ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その16)
金子ケーブルが最終的にどういうモノになっていったのかは知らない。
ただかなり太くなっていったのではないかと思う。
その音は、推測するにスタティックな印象のケーブルであったのではないだろうか。
金子ケーブルは振動を徹底的に抑えるために太くなっていった、と私はとらえている。
もっとも、これだって、図書館に行きステレオのバックナンバーを丹念に読んでいけば、
もしかすると違っているのかもしれないが、極端に違っていることはないはずだ。
この金子ケーブルのアプローチは、
いわばケーブルは必要悪という考え方からのものといえる。
金子ケーブルだけでなく、多くの日本製のケーブルはそういうところがある。
つまり理想のケーブルはとはケーブルが存在しないことである。
けれどそれは現実としては無理なことであり、
ならば10mケーブルよりも1mのケーブル、1mケーブルよりも10cmのケーブルの方が、
音がいい、言い換えれば理想のケーブルのあり方にすこしでも近づける、ということになる。
日本のケーブルは、材質の純度を極端に高める方向に向って行った。
これなどは、まさしくケーブルの存在をゼロにちかづけたいがためであり、
ゼロにできなければケーブルの存在を稀薄にしていきたい、
ケーブルとは、音の上で透明な存在であるべき、ということになる。
これに対して海外製のケーブルの多くは、
ケーブルのキャラクターを積極的に認めているのではないか、と思えるところがある。
ケーブルも、オーディオコンポーネントのひとつであり、重要なアクセサリーでもある。
ケーブルとしての理想を追求はするけれども、
ケーブルの理想のあり方としてイメージしているところが、
日本のケーブルメーカーと海外のケーブルメーカーとでは違っているのではないか。
こう考えた場合、同じようにケーブルが太くなっていくとしても、
日本のメーカー的考えによるものと海外のメーカー的考えによるものとでは、
ひとまとめに考えるわけにはいかなくなる。