Archive for category 純度

Date: 1月 10th, 2014
Cate: 純度

純度と熟度(その3)

あるオーディオマニアが自分のためのアンプをつくる。
それが仲間内で、音がいい、と話題になり、
メーカーを興したらどうか、ということになり、オーディオメーカーをつくった。

こんな話が、以前はよくあった。
1970年代だけに限らない。

マランツにしても、最初はこれと似たようなところからのスタートである。

まわりにいるオーディオの仲間というのは、
どんなに多くの人がそこにいようとも、
実際に会社を興し市場に乗り出すことに比べれば、圧倒的に小人数でしかない。
それは小さな世界での評価であり、
それがいきなり大きな世界に参入するということは、
どんなに仲間内で評価が高くとも、必ずしも成功するとは(高い評価をえるとは)いえないし、
仲間内での評価よりもずっと高い評価を得ることだってある。

自国ではそれほどではなくとも、他の国では高く評価されることだってあり得る。

自分が欲しいと思うアンプ、自分が理想と考えるアンプ、
とにかくそういうアンプを製品化することで世に問うわけで、
評価とともに、仲間内では得られなかった指摘もフィードバックされる。

仲間内とは、往々にして好みの合う人たちの集団であったりするのだから、
そこでの音の評価は多少の違いはあっても、大筋では一致していても不思議ではない。

だからそこでの評価にどっぷりと浸ってしまうのか、
そこから抜け出して、広い世界からの評価に飛び込んでいくのか。
それをどう受けとめ、どう次の製品にいかしていくのか。

それによって、「音」が変っていく。

Date: 1月 10th, 2014
Cate: 純度

純度と熟度(その2)

ガレージメーカーという言い方がある。
オーディオでは、1970年代ごろから盛んに使われるようになってきた。

この時代、アメリカでは、アンプメーカーを中心として、
ガレージメーカーというしかない規模のオーディオメーカーがいくつも誕生していった。

マークレビンソンのそのひとつであり、GAS、AGI、DBシステムズ、クレル、スレッショルド、
カウンターポイント、コンラッド・ジョンソン、ビバリッジ、スペイティアルなどがある。
思いつくまま書き並べていって、すくにこれだけ出てくるし、
あまりブランドだけを書いていってもあまりここでは意味がないのでこのへんにしておくが、
雨後の筍といえるほど、多くのガレージメーカーが生れ、消えていったメーカーも多い。

このころよく引き合いに出されていたのが、マークレビンソンの成功であり、
マークレビンソンに刺戟されて、というメーカーも実際にあったようだ。

マーク・レヴィンソンというひとりの男(オーディオマニア)が、
自分のつくりたいアンプをつくり、世に問い成功した。
ならば、同じように自分のつくりたいアンプをつくり世に問う人が、レヴィンソンに続いた。

1970年代のオーディオは、ベンチャー企業でもあった。
だから企業した人すべてがオーディオマニアだったのかどうかは断言できない。
電子工学を学び、とにかく成功したい、ということでオーディオのメーカーを興した人がいても不思議ではない。

でも多くのガレージメーカーの主宰者(創業者)は、オーディオマニアだった、と私は思っている。

Date: 12月 3rd, 2013
Cate: 純度

オーディオマニアとしての「純度」(その11)

チャートウェルのステビング、JBLのランシングとは、マーク・レヴィンソンは違っていた。
レヴィンソンは会社をつぶしたり、会社の再建のために自殺をすることなく、
最初に興した会社マークレビンソンを手放したものの、
その後、チェロ、レッドローズミュージック、そしていまダニエル・ヘルツを興している。

レヴィンソンが経営者として優れているのかどうかはこれだけではなんとも言い難いが、
少なくとも「機敏なビジネスマン」であったことは疑いようがない。

ランシングもステビングもエンジニアだった。
レヴィンソンはエンジニアとは呼べない。
だからレヴィンソンは「機敏なビジネスマン」であった(なれた)というわけでもないはず。

