Archive for category 岩崎千明

Date: 3月 26th, 2014
Cate: 岩崎千明

想像つかないこともある、ということ(その4)

「コンポーネントステレオの世界 ’78」は1977年12月にでたステレオサウンドの別冊である。
つまりはこの別冊の取材は9月下旬ごろから10月にかけて行われていたはずだ。

岩崎先生が亡くなられて半年ほど経った時期にあたる。

ああ、だから井上先生はコントロールアンプにクワドエイトのLM6200Rを選ばれたんだな、とやっと気がついた。

これから書くことはずっと黙っておくか、
書くとしてもずいぶん先にするつもりでいた。
けれど、ここで書きたいことのためには、書かざるを得ない。
なので書く。

「コンポーネントステレオの世界」は’77年度版と’78年度版が、
読者からの手紙をまず紹介して、読者本人にステレオサウンド試聴室まで来てもらい、
組合せがつくられていく過程を聴いてもらう、というスタイルをとっている。

いまでも、このスタイルはいいと思う。

「コンポーネントステレオの世界 ’77」は41号とともにはじめて買ったステレオサウンドでもあったし、
この企画にいつの日か出てみたい、とも思いながらくり返し読んでいた。

’79年度版以降、このスタイルはなくなった。
ステレオサウンドで働くようになって、いくつものことを編集部の先輩にきいた。
そのうちのひとつが、このことだった。

なぜ、読者が登場するスタイルをやめたんですか。
返ってきた答には、正直びっくりした。
そうだったのか、と思った。

「読者はいないんだよ」だったからだ。

Date: 3月 25th, 2014
Cate: 岩崎千明

想像つかないこともある、ということ(その3)

このブログであれこれ書いているわけだが、
どのテーマにしても最初にプロットを書いて……、ということはまったくやっていない。

テーマとタイトルだけを考えて、場合によっては最終的な結論を見つけていることに関しては、
ただひたすらそこに向って書いていくだけの作業であり、
結論を見つけるために書いていることもある。

とにかくプロットはまったくないのだから、
ある程度の時間をかけて書いていくうちに、
それに他のテーマを書いているうちに気づくことがある。

今回も、ひとつ気づいたことがあった。

ステレオサウンドが1977年12月に出した「コンポーネントステレオの世界 ’78」での、
井上先生によるある組合せのことについて、である。

この組合せはJBLの楽器用18インチ・ウーファーK151を二発、
中高域はJBLの2440と2355ホーンの組合せ。

キズだらけの大型エンクロージュアにK151が、やや離れてマウントされている姿は、
同じダブルウーファーでも4350のように二発のウーファー近接してマウントされているのを見慣れていると、
やや間が抜けたような感じも受けないわけではないが、
18インチのウーファーが小さく感じられる、その大きさはじんわりと迫力を感じる。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」が出た時の感想は、凄いなぁ、だった。
それから30年以上が経って、感じ方もずいぶん変ってきたし、今回気づいたこともある。
そして思い出したこともある。

Date: 3月 24th, 2014
Cate: 岩崎千明

想像つかないこともある、ということ(その2)

岩崎先生の音の大きさについて、黛さんから先日非常に興味深いことをきけた。
こういうことだった。

ベイシーの菅原さんのところも音は大きい。
けれど、それはどこか抑制されたところも感じさせるけど、
岩崎先生の音の大きさには、そういったものがいっさいない。

私はベイシーの音は聴いたことがないから、
ベイシーの音の大きさについて具体的に知っているわけではない。
それでも、あれだけのシステムで、ベイシーに行ったことのある人、
それも何度も行っている人の話をきけば、そこでの音の大きさの凄さは伝わってくる。

にも関わらず黛さんは、岩崎先生の音の大きさは……、ということをいわれた。
岩崎先生の音を聴いたことがなければ、そういう発言は出てこない、と思う。
でも、一度でも岩崎先生の音を聴いたことがあるからこそ、そう感じるのではないのか。

それはもう、つき抜けている、としか表現しようのない音の大きさなのかもしれない。
おそらく音の大きさ、つまり音圧レベルだけなら、
岩崎先生よりも高いレベルで聴いている人もいるだろうし、
自宅ではそういう大きな音で聴けなくとも、コンサート会場やクラブにおいて、
岩崎先生のよりも高いレベルの音圧を体験している人もいると思う。

