Archive for category 日本のオーディオ

Date: 7月 27th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

S氏とタンノイと日本人(その9)

スーパー・レッド・モニターは、
ステレオサウンド 54号「いまいちばんいいスピーカーを選ぶ・最新の45機種テスト」に登場している。

瀬川先生の試聴記だ。
     *
 タンノイであれば、何よりも弦が美しく鳴ってくれなくては困る。そういう期待は、誰もが持つ。しかしなかなか気難しく、ヴァイオリンのキイキイ鳴く感じがうまくおさえにくい。もともと、エージングをていねいにしないとうまく鳴りにくいのがタンノイだから、たかだか試聴に与えられた時間の枠の中では無理は承知にしても、何かゾクッと身ぶるいするような音の片鱗でも聴きとりたいと、欲を出した。三つ並んだ中央のツマミはそのままにして、両わきを一段ずつ絞るのがまた妥当かと思った。しかし、何となくまだ音がチグハグで、弦と胴の響きとがもっと自然にブレンドしてくれないかと思う。エンクロージュア自体の音の質が、ユニットの鳴り方とうまく溶け合ってくれないようだ。もっと時間をかけて鳴らし込んだものを聴いてみないと、本当の評価は下せないと思った。ただ、総体的にさすがに素性のいい音がする。あとは惚れ込みかた、可愛がりかた次第なのかもしれない。
     *
なんだろう、微妙な評価だなぁ……、とまず感じた。
タンノイのスピーカーは、44号、45号の総テストにも登場している。
その時の試聴記とは、何か違う、とも感じていた。

54号にはクラシック・モニターは登場していない。
スーパー・レッド・モニターの、ステレオサウンドでの評価は高かった。

53号での、ステート・オブ・ジ・アート賞にも選ばれている。
55号のベストバイでも高い得票だった。
59号のベストバイでもそうだった。

読者の選ぶベストバイ・コンポーネントでも、55号、59号で4位である。
注目度は高かった。
私もけっこう注目していたからこそ、59号のベストバイを結果をみて、
54号での微妙な感じは、やっぱりそうだったのか、に変っていった。

59号でもスーパー・レッド・モニターの評価は高い。
ペアで60〜120万円未満のベストバイ・スピーカーで、
JBLの4333Bの18点に次ぐ14点で、2位に位置している。

それでも瀬川先生は、というと、SRMシリーズのタンノイだけでなく、
アーデンII、バークレーIIにも、一点も入れられていない。

51号と55号のベストバイは、
誰がどの機種に点を入れたのかはまったくわからないようになっていた。
瀬川先生がスーパー・レッド・モニターに点を入れられていたのかは、はっきりしない。
けれど、入れられていなかったはずだ。

Date: 7月 27th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

S氏とタンノイと日本人(その8)

アーデンがW66.0×H99.0×D37.0cmに対し、
スーパー・レッド・モニターとクラシック・モニターはW72.2×H109.5×D43.6cmとなっている。

重量はアーデンが43.0kg、スーパー・レッド・モニターらは65.0kgとかなり重くなっている。
スーパー・レッド・モニターは聴いている。
けれどエンクロージュアを叩いて見たことはない。
それでも、この重量からも、そしてオーディオ雑誌の記事でも、
アーデンよりもエンクロージュアがしっかりとしたつくりになっている、とのことだった。

スーパー・レッド・モニターとクラシック・モニターから少し遅れて、
SRM 15Xも発売になっている。
型番のSRMは、Super Red Monitorから来ている。

このSRM 15Xの外形寸法は、W65.0×H102.0×D42.0cmとアーデンと近い。
重量は51.0kgとアーデンよりも8kg重くなっている。

SRM 15Xはバスレフボートの数は三つ、スーパー・レッド・モニターらは四つ。
このことからもSRM 15Xはアーデンのエンクロージュアをよりしっかりとしたつくりにしたモノといえる。

だからといって、アーデン(正確にはこの時期にはアーデンIIである)との違いは、
エンクロージュアだけではなく、ユニットも違っている。

SRMの名が示すように、タンノイがスーパー・レッド・モニターと呼ぶK3808が搭載されている。
アルニコ磁石時代のタンノイの同軸型ユニットは、口径の違いだけだったが、
フェライト磁石の同軸型ユニットは、口径が同じでもいくつかのユニットがあった。

38cm口径ではK3808のほかに、クラシック・モニター搭載のK3838、
それからSRM 15X、アーデンII、バークレーII搭載の3828があった。

単売されていたユニットはK3808とDC386で、K3838は単売されなかった。
DC386が、HPD385Aの後継機(フェライト仕様)にあたるわけだが、
このユニットと3828が同じなのか、違うとすればどの程度なのかははっきりとしない。

アーデンIIとバークレーIIの初期の頃はDC386が搭載されていたはずだ。

この時代のタンノイのラインナップから、チェビオット、デボン、イートンは消え、
SRM 10B、SRM 12B、SRM 12Xがかわりに登場した。

さらにはSuper Red Cable 1というスピーカーケーブルも出ていたし、
さらに輸入元のティアックは、タンノイ用を謳ったセパレートアンプPA7とMA7が、
タンノイからはエレクトリッククロスオーバーのXO5000も登場した。