JBLにはアーノルド・ウォルフが、ランシング亡きあと、いた。
ウォルフはSG520、SA600、パラゴンなどのデザイナーであり、
のちに社長となっている。

ウォルフのような人がいるということは、
デザイナー(エンジニア)としての純度と、会社を経営していく才は、
ひとりの男の中で両立するものでもあり、
マークレビンソン時代のレヴィンソンが、
「練達の経営者の才能」をあらわしはじめていたからといって、
オーディオマニアとしての純度が失われつつあった、とは必ずしもならない。

たとえオーディオマニアとしての純度が失われていっていたとしても、
それは「練達の経営者の才能」をあらわしはじめたことと関係していることにはならない。
違うところに理由はあって、
たまたま「練達の経営者の才能」をあらわしはじめた時期と重なっていたのかもしれない。

Date: 7月 23rd, 2013
Cate: 純度

純度と熟度(その1)

大人の男が、実年齢より若く見られて喜んでいるのは、日本人くらいだ、
そんなことをずっと以前に何かに書いてあった。

これがほんとうのことなのかどうかは私にはわからない。
欧米の人でも、若く見られて喜ぶ大人の男はいるかもしれない。
日本人の大人の男全員が、若く見られて喜ぶわけでもないはず。

人によって違うだろうし、同じ人でも現役のときと、仕事をリタイアしてからでは違ってくるのかもしれない。

若く見られる、ということは、つまり貫禄がない、ということだ、とそこでは指摘されていた。

私は以前から実年齢よりも若く見られる。
いまでもそうだ。
これは、年相応の貫禄がない、ということでもあろう。

二年前に、オーディオマニアとしての「純度」(追補)を書いた。

オーディオマニアとしての「純度」を思いついたのは、残り時間を意識しているからなのかもしれない、
と書いた。
それから二年。
オーディオマニアとしての「純度」とともに、
オーディオマニアとしての「熟度」について考えるようになってきた。

Date: 7月 28th, 2012
Cate: 純度

オーディオマニアとしての「純度」(わがまま、でいること)

オーディオマニアとしてわがままでいることを
つまりやりたいことを思い切りやること、やれることだとすれば、
そのためにはやりたくないことも思い切りやらなければならない必要も生じてくる。

オーディオはさまざまなことが要求される。
もっとも現実的な問題としてお金が、かなりの額、必要となってくる。
そのためには、それだけ稼がなければならない。
仕事が、必ずしも、やりたくないことではないにしても、無一文では始まらない。

仕事は、オーディオとは直接関わりのないことだけれども、
オーディオと直接関係のあることでも、やりたくないことを思い切りやることが求められることがある。

オーディオを教えてくれる学校なんてものはない。
だからオーディオマニアは、原則として独学である。
仲間からアイディアやノウハウをもらうことはときにはあっても、独学であることにはかわりはない。

しかもオーディオが要求するものは深く広い。
人には得手と不得手がある。
オーディオマニアにも、オーディオにおける得手と不得手があるはず。

独学では、つい楽なほうに流れてしまいがちになる。
不得手なことは、勉強したくない。
オーディオを仕事としているわけでもないし、趣味として楽しんでいるのだから、
なにも好き好んで不得手を克服することもなかろう──、そういおうと思えばいってしまえる。

それを、オーディオにおけるわがまま、とは私は考えていない。
わがままは、オーディオにおいてやりたいことを思い切りやること、だと考えている。
だから、得手なことだけではなく不得手なことについても独学で克服する必要がある。

わがままの純度を高めていくということは、そういうことでもあると思う。

Date: 7月 27th, 2012
Cate: 純度

オーディオマニアとしての「純度」(わがまま、ということ)

結局オーディオマニアはわがまま、なんだと思う。
そのわがままを、どれだけ貫き通せるか、だと思う。

オーディオをながくやっている人は、わがままを貫き通している人でもあるし、
家族の方の理解・温情が得られているからでもある。

わがままは、オーディオマニアとしての純度なのかもしれない。
だから、音は人なり、ということになっていくのだろう。

だから、これからも(くたばるまで)、わがままを貫き通す、といいたいのではない。

ステレオサウンド 55号が頭に浮ぶ。
55号はベストバイの特集号であったけれど、
それよりもなによりも、55号の「ザ・スーパーマニア」は五味先生だった。
故・五味康祐氏を偲ぶ、とあった。

