Archive for category 会うこと・話すこと

Date: 9月 24th, 2019
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(ULTRA DACについて話してきた)

その24)で書いている5月4日の飲み会。
同じ場所で、同じ時間からの開始で、前回とほぼ同じメンツで、昨晩も行われた。

そこでメリディアンのULTRA DACについて話した。
来ていた人に、いわゆるオーディオマニアの人はいない。
でも、みな筋金入りといえる音楽好きの人たちばかりである。

ULTRA DACについて話した、といっても、
技術的なことはまったく話していない。

プレーヤー、アンプ、スピーカーがどういうものなのかわかっていても、
D/Aコンバーターって何? という人がほとんどだから、
技術的なこととかを話そうとは思っていなかったし、
そんなことを話されても……、であっただろう。

とにかくULTRA DACの音について話してきた。
16人ほど来ていた人のなかで、ULTRA DACの興味をもって話して聞いていた人は数人だけど、
うち一人は、とても関心をもって聞いてくれていた。

オーディオマニアでない、しかも女性の人が、
ULTRA DACに、ULTRA DACが聴かせてくれるであろう音に、強い関心をもってくれて、
こちらの話を熱心に聞いてくれる。

話していて、こちらも楽しい。

ほかの数人の方たちも、かなりの関心があり、
どこで聴けますか? と訊ねられて、
○○のオーディオ店で聴けます、と答えずに、
毎月第一水曜日に喫茶茶会記での試聴会で、
すでに三度鳴らしている、と伝えた。

話していると、いくつかの気づきがあった。

Date: 8月 22nd, 2019
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(オーディオ好きであれば、それでいい)

20代のころにもあった、30代のころにも40代になってからもあった。
ある人と親しくしていると、周りの誰かが「あの人とは関らない方がいいよ」といってくる。

そういってくる人は、忠告のつもりなんだろう。
素姓の良からぬ人とは付き合わぬのが賢明とでもいいたいのだろう。

そこには、こちらのことを心配してくれているのか、
それともその人が「あの人」という人のことを嫌っているからなのだろうか、
そのへんははっきりとしないこともあるが、
とにかく「あの人とは関らない方がいいよ」といってきた人が、これまで数人いる。

いってきた人はみな別の人たちであり、
その人たちが「あの人」というのも、また別の人のことである。

そういう人からみれば、あいつはよからぬヤツとつるんでいる、となるんだろう。
でも、これこそよけいなお世話である。

会って話せば、目の前にいる人が、ほんとうにオーディオ好きなのかどうかは、
はっきりとわかる。
それさえわかれば十分である。
その人の職業とか経歴とか、そんなことはどうでもいい。

ほんとうにオーディオ好きの人であれば、
周りの人たちが「あの人は……」といおうが、私にはどうでもいいことでしかない。

でも、周りの人の声のほうが気になって、
「あの人は……」といわれる人とのつきあいをやめていく人もいるみたいだ。

会って話しても、そういう人はわからないのだろうか。
誰がほんとうにオーディオ好きで、そうでないかが。

もしかするとほんとうにオーディオ好きの人を前にすると、
自分のオーディオの好きさ加減がバレてしまうから、それを怖れて、
ほんとうのオーディオ好きを遠ざけるのか。

Date: 8月 10th, 2019
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(audio wednesdayのこと・その3)

ラインケーブルの応急処置をするあいだ、
まったく音を鳴らしていないと、アンプやCDプレーヤー、
それにスピーカーのウォーミングアップも進まないので、
とりあえず、俗にいう赤白ケーブルで接続して、とりあえず鳴らすようにはしていた。

ケーブルのトラブルがあったため、
開始の19時すぎても、スピーカーやアンプなどのきちんとしたセッティングは終っていなかった。

音を鳴らしながら、スピーカーの細かな位置決め、ガタとり、
ホーンの前後位置の調整、
それからアンプ、CDプレーヤーに関しても、いくつかのことをやって、
開始時間よりも30分くらい過ぎて、どうにか準備完了である。

ケーブルは赤白ケーブルのままである。
まず、これで聴いてもらい、
応急処置したケーブルを交換する。

赤白ケーブルよりもいいけれど、もやもやした気分が晴れない。
やっぱり前日の晩に、ケーブルの第二弾を作ってくればよかった……、
と後悔しても、遅い。

どうしようかな……、と思って、トートバッグの中をみたら、
ケーブルが入っていた。入れたつもりのないケーブルがあった。

打痕があったため、前回引き上げたケーブルが入っていた。
一度はバッグから取り出していた。
前日の晩に、一緒に引き上げてきたアース線を使おうと思って、
まとめてバッグに入れていたようだった。