スーパー・レッド・モニターとクラシック・モニターには、
バイアンプ駆動用の端子も用意されていた。

この時代のタンノイは、じっくり聴いてみたかったけれど、それはかなわなかった。
タンノイをXO5000でバイアンプ駆動した音も、ひじょうに興味があった。
いつかステレオサウンドで記事になるはず、と期待していた。
けれど読める日はこなかった。

Date: 7月 26th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

S氏とタンノイと日本人(その7)

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のタンノイ号に、
タンノイのリビングストンと瀬川先生の、こんなやりとりが載っている。
     *
瀬川 実はウインザーとバッキンガムについては、申しわけないのですが、われわれ少し認識不足だったんです。というのは、1年前に発表されたにもかかわらず、品物がほとんどなくて、テスト用のサンプルを借り出すことも不可能だったものですから、われわれとしても勉強不足の点が多々あります。
リビングストン タンノイとしても、まさにバッキンガムがロールスロイス、ウインザーがジャガーのつもりなんです。イギリスでもロールスロイスは18ヵ月、ジャガーは9ヵ月待たなければいけないという状態です(笑)。タンノイとしても、その点は申しわけないと思っております。
     *
積層構造のリジッドなつくりのエンクロージュアの製造がたいへんだったのだろう。
リビングストンによれば、バッキンガムとウインザーは、
イギリスではスタジオモニターとして、カナダではカナダ放送局が採用。

タンノイとしては、当初世界市場で売れても月12台くらいという予測だったそうだ。
それが実際には月40台くらいのペースで注文がくるため、
バックオーダーがたまっていく、ということだった。

以前、「ワイドレンジ考」でキングダムについてふれたさいに指摘しているように、
このバッキンガムの設計思想をより徹底したところでの、1996年に登場したKingdomである。
ことわっておくが、現行製品のKingdom Royalのことではない。

そんな存在であったバッキンガムは、51号の読者の選ぶベストバイで、
わずか9票(0.3%)で37位でしかない。
51号では、アーデンは3位、オートグラフは5位に入っている。

バッキンガムはスピーカーの総テストにも登場していない。
ステレオサウンドでも、取り上げられることはゼロだったわけではないが、
タンノイのフラッグシップモデルにしては極端に少なかった。

聴く機会がなかっただけに、バッキンガムの評価が気になっていたのだが、
1979年ごろには製造中止になって、横型のモデルだけになってしまったし、
さらにSuper Red Monitor、Classic Monitorというモデルが登場した。
どちらも465,000円(一本)。アーデンの約二倍の価格での登場である。

Date: 7月 26th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

S氏とタンノイと日本人(その6)

バッキンガム、ウインザーといっても、
タンノイにそんなスピーカー、あったっけ? という人は多いかもしれない。

私はすごく注目していたけれど、
だからといって音を聴いているわけではない。
実物をみたこともない。中古でもみたことはない。

バッキンガムは25cm口径の同軸型ユニットに、
30cm口径のウーファーを二発加えた、かなり大型の3ウェイモデルである。

最初、三つのユニットは縦一列に並んでいた。
その後、ウーファー二発が横に並べられたモデルも登場してきた。
縦型と横型のバッキンガムがあったわけだが、そのどちらもみたことはない。

バッキンガムのことは別項で以前ふれている。
ある意味ハーマン時代だからといえるところも見受けられる。
同軸型ユニットに、スラントプレートの音響レンズが設けられているところがそうだ。

それから、バッキンガムが登場した時点では、まだタンノイはアルニコ磁石が主流だった。
HPDシリーズが現行ユニットだった。

なのにバッキンガム、ウィンザーはフェライト磁石を採用しているだけでなく、
25cm口径の同軸型ユニットでは、フェライト磁石を低域・高域で独立している。

デュアルコンセントリックと呼ばれているタンノイの同軸型ユニットは、
アルテックの同軸型(デュプレックス)とは違い、磁石を一つにしていることのメリットを、
謳っていたにも、関らずである。

それは置くとして、バッキンガムは物量投入のスピーカーシステムだった。
たとえばLCネットワーク。
バッキンガムでは、大小七つの空芯コイルが使われている。

6mH、4mH(2つ)、2mH、0.8mH(2つ)、0.7mHという内訳だ。
バッキンガムの同軸型ユニットとウーファーのクロスオーバー周波数は350Hzだから、
コイルの値は大きなものとなる。

通常ならば鉄芯入りコイルである。
JBLの4343も鉄芯入りである。

それからエンクロージュア積層構造で、
それまでのタンノイのイメージからは想像できないほどにリジッドなつくりとなっている。

アーデンが43.0kgなのに対し、バッキンガムは95kgである。
4343が79kg、4350が110kgである。

アーデンとバッキンガムの外形寸法を比較してみると、
W66.0×H99.0×D37.0cm(アーデン)とW60.0×H117.5×D45.4cm(バッキンガム)。
このことからも、エンクロージュアのつくりが、アーデンとバッキンガムはそうとうに、
というよりも、根本的に設計思想が違っている。

