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Date: 9月 23rd, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その24)

直径が大きく異る円をふたつ描いてみる。
たとえば10倍くらいの差がある円を描いて、その円周を同じ長さだけきりとる。
たとえば2cmだけ切り取ったとする。

そのふたつの円周を比較すると、直径の小さな円から切り取った円周は同じ2cmでも弧を描いている。
直径が10倍大きい円から切り取った円周は、もちろん弧を描いてはいるものの、
小さな円の円周よりもずっと直線に近くなっていく。

ある音源から球面波が放射された。
楽器もしくは音源から近いところで球面波であったものが、
距離が離れるにしたがって、平面波に近くなってくる。

だから平面波の音は距離感の遠い音だ、という人もいるくらいだ。

平面波が仮にそういうものだと仮定した場合、
目の前にあるスピーカーシステムから平面波の音がかなりの音圧で鳴ってくることは、
それはオーディオの世界だから成立する音の独特の世界だといえなくもない。

しかもアクースティックな楽器がピストニックモーションで音を出すものがないにも関わらず、
ほほすべてのスピーカー(ベンディングウェーヴ以外のスピーカー)はピストニックモーションで音を出し、
より正確なピストニックモーションを追求している。

そういう世界のなかのひとつとして、大きな振動板面積をもつ平面振動板の音がある、ということ。
それを好む人もいれば、そうでない人もいる、ということだ。

瀬川先生の時代には、アポジーは存在しなかった。
もし瀬川先生がアポジーのオール・リボン型の音を聴かれていたら、どう評価されただろうか。
大型のディーヴァよりも、小型のカリパーのほうを評価されたかもしれない。
そんな気がする……。

Date: 9月 23rd, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その23)

じつは井上先生も、振動板面積の大きい平面型スピーカーの音に対して、
瀬川先生と同じような反応をされていた。
「くわっと耳にくる音がきついんだよね、平面スピーカーは」といったことをいわれていた。

といってもスコーカーやトゥイーターに平面振動板のユニットが搭載されているスピーカーシステムに対しては、
そういったことをいわれたことはまず記憶にない。
もしかするとすこしは「きつい」と感じておられたのかもしれないが、
少なくとも口に出されることは、私がステレオサウンドにいたころはなかった。

けれどもコンデンサー型やアポジーのようなリボン型で、低域まで平面振動板で構成されていて、
しかも振動板の面積がかなり大きいものを聴かれているときは、
「きついんだよなぁ」とか「くわっとくるんだよね、平面型は」といわれていた。

でもアポジーのカリパーをステレオサウンドの試聴室で、マッキントッシュのMC275で鳴らしたときは、
そんな感想はもらされていなかった(これは記事にはなっていない)。
だから私の勝手な推測ではあるけれども、
ステレオサウンドの試聴室(いまの試聴室ではなく旧試聴室)の空間では、
アポジーのカリパーぐらいの振動板面積が井上先生にとっては、
きつさを感じさせない、意識させない上限だったのかもしれない。

それにMC275の出力は75Wだから、それほど大きな音量を得られるわけでもない。
これが低負荷につよい大出力のパワーアンプであったならば、
ピークの音の伸びで「きつい」といわれた可能性もあったのかもしれない。

井上先生が「きつい」と表現されているのも、音色的なきつさではない。
これも推測になってしまうのだが、瀬川先生と同じように鼓膜を圧迫するようなところを感じとって、
それを「きつい」と表現されていた、と私は解釈している。

ただ、この「きつさ」は、人によって感じ方が違う。
あまり感じられない方もおられる。
いっておくが、これは耳の良し悪しとはまだ別のことである。
そして、圧迫感を感じる人の中には、この圧迫感を「きつい」ではなく、好ましい、と感じる人もいる。
だから、瀬川先生、井上先生が「きつい」と感じられたことを、理解しにくい人もおられるだろうが、
これはひとりひとり耳の性質に違いによって生じるものなのだろうから。

Date: 9月 16th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その22)

瀬川先生の「ずいぶんきつくて耐えられなかった」ということを、
オーディオの一般的な「きつい音」ということで捉えていては、なかなか理解できないことだと思う。

ダブルスタックとはいえQUADのESLから、いわゆる「きつい音」が出るとは思えない。
そう考えられる方は多いと思う。

私も、「ステレオのすべて ’81」を読んだときには、
「ずいぶんきつくて耐えられなかった」の真の意味を理解できなかった。
これに関しては、オーディオのキャリアが長いだけでは理解しにくい面をもつ。
私がこれから書くことを理解できたのは、ステレオサウンドで働いてきたおかげである。