55号では、巻末の編集後記、
原田勲氏の編集後記に、こうある。
     *
オーディオの〝美〟について多くの愛好家に示唆を与えつづけられた先生が、最後にお聴きになったレコードは、ケンプの弾くベートーヴェンの一一一番だった。その何日かまえに、病室でレコードを聴きたいのだが、なにか小型の装置がないだろうか? という先生のご注文でテクニクスのSL10とSA−C01(レシーバー)をお届けした。
先生は、それをAKGのヘッドフォンで聴かれ、〝ほう、テクニクスもこんなものを作れるようになったんかいな〟とほほ笑まれた。一一一番のほかには二組のレコードが自宅から届けられていた。バッハの《マタイ受難曲》だ。本誌31号に〝自分のお通夜に掛けてほしい〟と先生ご自身が書かれた、ヨッフム盤とクレンペラー盤だった。
     *
五味先生が、どれだけわがままだったのかは、五味先生が書かれたものを読んでいればわかる。
五味由玞子さんによる「父とオーディオ」
(同じタイトルでステレオサウンド 58号と新潮文庫「オーディオ遍歴」に書かれている)、
「父と音楽」(読売新聞社「いい音いい音楽」)からも伝わってくる。

だからこそ、とおもう。
そうおもいながら、ステレオサウンド 55号の原田勲氏の編集後記を読むと、おもうことがある。

原田勲氏の「五味先生を偲んで」(藝術新潮1980年5月号)によると、
テクニクスのプレーヤーとレシーバーを届けられた日の2、3日後には、
「先生はふたたびヘッドホーンをつけられることもなく、病状は悪いほうに無かっていった」とある。

病室での、わずか数枚のレコード──、
ベートーヴェンの作品111とバッハのマタイ受難曲を、
テクニクスの、小型のプレーヤーとレシーバー、AKGのヘッドフォンで聴かれていたとき、
オーディオマニアとしてのわがままは、どこにもなかったのでは、とおもう。

わがままはどこかへ消えてしまうのか、わがままから離れることができるのか、
それとも解脱といっていいのか……、まだ私にはわからない。

純度を高めていったわがままは、もうわがままではないのか。
そのとき聴こえてくる音楽から、なにを聴きとるのだろうか。

そのときの音を、音楽を、私は聴くことができるだろうか。

Date: 10月 4th, 2011
Cate: 純度

オーディオマニアとしての「純度」(その10)

62年前の「その日」のことについては、「Why? JBL」では6ページ割いてある(85〜90ページにかけて)。
その一部だけ引用しておく。
     *
彼の死後、JBL社は保険金一万ドルの支払いを受けた。そのおかげでウイリアム・トーマスはその後の会社経営を堅実なものにすることができたという。生命保険に加入した時期がその日の数年前であることを見ると、どこかランシングの計画的な死であったような気がしてくる。
     *
ランシングが加入していた生命保険の契約がどうなっていたのかわからないが、
自殺の場合の支払いの条項はあったはず。

それに、ランシングは、この時期、アルテック・ランシングに在籍していた弟のビル・マーティンを、
毎週金曜日に訪れ、技術的なコミュニケーションをとっていた。

1949年の9月29日は木曜日にもかかわらず、ランシングはビル・マーティンを訪れている。

これらのことから、「Why? JBL」の筆者、左京氏も書かれているように、
ランシングの死は計画的であったように思える。

1949年、JBLの負債総額は2万ドルになっていた。

ランシングの死について、ほんとうのところは知りようがない。
それでもランシングが別の道を選択していたら、JBLという会社は、いまはなかった可能性もある。

ランシングは自分の死によって会社(JBL)を守った。
デヴィット・ステビングは会社(チャートウェル)をつぶしてしまった。

ランシングが生きた時代はふたつの世界大戦があり、大恐慌もあった。
ステビングとは生きた時代が違う。
ふたりのスピーカー・エンジニアの、その時の選択を比較する気はない。

ただふたりとも会社を経営していく才はなかった。

ステビングはその後、ベルギーのKMラボラトリーというスピーカーメーカーの社長になっている。
ただしKMラボラトリーでつくっているのは普及クラスのスピーカーばかりのようで、
ステビングがチャートウェルで目ざしていた方向とは違っている。

