Archive for category 五味康祐

Date: 4月 2nd, 2015
Cate: ステレオサウンド, 五味康祐

五味康祐氏とステレオサウンド(「音楽談義」をきいて・その1)

五味先生の命日である昨晩、ひさしぶりに「音楽談義」をきいた。

「音楽談義」はステレオサウンド 2号の特別企画として、
《音楽談義》 小林秀雄 きく人 五味康祐、というタイトルで載っている。
二部構成になっていて、第一部は「音楽の本質について」、
第二部は「ワーグナーの人と音楽」である。

「音楽談義」のことは、まだ読者であったころに知っていた。
けれど2号(1967年3月発売)という古いステレオサウンドは、
私がステレオサウンドを読みはじめた1976年の時点ではすでに入手できなかったのだから、
「音楽談義」のことを知った1979年3月の時点では読みたくとも読めなかった。

私が「音楽談義」を読んだのはステレオサウンドで働くようになってからだった。

ステレオサウンドは1986年に創刊20周年を迎えた。
創刊20周年を記念して、「音楽談義」はカセットテープによるオーディオブックとして一冊の本となった。
(発売は1987年だった)
当時、原田勲社長は、社員全員に「音楽談義」をくばられた。
それが、いまも私のもとにある一冊である。

この時「音楽談義」をきいた。
会社の取材用の録音機であったソニーのWM-D6できいた。

カセットデッキはその時もそれ以降も所有してこなかったから、
「音楽談義」をきいたのは、その一度限りだった。

昨晩、約30年ぶりに「音楽談義」をきいた。
これだけあいだがあいていると、初めてきくような感覚もあった。

Date: 4月 1st, 2015
Cate: 五味康祐

五味康祐氏とステレオサウンド

五味先生は1980年4月1日に亡くなられているから、
ステレオサウンドは54号までしか読まれていない(54号も微妙なところである)。

創刊20周年記念号は80号。
六年半後のことである。

創刊20周年記念として、小林秀雄・五味康祐「音楽談義」がカセットテープ(二巻)で出た。
このときは気づかなかった。

ステレオサウンドの創刊者である原田勲氏は、
五味先生に80号を手にとってもらいたかったはずだ、ということに、その時は気づかなかった。

五味先生が創刊20周年まで生きておられたら、
原田勲氏とどんな「談義」をされただろうか。

Date: 3月 19th, 2015
Cate: 4343, JBL, 五味康祐

なぜ4343なのか(五味康祐氏と4343・その2)

「人間の死にざま」に所収されている「ピアニスト」によると、
五味先生は、ステレオサウンドの試聴室で4343を聴かれていることがわかる。
コントロールアンプはGASのThaedra、パワーアンプはマランツの510、
カートリッジはエンパイアの4000(おそらく4000DIIIだろう)である。

このラインナップからすると、1976年暮から1977年にかけてのことだと思われる。
この組合せは、ステレオサウンドの原田勲氏によるものらしい。
《現在、ピアノを聴くにこれはもっとも好ましい組合せ》ということで、聴かれている。
アシュケナージのハンマークラヴィーアの第三楽章である。
     *
なるほど、うまい具合に鳴ってくれる。白状するが拙宅の〝オートグラフ〟では到底、こう鮮明には響かない。私は感服した。(中略)JBL〝4343〟は、たしかにスタインウェイを聴くに、もっとも好ましいエンクロージァである。(中略)〝4343〟は、同じJBLでも最近評判のいい製品で、ピアノを聴いた感じも従来の〝パラゴン〟あたりより数等、倍音が抜けきり──妙な言い方だが──いい余韻を響かせていた。
     *
五味先生が、JBLのスピーカーについて、こんなふうに書かれているのは、
ステレオサウンド 47号のオーディオ巡礼を読んでいなければ、少し驚きである。

