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Date: 11月 28th, 2011
Cate: ユニバーサルウーファー

スーパーウーファーについて(その17)

私がステレオサウンドで働くようになったのは1982年1月からなので、
私が聴いてきた菅野先生のJBLのシステムのウーファーは、ずっと2205ということになる。
それ以前のウーファーを使われていた時の音は聴いていない。

2205に決められてからの音しか聴いていないわけだが、
それでも菅野先生のリスニングルームでの低音の鳴り方は良くなってきている、と表現するよりも、
成長してきている、といったほうが、ぴったりかもしれない。

2205はマルチアンプで鳴らされているわけで、
パワーアンプとエレクトロニック・クロスオーバー・ネットワークのあいだに
グラフィックイコライザーを挿入されているのはよく知られていることだ。
このことがステレオサウンド 60号に載ったことで、
ウーファーのみにグラフィックイコライザーを使われていると思われている方も少なくないようだが、
これとは別に全帯域にも使っている、ということも聞いている。

グラフィックイコライザーを使うことで、電気的に低域を補整されている。
それだけではない。エンクロージュアと床の間にある台もあれこれ試されているのは話で聞いているし、
パイオニア製のエンクロージュアLE38Aも、以前の写真と比較的最近の写真を比較すると、
はっきりとした違いがみてとれる。
それに、その違いに気づかれた方は、そのまま使われていると思われるかもしれないが、
おそらくそこには、もう一工夫されているはずだ。
それはマッキントッシュのXRT20の写真も、導入時の写真とこれも比較的最近の写真を比較すると、
そこにパイオニアのLE38Aになされたことと同じことに気づかれるはずだ。

これについては菅野先生から直接聞いている。
だから、目に見えるそのままではない、と断言できる。
あれこれいくつものものを試されての一工夫(これは写真を穴が開くほどながめてもわからないこと)をされている。

だから、おそらくLE38Aに関しても、XRT20と同じ一工夫がなされているはずだ。

Date: 11月 27th, 2011
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その27)

ウィルソン・ベネッシュのDiscoveryの手法は、ノイズ・コントロールといってもいい。
スピーカーシステムはからくりであると捉え、その中で創意工夫していくものだと考えている私は、
Discoveryの手法は、そこにイギリス的なものを感じとれる気もするし関心もする。
とはいえ、Discoveryの手法のみが、バスレフポートに起因するノイズ対策のすべてではないし、
スピーカーシステムの形態が変れば、その対策も変ってくる。

バスレフポートのノイズを根本的に解決するには、バスレフ型にしなければいい。
密閉型エンクロージュアを採用すれば、バスレフポートのノイズは、当り前すぎることだが発生しない。
だからといって、密閉型がほかの面においてバスレフ型よりも優れているわけでもないし、
どちらがエンクロージュアとして優れているとか劣っている、といったものでもない。

ただ言いたいのは、バスレフポートがあるからバスレフポートに起因するノイズが起る、ということだ。
ノイズに関しては、アクースティック蓄音器時代は、機械的なノイズしかなかった。
そこに電気がはいってきた。

SPの音溝をトレースして得られる振動が電気信号に変換され増幅されスピーカーを駆動して音にするから、
電気の力によって音量の調整が可能になった。
さらにトーンコントロールで音色のコントロールもできるようになった。
電気のメリットはそれなりにあった反面、電気が加わったことで、
それまでの機械的なノイズに電気的なノイズが加わるようになった。

それは密閉型エンクロージュアにバスレフポートという孔がついたことによって、
バスレフポートに起因するノイズが発生したのと同じで、
オーディオにおいては何かそれまでになかった「何か」が加われば、
もちろんその「何か」によるメリットはあるけれど、
必ず、その「何か」に起因するノイズが発生するものだと思っていたほうがいい。

モノーラルからステレオになったときも、その観点からみれば、
もう1チャンネル加わることで、クロストークというノイズが発生することになった。
チャンネル間のクロストークは、モノーラルではありえなかったことである。

Date: 11月 26th, 2011
Cate: 五味康祐, 選択

オーディオ機器を選ぶということ(続々続・五味康祐氏のこと)

