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Date: 4月 27th, 2012
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その59)

Thaedraのリアパネルは、真横から見るとL字型になっていて、底辺の水平部分に入出力端子は取り付けられている。
一般的なアンプのリアパネルは垂直面に端子が取り付けられているからケーブルは水平に差し込むのに対し、
Thaedraは垂直にケーブルを差すようになっている。

どちらが使いやすいかは、コントロールアンプをどう設置するか、
その設置環境によっても変ってくるため一概にはいえないものの、Thaedraのようなスタイルは使いやすい。

ボンジョルノが、このスタイルをとったのは使いやすさということもあってだろうが、
それよりも内部コンストラクションとの兼ね合いで、こうせざるをえなかったほうが強い。

Thaedraの内部は底部に信号ラインや電源ラインとなるメインのプリント基板がある。
この基板に対して、MCカートリッジ用フォノイコライザー、MMカートリッジ用フォノイコライザー、
ラインアンプ、これら3枚のプリント基板が垂直に挿し込まれている。
メインのプリント基板とはコネクターで接続され、3枚のアンプ基板はリアパネルに固定される。
さらにラインアンプはスピーカーを直接鳴らせるだけの出力をもつだけに、
発熱もコントロールアンプとは思えぬほど多い。リアパネルはラインアンプ出力段のヒートシンクも兼ねている。
ゆえにリアパネルに入出力端子を取り付けるのは、やや無理がある。

こういう内部構造になっているため、フォノイコライザーは使わない、とか、
使うけれどもMCカートリッジの昇圧には外付けのトランスやヘッドアンプを使うから、
MCカートリッジ用のフォノイコライザーは不必要だ、とか、その反対にMMカートリッジ用が要らない、とか、
そういうときにフォノイコライザーアンプのプリント基板をメインのプリント基板から抜く。

このときの音の変化は、
個々のアンプをモジュール化してメインのプリント基板に挿すタイプ(マークレビンソンのLNP2やJC2など)は、
電源部に余裕があっても音は確実に変化する。
変化する、というよりも確実に音は良くなる、といえる。

Date: 4月 26th, 2012
Cate: audio wednesday, 岩崎千明

第16回audio sharing例会のお知らせ(岩崎千明氏について語る)

何度かお知らせしているように、来週水曜日(5月2日)のaudio sharing例会のテーマは
「岩崎千明氏について語る」です。

「岩崎千明氏について語る」といっても、
一回の例会で語り尽くせるはずもなく、「岩崎千明氏について語る」がテーマであっても、
さらにテーマを絞ることになるわけで、どこに絞るかを、いま考えているところであって、
岩崎千明という人物は、純粋な欲張りさんなのかもしれない、と思っている。

欲張りといってしまうと、あまりいいイメージではそこにはないわけだが、
そういうイメージの欲張りとはあきらかに違う、いわば子供のような純粋な欲張りなような気がしている。
大人の欲張りは、どこか人の目を気にしているようなところがないわけではない。
欲しいモノを手に入れる、という行為に、どこか趣味を同じくする周りの人の目を多かれ少なかれ気にしてしまう。
そのことを意識している、意識していないに関わらず、
そのこととまったく無関係にモノを選び自分のモノとしていくのは、簡単のようであって難しい面も含む。

しかもオーディオ評論家という、常に読者の目が向いている──、
なにも読者の目だけではない、編集者の目もある、メーカーの目もある、輸入商社の目も、
自分に向いていることを意識せざるをえない環境の中で、
純粋に自分の欲しいモノをそういう、いわばしがらみ的なことをバッサリ断ち切ってオーディオを選ぶことを、
ほんとうに楽しげにやられていた人が岩崎千明という人物ではないか、と思う。

自分の使っているオーディオ機器、手に入れたオーディオ機器のことを誰にも話さない、教えないのとはわけが違う。
だから、私は岩崎先生を、純粋な欲張りさん、と呼びたい気持に、いまなっている。