五味先生はいくつかのピアノをレコードを聴かれた後で、
オペラを聴かれている。
ワーグナーのパルジファル(ショルティ盤)である。
     *
大変これがよかったのである。ソプラノも、合唱も咽チンコにハガネの振動板のない、つまり人工的でない自然な声にきこえる。オーケストラも弦音の即物的冷たさは矢っ張りあるが、高域が歪なく抜けきっているから耳に快い。ナマのウィーン・フィルは、もっと艶っぽいユニゾンを聴かせるゾ、といった拘泥さえしなければ、拙宅で聴くクナッパーツブッシュの『パルジファル』(バイロイト盤)より左右のチャンネル・セパレーションも良く、はるかにいい音である。私は感心した。トランジスター・アンプだから、音が飽和するとき空間に無数の鉄片(微粒子のような)が充満し、楽器の余韻は、空気中を楽器から伝わってきこえるのではなくて、それら微粒子が鋭敏に楽器に感応して音を出す、といったトランジスター特有の欠点──真に静謐な空間を持たぬ不自然さ──を別にすれば、思い切って私もこの装置にかえようかとさえ思った程である。
     *
ここまで読むと、47号のオーディオ巡礼を読んでいても、少し驚いてしまう。
そして嬉しくなった。

Date: 3月 18th, 2015
Cate: 4343, JBL, 五味康祐

なぜ4343なのか(五味康祐氏と4343・その1)

JBLの4343に夢中になった10代を過ごした。
4343への興味が若干薄れた20代があった。

40をこえたころから、4343への興味が強くなってきた。
そしていまも薄れることなく続いている。

10代のころ、ひとつどうしても知りたいことがあった。
五味先生は、4343をどう評価されていたのか、だった。

五味先生のJBL嫌いについては、あえて書くまでもないことだ。
そんな五味先生でも、瀬川先生が鳴らされているJBLの3ウェイの音は評価されていた。
(ステレオサウンド 16号掲載のオーディオ巡礼参照)

ステレオサウンド 47号からオーディオ巡礼が再開。
奈良の南口重治氏が登場されている。
南口氏のスピーカーはタンノイ・オートグラフとJBL・4350Aだった。

47号に書かれている。
     *
 JBLでこれまで、私が感心して聴いたのは唯一度ロスアンジェルスの米人宅で、4343をマークレビンソンLNPと、SAEで駆動させたものだった。でもロスと日本では空気の湿度がちがう。西洋館と瓦葺きでは壁面の硬度がちがう。天井の高さが違う。
     *
南口氏の4350の音も最初は「唾棄すべき」音と書かれていたが、
最後では違っていた。絶賛に近い評価の高さだった。

4343も4350も、新しいJBLの音だった。
瀬川先生も高く評価されていた、このふたつのスピーカーを、
鳴らす人次第とはいえ、五味先生も認められているのが、嬉しく感じたものだった。

JBLからでも、五味先生を唸らせる音が出せる──、
そう信じられたからだ。

それだけに、もっと4343について書かれた文章が読みたかった。
けれどずっと見つけられずにいた。

30代の終りごろに、やっと見つけた。
新潮社から出ていた「人間の死にざま」にあった。

Date: 3月 5th, 2015
Cate: audio wednesday, 五味康祐

第51回audio sharing例会のお知らせ(五味康祐氏のこと、五味オーディオ教室のこと)

4月のaudio sharing例会は、1日(水曜日)です。

1980年4月1日、五味先生が逝去された。
だから4月1日の例会のテーマは「五味康祐」である。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 11月 6th, 2014
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏のこと(抽き出すについて)

瀬川先生は、抽き出す、と書かれることが多かった。
いつごろからそうなのかわからないが、おそらくつステレオサウンド 16号以降ではないか、とみている。

ステレオサウンド 16号のオーディオ巡礼で五味先生が瀬川先生のリスニングルームに行かれた。
こう書かれてあった。
     *
瀬川氏へも、その文章などで、私は大へん好意を寄せていた。ジムランを私は採らないだけに、瀬川君ならどんなふうに鳴らすのかと余計興味をもったのである。その部屋に招じられて、だが、オヤと思った。一言でいうと、ジムランを聴く人のたたずまいではなかった。どちらかといえばむしろ私と共通な音楽の聴き方をしている人の住居である。部屋そのものは六疂で、狭い。私もむかし同じようにせまい部屋で、生活をきりつめ音楽を聴いたことがあった。(中略)むかしの貧困時代に、どんなに沁みて私は音楽を聴いたろう。思いすごしかもわからないが、そういう私の若い日を瀬川氏の部屋に見出したような気がした。(中略)
ボベスコのヴァイオリンでヘンデルのソナタを私は聴いた。モーツァルトの三番と五番のヴァイオリン協奏曲を聴いた。そしておよそジムラン的でない鳴らせ方を瀬川氏がするのに驚いた。ジムラン的でないとは、奇妙な言い方だが、要するにモノーラル時代の音色を、更にさかのぼってSPで聴きなじんだ音(というより音楽)を、最新のスピーカーとアンプで彼は抽き出そうと努めている。抱きしめてあげたいほどその努力は見ていて切ない。
     *
ここに「抽き出そう」とある。
だからなのではないか。
そうだと私はおもっている。

