Archive for category アンチテーゼ

Date: 10月 15th, 2017
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(その10)

「毒にも薬にもならない音」、
「毒にも薬にもならない文章」と書いてきて、
「毒にも薬にもならない演奏」とは……、で思い出すのは何か、と考えた。

私にとって「毒にも薬にもならない演奏」の筆頭は、
インバルがDENONレーベルに録音したマーラーである。

インバルのマーラーのことは、以前に書いている。
そのときバーンスタインのマーラーを引き合いに出している。

私にとってインバルのマーラーが、まったく響かなかったのは、
「毒にも薬にもならない演奏」だったからにほかならない。

インバルの演奏からは、マーラーの交響曲(音楽)がもっている毒、
一種の毒といってもいいと思えるところが弱い、というよりも、
ほとんど感じられなかった。

インバルのマーラーに毒を感じる人もいるのかもしれない。
現在のインバルのマーラーが、どうなのかは聴いていないので、なんともいえないが、
少なくとも1980年代のDENONレーベルのマーラーに、毒を感じることは一度もなかった。

私がバーンスタインのマーラー、それもドイツグラモフォン録音を高く評価するのも、
誰にも増してマーラーの毒を強く感じさせるからである。

そうだった、と思い出すのは、
「毒にも薬にもならない文章」を書くことを選択した知人だ。
知人は、好んでマーラーを聴くことはなかった。

彼のところにバーンスタインのマーラーのディスクを持っていったこともある。
そのときの彼の反応は、いま思えば、毒に対するある種の拒否反応だったかもしれない。

毒があるから、マーラーの世界(音楽)にのめり込んでいける、
もしくはどっぷりとつかれる(浸かれるであり、憑かれるでもあり、撞かれる)。

そんな私のような聴き手がいる一方で、
毒があると、のめり込めない、という人もいるはずだ。

Date: 10月 14th, 2017
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(audio wednesdayでの音・その9)

高域が075よりものびている2405だから14.4kHzというカットオフ周波数でも、
トゥイーターを追加する意味はあろうが、
075の実測の周波数特性をみるかぎり、
高域の上限とカットオフ周波数が同じということになり、
何の意味があるのかと思われるかもしれない。

周波数特性だけでなく、指向特性も良好とはいえないから、
指向特性の改善につながるとも考えにくい。

私だって、少しはそう思った。
けれどコンデンサーだけの、つまり-6dB/oct.でローカットしているわけだから、
1オクターヴ下の7kHzにおいても、そこそこの音圧レベルで鳴っている。

075のカタログ発表値の出力音圧レベルは、806Aよりも数dB高い。
私がここで狙える可能性があると考えたのは、
アルテックの2ウェイシステムの高域の拡張ではなく、
音のプレゼンスに関係してくる帯域から上限までの充実であり、
音の表現力の充実である。

その意味で、今回の075の使い方もサブトゥイーター的といえる。
その狙い通りにうまくいくのか、と多少の不安は音を出す前はあった。

075を追加した効果がまったく感じられないどころか、
このくらい高いカットオフ周波数でも、075のジャジャ馬的性格が出てくるのかだろうか、
すべて杞憂にすぎなかった。

とりあえずホーン811Bの少し後方に置いて鳴らした。
DLM2の時に、常に気になっていた点が払拭されていた。
しかも滑らかだった。

Date: 10月 14th, 2017
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(audio wednesdayでの音・その8)

グッドマンのDLM2については、ほとんど知らない。
スイングジャーナルに載っていた1967年のシュリロ貿易の広告には、
AXIOM 80とともにDLM2も載っている。

広告には能率が高く、5kHzから使える、とある。
価格は一本8,500円、参考までにAXIOM 80は一本26,500円だった。

DLM2はホーン型ながら、ドーム型トゥイーターのように薄い。
しかも5kHzのカットオフ周波数のローカットフィルターを内蔵して、である。
おそらくローカットフィルターは12dB/oct.のスロープ特性だろうから、
コイルとコンデンサーがひとつずつハウジング内に収まっているはず。

DLM2は少なくとも1967年以前からあったわけだ。
JBLの075は1956年に登場している。

1950年代のアメリカのトゥイーターと1960年代のイギリスのトゥイーター。
周波数特性の高域の伸びということでは、どれだけの差があるだろうか。

喫茶茶会記では、中高域を受け持つドライバー806Aの端子に並列に接続されていた。
5kHz以上からDLM2も鳴っていた。
806Aはローカットはしているが、高域に関してはハイカットフィルターは通していない。

