Archive for category ケーブル

Date: 10月 6th, 2015
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その16)

金子ケーブルが最終的にどういうモノになっていったのかは知らない。
ただかなり太くなっていったのではないかと思う。
その音は、推測するにスタティックな印象のケーブルであったのではないだろうか。

金子ケーブルは振動を徹底的に抑えるために太くなっていった、と私はとらえている。
もっとも、これだって、図書館に行きステレオのバックナンバーを丹念に読んでいけば、
もしかすると違っているのかもしれないが、極端に違っていることはないはずだ。

この金子ケーブルのアプローチは、
いわばケーブルは必要悪という考え方からのものといえる。
金子ケーブルだけでなく、多くの日本製のケーブルはそういうところがある。

つまり理想のケーブルはとはケーブルが存在しないことである。
けれどそれは現実としては無理なことであり、
ならば10mケーブルよりも1mのケーブル、1mケーブルよりも10cmのケーブルの方が、
音がいい、言い換えれば理想のケーブルのあり方にすこしでも近づける、ということになる。

日本のケーブルは、材質の純度を極端に高める方向に向って行った。
これなどは、まさしくケーブルの存在をゼロにちかづけたいがためであり、
ゼロにできなければケーブルの存在を稀薄にしていきたい、
ケーブルとは、音の上で透明な存在であるべき、ということになる。

これに対して海外製のケーブルの多くは、
ケーブルのキャラクターを積極的に認めているのではないか、と思えるところがある。
ケーブルも、オーディオコンポーネントのひとつであり、重要なアクセサリーでもある。

ケーブルとしての理想を追求はするけれども、
ケーブルの理想のあり方としてイメージしているところが、
日本のケーブルメーカーと海外のケーブルメーカーとでは違っているのではないか。

こう考えた場合、同じようにケーブルが太くなっていくとしても、
日本のメーカー的考えによるものと海外のメーカー的考えによるものとでは、
ひとまとめに考えるわけにはいかなくなる。

Date: 9月 23rd, 2015
Cate: ケーブル

ケーブル考(その5)

ケーブルは関節だということに気づいてみると、
そういえは関節は英語では jointであり、
Jointには、関節の他に、接合個所[点、線、面]、継ぎ目、継ぎ手、という意味がある。

ジョイントケーブルという言い方があるのも思い出す。
ジョイントケーブルといっても関節ケーブルという意味ではなく、接続ケーブルという使われ方ではあるわけだが、
ケーブルをオーディオ機器同士の関節として捉えることは、
あながちおかしなことでもないし、目新しいことでもないのかもしれない。

たまたま私が読んできたオーディオ関係の本に、そういったことが書かれていなかっただけだったのか。

人間の身体に関節はいくつもある。
指にもあるし、手首(足首)にもあり、肘(膝)、肩(股)などがある。
これらの中では膝の関節が複雑だと聞いたことがあるが、
だからといって膝の関節がもっとも優れた関節であり、
他の関節も膝と同じ構造の関節になれば、身体能力が向上する、というものではないはず。

それぞれに箇所に適した関節であるからこそ、バランスが成り立っているのかもしれない。

オーディオ機器に使われるケーブルにも、いくつか種類がある。
もっとも短くて、だから価格も安く手軽に交換できる箇所としてシェルリード線、
トーンアームからの出力ケーブル(低容量と低抵抗タイプとに以前はわけられていた)、
チューナー、CDプレーヤーなどをアンプに接続するラインケーブル、
スピーカーに接続されるスピーカーケーブル、
それからそれぞれのオーディオ機器に電源を供給する電源コードがある。

スピーカーケーブルに求められる条件とシェルリード線に求められる条件とは違ってくる。
スピーカーケーブルではさほど重量が問題となることはないが、
シェルリード線では、あの狭いスペースであり、トーンアームの先端部分に位置するのだから、
太さと重さには制限がある。

ただし、この制約は高価な素材を使ううえでは有利ともなってくる。

Date: 6月 2nd, 2015
Cate: ケーブル

ケーブル考(銀線のこと・その4)

