Archive for category きく

Date: 7月 9th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(余談・その1)

カセットテープをテーマとした今回のaudio wednesdayでの音、
そして、それについて書いていると、
カセットテープ再生にどこか冷淡なところのある私でも、
カセットデッキが一台、欲しいなぁ、という気持になってくる。

現行製品のカセットデッキとなると、ティアックぐらいしかないのか。
悪い製品ではないと思うのだが、
全盛時代のカセットデッキを見てきた目には、どうしてもものたりなさがつきまとう。

価格帯も違うのだから、しかたないことだとわかっていても、
これならば中古のカセットデッキから選ぼうかな、と思うわけだが、
実際にヤフオク!で、カセットデッキの出品をながめてみると、
予想できていたこととはいえ、厳しい状況ではある。

ジャンクとして出品されているモノが少なくない。
ジャンクとことわっていながらも、スタート価格が意外にも強気なモノもある。

そうでない出品も多いが、
動作品と書かれていても、いったいどの程度の動作品なのかまだははっきりしない。
完動品といえるモノはどれだけあるのだろうか。

落札して現品が手元に届いてからでないと、はっきりしたことはわからない。
それに出品者のところでは動作していても、
輸送途中でダメになってしまうことだって十分考えられる。
丁半ばくちにちかいといえば、そうかもしれない。

メーカーに修理に出せればいいが、
ほぼすべてのカセットデッキは、メーカーも修理を受け付けてくれないだろう。
中古のカセットデッキを、この時代に買うというのは、そういうことなのだろう。

それでも、一台、欲しい、という気持は消えない。
新品同様と思えるコンディションのカセットデッキを、
高い値段で落札しようとはまったく思っていない。

当時中級クラスだったカセットデッキで、
とりあえず動作していて、こんな値段で落札できるの? と思えるくらいでいい。

自分で録音して何かを聴くためのモノではない。
いまのところ六本あるグラシェラ・スサーナのミュージックテープを、
思い出した時に聴きたいだけなのだから。

Date: 7月 7th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(菅野沖彦氏のこと)

ステレオサウンドでの試聴のあいまに、菅野先生が話されたことを思い出している。

それがいつなのか正確には話されなかったが、
音というものがよくわからなくなった時期が、菅野先生にもあった、とのこと。

その時、菅野先生はラジカセを買いに行かれたそうである。
さすがにオーディオ店、電器店だと、
オーディオ評論家がラジカセを買いに来た──、
そんなウワサが流れることもあろうから、わざわざデパートで購入された、とのこと。

ラジカセで音楽を聴かれたはずだ。
どんなふうに聴かれたのか、
そこで何を感じられたのか、何を学ばれたのか、
いまになって強く知りたい。

あの時、きちんときいておけばよかった、と後悔している。

Date: 7月 7th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(その7)

この項の(その4)に、
audio wednesday常連のHさん(愛知のHさんと違う)から、facebookにコメントがあった。

グッドマンのAXIOM 150でのモノーラル再生は、
これまで経験のない音楽表現を聴くことができた、とあった。

これだけ、当日の音を聴いていない人の中には、
ノスタルジーに浸った音は思う人もいよう。

でもHさんは、決してノスタルジアといったことではなく、
一つの音楽表現(ピリオド奏法と同じようなもの?)としての経験、とされていた。

ピリオド奏法と同じ、とはいえないにしても、
確かにHさんがいわれるように、
ピリオド奏法と同じようなもの? と感じるのにつながっていく性質の音とはいえる。

ステレオ録音をモノーラルで聴いているわけだから、
録音されている情報量すべてが再生されている──、
そういう感じの音からは遠い鳴り方である。

しかも今回は歌ばかりを聴いていた。
聴く音楽がかわれば、印象もまた違ってこようが、
どの歌も、ここでの表現を逸脱するような表現を求めてくるわけではなかった。

そのこともHさんの印象に、いい方向に働いていたのかもしれない。

それでも(その5)の最後に書いた細工による音の変化は、
しなやかできっちりと表現してくれた。

それまではどこかナロウな感じがどこかしらつきまっていたが、
もうほとんど気にならなくなった。

この部分は、やっぱり、これだけの悪さをしていたのか──、
そのことを実感していた。

Date: 7月 7th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(その6)