これで、新しく来てくださった人たちに、いつも通りの音を聴いてもらえる。
これは、音を出している側にとって、安心感である。

常連の人たちだけであったら、説明すれば納得してくれても、
新しい人たちに対して、そういうことはしたくない。

何かトラブルがあったとしても、できるかぎりいつも通りの音、
できればいつも以上の音を出したい、という気持は常にある。
それでも予期せぬトラブルがあると、場合によってはなかなか難しくなる。

とにかく、そうやって8月7日のaudio wednesdayは始まった。

Date: 8月 8th, 2019
Cate: audio wednesday, 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(audio wednesdayのこと・その2)

audio wednesdayでは、自作の直列型ネットワークを使用している。
通常は、コイズミ無線製のネットワークに私が手を加えたモノを使用している。

自作のネットワークで通常も鳴らしてほしい、と思いつつも、
そうしないのは、(その1)で書いた演劇の人たちの扱いのひどさだけが理由である。

演劇の人たちの扱いだと、二、三ヵ月でどこかおかしくされるはず。
半年と持たない、とみている。

そういう環境には置いておけない。
なので毎回ネットワークも交換するという面倒なことをしている。

ユニットには、それぞれCR方法を、audio wednesdayではやるけれど、
通常はやっていない。
以前は、やっていたけれど、コンデンサーのリード線を捥ぎ取られてしまったことが二回あった。

audio wednesday以外の日の音も、できるだけaudio wednesdayの音に近いものにしたい。
そう思っていても、演劇の人たちがいるかぎり無理である。

壊されても修理はできる。
壊されたのが一週間ほど前にわかれば、当日までに部品を調達して、ということもできるが、
すべて当日になって判明することだから、あーっ、またか……、と思うしかない。

昨晩もそうだった。
しかも自作ラインケーブルの第二弾も、暑さにまけて用意してこなかったので、
不本意な音で鳴らすしかないのか、
来てくれる人も、常連の人たちばかりだから、事情を説明すればわかってくれるだろう……、
そんな甘い考えをもっていた。

でも、おもしろいもので、そういう晩にかぎって、新しい人たちが三人も来てくださった。

Date: 8月 8th, 2019
Cate: audio wednesday, 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(audio wednesdayのこと・その1)

昨晩のaudio wednesdayは、ちょっとしたトラブルから始まった。
毎回、スピーカーをふくめて、アンプ、CDプレーヤーすべての機器のセッティングを、
すべてやるわけだが、
アンプ、CDプレーヤーをラックからひっぱり出すために、裏にまわって驚いた。
ラインケーブルのコネクターが、一箇所、引きちぎられていた。

実は前回も、ラインケーブルに、何か硬い角のあるモノを落したような打痕があった。
喫茶茶会記では、いろんな催しが行われている。

定期的に演劇を行っている人たちは、
オーディオ機器を動かしている、という話は以前から聞いていた。
その扱いが゛そうとうに乱暴なことは、これまでにも気づいていた。

それでもCDプレーヤーとアンプを接続するケーブルまでは、
演劇の人たちによる被害を受けるとは、まったく思っていなかった。

オーディオにまったく関心ない人たちのオーディオ機器の扱いは、
人にもよるのはわかっているけれど、ひどいことがある。

もっともオーディオマニアを自称している人でも、
そんな持ち方をするのか……、と呆れるというか驚かされることはある。

二ヵ月続いて、ラインケーブルがけっこうな被害を受けている。
しかもaudio wednesdayの当日に判明するなのだから、
昨晩は、ケーブルの補修をやらなければならなかった。

しかも、必要な部品を用意していたわけではないから、応急措置でしかない。

打痕がついたケーブルは、4月から導入したもので、
打痕があったため、先月引き上げた。
なので、それ以前のケーブルを先月から接続していたのだが、それをダメにされた。

実をいうと、今回、ラインケーブルを自作して持ってくるつもりだった。
コネクターも買って、必要な加工もしていた。
でも、暑さに負けて、そこで止ってしまった。

Date: 5月 7th, 2019
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その24)