KEFのModel 105というスピーカーシステムは、
同時代の同じイギリスのスピーカーシステムであるスペンドールとくらべると、
音の性格そのものが本質的なところで違っている。

BCIIもBBCモニターの流れを汲むスピーカーとはいえ、
その音の本質は、聴き手に緊張を強いるところは排除されているといえるほど、
全体に艶のあるたっぷりとした響きをともなって聴かせる。

ゆえに瀬川先生はBCIIは、アキュレイトサウンドという括りをされているが、
《厳密な意味では、精確な音の再生と快い音の再生との中間に位置する》と、
「続コンポーネントステレオのすすめ」の中で指摘されている。

Model 105には、そういう面はない。
瀬川先生は《厳格な音の分析者》と表現されている。
そういう性質のスピーカーであり、
このスピーカーシステムの特徴でもあるインジケーターランプを使い、
KEFの指示通りのセッティングを行えば、冷静な音を聴き手の前に展開してくれる。
こういう鳴り方だと、聴き手はやや緊張が強いられるところもなくはない。

瀬川先生はステレオサウンド 45号の試聴記に、
《かなり真面目な作り方なので、組合せの方で例えばEMTとかマークレビンソン等のように艶や味つけをしてやらないと、おもしろみに欠ける傾向がある。ラフな使い方では真価の聴きとりにくいスピーカーだ。》
と書かれている。

そうなのだ、艶、色気がたっぷりしていなくともいい。
そこまでいったらもうKEFのModel 105とはいえなくなる。
だが、わずかな艶とか色気といった、
いわば、それはスピーカーでの演出ということになるのだが、そういった要素を求めたくなる。

そのことが、私の中では銀線と結びついていった。

Date: 4月 29th, 2015
Cate: ケーブル

ケーブル考(銀線のこと・その3)

マークレビンソンML7に銀線が使われていることを知ったのは、
ステレオサウンド 76号の特集、コントロールアンプの総テストだった。

この特集では試聴だけでなく測定も行い、
さらに各社から回路図も提供してもらい、長島先生による技術解説もやっている。
このときにML7の回路図を見ることができ、”Silver Coax”の文字に目が留ったのだった。

そして思い出したのが、KEFのModel 105のことだった。
マーク・レヴィンソンは、Model 105に銀線を使うつもりだったのだろうと思っていた。

ステレオサウンド 50号に「マーク・レビンソンのニューライン完成間近」という2ページ見開きの記事がある。
1979年2月、マーク・レヴィンソンが来日して、都内のホテルでデモンストレーションを行っている。
そのときに開発中の製品として発表された中に、KEFのModel 105をベースとしたモデルがある。

このとき発表された製品には、パワーアンプのML3、コントロールアンプのML6の他に、
マークレビンソンとしてはローコストなコントロールアンプML4、
スチューダーのマスターレコーダーA80のトランスポートを使い、
エレクトロニクスをマークレビンソン製におきかえたML5があり、
さらにピラミッドのリボン型トゥイーターT1をベースに、
インピーダンスを4Ωに変更し、振動板にも若干の変更が加えられたモノ、
そしてKEFのスピーカーシステムModel 105をベースに、
ネットワーク、内部配線をモディファイしたというML10がある。

ML4、ML10、ピラミッドのT1は製品化されることはなかった。
ML10の型番は、ML4とは別のローコストなコントロールアンプに使われている。

この時発表されたモノで、私が興味をいちばんもったのはML10だった。
このML10のことを、ML7に銀線が使われているのを知って思い出したのだった。

Date: 4月 29th, 2015
Cate: ケーブル

ケーブル考(銀線のこと・その2)

銀線の良さを認める人がいる一方で、否定的な人がいる。
銀線といっても、さまざまなことを考えれば、あたりまえのことである。

銅線にしてもタフピッチ銅と無酸素銅があり、純度に関しても大きな違いがあり、
熱処理、線径の太さなど、すべてが音に関係しているのだから、
銅線の音に関しても、いわゆるピンキリの状態である。