Date: 10月 3rd, 2011
Cate: 純度

オーディオマニアとしての「純度」(その9)

1982年夏に、「Why? JBL」という本が出た。
オーディオとはまったく関係のない出版社(実業之日本社)から、
しかも女性(佐京純子氏)によるJBLについて書かれた本だった。

この「Why? JBL」はステレオサウンド編集部内でも話題になった。
編集部でも購入していたし、編集部員も個人で数人購入していた。私も購入した。

11章から、この本は成り立っている。
 一章  ダウンタウンから約一時間ロスへの郊外へと走る
 二章  ランシングは最も古いアマチュア無線マニアの一人だった
 三章  シャラーホーン・システムが映画芸術科学アカデミー賞を受賞
 四章  アルテック・ランシング・コーポレーションの始まり
 五章  ジェイムズ・B・ランシング社設立
 六章  ジェイムズ・バロー・ランシングの死
 七章  一九五〇年代、商標『JBL』の誕生
 八章  一九六〇年代、JBLスタジオ・モニターシリーズに進出
 九章  JBL日本上陸
 十章  サウンドとヒューマンライフ
 十一章 そして現在のJBL

オーディオマニア的にはもの足りないと感じるところもあるものの、
それでもこの「Why? JBL」で知ることのできた情報は多かったし、
それまではっきりとしなかった事柄のいくつかが、この本によって明らかになったこともある。

「Why? JBL」は永らく絶版だったため、
一時期、ヤフー・オークションでけっこうな値がつくこともあったようだが、
改訂版といえる「ジェイムズ・B・ランシング物語」が、
「Why? JBL」と同じ実業之日本社から2008年に出ていて、いまも入手可能である。

「Why? JBL」の64ページには、こう書いてある。
     *
ランシングについて、そのすべてを研究している現在のJBL社の副社長の一人であるジョン・アーグルは、
彼についてこう述べている。
「ランシングは機敏なビジネスマンではなく、彼のもとでは会社は繁栄しなかった」と。

Date: 9月 30th, 2011
Cate: 純度

オーディオマニアとしての「純度」(その8)

読者だったころは、マーク・レヴィンソンに経営者としての側面が強く出はじめていても、
「それでもマーク・レヴィンソンはマーク・レヴィンソン」と思っていた。
でもステレオサウンドで働きはじめると、
マーク・レヴィンソン個人についてのウワサが耳に入ってくるようになった。

ウワサだから、いい話ではないことのほうが多かった。
でも、だからといってマーク・レヴィンソンが経営者としての側面を強くしてきたことは、
責められることではないはず。

マークレビンソンという会社には、あれだけ成功した会社だから少なからぬ人たちが働いていて、
彼らの生活を保証していくためにも、マーク・レヴィンソン自身、優れた経営者でいることが求められていたはず。

たとえばチャートウェルというスピーカーメーカーが、イギリスにあった。
ハーベスの創立者ハーウッドの下で、
BBCで働いていたデヴィット・ステビングというスピーカー・エンジニアが1974年に興した会社だ。

ステビングが、
BBC在籍時代に特許をとったポリプロピレン振動板のスピーカーユニットを開発・製造するための会社として作った
チャートウェルは、チャート(chart = 特性図のこと)、ウェル(well = 優れていること)を足したもので、
「優れた特性をもつ」という意味である。

それだけに彼は、より優れたスピーカーユニットの開発にあけくれていた。
そしてLS5/8の原型となったPM450を完成させたわけだが、
このスピーカーシステムが日本に紹介されたのは、ステレオサウンド 49号で、だった。

49号は1978年の暮に出たステレオサウンドである。
もっともPM450が完成したのは1976年のことのようで、これをステビングはBBCに持ち込み認められたことで、
BBC技術研究所との共同開発をおこない、1年ほどの年月をかけてPM450を改良したことで、
正式なBBCモニターとして認められ、LS5/8のモデルナンバーを得ている。
そして日本に紹介されたその年、スイストーン(ロジャース)に買収されてしまう。