5月4日は、写真家の野上眞宏さんから「来なよ」と誘われていた飲み会の日だった。
行くつもりでいた。

けれど夕方、雹が振ってきて、さらに大変なことになっていた。
こんなことが起るの? といいたくなることが起っていた。

それがおさまって後片づけをしながら、
「しまった、動画をとっておけばよかった」と悔やんだけれど、
その時はそんな余裕はまったくなかった。

行けないな、と思っていた。
けれど、とりあえずなんとかした。
なんとかなれば、行こう、という気が起きてくる。

行くことにした。
片づけは完全には終ってなかったけど、行くことにした。

18時集合だったけれど、一時間ほど遅れて到着した。
私を含めて十一人集まっていた。
大半が初対面の人たち。

行ってよかった、と思った。
以前の私ならば、大変なことが起った時点で、
完全に行く気を失っていたし、取り戻すこともなかっただろう。

でも元号も令和になったし、という、どうでもいい理由をつけて、出掛けていた。

この日は日付が変る直前まで盛り上っていた。
終電の関係でお開きになったけれど、電車の心配がなければもっと遅くまで続いていたはず。

集まった人たちはみな濃かった。
こういう人たちに囲まれていると、自分の薄さを感じる。
(私は)狭い世界で生きているよなぁ……、とわかっていることを実感する。

だからこそ楽しいし、
オーディオをずっとやってきたからこそ、この場に参加できていることも実感していた。

Date: 5月 2nd, 2019
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その23)

今年のヘッドフォン祭では、
「(ブログを)読んでいます」と声を、二人の方からかけられた。
どちらも出展社の方である。

そういってもらえると、やっぱり嬉しいし、
少しばかり照れくさいものである。

二人とも社交辞令でいわれているのではないことは、
その後に続く話からもわかる。

好き勝手なこと書きやがって──、
そんなふうに思っている人がいるのは聞いて知っている。

そういう人たちがいる一方で、話しかけてくれたような方たちもいてくださる。
どちらが多いかといえば、たぶん前者だろう。

これから先も、このことは変らないだろう。
変るくらいなら、とっくにオーディオの世界はよくなっている。

書くのは、書く時は独りである。
たまに電車に乗っている時に書くこともあるが、
それでも周りは知らない人ばかりだから、独りといえる。

寂しい、とか、つらい、とか、そんなことはまったく感じないけれど、
会った人から、「読んでいます」と直接いわれるのは、
独りでやっているからこその嬉しさである。

Date: 4月 29th, 2019
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その22)

その20)で、ヘッドフォン祭が開催される中野は、
その後が楽しいところである、と書いた。

今回も、いつもの三人で中野をぶらついていた。
食事を終えて、もう一軒、ということになった。

ヘッドフォン祭の前に少し中野をぶらついていた。
その時、ある店が、というより、JBLのバイラジアルホーンが目に入ってきた。
店の入口に、大きなホーンが一本だけ飾ってある。

これで、普通の、なんてことない店なわけがない。
それで、そこに行くことになった。
ミュージックイン(Music-IInn)という店である。

入る前から気になっていたのは、
どんなスピーカーを鳴らしているか、である。
バイラジアルホーンを飾っているくらいだから、JBLのホーン型のはずだ、と期待しつつも、
まったく違うスピーカーの場合だって考えられる。

入れば、すぐにスピーカーがある。
JBLの4430だった。
表のホーンは、4430と確かにつながっている。
どちらもバイラジアルホーンである。

ここで紹介しているからといって、
ものすごい音を期待されていくと、がっかりされるかもしれない。
アンプはアキュフェーズだ、そうだ。

これみよがしの音ではないし、
際立った特徴のある音でもない。
けれど、私たち三人は、流れてくる音楽を聴きながら、まったりしていた。

店内には、店主の好きなモノが、あちこちに飾られている。
トイレもそうである。
洗練されたおしゃれな店ではない。

昭和生れの三人は、この空間でまったりしていた。
他に客はいなかったおかげもある。
かかっている音楽も、店主の好きな音楽なんだろう、と感じる。

どこも無理していない、そんな雰囲気だからまったりできたのかもしれない。

こんな店があるから、確かに中野はいいなぁ、とまた思っていた。

Date: 3月 11th, 2019
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その21)

先日、ある人と話をしていた。
瀬川先生の話が出た。

「瀬川先生に会いたかったなぁ」と実感のこもった感じでいわれた。
私より六つ上の人で、
西新宿にあった山水のショールームで定期的に行われていた「チャレンジオーディオ」、
行かれたことがある,という。

