人的なオーディオの10大ニュースを選んで書こう、と思っていたけれど、
結局、10も選ぶことができなかった。

ならば書くのをやめようかと思ったけれど、ひとつだけはどうしても書いておきたかった。

オーディオに関することで個人的なトップは、
ステレオサウンドから岩崎先生と瀬川先生の著作集が出たことだ。

ステレオサウンドが、なぜ30年以上も経ってから復刻・出版した、その理由はなんなのか。
私は部外者であるからはっきりとしたことはわからない。
私が考えている理由とはまったく違う理由によるのかもしれない。

理由は、でもどうでもいい。
本が出た、ということ。
出たことで生れてきた意味、
これをどう捉えるか、のほうが大事だからだ。

結果として、岩崎先生の「オーディオ彷徨」の復刻、瀬川先生の著作集は、
いまオーディオ評論家と呼ばれている人たちに、つきつけている。

つきつけられている──、
そう感じていない人のほうが、実のところ多いのかもしれない。

感じていない人は、何をつきつけられているのか、も、わからないままだ。

Date: 11月 21st, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その12・余談)

この項の(その11)と(その12)を読まれた方の中には、?と思われた方もいることだろう。

(その11)には、ジョーダン・ワッツのA12をメインのJBLの次いでよく聴くスピーカーとして、
全帯域で鳴らされている。
(その12)では2kHz以上ではジョーダン・ワッツのModule Unitの音の荒さ、にぎやかさが気になる、とある。

マルチウェイのスコーカーとして鳴らされているときModule Unitの2kHz以上の音の荒さやにぎやかさは、
フルレンジで鳴らす時には気にならないのか、と。

フルレンジで鳴らす時には、2kHz以上の信号も入力され音となって出てくる。
けれどフルレンジで鳴らしていると、さほと気にならないものである。

むしろフルレンジユニットをスコーカーとして使うときに、
フルレンジで鳴らしているときにあまり気にならなかった、
そういうこと(音の粗さやにぎやかさ)が耳につくようになることがある。

Module Unitをスコーカーとして、トゥイーターとウーファーを足している場合、
クロスオーバー周波数をどう設定するかにもよるが、
Module Unitの音の粗さが気になってくる周波数あたり、
もしくはそれよりも上にクロスオーバー周波数を設定した場合、
トゥイーターのクロスオーバー周波数付近の音は無理をさせていなければピストニックモーション領域であり、
クォリティの高いトゥイーターであるならば、音の粗さが気になるということはない。

もちろんトゥイーターもどの程度まで高域が素直に延びているかで、
ある周波数以上では音の粗さがきになりはするだろうが、
少なくともカットオフ周波数を低く設定しすぎないかぎり、そういうことはない。
結局Module Unit(に限らないことだが)のピストニックモーション領域から離れている帯域が、
Module Unitのピストニックモーション領域と
トゥイーターのピストニックモーション領域にはさまれてしまっているから、目立ってしまう。

Date: 11月 21st, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その14)

1960年代中ごろの瀬川先生のスピーカーの移り変りをみていくと、
グッドマンAXIOM 80からJBLへの移行といえる。

こまかいことをいえばジョーダン・ワッツが途中にはさまっているけれども、
これもAXIOM 80と共通するものを求めての選択であるから、
AXIOM 80からJBLへ、とみていい。

実際にそのことに「私のスピーカー遍歴」でも書かれている。
     *
 そしていま、JBL-375がわたくしの部屋で鳴りはじめて一と月半になる。AXIOM-80がすきだといったわたくしとJBLの結びつきを、不思議だという人がたくさんあった。かってわたくしの部屋で鳴っていたAXIOM-80の音を、そしていま鳴っている375の音を知らぬ人たちである。わたくしにとってこの両者はすこしも異質でなく、AXIOM-80やJ・ワッツの延長線上に、375はごく自然に置かれている。誇張とかどこか不足といったものはまるで無く、品の良い節度を保ちながら限り無い底力を秘めている。
     *
AXIOM 80からJBLへ──。
岩崎先生もまたAXIOM 80からJBLへ、の人である。

瀬川先生よりも10年ほど早く、JBLはD130、それも一本。

Date: 11月 21st, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その13)