私がDLM2のことを、サブトゥイーターと呼ぶ理由は、このへんにある。
しかもDLM2は正面には向けずに、ほぼ上向きにしている。

このDLM2を今回、075にしてみたわけだ。
交換するにあたって、あれこれ考える。

自分のシステムならば、常にいじれるけれど、
喫茶茶会記のスピーカーなので、月に一回。
それも調整だけに時間をさけるわけでもない。

基本的にアルテックの2ウェイシステムに075というJBLのトゥイーターを追加する、
DLM2と交換するという考えではなく、そう考えていた。

クロスオーバー周波数をどのくらいにするか、
806Aの上の帯域をカットするのか、そのままにしておくのか、
スロープ特性は……、レベル設定は……、
置き場所、置き方は……、
これらをひとつひとつ音を聴いていってセッティングをつめていければいいけれど、
そうもいかない。

とにかく今回は075をアルテックの2ウェイに追加することで、
どんな変化が得られるのか、その様子見といったほうがいい。

結局、2016年8月のaudio wednesday「新月に聴くマーラー(Heart of Darkness)」では、
2405を鳴らしている。このときコンデンサーでローカットしている。
今回も、そのコンデンサーをそのまま使用した。

容量は0.47μFと0.22μFのコンデンサーを並列に接続だから0.69μF。
075のインピーダンスは16Ωだから、単純計算では14.4kHzのカットオフ周波数となる。

Date: 10月 12th, 2017
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(audio wednesdayでの音・その7)

JBLのトゥイーターといえば、075か2405が、まず浮ぶ。
075を使ったシステムは、これまでいくつかのところで聴いてきている。
とはいえ、自分で鳴らしたことはないユニットである。

ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIESの三冊目、
「世界のトゥイーター55機種の試聴とその選び方使い方」、
ここでの075の評価は、絶賛といえるものではなかった。

075はその時点でも古いトゥイーターといわれていた。
瀬川先生は《ハイエンドの伸びが圧倒的に足りない》と発言されている。
事実、実測データも掲載されていて、15kHzあたりまでだし、
実測指向性パターンをみても、
2405は5kHz、1kHz、15kHz、いずれの周波数においてもきれいなパターンを描いているが、
075は5kHzでも広いパターンとはいえず、15kHzにおいてはかなり悪い,としかいいようがない。

たしかに設計の古いトゥイーターである。

瀬川先生は《地がかなりジャジャ馬》で、
《使いこなしをめんどうくさがる人には、なかなかよさを出すことがむずかしい》ともいわれている。

黒田先生は、《華やかで美しい》とまずいわれているが、
ここにはネガティブな意味も含まれている、とつけ加えられている。
そして《ちょっと騒がしい》とも。

井上先生は《古いタイプの音》、《聴感上のSN比に問題》があり、
《シリシリという音がすべての楽器の音に重なって》くるため、
《音全体が騒々しい》という評価だ。

その075をアルテックの2ウェイ・システムに加える。
それまでのトゥイーター、グッドマンのDLM2も古い設計だ。
周波数特性を比較しても優劣はないかもしれない。

けれど手に持った感触は、DLM2と075はまったく違う。

Date: 10月 11th, 2017
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(audio wednesdayでの音・その6)

今回喫茶茶会記のアルテックのダイアフラムをダメにした人は、
自分のした行為をどう思っているのだろうか。

なんとも思っていないのか。
それとも、ダイアフラムをダメにするほどの音量を出した、ということを誇りに思っているのだろうか。

ダメにした人がどういう人なのかは知らない。
ただ、その人の大音量再生(ほんとうはそう呼びたくないが)と、
私の大音量再生は、同じ喫茶茶会記のシステムを使って鳴らしていても、
まったく別ものである、ということだけはいえる。

話がそれてしまったので元にもどそう。
左チャンネルが807Aに換装されていた今回のaudio wednesday。

同じ音量設定ながら、前回とは違う鳴り方に驚きながらも、
やはりドライバーが違うということは、気になる。
聴いていて、良さはあるけれども、
なんとなくではあっても、それこそ「フツーにいい音」的な面も感じられた。

私自身の気合いが、この時点でいまひとつ入りきれていないのも関係していたはずだ。
同時に、ネットワークの配線を今回も変えたことで、
サブトゥイーターとして鳴らしているグッドマンのDLM2がそぐわなくなってきた感が強くなった。