「いろんな人と旅をしたけれど、あんたと旅をしたのが一番楽しかった」

『五味一刀斎「不倶戴天の」仇となった「金と女」とのめぐり合いを』を読み終わって、
この五味先生の言葉にもどってくると、
五味先生にとって、千鶴子夫人という存在とタンノイ・オートグラフの存在が重なってくるようなところを感じた。

五味先生は「いろんな人と旅」をしてこられた。
いろんなスピーカーを使ってこられた。

なにを使ってこられたのかは、もうここでは書かない。
五味先生のオーディオ巡礼、西方の音、天の聲をお読みになればわかることだ。
そうやってタンノイのオートグラフというスピーカーシステムとめぐり合われた。

このオートグラフとの出合いも、ここで詳しく書く事もないだろう。

オーディオ機器は決して安いモノではない。
けっこうな値段のモノばかりだし、
いまではおそろしく高価になり過ぎてしまったモノは珍しくなくなっている。
だから、オーディオ機器を購入する時は、しっかりと情報を収集して、
音も、もちろん事前に聴く。それもできれば自宅で試聴して、という方もおられよう。
そういう慎重な購入が、いまでは当り前のようになってきている。

そういう買い方をされる方には、五味先生のオートグラフの購入は信じられないことでしかないだろう。
音を聴かれていないばかりか、実物すら見ずに、
イギリスのHi-Fi YearBookの1963年版に掲載されていた写真とスペックと、
それに価格だけで購入を決意されている。

五味先生が買われたころのオートグラフも、またひじょうに高価なモノだった。
「怏怏たる思いをタンノイなら救ってくれるかもしれぬと思うと、取り寄せずにはいられなかった」五味先生。

このオートグラフが、五味先生にとって終のスピーカーシステムとなる。

なぜHi-Fi YearBookを見た時に、そう感じられ思われたのか──。
五味先生の書かれたものを読んでも、オートグラフ以前にタンノイのスピーカーをご自身で鳴らされているけれど、
決してそれは、素晴らしい音とまではいえない音だったことはわかる。
「かんぺきなタンノイの音を日本で誰も聴いた者はいない」、そんな時代に決意されたのは、
ある種の予知能力なのではなかったのか、と週刊新潮の記事を読んで、そう思った。

Date: 11月 26th, 2011
Cate: 五味康祐, 選択

オーディオ機器を選ぶということ(続々・五味康祐氏のこと)

5年前だったか、週刊新潮が創刊50周年を記念して創刊号を復刊したことがあった。
創刊号をそのまま復刊しただけでなく、
それまでの週刊新潮にたずさわってきた人たちによる興味深い文章もよせられていた。
巻頭には齋藤十一氏についての文章があった。
それから齋藤夫人のインタビュー記事も載っていた。
そのどちらにも五味先生の名前が登場していた、と記憶している。

五味先生の筆の遅いのはよく知られていたことで、
週刊新潮では印刷所の一角に小さな和室をつくり、
そこに〆切間際というよりも〆切をすぎたときに五味先生をカンヅメにして原稿を執筆してもらっていた、とある。
けれどちょっと目を離すと、銀座のママに電話して原稿をほったらかしていなくなってしまうらしい。
『五味一刀斎「不倶戴天」の仇となった「金と女」とのめぐり合い』にも同じようなエピソードがある。

取材に旅行に出かけるというので、担当編集者が駅まで送りに行ったときのことだ。
五味先生は「それじゃ」といって列車に乗り込む。いい忘れたことがあった編集者はその列車にとってかえすも、
五味先生はいない。なんととなりのホームで、水商売風の女性と別の列車に乗り込もうとされていたとか。
また温泉宿にカンヅメになったときも……。

五味先生は、たしかに「いろんな人と旅」をされていた、と週刊新潮の記事にはある。
さらに「とっかえひっかえ、実にコマメに、様々な女性を連れて歩いた人」ともある。

記事の最後の方には、そして、こう書いてある。
五味先生と特に親しかった知人の話として、
「無名のころから、めぐり合いたしと追いまわしたのはカネと女。ただし、結果としていえば、カネは一文も残らず、女もロクな女には出会わなかった」。

五味先生が剣豪作家として流行作家になられる前の窮乏した生活については、
オーディオ巡礼や西方の音のなかでもふれられている。
剣豪小説が流行になり、そんな状態は脱しながらも、入ってきたものを右から左へと使いまくる人だったそうだ。