コンデンサー型、リボン型といった駆動方式には関係なく、
ある面積をもつ平面振動板のスピーカーシステムの音は、聴く人によっては「きつい音」である。
それは鳴らし方が悪くてそういう「きつい音」が出てしまう、ということではなく、
振動板が平面であること、そしてある一定の面積をもっていることによって生じる「きつい音」なのだが、
これがやっかいなことに同じ場所で同じ時に、同じ音を聴いても「きつい音」と感じる人もいれば、
まったく気にされない方もいるということだ。

そして、一定の面積と書いたが、これも絶対値があるわけではない。
部屋の容積との関係があって、
容積が小さければ振動板の面積はそれほど大きくなくても「きつい音」を感じさせてしまうし、
かなり振動板の面積が大きくとも、部屋の容積が、広さも天井高も十分確保されている環境であれば、
「きつい音」と感じさせないこともある。

瀬川先生に直接「ずいぶんきつくて耐えられなかった」音が
どういうものか訊ねたわけではないから断言こそできないが、
おそらくこの「きつい音」は鼓膜を圧迫するような音のことのはずである。

私がそのことに気づけたのは、井上先生の試聴のときだった。

Date: 9月 16th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その21)

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」の巻末には、
「新西洋音響事情」というタイトルのインタヴュー記事が載っている。
「全日本オーディオフェアに来日の、オーディオ評論家、メーカー首脳に聞く」という副題がついているとおり、
レオナルド・フェルドマン(アメリカ・オーディオ評論家)、エド・メイ(マランツ副社長)、
レイモンド・E・クック(KEF社長)、コリン・J・アルドリッジ(ローラ・セレッション社長)、
ピーター・D・ガスカース(ローラ・セレッション マーケティング・ディレクター)、
ウィリアム・J・コックス(B&Oエクスポートマネージャー)、S・K・プラマニック(B&Oチーフエンジニア)、
マルコ・ヴィフィアン(ルボックス エクスポートマネージャー)、エド・ウェナーストランド(ADC社長)、
そしてQUAD(この時代は正式にはThe Acoustical Manufacturing Co.Ltd.,社長)のロス・ウォーカーらが、
山中敬三、長島達夫、両氏のインタヴュー、編集部のインタヴューに答えている。

ロス・ウォーカーのインタヴュアーは、長島・山中の両氏。
ここにダブル・クォードについて、たずねられている。
ロス・ウォーカーの答えはつぎのとおりだ。
     *
ダブルにしますと、音は大きくなるけれども、ミュージックのインフォメーションに関しては一台と変わらないはずです。ほとんどの人にとってはシングルに使っていただいて十分なパワーがあります。二台にすると、4.5dB音圧が増えます。そしてベースがよく鳴る感じはします。ただ、チェンバー・ミュージックとか、ソロを聴く場合には、少しリアリスティックな感じが落ちる感じがします。ですから、大編成のオーケストラを聴く場合にはダブルにして、小さい感じのミュージックを聴く場合には、シングルにした方がよろしいのではないかと思います。世の中のたくさんの方がダブルにして使って喜んでいらっしゃるのをよく存じていますし、感謝していますけれども、私どもの会社の中におきましては二台使っている人間は誰もおりません。いずれにしても、それは個人のチョイスによるものだと思いますから、わたくしがどうこう申しあげることはできない気がします。
     *
「ステレオのすべて ’81」の特集には「誰もできなかったオーケストラ再生」とつけられているし、
「コンポーネントステレオの世界 ’78」の読者の方の要望もオーケストラ再生について、であった。

オーケストラ再生への山中先生の回答が、ESLのダブルスタックであることは、
この時代(1970年代後半から80年にかけて)の現役のスピーカーシステムからの選択としては、
他に候補はなかなか思い浮ばない。

なぜ、そのESLのダブルスタックの音が瀬川先生にとっては「ずいぶんきつくて耐えられなかった」のか。

Date: 9月 15th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その20)