ネットワークの配線の変更が直接関係してくるのはウーファーとドライバーに対してであって、
サブトゥイーターのDLM2にも直接関係しているわけではない。

そのためであろう、ウーファーとドライバーの鳴り方がはっきりと変化したことに対して、
DLM2はついてこれなくなった──、
そんなふうにも解釈できる鳴り方だった。

こうなるとトゥイーターを交換してみるしかない。
早々とDLM2から075に変えることになった。

Date: 10月 9th, 2017
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(audio wednesdayでの音・その5)

スピーカーのボイスコイルは、数Ωという直流抵抗を持つ。
この直流抵抗によって、ボイスコイルは熱を持つことになる。

熱を持てば、直流抵抗の値は高くなる。
高くなれば、その分さらにパワーのロスが生じる。
ということは、そこでまた熱が発生する。

ボイスコイルの温度がさらに上れば、直流抵抗はさらに高くなる……。
つまりリニアリティの低下である。

JBLの4343から4344へのモデルチェンジにおいて、
ウーファーが2231から2235へと変更されている。

JBLの発表によれば、
約30Hzの低音での1W入力時と100W入力時の出力音圧レベルは、
ボイスコイルの温度上昇とそれによる直流抵抗の増加、
それ以外にもダンパーなとのサスペンションの影響により、
2231では100Wの入力に対してリニアに音圧レベルが上昇するわけでなく、
3〜4dB程度の低下が見られる。

2235での低下分は約1dB程度に抑えられている。
2235は確かボイスコイルボビンがアルミ製になっている。
ボビンの強度が増すとともに、放熱効果もそうとうに良くなっているはずだ。
このことが、100W入力時の音圧の低下を抑えている、といえよう。

1970年代後半に登場したガウスのユニットは、
磁気回路のカバーがヒートシンク状になっていた。
これせ放熱効果を高めるためである。

大入力も瞬間的であれば、さほどボイスコイルの温度の上昇も気にすることはないだろうが、
連続して大入力がユニットに加われば、ボイスコイルの熱の問題は顕在化してくる。

ラウドネス・ウォーといわれるような録音を、大音量で鳴らしていれば、
ボイスコイルの温度は高くなっていくばかりだろう。
その状態でさらなる音量を求めてボリュウムをまわしていっても、
悪循環に陥ってしまうだけで、頭打ちになってしまう。

こうなってしまっては、もう大音量再生とはいえないし、
スピーカー破損への道まっしぐらであり、
喫茶茶会記のアルテックの806Aは、ダイアフラムがダメになってしまった。

Date: 10月 8th, 2017
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(audio wednesdayでの音・その4)

音質を音量の大きさでごまかす、
こんなことがずっと以前からいわれてきている。

音を大きくしさえすれば、いい音に聴こえる、と、
こんなことを言っている人は、本気でそう思っている(信じている)のだろうか。

世の中には、大音量で聴く人を蔑む人がいる。
それは知的ではない、とか、野蛮だ、とか、そんなことをいう。

大音量で聴くことは、ほんとうに知的でない行為なのか。
これは大音量再生を真剣にやったことのない人のいいそうなことだ。

大音量再生は、大音量再生ならではの知的な行為である。
ただただボリュウムのツマミを時計方向にまわしていけば、
それで済むような行為ではない。

私は、大音量再生は、知的でスリリングな行為だ、と考えている。
どこまでボリュウムをあげていけるのか、
音が破綻してしまったら、それは大音量再生とは、もういえない。

破綻させず、そしてスピーカーを破損させずに、
どこまで音をあげていけるのか。
そのぎりぎりのところを見定める。

一度やってみると、これぞオーディオだ、と心で叫びたい気持になる。
それにハマってしまう。

今回、喫茶茶会記のアルテックのドライバーを壊した人は、
大音量再生を知的な行為とは、少しも思っていないのだろう。
ボリュウムを時計方向にまわしていけば、でかい音が出る、くらいの認識であり、
自分のスピーカーではない、という気持がどこかにあったはずだ。

Date: 10月 8th, 2017
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(audio wednesdayでの音・その3)

朝沼予史宏氏は、つまりはダイヤトーンのスピーカーの力量を見誤った。
だからスピーカーを破損することになった。

こう書くと、反論できない故人のことを悪くいうのか、と思われる人がいるが、
私は反対に、ダイヤトーンのトゥイーターを破損してしまったことを、
凄いこと、伝説のように語ることの方が、
朝沼予史宏氏のことを貶めている、とすら思う。