瀬川先生が期待されずに導入されたJBL・LE175DLHの音はどうだったのか。
     *
LE175DLHはホーン型のユニットである。ホーン型スピーカーというものはAXIOM−80以前のモノーラル時代にボール紙で自作した中音ホーン以後、ついぞわたくしの手許に居つづけたことがない。その先入観をLE175DLHは見事に打ち破ってしまった。そして米国系のスピーカーに抱いていた先入観をも。
     *
そしてLE175DLHが「これほどの音で鳴るのなら」と思われた瀬川先生は、
JBLの「最高のユニット375を、何が何でも聴きたい」と思い始められる。

このときのことは「私のスピーカー遍歴」よりも、
無線と実験の誠文堂新光社からでた「’67ステレオ・リスニング・テクニック」が詳しい。
1966年12月に出ている。
     *
 JBLのスピーカーについては、鋭いとか、パンチがきいたとか、鮮明とか、およそ柔らかさ繊細さとは縁の無いような形容詞が定評で、そのJBLの最大級のユニットを、6畳の和室に持ちこんだ例を他に知らないから、友人たちの意見を聞いたりもしてずいぶんためらったのだが、これより少し先に購入したLE175DLHの良さを信じて思い切って大枚を投じてみた。サンスイにオーダーしてからも暑いさ中を家に運んで鳴らすまでのいきさつはここではふれないが、ともかく小生にとって最大の買い物であり、失敗したら元も子もありはしない。音が出るまでの気持といったらなかった。
 荒い音になりはしないか、どぎつく、鋭い音だったらどうしようなどという心配も杞憂に過ぎて、豊麗で繊細で、しかも強靭な底力を感じさせて、音の形がえもいわれず見事である。弦がどうの声がどうのというような点はもはや全く問題でないが、一例をあげるなら、ピアノの激しい打鍵音でいくら音量を上げても、くっきりと何の雑音もともなわずに再現する。内外を通じて、いままでにこれほど満足したスピーカーは他に無い。……まあ惚れた人間のほうことだから話半分に聞いて頂きたいが、今日まで当家でお聴き頂いた友人知人諸氏がみな、JBLがこんなに柔らかで繊細に鳴るのをはじめて聴いたと、口を揃えて言われるところをみると、あながち小生のひとりよがりでもなさそうに思う。
 もっともこれは、ユニットのせいばかりでなく、537-500ホーンのよさでもあるらしい。特に、パンチングメタル15枚のエレメントからなる音響レンズの偉力は見事なもので、これまでは頭を少し動かしただけでも音の定位が変る点に悩んでいただけに、狭い部屋で指向特性を改善することがいかに重要かを思い知らされた。
     *
1966年夏、菅野先生よりも早く瀬川先生はJBL・375 + 537-500をリスニングルームに招き入れられている。

Date: 11月 21st, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その12)

ジョーダン・ワッツのA12を中域用として、
マルチウェイの実験をいろいろくり返されていた瀬川先生は、
A12(つまりModule Unit)に2kHz以上を受け持たせると
「音の荒さやにぎやかさなどの弱点が目立ってくる」ことに気づかれ、
1kHzあたりから上を受け持つことのできるスピーカーユニットの必要性を感じられていた。

スピーカーユニットの型式はとわずに、
「一切の偏見と先入観を捨てて」指向特性の優れたものということで、
アルテックのドライバー802Dと811Bホーンの組合せ、
ボザークのB200YA(コーン型トゥイーター8本によるアレイ)、
JBLのLE175DLHを候補として、
とにかく六畳という狭い空間でのステレオ再生には、
スピーカーの指向特性がいかに重要であるかを痛感されていた瀬川先生は、
LE175DLHの音響レンズに興味を持ち購入された。

けれど「私のスピーカー遍歴」には書かれている。
     *
LE175DLHていどなら、わたくしにもどうやら手の届くところにある。しかし不遜にも、175を入手し音を出すまでは殆んどそれに期待していなかった。
     *
つまり音を聴かずにLE175DLHを買われたことがわかる。
それもあまり期待されていなかったことも、わかる。
そして、LE175DLHが瀬川先生にとって、最初のJBLとなる。

Date: 11月 21st, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その11)