銀線も、銅線ほどあれこれ選べるわけではないけれど、同じであるのだから。

五味先生が感心された岩竹氏によるマッキントッシュのMC275には、
どの程度の銀線が使われたのかはわからない。
それでも、五味先生が「冴え冴えと美しかった」と書かれているのだから、
銀線の可能性に大きく期待して当然だろう。

もちろん銀線だけで音が決定されるわけではない。
それにマークレビンソンにしても銀線をアンプ内配線に使ったのはML6だけだろう、という反論がある。
確かに銀線使用を大きく謳ったのはML6だけである。

ML7以降は、アンプ回路の設計者も変り、モジュール構成も大きく変更され、
銀線は使われていない、と私も思っていた。

けれどML7のブロックダイアグラムをみると、ML7にも銀線が使われいてることがわかる。
インプットセレクターからボリュウムへの配線に、”Silver Coax”と表記してある。
ブロックダイアグラムに、ふつうそういった仕様に関することは書きこまないにもかかわらず、
そう書きこんであるのだ。

Date: 4月 28th, 2015
Cate: ケーブル

ケーブル考(銀線のこと・その1)

銀が銅よりも導体抵抗が低いことは知っていたけれど、
銀のケーブルがあることを知ったのは、すてサウンドに載っていた新藤ラボラトリーの広告だった。
ウェスターン・エレクトリックに銀のケーブルがあった、とそこには書かれていた。

ちょうど同じころ、マークレビンソンが内部配線材に銀を採用したML6が登場した。
マークレビンソンも銀なのか、その偶然にも驚いていた。

しかもである。ステレオサウンド 52号掲載の五味先生のオーディオ巡礼にも銀線のことが出てくる。
       *
たとえばピックアップコードを通常の銅線から銀線に代えると、高域の伸びは輝きをまし、低域もずいぶんレンジの伸びたふくらみを聴かせてくれるのは、今では大方の人が実験しているだろうが、私の知るかぎり、最初にこれを試みたのは岩竹氏であった。
     *
その岩竹氏のMC275を借りて五味先生は鳴らされている。これも52号に書かれている。
     *
拙宅のマッキントッシュMC275の調子がおかしくなったとき、岩竹さんがアンプ内の配線すべて銀線に替えられたアンプを所持されると聞き、試みに拝借した。それをつなぎ替えて鳴らしていたら娘が自分の部屋からやってきて「どうしたの?……どうしてこんなに音がいいの?」オーディオに無関心な娘にもわかったのである。それほど、既製品のままの私のMC275より格段、高低域とも音が伸び、冴え冴えと美しかった。
     *
もうこれだけで充分である。
銀線の音など聴いてもいないのに、銅線よりも銀線となっていた。

Date: 3月 12th, 2015
Cate: ケーブル

ケーブル考(その4)

中学、高校のころはケーブルは人の体にあてはめれば、
血管、神経というふうに考えていた。

たしかに血管でもあり神経でもある。
電源ケーブル、アンプ、チューナー、CDプレーヤーなどの内部配線における電源ラインは、
血管にたとえたほうがいいと思う。
信号ラインは、だから神経にあてはまる。

でも、ここで考えたいケーブルは、あくまでもオーディオ機器同士を接続するためのケーブルである。
アンプなどの内部配線ではなく、
その外側にあるケーブルであり、これらのケーブルの両端にはコネクターが存在する。
このコネクターは接点と言いなおしてもいい。

CDプレーヤーとアンプを接続するケーブルは、神経ともいえる。
アンプとスピーカーを接続するケーブルは、神経でもあり血管ともいえる。

そういうことは承知のうえで、ケーブルとは何かを考えるようになると、
あえて人の体にあてはめるのであれば、関節ということに行き着く。

Date: 3月 1st, 2014
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その15)