Date: 7月 26th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

S氏とタンノイと日本人(その5)

1970年代後半、JBL(proを含めて)のラインナップは充実していた。
タンノイはどうだろうか。

オートグラフ、GRFのエンクロージュアは国産になり販売は続いていたとはいえ、
どちらも設計は古い。

オートグラフは1953年のニューヨークのオーディオショウに出品されているし、
GRFは1955年に発表されている。
どちらもモノーラル時代のスピーカーシステムである。

なので当時のタンノイの主力モデルといえば、
現在Legacyシリーズとして復活しているアーデンを筆頭とする一連のモデルだった。

アーデンは220,000円(一本)だった。
1978年ごろには円高で200,000円になっていた。

同時期の4343は739,000円、その後、560,000円(どちらもグレイ仕上げ)。
タンノイのアーデンは、安価だった。

日本では4343の人気、それも異常といえるほどの人気が語られることは多いが、
アーデンもよく売れていたスピーカーだった。

タンノイ、アーデンの話になると、
昔鳴らしていた、とか、父が鳴らしていた、という話を数人の人から聞いている。

私の周りの話だけでいえば、4343よりもアーデンを鳴らしていた人の方が多い。
価格が大きく違うのだから、それも当然なのだろうが、
ステレオサウンドのベストバイでの読者が鳴らしているスピーカーの順位では、
アーデンは4343を超えたことはない。

59号での集計では、4343を使っている人は355人、アーデンは101人と、
差は、かなり大きくなっている。

私がオーディオに興味をもったころには、
タンノイのラインナップからはランカスター、ヨーク、IIILZは消えていた。

アーデンは良心的なモデルといっていいだろう。
それでもオーディオに興味をもち始めたばかりの私とって、
アーデンは憧れの存在とはならなかった。

とはいえオートグラフもオリジナルのエンクロージュアではなくなっていたから、
憧れではなかった。

そこのところで、なんとなくタンノイにもの足りなさに近いものをおぼえていた。
だからバッキンガムへは、その反動みたいなものからか、
強い関心をもっていた。

Date: 7月 24th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

S氏とタンノイと日本人(その4)

ステレオサウンドのベストバイの企画は、35号が一回目で、二回目は43号である。
43号からは、読者の選ぶベストバイ・コンポーネントも始まっている。

43号ではタイトル通りの内容(集計)だったが、
三回目の47号からは、読者の現在使用中の装置の集計も載っている。

47号は1978年の夏号。
この時のステレオサウンド読者が鳴らしているスピーカーの一位は、
ヤマハのNS1000(M)である。
二位はヤマハのNS690(II)、三位はタンノイのレクタンギュラーヨーク、
四位はテクニクスのSB7000とJBLの4343、六位はタンノイのアーデン、
七位はダイヤトーンのDS28B、八位はタンノイのIIILZ、九位はJBLのL26(A)、十位はKEFのModel 104(aB)。

ブランド別では、一位は、やはりヤマハで13.4%、二位タンノイ(11.1%)、
三位JBL(9.0%)、四位ダイヤトーン(8.6%)、五位JBL Pro(7.1%)となっている。

このころはJBL(コンシューマー)とJBL pro(プロフェッショナル)に分れていて、
4300シリーズのスタジオモニターはJBL proである。

二つのJBLをあわせると16.1%となり、ヤマハを抜いて一位となる。

43号、47号での読者が選ぶベストバイ・コンポーネントのスピーカーの一位は、4343で、
51号でも4343が一位、55号、59号もそうである。
五年連続4343が、読者が選ぶベストバイ・コンポーネントのスピーカー部門の一位である。

人気だけではなく、47号では四位(2.4%)だったのが、
51号では二位(5.0%)、55号では現用機種の発表はなく、
59号では一位(12.6%)と着実に順位を上げていっていた。

読者の選ぶベストバイ・コンポーネントでも、
55号では得票数1059(42.1%)でダントツだった。

1970年代後半の4343の人気と実績は、こういうところにもあらわれていた。
この時代のタンノイはどうだったかというと、
4343の勢いにおされていっていた。

Date: 7月 23rd, 2020
Cate: 日本のオーディオ

S氏とタンノイと日本人(その3)

ステレオサウンドに執筆されていたオーディオ評論家で、
タンノイを鳴らされていた、といえるのは、上杉先生だけといっていい。

上杉先生は最初にGRF、その次にオートグラフを購入されている。
それからウェストミンスター、RHR、たしかオートグラフ・ミレニアムも買われていた。

長島先生も、一時期GRFを鳴らされていた。

そのGRFについて、ステレオサウンド 61号で、
タンノイのやさしさがもの足りなかった、といわれている。。
タンノイは、だから演奏会場のずうっと後の席で聴く音で、
長島先生は、前の方で聴きたいから、ジェンセンのG610Bにされている。