それに日本ではいまも昔も、ストイックであることのほうが、
なにかカッコイイと受けとめられることが多いような気がする。
私も20代のころは、そう思っていた。意味もなく、深く考えもせずに、
ストイックであること自体、もしかするとそう見せかけることがカッコイイ、と大きな勘違いをしていた。

それだからこそ、純粋な欲張りさんには憧れも含まれている。

私は岩崎先生の文章を同時代の人間としては、ほとんど読んでいない。
1977年の3月に亡くなられているから、1976年からオーディオにはいっていって私にとって、
それはごく短い期間であったし、すでに体調を崩されていたのだろう、
1977年1月、2月発行のオーディオ雑誌で、岩崎千明の名を見ることはほとんどなかった。
少なくとも私が住んでいた田舎の書店に置いてあるオーディオ雑誌では目にすることができなかった。

しかも私はジャズは、クラシックに比べれば聴く時間はかなり少ない。
ジャズ好きの人からみれば、
そんなもの聴いているうちにはいらないといわれてしまいそうなぐらいしか聴いていない。
私は、岩崎千明氏に関しては、あきらかに遅れてきた読者である。

そういう人間の見方だから、「純粋な欲張りさん」は的外れなこと想いということもあるかもしれない。
それでも、いまは、純粋な欲張りさんだ、とおもっている。
明日には変っているかもしれないが、
5月2日のテーマは、純粋な欲張りさんということから語りはじめるつもりでいる。

5月2日のaudio sharing例会は、いつも同じ、四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
時間はこれまでと同じ、夜7時からです。

当日は岩崎先生の娘さんの岩崎綾さんと息子さんの岩崎宰守さんも来られます。

Date: 4月 25th, 2012
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(ヘッドフォンアンプとしてのThaedra)

サイズ考(その8)で、ロジャースのLS3/5AをThaedraで直接鳴らしたときのことを書いている。
LS3/5Aの最上の音としてどうしても忘れることのできない音。

このときLS3/5Aから鳴ってきた音をいま思い返してみると、
Thaedraが、巷でいわれているような、いかにもアメリカ的な音に偏ったアンプではないことがわかる。
LS3/5Aをあれほど瑞々しく鳴らしてくれたアンプなのだから、繊細さが不足しているはずがない。
ただ、繊細さをことさら強調していない音なのに気がつく。

もうひとつ気がつくのは、ヘッドフォンアンプとしても、きっとThaedraは優れていた、であろうことだ。
ヘッドフォンアンプとしてのThaedraの実力は一度も試していない。
でも回路的にはラインアンプの出力を利用している。
ヘッドフォンアンプと専用の回路を用意しているわけではない。

ということはあれだけLS3/5Aをみずみずしい、聴き惚れる音で鳴らしてくれたのだから、
ヘッドフォンに関しても同じ結果を期待してしまう。

聴いておけばよかった……、とこればかりは後悔している。

Date: 4月 25th, 2012
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その58)

マークレビンソンのLNP2のパネルデザインにオリジナリティがあるかといえば、
LNP2贔屓の私であっても、そうとはいえない。
アメリカではLNP2登場の数年前に、SAEがほぼ同じレイアウトのコントロールアンプMark Iを出していた。
日本ではオンライフ(現ダイナベクター)の管球式コントロールアンプも、ほぼ同じレイアウト。
いわゆるメーカー製のアンプではないが、伊藤先生のつくられるコントロールアンプも基本レイアウトは同じである。

コントロールアンプでVUメーターをフロントパネルの中央上段に配置して左右対称にツマミを配置、
それも同じ形状、同じ大きさのツマミということになると、
どうしても似てしまうというよりも同じになってしまう。