1987年か88年ごろだったと記憶している。
黒田先生のリスニングルームにうかがったときに、ケーブルの話になった。

こんなことを黒田先生はいわれた。

「こういうケーブル(金子式ケーブルのこと)にステレオサウンドが否定的なのはわかっている。
 でも、ぼくはこのケーブルを使うのは、音のためだ」

ずいぶん昔のことだから細かなことまで正確に記憶しているわけではないが、
概ねこんなことをいわれた。

このころの黒田先生のスピーカーはアポジーにはなっていなかった。
アクースタットのModel 6だったこととも、金子式ケーブルを使われていたこととは関係しているはずだ。

黒田先生が金子式ケーブルをいつごろから使われなくなったのかは、
そのあたりで私はステレオサウンドを離れてしまったのでわからない。

おそらくスピーカーをアクースタットからアポジーのDivaに換えられてからではないだろうか。

黒田先生の音の評価を読んでいて感じるのは、音楽の聴き手としての強さである。
この強さはオーディオマニアからすれば、憧れる強さでもある。
少なくとも私というオーディオマニアにとっては、そうであったし、
そういう強い聴き手になろう、ならなければと思ってもいた。

Date: 11月 19th, 2013
Cate: ケーブル

ケーブル考(マルチアンプのすすめ)

ケーブルの価格が高くなりすぎている。
すべてのケーブルがそうではなくて、ごく一部のケーブルの天井知らずの価格には、
わかっていたこととはいえ、実際に価格を調べてみると、こんなにするのか、と改めて思う。

2.4mのペアで400万円を超えているケーブルもある。

現実にこういう価格のスピーカーケーブルが売られているということは、
こういう価格のスピーカーケーブルを購入する人がいる、ということである。

私のまわりで、400万円を超えるスピーカーケーブルを使っている人はいない。
400万円のスピーカーケーブルに替えることで、どういう音の変化が得られるのかはわからない。

オーディオに関して、思いつくかぎりのことはすべてやってきた。
そういう人が400万円のスピーカーケーブルに手を出すのはわからないわけでもない。
それでほんとうに求めている音が得られるとは限らないけれど。

でも、そう言い切れる人が世の中にどれだけいるのだろうか。
ほんとうにやれることはすべてやった、と。

私などはスピーカーケーブルに400万円を支払うのであれば、
この400万円をパワーアンプの購入費用にあてる。
パワーアンプを買い替えるのではなく、もう一台、さらにはもう一台買い足していく。
つまりマルチアンプドライヴをやる。

Date: 10月 30th, 2013
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その14)

1980年代後半あたりだったはずだが、
音楽之友社発行のステレオ、レコード芸術で、金子英男氏の自作ケーブルがよく取り上げられていた。

いつごろから始められたのかははっりきと憶えていないし、
どういう形で始められたのかも記憶していない。

最初は市販のケーブルにブチルゴムを巻くことから始められたのかもしれない。
その後世代を重ねて、銅箔を使ったケーブルも自作されていたはずだ。

ブチルゴムの積層もだんだん増えていっていた。
その分だけケーブルは太くなっていく。

なぜ金子氏はブチルゴムをケーブルに巻かれたのか。
振動対策であることは明白であり、
より徹底した振動対策を、ということでブチルゴムはそれ以前よりも多く巻かれていくことになっていた。

ご存知の方もおられるだろうが、一時期、黒田先生も金子式ケーブルを使われていた。
そのころ、きたなオーディオ(汚いオーディオ)という言葉も使われるようになっていた。

音をよくするためには手段を選ばない、
外観も気にしない、
そのことを戒める意味もあっただろうし、揶揄する意図もあったのではないだろうか。

金子式ケーブルも、きたなオーディオのひとつだと受けとめられていた。
そのことは黒田先生もご存知だった。
それでも、金子式ケーブルを使われていた。

Date: 10月 29th, 2013
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その13)