音楽之友社の試聴室がどのくらいの広さなのか、「ステレオのすべて ’81」からは正確にはかわらない。
けれど50畳もあるような広さではないことはわかる。20畳から30畳程度だろうか。
そこに、「ステレオのすべて ’81」の取材では、
瀬川、山中、貝山の三氏プラス読者の方が三名、さらに編集部も三名にカメラマンが一人、計10人が入っている。
そう広くない部屋に、これだけの人が入っていては条件は悪くなる。
そんなこともあってESLのダブルスタックは、本調子が出なかったのか、うまく鳴らなかったことは読み取れる。
けれど瀬川先生にしても山中先生にしても、そこで鳴った音だけで語られるわけではない。
ESLのダブルスタックは、この本の出る3年前にステレオサウンドの「コンポーネントステレオの世界 ’78」にいて、
手応えのある音を出されているわけで、そういったことを踏まえたうえで語られている。

もちろん話されたことすべてが活字になっているわけではない。
ページ数という物理的な制約があるため削られている言葉もある。
まとめる人のいろいろな要素が、こういう座談会のまとめには色濃く出てくる。

つまり「コンポーネントステレオの世界 ’78」では瀬川先生のESLのダブルスタックに対する発言は、
削られてしまっている、とみていいだろう。
なぜ、削られたのか。しかもひと言も活字にはなっていない。
このことと、「ステレオのすべて ’81」の瀬川先生の音の印象を重ねると、
瀬川先生はESLのダブルスタックに対して、ほぼ全面的に肯定されている山中先生とは反対に、
否定的、とまではいわないもの、むしろ、どこか苦手とされているのではないか、と思えてくる。

「ぼくにはずいぶんきつくて耐えられなかった」と語られている、
この部分に、それが読みとれる、ともいえる。

Date: 9月 14th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その19)

音楽之友社別冊「ステレオのすべて ’81」を書店で手にとってパラパラめくったときは、うれしかった。
ここにもESLのダブルスタックの記事が載っていて、その記事には瀬川先生と山中先生が登場されているからだ。

じっくり読むのは家に帰ってからの楽しみにとっておきたかったので、ほとんど内容は確認させずに買った。
そして帰宅、読みはじめる。

誌面構成としては、まず貝山さんがレポーター(司会者)となって、瀬川・山中対談がはじまる。
そして囲み記事として、
瀬川先生の組合せ試案(これはロジャースPM510とマークレビンソンのアンプの組合せ)があり、
そのあとにいよいよ山中先生によるESLのダブルスタックの試案が、これも囲み記事で出てくる。
3000文字弱の内容で、瀬川・山中、両氏の対談を中心に、参加されている読者の方の意見も含まれている。

まず、瀬川先生は、
「やっぱり、クォード・ダブルスタックを山中流に料理しちゃってるよ。
これ、完全に山中サウンドですよ、よくも悪くもね。」と発言されている。

このあとに山中先生によるダブルスタックの説明が続く。
そして、ふたたび瀬川先生の発言。
「さっき山中流に料理しちゃったというのは、ぼくがこのスピーカーを鳴らすとこういう音にならないね。具体的にいうと、ほくにはずいぶんきつくて耐えられなかったし、低音の量感が足りない。だからかなわんなと思いながらやっぱり彼が鳴らすと、本当にこういう音に仕上げちゃうんだなと思いながら、すごい山中サウンドだと思って聴いていたの。」

ただ「低音の量感が足りない」と感じられていたのは、山中先生も同じで、
ステレオサウンドでの試聴のことを引き合いに出しながら、「低域がもっと出なくちゃいけない」と言われている。
音楽之友社での試聴では、低域の鳴り方が拡散型の方向に向ってしまい集中してこない、とも指摘されている。
その理由は2枚のESLの角度の調整にあり、
できればESLの前面の空気を抱きかかえるような形にしたい、とも言われている。

山中先生としても、今回のESLのダブルスタックの音は、不満、改善の余地が多いものだった、と読める。

Date: 9月 12th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その18)

私が知るかぎり、瀬川先生がダブルスタックのESLの音について語られているのは、
音楽之友社からでていた「ステレオのすべて」の’81年版だけである。

この年の「ステレオのすべて」の特集は、
「音楽再生とオーディオ装置 誰もできなかったオーケストラ再生」であり、
瀬川冬樹、山中敬三、両氏を中心に読者の方が3人、それにリポーターとして貝山知弘氏によるもの。

ここでも組合せがつくられている。
瀬川先生による組合せが3つ、山中先生による組合せが2つ、
そして読者の方による組合せがそれぞれつくられ、
それぞれの音について討論がすすめられている、という企画である。