だから、亡くなった後の預金通帳には、日本国民の平均貯蓄にははるかに及ばぬ金額が記入されていた……。

『五味一刀斎「不倶戴天」の仇となった「金と女」とのめぐり合い』は、
ロクな女と出会わなかったけれど、
ここでいう「女」の中で、千鶴子夫人だけは例外であったことは、
先にあげた故人の「いろんな人と旅をしたけれど……」という言葉が証明している、といえよう、と結んでいる。

週刊新潮1980年4月17日号の記事は、
タイトルは、当時の週刊新潮の編集方針であった俗物主義的ではあるけれど、内容は違う。
読めば、そのことはわかる。

この記事を読み終り思っていたことは、五味先生とスピーカーのめぐり合い、である。

Date: 11月 25th, 2011
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」(批評と評論・その4)

ステレオサウンドの古いバックナンバーを読み返せば、
瀬川先生がカセットデッキの試聴をされていたり、カセットデッキについてなにかを書かれている記事が、
ほかの評論家の方々に比べて少ないことに気づかれるだろう。

FM fanに「オーディオあとらんだむ」という連載をされていた。
そのなかで、「本当に性能の向上したカセット」というタイトルで2回記事を書かれている。
こんな出だしではじまる。
     *
別冊FM fanの26号で、カセットデッキのテスト・レポートを担当したところ、本ができてから、ずいぶんいろいろの人たちに、不思議な顔をされた。ひと言でいえば、この私が、カセットに、本当に興味を持っているのだろうか、というのである。
少し前までは、たしかに、私は「カセットぎらい」で通してきた。それは、カセットテープという方式自体がきらいなのではなく、その音質の良くないことに、どうしても我慢がならなかったから、だ。
けれど、いまはもう違う。ここ1〜2年来、新開発されたカセットテープや、新型のデッキを聴いてみれば、その音質が、数年前と比べて、まさに飛躍的に向上していることは、もはや誰の耳にもはっきりわかる。カセットシステムが、本当の意味で、オーディオ装置のプログラムソースの座を確立し始めたことを、私自身もようやく認めてよいという心境になってきた。
     *
ちょうど同じころ、
熊本のオーディオ販売店が定期的に催していた瀬川先生による「オーディオ・ティーチイン」でも、
カセットデッキの取り上げられた回があった。
そのときも、同じことを言われていたのを思い出す。

オーディオ雑誌の編集者からカセットデッキのテストをやってほしい、という依頼があると
「いいよ、だけどおれがテストしたら、カセットについてクソミソに言うが、それでもいいか?」
と聞き返されたそうだ。
編集者は逃げて行ってしまう、とオーディオあとらんだむの99回目に書かれている。

つまり一部の高級クラスのカセットデッキには一応の満足のゆくものはあっても、
一般的な水準という意味では、音の入り口となるレコードプレーヤー、FMチューナーと比較すると、
まだまだのレベルであった。
レコードプレーヤー、FMチューナーだと普及クラスのモノでも、
たとえばJBLの4343と組み合わせても、なかなかの音が楽しめるのけれど、
ある時期までのカセットデッキだと4343と組み合わせると、再生音に本当の美しさが感じとりにくい、と。

このことが瀬川先生にとっての評価のひとつの基準であり、
オーディオあとらんだむの中でも、こう書かれている。
     *
しかし、私自身は、カセットの音質に、これだけは譲れない、というかなり厳格な基準を自分なりにあてはめてきた。ここ数年間の目ざましい向上についても、知らないわけではないが、それでも、私自身の基準には、大半のテープやデッキが、まだ到達していなかった。
     *
そして、レコードプレーヤー、FMチューナーにくらべ、カセット(テープ、デッキをふくめて)、
甘やかされていたのは、少しおかしいのではないだろうか、とも書かれている。

オーディオ機器を試聴して、そのことについてふれていくときの「厳格な基準」、
これは瀬川先生の文章を通して読んでいけば、自然と伝わってくるはずだ。
だから、読んで信じられた。

「これだけは譲れない、というかなり厳格な基準」──、
評論に必要なこと、である。

Date: 11月 24th, 2011
Cate: 五味康祐, 選択

オーディオ機器を選ぶということ(続・五味康祐氏のこと)