と書いているけれど、これらのコントロールアンプの中で、
私が最初に目にしたのはLNP2だからインパクトは強かった。

GASのThaedraは、似たデザインのコントロールアンプはすくなくとも私が知る限りでは存在していない。
白のフロントパネルに黒のツマミのパンダThaedraを最初に目にした人は、奇抜とか、
ブラックパネル仕様のThaedraにしても大胆なパネルレイアウトだと思われているだろうが、
実際に自分で使ってみると、奇抜だとか大胆だとか、そういった見た目の印象よりも、
よく練られたパネルデザインだと、すぐに理解できるはずだ。

LNP2のツマミは13個。すべて同じツマミが使われている。
Thaedraは回転式のツマミが9個、スライド式のツマミが1個、あとはプッシュ式のボタンからなり、
ボリュウム用のツマミがいちばん大きくフロントパネルの中央下段にあり、
パッと見ただけで、フロントパネルの文字を見たくとも、それが音量調整用のツマミであることは誰にでもわかる。

ボリュウムの上に水平にスライドする角形のツマミがあり、これがバランスコントロールになっている。
ボリュウムの左右にある、ボリュウムツマミよりも少し径の小さなツマミが左右独立型のトーンコントロール、
入出力、テープ関係の操作系はフロントパネル左側にツマミとプッシュボタンでまとめられている。
フロントパネル右端にはプッシュボタン(ON-OFF独立)の電源スイッチとなっている。
バランスコントロールの両端にはヘッドフォン出力端子とフォーンジャックによるテープ入出力端子がある。

Date: 4月 24th, 2012
Cate: D130, JBL, 異相の木

「異相の木」(その6)

この項の(その2)でも書いているように、(その1)を書いてから(その2)までを書くのに三年以上あいている。
(その2)を書こうと思ったのは、別項でJBLのD130について書き始めたからである。

D130は、私がこれまで使ってきたスピーカーとは異る。
私が聴く音楽、求めている音、そして理想とするスピーカー像からしても、D130はぴったりくるモノではない。
それでも、昔からD130の存在は気になっていた。

気になっていた、といっても、ものすごく気になる存在というレベルではなく、
なんとなく、すこし気になる程度の存在であったD130が、
ここにきてすごく気になる存在になってきた。

これはD130が、私のなかで「異相の木」として育ってきたからなのかもしれない。
最初は芽がでたばかり、という存在のD130が、D130の存在を知って30年以上経て、
いつしか、どうしても視界にはいってくる気になる木になっていた。

これまでは、いままで使ってきたいくつかのスピーカーシステムという木の陰にかくれていたからか、
ここにくるまで気がつかなかったのだろう。

でも、いまははっきりと視界のなかにいるD130は、私にとっては「異相の木」だという確信がある。
だから、欲しい、という気持ではなく、
一度本気で使ってみなければならない、という気持が日増しに強くなっている。

黒田先生が「異相の木」をステレオサウンド 56号に書かれて、読んだ時から30年以上経ち、
私にとっての、オーディオにおける「異相の木」をやっと見つけることができた──。
というよりも気づくことができた、というべきかもしれない。

Date: 4月 24th, 2012
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past) についてのお知らせ

もうひとつのブログ、the Review (in the past)ですが、
これまで記事の公開日時は、そのまま記事を公開した日時のままにしていましたが、今日から変更しています。

実はfacebookに同タイトルページをつくり、
そちらのほうを掲載する記事が書かれた年代順に並べるようにリンクを書きこんでいましたが、
特定の年月日にある一定以上の記事が集中すると、書込みエラーが頻繁に発生するようになったため、
参照元でもあるthe Review (in the past)を年代順に並べ替えるようにしました。

すでに公開記事が5000本を超えていますので、一度に年代順に並べ替えることは無理ですし、
新しく公開した記事がわかりやすくするために、公開して7日間はトップページで公開、
その後、記事がそれぞれのオーディオ雑誌に掲載された年月日に移動するようにしました。