ここで山中先生の組合せに、ダブルスタックのESLが登場している。
アンプはコントロールアンプにマークレビンソンのML7L、パワーアンプにスレッショルドのSTASIS2。
アナログプレーヤーは、トーレンスのTD126MKIIIC、となっている。

ESL用のスタンドは、ステレオサウンドでの試聴のものとは異り、
マークレビンソンのHQDシステムで使われているスタンドと近い形に仕上がっている。
ただしHQDシステムのものよりも背は多少低くなっているけれど、
ステレオサウンドのスタンドと較べると、下側のESLと床の間に空間がある分だけ背は高い。

2枚のESLの角度は、
ステレオサウンドでの試聴では、下側のESLのカーヴと上側のESLのカーヴが連続するようになっているため、
横から見ると、とくに上側のESLが弓なりに後ろにそっている感じになっている。
音楽之友社(ステレオのすべて)の試聴では、
2枚のESLができるだけ垂直になるように配置されている(ように写真では見える)。

実験はしたことないものの、2枚のESLをどう配置するか、
その調整によってダブルスタックのESLの音が想像以上に変化するであろうことは予測できる。

だから同じダブルスタックといっても、ステレオサウンドでのモノと音楽之友社のモノとでは、
かなり違うといえばたしかにそうであろうし、
それでも同じダブルスタックのESLであることに違いはない、ともいえる。

Date: 9月 12th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その17)

瀬川先生は、ステレオサウンド 43号「ベストバイ」の記事中にこう書かれている。
     *
いまところは置き場所がないから考えないが、もし製造中止になるというような噂をチラとでも耳にしたら、すぐにでもひと組購入するぞ、と宣言してある。部屋や置き方や組み合わせなど条件を整えて聴くときのQUAD・ESLのみずみずしい音質は実にチャーミングだ。最適位置にぴたりと坐ったが最後、眼前に展開する一種独特のクリアーな音像の魅力から抜け出すことが難しくなる。このデザインの似合う部屋が欲しい!
     *
そして、購入されている。
ステレオサウンドだけを読んでいては気がつかないが、当時の別冊FM fanの記事中、
瀬川先生の世田谷・砧のリスニングルームの写真に、ESLが置かれているのが写っている。
ESLは、瀬川先生のお気に入りのスピーカーシステムのひとつであったはずだ。

山中先生は、「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、次のように語られている。
     *
シングルで使っても、このスピーカーには、音のつながりのよさ、バランスのよさといった魅力があって、そうえにオーケストラ演奏を聴けるだけの迫力さえでれば、現在の数多いスピーカーシステムの中でもとびぬけた存在になると思うんですよ。そこでこれをダブルで使うと、とくに低域の音圧が比較にならないほど上昇しますし、音の全体の厚みというか、レスポンス的にも、さらに濃密な音になる。むしろ高域なんかは、レスポンス的には少し下がり気味のような感じに聴こえます。いずれにしても、2倍といようりも4倍ぐらいになった感じまで音圧が上げられる。そういった魅力が生じるわけで、そこをかってESLのダブル使用という方式を選びました。
     *
しかも、この数ページ後に、こんなことも言われている。
     *
このスピーカーはごらんのようにパネルみたいな形で、ひじょうに薄いので、壁にぴったりつけて使いたくなるんですけれど、反対に、いま置いてあるように、壁からできるだけ離す必要があります。少なくとも1・5メートルぐらい、理想をいえば部屋の三分の一ぐらいのところまでってきてほしいと、QUADでは説明しているのです。ただ、ダブル方式で使った場合には、それほど離さなくてよさそうです。そのことも、ダブルにして使うことのメリットといえるでしょう。
     *
ここまで読んできて、ダブルスタックのESLへの期待はいやがおうでも高まり、
瀬川先生の発言を期待してページをめくっていた……。

Date: 9月 12th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その16)

「コンポーネントステレオの世界 ’78」を読んでいた14歳の私が強い関心をよせていたスピーカーシステムは、
JBLの4343だったり、ロジャースのLS3/5Aだったり、キャバスのブリガンタンであったり、
そしてQUADのESLだった。
他にもいくつかあるけれど、ここでは直接関係してこないので省かせていただく。