戻っていく感覚

川崎先生の10月28日のブログ(『「アプロプリエーション」という芸術手法はデザインに非ず』)を読んで、
五味先生の文章を読み返した。

ステレオサウンド 51号、オーディオ巡礼である。
     *
 二流の音楽家は、芸術性と倫理性の区別をあいまいにしたがる、そんな意味のことを言ったのはたしかマーラーだったと記憶するが、倫理性を物理特性と解釈するなら、この言葉は、オーディオにも当てはまるのではないか、と以前、考えたことがあった。
 再生音の芸術性は、それ自体きわめてあいまいな性質のもので、何がいったい芸術的かを的確に言いきるのはむつかしい。しかし、たとえばSP時代のティボーやパハマン、カペー弦楽四重奏団の演奏を、きわめて芸術性の高いものと評するのは、昨今の驚異的エレクトロニクスの進歩に耳の馴れた吾人が聴いても、そう間違っていないことを彼らの復刻盤は証してくれるし、レコード芸術にあっては、畢竟、トーンクォリティは演奏にまだ従属するのを教えてくれる。
 誤解をおそれずに言えば、二流の再生装置ほど、物理特性を優先させることで芸術を抽き出せると思いこみ、さらに程度のわるい装置では音楽的美音——全音程のごく一部——を強調することで、歪を糊塗する傾向がつよい。物理特性が優秀なら、当然、鳴る音は演奏に忠実であり、ナマに近いという神話は、久しくぼくらを魅了したし、理論的にそれが正しいのはわかりきっているが、理屈通りいかないのがオーディオサウンドであることも、真の愛好家なら身につまされて知っていることだ。いつも言うのだが、ヴァイオリン協奏曲で、独奏ヴァイオリンがオーケストラを背景につねに音場空間の一点で鳴ったためしを私は知らない。どれほど高忠実度な装置でさえ、少し音量をあげれば、弦楽四重奏のヴァイオリンはヴィオラほどな大きさの楽器にきこえてしまう。どうかすればチェロが、コントラバスの演奏に聴こえる。
 ピアノだってそうで、その高音域と低域(とくにペダルを踏んだ場合)とでは、大きさの異なる二台のピアノを弾いているみたいで、真に原音に忠実ならこんな馬鹿げたことがあるわけはないだろう。音の質は、同時に音像の鮮明さをともなわねばならない。しかも両者のまったき合一の例を私は知らない。
 となれば、いかに技術が進歩したとはいえ、現時点ではまだ、再生音にどこかで僕らは誤魔化される必要がある。痛切にこちらから願って誤魔化されたいほどだ。とはいえ、物理特性と芸術性のあいまいな音はがまんならず、そんなあいまいさは鋭敏に聴きわける耳を僕らはもってしまった。私の場合でいえば、テストレコードで一万四千ヘルツあたりから上は、もうまったく聴こえない。年のせいだろう。百ヘルツ以下が聴こえない。難聴のためだ。難聴といえばテープ・ヒスが私にはよく聴きとれず、これは、私の耳にはドルビーがかけてあるのさ、と思うことにしているが、正常な聴覚の人にくらべ、ずいぶん、わるい耳なのは確かだろう。しかし可聴範囲では、相当、シビアに音質の差は聴きわけ得るし、聴覚のいい人がまったく気づかぬ音色の変化——主として音の気品といったもの——に陶然とすることもある。音楽の倫理性となると、これはもう聴覚に関係ないことだから、マーラーの言ったことはオーディオには実は該当しないのだが、下品で、たいへん卑しい音を出すスピーカー、アンプがあるのは事実で、倫理観念に欠けるリスナーほどその辺の音のちがいを聴きわけられずに平然としている。そんな音痴を何人か見ているので、オーディオサウンドには、厳密には物理特性の中に測定の不可能な倫理的要素も含まれ、音色とは、そういう両者がまざり合って醸し出すものであること、二流の装置やそれを使っているリスナーほどこの点に無関心で、周波数の伸び、歪の有無などばかり気にしている、それを指摘したくて、冒頭のマーラーの言葉をかりたのである。
     *
読み返して、いま書いていることのいくつかの結論は、ここへ戻っていくんだ、という感覚があった。