せっかく年代順に並び替えるので、
the Review (in the past)をオーディオの年表としても使えるようにしていく予定です。

Date: 4月 24th, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(その9)

iPod Hi-Fiにハンドルに相当するものがないわけではない。
筐体上部左右に手を入れられるようになっている。
これがハンドルになるわけだが、当然この配置では両手が持つことを前提としているはずだ。

iPod Hi-Fiの重量は6.6kgだから、大の男であれば片手で持てる程度の重さだが、
実際に片手で持てば斜めにぶらつくようなかっこうになってしまうから、両手を使うことになる。

なぜ? と問われると返答に困ってしまうのだが、
私にとってのラジカセの必要条件、それも大事な条件のひとつは片手で持てるハンドルがついていること、である。
そんな、他に人にとってはどうでもいいことで、iPod Hi-Fiはラジカセには分類できない、と思っている。

同じ理由で、BOSEのWave music systemもそうだ。
これはハンドルはついていない。
もっともWave music systemは電池での使用はできない。AC電源のみであるから据置型としてのモノであるから、
ハンドルがついていなくて当然である。

実は、去年あたりからiPod Hi-Fiのことが気になっている。
人気がなかったためか、いつのまにか消えていたiPod Hi-Fi。
出たときは量販店で触った程度で、さして関心をもてなかったiPod Hi-Fiなのに、
心変りしてしまったのはiPod touchの存在やiPhone 4Sを使いはじめたからなのかもしれない。

ジョブスはiPod Hi-Fiを発表したときに、
「家にあるオーディオシステムはすべて放りだして、iPod Hi-Fiにしてしまった」といっていたと記憶している。
どこまで本当なのかはわからないけれど、そこまで言うということは、気に入っていたのは事実だろう。
2006年に、ジョブスがどういうオーディオを使っていたのかはまったくわからない。
アクースタットのコンデンサー型スピーカーを使っていたのは1980年代の話である。

まだアクースタットを使っていたのか、それとも他のスピーカーシステムに替えていたのか。
替えていたとしたら、どのクラスのモノだったのか……。
とにかく2006年、ジョブスはすべてのオーディオをiPod Hi-Fiにした、と言ったことは事実である。

Date: 4月 23rd, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(その8)

ラジカセを自作しようとする(というよりも考える)のは、ばかげたことであるし、
実際に取りかかったとしても、カセットテープのメカニズムをどうするのかが一番ネックになるのはあきらかだ。

中古の程度のいいラジカセを購入してきて、そのメカニズムを取り出して流用するのか、
それともなにかほかの方法があるのか、と考えると、すぐには浮んでこない。

結局、いまの時代、ラジカセをつくろうと考えたら、
カセットテープではなくiPodを使うというのが現実的な方法だと思う。
実際、量販店のラジカセのコーナーに行くと、そこに並べられている多くは、iPodを接続できる機能を備えている。
メーカーにとっても、いまさらカセットテープの走行メカニズムをつくるのはコストの上でも割に合わないし、
需要もそれほど多くは望めないであろうから、iPodを取り込むというのは、21世紀のラジカセの姿だろう。

iPodのサイズがカセットテープと同じなのは、そういう意図がAppleには最初からあったのか、と思ってしまう。
だからiPodの登場から5年後の2006年にAppleは、iPod Hi-Fiを出している。

iPod Hi-Fiは白い筐体の中央に13cm口径のウーファーを、その両側に8cm口径のフルレンジを配置した、3D方式。(若い方は3Dイコール立体映像のことだが、私ぐらいまでの年代にはセンターウーファー方式を指す言葉である。)
筐体上部中央にiPodを接続できるUniversal Dockと呼ばれる端子が設けられている。
裏側には乾電池を収納するスペースがあり、電池駆動、AC電源駆動のどちらでも使える。