けれど、当時はオーディオはまだまだブームだった。
瀬川先生の「チャレンジオーディオ」は盛況だったときいている。
実際、すごい人の多さだったらしい。

その人は、その人のあまりの多さにめげてしまって、
そのまま帰ってしまったそうだ。
定期的に行われていたから、また行ける、という気持があってのことだろう。

その機会が訪れることはなかった。
だからこその「瀬川先生に会いたかったなぁ」という後悔である。

瀬川先生が亡くなられて今年の11月で38年が経つ。
それほどの月日が経ってもなお「瀬川先生に会いたかったなぁ」という気持が、
強くその人の心には残っている。

「瀬川先生に会いたかったなぁ」ということばを聞いた日に、
私はステレオサウンド 210号を読んだ。

黛健司氏の「菅野沖彦先生 オーディオの本質を極める心の旅 その1」を読んだ日である。

「瀬川先生に会いたかったなぁ」と話してくれた人は、
ショールームの奥の端っこでいいから、その場に残っておくべきだった──、
という後悔が残る──、
そのことを強く実感していた。

Date: 10月 28th, 2018
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その20)

仲良しチームと呼ばれている三人で、ヘッドフォン祭に行っていた。
ヘッドフォン祭は中野で開催されている。

一人で行くのであれば、交通の便が悪くなければ、
どこで開催されていてもいいけれど、
仲のいい人たちといっしょに行くのであれば、
その後に、飲みに行きましょう、ということに必ずなる。

そうなると、ヘッドフォン祭の中野は、いいなぁ、と感じる。

Date: 10月 12th, 2018
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その19)

仲良しチームと周りの人に呼ばれている私を含む三人。
今日は、新しい人を加えて四人で会っていた。

少し飲みすぎて、この時間でもかなりアルコールが残っている。
ブログを書くのも面倒に感じるくらいに、まだ酔っている。

四人で会っていて盛り上った。
帰り際に「もう一軒よりももう一回」ということばがあった。

そうだな、と思ってきいていた。
「もう一回」は再会を約束することばでもある。

再会というと少し大袈裟すぎるように受け止められがちだが、
再会を約束して、きちんとまた会う。

それだけのことだ。
でも、そのことをきちんとしていくのが、幸福なのだろう。

Date: 7月 6th, 2018
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その18)

10日ほど前、「黒田恭一氏のこと(「黒恭の感動道場」より)」を書いた。

最後、こう書かれている。
     *
自己の全人格を賭けてなどと、大袈裟なことをいうつもりはないが、少なくとも、これはと思った情報を伝える時には親しい友だちに伝えるときの真剣さを忘れべきではないと思う。
     *
いまから11年前に書かれている。
iPhone登場前であり、
SNSもmixiがあったくらいである。

黒田先生は、この文章を書かれた後の世の中の変化を、もうご存知ない。
いまなら、なんと書かれるだろうか、とおもうことがある。

《親しい友だちに伝えるときの真剣さ》とある。
けれど、いまはどうだろうか。

iPhoneに代表されるスマートフォンが、一人一台といえるくらいに普及していると、
そのディスプレイに表示されている情報を、
それこそコピペ(こうした略語は極力使わないようにしているが、ここではコピペがふさわしい)して、
親しい友だちに送信する。

手軽である。それだけにスピーディでもある。
わざわざ会って話して伝えるのにくらべて、ずっと楽である。

でも、そこで口コミは、もう口コミではなくなっていることが多いのではないか。
真剣さは、ここでも稀薄になりつつある。

Date: 12月 18th, 2017
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その17)

そんなふうにおもう私でも、今日は楽しかった。
つきあいのながい人たちと観に行ったわけではない。

一人は11月に知りあったばかり。
でも、そんなことはどうでもいいほどに、映画の後の雑談が楽しい。

映画の後に、何を話そうか……、などと考えながら映画を観てもつまらない。
そんな観方はしない。

オーディオで、誰かのところに行って音を聴くということを、
私の方から積極的にしないのは、同じ理由からである。

初対面の人のところに行って、音を聴く。
聴き終れば、当然感想を聞かれる。
これが苦痛になることがある。

なんといおうかと考えながら聴いていては、
中途半端に聴き方になってしまうし、聴かせてくれた人に対して失礼でもある。

それでも、なんといおうかと、言葉につまることも、実際にある。
当り障りのないことでごまかすのも失礼だし、
かといって正直に話すのも……、と憚られることも少なくない。