岩崎先生が生きていた時代よりも、パワーアンプの出力はそうとうに大きくなっている。
1kWを超えるパワーアンプもあるのだから、大きな音ということに関してなら、
いまのほうがたやすく大きな音は出せる。

けれど、そういう大きな音では、つき抜けることはできないように思えてならない。

以前も書いているが、菅野先生は岩崎先生の音を聴いた時に、
「目から火花が出たんだ」といわれている。

岩崎先生の音の大きさは、そういう大きさなのである。
だから想像つかずにいる。

Date: 3月 21st, 2014
Cate: 岩崎千明

3月24日

昨年の3月24日は、いい天候に恵まれていたし、日曜日だった。
桜も咲いていた。

一昨年の3月24日はでかけるときは曇り空の土曜日だった。
電車を降りたら雨が降り出していた。

今年の3月24日は月曜日だから、たぶん行けないであろうから、
21日から23日のどこかで行こうかな、と思っていたところに、
「父の墓参りに行きませんか」というメッセージがあった。岩崎先生の娘さんの綾さんからだった。

昨年も一昨年もひとりで行っていた。
今年はそうではなく、綾さんの他に、元サンスイの西川さん、元ビクターの西松さん、元パイオニアの片桐さん、
レコパルの編集をやられていた五十嵐さん、ステレオサウンドの筆者の黛さんといっしょに、
岩崎先生の墓参に行ってきた。

ひとりで行こうが数人で行こうが、墓参りそのものが大きく違ってくるわけではない。
目をとじ手を合せてきた。

それでも岩崎先生と仕事をされてきた人たちと一緒に行くのは、やはり違うところがある。

37年前の3月24日といえば、私はまだ中学二年だった。
そのころ、今日いっしょに墓参に行った方たちは、すでにオーディオの世界で仕事をされていた。

その方たちの話を聞くことができる。
これが実に楽しい。

こう書くと、懐古趣味だとかいつまでも過去を引きずっているとかいう人がいるのはわかっている。
だが、過去のことを過去の視点で考え・捉えるのこそが懐古趣味ではないだろうか。

実のところ、懐古趣味と批判する人たちこそが、過去のことを過去の視点で考え・捉えている。
私が楽しい、というのは、いまの視点で考え・捉えてのことである。

私も50をすぎているけど、今日あつまった中ではまだ若造である。
とはいえ、やはり50を過ぎているわけだから、私の下にはもっと若い世代がいる。
でも、彼らの誰かひとりでもいいから、この場にいるわけではない。

もったいないことだとも感じるし、ここで途切れるのか、とも思う。

Date: 12月 31st, 2013
Cate: 1年の終りに……, 岩崎千明, 瀬川冬樹

2013年の最後に

今年は12月31日のブログに、
個人的なオーディオの10大ニュースを選んで書こう、と思っていたけれど、
結局、10も選ぶことができなかった。

ならば書くのをやめようかと思ったけれど、ひとつだけはどうしても書いておきたかった。

オーディオに関することで個人的なトップは、
ステレオサウンドから岩崎先生と瀬川先生の著作集が出たことだ。

ステレオサウンドが、なぜ30年以上も経ってから復刻・出版した、その理由はなんなのか。
私は部外者であるからはっきりとしたことはわからない。
私が考えている理由とはまったく違う理由によるのかもしれない。

理由は、でもどうでもいい。
本が出た、ということ。
出たことで生れてきた意味、
これをどう捉えるか、のほうが大事だからだ。

結果として、岩崎先生の「オーディオ彷徨」の復刻、瀬川先生の著作集は、
いまオーディオ評論家と呼ばれている人たちに、つきつけている。

つきつけられている──、
そう感じていない人のほうが、実のところ多いのかもしれない。

感じていない人は、何をつきつけられているのか、も、わからないままだ。

Date: 11月 21st, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その12・余談)

この項の(その11)と(その12)を読まれた方の中には、?と思われた方もいることだろう。

(その11)には、ジョーダン・ワッツのA12をメインのJBLの次いでよく聴くスピーカーとして、
全帯域で鳴らされている。
(その12)では2kHz以上ではジョーダン・ワッツのModule Unitの音の荒さ、にぎやかさが気になる、とある。