Date: 6月 20th, 2013
Cate: バッハ, マタイ受難曲, 五味康祐

ヨッフムのマタイ受難曲(タワーレコードに望むこと)

今回のヨッフムのマタイ受難曲もそうだが、
タワーレコードはオリジナル企画として、独自にCD復刻を行っている。
こういう企画はありがたい。

私がタワーレコードの、この企画に望むのは、
五味康祐・愛聴盤シリーズである。

ヨッフムのマタイ受難曲は今回復刻された。
次は、ミヨーの「子と母のためのカンタータ」を復刻してほしい。
ミヨー夫人が朗読をつとめたものだ。
いまナクソスのサイトでMP3では聴けるようになっているものの、
やはりCD、もしくは16ビット・44.1kHzのダウンロードで聴きたい気持がつよい。

それからアンドレ・メサジェの「二羽の鳩」。
これのLPは「子と母のためのカンタータ」とほぼ同時期に手に入れたもの、
ある事情で手もとにはない。
しかも演奏者が誰だったのかを、はっきりとおぼえていない。

まだある。ヴィヴァルディのヴィオラ・ダモーレ。
五味先生の著書を読んでも演奏者が誰なのかはっきりしないが、
どうもアッカルドによるものらしい。

まだまだあるけれど、この三枚、
無理ならばミヨーだけでも復刻してもらいたい。

Date: 4月 1st, 2013
Cate: 五味康祐

五味康祐氏のこと(「花の乱舞」)

東京では桜が散りはじめている。
今日は4月1日。

五味先生の「花の乱舞」から引用しておきたいところがある。
     *
 花といえば、往昔は梅を意味したが、今では「花はさくら樹、人は武士」のたとえ通り桜を指すようになっている。さくらといえば何はともあれ──私の知る限り──吉野の桜が一番だろう。一樹の、しだれた美しさを愛でるのなら京都近郊(北桑田郡)周山町にある常照皇寺の美観を忘れるわけにゆかないし、案外この寂かな名刹の境内に咲く桜の見事さを知らない人の多いのが残念だが、一般には、やはり吉野山の桜を日本一としていいようにおもう。
 ところで、その吉野の桜だが、満開のそれを漫然と眺めるのでは実は意味がない。衆知の通り吉野山の桜は、中ノ千本、奥ノ千本など、在る場所で咲く時期が多少異なるが、もっとも壮観なのは満開のときではなくて、それの散りぎわである。文字通り万朶のさくらが一陣の烈風にアッという間に散る。散った花の片々は吹雪のごとく渓谷に一たんはなだれ落ちるが、それは、再び龍巻に似た旋風に吹きあげられ、谷間の上空へ無数の花片を散らせて舞いあがる。何とも形容を絶する凄まじい勢いの、落花の群舞である。吉野の桜は「これはこれはとばかり花の吉野山」としか他に表現しようのない、全山コレ桜ばかりと思える時期があるが、そんな満開の花弁が、須臾にして春の強風に散るわけだ。散ったのが舞い落ちずに、龍巻となって山の方へ吹き返される──その壮観、その華麗──くどいようだが、落花のこの桜ふぶきを知らずに吉野山は語れない。さくらの散りぎわのいさぎよいことは観念として知られていようが、何千本という桜が同時に散るのを実際に目撃した人は、そう多くないだろう。──むろん、吉野山でも、こういう見事な花の散り際を眺められるのは年に一度だ。だいたい四月十五日前後に、中ノ千本付近にある旅亭で(それも渓谷に臨んだ部屋の窓ぎわにがん張って)烈風の吹いてくるのを待たねばならない。かなり忍耐力を要する花見になるが、興味のある人は、一度、泊まりがけで吉野に出向いて散る花の群舞をご覧になるとよい。
     *
1972年発行の「ミセス」に載せられた文章だ。
「花の乱舞」はつぎのように締めくくられている。
     *
音楽は、どのように受けとろうと究極のところは〝慰藉〟と〝啓示〟を享受すれば足りるものだから、受け入れやすいもの必ずしも低俗に過ぎるとはかぎるまい、というのが私の持論である。時にはバッハやハインリッヒ・シュッツの受難曲を聴いたあとなど、気分をほぐすつもりでロシア五人組の音楽に耳を傾けることがある。そして五人組ではないが、ハチャトゥリアンの『ガヤーネ』を聴くと、吉野山の桜を想い出す。これ迄、花びらのその龍巻を私は一度しか見ていないが。
     *
五味先生は、もう一度、吉野山の花びらの龍巻を見られたのかどうかは、わからない。
今日4月1日は、五味先生の命日である。