瀬川先生も一時期タンノイを鳴らされていた。
最初はユニットだけを購入されて、そのあとで、レクタンギュラーGRFを鳴らされている。

「私とタンノイ」の最後のほうで、こう書かれている。
     *
 お断りしておくが、オートグラフを、少なくともG・R・Fを、最良のコンディションに整えたときのタンノイが、どれほど素晴らしい世界を展いてくれるか、については、何度も引き合いに出した「西方の音」その他の五味氏の名文がつぶさに物語っている。私もその片鱗を、何度か耳にして、タンノイの真価を、多少は理解しているつもりでいる。
 だが、デッカの「デコラ」の素晴らしさを知りながら、それがS氏の愛蔵であるが故に、「今さら同じものを取り寄せることは(中略)私の気持がゆるさない」(「西方の音」より)五味氏が未知のオートグラフに挑んだと同じ意味で、すでにこれほど周知の名器になってしまったオートグラフを、いまさら、手許に置くことは、私として何ともおもしろくない。つまらない意地の張り合いかもしれないが、これもまた、オーディオ・マニアに共通の心理だろう。
     *
結局、瀬川先生のリスニングルームにタンノイが落ち着くことはなしに、
ある愛好家の方に譲られている。

井上先生は、タンノイを所有されていた。
「私のタンノイ観」では、こう書かれている。
     *
 つねづね、何らかのかたちで、タンノイのユニットやシステムと私は、かかわりあいをもってはいるのだが、不思議なことにメインスピーカーの座にタンノイを置いたことはない。タンノイのアコースティック蓄音器を想わせる音は幼い頃の郷愁をくすぐり、しっとりと艶やかに鳴る弦の息づかいに魅せられはするのだが、もう少し枯れた年代になってからの楽しみに残して置きたい心情である。暫くの間、貸出し中のコーナー・ヨークや、仕事部犀でコードもつないでないIIILZのオリジナルシステムも、いずれは、その本来の音を聴かしてくれるだろうと考えるこの頃である。
     *
タンノイとのかかわりあいはけっこうあっても、
なぜか、ここでもメインのスピーカーの座にタンノイはない。

菅野先生は、(その1)で引用した文章にあるように、
《一度もタンノイを自分のリスニングルームに持ち込まず、しかし、終始、畏敬の念を持ち続けてきたという私とタンノイの関係》である。

Date: 7月 19th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

S氏とタンノイと日本人(その2)

「わがタンノイ・オートグラフ」に、タンノイとのであいを書かれている。
     *
 タンノイ・スピーカーを我が家におさめたのは昭和二十九年(当時はいま使っているオートグラフではない)だから今年で二十四年目になる。この間私はタンノイを骨の髄までしゃぶった。このことはオーディオ愛好家としての私が人さまに、はばかりなく言えることだ。
 はじめてタンノイを聴いたのは昭和二十七年秋、S氏のお宅でだった。フランチェスカッティの、ベートーヴェンの『ロマンス』を聴いた。おもえば、ト長調(作品四〇)の冒頭で独奏ヴァイオリンが主題を呈示する、その音を聴いた時から、私のタンノイへの傾倒ははじまっている。ヴァイオリンの繊細な、澄みとおった高音域の美しさは無類だった。あれほど華麗におもえた当時評判の『グッドマン』が、途端に、色あせ、まるで鈍重に聴こえたのを忘れない。
 しかし、実はかならずしもすべてがうまく聴こえたわけではない。どうかすれば耳を突き刺す金管の甲高い響きや、弦合奏でガラス窓をブリキで引っかくに似た乱れた軋みを出すのをきくと、これが海外のHiFi雑誌に絶賛されたスピーカーかと狼狽したのは、むろん当のS氏だったろう。
 この時のタンノイはいわゆるバスレフ型のコーナーキャビネットにおさめてあった。バスレフ型というのは、周知のように、箱の上辺にスピーカーを取付け、下辺にダクトを設けているが、「音のわるいのはキャビネットのせいに違いない」とS氏は言って早速、家具屋に新しく《タンノイ指定》のキャビネットを注文された。今なら笑い話だがわたくしが知っているだけでも、タンノイのためにS氏の発注されたキャビネットはグランドピアノの重さのある巨大なの(これは高城重躬氏の設計になった)まで、ゆうに七個をかぞえる。キャビネットばかりは下駄箱にもならず、残骸が次々納屋を占領して夫人を嘆かせていた。笑い話といえば、当時S氏のアンプを製作していた技術者は、「タンノイは磁石が強力だから低音が出ない」といい、それならとワーフデールのウーファーをS氏はタンノイに組合わせて鳴らされたものである。グランドピアノの重さのキャビネットがこれである。
 涙ぐましいこういう努力で、少しずつ音質はよくなり、しかし疑念は晴れない。ワーフデールでこれ位よくなるなら、さらにタンノイをもう一個取付け、低音だけを鳴らせば一層、音の美しさはまさるだろうと、二個目のタンノイをS氏は芳賀檀氏の渡欧の折に依頼された。当時神田のレコード社でタンノイ(15インチ)は十七万円した。英本国でなら邦貨三万数千円で入手できる。芳賀さんはロンドンで購入したのはよいが、どんなにS氏がレコードを、その音質を、つまりスピーカーを大切にする人かを熟知していたので、リュックサックに重いタンノイを背負い込み、フランス、ドイツ、スイスと旅して回った。なんのことはない、国がかわる度に通関手続で英国製品の余分な税金をふんだくられねばならない。「これはぼくの友人のスピーカーだ。日本へ持って帰るのだ」何度説明しても、この真摯なドイツ文学者にリュックサックでスピーカーを持ち回らせる、そんな音キチが東洋の君主国にいようとは、彼らには信じられなかったのである。ハイ・ファイという言葉すら当時は一般に知られていない。「日本に持ち帰るなら、なぜロンドンから直送せんか」「大切なスピーカーだからだ。これは、有名なタンノイだ。少しでも早く友人に届けたいからだ」なんと説明しても、「税金を支払わないのなら貴下を入国させるわけにはいかん。そのリュックサックは没収する」
 これまた、語るも涙であろう。涙のこぼれるこういう笑い話を、大なり小なり、体験しないオーディオ・マニアは当時いなかった。この道は泥沼だが、音質が向上するにつれて泥沼はさらなる深みを用意し、濫費を要求する。みんな、その濫費に泣きながら、いい音が聴きたくて悪戦苦闘するのである。
 タンノイにおける、S氏のこの悪戦苦闘ぶりをつぶさに傍で見たことが、その後のわたくしの苦闘につねに勇気を与えてくれた。この意味でもS氏は、かけがえのないわたくしには大先達であった。
     *
瀬川先生が聴かれたのは、
グランドピアノの重さほどのキャビネットに、
ワーフデールの15インチ・ウーファーをパラレルにおさめられていた時の音だ。

