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Date: 6月 1st, 2015
Cate: Friedrich Gulda

eとhのあいだにあるもの(その3)

バッハの平均律クラヴィーア曲集。
よく聴いてきた、つまりつきあいの長いレコードとなるとグレン・グールドの平均律ということになる。
他のピアニストの平均律クラヴィーア曲集は持っている。

それらの中で、40代後半ごろから頻繁に聴くようになってきたのがグルダの平均律だ。
私がもっているのはフィリップス・レーベルから出たCD。
ジャケットをみればわかるけれど、廉価盤扱いのCDである。

そこで聴ける音に大きな不満はないけれど、
もう少しいい音なのでは? と思わないわけではない。
それでも、ずっと聴いてきていた。

今日、グルダの平均律クラヴィーア曲集を録音したMPSから、
新たにCDとLPが発売になるというニュースが、
タワーレコードHMVのサイトで公開された。

どれだけの音の違いがあるのかはわからない。
さほど良くならないのかもしれないし、かなり期待していいものかもしれない。
予感としては、かなり良くなっているのでは、と思っている。

Date: 6月 1st, 2015
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(その呼称・その2)

あくまでも私のなかでの、ということわりをつけてではあるが、
五味先生はオーディオマニア、
高城重躬氏はHi−Fiマニア、
となる。

Date: 6月 1st, 2015
Cate: アナログディスク再生

建造物としてのアナログプレーヤー(その5)

ゲイルGT2101の振動実測データをみると、やっぱりな、と多くの人が思うことだろう。

「プレーヤー・システムとその活きた使い方」は、
当時の日本ビクターの音響研究所長の井上敏也氏の監修によるもので、
多くの実測データはビクターによる測定である。

Galeでのハウリングの実験とついている章では、ふたつの実装データが載っている。
ひとつは、ターンテーブルプラッター外周に三つあるレコードを支持する箇所に、
カートリッジを降ろしての測定、
もうひとつはレコード支持部間にカートリッジを降ろしての測定である。
つまりレコードが浮いている状態の測定となる。

レコード支持部での結果は25Hzにピークがあるがそれもそれほど大きくはない。
それ以上の周波数ではかなり低く抑えられていて、かなり優秀な特性を示している。

レコードが支持部から離れて浮いている状態だとどうなるのか。
21Hzと50Hzに大きなピークがある。
60Hz以上の周波数ではうねりが見られ、
あきらかにスピーカーからの音圧によってレコードが揺すられていることがわかる。

その状態であっても、マグネフロートが効果的に働いているのか、
アクリルというベースの特質なのか、面積をできるだけ抑えたベース形状のおかげなのか、
ハウリング特性は優秀である。

レコードを浮すと音が大きくなる、という人がいる。
カートリッジは振動を電気信号に変換するものだから、
レコードそのものがスピーカーからの音圧でゆすられ振動が大きくなっているのだから、
その振動も含めてカートリッジはピックアップして電気信号へと変換するのだから、
音が大きくなって当然といえよう。

Date: 6月 1st, 2015
Cate: オーディオマニア, オーディスト

オーディオマニアとして(その呼称・その1)

何者か、と問われれば、オーディオマニアと答える。

いまはオーディオマニアといっているけれど、
ずいぶん昔には音キチという呼称もあった。
オーディオマニアの「マニア」の部分を嫌う人はオーディオファイルを使ったりする。
レコード演奏家という呼称もある。

ほんの一時期ではあるが、ステレオサウンド誌上に「オーディスト」なる呼称も登場した。
幸いにもいまでは使われなくなっている。
オーディストについては、別項で書いているのでそちらをお読みいただきたい。

誰がどんな呼称を気に入って使おうと他人があれこれいうことではない。
オーディスト以外であれば。

私はオーディオマニアを使う。
音キチと呼ばれてもいいと思っている。
けれど、だからといってHi−Fiマニアと呼ばれるのは抵抗を感じる。

オーディオに関心のない人、もしかすると関心をもっている人でも、
オーディオマニアとHi−Fiマニアは呼び方の違いだけで同じと思っているだろうが、
私の中ではオーディオマニアとHi−Fiマニアは、同じところはあってもはっきりと違うところもある。
だから、あくまでも私はオーディオマニアである。

Date: 6月 1st, 2015
Cate: アナログディスク再生

建造物としてのアナログプレーヤー(その4)