ジョーダン・ワッツのA12は、同社の4インチ・フルレンジユニットModule Unitを、
薄型のバスレフ型エンクロージュアにおさめたモノ。

瀬川先生はA12の前に、MINI12を購入されている。
MINI12の音が予想以上に良かったので、A12を購入されたわけである。

ではなぜ、ジョーダン・ワッツのスピーカーを選ばれたのか、というと、
その理由は「私のスピーカー遍歴」の中にある。
     *
 約九ヶ月前、それまで住み馴れたもとの家からいまの家に引越して、それを機会に、しばらく空白状態だった音出しをやり直そうと考えた。そのころAXIOM-80は間に合わせの小さな安もののエンクロージュアに収まっていて、およそかってのAXIOM-80の片鱗も無かったが、あきらめきれずにそれを中音用として、これも間に合わせに安もののウーファーとトゥイーターを加えて、マルチアンプで、それでも以前の部屋ではどうやら我慢のできる音になっていたが、今度の家ではまるで音にならない。AXIOM-80を鳴らすことは、それで当分あきらめることにしジョーダン・ワッツに目をつけた。
     *
AXIOM80が中域用としてうまく鳴っていればジョーダン・ワッツを導入されることはなかった、と思う。
ジョーダン・ワッツは、ブランド名が示すように、E.J.ジョーダンがグッドマンを放れて興した会社である。

E.J.ジョーダンはAXIOM80、MAXIMの設計者として当時は知られていた。
つまり瀬川先生はAXIOM80と共通する音の良さを求めての選択だった、といえよう。
「私のスピーカー遍歴」には、こうも書かれている。
     *
これに意を強くしてすぐにひと廻り大型のA12を購めた。これは位相反転型で低音がさらによく延びていて、バス・ドラムの音なども意外なほど豊かに再現する。しかしなによりも音全体の作り方に、AXIOM-80と共通したE・Jの主張が感じられてすっかり気に入ってしまった。
     *
JBLの3ウェイを構築された後も、A12のことは、
「メインとしているJBLに次いで最も頻繁に音を出すスピーカー」と書かれている。

Date: 11月 20th, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その10)

ステレオサウンド創刊号に載っている瀬川先生の「私のスピーカー遍歴」。
この記事の扉には、自作の3ウェイシステムの前方の床に、いくつものスピーカーユニットを並べて、
その中央に瀬川先生が写っている写真が使われている。

自作のスピーカーシステムは、市販品のエンクロージュアを一日がかりで補強し、吸音材を増したものに、
パイオニアの15インチ口径のPW38Aをおさめられている。

「私のスピーカー遍歴」では、
「400c/sまで持たせるもはや中音域の鈍重さがいら立たしく、一日も早く、同じJBLのLE15Aを試みたい」
と書かれている。

このエンクロージュアの上には、JBLの375にハチの巣(537-500)を組み合わせたスコーカー、
トゥイーターの075とネットワークN7000が載っている。
これが3ウェイシステムの概要となるわけだが、
375のとなりには、ジョーダン・ワッツのA12が置かれている。

このA12のことは「私のスピーカー遍歴」でも触れられている。
     *
ジョーダン・ワッツに目をつけた。
 はじめに購入したのは旧型のそれもユニットだけ。手近なバッフルや間に合わせの箱では期待した音がどうしても得られない。そこでエンクロージュア入りの〝MINI12〟買ってみて驚いた。ユニットだけからは想像もできなかった見事な音で、小型の箱だが壁にぴったり後をつけて置くと低音も思ったよりよく出てくる。ユニットも新型のMKIIになっていて、外観・仕上げも美しくなり、音質も改善されていた。これに意を強くしてすぐにひと廻り大型のA12を購めた。これは位相反転型で低音がさらによく延びていて、バス・ドラムの音なども意外なほど豊かに再現する。しかしなによりも音全体の作り方に、AXIOM80と共通したE・Jの主張が感じられてすっかり気に入ってしまった。しばらくのあいだはA12とMINI12をパラレルで中音に使い、低音と高音に別のスピーカーを加えて使った。
 現在はA12を単独に、本来の全音域用として鳴らしているが、独特の味が捨て難く、メインスピーカーとしているJBLに次いで最も頻繁に音を出すスピーカーである。
     *
ジョーダン・ワッツのA12は、QUADの管球式の22 + IIで鳴らされていた。

Date: 11月 18th, 2013
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その19)

私が瀬川先生がJBLのD44000 Paragonを手に入れられたはず、と思える理由のひとつに、
岩崎先生の不在がある。

何度かこれまでも書いているように、
瀬川先生にとってのライバルは岩崎千明であったし、
岩崎先生にとってのライバルは瀬川冬樹であった。

だからパラゴンは、岩崎先生のメインスピーカーのひとつであった。
ステレオサウンド 38号に掲載されている岩崎先生のリスニングルームには、
パラゴンがいい感じでおさまっていた。