カセットテープの音に、どこかふわふわしたところを感じ、
それが安定感のなさにつながっているように感じもする私は、
熱心にカセットテープの音に取り組んできたとはいえない。

メタルテープが出れば、関心をもった。
もったけれど、メタルテープ対応のカセットデッキを買うにはいたらなかった。

ナカミチが1000ZXL、さらに1000ZXL Limitedを出したときも、
すごいモノだなぁ、と思いながらも、そのおもいに憧れは含まれていなかった。

なので1000ZXLを持っている人をうらやましく思うことはなかったし、
1000ZXLを買えるだけの余裕があるのならば、
ルボックスかスチューダーのカセットデッキが欲しい、と思っていた。

カセットデッキの性能として、1000ZXL以上は求められないであろう。
1000ZXLの音をきいたことがないわけではない。
700ZXLの音も聴いているし、
そのころNHK-FMで放送されたシルヴィア・シャシュのライヴを録音したとき、
ステレオサウンド試聴室にあったケンウッドのL02Tと700ZXLを使った。

カセットテープでも、これだけの音で録れるのか、と感心もした。
それでも、その録音したテープを聴くのには、ソニーのウォークマンWM2だった。

カセットテープと私とのつきあいは、その程度だった。
夢中になることはなかった。

7月のaudio wednesdayのテーマをカセットテープにしてからも、
だからといって、準備になにかやっていたわけでもない。

そんな私でも、いざ、ひさしぶりにカセットテープでの音楽をまじめに聴いていると、
こういう聴き方を忘れていたような感覚があった。

Date: 7月 5th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(その5)

AXIOM 150を鳴らすアンプ、MA7900には、5バンドのトーンコントロールがついている。
ふだんアルテックのスピーカーを鳴らす際には、パスしている。
まったく使わないというわけでもないが、ほとんどは使わずに鳴らしている。

でも今回はついている機能は、使わなければもったいないという感覚で、
慎重にいじる帯域もあれば、
かなり大胆にいじった帯域もある。

とはいってもトーンコントロールをいじっていた時間は一分ほどである。
もっと時間をかけてこまかくやっていけば、もっといい感触が得られたかもしれないが、
わりといい感じにまとまってくれたと思う。

どの帯域をどの程度動かしたかについて書いたところで、
条件が変れば、何の参考にもならないから省かせていただく。

大事なことは、どういう音にしたいのかという心象をしっかりと持った上でいじる、ということ。
ここでの心象とは、鳴らす音楽に対する「想像と解釈」からなる。

このあたりで、スピーカーもカセットデッキも調子を取り戻しつつある感じの音になってきた。
もうみんな黙って聴いている。

60代が一人、50代も一人、ぎりぎり20代が二人、
四人が黙って聴いていた。

音も変ってきたこともあるし、
耳のピントが合ってきた(なれてきた)ということもあろう。

ここまで来て、ひとつだけ細工をした。
TC-K555ESXでは片手がすぐにやれることである。
元に戻すのも片手でできることである。

それでも、このちょっとした細工による音の変化は、みなびっくりしていた。
TC-K555ESXは簡単にできるが、ほかのメーカーのデッキ、
ソニーのデッキでも時期の違うモデルになると、そうはいかないかもしれない。

けれど、どこのデッキであっても、ここでやったことは応用できるし、
そこでの音の変化は、今回の音の変化と同じ傾向をもつはず。

Date: 7月 4th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(その4)

中学生だったころ、
ラジカセとの距離は近かった。
どのくらいかといえば、手を伸ばせばラジカセがそうさできるところに置いて鳴らしていた。
1mも離れていない。

そんな至近距離で聴いていた。
これは音量の問題というよりも、
少しでも多くの音を聴き取りたい──、
そう思っての、この距離の近さである。

音量をあげて、少し距離をとればいいじゃないか、といわれそうだが、
私が持っていたラジカセで、ほどよく鳴ってくれる音量と兼合いも関係してのことだ。

そのことを思いだしたから、
来られた方に、AXIOM 150の正面1mくらい床に直接坐ってもらって聴いてもらった。

AXIOM 150は中型くらいのフロアー型エンクロージュアにおさめられていて、
ユニットの位置(高さ)は、
ちょうど床に坐ったくらいが、耳の位置とユニットの位置とが合ってくる。

