「複雑な幼稚性」(その13)
五味先生の著書を、いま真摯に読み直してみるといい。
そこに書かれているのは、音場についてのことがすぐに見つかる。
瀬川先生に関しても同じことがいえる。
なにもこのふたりだけではない。
ステレオサウンドのバックナンバーをきちんと読み返せば、音場に関してもきちんと評価の対象となっている。
ただ音場だけを優先して評価していたのではなく、これは日本語の特性とも関係してのことであろうが、
音色についての表現において言葉がより多く費やされることが多かったのは事実だ。
これは音場が量的表現に近く、共通認識をさほど必要としない、ということも関係してのことであろう。
だからといって日本のオーディオ評論が、アメリカよりも進んでいた、といいたいのでなはい。
それに、そういう問題ではない。
それなのに一部の輩は、すぐに日本をけなし、アメリカこそ、と声高に叫ぶ。
どちらか片方だけがすべて良い、なんてことはない。
なぜこんな当り前すぎることが、オーディオをやっているにも関わらずわからないのだろうか。
これが現代的な幼稚性なのか、とも思ってしまう。