瀬川冬樹という変奏曲(その2)
ステレオサウンド 3号の特集「内外アンプ65機種─総試聴記と選び方 使い方」に登場するアンプには、
いまではメーカーが存在していないモノもある。
こんなメーカーがあったのか、と思うメーカー製のアンプも載っていれば、
いまも名器として評価されているマッキントッシュのC22とMC275、JBLのSG520とSE400S、SA600、
QUADの22とIIなども載っていて、時代の流れによって何が淘汰され、何が語り継がれていくのかを、
時代を遡って実感できた。
マッキントッシュのC22とMC275の瀬川先生の試聴記には、こうある。
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こういう音になると、もはや表現の言葉につまってしまう。たとえば、池田圭氏がよく使われる「その音は澄んでいて柔らかく、迫力があって深い」という表現は、一旦このアンプの音を聴いたあとでは至言ともいえるが、しかしまだ言い足りないもどかしさがある。充実して緻密。豊潤かつ精緻である。この豊かで深い味わいは、他の63機種からは得られなかった。
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瀬川先生はしばしば透明を澄明と書かれることがある。
ステレオサウンド 3号の、この試聴記を読むと、マッキントッシュの、このペアの音を聴かれたからこそ、
あえて澄明と書かれるのか、と私などはおもってしまう。
池田圭氏の「その音は澄んでいて柔らかく、迫力があって深い」という表現と、
マッキントッシュのC22とMC275の音がもしなかったなら、透明感と書かれていったのかもしれない。