経営困難に陥ってしまったためである。
ステビングは、スピーカー・エンジニアとして優秀な男であったのだろうし、
満足すべきモノをつくりあげるまで製品化しない、としていたのだろう。
それは、ある一面素晴らしいことではあるものの、結果として会社をつぶしてしまう。

Date: 9月 29th, 2011
Cate: 純度

オーディオマニアとしての「純度」(その7)

マークレビンソンのML7の4枚のモジュールは、
フォノイコライザーのL、Rチャンネル、ラインアンプのL、Rチャンネルというぐあいに並んでいる。
だから、そのままモノーラル仕様にすればフォノイコライザーとラインアンプを1枚ずつ抜くことわけで、
そうすれば内部はフォノイコライザー、空きスペース、ラインアンプ、空きスペースとなる。
それをML6Aでは中央に空きスペースを集めて、電解コンデンサーの収納スペースに当てている。

シルバーパネルのML6が、いわば実験機のまま製品化したようなところを残しているとすれば、
ML6Aにはそういったところはなく、それは技術者の良心の顕れのようにも感じとれなくもない。
使い勝手の悪さはML6もML6Aも同じだけれども。

だから、私はML6Aの内部コンストラクションはトム・コランジェロによるものだと思っているわけだ。

それにこのころのマーク・レヴィンソンは、瀬川先生も書かれているように、
会社設立当初の、純粋に音を追求する若者から「やや練達の経営者の才能」をあらわしはじめている。
そのすこし前に、五味先生は、
読売新聞の連載に「マークレビンソン商法にがっかり」と題された文章を書かれている。
そこに、こう書いてあった。
     *
心外だったのは、マークレビンソンのアンプや、デバイダー(ネットワーク)を置いてないどころか、買いたいが取り寄せてもらえるか、といったら、日本人旅行者には売れない、と店主(注:サンフランシスコのオーディオ店店主)の答えたことである。なんでも、マークレビンソン社から通達があって、アンプの需要が日本で圧倒的に多いので、製品が間に合わない。米国内の需要にすら応じかねる有様だから、小売店から注文があってもいつ発送できるか、予定がたたぬくらいなので、国内(アメリカ人)の需要を優先させる意味からも日本人旅行者には売らないようにしてくれ、そういってきている、というのである。旅行者に安く買われたのではたまらない、そんな意図もあるのかと思うが、聞いて腹が立ってきた。いやらしい商売をするものだ。マークレビンソンという男、もう少し純粋なオーディオ技術者かと考えていたが、右の店主の言葉が本当なら、オーディオ道も地に墜ちたといわねばならない。少なくとも以後、二度とマークレビンソンのアンプを褒めることを私はしないつもりだ。
     *
これについてはマーク・レヴィンソンにはマーク・レヴィンソンの言い分がある、と思うし、
五味先生もすこし感情的かも、と思わないでもないが、
1980年のすこし前あたりから、
マーク・レヴィンソンに経営者としての側面が色濃くあらわれてきていたことは確かなことだろう。

Date: 9月 27th, 2011
Cate: 純度

オーディオマニアとしての「純度」(追補)

(その1)にも書いているように、
この項は、とくに書きたいことが思い浮んで書き始めたわけではなく、
なんとなく、タイトルが浮んだので、とりあえず何か書けるかも……、といった具合にはじめた。

通常は、書きたいことがなんとなく浮んで書けそうな予感がしたら、タイトルを決めて、
といった感じで書きつづけている。

なぜ、このテーマ(というよりもこのタイトル)で書こうと思ったのだろう……と振り返ると、
「五味オーディオ教室」を読んだ日から35年経つ。
いま48歳だ。
あとどのくらい生きられるのかはわからない。
80歳まで生きていられたとしたら、あと32年。
70までだったら23年、60までだったら12年。

仮に80まで生きられたとしても、すでに寿命の半分をすぎているわけだし、
オーディオ歴にしても、すでに半分をすぎていることになる。

いまのところ健康上の問題はないけれど、
確実にこれまでのオーディオをやってきた時間よりも、残り時間のほうが少ない、と思っていていい。
オーディオマニアとしての「純度」を思いついたのは、残り時間を意識しているからなのかもしれない、
とふと思ってしまう。

