快感か幸福か(その6)
オーディオ機器は、高価なモノ、能力の高いモノ、そういったモノだけを揃えてポンとおいて鳴らしても、
いい音が鳴ってくることは、まずない。
たまたま、いくつかの条件がうまく組み合わさって、幸運が重なることで、
ポンとおいただけでも、そこそこいい音が鳴ってくることもあろう。
それでもそこから先の領域には、使いこなしが求められる、といわれつづけてきている。
使いこなしの重要性は、人一倍認識している。
けれど、最近、使いこなし、という言葉自体に抵抗感を感じはじめてもいる。
使いこなし、とひとことで表現しているが、
ここにはセッティング、チューニング、エージングがひとまとめになっているところもある。
セッティングとチューニングの違いとはなにか。
あるところまでセッティング、ここからはチューニングといえるようでいて、
はっきりとこのふたつに境界線があるわけではない。
それはチューニングとエージングに同じことがいえる。
便宜上、セッティング、チューニング、エージングとわけて説明することもあるが、
これらをふくんだ言葉として「使いこなし」という表現を使うことが、私は多い。
にもかかわらず、どうしても「使いこなし」を口にすることに抵抗を感じるようになったのはなぜなのか。
いくつか理由らしきことはある。
まず「使いこなし」を頻繁に口にする人、
しかも、それを売り物にしている人──人のシステムを調整して仕事としている人──に対して、
うさんくささを感じるようになったことも大いに関係している。
そして、そういった人たちが口にする「使いこなし」には、大事なものが欠けている、と感じているからでもある。