こうやって聴いていると、
中学時代のラジカセで聴いていたころの感覚がよみがえってくるような気さえする。

私が持っていたラジカセはフルレンジ一発だった。
トゥイーターはなかった。

喫茶茶会記の店主、福地さんにも、こうやって聴いてもらった。
喫茶茶会記の「店主日記」に、昨晩のことを書かれている。

Date: 7月 4th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(その3)

セッティングが終り、まずグラシェラ・スサーナを鳴らした。
グッドマンのAXIOM 150はしばらく鳴らしていなかったのだろう、
そんな感じのする音でもあった。

AXIOM 150は30cm口径のダブルコーンのフルレンジ型ユニット。
優に四十年以上前のスピーカーである。
五十年といってもいいだろう。

そういうスピーカーユニットなので、ワイドレンジなわけがない。
ほどよくナロウレンジの音が鳴ってくる。

カセットデッキのTC-K555ESXも、頻繁には使っていない、
つまり電源を入れていなかったのかもしれない。

とにかくしばらく鳴らし続けていた。
音は、それだけで変ってくる。

AXIOM 150でモノーラルで音を鳴らしながら、
アルテックのシステムのセッティングをしていた。

今回のテーマを思いついたときには、
ずっとAXIOM 150でモノーラルでだけ鳴らそうと考えていたけれど、
その後、喫茶茶会記の店主の福地さんが、
ソニーのラジカセ(ステレオの2ウェイ)を用意してくれた。

ならばアルテックも鳴らそうと考えを改めた。
とにかくそんなふうにして音を鳴らしていた。

ミュージックテープはステレオ録音である。
スピーカーは一本。
なのでアンプでモノーラルにして鳴らしている。

こういう鳴らし方だから、ヴォーカルのみ、といいたくなる鳴り方だ。
ヴォーカルの後方で、いろんな楽器が鳴っているけれど、
モノーラルゆえに際立つことはほとんどない。

聴いていて、そうだそうだ、ラジカセで、モノーラルで聴いたいたグラシェラ・スサーナは、
こうだった、と思い出していた。
同時に、あのころラジカセとは距離が、近かったことも思い出した。

Date: 7月 4th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(その2)

私が参加する側だったから、今回のaudio wednesdayにはさほど興味を抱かない。
いまさらカセットテープ? と思うだろうし、
カセットテープだけに音源を限定してしまうと、
同じ曲ばかり聴くことになる。

おまけに梅雨でもある。
来る人は少ないだろうな、と思っていた。
(実際少なかった)

だったらゆるーいセッティングもありかな、と考えたこともある。
セッティングするのは楽しいが、
終ってからセッティングのバラしていくのは、時には面倒だ、と感じることもある。

ゆるーいセッティングは、だから通常の喫茶茶会記のセッティングということである。
そうすれば片づけも楽になる。

でも、それはカセットテープだから……、と私自身が侮っているわけで、
おそらくaudio wednesdayでカセットテープを鳴らすのは今回が最初で最後だから、
やっぱりセッティングはきちんとしようと思い直していた。

いつもと同じセッティングをしていたら、愛知から来てくれている常連のHさんの顔が見えた。
カセットテープだし、Hさんはぎりぎり20代で、カセットテープ世代ではないから、
今回は来ないだろうな、と勝手に思い込んでいた。

なので「今日カセットテープだよ」といってしまった。
Hさんは三本のミュージックテープを競ってきてくれた。

ジョン・デンバー、サイモン&ガーファンクル、安全地帯の三本である。
これで九本。

それから常連のTさん(Hさんと同世代)は、
FMをエアチェックしたテープをもってきてくれた。

すべて歌ものである。

Date: 7月 4th, 2019
Cate: きく

カセットテープとラジカセ、その音と聴き方(その1)

昨晩のaudio wednesdayは、ラジカセ的音出しがテーマだった。
プログラムソースはカセットテープのみ。
CDは一度も鳴らさなかった。

きっかけは、先月のaudio wednesdayで、
喫茶茶会記に、グッドマンの AXIOM 150をおさめたスピーカーが一基戻っていたことだった。

そういえば、以前、
B&Wの小型スピーカーが鳴らされていたころにあった記憶がよみがえってきた。

一本だけである。
モノーラルでしか鳴らせない。

けれどラジカセ的な音出しならば、むしろ、このほうが面白い、と思った。
喫茶茶会記には、ソニーのTC-K555ESXがある。

カセットテープを、一度余興で鳴らそう、と考えていた。
結局、これまでは時間がなくて鳴らすことなく終っていた。

今回は趣向をかえて、
スピーカー一本による、カセットテープのモノーラル再生をやろう、と、
先月のaudio wednesdayが始まる前から決めていた。

けれど、どのくらいの人が関心を持ってくれるか。
それにかけるソースが、どのくらい集まるのか。

私が持っているのは、グラシェラ・スサーナのミュージックテープ六本だけ。
常連の人たちだって、CD、アナログディスクはもっていても、
カセットテープとなると、持っていない可能性が高い。