それがどういうことなのかはもう忘れてしまった人でも、
右ねじの法則という言葉はうっすら憶えているのではないだろうか。

このブログをお読みの方は当然インターネットに接続されているわけだから、
右ねじの法則の詳しいことについては、検索してみてほしい。

とにかく導線に電流を流せば,その周囲に磁界が発生する。
この磁界がケーブルの振動発生へとつながっていく。

ケーブルに信号を流せばわずかかもしれないが、振動を発生している。
オーディオケーブルの中でもっとも大きな信号が流れるスピーカーケーブルの外被を触ってみたところで、
実感できる振動を感じることはできない。

振動が発生することはわかっていても、ほんとうに振動しているのだろうか、とも思う。

もう20年くらい前のことだが、
ある仕事でビルの変電設備に入ったことがある。
そこにはいまどきのスピーカーケーブルよりもずっと太くて硬いケーブルが使われていた。

芯線の一本一本もちょっとしたスピーカーケーブル並の太さで、
外被も硬くても重たい感じのする材質が使われている。
こんなケーブルを鞭代わりになぐられようものなら、
肋骨くらいは簡単におれてしまうそうな、そんな感じのするごついケーブルである。

そんなケーブルでも変電設備で使われている電流が流されると振動している。
ケーブルをにぎってみると、しっかりと振動が伝わってくる。
かなりのレベルの振動である。こんなにも振動しているのか、と思うほどである。

このとき、やっぱりケーブルは振動しているものだと確認できた。

Date: 10月 27th, 2013
Cate: ケーブル

ケーブルはいつごろから、なぜ太くなっていったのか(その12)

比較的新しいパワーアンプを使っているかぎり、
市販されているスピーカーケーブルの多くは末端処理を特別にすることなく、
そのまま接続できる、といっていいだろう。

それでも、世の中にはわざわざ末端処理をする人もいる。
そのままスピーカーケーブルをスピーカー端子に挿し込んでぎゅっと締めればいいのに、ラグを使っている。

どんなラグであれ、ラグを使えれば、そのキャラクターが必ず音としてあらわれる。
見た目がごついラグであればあるほど、キャラクターは強く出る傾向にあるともいえる。

時には、そういうキャラクターを必要とする場合もある。
とはいえ、この手のキャラクターは、どんな音にものってくる。
うまく効果的に作用してくれるのであればいいけれど、
邪魔になる、耳につくことも多い。
キャラクターは、のる音を選ばない。

個人のシステムであれば、そのシステムの所有者がそれで満足していれば、とやかくいうことではない。
けれどステレオサウンドの試聴室は、そういうところではない。
オーディオ機器をテストする場であるから、この手のキャラクターはときにテストの邪魔になる。

もちろんどんなものにもキャラクター(固有音)はあるから、ゼロにはできないのはわかっている。
わかっているからこそ、できるだけ特徴的なキャラクターは避けるように配慮していた。

その点、いまは楽であろう、と思ってしまう。
末端処理に特に気を使う必要はないはずだから。

とにかく、スピーカーケーブルはある時期から太くなっていった。
スピーカー端子もそれに対応していった。
もっともパイオニアのExclusive M5、スタックスが探梅していたスピーカー端子は、
かなり早い時期から太いケーブルへ対応していた。

スピーカーケーブルが太くなった。
太くなったということは、スピーカーケーブルが重くなった、ということでもある。

Date: 9月 25th, 2013
Cate: ケーブル

ケーブル考(理想のケーブルとは)

別項「日本の音、日本のオーディオ」の(その31)、(その32)、(その33)にて、
イソダケーブルについてふれている。

イソダケーブルは、単一導体の純度を追求する方向とは異るアプローチをとっている。
どちらが正しいのかは、いまのところなんともいえないし、
これから先も、どちらが正しいと決めることは、おそらくできないはずだ。

ただ思うのは、超伝導(超電導)のことである。
1980年代の後半ごろから、高温超伝導がニュースになるようになった。

よく知られるように金属を非常に低い温度まで冷やしたときに、
電気抵抗がなくなる(0になる)。
それまでは絶対零度近くまで冷やすものだったのが、
それよりもずっと高い温度(それでも人間の感覚からしたら非常に低い温度)で超伝導が起る物質が発見された。