五味先生がS氏宅のタンノイをはじめて聴かれたときは、
芥川賞受賞前のことだ。

菅野先生も、瀬川先生も、S氏のタンノイを聴かれたころは、五味先生を知らなかった。
五味先生が「西方の音」を藝術新潮に連載されるようになるのは、ほぼ十年後である。

Date: 7月 18th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

S氏とタンノイと日本人(その1)

カラヤンと4343と日本人(その10)」で触れたタイトルとはまったく違うところでのタイトルだ。

菅野先生が、
ステレオサウンド 55号「タンノイ・オートグラフ研究」の冒頭で書かれている。
     *
 タンノイと私のふれ合いは、不思議なことに、あの熱烈なタンノイ信奉者の故・五味康祐氏、そして、古くからのオーディオ仲間である瀬川冬樹氏のそれと一致する。本誌別冊の「タンノイ」号巻頭に、両氏のタンノイ論が掲載されているのをお読みになった読者もおいでになると思うが、両氏がはじめてタンノイの音に接して感激したのが、昭和27〜29年頃のS氏邸に於てであることが述べられている。私もその頃、同氏邸においてタンノイ・サウンドを初めて体験したのであった。両氏共に何故かS氏と書かれているが、新潮社の齋藤十一氏のことであると思う。もし違うS氏なら、私の思い違いということになるのだが……。当時、私が大変親しくしていて、後に、私の義弟となった菅原国隆という男が新潮社の編集者(現在も同社に勤務している)であったため、編集長であった齋藤十一氏邸に私を連れて行ってくれたのであった。明けても暮れても、音、また音の生活をしていた私であったが、その時、齋藤邸で聴かせていただいたタンノイの音の感動はいまだに忘れ得ないものである。正直いって、どんな音が鳴っていたかは覚えていないのであるが、受けた感動は忘れられるものではない。もう、27〜28年も前のことになる。以来、私の頭の中にはタンノイという名前は、まるで、雲の上の存在のような畏敬のイメージとして定着してしまった。五味氏によれば、当時タンノイのユニットは日本で17万円したそうだが、そんな金額は私にとって非現実的なもののはずだ。しかし、実をいうと、当時はタンノイがいくらするかなどということすら考えてもみなかったのである。それは初めて見たポルシェの365の値段を知ろうとしなかった経験と似ている。つまり、値段を聞くまでもなく、自分とは無縁の存在だということを嗅ぎわけていたから、そんな質問や調査をすることすら恐ろしかったのだと思う。なにしろ、神田の「レコード社」に注文して取り寄せた、シューベルトの「美しき水車小屋の娘」(ペトレ・ムンテアーヌの歌で伴奏がフランツ・ホレチェック)を受け取りに行くのに5百円不足して四苦八苦したような頃だったから、推して知るべしである。おまけに、このレコードを受取りにいったレコード社で、ばったり、齋藤十一氏に会ったのはいいが、後日、先に書いた私の義弟を通して「美しき水車小屋の娘」を買うなんて彼は若いね……というような意味のことを齋藤氏がいっていたと聞き、えらく馬鹿にされたような気になった程度の青二才だったのだ。幸か不幸か、タンノイは、こうして私の頭の中に定着し、自分とは無縁の、しかし凄いスピーカーだということになってしまった。正直なところ、このコンプレックスめいた心理状態は、その後、私が、一度もタンノイを自分のリスニングルームに持ち込まず、しかし、終始、畏敬の念を持ち続けてきたという私とタンノイの関係を作ったように思うのである。若い頃の体験とは、まことに恐ろしいのである。
     *
タイトルのS氏は、新潮社の齋藤十一氏のことである。
瀬川先生は、ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」タンノイ号の「私とタンノイ」の冒頭で、
やはりS氏のタンノイのことを書かれている。
     *