Date: 11月 12th, 2012
Cate: オーディオ評論, 五味康祐, 言葉

オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」(続・おもい、について)

五味先生はオーディオにおいて何者であったか──、
私は、オーディオ思想家だと思っている。

2年前、この項の(その13)で、そう書いた。

あえて書くまでもなく、思想ということばは、思う・想うと思い・想いからなる。

五味先生の、音楽、オーディオについてのことばは重たい。

そう感じない人もいよう。
それでも私には読みはじめたときから、ずっと、まちがいなく死ぬまで「おもい」。

(その13)の最後には、こう書いた。

五味先生の、そのオーディオの「思想」が、瀬川先生が生み出したオーディオ「評論」へと受け継がれている。

だから私には瀬川先生の文章も、また「おもい」と感じる。

Date: 7月 30th, 2012
Cate: 五味康祐

続・長生きする才能(その3・また別の映画のこと)

あるテーマの映画を、これまで公開されてきたすべてを観てきたわけではないけれど、
DVDでの鑑賞を含めると、意外と見ているジャンルのなかに、いわゆるゾンビものがある。

アメリカのドラマ「ウォーキング・デッド」も視ている。

だからゾンビものの映画が好きといわれれば、そうなるのかもしれない。
でも、好きという感情を特に意識したこともなく、それでもわりとみているという事実を、
この項を書いていて、ふと思い出していた。

なかば強引なこじつけということにもなろうが、
ゾンビも、自殺できない人(すでに人ではないわけだが)ということになる。

ゾンビの設定としては、ゾンビに噛まれたり、ゾンビの血液によって感染する。
感染してある一定の時間が過ぎれば、人は死ぬ。そして肉体のみが復活してゾンビとなる。
いちどゾンビになってしまうと、生前の人としての記憶はなくなっており、
ただひたすら食糧を求めてさまよい歩く。

感染したことがわかった上で頭をぶち抜いて自殺、
もしくは誰かに殺されればをすればゾンビになることはない。
けれど自殺できぬまま、誰かに自らの死を依頼することができぬまま死に、ゾンビと化す。

ゾンビとなってしまうと、頭を破壊されない限り、ゾンビのままである。
死ねない(生きてもいない)、人の姿をした者となってしまう。

ゾンビはゾンビを襲わない設定になっている。
ゾンビが襲うのは生きた人間であり、食糧とするためである。
ゾンビとなっても動き回るにはなんらかのエネルギー源が必要であり、
そのための本能だけはいちど死んでしまっても残っている、というべきなのか、
新たにゾンビとしての本能が発生したのかは、はっきりしない。

そういうゾンビだから、ほとんどの映画では醜きものである。
おぞましい存在としてスクリーンに登場する。

あんなゾンビにはなりたくない、と誰しもが思うように描かれている。
にも関わらず、感染したとわかっていても自殺を選択しない人も登場するのは、
そこにはキリスト教が底流にあるからだろう。
自殺が禁じられていれば、ゾンビとなっていくしかない。

自殺のできない男が登場する五味先生の「喪神」。
ゾンビというジャンルの映画が描く「喪神」の世界。

人としての生命活動がとまりゾンビと化すまでわずかな間は、
ほんとうに「死」なのか、とも思ってしまう。
喪神の世界に死はあるのか、と。

Date: 2月 19th, 2012
Cate: 五味康祐

続・長生きする才能(その3・思い出したこととある映画のこと)

