ひとりで聴くという行為(その1)
コンサート会場にいけば、まわりに大勢の人がいる。
人気のある演奏家によるコンサートであれば空席はないが、
知名度のあまりない演奏家の場合だと、空席の方が多いことだってある。
私も一度だけ、そういうコンサートに行ったことがある。
両隣の席、前、後の席にも誰もいなかった。
観客の入りは五割を切っていたのかもしれない。
あまり人のいないコンサートは、どこか奇妙な感じすらする。
満員になるコンサートの場合、そのホールに入った瞬間に、
先に入っている観客のざわめきに包まれる。
がらがらのコンサートではそれがなかった。
演奏が始まる前の、こういったバイアスのかかりかたが、
こちらの聴き方になんら影響を与えないとは考えていない。
バイアスの影響から人は完全に逃れることはできないはずだから、
仮にまったく同じ演奏が舞台上でなされたとしても、
満員のコンサートとがらがらのコンサートでは、感じ方も違ってくるはず。
ここまでは昔から思っていたことであり、
そう思っている人もけっこういるであろう。
先日、ある記事を読んだ。
タイトルは「映画のシーンによって、人は異なる化学物質を放出している:研究結果」とついていた。
これから研究は進んでいくのだろうが、
映画のシーン(内容)によって人は異る化学物質を放出している、ということは、
ひとりで音楽を聴く(映画を観る)のと、
大勢で音楽を聴く(映画を観る)のとでは、感じ方が違ってくることになる。
異なる化学物質が放出されているということは、
放出された化学物質を吸っているということでもある。
体の中に取り込んだ化学物質の影響が聴く・観るに影響を与えないわけがない。