当時なんとなく考えていたのは、4343をしっとり鳴らすのと、
ESLから余裕のある音を鳴らすのはどちらが大変か、であって、
ESLにはダブルスタックという手法があることを知り、
ESLの秘めた可能性についてあれこれ思っていた時期でもあるから、
よけいにダブルスタックのESLの音を、どう瀬川先生が評価されているのかが、とにかく知りたかった。

たとえばほかのスピーカーシステムであれば、オーディオ店でいつか聴くことができるだろう。
それが決していい調子で鳴っていなかったとしても、ほんとうに出合うべくして出合うスピーカーシステムであれば、
多少うまく鳴っていないところがあったとしても、そこからなんらかの魅力を感じとることができるはず。
だから聴く機会に積極的でありたい、と思っていたけれど、
ダブルスタックのESLは、それそのものがメーカーの既製のスピーカーシステムではないため、
そのオーディオ店が独自にスタンドを工夫・製作しないことには、聴くことが無理、ということがわかっていたため、
だからこそ瀬川先生がどう、その音を表現されるのかが、読みたくてたまらなかった。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」は、数少ないその機会を与えてくれるはずだったのに……。
山中先生のダブルスタックのESLの記事は12ページある。
けれど、また書くけれど、そこには瀬川先生の発言はなかった。

いまなら、なぜないのかは理解できる。
けれど、当時14歳の私には、ないことは、とにかく不思議なこと、でしかなかった。

Date: 9月 11th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その15)

「コンポーネントステレオの世界 ’78」でつくられた井上先生の組合せは、
それで鳴らされる音楽も、その音量も、その音自体も、
瀬川先生が好んで聴かれている音楽、音量、音質とは大きく違ったものである。

けれど、というべきか、ここには瀬川先生の印象が語られている。
     *
お二人といっしょに聴いていて、この装置に関しては、アドバイザーとかオブザーバーなんていう立場は、いっさいご辞退申し上げたいわけでして(笑い)、これはまことに恐るべき装置ですよ(笑い)。千葉さん(読者の方)のお手紙に対して、こういう回答をだされた井上さんという人は、ものすごいことをなさる人だと、あらためて敬服かつたまげているわけ(笑い)。
ぼくは楽器をなにひとついじらないし、いまここで鳴らされた音楽も、ふだん自宅で楽しんで聴いている音楽とは違うものですから、どのくらいの音量がふさわしいのかちょっと分かりかねるところがあるんだけれど、それにしても、いま聴いた音量というのは、正直いって、ぼくの理解とか判断力の範囲を超えたものなんですね。ただ誤解のないようにいっておくと、それだからといって箸にも棒にもかからないというような、否定的な意味ではありません。ことばどおり、理解とか判断力の範囲を超えたところのものだ、ということなんです。しかし、いま聴いた音というのは、自分の知らない、ひじょうに面白い世界をのぞかせてくれたことも、またたしかです。ただ重ねていいますけれど、こういう音はぼくは好まないし、ぼく自身は絶対にやりませんね。ある意味では拒否したい音だといっていいかもしれません。
ほくは、自分の現在の条件もあるでしょうが、性格的にもあまり大音量で聴くのは好きではありません。どちらかというと、小さめで、ひっそりと聴くほうを好みます。しかし、いま聴いていて、この装置が出した、むしろ井上さんがお出しになったというべきかもしれませんがともかくここで鳴ったすさまじい音は、けっして不愉快ではない。一種の快感さえ感じたほどです。井上さんはよく、音のエネルギー感ということをいわれますが、それが具体的に出てきた、エネルギー感の魅力が十分に感じられたわけで、ぼく自身ただただ聴きほれていたわけですよ。
     *
この井上先生の組合せよりも、山中先生のESLのダブルスタックの組合せがめざした「世界」が、
瀬川先生がふだん接していられた世界と共通するものは多い。
にもかかわらず、ESLダブルスタックの音に関しては、なにもひとつ活字にはなっていない。

Date: 9月 11th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その14)

「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、他の組合せとは毛色の異る、
異様な(こういいたくなる)組合せがひとつあった。
井上先生が、アマチュア・バンドで楽器を演奏して楽しんでいる読者が、
「楽器の音がもうひとつ実感として感じられない」不満に対してつくられた組合せである。