ジャクリーヌ・デュ=プレは1987年10月19日に亡くなっている。
このころは、まだ新聞を購読していた。デュ=プレが亡くなったことは新聞記事で知った。
大きなショックはなかった。けれど、デュ=プレが多発性硬化症だと知った時に、
治療法を見つけ出してやろうと思っていたことを、ずっと忘れていたことをデュ=プレの訃報記事は思い出せた。

もしもオーディオにのめり込まず違う道を選択していたとしても、
1987年の時点では私はまだ24歳だった。多発性硬化症の治療法なんて見つけ出せるはずがない。
土台無理なこと……。

デュ=プレが亡くなってから10年数年経ったころ、ある映画を観た。
「ロレンツォのオイル/命の詩」(原題:Lorenzo’s Oil)を観た。
この映画が日本で公開されたのは1993年、私はDVDになってから、この映画のことを知り観た。

実話に基づく映画である。
多発性硬化症ではないけれど、ここでも副腎白質ジストロフィーという難病が出てくる。
映画のタイトルのロレンツォは、主人公のひとり息子の名前。副腎白質ジストロフィーの患者だ。

ロレンツォの両親は医者ではない。医学知識を持った人たちではない。
だから最初は治療法(というより医者)をとにかく探し求める。けれど見つからない。
そして自力で治療法を見つけようとする。ロレンツォを助けるためにあきらめない。

結論を書いてしまうと、治療法を見つけ出す。
タイトルからもわかるように、ある特定のオイルがそれである。
映画のエンディングには、
ロレンツォのオイルで副腎白質ジストロフィーから回復した子供たちの写真が映し出されていた。

ロレンツォの両親の、治療法を見つけ出すまでの行動こそ、死に物狂いというのだろう。
ロレンツォの両親の、そういう姿を見ていて、また昔のことを思い出していた。

デュ=プレが多発性硬化症だと知った時に思っていたことだ。

ようするに私は死に物狂いになれなかった。
つまりは他人事でしかなかったわけだ。
どれほどジャクリーヌ・デュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲に感動した、と言ったり書いたりしていても、
遠いイギリスに住む人の、他人事だったから、死に物狂いになる、そのずっと手前のところにしかいなかった。

「続・長生きする才能」を書き始めて、そのことを思い出していた。

Date: 2月 18th, 2012
Cate: 五味康祐

続・長生きする才能(その3)

いまの時代、剣豪はいない。
だからいまの時代、自殺できない人がいるとすれば、それはまわりが死なせてくれない人だろうと考えた。
どういう人がそうなのか。

ジャクリーヌ・デュ=プレは1971年(26歳のとき)から指先の感覚が鈍くなる症状が出始めていて、
1973年には多発性硬化症と診断され演奏家としてピリオドが打たれている。

私がデュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲を聴いたとき、すでに彼女は現役の演奏家ではなかった。
デュ=プレが多発性硬化症だったことを知ったのが先だったのか、エルガーの協奏曲を聴いたのが先だったのか、
なぜか記憶が曖昧になってしまっているが、
とにかくデュ=プレのエルガーをはじめて聴いたときの衝撃は、いまでもはっきりと憶えているほどに強烈だった。
胸がしめつけられる、とはこういうことなのか、とも感じていた。

EMIはいちどもデュ=プレのエルガーの協奏曲を廃盤にはしていない、ともきいている。
イギリスのクラシック音楽を愛好する人たちにとって、デュ=プレはほんとうに特別な存在なのだろう。

バレンボイム指揮によるプロコフィエフの「ピーターと狼」のナレーションを
デュ=プレがやっているニュースを知ったとき、もうチェリストとしてのデュ=プレのレコードは聴けないのか。
誰か多発性硬化症の治療法を見つけ出さないのか、とも思ったこともある。
ほんの一時期の気の迷いであったのかもしれないが、医学の道に進んで治療法を……と考えていたことすらある。

私ですらそんなことを考えていたのだから、デュ=プレのまわりにはそういう人がいたことだろう。
実際に、いろんな人がいろんなことを言ってきた、ということも本で読んだことがある。
多発性硬化症は体の自由が奪われるから、デュ=プレの傍にはつねに彼女の世話をする人もいる。

もしデュ=プレが自殺を考えていたとしたら……、そんなことを「喪神」と絡めて思ったわけだ。
デュ=プレが自殺を考えたことがあるのかどうかはわからない。
あくまでも考えた、もしくはデュ=プレのような境遇の人が自殺を考えた、としよう。