「続コンポーネントステレオのすすめ」で、瀬川先生は次のように書かれている。
     *
 たとえば、イギリス・トランスクリプターの Transcriber や、同じくイギリスのゲイルGT2101のように、一種前衛彫刻を眺めるようなデザインの奇抜さは、他に類のないという点で、とりあげるに値するかもしれない。フランスのシネコMark2002は、前二者ほどユニークではないにしても、透明のアクリルベースの美しさがユニークだ。
     *
ゲイルもトランスクリプターも同じ時代に、同じイギリスから生れている。
《一種前衛彫刻を眺めるようなデザイン》に関しては、ゲイルのGT2101の方につよく感じる。

GT2101は大小の三角形から成り立っている。
この三角形は直線から成るものではなく、内側にカーヴしている三角形で、
アクリル製なので透明な三角形でもある。

大きな三角形がベースで、三つの頂点に脚部がある。
この脚部は希土元素酸化物マグネット使用のマグネフロート方式で、
そのためベース部分は二枚のアクリルが使われている。

ターンテーブルプラッターは小さな三角形で、レコードは頂点にある円形のステンレス、
スピンドル周辺の円形のステンレスの四点によって浮くことになる。

瀬川先生が挙げられているトランスクリプターもシネコも同じようにレコードを浮している。
シネコは外周の六点とスピンドルの計七点支持、
トランスクリプターは外周六点、スピンドルとその間に三点の計十点支持である。

レコードをターンテーブルプラッターに密着させない。
これは昔からアマチュアの間でも試みられている。
私もずっと昔に実験したことがある。
いまも、レコードは浮した方がいいと主張する人はいる。
エアーキャップ(通称プチプチ)をターンテーブルシート代りにする人もいる。

音に関してはあえて書かないが、
レコードを浮すことによるレコードそのものの振動についての実測データはある。
誠文堂新光社から出ていた「プレーヤー・システムとその活きた使い方」に、
ゲイルのGT2101を使った実測データが載っている。

Date: 5月 31st, 2015
Cate: 再生音

続・再生音とは……(生演奏とのすり替え実験・その5)

ビクターの実験、高城重躬氏の取組み。
このふたつに共通しているのは録音の場としての空間と、
再生の場としての空間がまったく同じである、ということ。
そして、そこに楽器が存在していることにある。

別項「オーディオマニアとして(その12)」でも書いたように、
高城氏の取組みがある成果を得ることができたのは、
そこに常にスタインウェイのグランドピアノが置かれていたことは無視できない。
同じようにビクターの実験では、そこに楽器があったことは、音にどう影響していたのだろうか。

高城氏のリスニングルームの容積に対するスタインウェイのピアノの占める比率と、
1600人が入るコンサートホールの容積に対する、
ステージ上の50人の奏者が手にしている楽器の閉める比率は、ぐんと小さくなる。

とはいえ、レコードの再生音を鳴らしていたスピーカーは、
楽器のある同じステージに設置されていたのだから、まったく音の影響がなかったとは考えにくい。

このことの音への影響がどの程度なのかを、
同じようにすり替え実験で行うことは難しい。

とにかく録音・再生の空間が同じであれば、
生演奏と録音されたものの再生の区別は難しいといえるわけだが、
ここでひとつの疑問がわく。

ビクターの実験ではレコードが使われた。
生演奏のオーケストラは服部克久指揮日本フィルハーモニー。

詳細は不明だが、ここでかけられたレコードも服部克久指揮日本フィルハーモニーの演奏と思われる。
もしもである、曲目は同じでも、レコードがカラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニーの演奏だったら、
カラヤンでなくともいい、別の指揮者で別のオーケストラによる演奏だったら、
生演奏とのすり替え実験は成功したのか成功しなかったのか、という疑問である。

Date: 5月 31st, 2015
Cate: アナログディスク再生

建造物としてのアナログプレーヤー(その3)

1970年代、イギリスにゲイル(Gale)というメーカーが登場した。
輸入元はテレオンだった(スピーカーだけはオンライフが以前輸入していた)。

現在ゲイルは輸入されていないが、会社は存在している。
ウェブサイトを見ると、あの頃の意気込みはまったく感じられない、
別の会社になったかのようである。

当時のゲイルの製品はスピーカーシステムとターンテーブルが輸入されていた。

スピーカーシステムはGS401。
日本では、というよりもステレオサウンドではGS401Aが取り上げられていた。
GS401Aは横に長いプロポーションのブックシェルフ型だが、
しゃれたパイプ製の専用スタンドが用意されていた。