マルチウェイのスコーカーとして鳴らされているときModule Unitの2kHz以上の音の荒さやにぎやかさは、
フルレンジで鳴らす時には気にならないのか、と。

フルレンジで鳴らす時には、2kHz以上の信号も入力され音となって出てくる。
けれどフルレンジで鳴らしていると、さほと気にならないものである。

むしろフルレンジユニットをスコーカーとして使うときに、
フルレンジで鳴らしているときにあまり気にならなかった、
そういうこと(音の粗さやにぎやかさ)が耳につくようになることがある。

Module Unitをスコーカーとして、トゥイーターとウーファーを足している場合、
クロスオーバー周波数をどう設定するかにもよるが、
Module Unitの音の粗さが気になってくる周波数あたり、
もしくはそれよりも上にクロスオーバー周波数を設定した場合、
トゥイーターのクロスオーバー周波数付近の音は無理をさせていなければピストニックモーション領域であり、
クォリティの高いトゥイーターであるならば、音の粗さが気になるということはない。

もちろんトゥイーターもどの程度まで高域が素直に延びているかで、
ある周波数以上では音の粗さがきになりはするだろうが、
少なくともカットオフ周波数を低く設定しすぎないかぎり、そういうことはない。
結局Module Unit(に限らないことだが)のピストニックモーション領域から離れている帯域が、
Module Unitのピストニックモーション領域と
トゥイーターのピストニックモーション領域にはさまれてしまっているから、目立ってしまう。

Date: 11月 21st, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その14)

1960年代中ごろの瀬川先生のスピーカーの移り変りをみていくと、
グッドマンAXIOM 80からJBLへの移行といえる。

こまかいことをいえばジョーダン・ワッツが途中にはさまっているけれども、
これもAXIOM 80と共通するものを求めての選択であるから、
AXIOM 80からJBLへ、とみていい。

実際にそのことに「私のスピーカー遍歴」でも書かれている。
     *
 そしていま、JBL-375がわたくしの部屋で鳴りはじめて一と月半になる。AXIOM-80がすきだといったわたくしとJBLの結びつきを、不思議だという人がたくさんあった。かってわたくしの部屋で鳴っていたAXIOM-80の音を、そしていま鳴っている375の音を知らぬ人たちである。わたくしにとってこの両者はすこしも異質でなく、AXIOM-80やJ・ワッツの延長線上に、375はごく自然に置かれている。誇張とかどこか不足といったものはまるで無く、品の良い節度を保ちながら限り無い底力を秘めている。
     *
AXIOM 80からJBLへ──。
岩崎先生もまたAXIOM 80からJBLへ、の人である。

瀬川先生よりも10年ほど早く、JBLはD130、それも一本。

Date: 11月 21st, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その13)

瀬川先生が期待されずに導入されたJBL・LE175DLHの音はどうだったのか。
     *
LE175DLHはホーン型のユニットである。ホーン型スピーカーというものはAXIOM−80以前のモノーラル時代にボール紙で自作した中音ホーン以後、ついぞわたくしの手許に居つづけたことがない。その先入観をLE175DLHは見事に打ち破ってしまった。そして米国系のスピーカーに抱いていた先入観をも。
     *
そしてLE175DLHが「これほどの音で鳴るのなら」と思われた瀬川先生は、
JBLの「最高のユニット375を、何が何でも聴きたい」と思い始められる。