 はじめてタンノイの音に感激したときのことはよく憶えている。それは、五味康祐氏の「西方の音」の中にもたびたび出てくる(だから私も五味氏にならって頭文字で書くが)S氏のお宅で聴かせて頂いたタンノイだ。
 昭和28年か29年か、季節の記憶もないが、当時の私は夜間高校に通いながら、昼間は、雑誌「ラジオ技術」の編集の仕事をしていた。垢で光った学生服を着ていたか、それとも、一着しかなかったボロのジャンパーを着て行ったのか、いずれにしても、二人の先輩のお供をする形でついて行ったのだか、S氏はとても怖い方だと聞かされていて、リスニングルームに通されても私は隅の方で小さくなっていた。ビールのつまみに厚く切ったチーズが出たのをはっきり憶えているのは、そんなものが当時の私には珍しく、しかもひと口齧ったその味が、まるで天国の食べもののように美味で、いちどに食べてしまうのがもったいなくて、少しずつ少しずつ、半分も口にしないうちに、女中さんがさっと下げてしまったので、しまった! と腹の中でひどく口惜しんだが後の祭り。だがそれほどの美味を、一瞬に忘れさせたほど、鳴りはじめたタンノイは私を驚嘆させるに十分だった。
 そのときのS氏のタンノイは、コーナー型の相当に大きなフロントロードホーン・バッフルで、さらに低音を補うためにワーフェデイルの15インチ・ウーファーがパラレルに収められていた。そのどっしりと重厚な響きは、私がそれまで一度も耳にしたことのない渋い美しさだった。雑誌の編集という仕事の性質上、一般の愛好家よりもはるかに多く、有名、無名の人たちの装置を聴く機会はあった。それでなくとも、若さゆえの世間知らずともちまえの厚かましさで、少しでも音のよい装置があると聞けば、押しかけて行って聴かせて頂く毎日だったから、それまでにも相当数の再生装置の音は耳にしていた筈だが、S氏邸のタンノイの音は、それらの体験とは全く隔絶した本ものの音がした。それまで聴いた装置のすべては、高音がいかにもはっきりと耳につく反面、低音の支えがまるで無に等しい。S家のタンノイでそのことを教えられた。一聴すると、まるで高音が出ていないかのようにやわらかい。だがそれは、十分に厚みと力のある、だが決してその持てる力をあからさまに誇示しない渋い、だが堂々とした響きの中に、高音はしっかりと包まれて、高音自体がむき出しにシャリシャリ鳴るようなことが全くない。いわゆるピラミッド型の音のバランス、というのは誰が言い出したのか、うまい形容だと思うが、ほんとうにそれは美しく堂々とした、そしてわずかにほの暗い、つまり陽をまともに受けてギラギラと輝くのではなく、夕闇の迫る空にどっしりとシルエットで浮かび上がって見る者を圧倒するピラミッドだった。部屋の明りがとても暗かったことや、鳴っていたレコードがシベリウスのシンフォニイ(第二番)であったことも、そういう印象をいっそう強めているのかもしれない。
 こうして私は、ほとんど生まれて初めて聴いたといえる本もののレコード音楽の凄さにすっかり打ちのめされて、S氏邸を辞して大泉学園の駅まで、星の光る畑道を歩きながらすっかり考え込んでいた。その私の耳に、前を歩いてゆく二人の先輩の会話がきこえてきた。
「やっぱりタンノイでもコロムビアの高音はキンキンするんだね」
「どうもありゃ、レンジが狭いような気がするな。やっぱり毛唐のスピーカーはダメなんじゃないかな」
 二人の先輩も、タンノイを初めて聴いた筈だ。私の耳にも、シベリウスの最終楽章の金管は、たしかにキンキンと聴こえた。だがそんなことはほんの僅かの庇にすぎないと私には思えた。少なくともその全体の美しさとバランスのよさは、先輩たちにもわかっているだろうに、それを措いて欠点を話題にしながら歩く二人に、私は何となく抵抗をおぼえて、下を向いてふくれっ面をしながら、暗いあぜ道を、できるだけ遅れてついて歩いた。
     *
五味先生が、タンノイをはじめて聴かれたのは、昭和27年秋のころだ。

Date: 6月 29th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

リモート試聴の可能性(その4)