両サイドがクロームメッキされ、
フロントバッフルを囲むように黒のサランネットがエンクロージュアを一周している。
カラー写真でみると、黒とシルバー(というよりも輝く白ともいえる)のコントラストが、
とにかく印象に残るデザインだった。

GS401には通常の木製エンクロージュアのCタイプも用意されていた。
こちらは同じ内容ながら縦置きのブックシェルフ型。

GS401Aは、ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」で、
亀井良雄氏による素敵な写真で確認できる。

最初スピーカーシステムが紹介され、しばらくしてターンテーブルのGT2101が登場した。
GS401A以上に、モダンな印象をあたえるターンテーブルだった。

GT2101は音の良いターンテーブルだったのかどうかはなんともいえない。
私が当時見たのは、さほど大きくないモノクロの写真だけ。
実物をぜひとも見たかったターンテーブルである。

Date: 5月 31st, 2015
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(その6)

ラックスは他のメーカーが真空管アンプの開発・製造をやめた時代にも、
真空管アンプの新製品を発表していた。

プリメインアンプのSQ38はロングセラーモデルとして、
ラックスの顏ともいえる存在でもある。

SQ38は三極管を使ったプリメインアンプとして登場した。
最初のモデルは6RA8が使われていた。
1968年に登場したSQ38Fから50CA10に変更になり、それ以降使われていた。

SQ38は世界初の三極管使用のプリメインアンプということだった。
確かに6RA8も50CA10も三極管といえばそうなのだが、
構造をみればわかるようにスクリーングリッドが存在し、内部で三極管接続した多極管である。

50CA10と同じようにラックスとNECが共同開発した8045Gがある。
ラックスのパワーアンプにMB3045に使われている。
この8045Gも三極管を謳っているが、内部で三極管接続している。

それぞれの真空管の特性はたしかに三極管といえるわけだが、
内部構造は多極管であり、構造からくる機械的共振は三極管のそれではなく多極管のそれである。

Date: 5月 30th, 2015
Cate: 長島達夫

長島達夫氏のこと(図説・MC型カートリッジの研究)

ステレオサウンドから「MCカートリッジ徹底研究」というムックが発売になっている。

この本の後半は、長島先生の「図説・MC型カートリッジの研究」の再録したものである。
ただ完全な再録ではなく、「ほぼ全ページ」ということらしい。

それでも「図説・MC型カートリッジの研究」の復刊は素直に喜びたい。
でも表紙は「図説・MC型カートリッジの研究」の方が文句なしに素晴らしい。

ラックスのPD121にオルトフォンのMC20、
ヘッドシェルはフィデリティ・リサーチのFR-S/4。
撮影は亀井良雄氏。

まだ読んでいない本についてあれこれいいたくはないが、
「図説・MC型カートリッジの研究」のそのままの復刊であってほしかった。

もっとも「図説・MC型カートリッジの研究」には広告もはいっているから、
そのままの復刊が無理なことは理解しているのだけれど……。

とにかく「MCカートリッジ徹底研究」の価値は、「図説・MC型カートリッジの研究」である。
これだけは古くならない。

Date: 5月 30th, 2015
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(胴間声)

BBCモニターの開発において、
指向特性、周波数特性、位相特性、リニアリティ、高調波歪率、混変調歪率、
インパルスレスポンスなどの諸特性が測定されるともに、
耳による試聴も重要となる。

BBCモニターが開発時の試聴には、
ノイズ(ランダムノイズ)、スピーチ、音楽ソースを使い、
多角的に行っている、とされている。

ノイズテストは、二種類のスピーカーをきりかえながら、ノイズのスペクトラムを判断するのが有効であり、
スピーチは男性アナウンサーが使われることは、
ショーターの論文にある、と岡先生が以前書かれていた。

男性アナウンサーのスピーチが使われていることは、
BBCモニターに関心をもつ人ならば当然知っていることであった。

男性アナウンサーのスピーチは、スピーカーに強い共振があれば胴間声になりやすい。
BBCモニターで男性アナウンサーの声を聴いてみると、
決して胴間声になることはない。とにかく明瞭にスピーチが聞き取れることに気づく。