このときのことは「私のスピーカー遍歴」よりも、
無線と実験の誠文堂新光社からでた「’67ステレオ・リスニング・テクニック」が詳しい。
1966年12月に出ている。
     *
 JBLのスピーカーについては、鋭いとか、パンチがきいたとか、鮮明とか、およそ柔らかさ繊細さとは縁の無いような形容詞が定評で、そのJBLの最大級のユニットを、6畳の和室に持ちこんだ例を他に知らないから、友人たちの意見を聞いたりもしてずいぶんためらったのだが、これより少し先に購入したLE175DLHの良さを信じて思い切って大枚を投じてみた。サンスイにオーダーしてからも暑いさ中を家に運んで鳴らすまでのいきさつはここではふれないが、ともかく小生にとって最大の買い物であり、失敗したら元も子もありはしない。音が出るまでの気持といったらなかった。
 荒い音になりはしないか、どぎつく、鋭い音だったらどうしようなどという心配も杞憂に過ぎて、豊麗で繊細で、しかも強靭な底力を感じさせて、音の形がえもいわれず見事である。弦がどうの声がどうのというような点はもはや全く問題でないが、一例をあげるなら、ピアノの激しい打鍵音でいくら音量を上げても、くっきりと何の雑音もともなわずに再現する。内外を通じて、いままでにこれほど満足したスピーカーは他に無い。……まあ惚れた人間のほうことだから話半分に聞いて頂きたいが、今日まで当家でお聴き頂いた友人知人諸氏がみな、JBLがこんなに柔らかで繊細に鳴るのをはじめて聴いたと、口を揃えて言われるところをみると、あながち小生のひとりよがりでもなさそうに思う。
 もっともこれは、ユニットのせいばかりでなく、537-500ホーンのよさでもあるらしい。特に、パンチングメタル15枚のエレメントからなる音響レンズの偉力は見事なもので、これまでは頭を少し動かしただけでも音の定位が変る点に悩んでいただけに、狭い部屋で指向特性を改善することがいかに重要かを思い知らされた。
     *
1966年夏、菅野先生よりも早く瀬川先生はJBL・375 + 537-500をリスニングルームに招き入れられている。

Date: 11月 21st, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その12)

ジョーダン・ワッツのA12を中域用として、
マルチウェイの実験をいろいろくり返されていた瀬川先生は、
A12(つまりModule Unit)に2kHz以上を受け持たせると
「音の荒さやにぎやかさなどの弱点が目立ってくる」ことに気づかれ、
1kHzあたりから上を受け持つことのできるスピーカーユニットの必要性を感じられていた。

スピーカーユニットの型式はとわずに、
「一切の偏見と先入観を捨てて」指向特性の優れたものということで、
アルテックのドライバー802Dと811Bホーンの組合せ、
ボザークのB200YA(コーン型トゥイーター8本によるアレイ)、
JBLのLE175DLHを候補として、
とにかく六畳という狭い空間でのステレオ再生には、
スピーカーの指向特性がいかに重要であるかを痛感されていた瀬川先生は、
LE175DLHの音響レンズに興味を持ち購入された。

けれど「私のスピーカー遍歴」には書かれている。
     *
LE175DLHていどなら、わたくしにもどうやら手の届くところにある。しかし不遜にも、175を入手し音を出すまでは殆んどそれに期待していなかった。
     *
つまり音を聴かずにLE175DLHを買われたことがわかる。
それもあまり期待されていなかったことも、わかる。
そして、LE175DLHが瀬川先生にとって、最初のJBLとなる。

Date: 11月 21st, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その11)

ジョーダン・ワッツのA12は、同社の4インチ・フルレンジユニットModule Unitを、
薄型のバスレフ型エンクロージュアにおさめたモノ。

瀬川先生はA12の前に、MINI12を購入されている。
MINI12の音が予想以上に良かったので、A12を購入されたわけである。

ではなぜ、ジョーダン・ワッツのスピーカーを選ばれたのか、というと、
その理由は「私のスピーカー遍歴」の中にある。
     *
 約九ヶ月前、それまで住み馴れたもとの家からいまの家に引越して、それを機会に、しばらく空白状態だった音出しをやり直そうと考えた。そのころAXIOM-80は間に合わせの小さな安もののエンクロージュアに収まっていて、およそかってのAXIOM-80の片鱗も無かったが、あきらめきれずにそれを中音用として、これも間に合わせに安もののウーファーとトゥイーターを加えて、マルチアンプで、それでも以前の部屋ではどうやら我慢のできる音になっていたが、今度の家ではまるで音にならない。AXIOM-80を鳴らすことは、それで当分あきらめることにしジョーダン・ワッツに目をつけた。
     *
AXIOM80が中域用としてうまく鳴っていればジョーダン・ワッツを導入されることはなかった、と思う。
ジョーダン・ワッツは、ブランド名が示すように、E.J.ジョーダンがグッドマンを放れて興した会社である。

E.J.ジョーダンはAXIOM80、MAXIMの設計者として当時は知られていた。
つまり瀬川先生はAXIOM80と共通する音の良さを求めての選択だった、といえよう。
「私のスピーカー遍歴」には、こうも書かれている。
     *
これに意を強くしてすぐにひと廻り大型のA12を購めた。これは位相反転型で低音がさらによく延びていて、バス・ドラムの音なども意外なほど豊かに再現する。しかしなによりも音全体の作り方に、AXIOM-80と共通したE・Jの主張が感じられてすっかり気に入ってしまった。
     *
JBLの3ウェイを構築された後も、A12のことは、
「メインとしているJBLに次いで最も頻繁に音を出すスピーカー」と書かれている。