多発性硬化症の進行によって体の自由がきかなくなっていくわけだから、
試みることすら困難なこととであろうし、もしなんらかの方法で実行したとしても、
ひとりでいることのできない身体だから、すぐに見つかり死ぬことはできない。

五味先生は「喪神」で、「自分を殺せるだけの人間を、もう一人造りあげて、その男に斬らせる」ことにされた。
デュ=プレの場合はどうすればよいのか。そのことを考えていたことがある。

Date: 2月 17th, 2012
Cate: 五味康祐

続・長生きする才能(その2)

「私の好きな演奏家たち」は遺稿集となった「人間の死にざま」(新潮社刊・絶版)に収められている。
「私の好きな演奏家たち」の、このくだりを読んだあとしばらくして頭に浮んできたのは、
「喪神」について書かれた五味先生の文章のことだった。

これは「オーディオ巡礼」(ステレオサウンド刊)の「オーディオと人生」のなかで書かれている。
五味先生が世に出る機縁となった、そして芥川賞受賞作でもある「喪神」のモチーフとなったのは、
西田幾太郎氏の哲学用語を借りれば、純粋経験とある。
     *
ピアニストが楽譜を見た瞬間にキイを叩く、この間の速度というのは非常に早いはずである。習練すればするほどこの速度は増してゆき、ついには楽譜を見るのとキイを叩くのが同時になってしまう。経験が積み重なってゆくと、こういう状態になる。それを純粋経験という。
ルビンスティンもグールドも純粋経験でピアノを叩いている。それでいて、あんなに演奏がちがうのはなぜか。そこに前々から疑問を抱いていた。純粋経験とは、意志が働く以前のことで処理されているはずなのに、と。そのときふと思ったのは、これは線上で考え続けていたことだが、人を斬ったらどういう感じがするだろうか、ということだった。
一方、私はキリスト教神学を学んだときのことを思いあわせた。キリスト教が、我々人間に禁じている唯一のものは、自殺である。なぜそれがいけないか。誰にでもできるからにちがいない。私は、かつて貧乏のどん底にいて、俺にいますぐできることはなんだろうか、と考えたことがある。そのとき即座に頭に浮んだのが、自殺だった。名古屋へ行きたいと思っても旅費がない。徒歩で行くとしても、その間の食料を考えなくてはならない。パチンコをはじいてみても、玉はこちらの思うとおりにはころがってはくれない。つまり世の中で、貧乏のどん底にいる人の自由になるものは何もない。しかし死のうと思えば、いつでも、誰でも人は自殺することだけはできる。それでキリスト教は自殺を禁じたのだろうと考えていた。そこで、自殺のできない男というものを想いえがいた。
わが身を護るために、人を斬ってきた男が、やがて純粋経験で人を斬るようになる。これはもう、己の意志で斬るのではないから寝ているときに背後から襲われても、顔にとまった蝿を無意識に払いのける調子で、迫った刃を防禦本能でかわし、反射的に相手を仆してしまう。しかも本人は仆したことさえ気がつかない。ここに私は目をつけた。どんな強敵が襲いかかってきても、相手を倒すことのできる男、そこまで習練を積んだ男が、もし、おのれに愛想をつかして、自殺を思い立ったら、どうしたらよいか。自分の腹に短刀を当てようとした瞬間、純粋経験が働いて、夢遊病者のように短刀を抛り出してしまうだろう。そのことを自分で気がつかずにいるだろう。そんな男が死ぬには、どうすればよいか。自分を殺せるだけの人間を、もう一人造りあげて、その男に斬らせるよりほかない。
     *
この文章を何度目かに読んだときに、五味先生は自殺できない人間として、一人の剣豪に托して書かれたわけだが、
いまの時代、自殺できない人間は、どういう人だろうか、と思ったことがある。

思いあたったのは、ジャクリーヌ・デュ=プレだった。

Date: 2月 16th, 2012
Cate: 五味康祐

続・長生きする才能(その1)

「長生きしなければ成し遂げられぬ仕事が此の世にはあることを、この歳になって私は覚っている。」
と五味先生が、「私の好きな演奏家たち」のなかで書かれている。

「長生きしなければ成し遂げられぬ仕事」を「持つ」者は、
死ねない人生を歩むことになるのだろうか。