残り時間をなんとなく意識しはじめているからこそ、
これからは「純度」が試されていくのか、「純度」が必要となってくるのか。

しかも「純度」はこれまでの純度を保つ、で満足するのではなく、
より高くしていかなければならないものだとも思えてくる。

Date: 9月 27th, 2011
Cate: 純度

オーディオマニアとしての「純度」(その6)

1980年に、ML1と同じパネルを持つML7が登場した。
外観上の変更は、外付けの電源部を含めてほとんどない、このML7だが、
天板をとってみると、内部はそれまでのLNP2、ML1とはまったく異っていた。

マークレビンソンが創業時から一貫してて採用してきた密閉型モジュールは姿を消した。
もっとも、この密閉型モジュールは、
LNP1や初期のLNP2が採用していたバウエン製モジュールがそうであったからで、
それを自社製モジュールにきりかえてもそのまま受け継いできただけ、とも受け取れなくもないが、
とにかくモジュールそのものに、大きな変更が加えられた、ではなく、まったくの新設計となった。

サイズの大型化。
つまり回路を構成する使用部品点数が、それまでのジョン・カール設計のモジュールよりも増えていること。
トランジスター、FETの半導体は、プリント基板と同じ大きさのアルミ板に上部が固定されるようになっている。

この大型化されたモジュールが、本体シャーシいっぱいに、4枚並ぶ。
それまでの余裕のあるモジュール配置から一変して、ぎっしりとしたレイアウトへと変っている。

ML1のモノーラル仕様としてML6があったように、
このML7のモノーラル仕様としてML6Aが登場した。

このML6Aは、シルバーパネルのML6とは異り、
モジュールが載るメイン・プリント基板から専用仕様に作りかえられている。
片チャンネル分(つまり2枚のモジュール)がなくなったスペースに、電解コンデンサーを配置。
外付け電源のモノーラル化とともに、ここでも電源の強化がはかられている。

ここはML1→ML6とML7→ML6Aの大きな違いでもあるわけだが、
これはマーク・レヴィンソン自身の考えだったのか、
それともチーフ・エンジニアだったトム・コランジェロの考えによるものだったのかははっきりしないが、
私はコランジェロの考えではないかと思っている。

Date: 9月 22nd, 2011
Cate: 純度

オーディオマニアとしての「純度」(その5)

マーク・レヴィンソンは自家用としてはLNP2よりもJC2を使っていた、ときいたことがある。

LNP2は、もともとミキサーとして開発されたLNP1を原形としているし、
チック・コリアのコンサートではLNP2がミキサーとして複数台使用されている写真を、
当時のスイングジャーナルの記事で見たこともある。
そんなLNP2に対し、JC2はVUメーターもトーンコントロールもなく、
コントロールアンプとしての機能は最低限のものしか備えていない。
左右のレベルコントロールにしても、LNP2は連続可変のポテンショメーターを左右独立で備えているが、
JC2のそれは左右独立ではあっても1dBステップの切替えスイッチによるもので、
しかもラインアンプのNFB量を変化させてのものである。

同時期に同じ会社から出たコントロールアンプにも関わらず、LNP2とJC2の性格は異るところも多い。
LNP2は何度か改良されてはいったが、型番の変更はなかった。
LEMO端子の採用にともなってLNP2Lと型番末尾にLEMOの頭文字の「L」がつくようになっているが、
これは日本向け用のことであって、アメリカで売られていたモノには「L」はついていない。

JC2はLEMO端子の採用直後にML1と型番の変更があった。
このときからマークレビンソンのアンプの型番の頭には、マーク・レヴィンソンの頭文字のMLがつくようになる。
ML1はさらにML6というヴァリエーションを生み出している。

ML6はマークレビンソンのアンプで唯一シルバーパネルを採用したアンプであるだけでなく、
ステレオ時代になってからのコントロールアンプとしては、
少なくともコンシューマー用コントロールアンプとしては初めて、
シャーシーから電源部まで完全に独立したモノーラルコンストラクションを採用している。

しかもフロントパネルにツマミは2つだけ。
ML1では4つのツマミと4つのレバースイッチがあったのが、
ML6は入力セレクターとレベルコントロールだけとなった。
しかも入力セレクターもフォノ1系統、ライン入力1系統の必要最小限という仕様。