スピーカーは、JBLの楽器用の18インチ・ウーファーK151をダブルで使い、
その上に2440にラジアルホーンの2355、
トゥイーターは075のプロ用ヴァージョンの2402を片チャンネル4つ、シリーズ・パラレル接続する、というもの。
これだけのシステムなので、当然バイアンプ駆動となり、パワーアンプはマッキントッシュのMC2300を2台、
エレクトロニック・クロスオーバーはJBLの5234、コントロールアンプはプロ用のクワドエイトLM6200R、
アナログプレーヤーはマカラのmodel4824にスタントンのカートリッジ881S、というもの。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」ではこの組合せのカラー写真が見開きで載っている。
もちろんほかの組合せもカラーで見開きだが、そこから伝わってくる迫力は、ほかの組合せにはない。
K151をおさめた、かなり大容量のエンクロージュアが傷だらけということ、
それにアンプもアナログプレーヤーの武骨さを覆い隠そうとはしていないモノばかりであって、
これに対してコストを抑えたもうひとつの組合せ──
こちらもJBLの楽器用のウーファーK140をフロントロードホーンの4560におさめ、2420ドライバー+2345ホーン、
アンプはマランツのプリメイン1250、アナログプレーヤーはビクターのターンテーブルTT101を中心としたもの──、
これだって、他の評論家の方々の組合せからすると武骨な雰囲気をもってはいるというものの、
比較すれば上品な感じすら感じてしまうほど、井上先生が価格を無視してつくられた組合せの迫力は、凄い!

この組合せで、ピンク・フロイドの「アニマルズ」、「狂気」、ジェフ・ベックの「ライブ・ワイアー」、
テリエ・リビダルの「アフター・ザ・レイン」、
ラロ・シフリンの「タワーリング・トッカータ」、それに「座鬼太鼓座」などを鳴らされている。

Date: 9月 11th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その13)

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、
前年の「コンポーネントステレオの世界 ’77」では読者と評論家の対話によって組合せがつくられていったのに対し、
最初から組合せがまとめられていて、それを読者(愛好家)の方が聴いて、というふうに変っている。
そして、組合せはひとつだけではなく、もうひとつ、価格を抑えた組合せもある。

山中先生による「ひと昔まえのドイツ系の演奏・録音盤を十全なかたちで再生」するシステムは、
QUAD・ESLのダブルスタック(アンプはマークレビンソンのLNP2とQUADの405)のほかに、
スペンドールのBCIIを、スペンドールのプリメインアンプD40で鳴らす組合せをつくられている。

このBCIIの組合せの音については、つぎのように語られている。
     *
ぼくもBCIIとD40という組合せをはじめて聴いたときには、ほんとうにびっくりしました。最近のぼくらのアンプの常識、つまりひじょうにこった電源回路やコンストラクション、そしてハイパワーといったものからみると、このアンプはパワーも40W+40Wと小さいし、機構もシンプルなんだけれど、これだけの音を鳴らす。不思議なくらい、いい音なんですね。レコードのためのアンプとして、必要にして十分ということなんでしょう。ぼくもいま買おうと思っていますけれども、山中さんがじつにうまい組合せをお考えになったなと、たいへん気持よく聴かせていただきました。
     *
この山中先生の組合せの記事のなかで、瀬川先生の発言は、じつはこれだけである。
最初読んだときは、QUAD・ESLの音についての発言を読み落とした? と思い、ふたたび読んでみても、
瀬川先生の発言はこれだけだった。

当時(1977年暮)は、その理由がまったくわからなかった。

Date: 9月 10th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その12)

瀬川先生は、QUAD・ESLのダブルスタックに対して、どういう印象を持たれていたのか。

ステレオサウンド 38号で岡先生がQUAD・ESLのダブルスタックの実験をされている。
「ベストサウンドを求めて」という記事の中でダブルスタックを実現するために使用されたスタンドは、
ESL本体の両脇についている木枠(3本のビスでとめられている)を外し、
かわりにダブルスタックが可能な大型の木枠に交換する、というものだ。

このダブルスタック用のスタンドは、
1977年暮にステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」でも使われている。

「ひと昔まえのドイツ系の演奏・録音盤を十全なかたちで再生したい」という読者の方からの要望に応えるかたちで、
山中先生が提案されたのが、QUAD・ESLのダブルスタックだった。
ここでダブルスタック実現のため使われたのが、38号で岡先生が使われたスタンドそのものである。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、
井上卓也、上杉佳郎、岡俊雄、菅野沖彦、瀬川冬樹、山中敬三、六氏が組合せをつくられているが、
この組合せの試聴すべてに瀬川先生がオブザーバーとして参加されている。
つまり山中先生がつくられたESLのダブルスタックの音を瀬川先生は聴かれているわけだし、
その音の印象がどうなのか、「コンポーネントステレオの世界 ’78」の中で、
もっとも関心をもって読んだ記事のひとつが、山中先生のESLのダブルスタックだった。