Date: 11月 20th, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その10)

ステレオサウンド創刊号に載っている瀬川先生の「私のスピーカー遍歴」。
この記事の扉には、自作の3ウェイシステムの前方の床に、いくつものスピーカーユニットを並べて、
その中央に瀬川先生が写っている写真が使われている。

自作のスピーカーシステムは、市販品のエンクロージュアを一日がかりで補強し、吸音材を増したものに、
パイオニアの15インチ口径のPW38Aをおさめられている。

「私のスピーカー遍歴」では、
「400c/sまで持たせるもはや中音域の鈍重さがいら立たしく、一日も早く、同じJBLのLE15Aを試みたい」
と書かれている。

このエンクロージュアの上には、JBLの375にハチの巣(537-500)を組み合わせたスコーカー、
トゥイーターの075とネットワークN7000が載っている。
これが3ウェイシステムの概要となるわけだが、
375のとなりには、ジョーダン・ワッツのA12が置かれている。

このA12のことは「私のスピーカー遍歴」でも触れられている。
     *
ジョーダン・ワッツに目をつけた。
 はじめに購入したのは旧型のそれもユニットだけ。手近なバッフルや間に合わせの箱では期待した音がどうしても得られない。そこでエンクロージュア入りの〝MINI12〟買ってみて驚いた。ユニットだけからは想像もできなかった見事な音で、小型の箱だが壁にぴったり後をつけて置くと低音も思ったよりよく出てくる。ユニットも新型のMKIIになっていて、外観・仕上げも美しくなり、音質も改善されていた。これに意を強くしてすぐにひと廻り大型のA12を購めた。これは位相反転型で低音がさらによく延びていて、バス・ドラムの音なども意外なほど豊かに再現する。しかしなによりも音全体の作り方に、AXIOM80と共通したE・Jの主張が感じられてすっかり気に入ってしまった。しばらくのあいだはA12とMINI12をパラレルで中音に使い、低音と高音に別のスピーカーを加えて使った。
 現在はA12を単独に、本来の全音域用として鳴らしているが、独特の味が捨て難く、メインスピーカーとしているJBLに次いで最も頻繁に音を出すスピーカーである。
     *
ジョーダン・ワッツのA12は、QUADの管球式の22 + IIで鳴らされていた。

Date: 9月 29th, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

1949年9月29日

1949年9月29日という日付をみて、この日がどういう日であったのか、
すぐに思い出せる人は、これから先少なくなっていくのだろう。

いまの20代、10代といった若い人たちは、
なんのことなのかさっぱり……、という人がほとんどだろうし、
30代、40代でもわからない人のほうが多いだろう。

結局、この日についてすぐに答えられる人は、
最低でも50代ということなのか。

1949年9月29日、木曜日にランシングは、
所有地であった果樹園内のアボカドの木を使い、自らの命を絶っている。
ランシングは47歳だった。

岩崎先生は1977年3月に48歳で、
瀬川先生は1981年11月に46歳で亡くなられている。

岩崎先生も瀬川先生も、JBLの鳴らし手だった。
岩崎先生、瀬川先生がもし他のメーカーのスピーカーを使われ、鳴らされていたら、
日本でのJBLの知名度、売行きは大きく違ったものになっていたはずだ。

これは断言できる。
そのくらいに、ふたりの影響力は大きかった。

だから思うのだ。

瀬川先生・46歳、ランシング・47歳、岩崎先生・48歳。
ランシングの47という数字を囲むようになっているのは、単なる偶然なのだろう。

そこに何の意味もない──、そう受けとるのが普通である。
でも、私はなにかランシングが呼んだではないのか──、
そんな気がしてならないのだ。

あと40日ほどで、11月7日がくる。
今年の11月7日は三十三回忌である。

Date: 9月 25th, 2013
Cate: 岩崎千明, 瀬川冬樹

「オーディオABC」と「カタログに強くなろう」(余談・エルカセットのこと)