残念ながらチューナーは内蔵されていないからラジオを聴くことはできなかったが、
翌2007年にはiPod touchが登場しているから、これでネットラジオを聴けるようになるわけだし、
2010年5月にはiPhone用アプリが配布されたことで、
radiko(ラジコ)のサイマル配信によってAM、FM放送を聴くことが可能になっている。

iPod Hi-FiとiPod touch(もしくはiPhone)の組合せは、Appleのラジカセと呼ぼうと思えば呼べる。
けれど、この組合せを個人的にはラジカセとは呼びにくい、と思うところもある。

それはハンドル(把手)に関することだ。

Date: 4月 23rd, 2012
Cate: トーラス

同軸型はトーラスなのか(余談・続フィードバックについて)

再生側のオーディオにおいて楽器に相当するのは、いうまでもなくスピーカーシステムである。
(だからといってスピーカー・イコール・楽器論には賛成できない。)

そして楽器を弾く演奏者が、オーディオではアンプにあたる。

「楽器にはNFBなんてものは存在しない。だからNFBなんて不必要だ」という理屈は、
片方は楽器のみのことを語り、もう片方ではスピーカーシステムとアンプをいっしょに語っている、
という都合の良さがあり、不思議な理屈、といってしまいたくなる。

こういっても「人間にはNFBなんてものはない」と反論がきそうだが、ほんとうにそうだろうか。
人間の身体こそ、アンプよりもずっと高度なフィードバックが行われている。

たとえば楽器が弾けるようになるために練習を積重ねていく。
これは経験的なフィードバックであり、さらに演奏の腕を磨いていくための研鑽もフィードバックのはず。
そして演奏中も自分の手によって弾かれ、楽器から出てきた音を聴きながらのフィードバックもある。

ピアノを弾くとき、指先は鍵に力を加える箇所でもあり、そのときの力の具合を感知するセンサーでもあり、
そのセンサーが感知した情報は脳に還り(フィードバックされ)、緻密な表現を生んでいる、はず。
ただ野放図なだけの音を鳴らすだけならフィードバックはいらないが、音楽はそうではない。

すこしこじつけめいたたとえだが、
クラシックの演奏家の演奏のスタイルの変化は、NFB量の話と近いものを感じることもある。
ずっと以前のヴィルトゥオーゾと呼ばれていたピアニストの演奏と新しく登場してくるピアニストの演奏は、
ひじょうに大ざっぱではあるけれど、ヴィルトゥオーゾ時代はNFB量が少なく、
時代と共に少しずつNFB量が増えてきていっているだけでなく、フィードバックの使い方も高度になっている──、
そんな印象を持ってしまうことがないわけではない。

だからというわけではないが、
心情的には「楽器にはNFBなんてものは存在しない。だからNFBなんて不必要だ」
という不思議な理屈がいわんとするところはわからないわけではないし、
将来300Bのシングルアンプを自作することになったら、NFBはかけない。

それでも、やはり……、である。

Date: 4月 23rd, 2012
Cate: トーラス

同軸型はトーラスなのか(余談・フィードバックについて)

フィードバックについて書いてきたついでに、すこし話はテーマからそれていく。

現在市販されているアンプ、これまで市販されてきたアンプの大半はNFBがかけられている。
無帰還アンプを謳っているものでも部分的なNFBがかかっているものもある。
フィードバック技術をまったくつかっていないアンプは、ごくわずかである。

NFBをかければ、アンプの特性は良くなる。
周波数特性は広くなり、歪も減り、ノイズも減る。それに出力インピーダンスも低くなる、など、
技術的なメリットがいくつもある。
メリットがある、ということは必ずデメリットもあるのが世の常で、
歪が減る一方で、NFBに起因する別の歪が発生することもある。

そして、NFBをかけると、音が悪くなる、と強く主張する人がいる。

たしかに安易にNFBを大量にかけたアンプは、昔から音が死んでいる、といわれることがあった。
これはなにもNFB量が多いことだけが、その原因ではないけれど、
たとえばNFB量が変えられるアンプで試してみると、
NFB量を増やしていくと音が死ぬ、とまではいわないものの、やや抑制される方向になりがちだ。