そんな予想をしていたから、最初はゆるーく鳴らすのもいいかな、と考えていた。

Date: 6月 4th, 2019
Cate: きく

トマティスメソッド

ステレオサウンド 211号で目を引いたのは299ページである。
ここに、アルフレッド・トマティスの名前があったからだ。

1990年ごろ、マガジンハウスが出版していた雑誌(休刊)に、
このトマティスメソッドのことが載っていた。

そこには各言語の周波数グラフがいくつか載っていた。
フランス語のそれもあった。

スピーカーのメーカーの国による音の違いがよく論じられていたころのフランスのスピーカー、
その特徴的な音色をあらわしているかのようなグラフのカーヴだった。

他にもドイツ語、英語、日本語があったように記憶している。
トマティスメソッドがある、ということもその時知った。

ずっと気にはなっていた。
耳のトレーニングには最適のように思えたからだ。

インターネットを使うようになって数年したころ、
トマティスメソッドで検索したことがある。

いまもトマティスメソッドはある。
前回もそうだったけれど、料金を見て行くのをやめた。

いまは無料体験コースもあるようだ。
行く価値はあるように、いまも思っている。

Date: 5月 2nd, 2019
Cate: きく

新製品を聴くことについて考えた(その1)

別項「第100回audio wednesdayのお知らせ(メリディアン 218を聴く)」で、
オーディオ店やオーディオショウで新製品を聴くことについて、少しだけ触れた。

わずかな例外はあるものの、
新製品を聴くどきどき、わくわくという感情が伴わない。

以前はそうではなかった。
まだ熊本に住んでいたころ、
瀬川先生がオーディオ店の招きで定期的に来られていたころ、
瀬川先生が鳴らされる新製品を聴くのは、ほんとうに楽しみで楽しかった。

新製品を聴くどきどき、わくわくという感情が常にあった。
ここでの新製品とは出たばかりのオーディオ機器だけでなく、
定番の製品であっても、当時の私にとって初めて聴くモノは新製品といえた。

ステレオサウンドの試聴室でも、新製品を聴いてきた。
これも楽しかった。
中には例外的な製品もなかったわけではないが、
新製品を聴くどきどき、わくわくという感情がきちんと持っていた。

それがいつのまにかなくなっていることに気づいた。
こちらが歳をとったからなのか、
出てくる新製品に原因があるのか、
どこに理由があるのだろうか……、と思う日がずっと続いていた。

2011年2月から、
喫茶茶会記でaudio wednesday(当時はaudio sharing例会だった)をやるようになった。
2016年から音を鳴らすようになった。
2018年9月、audio wednesdayで、新製品を鳴らすようになった。

そうやってやっと気づいた。
新製品を聴くということは、
私にとって新製品のプレゼンテーションであり、
それは自分の手で鳴らす、ということにつながる、と。

Date: 4月 9th, 2019
Cate: きく

似ていると思う感覚の相違(その2)

ヘルベルト・ブロムシュテット自伝 音楽こそわが天命」が、昨年秋に出た。

書店で、この本を見た時、
ティム・クック? と最初に思った。

ティム・クックはAppleのCEOであって、
そのティム・クックの写真が、音楽関係の書籍の表紙に使われることはないのはわかっていても、
ブロムシュテットの自伝の表紙の写真をみると、まずティム・クックを思い出す。

今日もそうだった。
ブロムシュテットの自伝をみて、やっぱりティム・クックだ、と思っていた。

このことを昨秋に書こうと思っていたけれど、書かずにいたのは、
ティム・クックとヘルベルト・ブロムシュテットが似ているということに、
誰かの同意が得られるとは思っていなかったのと、
なぜ似ていると、ブロムシュテットの自伝の写真を見る度に思うのか、
その理由が掴めずにいたからである。