朝沼予史宏氏はプロフェッショナルであることを、強く意識している人だった。
その人が、スピーカーを破損してしまったということは、
そのときはプロフェッショナルではなかった、ということでもある。

オーディオ評論家というオーディオのプロフェッショナルではなく、
オーディオのアマチュアであったと──、
だからダイヤトーンのスピーカーを破損したことを持て囃す人たちこそ、
プロフェッショナルであろうとしていた朝沼予史宏氏を貶めている、と考える。

朝沼予史宏はペンネームであることは知られている。
本名でやっている人もいればペンネームを使う人もいる。

ペンネームを使う人みながそうではないだろうが、
少なくとも朝沼予史宏氏は、
オーディオのプロフェッショナルであろうとしてのペンネームのような気がする。

十年以上前だったか、インターナショナルオーディオショウのあるブースで、
ある人がプレゼンテーションをやったときに、スピーカーをとばした、と聞いた。
その話を私にしてくれた人は、すごい音で鳴っていた、と興奮気味だった。

かもしれない。
けれどスピーカーをとばしてしまうのは、オーディオのプロフェッショナルならば、
特にインターナショナルオーディオショウという場では絶対にやってはいけないことではないのか。

もっともスピーカーをとばした人は、オーディオ評論家でも、
オーディオのプロフェッショナルでもない人だから、
どのブースだったのか、どのスピーカーだったのか、誰なのかは書かない。

Date: 10月 7th, 2017
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(audio wednesdayでの音・その2)

鳴り出した「THE DIALOGUE」の音に驚いた。
こんなに変化するのか、とやった本人が驚くほどの違いにも関らず、
聴いていると「今日の私のようだ」とも感じていた。

疲労感があって、どこかしゃっきりしない感じにも似た、
この日の私の体調にも通じるような感じがどこかにあって、
納得がいかない、とも感じていた。

10月4日のaudio wednesdayでは、実はドライバーが左右で違っていた。
これまでは806Aだったが、二週間ほどに前にある客が鳴らした際に、
左側のドライバーから異音が発生して、それ以来まともな音が出なくなった、ということで、
左チャンネルは予備(以前鳴らしていた807A)に交換されていた。

この807Aも、別の客が片方を床に落としてしまったせいで806Aになっていたのだが、
806Aも客に壊されてしまった、というわけだ。

話はそれるが、それにしても……、と思う。
今回のドライバーの破損は、ジャズマニアがけっこうな音量を出して、のものだった。
いったいどれだけの音量なのか、と思う。

「THE DIALOGUE」で私が鳴らしている音量もかなりのものだが、
ドライバーを壊すような鳴らし方はしない。

ジャズマニアの、ごく一部なのだろうが、
大音量再生でスピーカーを壊すことを、誇りと思っているフシがあるのではないか。

オーディオマニアとの話で、朝沼予史宏氏がステレオサウンドの取材で、
ダイヤトーンのスピーカーのトゥイーターを破損した話題が出たことが、数回ある。

たいてい、この話をしてくる人は、
朝沼予史宏氏、すごいですね、だったり、
ダイヤトーンののスピーカーって、そんなにヤワなんですか、だったりする。

前者の方が多いけれど、それにしても……、と思うわけだ。

朝沼予史宏氏は、オーディオ評論家であった。
いわばオーディオのプロフェッショナルだ。

プロフェッショナルとは、その定義はいろいろいあるが、
そのひとつには、力量を見極めることが挙げられる。

自分自身の力量、相手の力量を正確に見極める。
それはときによって冷酷に見極めることであり、
オーディオ評論家であれば、この場合、スピーカーの力量を見極めることが求められる。

Date: 10月 5th, 2017
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(audio wednesdayでの音・その1)

昨晩(10月4日)はaudio wednesdayだった。
喫茶茶会記に向う電車の中、寝過ごしてしまいたい誘惑があった。
空腹だったし、疲労感もあった。

喫茶茶会記に着いたのは18時ごろだった。
それから準備にかかる。
スピーカーの位置を動かし、セッティングを大きく変える。
アンプ、CDプレーヤーのセッティングも同様に変えていく。

しかも今回は前回のテーマであった「結線というテーマ」の続きという面もあり、
外付けのネットワークの配線をさらに変更した。

それからアッテネーターの巻線の可変抵抗を、
無誘導巻線抵抗によるアッテネーターに交換する作業もあって、
音が出はじめたのは19時をけっこう回っていた。

それからCDプレーヤー、アンプの電源を入れて音を出す。
ウォーミングアップをかねて少しの間CDを鳴らしていた。
まだまだ足りないけれど、30分ほどして、いつものとおり「THE DIALOGUE」をかける。