このことに関することなのだが、
「楽器にはNFBなんてものは存在しない。だからNFBなんて不必要だ」という不思議な理屈をきくこともある。

電子楽器は別として、アクースティックな楽器にはたしかにNFBに相当するものは存在しない。
ここまでは同意する。
けれど、だからといってアンプにNFBが不必要ということにならない。

ピアノでもヴァイオリンでもいいが、
アクースティックな楽器をステージの上に置くだけでは音は何ひとつ鳴らない。
楽器が音楽を奏でるには、演奏者が必要であり、
上の不思議な理屈には、演奏者がいない。

Date: 4月 22nd, 2012
Cate: 素朴

素朴な音、素朴な組合せ(その20)

それだけにカルショウの録音への意気込みは、すごいものだったと想像できる。
そして意気込みが強すぎてしまうと、
「意を尽くす」よりも「意を凝らす」ことのほうが前面に出てきてしまうのかも知れない。

誰しもがいい音で音楽を聴きたいと思うから、いい音を出したい、と思うわけだが、
いい音を出してやろう、と意気込んだときに、その音は素朴から遠ざかってしまうのではないだろうか。

いい音を出したいという気持は大事なことであっても、過剰な意気込みになってしまえば、
なにか違うものを生み出してしまう、そんな気もする。

それは時には音を表現する上での冗長性へ、とつながり関係していくのではないだろうか。

音だけの再生の世界において冗長性を否定はしない。
けれど、素朴な音とは、冗長性を有しない音、さらには冗長性を必要としない音だと思ってきている。

ここまで書いてきて、ふと頭に浮かんできたスピーカーユニットがある。
フィリップスの20年以上前のフルレンジユニット、AD7063/M8だ。

AD7063/M8は7インチ(17.8cm)口径のダブルコーンのユニットで、
フレーム形状は八角形で、5インチ(12.7cm)口径のAD5061/M8も同じフレーム形状である。
フィッリプスにはこのふたつのフルレンジの他に、
9インチ口径のAD9710/M8と12インチ口径のAD12100/M8があり、このふたつのフレーム形状は円。

このフレームの形状の違いは、ユニットの特性の違いを表していて、
八角形フレームのAD7063/M8とAD5061/M8は推奨エンクロージュア容積は、25リットル以下と7リットル以下、
円フレームのAD9710/M8とAD12100/M8は、30リットル以上と50リットル以上、とカタログには記載されている。

八角形フレームのユニットはf0がやや高めで、インピーダンスカーヴのf0の山が低い。
円フレームのユニットはf0も低めで、インピーダンスのf0の山も高い。
そういう違いが、推奨エンクロージュア容積の「以下」と「以上」の違いになっているわけだ。

私が耳にしたことのあるのは八角形のユニットだけで、円ユニットのほうは聴いたことがない。
だから、私が書いていくフィッリプスのフルレンジのことは、八角形フレームのユニットの方だ。

Date: 4月 22nd, 2012
Cate: 境界線

境界線(余談・続々続シュアーV15 TypeIIIのこと)

瀬川先生がなぜV15 TypeIIIに対して、誌面では沈黙されていたのか。
それはステレオサウンド 50号掲載の創刊50号記念の座談会を読めば、理由らしき発言があるのに気づく。
     *
菅野 そのころ、こんなことがあったのを思い出したのですが、シュアーのV15のタイプIIが出はじめたころで、たまたまぼくは少し前に、渡米した父親に買ってきてもらって、すでに使っていたのです。そして、たしかオルトフォンのS15MTと比較して、V15/IIのほうが断然優れていると書いたりしていた。そのV15/IIを、瀬川さんが手に入れた日に、たまたまぼくは瀬川さんの家に行ったんですよ。それで、ふたりして、もうMCカートリッジはいらないんじゃあないか、と話したことを覚えている(笑い)。
瀬川 そんなことがありましたか(笑い)。
菅野 あったんですよ。つまりね、ぼくたちはそのとき、カートリッジはこれで到達すべきところまできた、ひとつの完成をみたのであって、もうこれ以上はどうなるものでもないのではないか、ということを話しこんだわけです。たしかにそのときは、そういう実感があったんですね。
     *
V15 TypeIIIのひとつ前のTypeIIは、実は聴いたことはない。
だから、あくまでも上で引用したこと、それに過去の記事を読んでいえることは、
V15はTypeIIとTypeIIIでは目指す方向に違いがある、ということだ。