あの写真をみてしまったら、
同じオーディオ評論家としてパラゴンには手を出しにくい。

欲しければ、それが買えるのであれば何も遠慮することなく買ってしまえばいいことじゃないか──、
こんなふうに思える人はシアワセかもしれない。

岩崎先生にも瀬川先生にもオーディオ評論家としての、自負する気持があったと思う。
その気持が、パラゴンが欲しいから、私も……、ということは許せなくする。

もし岩崎先生が健在であったなら、
ステレオサウンド 59号の瀬川先生のパラゴンの文章は違った書き方になっていたはず。
その意味で、59号の文章は、瀬川先生のパラゴンへの気持・想いが発露したものだと思えてならない。

Date: 11月 17th, 2013
Cate: 瀬川冬樹

バターのサンドイッチが語ること、考えさせること(その1)

バターのサンドイッチのことを書いた。
これ以上書く必要はない、と考えながらも、
バターのサンドイッチが示唆することについて、二、三書いておきたいという気持もまた強い。

蛇足だな、と自分で思いながら書いていく。

バターのサンドイッチのバターは、
オーディオにおけるケーブルをはじめとする、アクセサリーの類なのかもしれない。

バターのサンドイッチがおもいつかないから、
バターは塗るものという思い込みから離れることができないから、
とにかくバターを吟味する。

そのへんのスーパーで売っているようなバターではなく、
高級食材を扱っているスーパーでのみ買える高価なバターをいくつも試したり、
さらにはそういうスーパーでも手に入らないような、もっと特別なバターを探し出してくる。

そのへんのスーパーで売っているようなバターよりも、
ずっとずっと高価なバターをパンに塗って食しては、このバターは……、と評価し、
気に入った、それもめったなことでは入手できないバターであればあるほど、
そのバターについてのウンチクを滔々と誰かにまくしたてることだろう。

そんな人は、バターのサンドイッチは思いもつかないことだろう。

Date: 11月 17th, 2013
Cate: D44000 Paragon, JBL, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏とスピーカーのこと(その18)

ステレオサウンド 59号の瀬川先生のパラゴンについての文章を読み返すたびに、
あれこれおもってしまう。

だから何度も引用しておこう。
     *
 ステレオレコードの市販された1958年以来だから、もう23年も前の製品で、たいていなら多少古めかしくなるはずだが、パラゴンに限っては、外観も音も、決して古くない。さすがはJBLの力作で、少しオーディオ道楽した人が、一度は我家に入れてみたいと考える。目の前に置いて眺めているだけで、惚れ惚れと、しかも豊かな気分になれるという、そのことだけでも素晴らしい。まして、鳴らし込んだ音の良さ、欲しいなあ。
     *
この200字くらいの文章から読みとれることはいくつもある。
それは私の、瀬川先生への想い入れが深すぎるからでは決してない、と思う。

この文章を最初によんだ18の時には気づかなかったことが、いまはいくつも感じられる。

「外観も音も、決して古くない」
ここもそうだし、
「しかも豊かな気分になれる」
ここもだ。

瀬川先生とパラゴンについて、こまかいことう含めて、長々と書いていくことはできるけれど、
この文章だけで、もう充分のはずだ。

私は断言する。
瀬川先生はバラゴンを手に入れられたはずだ、と。

Date: 11月 14th, 2013
Cate: 瀬川冬樹

バターのサンドイッチ(瀬川冬樹氏のこと)