『五味一刀斎「不倶戴天」の仇となった「金と女」とのめぐり合い』は、旅のことから始まる。

ちょうど二年前、という書出しで始まるから、
1978年に、3月から4月にかけて五味先生は千鶴子夫人を連れてヨーロッパ旅行に出かけられている。
この旅行のことは、「想い出の作家たち」(文藝春秋)におさめられている五味千鶴子氏の文章にもある。

この旅が終りに近づいたころ、
「いろんな人と旅をしたけれど、あんたと旅をしたのが一番楽しかった」
と口にされた、とある。

この旅行の3年前に、芸術新潮に連載されていた「西方の音」でマタイ受難曲について書かれた文章の書出しが、
「多分じぶんは五十八で死ぬだろうと思う」である。

五味先生はオーディオの本のほかに、観相・手相の本も出されている人だ。
自分の掌を見つめて、「ガンの相が出ている」といわれていた、そうだ。
また「ガンは予知できるのだ」ともいわれていた、と記事にはある。

予知は自身の死についてだけではなく、昭和28年の「喪神」での芥川賞受賞も、また予知されている。
このところを、また週刊新潮の記事から引用しておく。
     *
昭和二十八年、『喪神』で芥川賞を受賞した時も、選考発表の日に、奥さんに向って「今度の芥川賞はオレが選ばれるよ。ただし二つに割れるな」といった。
なにしろ当時は、この一作しか発表されていなかったのだから、これを聞いた千鶴子夫人は、「何を、バカな……」と思った。が、その日の深夜、練馬の都営アパートの五味家に届いた電報は、授賞の知らせだった。しかも、松本清張氏との二人受賞だった。
むろん、批評家や編集者から事前に何か情報を聞かされていたわけではないという。
     *
この年の芥川賞の選考については、週刊文春の、ずっとあとの別の記事で読んだことがある。
ほとんどの選考委員は松本清張氏を推していて、
五味先生を強力に推していたのは坂口安吾氏だった、ということだ。

五味先生の、この不思議な予知能力を日常生活のなかでも折にふれて発揮していたそうで、
「お父さんはエスパーみたい」といわれていたそうだ。

Date: 11月 24th, 2011
Cate: 五味康祐, 選択

オーディオ機器を選ぶということ(五味康祐氏のこと)

都立多摩図書館に行ってきた。
歩いて行こうと思えば歩いて行ける距離にあるし、
国会図書館に較べたら雑誌の所蔵数は少ないというものの、
閲覧・コピーも国会図書館よりもずっと簡単なだけに、月に2回ほど出向いている。

いま都立多摩図書館ではイベントをやっている。
といってもそんなに大げさな催しではなく、図書館の一角の展示スペースを利用しての、そういう程度のものである。
11月11日から12月5日まで「雑誌を彩る表紙画家」という催しをやっている。

行けば、なにかやっているので前もって何をやっているかは調べずに行く。
今日もそうだった。
行ってみると、週刊新潮がずらりと並べてある。
1970年代から80年にかけての週刊新潮が、すべてではないにしても表紙を全面見えるように展示してある。
そうやって並んでいる週刊新潮を眺めていたら、あっ、そうだ、と思い、
1980年4月の号を手にした。

4月17日号を手にとっていた。
目次を開く。そこには『五味一刀斎「不倶戴天」の仇となった「金と女の」とのめぐり合い』という、
なんとも週刊新潮らしいタイトルのついた記事が、やはりあった。

4ページの記事。誰が書かれたのかはわからない。
週刊新潮の編集者、というよりも、
そこに書かれていることはそうとうに五味先生と親しかった方ではないか、と思われる。
となると新潮社のS氏、つまり齋藤十一氏が書かれたものではなかろうか、そう思えてくる。

タイトルは、すこし俗っぽい内容を思わせるけれど、
読めば、そういうものでないことはすぐにわかる。

大見出しのところを引用しよう。
     *
「多分じぶんは五十八で死ぬだろうと思う」──こう書いたのが五年前のことだった。そして、その通り五十八歳で亡くなった。この異才の作家が、観相の術をよくしたことはつとに知られている。家人が病名を隠して入院させた時も、自分の掌を見つめて、「ガンだな」といった。もっともそうはいいつつ、「医者はガンだっていっているんじゃないか」と不安そうに夫人に聞いたりもした。奔放多情の伝説を残した剣豪作家と、実はきわめつきの愛妻家と、二人の一刀斎がそこにいた……ということかもしれない。