ところが、何度読み返しても、ESLのダブルスタックの音の印象についてはまったく語られていない。

Date: 9月 9th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その11)

HQDシステムが、非常に高い可能性をもつシステムであることは理解はできる書き方だった。
結局、瀬川先生も書かれているように、そのとき鳴っていたHQDシステムの音は、
マーク・レヴィンソンが完全に満足すべき状態では鳴っていなかったこと、
それでもマーク・レヴィンソンが意図して音であること、
そして瀬川先生だったら、もう少しハメを外す方向で豊かさを強調して鳴らされるであろうこと、
これらのことはわかった。

このときは、瀬川先生が背の高いスピーカーシステムを好まれない、ということを知らなかった。
最初に読んだときも気にはなっていたが、それほと気にとめなかったけれど、たしかに書いてある。
     *
左右のスピーカーの配置(ひろげかたや角度)とそれに対する試聴位置は、あらかじめマークによって細心に調整されていたが、しかしギターの音源が、椅子に腰かけた耳の高さよりももう少し高いところに呈示される。ギタリストがリスナーよりも高いステージ上で弾いているような印象だ。これは、二台のQUADがかなり高い位置に支持されていることによるものだろう。むしろ聴き手が立ち上がってしまう方が、演奏者と聴き手が同じ平面にいる感じになる。
     *
HQDシステムの中核はQUADのESLをダブルスタック(上下二段重ね)したもので、
この2台(というよりも2枚)のESLは専用のスタンドに固定され、
しかも下側のESLと床との間にはけっこうなスペースがある。
HQDシステムの寸法は知らないが、どうみても高さは2mではきかない。2.5m程度はある。
瀬川先生が「横倒しにしちゃいたい」パトリシアン600よりも、さらに背が高い。

これは瀬川先生にとって、どんな感じだったのだろうか。
HQDシステムの背の高さはあらかじめ予測できたものではあっても、
それでも予測していた高さと、実際に目にした高さは、また違うものだ。

HQDシステムの試聴場所はホテルの宴会場であり、天井高は十分ある状態でも、
背の高すぎるスピーカーシステムである。
これが一般的なリスニングルームにおさまったら(というよりもおさまる部屋の方が少ないのではないだろうか)、
見た目の圧迫感はもっともっと増す。それは実物を目の当りにしていると容易に想像できることだ。

瀬川先生がHQDシステムの実物を見て、どう思われたのかは、その印象については直接書かれていない。
それでもいい印象を持たれてなかったことだけは確かだろう。

Date: 9月 9th, 2011
Cate: BBCモニター, LS3/5A, 瀬川冬樹

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その10)

すこし横道にそれてしまうけれど、
ステレオサウンド 46号に「マーク・レビンソンHQDシステムを聴いて」という、
瀬川先生の文章が2ページ見開きで載っている。

当時、ステレオサウンドの巻末に近いところで、このページを見つけたときは嬉しかった。
マークレビンソンのHQDシステムの試聴記が、ほかの誰でもなく瀬川先生の文章で読めるからだ。

マークレビンソンのHQDシステムについて知っている人でも、実物を見たことがある人は少ない、と思う。
さらに音を聴いたことのある人はさらに少ないはず。

私も実物は何度か見たことがある。
秋葉原のサトームセンの本店に展示してあったからだ。
いまのサトームセンからは想像できないだろうが、当時はオーディオに力を入れていて、
HQDシステムがあったくらいである。
サトームセン本店以外では見たことがない。

ただ残念なことに音が鳴っていたことはなかった。
「聴かせてほしい」といえるずうずうしさもなかった。

ステレオサウンド 46号の記事は、サトームセンで見る3年ほど前のこと。
そのときは実物をみることすらないのではないか、と思っていたときだった。

わくわくしながら読みはじめた。
ところが、読みながら、そして読み終って、なんだかすこし肩透しをくらったような気がした。
だから、もういちどていねいに読みなおしてみた。

でも、私が勝手に期待していたわくわく感は得られなかった。