瀬川先生の三十三回忌法要のあとの雑談のときに、
黛健司さんから、バターのサンドイッチの話をきいた。

岩崎先生には、岩崎門下生といえる細谷信二氏、朝沼予史宏氏がいた。
瀬川先生に、黛さんがいる。
私は勝手に黛さんのことを、瀬川先生の一番弟子と呼んでいる。

黛さんは私がステレオサウンドで働くようになったころの編集次長だった人だ。
編集長は、現会長の原田勲氏だった。
いま黛さんはステレオサウンドに書かれている。

黛さんが瀬川先生の追っかけだったことは、誰からかきいて知っていた。
私より10年上で東京住い、瀬川先生の追っかけをやるには理想的だと、
すこしうらやましくなる。

そういう黛さんだけにステレオサウンドでは自然と瀬川番。
ずっと瀬川先生にはりついて原稿が書き上がるのを待つ仕事。

瀬川先生は夜中に書かれる、らしい。
書き始めると、ほんとうにすごい速さで書き上げられる。
それでも書き上がるのは朝になってしまう。

黛さんはでき上がった原稿をもってそのままステレオサウンドに向うわけだが、
その前に、瀬川先生が朝食をつくってくれたそうだ。

それがバターのサンドイッチである。

バターのサンドイッチ?
私も、最初そう思った。
バターを使ったサンドイッチではなく、
バターを薄くスライスして、バターだけをパンではさむ。
他は何も使わない。

バターは塗るものだ、という思い込みがある。
バターを塗ったパンと、どう違うのか。
塗るとはさむ。

材料はパンとバターだけ。
どこの家にでもたいていはあるものだし、どこにでも売っているもの。
そんなありふれたもの同士を組み合わせて、おいしいサンドイッチをつくる。
塗るのではなく薄くスライスしてはさむことで。

この話を黛さんからきいていて、
瀬川先生のオーディオの使いこなし、鳴らしこみの秘密・秘訣のようなものが、
ここにもあるように感じていた。

だから、バターのサンドイッチのことだけは、どうしても書いておきたかった。

Date: 11月 14th, 2013
Cate: ショウ雑感, 瀬川冬樹

2013年ショウ雑感(続・瀬川冬樹氏のこと)

私にとって、もっとも会いたかったオーディオ評論家は瀬川先生だった。

熊本には瀬川先生よりも先に、別のオーディオ店に長岡鉄男氏が来られたことがある。
それには行かなかった。
私が初めて行ったのは瀬川先生によるものだった。

瀬川先生による、いわば試聴会だけを高校生の時ずっと体験してきた。
つまり、私にとって瀬川先生のやり方がひとつの基準としてある。
そのことに、実はいまごろ気がついた。

なにも瀬川先生のやり方がすべてで、理想的だった、とはいわない。
オーディオ店、メーカーのショールームにおいて、理想的な条件が得られることはまずない。
いくつもの制約があるのが当り前で、
その制約を言い訳にすることなく、さらに時間という制約の中で、ひとつの音をきちんと聴かせてくれる。

そして、このことも重要なのだが、
瀬川先生はレコードのかけかえもカートリッジの上げ降しも、アンプのボリュウム操作も、
誰かにまかせることは一度もなくすべてやられていた。

だからこそ、見ているだけで学べることがいくつもあった。

それらのことが私の中にはある。
だからインターナショナルオーディオショウなどの催物での、
いまオーディオ評論家と呼ばれる人たちのやり方を見ていると、
無意識のうちに瀬川先生のやり方を基準としてみていたことに、いま気がついた。

そして、瀬川先生のやり方を見て知っている人も、
いまでは少なくなってきた、ということにも気がついた。

Date: 11月 10th, 2013
Cate: ショウ雑感, 瀬川冬樹

2013年ショウ雑感(瀬川冬樹氏のこと)

今日は瀬川先生の三十三回忌法要に行ってきた。

ほんとうに近しい人たちだけの、ということで、私が行っていいものなのか、と思いもしていた。
瀬川先生が熊本のオーディオ店に来られることはかかさず通っていた。
いわばおっかけである。

私がステレオサウンドで働くようになったのは1982年1月から。
瀬川先生が亡くなられた後のことだ。
そういう者がはたして行っていいものか、とは思いながらも、
来てください、といわれていたので、行ってきた。

行ってよかった、とおもっている。
なぜ、よかった、とおもっているのかについては、いずれ書いていくかもしれない。
書かないかもしれない。

いまのところ、ひとつだけ書いておきたい。
ショウに関することだからだ。

瀬川先生がメーカーのショールームで、
定例プログラムを行われていたことは、この時代にオーディオに興味を持っていた方ならば、
多くの方がご存知だし、楽しみにしていた方も多かったはず。

瀬川先生の回は、どのメーカーのショールームでも人が多く集まっていた、ときく。
瀬川先生は、来る人拒まず、の姿勢だった、ときいた。
そして重要なのは、一人として最後まで誰も帰さない。
そういう覚悟で毎回行われていた、ということだった。

インターナショナルオーディオショウでもそうだが、
オーディオ評論家と呼ばれる人が講演という名の音出しをやっていても、
瀬川先生と同じ覚悟でやっている人は何人いるのだろうか。