Date: 11月 23rd, 2011
Cate: audio wednesday

第11回公開対談のお知らせ

毎月第1水曜日に行っています公開対談の次回は、12月7日(水)です。
今回は、「幻聴日記」の町田秀夫さんとの対談の二回目です。

時間はこれまでと同じ夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行ないますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 11月 23rd, 2011
Cate: 中点

中点(その13)

レコードが中点であるのは、アナログディスクにしろCDにしろ、
ある形態をもっているからだ、ともいえる。

いまインターネットを通じての配信が増えてきている。
以前は圧縮音源のみだったのが、CDと同じサンプリング周波数、ビット数での配信もはじまり、
さらにはハイビット・ハイサンプリングでの配信、DSDでの配信も登場してきた。
ドイツ・グラモフォン(デッカ)も、以前は320kbpsのMP3だったのが、
FLACファイル(16ビット、44.1kHz)での配信もはじめている。
しかもMP3の価格とFLACの価格差は、意外と小さい。

それにTrack Detailsをみると、最下段にFormatという項目があり、
デジタル録音のものは、サンプリング周波数とビット数が表示されている。
多くは44.1kHzの16ビットだが、なかには24ビットのものもあるし、ハイサンプリングのものもある。

これを提示しているということは、将来、マスターのフォーマットそのままでの配信が行われるのかもしれない、
と勝手に期待しているわけだが、いつになるのかはなんともいえないが、やらない理由は特にないと思う。

レコード会社が、このようにいくつかのフォーマットで音楽を販売している、という事実は、
レコード(録音物)が、これから先も中点でありつづけるのか、とも思えてくる。

レコード(パッケージがなくなってしまうから、あえて録音物とする)が、
レコードの送り手側にとって最終点、レコードの受け手にとって出発点ということも、
これから微妙に変化してくるかもしれない。

つまりレコードの送り手にとってレコードが最終点だったのは、
レコードの受け手の再生環境に対して、いわば注文をつけることはできないからでもある。

それが同じレコード(録音物)をいくつかのフォーマットで提供しはじめたということは、
レコードの受け手の再生環境に合わせることの、最初のとっかかりとなっている、ともいえよう。

Date: 11月 22nd, 2011
Cate: 中点

中点(その12)

学生のときに読んだように記憶しているから、もう30年ほど前のことになるが、
黒田先生が、レコードについて、レコードの送り手側にとっては最終点であり、
レコードの受け手(聴き手)にとっては出発点になる、
とそういったことを書かれていた。

読んだとき「なるほど、たしかにそうだ」と感心した記憶が強く残っている。
レコードは最終点でもあり、出発点でもある。
どちら側からみるかによって変ってくる。

いまこのことを思い出したのは、
どちら側から見るかによってレコードは最終点になったり出発点になる。
けれどもレコードそのものにおさめられている音楽は変りはしない。
レコードそのものの位置づけは変っても、レコードそのものは変らない。
ということは、レコードは音楽の送り手側と音楽の受け手側の中点であるわけだ。

そのレコードは回転することで、意味をなす。

Date: 11月 22nd, 2011
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その26)

Discoveryのバスレフポートは2本、径も長さも異っている。
材質はアルミで、指ではじくとチーンと、きれいな音で鳴る。
特にダンプはしていない。
もっともDiscoveryの発表は2000年ですでに10年以上が経過しているので、細部に変更が加えられていて、
もしかするとバスレフポートの処理も変っている可能性がないわけではないが、
この部分に関しては、おそらくいまもダンプはしていないと思う。

そして、この部分が、Discoveryをこの項で採り上げる理由である。

Discoveryのバスレフポートは聴き手の方を向いていない。
とはいえ、バスレフポートからさまざまなノイズが放射されていることは、他のバスレフ型と同じである。
このバスレフポートからのノイズをどう処理するのか。