以前ならば、BBCモニターでは胴間声にならないんだよ、といえば通じた。
けれど、いまは「胴間声?」と聞き返されることもある。

胴間声とは……、という説明をしなくてはならないこともある。
胴間声は死語とまではいかなくとも、それに近くなりつつあるのか。

BBCモニターがさっぱり話題にならなくなった時期がある。
胴間声が通じなくなったことと無関係ではないと思う。

Date: 5月 30th, 2015
Cate: アナログディスク再生

建造物としてのアナログプレーヤー(その2)

別項でラックスのPD121について書いた。
そこに、アナログプレーヤーにおける主役は、やはりレコードだと思う、と書いた。

PD121のように、無駄がなくシンプルな表情をみせてくれるアナログプレーヤーにふれると、
そのことを強く思うとともに、最近登場したアナログプレーヤーのいくつかは、
そのことを忘れてしまったのか、それとも気づいてさえいないのか、
アナログプレーヤーこそ(我こそ)が主役とでも言わんばかりの形相をしている。

そんなアナログプレーヤーでも音が良ければ気にしない人もいれば、
どうしても使う気になれないという、つまり私と同じ人もいる。

アナログプレーヤーは他のオーディオ機器と違い、
それ単体でデザインが完結するモノではない。
ターンテーブルプラッターの上にレコードがのせられ、回転する姿が美しくあるべきだ。

Date: 5月 30th, 2015
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(JBL 2397+2441・その5)

岩崎先生の2397の使い方(置き方)に惹かれる理由を考えていた。
2397が浮いている感じにしたいと思うのは、なぜなのか。

2397は扇状のホーンであり、短いスロートアダプターがつき、コンプレッションドライバーがある。
これらが形成するカタチを正面、それもやや下側から眺めていると、
U.S.S. ENTERPRISE NCC-1701を思わせることに気づく。

U.S.S. ENTERPRISE NCC-1701は円盤部と推進部から成る。
円盤部にはメインブリッジのほか居住区、医療室などの施設があり、
三つの円筒状から構成される推進部とが、いわゆる首といえる部分によってドッキングしている。

円盤部は正面から見れば浮いているかのようでもある。
この感じに2397を浮かして設置すると似ているのだ。

Date: 5月 30th, 2015
Cate: 再生音

続・再生音とは……(生演奏とのすり替え実験・その4)

ステレオサウンド 31号から34号にかけて、岡原勝氏と瀬川先生による記事が載っている。

31号のタイトルは「音は耳に聴こえるから音……」
32号は「みんなほんとうのステレオを聴いているのだろうか?」
33号は「スピーカーは置き方次第でなぜこんなに音がかわるのだろう……」
34号は「壁がひとつふえると音圧はほんとうに6dBあがるのだろうか?」
となっている。

34号の最後に、生演奏とのすり替え実験のことが話題になっている。
ここで語られている生演奏とのすり替え実験は、ビクターのそれであり、
岡原氏も瀬川先生も、だまされた経験がある、と語られていることは(その1)でも書いた通り。
すこし長くなるが引用しておこう。
     *
瀬川 いつまでたっても、ナマと再生音という問題が誤解を交えながらも常に討論されているということは、裏返してみると、いつの時代でもスピーカーから出る音に、もう少しどこかが進歩すると、もう少しナマそっくりの音が出るだろう……と錯覚させるだけのリアリティがあるということでしょうね。
岡原 スピーカーというのは、かなり昔から、そういう意味でのリアリティはありましたね。いわゆる、ナマと再生音のスリ替えが可能だというのは、音楽が実際に演奏されている場にいけば、相当耳の良い人でも、ナマと再生音を聴きわけることができないためです。
瀬川 わたくしもだまされた経験があります。実際オーケストラがステージで演奏していて、そのオーケストラがいつの間にか身振りだけになってしまい、録音されていた音に切り替えられてスピーカーから再生されているという実験があった。先生もあのビクターの実験ではだまされた組ですか?
岡原 ええ、見事にだまされました。似たような実験で、わたしは他人をだましたけれど、あの時は自分もだまされたな(笑)。
瀬川 ある条件を整えれば、ナマと錯覚させるほどの音をスピーカーから出せるわけですね。だからこそ、もう少し頑張ればナマと同じ音が出せる……という期待がなくならないのでしょうか。
岡原 それが大間違いなんだ。ナマと再生音がソックリだ、あるいはスリ替えることが可能なのは、ある限定条件の中でなのです。だから現在のように録音再生機器が良くなくても、ナマと再生音のスリ替えは可能だったのです。
 それはなせかというと、〝空間〟が音を支配しているからです。要するに、聴衆はスピーカーの音を聴いているんじゃなくて、スリ替え実験がおこなわれた場所(ホール)の音を聴いているわけです。再生された音がそのホールの音に似るように、ナマと同じようにどこでも音がディストリビュートしていて、ナマと再生音が大体同じレベル(音量)であれば、ある程度の再生装置(スピーカー)でも、ナマと再生音は聴きわけのつかないものですよ。
瀬川 ナマと再生音のスリ替えを公開するというような場合には、限定されたかなり広いホールを使っていますから、聴衆の大部分はホールの音としてスピーカーの音を聴いてしまうのでしょうね。実験としてはほぼ百パーセント成功するのがわかっているのだろうけれど……。
 しかし、一般的な(わたくしたちの暮しているような)部屋の場合でも、その部屋の中でピアノを弾き、それを録音してその場で再生して、ナマと聴きわけのつかないような音を出している人もいますね。この場合はひとつの限定された条件を煮詰めて、その方向に部屋作りつけのスピーカーを追い込んでいくわけで、そのような条件の部屋と装置で普通のレコードを再生した場合はどんなことになるのでしょうか。
岡原 一般的な場合とは少し違ってくるでしょうが、そういうアプローチの方法もあっていいと思います。
     *
瀬川先生が語られている、一般的な部屋でのピアノ録音・再生のくだりは、
いうまでもなく高城重躬氏のことだ。