そのことは、「商品」としての完成度はV15 TypeIIIはTypeIIよりも上だといえるし、
だからベストセラー・カートリッジなのである。

この「商品」性の高さが、冒頭にも書いたようにV15 TypeIIIが音を判断する際の目安となり、
オーディオにおけるいくつかの境界線を浮び上らせてくれるところもある。

Date: 4月 22nd, 2012
Cate: 境界線

境界線(余談・続々シュアーV15 TypeIIIのこと)

瀬川先生はいわれた。
つまり、シュアーのV15 TypeIIIはひとつの目安となるカートリッジである、と。

V15 TypeIIIと同クラスのカートリッジを比較して、V15 TypeIIIのほうがうまく鳴ったとしたら、
その装置はまだ調整が足りない、不備があるか、装置自体のグレードアップの必要性がある、と考えていい、
V15 TypeIIIよりも同クラスの他のカートリッジがうまく鳴るのであれば、まずまずうまく鳴っている、
──そういう判断に使えるカートリッジがV15 TypeIIIなんだ、と。

これはあくまでも瀬川先生が好んで聴かれる音楽に対して、ということも忘れてはならないし、
瀬川先生が音に求められているものがどういう性質のものであるのかも理解していなければ、
V15 TypeIIIは、音の良くないカートリッジだと誤解されることにもなろう。

このときのシステムは、スピーカーシステムはJBLの4341、
アンプは少し記憶が曖昧なのだが、マークレビンソンのLNP2とSAEのMark2600だった。
プレーヤーはラックスのPD121にオーディオクラフトのAC300C。

たしかに、このとき聴いたV15 TypeIIIの音は、そういう感じの音だった。
V15 TypeIIIでならではの音は確固としてあるものの、
それが必ずしも、このときのシステムの向っている方向と同じところを向いているとは言い難い、
かといって反対方向を向いているわけではないのだが、どこかしら違うところに向っているという感じがあり、
他のカートリッジの個性が魅力として聴こえるのには反対に、
V15 TypeIIIの音の個性はアクの強さとして感じられたのが、いまも記憶に残っている。

ただし、もう一度ことわっておくが、
これは瀬川先生好みのシステムで、しかも瀬川先生が持参されたレコードを聴いての印象であり、
システムとレコードが大きく傾向が異ってくれば、違う印象になる可能性はある。

だからダメなカートリッジというわけではなくて、
あくまでもV15 TypeIIIは、
瀬川先生がいわれるようにターゲットをうまく絞って音づくりしたがゆえに大成功したカートリッジであるし、
それは、うまいつくりのカートリッジということでもある。

Date: 4月 21st, 2012
Cate: 境界線

境界線(余談・続シュアーV15 TypeIIIのこと)

これらのカートリッジを交換し調整されながら、それぞれのカートリッジについて説明されていた。
このとき、V15 TypeIIIを評価されていないのか、についても話された。

私がステレオサウンドを買いはじめて、3冊目にあたるのが43号。
ベストバイが特集だった(このころは夏の号がベストバイだった)。

43号でV15 TypeIIIをベストバイ・カートリッジとして選ばれていたのは、
井上卓也、上杉佳郎、山中敬三の三氏。
43号で、瀬川先生はほかのシュアーのカートリッジ、M75G TypeII、M44G、SC35C、M24Hは選ばれているのに、
シュアーを代表するV15 TypeIIIは選ばれていない。
43号でシュアーのカートリッジを最も多く選ばれているのは瀬川先生である。