ここまで徹底しているわりには内部をみると、ML1のメイン・プリント基板をそのまま流用している。
つまり片チャンネルのモジュールは当然抜いてあるわけだが、
不要となっているチャンネルのパターンはそのまま残っている。

ここまで、いわば純度を追求しているアンプなのに、なぜモジュールが載るメイン・プリント基板を、
ML6専用につくり直さなかったのか。たいした手間でもないはずなのに……、といまでも疑問に思っている。

Date: 9月 17th, 2011
Cate: 純度

オーディオマニアとしての「純度」(その4)

オーディオマニアにとっての「純度」といえば、まず音の純度、ということになるだろう。
その音の純度を高めるために、音の純度を少しでも損なう要素を再生系からとり除いていく……。

その項の(その1)にも書いたように、接点がまずそう。
使い勝手は無視してでもとり除ける接点はすべて無くしていこう。そうすることで純度の劣化を最小限に抑える。
中にはヒューズをとりさってしまう人もいるだろう。
自分で使う機器であれば、けっしておすすめはしないが、そういう改造もできる。
ヒューズをとり除いてしまうような人だと、電源スイッチもなくしてしまうかも……。

そうやって接点をひとつでも多くとり除く。
音の純度のためには、さらには信号系から音を濁す原因となりやすい磁性体をなくしていくこともある。
直接電気信号(電源を含めて)がとおるところはもちろん、その近くにある磁性体も音に影響する。
これらも注意深くとり除いていくということは、
以前、ソニー(エスプリ)の広告について書いたところでふれている。

これら以外にもいくつも手法がある。
そしてそれらを根気よくひとつひとつ実行していくことで、音の純度の劣化はすこしずつ減っていく。
音の純度は高くなっていく。高くなれば、以前は気にならなかったところによる音の純度の劣化でも気になってくる。

そうやって、ひとつのアンプができ上ったとする。
これは妥協なきアンプと、はたしていえるだろうか。

アマチュアがあくまでも自分のために、そして自分の環境でのみ使用するアンプであれば、
そういえなくもない、という気はするけれど(それでも抵抗感はある)、
これがプロの作る、つまり製品としてのアンプだったら、妥協の産物、といえることになる。

ここが、アマチュアの立場とプロフェッショナルの立場の根本的に異るところであり、
これを自覚せずに、妥協を排した的なことを謳うメーカーの製品をどううけとるかによって、
その人のオーディオマニアとしての「純度」がはっきりとしてくる。

Date: 9月 15th, 2011
Cate: 純度

オーディオマニアとしての「純度」(その3)

チェロの第一作は、Audio Palette と名づけられたフリケンシーイコライザーだった。
マーク・レヴィンソン自身も語っているように新しい会社の第一作としては、
それまで手がけてきたコントロールアンプやパワーアンプの製品化のほうが、
会社として軌道にのりやすいということはわかったうえで、あえてAudio Paletteという、
ジャンル分けの難しいモノを製品化している。

マーク・レヴィンソンはMLAS(マーク・レビンソン・オーディオ・システムズ)では、
第一作のLNP2を別にすれば、
コントロールアンプのJC2、そしてML6、パワーアンプのML2にしても、
レヴィンソン自身もいっているように「ピュアな音を追求するために信号経路のシンプル化」を徹底していた。

そういうマーク・レヴィンソンが、新しい会社「チェロ」では、
LNP2のトーンコントロール(3バンド)よりも多い6バンドのイコライザーで、センターチャンネルの出力、
位相切換えスイッチ、40Hz以下の低音のブレンド(モノーラル化)などの機能を併せ持つ。

直前のML6+ML2で目ざしていた世界とは、一見すると180度異るアプローチのように思え、
それまでのマーク・レヴィンソンのアプローチを徹底したピュアリスト的だと受けとめていた人たちにとっては、
チェロでの方針は、ピュアリストであることを放棄したように受けとめられても不思議ではない。
そのことはマーク・レヴィンソン自身がよくわかっていたことなのだろう。
だからこそ、「ピュアリスト・アプローチを忘れたのではない」と語ったのだと、私は思っている。