それからしばらくは超伝導に関するニュースが続いたように記憶している。
超伝導が起る温度がどれだけ上ったとか、競争が活発になっていることを伝えていた。

これらの超伝導の物質は、基本的には化合物である。
混ぜ物である。
純度を極端に高めた単一素材ではない。

電気抵抗が0になるのが、オーディオ用のケーブルの理想なのかどうかも、
いまのところはっきりとはいえない。

それでも理想に近付くのだとすれば、
それも化合物が高温超伝導、さらには室温超伝導を実現するのであれば、
オーディオのケーブルも、純度の追求だけが正しいのではなく、
合金(化合物)ケーブルの方向も正しいのではないのか、と思う。

Date: 8月 9th, 2013
Cate: ケーブル

ケーブル考(その3)

ケーブルを換えると音は変る。
どの箇所のケーブルを換えても音は変る。

夢中になる時期は誰にでもある、と思う。
たとえばある時期、コントロールアンプとパワーアンプ間のラインケーブルを集中して、
いくつものケーブルを聴いたとする。
そして、ひとつの、ぴったりのケーブルが見つかった、としよう。

どういうケーブルを集めてくるかによっては、
大同小異のときもあるし、ひとつだけとびぬけて良く聴こえてくるモノもある。

そういうとびぬけて良く聴こえてきたケーブルに気を良くして、
友人のオーディオマニアにも教えようと、その彼のところに持っていく。

そこでも同じような結果が得られることもあれば、そうでないこともある。
アンプやスピーカーシステムに違いがあれば、必ずしも同じ結果が得られる、とは限らない。

何も誰かのところにもっていかなくてもいい。
複数のシステムを持っている人ならば、
あるひとつのシステムで好結果が得られたケーブルを、
もうひとつのシステムに接続してみても、同じ結果が得られないことは体験されているはずだ。

私もそういう経験がある。
その経験が、いまケーブルを関節だと捉えることにつながっている。

Date: 7月 24th, 2013
Cate: ケーブル

ケーブル考(その2)

ケーブルを、オーディオのシステムにおける関節とするならば、
ラジカセは、ひとつの筐体にカセットデッキ、チューナー、アンプ、スピーカーがおさめられているから、
外付けのケーブルは必要としない。
その意味では関節のないシステムということになり、
だからこそ1パッケージであり、ひょいと片手で持ち運べるし、
セッティングもどこかに置くだけだ。

もちろん置き場所によって音は変化するけれど、
コンポーネント・オーディオ的なセッティングの気難しさは、そこには存在しない。

つまりセッティングの自由度がほとんどないかわりに、
セッティングの面倒からも解放されているわけだ。

以前は、一体型ステレオと呼ばれるものがあった。
これもラジカセと同じつくりであり、ひとつにまとめられていた。
セパレート型ステレオもあった。
スピーカー部だけが独立している。つまりスピーカーケーブルが必要となる。
ここで関節が一箇所(正確には左右チャンネル必要だから二箇所)加わる。

そのことでスピーカーのセッティングの自由度は大きく増すことになる。
それまでは左右のスピーカーの間隔も固定されていた。
スピーカー部がセパレートされたことで、
スピーカーケーブルの長さ次第では、ふたつのスピーカーの間を大きく離せる。

コンポーネント・オーディオとなると、プレーヤー、アンプ、スピーカーと分離される。
また関節が一箇所ふえる。
アンプがセパレート型になれば、また関節が増える。
マルチアンプになれば、関節はまた増える。
今度は一箇所ではなく、パワーアンプの数によって、関節の増設も増えることになる。

オーディオが高性能化(高音質のため)にセパレートされてきたことで、
ケーブルの存在箇所(関節)は増えていった。

さらにレコードだけでなく、ラジオも聴きたい、テープも聴きたい、
CDも聴きたい、ということになると、直列的にではなく、並列的に関節が増えていく。

つまりコントロールアンプの入力端子に接続されるケーブルは、並列的な関節ということになる。