次の年のベストバイの特集号の47号でも、V15 TypeIIIにもTypeiVにも票は入れられていない。
決してシュアーが嫌い、といった理由でないことは、43号を見ればわかる。
なのに、なぜ……と思っていたとき(47号とほぼ同じ時期の開催だった)だけに、
V15 TypeIIIの音と、瀬川先生がなんと言われるかは、楽しみだった。

V15 TypeIIIはベストセラー・カートリッジである。
それは日本国内だけでなく、アメリカでも高い評価を得ていた、はずのカートリッジに対して、
瀬川先生はあえて沈黙されていたようにも思えていた。

その理由は、シュアーのカートリッジづくりのうまさにある、ということだった。
シュアーは自社のカートリッジのトラッキング能力の高さをアピールするために、
トラッカビリティという造語を広めることに成功していた。

そのトラッカビリティという言葉のうまさだけでなく、
シュアーは市場を調査した上で製品を作っている、とも話された。
そういうシュアーらしさがもっともうまく成功したのがV15 TypeIIIということだった。

つまりシュアーは世の中のオーディオの水準を調査し把握した上で、
その平均的な音、装置においてうまく鳴るようにV15 TypeIIIを仕上げている、
だからシュアーがV15 TypeIIIのターゲットしている層では、V15 TypeIIIよりも優れたカートリッジよりも、
V15 TypeIIIのほうがうまく鳴ってくれて、V15 TypeIIIの方がいい、ということになる。

けれど、その水準をこえた音、装置では、むしろV15 TypeIIIの音の個性が、癖として気になってきて、
今度はカートリッジの評価が逆転してしまう、ということだった。

Date: 4月 21st, 2012
Cate: 境界線

境界線(余談・シュアーV15 TypeIIIのこと)

今日Twitterを見ていたら、カートリッジのことが話題になっていて、
シュアーのV15のことも話題になっていた。

私がオーディオに関心をもったのは1976年だから、V15はすでにTypeIIIになっていた。
当時の価格は34500円。
このころはエンパイアの4000D/III(58000円)、テクニクスの100C(60000円)、
ピカリングのXUV/4500Q(53000円)、AKGのP8ES(42000円)などがあって、
V15 TypeIIIは価格的には高級カートリッジというよりも、中級クラスのカートリッジという感じを受けていた。

V15の最初のモデルは1964年、TypeIIは1967年、TypeIIIが1973年、TypeIVが1978年、TypeVが1982年で、
1983年にTypeVは針先の形状変更でTypeV MRとなっているし、
1996年にTypeV MRは、V15 TypeV xMRと改称され復活している。息の長いシリーズであるが、
この中で、やはりもっとも知られているのはTypeIIIではなかろうか。

実際にどれだけ売れたのか、その数を知っているわけではないけれど、
V15の中で数が出ているのもTypeIIIがいちばん多いと思う。
1970年代に熱心にオーディオに取り組まれている人なら、
シュアーのV15 TypeIIIは常用カートリッジにされていたかは別として、
カートリッジ・コレクションに加えられていた方は多いはず。

そんなV15 TypeIIIなのに、私は欲しいと思ったことは一度もなく、
結局シュアーのカートリッジを自分で使ったことも一度もない。

V15 TypeIIIを聴いたのは、
瀬川先生が熊本のオーディオ販売店で定期的に行われていたオーディオ・ティーチインで、であった。
その時はカートリッジがテーマであり、V15 TypeIIIの他に、エンパイアの4000D/III、
ピカリングのXUV/4500Q、EMTのXSD15、オルトフォンMC20MKII、テクニクス100C、グラドのシグネチャーII、
エラックSTS455E、デンオンDL103とDL103Dなどを持ってこられていた。