快感か幸福か(続・音楽の聴き方)
ここに何度か書いているように、
井上先生から何度もいわれていてそれが身に沁みていて、私にとってはとうぜんのことになっているのが、
レコード(アナログディスク、CD含めて)とスピーカーを疑うな、ということ。
はじめてきくようなマイナーレーベルのレコードならまだしも、
名のとおったメジャーレーベルのレコードに、録音のおかしなものは原則として存在しない。
けれど、実際に自分のシステムで鳴らしてみると、うまく鳴ってくれるレコードがあるかと思えば、
まったく冴えない鳴り方のレコードもあり、
世間一般では録音がいいといわれていても、自分のところでうまく鳴ってくれなければ、
それは録音(レコード)が悪い、というふうに思ってしまう時期が誰にもあったはず。
けれど実際には、鳴らし方が悪かった、もしくは未熟なだけのことで、
真剣に真摯に音楽をオーディオを介して聴くことに取り組んでいれば、
いつしか、以前はうまく鳴らなかったレコード(録音)が、
うそのように自然な音で鳴ってくれる日が必ずやって来る。
スピーカーシステムに関しても、まったく同じことがいえ、
きちんとつくられたスピーカーシステムであれば、それがひどい音でしか鳴ってくれないならば、
機器の使い手である自分の未熟さが、そこにあらわれているわけだ。
井上先生のことばは、レコードやスピーカーに、己の未熟さを転嫁するな、ということである。
うまく鳴らないレコードがある、ということは、
オーディオの使いこなしが未熟である、どこかに未熟なところがある、ということであるわけだが、
またこうもいえる、と思っている。
うまく鳴らないレコードがある、ということは、音楽の聴き手として未熟だということ、でもある、と。
井上先生のことばをきいていたとき、私は20代前半だった。
そのころは、そのことばを額面通りに受けとめていた。
それはオーディオ的に未熟である、ということだと。
でも、いまはそればかりではない。
結局、音楽の聴き手としての未熟さが、うまく鳴らないレコードをつくり出していた、といまならそういえる。
どうすればいいのかというと、音楽をひたすら聴き込むことしかない。ただそれだけ、である。