今日ここで書いているからといって、似ている理由が掴めたわけではない。
私と同じに感じる人はどのくらいいるのだろうか。
それを知りたいわけではない。

ブロムシュテットとクックを、私と同じように似ていると感じる人は、
音の聴き方において、私に近いところがあるのか──、
そんなことを考えるようになったからである。

初めて聴くスピーカーがあったとしよう。
そのスピーカーの音を、誰かに伝える。
その誰かが親しい人で、音についてよく語り合っている人ならば、
そのスピーカーが、
例えば過去のスピーカーのどれかに似ているところがあると感じたのならば、
あのスピーカーに似ていて、ここがこんなふうに違う、といった伝え方ができる。

それでなんとなく伝わるところが、オーディオにはある。
でも、それはあくまでもなんとなくなのだろう。

Date: 3月 22nd, 2019
Cate: きく

ひとりで聴くという行為(その2)

映画「アリータ: バトル・エンジェル」を観終って、
友人のAさんにすぐにショートメールを送った。

IMAX 3Dで、ぜひ観てほしい、と。
Aさんも「アリータ: バトル・エンジェル」には興味を持つだろうと思って、だった。
Aさんからの返事は、ちょっと意外だった。

音楽ライヴ、落語、遊園地などは平気でも、
なぜか映画館は苦手というか苦痛に感じる、とのこと。

この返事を受けとったのは先月末。
いまになって、「ひとりで聴くという行為(その1)」をそのままにしていたことを思い出した。

これも続きを書こうと思っていたのに、
ついつい他のテーマを書き始めて忘れてしまっていた。

(その1)では、ある記事を紹介している。
映画のシーンによって、人は異なる化学物質を放出している:研究結果」という記事である。

タイトルが、かなり内容を伝えている。
この研究が事実なら、Aさんは人が放出する化学物質に対して、かなり過敏なのではないのだろうか。

おそらく落語や音楽でも、人はなんらかの化学物質を放出しているのだろうが、
落語で、たとえばきわめて残酷なシーンとか悲しいシーンとかはないだろう。
非現実的なシーンもないといえる。

ところが映画はそうではなかったりする。
一本の映画のなかに、さまざまなシーンがある。
一本の映画のシーンがかわるごとに、観客は異なる化学物質を放出する。

それに最新のCGを使った映画は、どこまでが現実に撮影したことなのか、
その判断がほとんどつかない、といえるレベルに達してる。

もうつくれないシーンはない、ともいえる。
そういう映画では、人が放出する化学物質も強くなるのだろうか。

人気のある映画、つまり大勢の観客がいる映画では、
放出される化学物質の量も増えるわけで、
そういった化学物質に過敏症の人がいるとしたら、
映画館での映画鑑賞は苦痛になるであろう。

Date: 11月 3rd, 2018
Cate: きく

音を聴くということ(グルジェフの言葉・その6)

正直ということは、ここで書いていることとも結びついてくる。
その1)で書いているグルジェフのことば、
その目覚めるとは、正直ということなのかもしれない。

ならば、私は目覚めている、という人もいようが、
ほんとうに正直だといえるのか。

知らず知らずのうちに、己を騙している──、
そうでないと言い切れるのか、と。

Date: 8月 11th, 2018
Cate: きく

音を聴くということ(グルジェフの言葉・その5)

いま一冊の本(マンガ)を借りている。
北北西に曇と往け」というマンガである。

北アイルランドを舞台としている。
第一巻の最後のほうに、主人公・御山慧にリリヤという音楽をやっている女性が話しかける。

 あの子が話すと
 汚れた音がして
 気持悪い

 日本語だから何 話してるかわからないけど
 嘘ついている

 聞かないほうがいい

そういうセリフがある。
嘘を言っている日本語は、意味はわからなくとも気持が悪い。

あからさまな嘘ならば、すぐに見抜けることがある。
けれどわかっているつもりで、結果として嘘をいってしまう人がいる。
わかったつもりなのだから、嘘を言っている本人にしてみれば、嘘ではない。

わかったつもりは思い込みや刷り込みによるものだったりする。

いろんな嘘がある。
すぐには見抜けない嘘もある。

けれど嘘は常に汚れた音なのかもしれない。
怒りもなければ、愛もないのが嘘なのか。