確認したわけではないが、いっしょに行った二人も、
そんな映画の観方はしていないはず。

そういう三人でも、というか、そういう三人だから、というべきか、
話は盛り上る。

10数年、誰かと映画を観ることはしてなかった。

映画だけでなく、コンサートもオーディオに関係することも、
ひとりでやることが圧倒的に多い。
これからもそうであろう。

それでも、これからは、ひとりで、ということに頑なにならずに、
これからは機会があれば、積極的に誰かと映画を観ることにしよう。

Date: 12月 18th, 2017
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その16)

映画館で映画を観るようになったのは、小学校の低学年からか。
その時代、東映まんがまつりが、春休み、夏休み、冬休みに上映されていた。
そのあたりから映画館で観るようになって、今日までに何本の映画を観てきたのか、
けっこうな本数を観ている。

子供のころは、親と一緒だった。
けれど中学生ともなると、一人で行く。
一人で観るようになってから、誰かと一緒に観た映画はわずかだ。

思い出すかぎりで、十本に満たない。
映画は一人で行って観るものだ、とおもうようになったのは、
観たいと思った時に、観たい映画を観たいから、である。

そんな私も、今日は三人で観てきた。
先週の水曜日に、観に行こう、ということになった。

こんなことは初めて、である。
いままで誰かと観に行った映画は、当日、「じゃ観に行こうか」という感じだった。

前もって約束して、集合時間と場所を決めて観る。
そんなの当り前だろ、といわれそうだが、
こと映画に関しては、初めてだった。

観終って映画館を出たら、そこで別れるわけではなく、
三人で軽く食べながら飲みながら、映画の話となる。

実をいうと、20代、30代のころは、これが苦手だった。
観終ったばかりの映画について語る──、
なぜ、観終ったばかりの映画について、こんなに語れるのか、
一緒に行った人が語るのを聞いていて、不思議に思うこともあった。

20代終りごろ、ある試写会に行った。
ちょっと変った試写会で、観終った後に、
アンケート用紙に記入させられた。

まわりの人をみると、かなりのいきおいでびっしりと書いている人ばかりだった。
この人たちは、映画評論家を目指しているのか、と思うほどに書いていた。

その姿を見ていて、
この人たちは映画を観ながら、何を書くかを考えていたんじゃないのか──、
そんなことを勝手に思っていた。
もうそうだとしたら、なんとつまらない映画の観方なのだろう、ともおもっていた。

Date: 12月 14th, 2017
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その15)

火曜日は、別項「実感した電源事情」で書いているように、
渋谷のギャラリー・ルデコに行っていた。

4Fで24日まで開催されているSUBTERRANEAN HOMESICKは、
金村修、小松浩子、マイク野上、三人の写真家による展示である。

SUBTERRANEAN HOMESICKで音楽を鳴らしているシステムは、野上さんのモノである。
12日の夜は、野上さんと渋谷で飲んでいた。

ライカの話が出た。
ライカの話をされるときの野上さんの手つきは、
そこにライカのカメラがあるかのような手つきである。
ライカのカメラが、そこにスポッとおさまっているかのようである。

野上さんのライカの話を聞いていて、
瀬川先生の文章を思い出してもいた。
     *
 カメラについて、私の知るかぎり最もその扱いの見事な人は、故人となった木村伊兵衛先生だった。写真に凝ったあげく「ライカ倶楽部」の会員の端くれに入れて頂いた私にとって、木村先生は雲の上のような存在だったが、その木村先生のカメラさばきの見事さについては、いくつもの〝伝説〟が残っている。だが、それを最もうまく言いあてているのは、「まるで呼吸すると同じように」カメラを扱った、という大倉瞬二氏の表現だろう。木村伊兵衛氏が写真を「撮っている」ところを、しかと見た人は少ない。つまり、カメラを「構えた」という感じを周囲の人にまったく気づかせない。首からぶら下げたライカが、時折、顔のところまでスっと引き上げられ、スっと元のところにおさまる。居合抜きもかくやという雰囲気で、確かにそれはもう、呼吸すると同じくらい、身体の一部になってしまっていた。
(「音の味覚学(ガストロノミー)」より)
     *
ライカこそ、そういうカメラなんだ、と野上さんの話を聞きながら思っていた。

楽しい三時間は、あっという間だった。
帰宅して布団の中に入って、ふと気になったことがあった。

iPhoneで「木村伊兵衛」で検索してみた。
木村伊兵衛氏は、1901年12月12日の生れだった。

その場に居合わせなかった人にとって、どうでもいいことなのだろうとわかっていても、
12月12日に、ライカについての野上さんの話を聞けたことは、
私にとっては単なる偶然ではない意味をもつ。