アルミ製のバスレフポートはきれいな音で鳴いている。
これも、実のところ一種のイズである。
ノイズをすべて悪だと捉えるのであれば、このアルミ製のバスレフポートをすぐさまダンプすることだろう。
それにあえてエンクロージュア底部に露出させないだろう。

なぜ露出させ、鳴きをそのまま残しているのか。
そして2本のバスレフポートの鳴きは径と長さが違うため、微妙にズレている。
この2つのバスレフポートの鳴き(ノイズ)によって、
バスレフポートから放射されるノイズをマスキングしている。

つまりコントロールできないノイズ(バスレフポートからの放射音)を、
コントロールしている(できる)ノイズ(バスレフポートのきれいな鳴き)でマスキングすることで、
聴感上のS/N比を、文字通り聴感上改善している。

これは私の推測にしかすぎないし、
ウィルソン・ベネッシュの開発陣が、どういう意図でバスレフポートをアルミでつくり露出させたのか、
その理由については何も知らない。
それでも「ノイズ」という観点からDiscoveryというスピーカーシステムをみていけば、
以上書いてきたことが私のなかでは浮び上ってくる。

不要輻射をひとつずつなくしていくことも手法ではある。
それを真面目に行ってきたのが、ある時期の日本のメーカーのつくるスピーカーシステムだった。
そうやって聴感上のS/N比は確実に向上していった。
だが、不要輻射を抑える、なくしていくという考え方だけでは対処できないノイズもある。
そういうノイズに対しては、
コントロールしている(できる)ノイズによってマスキングするのは有効な手法ではないだろうか。

Date: 11月 22nd, 2011
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その25)

ウィルソン・ベネッシュのDiscoveryは、3ウェイの小型スピーカーシステムである。
3ウェイと表記したが、ウィルソン・ベネッシュのカタログには2.5ウェイとなっている。
フロントバッフルには17cm口径のウーファーと25mm口径のソフトドーム型トゥイーターがとりつけられていて、
一見すると2ウェイに見えるが、
エンクロージュアの底部にアイソバリック方式のウーファーの背面が顔をのぞかせている。
これがメーカーのいうところの2.5ウェイの0.5にあたる。

そして外観上の特徴は、このアイソバリック方式のウーファーだけではなく、
やはりエンクロージュア底部に露出しているバスレフポートにもある。

Discoveryはいわゆる小型スピーカーに属するサイズではあるが、
エンクロージュアとスタンドは一体化されている。
もっとも一体化させないことには、
エンクロージュア底部にウーファーの背面とバスレフポートを露出させることは無理なのだが。

Discoveryのバスレフポートの位置は、ひとつの解決方法といえる。
これはほかのサイズのスピーカーでは無理なことだし、しかもスタンドと一体型ということが条件となってくるため、
他のスピーカーシステムではなかなか採用しにくい面ももっているが、それでも高く評価したい。

エンクロージュアの背面にバスレフポートがあれば後ろの壁面との距離がシビアになってくるのと同じように、
エンクロージュアの底部にバスレフポートをもってくれば、床との距離がその分シビアになるはず。
けれどDiscoveryではスタンドと一体型ゆえに、バスレフポートの対面にはスタンドのベースがある。
このベースとの距離は一定であり、調整の必要はない。
つまりメーカーで指定された距離、といえるわけだ。

いうまでもないことだが、バスレフポートからの放射された音が直接耳を向くことはない。

Date: 11月 22nd, 2011
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その24)

なにを優先するか、である。
聴感上のS/N比を、私は重要視するけれども、
聴感上のS/N比なんてそれほど重要じゃない、という音の求め方もある。
どちらが正しい、とか、間違っている、とかではなく、
ふたりの求める音楽、音楽に何をもとめるのか──、そのための音に要求するものの優先度が変ってくるからだ。

それにJBLの3つの4ウェイのスピーカーシステムを例に挙げたが、
4341、4343、4344の中で、どれを選ぶか。
私はためらうことなく4343を選ぶ。だからバスレフポートがエンクロージュアのいちばん下にあっても、
そういうものとして受けとめて、自分の求める音楽を鳴らしていくだけであって、
もし私が4344を選ぶ人間であれば、ポートが上にあってもかまわない、
それに下にあるよりもずっといい、というふうに受けとめるだろう。