自分のシステムの音を録音する──、
かなり以前からやっている人はいた。

新潮文庫の「音楽巡礼」の解説は、南口重治氏である。
そこに、こんなことが出てくる。
     *
 五味先生も多忙、私も仕事に忙殺されている時には録音テープが送られてくる。ヴェルディの「椿姫」、スタインバーク指揮ピッツバーグ響によるラフマニノフの第二シンフォニーであったりするのだが、それには必ず肉声の解説がつく。「ただ今のカートリッジはシュワーのV15でございます。今度はEMTのカートリッジに取り替えて録音します。……そちらの鳴り具合はいかがですか」といった調子だ。
     *
録音テープは、カセットテープではなくオープンリールテープだろう。
どんなマイクロフォンを使われていたのだろうか。

いまから四十年以上の前の話だ。
こういうところは、オーディオマニアは変っていないのかもしれない。

「音楽巡礼」を読んだ1981年、
18歳だった私は、五味先生もこんなことをやられるんだ、と思っていた。
けれど、いまになると、この録音テープは、かなり貴重である、と思っている。

この録音テープ、一本も残っていないのだろうか。

五味先生のシステムは、練馬区で保管され、試聴会が行われている。
私も一度行ったことはある。
その音を聴いているが、その音をもってして、五味先生の音とはまったく思っていない。

五味先生が鳴らされていたシステムが、いまも鳴っている。
その音を聴いただけ、という感想でしかない。

けれど、五味先生が南口氏に送られていた録音テープがまだ残っているのであれば、
五味先生が鳴らされていたシステムで、ぜひとも聴いてみたい。

Date: 6月 29th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

リモート試聴の可能性(その3)

その1)へのfacebookでのコメントで、
自分のシステムの音を一度録音して、そのシステムで再生すると、
音の癖が二倍に強調される、というのがあった。

おもしろい、と思った。
やったことはなかった。

いわれてみて、たしかにそうかも、と思った。

もちろん録音した時点で失われている音があって、
それを再生する時点でも同じである。

とにかく何かが失われた音を聴いて、なにがわかるのか、判断できるのか。
けれど失われたものによって浮び上ってくるものもあるはずだ。

あるからこそ、自分のシステムの音の癖が二倍になって聴けるわけなのだろう。

さきほど公開した「夜の質感(バーンスタインのマーラー第五・続コメントを読んで)」で、
五味先生の文章を二本引用している。

テレビのスピーカー、テレビのアンプ程度であっても、わかる音の違いがある。
むしろピアノのブランドによる音の違いが、曖昧にしか出てこないオーディオの音も、
現実にはある。

ブランド不明のピアノの音というのは、意外に多かったりするどころか、
そのことに無頓着な人もいるから驚くこともある。

おもしろいことに、そういう人は、自分の音を日本一、といってたりする。
冗談でいっているのだろうと思ってきいていると、
本人はいたって本気でそういっているのだ。

そんな人のシステムの音を録音して、
そのシステムで再生することで、その人の音の癖は二倍になるのかもしれない。

けれど、その人は、そんなふうには受けとらない可能性のほうが高いように思う。
癖ではなく、よいところが二倍になったと受け止めるかもしれない。

ならば、その人のシステムの音を、別の人のシステムで、
何人かのシステムの音を録音したものと比較しながら聴かせたらどんな反応をするだろうか。

Date: 6月 7th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

リモート試聴の可能性(その2)

いま書店に並んでいるオーディオ雑誌、
ステレオ、オーディオアクセサリー、ステレオサウンド、
いずれも特集は、試聴室で試聴をしないでもすむ企画になっている。

そうだろうな、と思うし、だからといって、次号以降も同じ、というわけにはいかない。
試聴室で試聴を行うけれど、
数人のオーディオ評論家がいっしょに試聴する、ということはしばらく影をひそめるだろう。

オーディオ評論家は一人。
あとは編集者が必要最低限の人数での試聴。
気をつけるところは、試聴中は、
試聴室にはオーディオ評論家だけ、ということもありそうである。

試聴機器を入れ替える時だけ、編集者が試聴室に入る。
これまでの試聴からすれば、なんと大袈裟な……、という印象を持つ人もいるだろうが、
そのくらい気をつけるのが、これからの当り前になっていってもおかしいことではない。

夏が終り秋になれば、メーカー、輸入元は、
オーディオ賞関係の試聴が増えてくる。

いまでは各オーディオ雑誌が、それぞれに賞をもうけていて、
それが年末号の特集になっている。

そのための試聴は、たいていはオーディオ評論家のリスニングルームに、
メーカー、輸入元の担当者が機器を持ち込んでの試聴である。

これも今年は変っていくのかもしれない。
担当者数人とオーディオ評論家だけならば、小人数での試聴とはいえ、
担当者は毎日のように、同じことをくり返していく。
外回りの、しかもある部分、肉体労働でもある。

雑誌社の試聴室ならば、搬入もしやすかったりするが、
オーディオ評論家のリスニングルームは個人宅である。
場合によっては、けっこう大変なことだってある。

感染リスクは、決して低くはない、といえる。
しかもオーディオ評論家、特にステレオサウンドに書いている人たちは、高齢者が多い。

Date: 6月 5th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

リモート試聴の可能性(その1)