この項を書き始めたとほぼ同時に、「カタログに強くなろう」の入力作業にかかった。
昨日、入力作業は終った。

こうゆう記述があった。
     *
 実は、僕の手元にフィリップスのカセット出現直前の三号リールのついたテープ・レコーダーがあるが、それは、テープ走行メカと、ヘッド・ハウジングの点に関しては、カセットとまったく同じ構造だご。
 そのことから判断しても、カセットというのは、一朝一夕の所産物ではなくて、フィリップスが、テープ・レコーダーを作りはじめてから、二〇年以上の長いキャリア集積ととして創り上げたわけだ。
 だから、フィリップスにすれば、カセット・ハーフをほんのわずかの変更も、改良(?)することも、みとめない、というはっきりした姿勢をもっている。
 それも、このテープ自体のカセット・デッキとの絶妙なるバランスをくずしたくないからだろう。
     *
このくだりを読んで、エルカセットのことが浮んだ。
エルカセットは早くに失敗した。

なぜだったのか。
私は少なからぬ関心はあった。
でも音を聴く前に、事実上なくなっていた。

結局、エルカセットはオープンリールをカセットテープに仕立てたものである。

テクニクスは、RS7500Uの広告でこう謳っていた。
《オープンリールをカセットに入れた。》

岩崎先生の文章を読めば、すでにフィリップスが「オープンリールをカセットに入れ」ていたことがわかる。
既に二番煎じだったのだ。

Date: 9月 20th, 2013
Cate: Jazz Spirit, 岩崎千明

Jazz Spirit Audio(その1)

ジャズ・オーディオということばがある。
いつごろから誰が使いはじめられたのかは定かではない。

自然発生的に生れてきたのかもしれない。
それでも、私の中では、ジャズ・オーディオ(Jazz Audio)は、岩崎千明の代名詞でもあった。

中野駅の北口から数分のところにある雑居ビルの地下で「ジャズ・オーディオ」という店をやられていた。
それもあって、岩崎千明=ジャズ・オーディオとなっていくわけだが、
ジャズ・オーディオとしてしまうことで、このことばのもつ範囲に、
岩崎千明という人間をあてはめようとする危険性がないわけでもない。

ジャズ・オーディオといってしまえば、楽である。便利である。
でも、決してジャズ・オーディオだけではない、というおもいがずっとあった。

岩崎先生がやられてきたオーディオを、ジャズ・オーディオといってしまうことは、間違いとはいえない。
でももっときちんと表現しようとすれば、
それはジャズ・オーディオではなく、ジャズ・スピリット・オーディオ(Jazz Spirit Audio)だったはずだ。

Date: 9月 13th, 2013
Cate: ジャーナリズム, 岩崎千明, 瀬川冬樹

「オーディオABC」と「カタログに強くなろう」(その7)

「CDは角速度一定」と書いた人は、
私よりも年上で私よりもオーディオ歴は長くて、
オーディオにつぎこんだ金額も、私よりもずっと多い。

1976年の後半からオーディオの世界に首をつっこみはじめた私よりも、
それ以前からオーディオに取り組んでいるわけで、
それはオーディオブームの最盛期も体験している、ということである。

オーディオの入門書は、私が接することのできた数よりももっと多かったはずだ。
その人が、それらの本を読んできたのかどうかまでは知らない。

でも少なくとも、ある程度のオーディオの知識は持っていたのだから、
まったく読んでこなかった、ということはないはず。

CDの登場も、同時代に体験している。
にも関わらず、もっとも基本的なところで、間違いを記してあったサイトを信じ込んでしまった。

オーディオは、簡単ではない。
とにかく複雑である。
オーディオの知識を身につけるために勉強しようとすると、
その範囲の広さに驚くはずだし、その範囲の広さに気がつかないようであれば、
まだまだ先はそうとうに長い、ということでもある。

もっとも範囲の広さを知っても、先は長いことに変りはないのだけど。

「オーディオABC」、「カタログに強くなろう」、
その両方、もしくはどちらかひとつだけでもいい。
じっくり読んでみれば、わかる。
それも、そこで取り上げられている項目について、
自分で文章を書いて誰か(不特定の読者)に説明しようとしたら、どう書くか。
そのことを考えながら読んでみれば、その難しさがわかるし、
瀬川先生、岩崎先生が、いかに苦労して書かれたのかも理解できる。

そして、もうひとつ理解できるのは、ふたりのオーディオの知識の確かさである。