マッキントッシュの電子ボリュウムは、前回と同じ70%にする。
どれだけ音が変化しているのか、それを確認する前に、とにかく驚いた。

聴感上のS/N比をよくしていくと、ローレベルの再現性がよくなるため、
聴感上の音量感は大きく感じられるものだ。
といっても、それほど大きく感じられるものではない。

昨晩の出だしの「THE DIALOGUE」の音量は、
思わず電子ボリュウムの表示を確認してしまうほど、明らかに大きく感じられた。

固定抵抗によるアッテネートだから、最初に減衰量を決めておかなければならない。
できるならば、1dB刻みでいくつもの抵抗パッドを用意して聴いて決めていきたいが、
今回は一発勝負で減衰量を決めて抵抗を用意していた。
ちなみにこれまでの可変抵抗による減衰量よりも3dB近く落としている。

つまり単純に考えれば、800Hz以上のレベルは前回よりも3dB近く低いはずだ。
にも関らず、実際に感じられた音量は3dB以上大きく、だった。

Date: 10月 4th, 2017
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(その9)

フツーにいい音が、「毒にも薬にもならない音」だとしたら、
「毒にも薬にもならない文章」は、フツーにいい文章なのかもしれない。

スピーカーを買い換え、謝罪した知人は、
文章のテクニックの向上には、つねに積極的で熱心だった。

けれど、そうしたところで知人は「毒にも薬にもならない文章」を自ら選択した──、
25年目でちょうど切れてしまった縁だが、
知人をみてきた私は、そう思っている。

フツーにいい音もフツーにいい文章も、無害を求めているのだろうか。
無害な文章であれば、
謝罪する(でも、それが間違っている、と思うのだが……)ようなことにはならない。

無害な文章といえば、
別項『「商品」としてのオーディオ評論・考』で書こうとしていることも結局はそうなのかもしれない。

Date: 9月 28th, 2017
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(その8)

知人がスピーカーを買い換え、
そのことを自身のウェブサイトに書いたところ、
ある掲示板で叩かれたことを、別項で書いている。

私が読んでも、友人が読んでも、
知人が書いた文章は、誰かを不愉快にさせるようなものとは思えなかった。

けれど、ある掲示板では、不愉快だ、
そういう自慢話は、そのスピーカーを欲しくとも買えない人を傷つける、
無神経な行為だ、
そんなことが、掲示板の常連たちによって、ずらずらと書かれていた。

友人も私も、そんなことをいわれようと気にしないい。

知人の文章を偉ぶったように(上から目線と)思うのは、
そう思う方が弱くイジケているのだろうと、一笑に付すだけだ。
けれど知人は、その掲示板に謝罪を書き込んだ。

友人にも私にも理解できない行為だった。
なぜ、知人は謝罪したのか。

彼は、知らない人とはいえ、不愉快にしたのだから、と言った。
つまり知人は謝罪の時点で、
「毒にも薬にもならない文章」を書くことを、意識してなのか、無意識なのかはわからないが、
その道を選択したわけだ。

Date: 9月 28th, 2017
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(その7)

「フツーにいい音」。

私の周りには、こんな表現を使うオーディオ仲間はいないが、
私の知らないところでは、意外にも使われているのかもしれない。

「フツーにいい音」とは、
菅野先生がいわれた「いい音だけど、毒にも薬にもならない音」だと思う。

菅野先生が、そう表現されたことは(その5)に書いている。

「毒にも薬にもならない音」。

なにも、その録音エンジニアの録音だけにいえることではない。
いま優秀な、といわれるオーディオ機器が聴かせる音も、
「毒にも薬にもならない音」になりつつある、
「毒にも薬にもならない音」が増えつつある、そんな気もしている。

だから「毒にも薬にもならない音」という菅野先生の言葉が、
あの時からずっと心にひっかかり続けている。

「毒にも薬にもなる音」。

それはラッパと呼ばれていたころの大型スピーカーが聴かせる音ともいえる。
それだけにうまく鳴らすのが難しい、ともいわれたし、
スピーカーと格闘する、という表現が生れてきたのも、
そういう音のスピーカーだから、ともいえる。