AV⋄Head-fi Show(香港オーディオショウ)は、いまのところ、
予定通り8月7〜9日開催するようである。

でも、本当に開催されるのか、と思っている人もいる。
コロナ禍の現状では、晩秋よりも真夏の開催のほうが、少しは安全なのかもしれない。

AV⋄Head-fi Showが開催されたとしても、
11月開催のインターナショナルオーディオショウが、
予定通りに行われる可能性が高くなる、というわけではない。

1月開催のCESはどうなるのだろうか。
楽観視している業界の人は少ないのではないだろうか。

先のことをはっきりとわかっている人は、誰もいない。
今年は無理でも来年はできるかもしれないし、
だからといって再来年も安心できるとはかぎらないだろう。

コロナ禍が、ほんとうに終息したとしても、
新たな感染症が発生するかもしれない。

今回のコロナ禍を機に、リモート試聴ということを真剣に考えていく必要が出てきているような気がする。
リモート試聴なんかで、こまかな音の違いがわかるわけない、
そんなアホなこと考えるだけムダ、
こんなことを言い捨てたら、そこまで、である。

リモート試聴には、まったく可能性がないのだろうか。
YouTubeには、かなり以前からスピーカーの音をマイクロフォンで拾った音を公開している動画が、
けっこうな数ある。

インターナショナルオーディオショウをはじめ、
オーディオショウのブースの様子も公開している人がいる。

全部がそうだとはいわないが、意外にも、大掴みには、
その場の音の雰囲気を伝えてくれているように感じる。

友人のAさんはオーディオショウには行かないけれど、
YouTubeで、そういった動画をけっこう見ている。

オーディオショウに行った私と、各ブースの話になったときに、
けっこう音の印象は一致している。
大きな違いがあったことは、いまのところない。

Date: 5月 21st, 2020
Cate: ジャーナリズム, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(コロナ禍ではっきりすること・その2)

新型コロナの影響で、自動車の売行きが悪い、ときいている。

友人から教えてもらったのだが、日本自動車販売協会連合会のサイトで、
ブランド別新車販売台数確報が公開されているのを知った。

2020年4月の販売台数をみていくと、確かに前年比はよくない。
乗用車だけをみても、ホンダが60.1%、三菱が35.2%、日産が42.9%、トヨタが66.8%で、
海外ブランドをみても、売行きはよくないことがわかる。

それでもフェラーリは126.8%、ランボルギーニは133.8%、ポルシェは164.1%と、
コロナ禍の影響はみられないといえる売行きである。

海外ブランドだからなのか、と思うと、メルセデス・ベンツは62.8%、
マクラーレンは37.5%、マセラッティは43.1%、ジャガーは37.8%、アストン・マーチンは56.0%だ。

自動車の専門家ではないから、これらの数字について専門的なことは何もいえないが、
フェラーリ、ランボルギーニ、ポルシェの売行きの伸びはすごいと思うし、
このことをどう捉えたらいいのだろうか。

高級外車は景気に左右されないわけではないだろう。
売行きが鈍っている海外ブランドもあるのだから。

ハイエンドオーディオと呼ばれるモノのなかには、
フェラーリやランボルギーニ、ポルシェ並の価格が珍しくなかったりする。

それらのオーディオ機器の売行きも、これらのクルマ同様に売行きは前年比で伸びているのか。
自動車業界と違い、オーディオ業界では、
ブランド別販売台数が、こんなふうに発表されているわけではない。

ウワサをきくことはあるけれど、実態はわからない。
かなり高額のオーディオ機器が、オーディオマニアのリスニングルームにある。
Aさんのところにあり、Bさんのところにもある……。

こんなにも高価なオーディオ機器が、けっこう売れているのか。
そう思いがちになるのだが、
意外にもAさんが使っていて手放したモノがBさんのところに行き、
Bさんもしばらく使って、次はCさんのところに……、という例があるともきいている。

Aさんのところにあった、Bさんのところにもあった、Cさんのところにもあった、
と書くのがより正しいわけで、実際に売れたのはごくわずかな台数であっても、
一年二年というスパンでみると、いろんな人のリスニングルームにあるというふうになる。

Date: 5月 16th, 2020
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(NIRO Nakamichiの復活・その10)

瀬川先生は、若い書き手を育てよう、
もっといえば鍛えようとされていた──、
私はそう思っている。

くり返すが、後継者を育てようという意識はなかった、とも思っている。

そのうえで、鍛えた若い書き手から、
なにかを吸収しようとさえおもわれていたのではないか、そんなことすらおもっている。

ほんとうのところは、もうわからない。
瀬川先生と親しかった人にきいたところで、わかることでもない。

私の勝手な思い込みにすぎないのかもしれないが、
それでも、はっきりといえることは、
瀬川冬樹の後継者になりたい、とすること、
そんなことをおもった時点で、もう絶対に後継者たり得ることはない、ということだ。

瀬川先生がいて、瀬川先生に鍛えられた若い書き手がいて、
互いに触発されることがあってこその、オーディオ評論なのだ、と考える。

けれど瀬川先生は、もういない。
鍛えられた若い書き手も、いない。