Date: 5月 29th, 2015
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(その10・しつこく余談)

PD121と3009 SeriesII Improvedの組合せ。
その見事さは認めても使えるカートリッジの範囲が狭いのが……、と多くの人が思うことだろう。
私もそう思う。

そう思いながらも、PD121と3009 SeriesII Improvedの組合せを使うことは、
そういうことなのだ、と自分を納得させてしまうことになるだろう、自分で使うとなったら。

それでもオルトフォンのSPUだけは使いたい、という気持を完全に捨てきれるかというと、
ちょっと無理である。
とはいえ3009 SeriesII ImprovedにSPUはまず無理である。
ならば、いっそのことトーンアーム自体を交換するということにしたらいののではないか。

幸いなことにPD121のトーンアームベースはバヨネット方式だから簡単に交換が可能である。
カートリッジを交換してゼロバランスを取り直して、針圧、インサイドフォースキャンセラー、
それからラテラルバランス、高さ調整などをする手間を考えれば、
PD121におけるトーンアーム交換の方が楽なのではないか。

PD121が現役だったころには、オルトフォンのRS212があった。
このトーンアームとSPUの組合せ。
これをトーンアームベースごと交換する。

SPU専用ということであればRMG212なのだが、
RMG212はアームレストをどうするかがやっかいだ。

なんでも使えそうな、いいかえれば中途半端なトーンアームを選ぶよりは、
そういうつき合い方もあっていいと思う。

Date: 5月 29th, 2015
Cate: background...

background…(その5)

別項で書いた映画「セッション」。
映画本篇が始まる前に、これから公開される映画の予告編がスクリーンに映し出される。

無駄な時間だ、これが嫌で映画館に行きたくない、という人がいるらしい。
予告編を見るのを楽しみにしている私は、予告編の本数が少なかったり、
本篇を観たくなるような予告編がないと物足りなさをおぼえながら、本篇を観ることになる。

映画「セッション」では、6月20日公開の「マッドマックス 怒りのデス・ロード」の予告編があった。

この予告編で使われていたのが、ヴェルディのレクイエムだった。
ヴェルディがもしタイムマシンで現代にいきなり連れてこられて、
「マッドマックス 怒りのデス・ロード」の予告編を見せられたら、
なんというのだろうか、と想像しながら予告編を見ていた。

映画本篇でも使われているのかはわからないが、
予告編ではヴェルディのレクイエムは、なかなか効果的であった。

映画「セッション」を観終って、しばらくして考えていた。
ここでも書いているが、「ヴェルディのレクイエムが使われている」と思っていることについて考えていた。

この項の(その4)でも、
「ポール・モーリアのLPを試聴用ディスクとして使っていた」と書いた。

ヴェルディのレクイエムもポール・モーリアの「恋はみず色」も音楽である。
その音楽に対して「使う」という表現をするということは、
そこではヴェルディの音楽もポール・モーリアの音楽も、いわば道具になってしまっている。
そういえるのではないか。

だから「マッドマックス 怒りのデス・ロード」の予告編を見て、
ヴェルディのレクイエムが効果的と感じたのではないのか。