そういう音(スピーカー)に辟易してきた人もいる、と思う。
「毒にも薬にもならない音」は、
「毒にも薬にもある音」のアンチテーゼでもあったとも考えることはできる。

Date: 2月 15th, 2017
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(その6)

いつごろから使われるようになったのか正確には記憶していない。
ここ数年よく耳にするようになったのが、
「フツーにうまい」とか「フツーにかわいい」といったいいまわし。

フツーはいうまでもなく普通であわけだが、
文字は別として、耳には「普通にうまい」ではなく「フツーにうまい」に近い。
普通にフツーにしても、「うまい」の頭になぜつけるのか、と思う。

うまい(おいしい)ということは、ふつうのことなのか、といいたくもなる。

オーディオも「フツーにいい音」といったりするのだろうか。

この「フツーに○○」が使われるようになる前から、ラーメンはブームになっていた。
東京に住んでいるとラーメン店の増殖ぶりはすごい。
さまざまなタイプのラーメンがある。

ラーメンがブームになって感じるのは、まずいラーメン店がきわめて少なくなってきたこと。
ラーメン・ブームの前は、あきらかにまずい店が少なくなかった。

よく言っていたのは、インスタントラーメンでもこれよりずっとうまいよ、とか、
どうやったら、これほどまずくつくれるんだろう……、とかだった。

いまではそういうラーメン店を見つける方が難しくなってきている。
このことはラーメン・ブームが定着した証しなのかも、とも思ったりする。

けれど、ほんとうにおいしいと感じるラーメン店の絶対数は、
それほど増えていない気もする。

昨晩も知人ととあるラーメン店に行った。
常時ではないが、時間帯によっては行列ができているくらいには評判の店だ。
男性客だけでなく、女性客も多い。

出てきたラーメンは、おいしいかと問われればおいしい、と答えるが、
食べながら、「これがフツーにうまいというものか」と思ってしまった。

まずくはない、といった意味でのうまいではなく、
確かにうまいラーメンである。
でも食べながら、どこか冷静に食べていることに気づいている。
夢中になって……、というところからは離れての食事だったともいえる。

Date: 10月 11th, 2016
Cate: アンチテーゼ, 録音

アンチテーゼとしての「音」(ベルリン・フィルハーモニーのダイレクトカッティング盤)

ダイレクトカッティングで名を馳せたシェフィールドは、
オーケストラ録音にも挑んでいた。

これがどんなに大変なことは容易に想像できる。
けれどシェフィールドのオーケストラ物のダイレクトカッティング盤が魅力的だったかといえば、
少なくとも私にとっては、そうではなかった。

クラシック以外のダイレクトカッティング盤はいくつか買いたいと思うのがあったが、
クラシックに関してはそうではなかった。

今回、キングインターナショナルから発売になるダイレクトカッティング盤には、
心が動いている。

サイモン・ラトル/ベルリン・フィルハーモニーによるブラームス交響曲全集(六枚組)。
レーベルはBERLINER PHILHARMONIKER RECORDINGS。

録音は2014年。
発売に二年かかっている理由はわからない。
けれど、なぜベルリン・フィルハーモニーがダイレクトカッティング録音に挑んだのだろうか。

ダイレクトカッティングを行うにはカッティングレーサーを、
録音現場(演奏会場)まで運ばなければならない。

スタジオ録音でも、日本ではカッティングレーサーはプレス工場に置かれていることも多かった。
東芝EMIが以前ダイレクトカッティング盤の制作に、
工場から赤坂のスタジオに移動したときには、調整の時間も含めて一週間を費やした、ということだ。
この手間だけでもたいへんなもので、また元の場所に戻して調整の手間がかかるわけだ。

それでもあえてダイレクトカッティング録音を行っている。
すごい、と素直に思う。

ダイレクトカッティングなので、生産枚数には限りがある。
全世界で1833セット(ブラームスの生年と同じ数)で、
日本用には特典付きの500セットが割り当てられている。

価格は89,000円(税抜き)。
安いとはいえない値段だが、
シェフィールドのダイレクトカッティングも、クラシックに関しては6,500円していた。
40年ほど昔でもだ。

アナログディスク・ブームだからということで、
売れるからアナログディスクのカタチをしていればいい、という商売っ気だけで、
アナログディスクのマスターにCD-Rを使ってカッティング・プレスするのとは、
まったく違うアナログディスクである。

どこかダイレクトカッティングに挑戦してほしい、とは思っていたけれど、
まさかベルリン・フィルハーモニーだったとは、今年イチバンの嬉しいニュースである。