結局のところ、自分の求めるスピーカーシステムで、どうなっているかの問題でしかない、という気持もある。
そう思いながらも、うまい手法だな、と関心してしまったスピーカーシステムもある。
ウィルソン・ベネッシュのDiscoveryである。

しばらく輸入元がなかったウィルソン・ベネッシュだが、
今年の秋から輸入が再開されていることを先月の終りに知った。
現在の輸入元(take 5)のサイトにスピーカーシステムはVectorしかないが、
ウィルソン・ベネッシュのサイトではDiscoveryは現行製品だから、いずれ取扱いがはじまることを期待したい。

Date: 11月 21st, 2011
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その23)

バスレフ型の動作が単純なもので、バスレフポートからは共振周波数以外の音は放射されてない、
しかも位相はウーファーと常に同相である──、
そういう動作であれば、バスレフポートの位置は下側にあるよりも上にあったほうがいい、といってもいいだろうが、
実際のバスレフポートの動作は複雑なものであり、バスレフポートからは実にいろいろな音が出ている以上、
単に下側にあると低音がボンつく、とか、鳴らしにくい、とか、といった理由で、
ダメとは言い切れない難しさがついてまわる。

バスレフポートを上にもってくれば、聴き手の耳の位置がどの高さにあるかにもよるが、
場合によっては、バスレフポートが耳の位置と同じ高さになることがある。
このときの音に与える影響は、下側にあるときと違ってくるのは容易に想像できるし、
実際に聴感上のS/N比に敏感である人ならば、
バスレフポートを上に持ってきたスピーカーシステムの難しさを感じられるだろう。

バスレフポートからのノイズは、ポートの材質や表面の処理、
それに両端の形状、固定方法などによって変化してくる。
さらにはエンクロージュア内部の構造、吸音処理に仕方によっても変化してくるだけに、
ここが正解だということは、いまだいえないのが現状である。

さまざまな要素に注意を払えばはらうほど、バスレフポートの位置は難しい、といえる。
近視眼的に見ている(聴いている)のであれば、逆に答は出しやすい。
だが、それはあくまでも、ごく狭い要求に対しての答でしかなく、
スピーカーシステムに求めるものによっては答ではなくなってしまう。

Date: 11月 21st, 2011
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その22)

だから聴感上のS/N比が高くなればなるほど、バスレフポートの設置位置は難しくなる。
バスレフポートからの放射は、はっきりと聴感上のS/N比に影響を与えるからだ。

フロントバッフルにポートを設けるのか、それともリアバッフルにするのか。
バスレフポートの助けを積極的に利用するのであれば、やはり前面につけたい。
エンクロージュア後方もひとつの手法ではあっても、狭い空間に設置する場合、
やはり後ろの壁との距離・角度が前面にあるよりもシビアになる傾向はある。

前面に設けるとしても、フロントバッフルのどこにするのか、でも大きく変ってくる。
たとえばJBLの4300シリーズをみていくと、機種毎によってバスレフポートの位置はさまざまである。
4ウェイの4341、4343、4344とではポートの位置は異っている。

4341ではウーファーの左側に上下に2つ並んでいる。
4343ではウーファーの下側左右にそれぞれひとつずつある。
4344ではミッドバスの横に、4341と同じように上下に2つ並んでいる。

4341、4343、4344のユニット構成はほほ同じ。
エンクロージュアの寸法も4341のみやや異っているが、4343と4344はまったく同じである。
にも関わらずバスレフポートの位置はみな異っている。

どれがいちばん良いのか。
4344だ、といともたやすく断言する人がいる。
理由は4343、4341とは異り、上についているから、だということらしい。
こんなことをいう人は4343のバスレフポートの位置は最悪だ、とまだ断言される。

ほんとうにそうだろうか。
低音の鳴らしやすさということでは、
たしかにバスレフポートはエンクロージュアの下側にあるよりも上側のほうが楽なことが多い、とはいえなくもない。
ただし、あくまでも、いえなくもない、ということであって、
鳴らしやすい、から、という理由で、4344のバスレフポートの位置が正解だと言い切ってしまう人は、
見方を変えれば、鳴らしにくいものからは理由をつけ逃げているだけ、
さらにいえば、うまく鳴らしていくことができないだけとも、いえなくもない。